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こころの除染という虚構 70

こころの除染という虚構

70

 佐枝子は毎夜布団の中で泣いた。決してこどもに涙は見せず布団の中でひたすら自分を責め、泣き続けた。どうやっても眠ることはできなかった。伊達市の心無い対応が、さらに弱った心を傷つけていた。

 「ひどがった。でもケンくんちもそうだったがら、これがひとりだったら、どうなっていだがわがんね」

ひどい』というのは、この土地の言葉で、苦しい、悲惨、辛い、の最上級の表現だ。

 

 『ひどい』という以上に当時の佐枝子の心境を表す言葉はきっとない。

「あの日雪かきさせたがらか、ガソリンがなくて、チャリで買い物にも行がせだがらか、秋には稲刈りも手伝わせだし、器具の出し入れもさせだ。あそご、線量が高いのに、そごを歩かせだし、あとは、食べ物だべが・・・」繰り返し、繰り返し、佐枝子はひたすら自分を責めた。

 「こっから下のあたりが線量が高くて、軒並み指定になってっから、そごを毎日自転車で学校へ行ってたせいなのか・・・」

徹郎も同じだった。「子どものことが心配で、どごさもそいづを持って行きようがない。ストレスが溜まって病気になる寸前までいった。いやぁたまんないです。指定にはならない。挙句の果てに、子どもの検査結果がこんなことになっている。指定になった子がら、再検査は出ていないんだから。何でよりによって指定にならない自分の子どもから・・・」

  同級生の河野直子もこの時期、佐枝子の尋常ではない様子を覚えている。

「いつもの小枝ちゃんじゃない、一緒にご飯を食べて、『お願いだから。元気だしなよ』って。

気の毒で見てらんにかった。ナーバスで、ちょっとでも喋れば涙が出て・・・。うちに来て3時間は帰んなかったね。『帰りだくねえ』って。

夫婦喧嘩をしたとか、旦那さんもイライラしてたからね」佐枝子は直子に繰り返し言った。

 「これだけの値が出ているのに、何で指定にならねぇんだ!心配はない、安全だから、『地点』になんねかったんだべ。それなのになんで、避難しなくて大丈夫だと言われた子どもが被曝してこう成ってんだ!」

 病院から戻った夫妻は直ぐに会津まで出かけ、子供が食べるコメと野菜を大量に買い込み、子どもの食材は全て遠方のものに切り替えた。続く

 

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こころの除染という虚構 69

こころの除染という虚構

69

 診察室で2人はまず、優斗の検査結果を見せられた。測定器は「立位型WBC」、則定時間120秒。

『セシウム134の測定値1400ベクレル

セシウム137の測定値1900ベクレル

今回の検査の結果、あなたの体内に在る放射性物質から、おおむね一生の間に受けると思われる線量は、約2ミリ―ベルトと推定しました』優斗の検査結果の紙を示し、医師は言った。

被曝しています

その言葉を聞いたとき、どうやって立っていられたか覚えていない。

  医師は続けた『ただし子どもの場合は下がるのも早いですから、いまから食生活に気を付けて居れば、これから毎月検査していきますから大丈夫ですよ』

心臓がドキドキ鳴り響く、被曝?うちの優斗が?医師はさらりと続ける。

『毎月検査していれば、もし甲状腺がんになっても、早い時期にわかるので、そうすればすぐに手術するなど、適正に対処できますから』

がん、手術?これが我が子に起きていることなのか?医師はあくまで優しい。

  『お父さんの結果も全く同じですね。一生の推計線量が1ミリシーベルトなのは、年齢の関係です。とにかく、1か月間、食べ物に注意して、そんなに心配しなくていいですよ』徹郎の検査結果はこうだ。

『セシウム134 1400ベクレル

セシウム137 2000ベクレル』

 すなわち、13歳の優斗の体内には3300ベクレルのセシウムがあり、52歳の徹郎の体内にも3400ベクレルのセシウムがあるということだ。専門家によれば、体重1キログラムの量で判断する必要があるという。

 優斗の体重を50キログラムとして1キログラム当たり65ベクレル

徹郎を70キログラムとすれば、49ベクレル弱。身体の小さい優斗の方がより深刻な内部被曝量になる。1キログラム当たりの数値が10ベクレルを超えると不整脈などの異常が出るケースがあると指摘する専門家もいるが、それだけを見ても、この2人の数値が、如何に高いかがわかるだろう。

