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大谷翔平語録 はじめに

大谷翔平語録
はじめに

 2018年2月1日(現地時間・以下同じ)大谷翔平は米国カリフォルニア州のロサンゼルス空港に到着した。ゲート出口から関係者の車に乗り込むまでの道すがら、筆者は「お疲れ様でした」と声をかけた。突然、初めての顔に大谷は困惑したことだろう。言葉は帰ってこなかったが軽く会釈されたことを記憶している。
あの時から世界最高峰のメジャーリーグに挑戦する二刀流を追いかける日々が始まった。

 苦しんだ1年目のキャンプ、鮮烈デビューを飾った開幕戦、右ひじや左膝の故障、サイクル安打、大不振に陥ったコロナ禍の3年目、二刀流で進化を遂げた4年目。オールスター出場、史上初の記録の数々、WBC優勝・・・振り返れば何度も何度も節目の瞬間に立ち会ってきた。すべてではないが㎡そのたびに大谷の言葉をリアルタイムで聞くことができた。この炎に恵まれたことはただただ感謝でしかない。
冷静沈着なコメントがほとんどだが、野球観や物事の考え方に驚かされ学ぶことも多々あった。

 質の低い質問でそっけない言葉で返ってきたことも、何度も経験した。取材は失敗の連続。
正直、うまくいかないことがほとんどだ。プレーしている選手とは比ぶべくもないが、広大な米国で東西南北を移動する半年間は体も酷使する。ふと、なぜ取材を続けていけるのか考えることがある。
 それはシンプルに『野球が好き』なのだと思う。

 そして二刀流で挑戦する大谷を見続けたい――。その気持ちが勝る。
6年間、米国の現地メディアの中で、最も多く囲み取材の質疑応答に参加しているはずだが、正直、いまだ大谷翔平という人間を理解するには至っていない。
 番記者としては恥ずかしい限りである。ただ大谷があの時、どんな言葉を口にし、何を考えていたのか、どんな表情だったか――記憶の蓄積は十分にある。
本書では取材の中でも印象的だった大谷の言葉をテーマごとにまとめている。大谷翔平のメジャーリーグでの軌跡を、彼の『肉声』を中心に記録したものだ。もちろん言葉に対する感じ方や、捉え方は人それぞれだ。筆者自身は大谷の言葉に感化され、前向きに楽し、楽しく生きるためのヒントを得た。
本書で貴方の知らない大谷翔平を発見することができたならば、これ以上の喜びはない。
斎藤庸裕


斎藤庸裕
さいとう。のぶひろ
米ロサンゼルス在住のスポーツライター。
慶応義塾大学を卒業後日刊スポーツ新聞社に入社。編集局整理部を経て、ロッテ、巨人、楽天の3球団を担当。ロッテでは下克上日本一、楽天では球団初の日本一を取材、退社後、2014年に単身で渡米。17年にサンデイエゴ州立大学で「スポーツMBAプログラム」の修士課程を修了しMBAを取得。
18年大谷翔平のエンゼルス移籍と同時にフリーランスの記者としてMLBの取材を始める。日刊スポーツにも記事を寄稿。著書に「大谷翔平偉業への軌跡」「歴史を動かした真の二刀流」がある。(あさ出版)
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大谷翔平語録 挑戦者 ③

大谷翔平語録
挑戦者
齋藤庸裕

 右ひじや膝の手術など3年目までは故障が重なったことで思い描いていた構想からは遅れたのかもしれない。ただ大谷はこの3年間で二刀流でシーズンを完走できる体を作り上げた。5年目の2022年も投打でフル回転のシーズンを送ったにもかかわらず、負傷者リスト(IL)に一度も入ることはなかった。

 グラウンドでのパフォーマンスだけでなく、体質管理の面でも選手や歴代の監督から称賛されている。驚異的な数字を残しても、世界ナンバーワンの選手だと評されても、まだまだ本人にとっては発展途上なのだろう。

