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藤井直伸さん 短命夭折

藤井直伸さん短命夭折

 

藤井直伸

21487

(藤は籐で21画)

天格 藤井  25

人格 井直  12大凶

地格 直伸  15

外格 藤伸  28大凶

総格 藤井直伸40大凶

三才の配置 天5―人2地―5 大凶

(第2型準絶対的短命運)

自律神経系・胆のう・肝臓腸・腸炎・消化器系を傷(いた)めやすく、短命に陥る。(簡略鑑定・永人)

 バレーボールの日本代表選手として2021年の東京五輪に出場した藤井直伸さんが3月10日死去した享年31。

 宮城県石巻市雄勝の出身で昨年2月に自身のインスタグラムで「胃がんステージ4」であることを公表していた。

  宮城県古川工業高校から順天大を経て東レ入り。2017年から代表に選ばれ、攻撃を指揮するセッターとして活躍した。

 胃がん公表時は

前を向いてこの病気に打ち勝つという強い意志をもっている」と綴っていた。

女子日本代表で日立のセッターだった佐藤美弥さん(33)と21年に結婚した。

藤井さんのご冥福をお祈りする 合掌

 

 

 

 

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陳さんも逝った

陳さんも逝った・・・

 

「お父さん、キムチを食べますか?」

「ああ食べるよ」

我が家の3月19日の夕飯の時間である。

「“吉野家のキムチ”が旨かったが、同じものか?」

「いいえ、違うものですよ」

初めて見たが、キムチの容器のフタに、陳 建一さんの顔写真が貼ってある。

「へえー・・・このような食べ物の容器にも顔写真入りでCMに出ているんだねぇ」

 たまたま19日は私の誕生日であったが、まったく普段の食事と同じだ。もっとも糖尿病にならないように、甘いもの、うまいものは厳禁だと家内がうるさく言うので、難しいが質素な食事にとどめようと思っている。

「陳さんが亡くなったってテレビで言ってましたよ」

「そうかやっぱり亡くなったか・・・」

「やっぱりって?」

 

「うん、姓名の画数が悪すぎて特に三才の配置が第一型の絶対的短命運なんだよ。

その通りになってしまったという事。本名が東 建一なのだがこれも大凶名、何せ建一10画の大凶。それだけでも病弱短命運なんだよ」

「そうなんですか・・・」

「仕方がないねぇ。息子さんの陳健太郎名も第三型絶対的短命運ではなはだ悪い」

  四川料理の達人としてテレビの料理番組で一躍有名人になった陳 建一さん(本名・東 建一)が間接性肺炎で3月11日に亡くなったという。67歳だった。

 (一)陳 建一・こざとへんは阜で8画陳は16画

(1)1691

 

天格(1)陳  17

人格 陳建   25

地格 建一   10 大凶

外格(1)一  11 

総格 陳 建一 26

 

三才の配置が

天7-人5-地10・・・大凶

  • 第一型・絶対的短命運

脳溢血、心臓麻痺、急難、災害、自殺、その他すべて急変の死を招き、短命に終わる。

61歳ごろから体調不良が続いていたそうだが、享年67はまだまだ若い。

キムチの容器のフタに陳さんの顔を見るほかなくなった。ご冥福をお祈りする。   合掌

 

 

 

 

 

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どうしてだろう 最終回

どうしてだろう・・・

最終回

10日後、まず、無事で生まれたのかどうか。

 こちらでアドバイスした名を付けたのかどうか。

なぜ連絡がないのだろう。どうしてだろう?

甚だ疑問であったが、姪を信じてもう少し待つことにした。

 3月13日、兄弟の家に立ち寄った。

 「泉町のおんちゃん(私のこと)に公紀夫婦が訪ねて行ったそうだね」

「そうだよ」

「なんだかね、江藤家の家族がみんなで相談したところ、おんちゃんが助言した字が“気に入らない”からと、こう付けたからと、フアックスを送って来たんです」と兄弟の奥さんが持ってきた紙には

『命名 碧生』と書かれていた。

 おそらく“あおい”と読ませるのだろう。

「これで届け出の登記をしたんだね?」

「届は終わったようだよ」

「そうですか・・・・」

 なんだかいい加減に扱われ、馬鹿にされたような話で、それならそれと言ってくれればいいのだ。

 黙っているのはどういう訳か?

