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安倍帰れ!! 嘘つき!!

7日前情報

安倍帰れ!!

嘘つき!!

沖縄全戦没者追悼式で怒号

日刊ゲンダイ6・26

安倍晋三の懲りない“コピペ”演説

 またか!とため息をついた国民も多いはず――。

23日の「沖縄全戦没者追悼集会」であいさつした安倍首相。昨年も批判されたが、今年のスピーチも前年の文面をほぼそのままコピペした物を読み上げていたのだ。

「今年の追悼式は例年にないくらい、安倍首相に対して『帰れ!!』や『嘘つき!!』といったヤジが飛んだ」(地元記者)という。

スピーチの中身が毎年ほぼ一緒というふざけた態度が県民の感情を逆なでしているのだ。実際昨年と今年の首相挨拶を比較すると、実に全体の5割が一言一句同じ。

表現が変わっている箇所があるものの構成は全く一緒だった。安倍は常日頃から「沖縄に寄り添う」とうそぶいているが、それが全くのデタラメだと解る文章がある。

 昨年も今年も〈沖縄の方々には、永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担って頂いております。この現状は何としても変えて行かなければなりません〉と同じ文面を使いまわしているのだ。

 辺野古の新基地建設に「ノー」の意思表示をした県民に対してこうした決まり文句を並べているのは、基地負担の軽減について如何にやる気がないかの証左だろう。

 嫌がらせに来たと勘繰られても仕方がない

〈沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいります〉という文言も同じだし、その基地負担軽減について〈1つ1つ確実に結果を出して行く〉という決意もコピペだ。

コラムニストの小田嶋隆氏がこう言う『全面改定せずとも少し応用を効かせればいいだけの話です。原稿を用意する役人やスピーチライターがいるのだから、変えようと思えば変えられる筈。

 こうなると嫌がらせで、わざと同じ文章を読んでいるのではないか、と勘繰られても仕方ありません」安倍は2014年に広島で読んだスピーチが13年の時の「コピペだ」と大炎上すると、翌15年から内容を全面的に変更している。

なのに沖縄でのスピーチは絶対に変えようとしない。 コピペは続くよ何処までも~という状況だ。『同じものを読んでりゃいいか』―安倍晋三の沖縄蔑視がありありに透けて見える。

 

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安倍政権がひた隠す拉致問題の実態・最終回

        安倍政権がひた隠す拉致問題の実態

最終回

国際ジャーナリスト太刀川正樹

「安倍さんは信用できない」

家族の悲痛な叫び

延命ツール・蔓延するサボタージュ

 2010年2月、民主党政権の中井 治拉致問題担当相は、『みんな職員たち、俺んとこへ情報を持ってこないんだよ』とぼやいていた。拉致問題対策本部は外務省、防衛省、警察庁、法務省、公安調査庁から出向する職員の寄せ集め。自分たちに不都合な情報を民主党政権下の拉致対で共有する筈がない。縄張り争い以上に、北朝鮮との秘密接触の実態や違法行為を知られたくないからだ。

官房長官が昨年10月から拉致担当相を兼任しているのは、情報コントロールが、狙いだろう。

**

 日本の公安当局と北朝鮮の情報機関との内通が表ざたになったのが、日経新聞記者の拘束事件だ。99年12月、平壌で杉嶋 岑氏がスパイ容疑で逮捕された。たびたび北朝鮮を旅行していた杉嶋氏は帰国後、日本の公安当局に写真やビデオ、資料などを提供。それがそっくり北朝鮮の公安当局に渡っていたという。著書「北朝鮮抑留記」にこうした記述がある。

 〈調査官は「お前が守ろうとしている内閣情報調査室も、公安調査庁もお前の提供した供述資料、ビデオテープ、写真を全部我々のところへ送ってきている。保管場所に困っているくらいだ」と衝撃的な事実を伝えた。

***

 この事件は、氷山の一角で、日朝間の諜報機関が水面下で日常的に情報のやり取りをしていることを暗示している。拉致被害の詳細も隠蔽しているのは明白だ。

韓国のハンナラ党(現セヌリ党)が作成した『拉致被害者問題解決対策法案』と題した全31ページの小冊子では

▼北朝鮮当局に一時的に拉致の責任がある。

▼韓国政府にも拉致行為を防止できず、救済できない責任がある――としている。韓国政府は憲法が謳う国民の生命と財産を保護する義務を果たしていないと明記している。

 安倍政権はどうか?