大谷が自身の夢が現実になったと実感するのは一体どんな瞬間なのか。
そう思った瞬間が今まで一度もないのでまずはそこを目指して頑張っていく途中だなと思っていますし、それがいつ来るのかというのは、野球をやめた時なのか、途中なのか、現時点ではわからないのが、素直な気持ちかなと思います」これもメジャー1年目、キャンプ初日の言葉だ。

 今は違う感覚かも知れない。ただこれからも大谷自身が描く夢に向かって懸命にプレイし続けることだけは間違いない。

二・レジェンド選手から得たもの

 「プホルス選手を身近で見られたのは、すごくいい経験というか光栄なことだったなと思います」

 大谷がメジャーデビューしてから間もないころ、うれしそうな表情で印象的な言葉を残したことがある。「できれば後ろで見たいなと思っていたのですごい歴史的な瞬間を間近で見られて僕自身は一生自慢すると思います

 2018年5月4日、当時チームメートだったアルバート・プホルスが通算3000本安打の大記録を達成した。「5番DH」で出場していた大谷はネクストバッターズサークルで、大打者の節目の記録を目撃。試合後少年のような無邪気な笑顔でこの光景を振り返った。

打撃フオームを変えたきっかけ

 2022年シーズン限りで 現役引退し、通算703本塁打の記録を残したプホルスは、大谷に大きな影響を与えた一人と言っていい。1年目の春季キャンプに臨む前には本拠地アナハイム近郊で合同練習に誘われた。メジャー挑戦の心構えについてアドバイスをもらい同僚として戦う中で見て学ぶことも多かった。

技術的な部分もそうですけど、『最初は日本の時と変わらずに、野球は野球で変わらないので、自分でやって来たものっていうのをしっかりグラウンドの中で出せれば十分いいんじゃないかな』という風には言ってもらいました」続く

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大谷翔平語録 挑戦者②

大谷翔平語録
挑戦者


メジャー1年目の決意

 大事なことは、好きな野球を一生懸命やっている姿を見せること。二刀流で歴史的な活躍を見せ、リーグMVPを獲得した2021年も同じニュアンスのコメントを残している。

「プレーする側としてはファンに夢を与えようとか元気を与えようみたいなものは全く考えていないのでそう受け取ってもらえたらうれしいなと思って毎日ガンバッてますし、そう受け取ってくれるのはその人がそういう感覚を持っているからなので、そういう純粋な感覚があるならそれはそれで素晴らしい事」

 誠実さが伝わると同時に、驚きでもあった。よく考えてみれば”トップアスリートには夢を与える役割がある”という先入観が有ったからこそ、この言葉に驚かされたのである。
大谷の取材を続けているとこのように、しばしば自分の『先入観』や『常識』が履されることがある。

 プレーも然りだ。不調が続いたと思えば突然スイッチが入ったかのように打ちまくり、こちらの予想を上回る結果を残す。そのたびにハッと冷静にさせられる。そうだ、この男は、だれもできなかったことをやろうとしているのだ。
 これまでの常識など当てはまるはずがない。いい意味で驚きの連続。ベーブルース以来の二刀流とされるが、現代にサンプルなどない。誰も歩もうとしなかった道を切り開いているのだから、予想など出来るはずもない。

10年後を見据えたトレーニング

 有言実行で突き進む点も、大谷を語る上では欠かせない。1年目、メジャーキャンプ初日のキャンプで気になる言葉があった。
「5年後、10年後をしっかり見てトレーニングをしていこうと思っているので、長期的なスパンの中でよくなっていければいい」

 フィジカル面に関する質問に対してこう答えた。当時23歳。10年後の自分まで見据えたトレーニングをすでに始めていた。学生の頃に目標設定シートを作るなどして将来の目標を立ててきた大谷にとっては、特別なことではなかったのかもしれない。この言葉通リ、1年ごとに着実に体は大きくなっていった。
 フィジカル面の成果が顕著に表れたのは4年目。2021年2月の春季キャンプはコロナ禍の影響により、通常は取材可能なフィールド上が立ち入り不可となった。
取材は「ズーム」の画面を通して行われた。間近で感じることはできなかったが、球団から提供された初ブルペンの動画を見て驚いた。映像でもはっきりわかるほど下半身ががっちりとしていたのだ。2019年に手術した左ひざのリハビリを終え、強度を上げたトレーニングが可能になったこと屈強な上半身を支える『土台』が完成していた。続く