金をとられるから自分たちで別な名を考えて黙っていようという事の様だった。

 何ともみみっちい情けない話だ。

相談には600万円ぐらいの高級車で来たのだが・・・・

 身内親族でもこのような形になってしまう。

時代と人間性の変化をいやというほど思い知らされる。

 ところでみんなで撰んだという江藤家の初孫は第一型・絶対的短命運である。

江藤碧生

721145

天格 江藤  28

人格 藤碧  35大吉を含む

地格 碧生  19大凶

外格 江生  12大凶

総格 江藤碧生47大吉を含む

 

三才の配置

天8-人5-地9・・・大凶

絶対的短命運(第一型)

脳溢血・心臓麻痺・急難・災害・自殺、その他すべて急変の死を招き、短命の人生に終わる。

◎言って聞かせて懇切丁寧に説明しても、だめな者はダメで、これは人の世の宿命なのかも知れない。

江藤碧生は、長くても高校生ぐらいまでの寿命か?

事故、災害死、自殺などの可能性が非常に高い。

 (永人所感)

 このように身内の人たちが、取るに足りないわずかな偏見や、反発、我がまま、無知から、姓名画数の大切さをおろそかにし、わざわざ凶名を付けてしまう。後々の精神的苦労や、治療費の負担など、本人はもちろん、家族にも多くの負担を強いてくる。

 知らずにつけてしまうならまだしも、わざわざ助言を無視して「勝手に思いのまま」を名付けてしまう。将来を考えれば慨嘆するばかりだ。本当にどうしてだろう・・・             終り

 

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どうしてだろう・・・3

どうしてだろう・・・

二人が帰った後、1時過ぎ、姪に電話した。

「今日、公紀さん夫婦が来て先程帰って行ったので一応報告しようと思い電話したのだが、公紀君には鑑定書を見せなかったのだね」

 「大人になってから見せようと思っていたのだけれど、ついついこの年まで来てしまって・・・だから孫のことは叔父さんによく聞いていい名を付けてもらうように話したんです」

「今日“正弘”とつけたいことを告げられたけれど、それは悪すぎるので“まさひろ”なら、誠洋誠紘にするよう助言したのだが、わかってくれたとは思うけれど、ただ奥さんの實香」は悪いので直すように話したが、とりあえずお産の後で落ち着いたら話そうと言っておいたが、彼女の両親の姓名が相当悪く、驚いている。そういう人物でも、撰名でよい方へ変わることを説明しておいたが・・・」

「あのう・・・彼女は両親と絶交状態で、ほとんど親子で話もしていない状況なんです。両親はメチャクチャで話にならないんです」

「やっぱりそうか。彼女のお産に差し障るといけないので言わなかったが、少なくとも彼女には撰名を進めた方が良いと思う。あなたも覚えておいて・・・」

「わかりました。後で今日のお礼に伺いますから」

「わかった」

 それから20日経ったが姪と息子夫婦の誰からも何の連絡もない。一体どうしたんだろう・・・

 姪の電話も記録がないのでわからない。

やむを得ず姪の実家、つまり私の兄弟の家に行った。

「文重さんの電話番号を教えてほしい。私に電話くれて訪問するようなことを言っていたのだが、まだ何も連絡がないので心配している」

「昨日生まれましたよ」

「えっそうなのか」

 初めてのひこ孫誕生なのだが、何となく雰囲気が暗い。ワクチン後、奇形児が相当生まれているので、もしかしたら・・・と心配した。  続く

 

 

