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心の除染という虚構29

心の除染という虚構

29

序章の最終回

 3月20日と言えば放射性ヨウ素も高かった時期だ。新学期が始まり、子ども達は小学5年と4年生になった。

「伊達市の広報は逐一読んでいました。市長が、何も心配ない、大丈夫だ、と書いていたし、その通りだと思っていました。疑うなんて、そんな気持ちは一切ないですよ。市が言っていることは正しいって。それよりも、あのころは、父のことが心配でたまりませんでした」

 

4月下旬、健太のクラスメートが3人、避難を決めた。健太がお別れの手紙を書くと悲しそうな顔で母に伝えた、その時。

「あの時、何でか分からないのですが、私、息子と娘に泣いて謝ったんです。

『ごめんね、うちは今、避難できない』って。

他の家では避難を考えることが出来ているのに。あたしには全然、出来なかったっていうことが・・・」あの時、あふれ出た涙はなんだったのか。

  原発のことは、気になっていないと言えばうそになる。しかしあの時、どこかへ逃げようなんていう考えは全くなかった。

 なのに健太の身近にいる友達は、すなわちその親は「避難」という重大な決意をあらわにした。

ひとえに子どもを守るためだ。それ以外の理由がある筈もない。そこまでの差し迫った状況にここは今、なっているのだろうか。

真理には何もわからない。

ただただ、転校する友達に手紙を書いている健太の姿がたまらなく不憫だった。私は逃げるということも考えられない親なんだ・・・。そこに思い至った瞬間、涙となった。

「健太ごめんね。詩織ごめんね」

謝罪の言葉が口を突いて出た。ウソ偽りない思いだった。

ほどなく父が亡くなり、事態の急展開に真理は巻き込まれて行く。一人残された母が急速に弱っていく。不安定になって行く母の心を、娘として支えるだけでも必死だった。真理にとっての2011年は、刻一刻と変わる家族の状況に対応するだけで精いっぱいだった。

だから放射能のこと、被爆から子供をどう守るか・・・。それは二の次三の次のことだった。

  だって伊達市が大丈夫だと言っているのだから、大丈夫に決まっているし、ガラスバッジも訳が分からないが付けているし、ホールボディカウンター(WBC)検査も伊達市はやってくれているし、だから、心配はないのだと。

真理に、甘くない「現実」が付きつけられるのは翌年、甲状腺検査が始まってからのことだ。

それは我が子の死がちらつくほどの、過酷で理不尽な現実だった。

序章終わり。

第一部・分断へ続く

 

 

 

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