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大谷翔平語録 挑戦者①

大谷翔平語録

第一章
挑戦者
一・メジャー1年目の決意
 今までやってきたスタイルをしっかりここで発揮できるようにやっていきたい
                       齋藤庸裕
 大谷翔平を取材し続けた6年間を振り返ると、今だからわかることがある。それでも理解していることはほんの一握りかも知れない。大谷翔平とはどんな野球選手で、どんな人間で、どんな考え方をしているのか。観察、質疑応答、数少ない会話の中から、これらの疑問を解明しようとしてきた。

 野球もそれ以外のことでもブレない軸はあるが、変化することもいとわない男。例えるなら、太い幹を持つ大木でありながらに伸びる枝葉は様々な形や色に変化していく――。筆者にとっての大谷翔平はそんなイメージだ。

変える必要があれば変えればいい

 今やメジャーリーグの顔となり、注目度もナンバーワンと言っていい。取材規模の大きさはメジャー1年目からほとんど変わっていない。2018年の春季キャンプ初日の現場からすでにカオスだった。取材ノートを見返すとその時の報道陣は日米合わせておよそ120人。エンゼルスがキャンプ拠点としているアリゾナ州テンピの施設には合計8つのキャンプ場がある。大谷がメイン球場から他のフイールドに移動すれば一斉にメディアもファンも移動する。異常なまでの注目度だった。
キャンプ初日を終えた後の会見は、休場に隣接するリゾートホテル内で行われた。
「基本的に野球の部分は変わらないので、自分の持っているものをしっかりグラウンドの中で発揮できれば、自分をアピールできるのかなと思っています」
「まずは何も変えずに自分のやってきたところをベースにしっかり取り組んでいって、後は変えなきゃいけないところは、その都度変えていければいいかなと。まずは今までやってきたスタイルをしっかりここで発揮できるようにやっていきたい」

 自分の軸はブラすことなく必要と感じれば柔軟に変化を加えていく。6年経ってもこの考えはおそらく変わっていないだろう。メディアやファンの注目度に対する受け答えも現在と変わらないものだった。
「日本でもそんなにプレッシャーのかかる方ではなかったと思っているので、好きな野球をしっかり、最後まであきらめずにプレーするだけ。その過程の中でファンの方々が喜んでくれたらうれしいですし、まずは勝つことを優先にやれたらいいかなと思っています」 続く

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100年に一人の怪物大谷翔平

これは2023年6月13日7時55分に投稿したものであるが参考までに本日再投稿する
(以下再投稿)


久しぶりにお茶を飲みながら語る

大谷翔平選手について

 2023年6月11日の昼過ぎ、仙台から旧友が訪ねてきた。

―相変わらずあなたの人生相談業は忙しいですか?―

「おかげさまで忙しいですが、世の移り変わりの激しさで、なんとも侘しい気持ちになることが最近は多いですね。人の心が変わったというか、人情味が薄らいだというか、世相が変わったのはすごく感じるね」

―あなたの業もたいへんだなぁ―

「いろいろな意味で今は大変だと思うよ。あなたの方はどうなの?」

―おかげさまで健康に関する器具の売れ具合はまあまあで、使った人たちから感謝されていますよ―

「それは何よりだね」

―ところで例の大谷翔平選手なんだが、すごいね。どれぐらい稼ぐんだろう? ―

「1000億か2000億か、とにかく100年に一人の野球人間だからね。我々庶民とは全く縁遠い存在になったね」

―大谷翔平の運勢はどうなの?―

「大谷さんの一番大事な一生を左右する土台の主運というのが姓の下の字と名の上の字の合計で決まるんだが、これが谷翔で19画。これは大凶悪運気なんだよ。それから37歳過ぎの人生後半に現れてくる運気が大谷翔平(3・7・12・5=27)全部足して27画になる。これも大凶悪運で飛んでいる飛行機がエンジン急停止で急降下墜落するような中途挫折運になっている」