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どうしてだろう・・・2

どうしてだろう・・・

「なんとつけたいの?」

「まさひろ・です。正弘で考えました」

正弘10画の大凶で駄目ですよ。体を弱くし、病気や災難・厄難と縁が絶てず、長生きも難しい。経済力も弱く、家庭も持ちにくい。仮に家庭を持っても壊れやすい。

基本に2・4・9・10・12・14・19・20・22・27・28・などの数字は名に持たない方が良いですよ。

あなたは自分の“公紀”と言う名がつけられた時、鑑定書が渡された事をわかっていますね?」

 「いいえ、知りません」

「なに?あなたは鑑定書を見ていないのですか?その時お母さんに一緒に渡した『泣き笑い真剣勝負』という本も読んでいないのですか?」

「はい・・・」

「驚いたなぁ・・・そうですか・・・」

自分の名がつけられた謂(いわ)れも、内容も全く理解しないまま今日まで来たのだろう。

だから生まれ来る子供に正弘と10画で名づけを考えたのだろう・・・

 それにつけても、なぜ母親の文重さん(姪)は息子に鑑定書を読ませることもなく、説明もせずにいたのだろうか。理解に苦しむ話である。

「あなたに名付けた時にお母さんに渡したB5版で24頁で解説した一生保存できるカバー付きの鑑定書があるはずなので、読んでみてください。一度も見たことはないですか?」

「見たことありません」

全くどういう事なんだろう!?

 自然体で夫婦そろっての完全大吉名はめったにない。

したがって目の前にいる公紀君の奥さんは凶名を持っている確率が非常に高い。

 念のため旧姓と両親の名も含めて聞いてみた。

「奥さんは何という名ですか?」

江藤實香(えとう・みか)です」

やはり凶名である。

 

「實香は23画の・頭領寡婦運・以前は後家運と言われた形。平安な家庭を築きがたい。お産が済んだら別の“みか”に直せば(撰名)なんの心配もない。とにかく今は来月無事に出産することが大事だから、細かいことは後で落ち着いてから相談しましょう」

(両親も相当悪いが、お産を控えた奥さんにショックを与えるから話さない方が良いと思い、それは伏せた)

二人そろって「よろしくお願いします」と言う。

「とにかく赤ちゃんには“まさひろ”なら

誠洋誠紘のどちらかを付けるように助言した。どちらを選んでも名前の意味付けはちゃんとします」

二人は最近の参考資料を手にして帰って行った。             続く

 

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どうしてだろう・・・

どうしてだろう・・・

  兄弟の娘が結婚した。25年前のことである。江藤家へ入籍した。

 江藤文恵(7・21・4・12➡氵・さんずいは水を意味して4画、したがって江は7画。藤は籐で21画、恵は惠で12画)になった。

 外格・江恵で  19画大凶

総格・江藤文恵で44画大凶

最低でも離婚。夫と死別。江藤家を破り、自身の身を亡ぼす。

 悪すぎるので江藤文重と撰名した。鑑定書を作って渡した。夫の姓名も悪いので一緒に撰名し、同様に鑑定書を作成し、夫婦そろって二冊の鑑定書が江藤家の本棚に保管された。

 子供が二人生まれ、長女に友香(ゆうか)長男に公紀(こうき)とそれぞれが完全大吉名である。

 姪夫婦の相当な努力と頑張りによって、長女、長男はそれぞれ大学を出て社会人になりサラリーマンとして活動している。

 2023年1月中旬、姪から電話があった。

「公紀が結婚して来月子どもが生まれるので、

叔父さんに名前のことで相談しに行きたいと言うので、本人から連絡が有ったら相談に乗ってやっていただけませんか?」

 「そうか。全く知らなかったが、それは大変おめでとうだね。もう性別は解ったのだね?」

「男の子です」

「まあ何とつけたいのか、来た時に良く希望を聞いて、江藤に合う名を決めればいいと思うので、いつでもいから電話を寄こすように公紀君に伝えて下さい」

 「ありがとうございます。叔父さんも忙しいと思いますけれど、電話させますからよろしくお願いします」

 1月下旬の日曜日、11時ごろ公紀君夫妻がやってきた。

                          続く

 