「北朝鮮に被害者がいたとしても、本人が〈日本に帰りたい〉と言わない限り、政府は動けませんよ」とまるで他人事。サボタージュを決め込んでいる。

****

 拉致経験のある韓国の映画監督、申 相玉(シンサンオク)氏はかつて『拉致問題解決には国交正常化しかない」と明快に答えてくれた。安倍政権にとって拉致問題は政権にとって延命の政治的道具にしか過ぎない。

政府認定拉致被害者や特定失踪者の家族の間からは

「もう安倍さんは信用できないとの声が高まっている。

祖国日本に見捨てられた拉致被害者の悲痛な叫び声が聞こえてくる。 終わり

 

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安倍政権がひた隠す拉致問題の実態⑥

安倍政権がひた隠す拉致問題の実態

遠山文子さん(21)

偽装夫婦で海外工作か

 活発な性格の遠山文子さん(失踪当時21)は高校を卒業後東京都内の大手建設会社で働いていた。同じ職場の男性T氏と半同棲生活を送る一方、両親に黙って退職。T氏と北海道など全国各地を旅行し、石川県羽昨市の海水浴場で消息を絶った。1973年7月下旬のことだった。

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 遠山さんを目撃したのは、秘密警察の国家保衛部要員C氏だ。93年6月。内部調査(検閲)のため日本海に面する咸鏡北道(ハムギョンプクド)の清津(チョンジン)連絡所に赴くと、C氏の歓心を買うため幹部が日本女性を呼んだ。いわゆる接待係を務めたのが遠山さんだった。(キム・ソングム)と名乗り、5日間の滞在中3度も食事や酒をともにしたという。

政府認定拉致被害者の松本京子さん(同29)が目撃されたのもこの清津連絡所だ。

***

特殊部隊員と夫婦偽装で海外工作か

以下はC氏の証言

『共和国では女性や軍人は男性(または上官)が食事に手を付けるまで箸を動かさない。ところがあの女性は自分からどんどん箸を伸ばしていたから、ちょっとおかしな日本人だと思った。

 紺色の上下そろいの服を着ていた。共和国では珍しいコークハイを飲んでいた。雑談で今後のことを聞くと「何処かは聞かされていないが、海外に出る予定」と答えた、特殊部隊員の男と偽装夫婦となって、海外で工作活動するようだった。

 ****

 清津連絡所にほど近い羅先(ラソン)地区には、海外工作活動に立つ前に短期滞在する『5日休養所』と呼ばれる施設がある。C氏の証言通りだとすると、遠山さんは特殊部隊員と海外で工作か活動に従事している可能性が高いが、日本にUターンしていないのだろうか。

 2002年の小泉訪朝で帰国した地村富貴恵さんは、認定拉致被害者の田口八重子さん(22)が「工作員になってでも日本に帰りたい」という望郷の念を口にしていたというエピソードを明かしていた。拉致被害者がひそかに帰国し、家族との接触を断って工作員として、あるいは工作員としての過去を捨てて暮らすことは不可能ではない。

 *****

 福留貴美子さんのケースもある。よど号グループの岡本 武容疑雄者と北朝鮮で結婚。80年3月に帰国したものの、3カ月後に再び出国し、北朝鮮に戻ったとされている。他の拉致被害者についても、公安当局の黙認下で日朝間を往来して要る可能性はある。