 『被曝しています』――、帰りの車中、耳から離れない言葉。佐枝子も徹郎も言葉はなく、只、打ちひしがれていた。

この傷心の両親を家まで送るのが普通だと思うのだが、車は霊山支所の前で停まった。

2人に降りろ、と職員は言う。

 

「後は勝手に、自分たちでやってください」

この職員は診察室で、来月は優斗も一緒に来院して再検査を受けるという段取りを聞いていた。

医師は職員にこう言った。

『1か月後にもう一回検査するので、日程は市から連絡を入れて決めてください』その言葉に職員は「はい、はい」と頷いていたではないか。

 佐枝子は反射的に叫ぶ。

「あまりにも無責任なんじゃないの。こっちは被害者なんだし」職員はうすら笑う。

 「これはうちらの仕事じゃないですから。市から検査をやってくれと言われた場合に送り迎えするのが、うちらの仕事。アンタらを病院へ連れて行くのは、うちらの仕事じゃないですから。むしろ感謝して欲しいぐらいですよ。お礼ぐらい言ってもらうのが筋だっぺ」

カアーッと怒りがこみ上げる。これが伊達市の市民への目線なのか。徹郎は取り敢えず、こう言った。

「あんだひとりでは判断でぎねべがら、こういう事態になってんだがら、上どよぐ話し合って連絡よごせよ」

以降、再検査に至るまで市からの連絡は全くない

痺れを切らした佐枝子が直接、病院に電話をし、当人から電話が来たことに驚いた病院が伊達市に連絡をとるという格好になった。続く

 

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こころの除染という虚構 68

こころの除染という虚構 

68

 その後数カ月は何事もなく過ぎた。どこか安穏と、もう大丈夫だろうと思っていた佐枝子の意識が一変したのが、11月4日の夕方にかかってきた1本の電話だった。5時だったか6時だったか記憶にないが夕食を作っている最中だった。

 南相馬市立総合病院からの電話だった。この時から佐枝子は眠れぬ夜を過ごすことになる。

霊山中学校ではこの日20人の生徒をマイクロバスで南相馬総合病院へと連れて行き、ホウルボディカウンター(WBC)検査を受けさせていた。

 WBC検査とは機械の中に入り、体内にどれだけ放射性物質が入っているかを調べるものだ。

健康管理の一環として、伊達市では線量の高い地域に住む児童生徒から、この内部被ばくの検査を行うことにしたのだ。

その病院からわざわざ電話があったのだ。

優斗君ですが、数値がちょっと高めなので、親御さんと相談したいんです。一緒に生活している親御さんも調べてみたいので、こちらへ一度、来て貰えませんか?』

 瞬間、心臓が凍りつく。

何、言ってんだ?高いって、何が?そのあとはよく覚えていない。

確か、

「わかりました、お父さんと相談してまた電話をします」とか言って電話を切ったはずだ。佐枝子は直ぐに優斗に聞いた。

「オレとケン君だけ、何も紙を渡されなかったんだ。他はみんな結果の紙を渡されていたんだけど」佐枝子は徹郎に伝えた後、すぐに伊達市に電話をした。心配で心ここにあらずの状態だった。

伊達市は何も把握していなかった。

こちらでは、病院から何も連絡が来てないので

わかりません

「さっきわざわざ電話で南相馬の病院まで来るように言われたんだから、伊達市で車を出してもらえますね。出してもらわないと困るから」

優斗と同級生で近所のケンの家にも、優斗と同じように病院から電話が来ていた。

やはり「数値が高く再検査が必要」とされたのだ。二人はどちらも『地点』に指定されなかった子どもだった。

「何で、なんで・・・指定になっている子が何でもなくて、何でうちの子がこんなことに成んなきゃいけないの?ケンくんだってそうだ。指定になっていないのに」

  何処に怒りをぶつければいいんだろう。ただひたすら悔しかった。

 天を呪いたかった。

この世胸に秘めていた悔しさが、嗚咽となってこみ上げた。

「危険だから、他の子たちは避難になったんでしょう?うちは大丈夫だと言われたんだよ。だから、避難しなくても大丈夫だと残されたのに」

 11日、徹郎と佐枝子は、伊達市職員が運転する伊達市の車で、南相馬総合病院へと向かった。

ここに至るまでもすっきりしないやり取りがあった。徹郎が掛け合っても車を出すということがなかなか決まらない。霊山町から浜通りの南相馬市まで、飯館村との峠を越え、車で1時間半はかかる。