―相変わらず感が働くんですか?―

「仮に大谷翔平のままなら病災(病気や災難・厄難)によって40代で斃(たお)れるのではないかと感じる」

―本当かね!?―

「超太く、短い人生に終わるんじゃないかな? 身一つで誰もなしえない快挙を次々に成し遂げて、100年に一人の野球の才能を開花させて・・・世界一の有名人になってしまったね。
プロ野球界で世界一の収入は当然なのかも知れないが、問題は現役を退いたそのあと、あの怪物は何だったのかと後々語り継がれることになるのかな・・・
大谷翔平の成功運が“泡沫夢幻の人生に終わる”となっている・・・まあ、こんなことはだれも望まないし、永遠に大リーグで活躍して欲しいと願っているファンが圧倒的に多いわけだから、普通にこんなことを言ったら頭がイカレタのか、と言われるのがオチだがね。大谷翔平選手は今がピークと感じますね。」

―「う―ん・・・」―
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欧勝馬出気関に期待

欧勝馬出気関の活躍に期待

 2023年5月28日夜8時50分、錦糸町駅前のホテルから鳴戸部屋の鳴戸勝紀親方(元大関琴欧州)の携帯電話に連絡した。

「親方ですか、先日お話させていただいた吉野永人です」
「ああどうも、ごくろうさまです」
「かねてお話の通り、明朝9時に部屋へお伺いします」
「お待ちしています」

 2023年5月29日タクシーで墨田区向島の鳴戸部屋に到着したのは朝の8時50分だった。
5分ほど玄関前で待ち、8時55分にチャイムを鳴らした。
「おはようございます。吉野永人です。約束の9時より少し早かったですが・・・」
「ああ構いませんよ、今開けますから」とチャイムから親方の声がした。
私にとって初めての相撲部屋訪問である。

**

 中に入り、稽古場の板敷に向かって左に欧勝馬関・正面に鳴戸夫人・右に鳴戸親方が座り四股名について詳しい説明をさせていただいた。約2時間話し合いの時間を持ったが、結論として、
欧勝馬出(おうしょうま・でぎ)を
欧勝馬出(おうしょうま・でぎ)へ
撰名(せんめい⇒呼び方を変えずに使用する文字を替えて運気を強くする方法)することに話がまとまった。

「吉野先生、何時の汽車で帰りますか?」
「時間は未定です。上野から新幹線に乗りますからタクシーを呼んでください」
「私が送りますよ」
ご厚意に甘え、鳴戸親方の運転で上野駅に送っていただいた。

***

 2023年11月場所から番付に載った十両の欧勝馬出関は、今回の大阪場所12勝3敗で優勝を決めた水戸龍関に次ぐ11勝4敗で勝ち越しを決め、来場所に初の幕内昇進が確実な情勢となった。

 苦節7年、鳴戸部屋創設以来、初めての幕内力士の誕生だ。
鳴戸親方、おかみさん、欧勝馬出関の日頃の努力と撰名への決断に敬意を表したい。

最近、土俵上の表情に逞(たくま)しさが出てきた欧勝馬出関には、今後ともなお一層稽古に精進し、多くのファンに敬愛される人間性豊かな強い関取になって欲しいと願うところだ。