 よど号リーダーの田宮高麿容疑者らが万景峰号で新潟港に立ち寄り、船内で公安当局関係者と密会していたという証言もある。闇夜に乗じ、公安の手引きで新潟市内まで足を伸ばし、一杯ひっかけて戻ったという政治家の証言もある。続く

 

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安倍政権がひた隠す拉致問題の実態⑤

 

安倍政権がひた隠す拉致問題の実態

静岡69年大屋敷正行さん(16)

 1969年7月27日。都立高2年だった大屋敷正行さん(失踪当時16)は夏休みを利用して友達と静岡県沼津市大瀬崎海岸に海水浴に出かけた。深夜トイレに行くと言い残し、バンガローを出たまま行方不明になった。

 大屋敷さんは8年後の77年、平安北道泰川の朝鮮人民軍総合軍官学校で軍事訓練を受けていた。名前は「キム・ミョンホ」、当時の階級は少尉だった。拉致後、収容所で語学や思想教育を受けて泰川に移動、軍人として本格的な始めたようだ。以下は同期のB氏の証言だ。

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 120人前後が団体生活をしていて、6人部屋で3か月ほど一緒に寝起きをしたから、ミョンホには格別な思い出がある。体系はやせ形で、小柄。当時25歳前後のはずなのに、20歳ぐらいにしか見えなかった。

 特殊部隊の多くは、長髪だったが、ミョンホは髪が短かった。鉄棒や卓球などの運動が得意で足が速かった。軍事的知識は自分より詳しかった。一緒に風呂に入った時、体の上半身に火傷の痕のような傷を見た記憶がある。たばこ好きで毎日10本以上吸っていた。足りなくなると自分が分けてあげた。

 ある時、「日本で拉致されてから4日間、大きな旅館のようなところにいた。車でどこかに移動し、北朝鮮に来た」、と言っていた。「父親は小さな会社(自営業の意)をやっている」とも言っていた。

 自分の姉が面会に飴玉を持って来ると、それを見て『自分にも姉がいた。こっそりタバコを吸っているのがバレて、よく叱られた。とても懐かしい」と言っていた。ミョンホは笑うと目の下のたるみが膨らむのが特徴的だった。

***

 大屋敷さんの姉の山口幸子さんによると、父親はタンクローリーの運転手だったという。

大屋敷さんはその後84年ごろまで軍官学校に在籍。88年前後に労働党幹部の娘で

咸鏡南道咸興(ハムギョンナムドハムン)市の外国語大学教員と結婚した。B氏に送られてきた写真を見ると、大屋敷さんよりも背の高い美人だった。

97年3月ごろから咸興市内の化学兵器研究所に勤務していると消息があり、娘が生まれたことも伝えて来たという。共通の知人によると、夫婦げんかで一度、大屋敷さんは妻に手を挙げた事が有ったらし

い。北朝鮮の軍人の定年は60歳。定年を過ぎた大屋敷さんは現在でも、潜水艦基地として知られる

咸鏡南道新浦(ハムギョンナムシンポ)市沖の馬養島(マヤンド)で軍事機密情報に接しているとの情報もある。

ロシア・中国などの潜水艦の極秘修理基地とも言われている。 続く

 

 

 

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安倍政権がひた隠す拉致問題の実態⑤

安倍政権がひた隠す拉致問題の実態

国際ジャーナリスト太刀川正樹

北海道・斉藤 裕さん(18)

特殊部隊で『ヨンスン教官』として指導

 1968年12月1日。北海道稚内市の高校3年生だった斉藤 裕さん(失踪当時18歳)が行方をくらました。失踪直前に2回程、地元の人間には見えない不審な男とケンカ騒ぎを起こしていた。斉藤さんを目撃したと実名で証言したのが、ともに国家安全保衛部(秘密警察)出身で、韓国に亡命した金 国石(キム グクソク)氏と権革(コンヒョク)氏である。