「こっちは被害者なんだ。出すのは当り前だべ」

伊達市は渋々送迎を承諾した。続く

 

 

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こころの除染という虚構 67

こころの除染という虚構 

67

7・被曝しています

 この夏いろいろ不思議な事が起った。

高橋佐枝子は、はっきりと記憶する。

除草剤をまいていないのに、虫が出ない。

鳥の数が明らかに減った。

植物が異様に成長する。

今まで実が成らなかったブルーベリーがたわわに実り、

キノコの成長も早い。

この年の桃は今まで食べた中で最高に甘かった。

 

 7月30日保原市民センターで

『放射能に対する食料の摂取の仕方』についての講演会が開かれた。

講師は元放射線医学研究所の白石久仁雄。

佐枝子は、河野直子と一緒に聞きに行った。

「すごい人数でお母さんばっかり。茹でこぼす、塩で揉むとか、セシウムを落とす調理法を紹介していて、会場からの質問がすごかった。当時は、野菜の放射線量を測る機械もなくて。

野菜を食べていいのかどうか、わからなかった時期だから」この夏、佐枝子はこの調理法を忠実に実践した。

 高橋家は肉や魚など以外はほぼ自給自足の生活をしてきた。

米も野菜も果物も、自分のところの田んぼと畑で賄えるし、春は山菜、秋はキノコと四季折々、自然の恵みと共に暮らしてきた。

  佐枝子は本を買ってきて線量の高いところでどう生活していけばいいのかも勉強した。

「野菜はとにかく、塩水で洗う。塩で洗うとセシウムが落ちるというから。ひと茹ですると流れて低くなるっても聞いたから。一生懸命やったない。いつもの調理の3倍も4倍も手間と時間をかけて。

子どもにはうちで取れた野菜は食わせない様にしてたけど、つまんだりすんだよ。

『これは、食べんなよ』と言ってもチョコらチョコら食べていた。でも農協でも線量を測っていたし、伊達市は食べて大丈夫だと言うし、ここまで手をかけてんだがら、大丈夫だべって」

 8月の夏休み、優斗が緊急入院した。徹郎がきれいな空気を吸えばいい。今まで吸ったのも、遠くへ行けば抜けるだろう」と優斗を連れて秋田へと保養に行ったその帰りに、急に具合が悪くなった。喉が痛くてご飯も通らない。息が苦しいと訴える為、福島市内に在る急患の指定病院に駆け込んだ。

「もう少し来るのが遅かったら死んでたよ」

医師はさらっと言った。喉が腫れて完全に気管がふさがってしまったら、死もあり得たとレントゲンを見ながら医師は言う。

「でももう治ったから、只レントゲンに移っている、これが何なのか、よく解らないのだけどでも大丈夫でしょう」

レントゲンに何か、『分からないもの』があることが気に放ったが『治った』というそれだけで佐枝子は安心した。

その病院には、優斗と全く同じ喉が腫れるという症状で入院している高校生がいた。

 「その高校生も外で部活をしていたって言うんだよ。優斗もだよ。草ぼうぼうの中、ボール追っかけて取りに行ってたって。除染なんかしてないどごに。学校自体が心配してないがら」続く

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こころの除染という虚構 66

こころの除染という虚構

66

7月、田中俊一が指導する「伊達市除染プロジェクト・チーム」は保原町冨成にある、「富成小学校」を舞台に、全面除染の実験を行う。

 アトックス、

日本原子力研究開発機構、

放射線安全フオーラム などの専門家以外に、富成小のPTAを中心とする保護者、コープ福島の呼びかけで集まった除染ボランティアなど一般人も参加しての大々的なものとなった。富成小ではプールの除染も行い、富成小はこの年福島県でも数少ない、屋外プールでの授業を行った学校となった。

続いて特定避難勧奨地点に指定された小国の民家3軒でも除染の実験は行われた。

これにより分かったことは、とにかく大量の放射性廃棄物が出ることだ。

富成小では、大量の除去物質をどこに置くのか、どのように置くのか。今後、除染に際し、『仮置き場』という問題がついて回る。

 

 伊達市の『放射能対策』は着々と進む。その後7月27日より、市内に住む妊婦、0歳から中学生までの、8614人を対象に、個人線量計=ガラスバッジが配られ、身に着けて生活するという暮らしが始まる。

 ただし、ガラスバッジを身に着けて居れば適宜、自分がどれだけの線量を浴びたのか、確認できるものではない。バッジ本体に浴びた放射線量の数字が出るわけではなく、期間を決めて回収され、結果が通知されるのを待つというシステムだ。