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コロナワクチン後遺症の真実 最終回

コロナワクチン後遺症の真実
最終回
「製造中の飛行機を飛ばした」
京都大学名誉教授・福島雅典

 さらに、現在厚労省が開示を拒んでいるワクチン関連のデータが開示されれば、わが国のサイエンスのレベルは各段に上がるでしょう。ワクチンの健康被害の制度があるのも日本の救いです。WHOは2021年、はじめて低・中所得国に対して救済制度を稼働させました。
 ワクチンを製造した製薬会社に責任を問えないのか、と思う方もいるかも知れません。
ファイザー社との契約書が公開されている他国の事情でいうと、製造物責任を問えないようになっています。国ごとに若干異なるものの,ファイザーに有利な契約なのです。おそらくは日本も同様でしょう。

 ファイザーは45万ページにのぼるワクチンの臨床試験の資料を約75年後に公開するとしています。
ですが、彼らは逃げきれません。私たちが検査方法さえ開発してしまえば、因果関係は明らかになります。科学を甘く見てはいけないのです。

 ファイザーでワクチン研究開発部門の責任者だったキャサリン・ヤンセン博士は退職した直後の2022年11月、ネイチャー誌でこう述べて居ます。
『私たちは製造している途中の飛行機を飛ばした』人命を軽視したその飛行を見逃すことは出来ない。それが科学者として医師としての私の矜持です。

ワクチン接種の前後では、国民の体質が変わったと考えないといけません。科学、医学にとって、新しい戦いが始まっているのです。

 この国がワクチンによって起きている事実を事実として認め、「災い転じて福となす」ような未来に進んでいけるよう、反ワクと揶揄されれようが淡々と研究を進めていきます。       完                         

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コロナワクチン後遺症の真実⑯

コロナワクチン後遺症の真実


ワクチン接種者手帳の交付

京都大学名誉教授・福島雅典

 武見大臣は記者会見で私たちの要望書に触れ、救済制度の審査の迅速化を進めた結果、従来の4倍の審査件数を処理できるようになったと述べました。スピードアップとともに適切な救済・補償と、医療の提供を進めて頂ければと願います。
更に今後国が行うべき施策があります。
「ワクチン接種者手帳」の交付です。

 救済制度は申請主義ですからすべての健康被害者を掌握できるわけではありません。現に私の知る限りでも、主治医にワクチンによる健康被害の十分な知識がなく、協力を得られないなどの理由から申請を泣く泣く諦めている人が少なくないのです。

 そうした被害者も含めて、医療の管理下に置かないといけません。
またこのワクチンの影響は現行の知識で議論できる範囲を超えています。特に遅発性の毒性についてはまだわからないことばかりです。
妊娠や出産、認知症など人間の生涯にわたり、或いは世代を超えて影響する可能性もあります。

予見可能性がある以上は今から網を張って継続的に調査することが必要です。
 尤も私は日本の状況を必ずしも悲観してはいません。

 実はこのワクチンを巡っては、世界中で科学、医学、民主主義の危機が生じています。

 欧米では、ワクチンに批判的な論文は投稿する専門誌によっては検閲に引っかかります。
 掲載されたとしても「利益はリスクにまさっている」という内容を加えないといけない。インドでは研究者がワクチン問題を議論しただけで役所から警告の電話がかかってきたそうです。

 その点、日本ではこのワクチンの副作用について学会で発表した人は何百人と居ます。圧力に屈することなく事実を報告した彼らはこの国の誇りであり、曲がりなりにも我が国の言論の自由が保障されているという証でもあります。

 そして、日本の統計は世界に冠たるものです。特定の癌の致死率がワクチン接種後に上がっているという論文を取りまとめられるのも厚労省のデータがあるからです。

 ドイツ人のレビュアーが査読して「わが国ではできない、非常に高度なデータサイエンスだ」と舌を巻いていました。続く

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コロナワクチン後遺症の真実⑮

コロナワクチン接種後遺症の真実
                 ⑮ 
      ワクチン接種後死亡者や健康被害者の全例調査を要請
                      京都大学名誉教授・福島雅典

 また緊張状態から副交感神経優位に切り替えるスイッチとして簡単で有効な方法が腹式呼吸です。
先ず心を落ち着けて鼻から息を吐いていき、お腹がぺちゃんこになるまで吐き切ります。そうすると鼻から自然に空気が入ってきます。それを5回ほど繰り返せば、コツをつかめます。