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梅方誠亮先生のこと 最終回

梅方誠亮先生のこと

 家内が習い始めのころは15名ほどだった生徒はいつの間にか35名ほどに増えた。隔週でAとBの2班に分かれて指導を受けていた。

2年ほど前から、先生は時々講義を休むようになり、何となく痩せて見えるようになったそうで、多分、そのころから病院通いが始まっていたのではないかと思われた。

 今年の2月ごろから家内が言うようになった「先生は時々無言で窓の外をじーっと見つめていることがあるんですよ」

「それは、この世の景色の見納めを意識しているのじゃないか?ある意味で、覚悟を決めているのじゃないかな・・・そう思うよ」

「・・・・」

3月1日・2日陶芸の教室があり、家内も参加したが、いつも静かで無口な先生がはしゃいだり、笑ったり、色々話したり初めてそういう姿を見せ、自分の陶芸に使う道具を「私は使わないので皆さんで使ってください」と持ってきて置いて帰ったのだそうだ。

 「げっそりと痩せた状態だった」と言う。

「本人が予感しているな。覚悟しておいた方がいいな」

「まさか?・・・でもそうなのかしらね・・・」

「頭の毛は?」

「すっかりはげた事があったけれど、最近は少し生えてきた感じ」

「なんだそれ、放射線の治療を受けていたんじゃないのか?何せ、ワクチンも射っているだろうし、その後の癌は“ターボ癌”と言って非常に進みが速いそうだ。どう考えても・・・」

「もうやめてください・・・」

  2023年3月14日火曜日の朝6時、

家内が「陶芸の梅方先生が亡くなってしまいました」と言う。

 地元紙の死亡広告記事に掲載されていた。

喪主・梅方美季(外格19大凶

母 ・斎藤敬子(人格34外格20大凶

義父・梅方史雄(人格9大凶

義母・  朋子(人格12外格4大凶

 全員家族縁の薄い凶運気を有している。

 35名の生徒のうち葬儀に参列したのは家内を含めてたったの4人。考えられない程、情の薄い世の中になった。  合掌  

 

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梅方誠亮先生のこと 二

梅方誠亮先生のこと

 「私の感が働いたときは、大抵その通りになることは誰よりも家内であるあなたが一番よくわかっているはずだよね。

 梅方先生も短命型に変化するので危ないと思っている。本人に会って詳しく説明し、それで撰名に前向きでなければ仕方がない、私の方がきっぱり諦めるが、ついこの間まで斎藤誠亮という、大吉名の持ち主、説明すればわかってくれると思うんだ。そういう事で会うことも賛成できないか?」

「・・・・」

 「言い方を変えれば、あなたは3年間斎藤誠亮先生にお世話になって、とても良い人だと褒めていたが、実際こういう先生がずーっと長生きして、みんなに指導してくれたらどんなにかいいだろうと思わないかね」

 「それはそうだけど・・・」

「だったら私が先生とお会いすることに賛成してくれないか」

「・・・・」

 家内はあくまで梅方先生が撰名を拒んだときの、そのあとの事を心配している様だ。

 これ以上、、家内を説得しても、同意は無理だと思い、梅方先生にお会いすることは諦めざるを得ない、と思った。

 結婚5年後梅方先生に長男が生まれ、8年後に長女が誕生した。

残念ながら子供さんたちは、それぞれ父親の短命と縁を持つ故に、かわいそうな境遇を経験することになりそうで、おそらく名前もそのようになっている(幼くして父親を亡くす運・2・4・9・10・12・14・19・20などの数画を持っている)はずだと思った。

 先生自身が小学校高学年時に父親を亡くしている。

父親自身の凶名と斎藤敬子という母親の外格(斎子=20画=夫子との生死別運)の影響があったから招来したことによる不幸だったと言える。

 また先生自身が斎藤誠亮という完全大吉名であっても、一家全体がそろって大吉名というケースは一般的にほとんど稀で、斎藤家もその通りであった。

 婿養子になって梅方誠亮という凶名による凶運気に支配されようとしている現在、今度は父親である先生の運気が梅方家で妻子との生死別を招くことになるのである。

これは繰り返しの因縁運気を表出することになるかも知れない、とも思った。続く

 