その計画を行うのが、ガラスバッジの製造元である『千代田テクノル』、もともと放射線業務従事者の線量管理に使われていたものを、市民の被曝線量測定の為に急遽、使うということになったのだが、まだ他市ではそのような動きはなく、伊達市が先駆的に行うこととなった。このような布陣を敷いたことで、仁志田市長は高らかに宣言する。8月18日発行の「伊達市政だより」23号で、市長は市民にこう呼びかけた。

「地域が一体となって、放射能と戦う体制を一日でも早く構築し、『放射能に負けない宣言』をしたいと考えております。全市民一丸となって、放射能と闘って行きましょう」

 

私が椎名敦子に初めて会ったその翌日、2011年9月4日は下小国、上小国の全住民にガラスバッジが配られる日だった。敦子はこの日、悲しそうに言った。

『住民のみんながガラスバッジを持って暮らすなんて、異常だと思う。勧奨地点の線引きもはっきりせず拠点となっていない私たちはただ、バッジを配られただけ。バッジだけ渡されて、ここに居ろと、せめて子どもを、弱者だけは守って欲しいのに・・・』 続く。

 

 

 

 

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こころの除染という虚構 65

こころの除染という虚構

65

 田中が伊達市とのパイプを築く前の5月、田中をチームリーダーとする同フォーラムの一行は飯館村に向かった。そこには田中が規制委員会委員長就任後、後継者として伊達市アドバイバーとなる同フォーラム理事多田順一郎もいた。チームは『千代田テクノル』、原発の保存管理を業務とする『株式会社アトックス』、

日本原子力開発機構』、

茨城大学』などの有志で編成され、飯館村で最も放射線が高い『長泥(ながどろ)』地区に在る、区長宅を拠点に、家屋、畑、水田等の除去作業の実験を行った。

5月19日から2日間かけて行われた、この除染の実験の目的について多田順一郎は、『エネルギーレビュー』誌で(2011年10月号)こう記す。

人手を掛けさえすれば、居住者の受ける放射線の量を十分下げられ、農地の汚染も耕作の可能なレベルまで下げられると実証すれば、いつかは故郷を取り戻せるという希望を、人々が失わずに済むだろう

 後に除染に過度な期待を抱かせたことを反省する多田が、ここでは明確に除染に『希望』を見ていた。

田中俊一の協力を得た伊達市は6月27日

「東日本大震災放射能健康管理対策プロジェクト・チーム」と

「東日本大震災放射能除染対策プロジェクト・チーム」

を発足させる。すなわち放射能対策の2本の柱を「健康管理」と「除染」に据えたのだ。

  除染の責任者となった半澤隆宏は後に『除染の神様』『除染のプリンス』といった異名を冠せられ、2016年にはIAEAの本部にも招聘され講演を行うようになる。

『健康管理部門』の目玉として、伊達市はまず3才から中学生まで8000人の子どもたちに、累積線量計を身に付けさせることを決めている。この両輪の対策を打ち立てたことにより、仁志田市長は『だて市政だより』16号(平成23年6月30日発行)に於いて市民にこう訴えている。

 『・・・放射能に対して防戦一方でしたが、これからは放射能と闘っていく姿勢に転じていくべきだと考えます。具体的には、伊達市の総力を挙げ、「除染」に取り組み、放射性物質を取り除いて、一日も早く元の住居に戻れるよう取り組んでいくことであると考えます。市民の皆さん、放射能に負けないで頑張っていきましょう

 この広報誌が発行されたのは、特定避難勧奨地点の『地点』が制定された日だ。

椎名敦子が強く思ったのも、余りにも当然の事だった。

「放射能と闘う? 闘わないでいいから、逃がしてほしい。何より子どもを放射能と闘わせてはいけない」 続く

 

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こころの除染という虚構 64

こころの除染という虚構

64

 現・原子力規制委員会委員長田中俊一が正式に伊達市の市政アドバイザーに就任するのは7月1日、市長が公に「全市内除染宣言」をしたのは7月4日だが、すでに6月初旬段階で、伊達市は「徹底的に除染を行う」ことを、放射能対策の主眼と決めていた。それは田中の知見を得たことが大きかった。

  ちなみに国が除染の方針とガイドライン策定に向けて動き出したのは、同年8月のことだ。

原子力災害対策本部が8月26日に「除染に関する緊急実施基本方針」を発表、30日に公布された『放射性物質汚染対処特措法』(以下『特措法』全面施行は2012年1月)が除染についての骨格を成す法制化となった。