 金 国石氏は90年代、斉藤さんと政府認定拉致被害者の市川修一さん(同23)を平壌市内の馬東熙(マドンヒ)偵察大学で目撃、認定被害者の松本京子さん(同29)を日本海に面する清津(チョンジン)連絡所で目撃したと著書『拉致被害者は生きている』で明かしている。

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 馬東熙大は曽我ひとみさん《60》の夫で17年末に亡くなったジェンキンスさん(享年77)が教鞭を執っていた教育機関でもある。

 金 国石氏は数年前、『拉致被害者の情報をつかんだ』と仲間に伝言を残し。消息を絶った。

 拉致被害者のシンボル的存在である横田めぐみさん(失踪当時13歳)や市川さん等の証言でマスコミの寵児となった元北朝鮮工作員の安 明進(アン ミョンジン)氏も韓国から中国に出国した後、消息不明になった。偶然なのだろうか? 権革氏が斉藤さんを目撃したのは78年5月ごろ、以下は権革氏の証言だ。

***

 斉藤さんは南西部の黄海北道谷山郡(ファンヘプクドユクサン)に在った57特殊部隊軍校で『ヨンスン教官』と呼ばれていた。朝鮮人民軍偵察指導局所属の日本語教官(階級は人民軍大尉)、所属は57軍校のチョンボン指揮部(黄海北道新渓〈シンゲ〉郡)を拠点に北西部の平安北道泰川(ピョンアンフクドテチョン)の軍官学校など、各地を巡回授業していました。

 一回の講義時間は2時間。日本の風習や自衛隊の生活ルールや規律などを指導していました。ヨンスン教官は他の日本人教官と比べて厳しく、講義中に学生がオシャベリするとその学生を立たせ、静かになるまで講義を始めませんでした。必要なこと以外は口を開かないタイプで、頑固で偏屈な日本人という印象です。

 帽子を斜めにかぶる癖があり、「不良みたい」と陰口をたたく学生もいました。ヨンスン教官は講義が終わると泊まることなく、車で指導部に戻って行きました。当時すでに結婚して小さな子供がいたようです。

****

 コリア・レポート編集長の辺 真一氏はこう明かしている。「05年の日本からの短波放送で拉致された日本人の中に名前があることが判明したことで斉藤さんは退役させられ、中西部の平安南道成川(ピョンアンナムドソンチョン)に移動。08年には平壌郊外の平城(ピョンソン)に再び移送させられたという情報がある」

 男女を問わず、大半の拉致被害者が被害者同士のほか、朝鮮人と結婚している。日本政府に捨てられる一方、家族を持ったことで帰国を諦めざるを得ない状況に置かれている。続く

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安倍政権がひた隠す拉致問題の実態③

安倍政権がひた隠す拉致問題の実態

ケース2・埼玉 佐々木悦子さん(27)

ケース3・山梨 山本美保さん (20)

日本を標的にする

5454諜報部隊の木蘭花組に従事

 平壌駅から東へ約6キロ。日本を攻撃目標とした諜報活動を主な任務とする「5454部隊」が置かれている。高さ5メートルのコンクリート壁に囲まれた敷地は8平方キロに広がる。内部には落下傘訓練用の鉄塔のほか商店、畑や小川もある。

正門横の本庁舎2階には日本から飛んでくる電波を傍受する通信局が設置され、佐々木悦子さん(失踪当時27)山本美保さん(20)ら拉致被害者が通信傍受や翻訳作業に従事している。

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 佐々木さんが埼玉県浦和市で姿を消したのは1991年4月22日。銀行でパートをしていた佐々木さんは普段通りに自宅を出たが、実はこの日は職場に休暇届を出していた。同僚には『誰かから電話が有ったら席を外していると言って』と頼んでいる。知人におびき出されたのは明らかである。