 

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梅方誠亮先生のこと

梅方誠亮先生のこと

  斎藤誠亮(さいとう・せいすけ)氏は私の家内の陶芸の先生である。

家内はこの先生のもとで陶芸を習い始めて16年ほどになる。当時家内は62歳であったから、文字通り60の手習いである。

 当時30歳の氏は、笑顔が絶えず、親切で教え方も丁寧、温厚な人柄で、人を和ませる雰囲気を持っていた。

姓名の画数が完全大吉名である。なるほど道理である。このような人ほど早く結婚して家庭を築き、落ち着いてくれればいいと思っていた。

  「先生が今度結婚するそうですよ」と家内から聞いたのは13年前、「どこから来る嫁さんかな?」と思っていたらその後「お婿さんになったそうですよ。姓も梅方に変わりましたから」と言う。

 斎藤誠亮(100点=完全大吉名)から

梅方誠亮(20点=大凶名)は急降下で非常に悪い運気に変化する。

 

「どうわるいの?どう変化するの?」

「病弱運気で苦労困難、孤独運、妻子との生死別に遭い、短い人生に終わるという事だよ」

「・・・・」

「奥様も梅方でたぶん夫子との生死別運の名を持っていると思う。今度先生にお会いしたら奥様の名をきいてみてくれないか」

 

1週間後、奥様の名は美季だと分かった。

梅方美季は外格(梅季19画=大凶)やはり夫との生死別運気がある。

「先生に会って、梅方清介と撰名(せんめい=呼び方を変えず、文字を変えて運気の内容を強く吉に変化させる方法)を奨めた方がいいと思うから、先生に会う段取りをつけてくれないかな」

「33歳の若い先生がそのようなことをすぐに信用するとは思えないし、私も気まずくなってその後の習いごとに影響すると困るから、ちょっと待ってくれませんか」

「あなた(家内)の気持ちもわかるが、こういう話は早いほどいいのだよ。戸籍が梅方に変わっているのだから、もう悪い運気が始まっていると思わなければ・・・運気とはそういうものなんだよ。あなたもそのことは今までにいろいろ見てきてわかっているはずだよ。私がこんなことを言うのは舘田先生の時以来だよ*」続く

*舘田先生=30代後半の若さで亡くなった国立宮城野病院の外科部長の医師=後日投稿予定)

 

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高橋旺礼南 三

高橋旺礼南

惨状を伝える

「現実を伝えたい」と依頼があれば講演も引き受ける。聴衆には、激しい攻撃で大きな被害を受けた街の写真と、ウクライナの美しい風景写真を合わせて見てもらう。「悲惨な国」という印象を少しでも和らげたいためだ。

 講演に足を運ぶ日本人は高齢者が大半だ。

「戦争を経験したか、戦争の混乱期を過ごした人たちの方が、より痛みを共有してくれる」と感じる。

 反面、働き世代や若者の姿をあまり見かけないのが気になる。

  昨年4月、母親のカテリーナさん(74)が実家から仙台市に避難した。

「母は戦禍ですべてを失ってショックを受け、当初は家からも出られない状態だった」という。

市内に昨夏から借りた畑で、カテリーナさんは土いじりをするようになった。今は毎日5キロの散歩を欠かさない。「少しずつ笑顔が戻ってきた」と喜ぶ。

  戦争前はスラブ民族同士で言語も近いウクライナ、ロシア両国の人々が仙台で一緒に集まる機会があったが、交流は途絶えた。

「いまはロシアの人たちと距離を置きたい」と漏らす。ふるさとは第2次世界大戦でも激戦地だったため、子どものころから戦争の悲惨さを学んできた。

『戦って平和を手に入れた。もう戦争はない』と教わったが、違った。平和を保つにはどうすべきか、日本の人々も常に考えて努力して欲しい」と高橋旺礼南さんは訴える。                      終り

 

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