 この特措法に於いて国が直接除染を行う「除染特別地域」と市町村が除染事業を行う『汚染状況重点調査地域』が設定されたが、伊達市はその汚染状況から後者に指定。すなわち除染作業は市が行うとされた。

 このような除染を巡る国の動きに先立つこと2カ月余り、福島の一地方都市でしかない伊達市が全国に向けて高々と『全市除染』を宣言できたのは、田中俊一がバックについてくれたからに他ならない。

田中は1945年1月、福島市生まれ。小学校時代を伊達郡伊達町(現・伊達市伊達町)で過ごしたという、伊達市とはそそも縁が有った人物だ。

 中高時代は會津で過ごし、東北大工学部を卒業後、日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)に入所、原子炉工学部遮蔽研究室長、東海研究所副所長を歴任。

 2006年に日本原子力学会会長、内閣府原子力委員会委員長代理を経て、福島原発事故当時は

「NPO法人放射線安全フォーラム」副理事長と一貫して原子力畑を歩んできた。

『放射線安全フオーラム』は以後、伊達市にとって重要なパートナーとなるのだが,2007年に設立されたこのNPOはこのような使命を帯びている。38

『広く国民に対して、放射線安全に関する科学技術・知識の研鑽と普及・啓発及び政策提言・指導並びに助言と調査に関する事業を行う』

 放射線安全』という考えを大前提に、理事長や理事、監事や顧問に

放射線影響協会、

放射線技術科学科教授、

放射線医学総合研究所の研究員、 等の研究者のほか、

株式会社千代田テクノル、

アロカ株式会社、  など放射線や原子力関係のメーカーも名を連ねる。

 とりわけ『千代田テクノル』は田中のアドバイザー就任後、伊達市への『個人線量計=ガラスバッジ』の供給を一手に引き受ける企業となる。その業務は、『医療、原子力、産業分野全般、そして線量計測、線源まで』を謳(うた)う。 続く

 

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こころの除染という虚構 63

こころの除染という虚構

63

 私の幼馴染で離婚して梁川の実家に戻り、母と独身の弟と3人で暮らす河野直子もやはり母と一緒にこのニュースを見ていた。80代半ばの母に、直子は話しかけた。「

ばあちゃん、伊達市、山から全部、除染すんだとよ。ほだごど、でぎっぺがね。でもやってくれるって言うんだがら、ここもやってもらわねどね」

早瀬道子には、伊達市への不信感がくすぶっていた。数か月間、市から何の注意喚起もなく高線量に晒されてきた身だ。大々的な報道にも懐疑的にならざるを得なかった。

「お父さん、伊達市、『山から全部、除染する』ってよ。本当にできんのかね。だけどこの市長の言葉は覚えておかないとね」

高橋佐枝子も夕食の支度の手を止め、聞き耳を立てた。「伊達市は山の上から全部除染すんの?この小国の山も全部がい?ほだごどでぎんの?」

  椎名敦子も道子や佐枝子同様「市長の英断」を手放しで喜ぶことは出来なかった。

「除染をやるのはいいけど、じゃあ、せめて除染期間中は子どもをよその場所に移して、きれいになってから戻してほしい。除染が行われる場所で子供たちの学校生活が並行して行われるなんてありえない」しかしまたしても敦子の言うことが叶うことはなかった。

水田奈津が言う様に、まだ「除染」という言葉が一般化していない時期の事だった。

4月末、他市町村に先駆けて小国小学校と富成小学校、富成幼稚園の校庭の表土を剥ぎ取った試みは、「除染」ではなく「表土除去」という言葉が使われていた。

5月18日には、この試みについて、仁志田市長は衆議院の文部科学委員会に参考人として招聘され、線量低減について説明している。それほど伊達市の試みは、先駆的なものとして評価された。

 6月になると、伊達市は「特定避難勧奨地点」で大荒れとなるのだが、前述したが、6月10日に『小国ふれあいセンター』で行われた説明会に於いて、仁志田市長は「除染」について相当に踏み込んだ発言をしている。

