日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
さすが!山本太郎・総理の器!!
さすが、山本太郎!!
9月11日・第四次安倍内閣の第2次内閣改造について、談話が出ていないのは「れいわ」だけだと言われたのでコメントします。
「出涸(でがら)しお友達内閣に関してのコメントは特にございません。
そんなことより、千葉の復旧に政府として全力で取り組んでください」
さすが山本太郎これぞ総理の器!!(←永人)
こころの除染という虚構32
心の除染という虚構32
上小国に住む、高橋佐枝子も信じられない思いで、マスコミの大軍を眺めていた。敦子と同じように、6月4日の新聞で自分たちが暮らすこの場所が、とんでもなく放射線量が高いことを
「事実」として初めて突きつけられた。
「それまでも高いらしいというのは合ったんだけど、本当かどうかなんて知らないから(しんにがら)。だから優斗は自転車で、霊山中学校まで通わせていたの。伊達市の広報誌でも大丈夫だと言ってるし、予定通りに学校も始まったから、本人もみんなと一緒にしたいと言うし」
この日は土曜。月曜から佐枝子は次男・優斗を車で中学校に送り迎えすることにした。徒歩2分ほどで霊山町中心部へ行く路線バスの停留所もあるが、そこまで歩かせることも不安だった。
幸いなことに上の2人の高校生は、福島まで通学する交通手段がないため夫の徹郎が出勤の際、阿武隈急行の保原駅まで送り、帰りは佐枝子が駅まで迎えに行っていた。故に高3の直樹と高1の彩に関しては、放射線量が高い場所を歩かせてはいない。
しかし優斗は無防備と言っていい状態で、高線量地域を朝夕自転車で走り抜け、加えてテニス部に入ったために、放課後は毎日砂埃り舞う校庭で部活をしていた。霊山中の空間線量(6月1日~7日)は伊達市の発表によれば、1・70~1・90マイクロシーベルト/時。
「最初はそれでも部活は屋内でやってたんだよ。廊下でボールを打ったり、でも割と早いうちに外でするようになった」文科省が校庭使用基準を3・8マイクロシーベルト時以下としたことにより、4月19日。
県教委は「学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方」を発表。これを受けて伊達市では富成小学校。小国小学校、富成幼稚園以外の学校では。屋外活動しても問題ないと言われた。
優斗が通う富成中学校でも校庭での体育や部活が再開された。佐枝 子はどうしても心配で、何度か学校に電話をしている。
「校庭を除染したのが8月だから、除染していない校庭で、ずっと部活をやってたんだよ。あのころ居ても立ってもいられず、しつこく学校に電話を掛けた。何度聞いても校長先生は『大丈夫だ』って。通学はマスクをさせていたけど、部活ではマスクは取るの。
邪魔だからって。校長は伊達市に住んでいて、『伊達より霊山のほうが低いから、大丈夫だ』って、そればっかり」
後に伊達市は、除染に際し、線量に寄って市内を市内を3つのエリアに分けるのだが、校長が住んでいた伊達町は、最も線量の少ないCエリア。
霊山中学校がある霊山町中心部は小国同様最も線量が高いAエリアとされた。
中学生を護ろうという意識が、果たして学校長にどれだけあったのか。
現に優斗は、除染していない校庭だけではなく、ボールが転がれば、側溝のある草むらへボ―ル拾いに入って行くのが、常だった。
佐枝子は大きく首を振る。
「霊山中の生徒への配慮は、ジャージ登校だけ。ジャージなら洗えるからって。それだけ」霊山中は事故直後の2011年3月の春休み期間中も、外で野球などの部活をやらせていたという証言がある。原発事故後、伊達市で際立つのは中高生が守られていないという事実だった。
佐枝子は子どもたちが心配だからこそ、玄関からエントランスなど、子どもが通る場所はとにかく水で流すようにしていた。これが後に、特定避難勧奨地点の設定に当たり、仇となってしまうのだが・・・・・。続く