***

 3年後の94年7月5454部隊の通信局で佐々木さんを目撃したのが脱北者のK氏だ。

朝鮮労働党幹部を叔父に持つK氏が5454部隊の語学参謀長(日本語担当)から「通信局に可愛い日本女性がいる。頭もよい。一度見て見ないか?」とごますりの目的で誘われ、通信局に案内されたという。語学参謀長は30人を超える日本人拉致被害者のリストも保管していた。

 女性拉致被害者をひとまとめに『木蘭花組』とも呼ばれていた。「通信局のテレビモニターの前で佐々木さんを含む4人の女性(うち一人は朝鮮人)が一つのチームとしてモニターチェックをしながら解析(翻訳作業)をしていた5メートルほどの至近距離でその様子を観察した。

 参謀長は〈佐々木さんは言葉(朝鮮語)を覚えるのが早く、ハキハキしたタイプだが少し気が強い。拉致されて3年もたたないうちに特殊機関で働くようになったのも、早くから北朝鮮で生き抜く術を覚えたからに違いない〉と説明した」(K氏)

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 運動場でバレーボールに興じている山本さんも目撃されている大学受験生だった山本さんは84年6月4日、山梨県甲府市の自宅を出て以来、消息を絶った。4日後に新潟県柏崎市内の海岸で山本さんのセカンドバッグが発見されている。山梨県警が04年3月に『死亡』と発表したが、DNAデータが偽装された疑いが浮上。真相はいまだやぶの中だ。

佐々木さんらは5454部隊で監禁状態に置かれているものの、時には外貨商店などで、化粧品などの買い物を許されているとの情報もある。続く

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安倍政権がひた隠す拉致問題の実態②

安倍政権がひた隠す拉致問題の実態

山口県・国広富子さん(24)

 山口県宇部市内で暮らしていた看護師の国広富子さん《失踪当時24》は1976年8月2日忽然と姿を消した。「失踪当日の夜、姉は自宅から50メートルの自動販売機に義父のタバコを買いに行き、行方が分からなくなりました。所持金はタバコ2箱分の300円だけ。姉は4歳で実父を亡くし、幼いころから苦労しっぱなし。働きながら看護学校に通いました」(03年当時、妹の美樹さんのコメント)

目撃者の共通点は、平城市内の高麗ホテルに沿った蒼光(チャングアン)通りに建つ朝鮮労働党幹部アパートに住んでいることだ。脱比者のH氏は親戚の党幹部の自宅で94年6月に国広さんを見かけたという。以下はH氏の証言だ。

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 党幹部の叔父は金 正日の代理として新義州(シニジュ)で起きた金銭疑惑の調査に出かけ、賄賂を手にして機嫌よく戻ってきた。晩には親しい党幹部を集め、宴会を開いた。

  ビールが切れたので叔父が後方総局長(党幹部に食料を供給する部署の要職)に電話をかけ、中国ビールの調達を依頼した。すると後方総局長が自らやってきた。

 彼が同伴した女性が国広さんだった。女性たちは別の部屋に集まっていた。酒の勢いで叔父が総局長に「日本人女性と暮らしてどうだ?日本人女性と結婚するとは力が有るのだな」と冷やかした。

叔父に「あの女性はいつ日本から来たのですか?」と聞くと、「大分長い」という返事だった。当時平城で流行していた襟の長い高級ワンピースを着ていた。

玄関で脱いだ靴はローヒールで、小さめのサイズでしたが、700ウォンはしそうな高級品だった。党幹部の給料が400ウォン前後。2人が帰った後、妻が『彼女は日本でもとても苦労していたそうよ」と教えてくれた。

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 もう一人の証言者は、『血の海歌劇団』で活躍した踊り子で、02年に韓国に亡命した金 聖愛(キム ソンエ)氏だ。国広さんは周囲から「スクヒ」と呼ばれることが多かったが金 聖愛氏は「ヘオク(娘)のお母さん」と呼んでいたという。