 私も実践していますが、呼吸で心身が落ち着くのを実感出来ます。
以上を生活の基本に据え、免疫力を低下させないようにしましょう。

 私たちは国に対する要請も行ってきました。
1月には武見敬三厚労相に対して「新型コロナワクチン接種による健康被害者の速やかな救済に関する要望書」を提出。

 ワクチン接種後死亡者や健康被害者の全例調査、
全被害者の救済・補償や適切な医療の提供などを求めました。
これらは無理難題ではなく、既存の制度で対応可能なものです。

 日本では新規メカニズムの医薬品や、稀にでも重篤な副作用が懸念される医薬品に対し全例調査を行う制度(医療用医薬品の全例調査方式による使用成績調査)があります。
またワクチンによる健康被害に対しては、「予防接種健康被害救済制度」に基づいて救済を行う仕組みがあります。
         
「心臓が溶けた」男性も認定された

 新型コロナワクチンによる健康被害者の認定者数は、2021年8月から23年12月27日までに5735件(死亡認定420件)です。

 現行の救済制度が開始された1977年2月から2021年12月までに、新型コロナワクチンを除く全ワクチンの被害者認定数は、3522件(死亡認定151件)。

新型コロナワクチン一つで過去45年間の国内すべてのワクチン被害認定件数をすでに超えているのです。
この被害規模の大きさ故に救済制度に申請しても、審査に時間がかかっています。
冒頭で触れた「心臓が溶けた」男性のご遺族も、申請から1年近く経っても審査が進まず、私がまとめた意見書を追加提出し、更に1年後、申請からは2年後の3回忌にようやく認定されました。                 続く

 
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コロナワクチン後遺症の真実⑭

コロナワクチン後遺症の真実
京都大学名誉教授・福島雅典
ビタミンDと亜鉛は必須

 既にワクチン接種後症候群かも知れない症状のある方はやはり医療に掛かる必要があります。
厚労省はそのような患者さんに対して各自治体に相談窓口を設置する様、2022年3月に通知しています。
私たちの研究会では。診断基準や、診療ガイドラインの策定に向けた臨床研究も進めています。
 一方、症状がない方への私のアドバイスは誰に対しても同じで、免疫力をこれ以上落とさないこと。食事、運動、睡眠、心の在り方。体を支える免疫機能を低下させないためには、これらを日々の生活で管理することにつきます。

 余りに当たり前で拍子抜けしたでしょうか。しかし、生活が乱れていてこれらがおろそかになっている現代人は、実際のところ少なくないはずです。

食事では、良質なタンパク質や新鮮な野菜や果物を十分に摂取するようにします。
ファストフードや、スナックばかりではいけません。
 特にビタミンDと亜鉛は、免疫系に必須の栄養素です。
ビタミンDが豊富な食材なら
 干ししいたけ、亜鉛なら牡蠣やレバーなどインターネットで検索すれば色々出てきますから、意識して摂るようにしたものです。
 運動は足踏みやスクワット今すぐ自宅でできることがいろいろあります。寝たきりのひとなら、手足のグーパー運動をしましょう。神経や脳を活性化することができます。
 身体が気持ちいいと感じられる運動を、日常に取り入れることは免疫機能の維持には大切です。
 日中に十分な運動をすれば、良質な睡眠にもつながります。ウイルス感染防御に働く免疫系は血液中の様々な細胞によって担われていますが、免疫に重要な役割を担うリンパ球は、昼はリンパ節に集まり、夜寝ている間に血中で上昇します。
このリズムは交感神経(緊張)副交感神経(リラックス)のリズムと連関しています。

 つまりリズムが崩れて交感神経が優位な状態が続くと、免疫機能が低下することになります。
 がんの患者さんで、交感神経の優位が続く人は予後が悪い。動物実験でも交感神経が刺激されるとがん細胞の増殖が促進されるという結果が出ています。続く



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