「93年当時、アパートの人民班会議で〈朝鮮人民軍や労働者に各世帯で手袋を作って供給し、できない人は代わりに10ウォンを支払おう〉と決めたことがありました。

 すると、ヘオクのお母さんが〈全世帯分の手袋代を私が出します〉と提案した。

60世帯分で600ウォン。脱北直前の私の給料は110ウォンでした。当時彼女には中学生の息子と娘がいると聞きました」 続く

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安倍政権がひた隠す拉致問題の実態①

安倍政権がひた隠す

拉致問題の実態

国際ジャーナリスト太刀川正樹

 日刊ゲンダイ6・18

瀬取りの元祖は日刊諜報機関の接触

 安倍政権は「対話のための対話では意味がない」としてきた対北朝鮮強硬姿勢を180度転換し

『無条件で金 正恩委員長と向き合う』と言い出した。だがそもそも安倍政権に拉致問題を解決する力があるのだろうか?日本人にとって拉致事件と言えば1973年8月に発生した金 大中拉致事件が最も衝撃的だろう。自衛隊員が立ち上げた探偵事務所『ミリオン資料サービス』をKCIA(韓国中央情報部)が利用し、日韓共同で拉致計画を実行。日本の主権が侵害されたばかりか、それに日本人が加担した前代未聞の事件だった。

**

 日韓両政府は『真相究明は両政権にとって打撃になる』2度にわたる不明瞭な政治決着をして真相に蓋をした。その後、主権を侵された田中角栄政権から主権を冒した朴 正熙政権へ3億円もの裏金が渡る不可解な事実も発覚した。

***

 北朝鮮による拉致事件『土台人』と呼ばれる朝鮮総連工作員だけでなく被害者に近い知人や地域住民、地方公務員、警察官、反社会的勢力など多くの日本人が関わっている。

 日本の公務員が拉致計画に直接あるいは間接的に加担したとする重大な違法行為を証言する声もある。

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外貨稼ぎがエスカレート

 経済制裁に対抗して北朝鮮が洋上で違法取引をする「瀬取り」にしても元祖は日本だ。在日朝鮮人帰還事業が始まった1959年前後から日朝の情報機関員が、日本海や黄海で瀬取りを繰り返してきた。

 外貨稼ぎの一環として金 日成国家主席の承認の許、日本海に面する清津連絡所や黄海側の南浦連絡所を発った朝鮮労働党や朝鮮人民軍の幹部らが沖合に出て、海上保安庁や防衛庁職員(当時)らと接触。

 ミサイルなどの臨時情報を意図的に漏らし、日本側の反応を見る作戦である。その対価は日本円や、米ドルなどの現金や電化製品、雑貨などだった。北朝鮮が日本人拉致を重要な外貨稼ぎ手段と考えるようになったのも、自然な流れだろう。

*****

 日本人拉致は金 日成に忠誠心を示す二つの役割を果たした。

外貨稼ぎ、それに情報収集。人民武力部以外の情報機関がそれぞれに動き回り、その活動は過熱した。北朝鮮と接触する日本の公安組織もバラバラで全体像を把握している政治家は全くいないと言っていい。

看護師、印刷業者、自衛隊関係者、麻薬製造技術を熟知した反社会的勢力、高校生や芸者、数えきれないほどの日本人が拉致されている。

 政府認定の拉致被害者は17人。

警察庁が北朝鮮による拉致の可能性を排除できないとする『特定失踪者』は883人に上る。

次回から特定失踪者を巡る具体的事例を紹介する。続く

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年金返せデモ始まる!!東京銀座

年金返せデモ!!始まる

日刊ゲンダイ6・18

鱈目な『年金政策』を推し進める安倍政権への怒りが拡大している。ついに16日政府の年金政策に抗議する『年金返せ!!払え!!デモ』が東京の銀座で始まった。デモにはSNSの呼びかけに応じた数千人が参加。

『年金返せ』『生活できる年金払え』などと声を挙げて街を歩いた。若者の参加が多く、デモの先導も若者だった。

デモに共感したのか、沿道では手を振って応援する人が目立った。この先、『年金返せ・払えデモ』は、全国に広がっていく可能性がある。

対応が裏目に

**

 今頃、安倍官邸は、真っ青になっているに違いない。完全に対応を間違えた形だ。

〈年金だけでは不十分〉

〈2000万円貯蓄しろ〉という金融庁の報告書も酷いが麻生財務相が『報告書は受け取らない』と受け取りを拒否したためどんどん話が大きくなった。慌てて火消しに走ったのだろうが裏目に出た格好だ。

しかも自民党の二階俊博幹事長が『我々選挙を控えておるわけですから』と、本音を漏らすなど7月の参院選に響かないように隠蔽しようとしていることが見え見えだった。

「国民が怒りを強めたのは、『安倍政権は年金問題に本気で向き合っていない』と感じたからでしょう。何しろ麻生財務大臣は『金融庁の報告書はまだ読んでいない』と堂々と答弁し、自分が年金を受け取っているかも知らない、と答えている。庶民の年金に関心がないのは明らかです。

これでは、ただでさえ“年金不信”の強い

若者たちがデモを行うのも当然です」(政治評論家・本澤二郎氏)。

***

安倍官邸は、参議院選までには国民の関心を『年金』から『安倍外交』に移すつもりだ。

しかし年金が消えるかどうか。もし参院選の争点が年金と成ったら自民党は惨敗する可能性がある。小泉政権も、第1次安倍政権も。年金が争点となった参院選で敗北している。

****

「今、安倍シンパのメディアは『年金は政争の具にすべきでない』『与党も野党もない』と必死になって選挙の争点から外そうとしています。

参院選の行方は、有権者が安倍シンパの宣伝に騙されるかどうかでしょう。もし騙されなかったら、12年前の様に自民党は惨敗し、あの時の様に、安倍首相は退陣に追い込まれる可能性がある。実際あの時のムードに近づいています」(本澤二郎氏)デモが大きくなれば、参院選も大きく動くことになるのではないか。

 

 

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令和の意味・いや~な・・・

今にして思えば

令和の意味・嫌な感じ

 安倍晋三が絡んだ新元号の“令和”であるが、もう間もなく2カ月に成ろうとしている。

平成改元の時と違ってこの令和はどうにもなじめなくて困っている。総理で元号に関与したのは安倍晋三が初めてだということにも、ついつい抵抗を覚えてしまうのだ。

**

『令和の意味』

 安倍が主導した新元号、令和について自民党内でただ一人異を唱えた石破 茂はその意味を知っていたのだろうか。

自民党内には清話会と経世会という二つの大きな派閥が存在してきた。

清話会は安倍晋三・小泉純一郎・森 善朗等の出身派閥であり、清話会の本来の意味を現す『征倭会』を知っている者にとっては『令和』の意味が難なく解けるのだ。

***

征倭とは倭人(日本人)を征服する意味だ。

倭=和であり、日本人や大和人を現している。

昭和で『和』の字が使われているのに、またまたこの『和』を使うのにはわけがあるのだ。

令和の意味は、日本人を法令・指令・命令で支配する意味だろう。

“命和”は日本人の命という意味だが、

命から口を取ると命和⇒令和になる。

口を取る、奪うとは、思想を奪い、口を封ずることである。

安倍晋三が望む緊急事態法が成立した時、令和が完成する。朝鮮半島出身の先祖を持つ李 晋三(安倍晋三)はそんな意図のもとに御用学者に令和の年号を発案させたのだろう。

****

暴力団・カルト宗教(統一教会・創価学会)・政治宗教の一致・自民党・公明党・経団連・等々、既に日本社会はかなりの範囲で令和された(在日が支配)。しかし安倍晋三の最後の願望・緊急事態法だけはどんなことをしても通させてはならない。

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