 『小中学校も、幼稚園も、保育園も表土を剥ぐのは、決めている。高圧洗浄機で校舎を洗ったり、クーラーをつける。線量計を付けさせる。』

 市長はこの会の最後に、小国の住民代表に当初『しかるべき先生』とだけ話した人物のフルネームを挙げている。

アドバイサーとして、田中俊一先生に来てもらう』と。  続く

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こころの除染という虚構62

こころの除染という虚構

62

 福島民友新聞は、社会面の19面に、関連記事を載せている。その見出しはこうだ。

日常に安心戻して

伊達市 全域除染へ

『やるなら直ぐ』

 

 しかも同日、伊達市民はテレビの画面でも。『自分たちの』ニュース報道に接するのだ。

2011年7月4日17時25分、NHKニュース。

『福島・伊達市 市内全域で除染作業へ』

 局地的に放射線量の高い地点があり、一部が「特定避難勧奨地点」に指定されている。福島県伊達市は、住宅地だけではなく、道路や山林を含めた市内全域で、今後、放射性物質をとり除く除染作業を行う方針を決めました。

 東京電力福島第一原子力発電所から北西に50キロほどの福島県伊達市は、一部の地点で放射線量が高く、政府は先月30日、市内の113世帯を「特定避難勧奨地点」に指定し、避難の支援を決めました。

しかし伊達市は指定されなかった世帯も含めて住民が受ける放射線量を出来るだけ低くしようと、市内の全域を対象に放射線物質を取り除く除染作業を行う方針を決めました。

 除染作業は住宅地や学校の周りだけでなく、道路や山林なども含めて行う予定だということです。

 伊達市は、職員や専門家らで作るプロジェクトチームを発足させ、今後具体的な除染の方法や作業の手順や開始時期を検討することにしています。

 また、伊達市は当面、除染の費用を市で負担することにしていますが、最終的には東京電力や国に負担を求めていくとしています。

 伊達市の仁志田昇司市長は、「住民の住むところから優先的に行って、最終的には山林も含めて除染していきたい。何年掛かろうと、市内全域を除染して、安心して暮らせる伊達市を取り戻したい」と話していました。 (福島民友記事ここまで)

 

  水田奈津は福島民友新聞と夕方のニュースをくっきりと覚えている。奈津は心の中で思わず快哉を叫んだ。

「伊達市やるじゃん。実家の福島市からもまだ除染の『じょ』の字も出てないのに」

 父の死の悲しみにくれるばかりの川崎真理の耳にもこの一報は飛び込んできた。真理は確信した。

「伊達市、ちゃんとやってくれるんだ。今は父のこと、残された母の事だけで手一杯でバタバタだけど、伊達市に任せて居れば心配ないんだ。

広報でもちゃんとお知らせしてくれるし、福島市よりちゃんとやってくれている。伊達市民でよかったかも・・・」  続く

 

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こころの除染という虚構 61

61

6・除染先進都市へ

 伊達市という同じ空の下に住みながら、驚くことに、隣接する保原町に住む水田家にも川崎家にも『特定避難勧奨地点』の『特』の字すらつたわってはいなかった。

 もっとも川崎真理は、実父の急死という予期せぬ事態に翻弄されるばかりの日々に在り、放射能の事すら眼中になく、新聞を読む余裕もなかった。

  そんな川崎家に比べれば、放射能への警戒を意識し始めていた水田家なのだが、状況は全く変わらない。小国や石田に行こうと思えば、車で10分ほどのところにいたというのに。

 水田奈津が「特定避難勧奨地点」という言葉を初めて知ったのは、2012年に早瀬道子と知り合いになってからだという。

『小国がそんなに大変なことになっていたなんて、道子さんに聞くまでは知らなかった。私、福島の出身だから、小国や霊山のこともよくわかっていなかったってこともあるんだけど』

 保原で代々続く農家生まれの渉も妻と同じだった。

『そんなのニュースでやってだっけ?テレビで小国の事は見たことなかったから』

東京にいた私がテレビで小国の状況にかぶりついていたことを話すと、渉も奈津も首を振る。

『じゃあ地元ではやんながったのかもね』

同じ伊達市民でありながら、この驚くべきかい離は旧5町が合併してできた、急ごしらえの自治体ゆえの事だろう。保原町の住民にとって霊山町の出来事は、国よりはるかに遠い場所でのニュースなのかもしれない。

 

しかし7月4日、大々的に報じられたこのニュースだけは今回取材に応じてくれた人々だけでなく、伊達市民の多くが明確に記憶していた。

この日、「伊達市」の文字が地元紙『福島民友』の1面トップに躍り出た。

 

『伊達市全域を除染』

『長期間の計画策定方針』

 伊達市は、民家や公共施設、道路や山野までを含めた市全域(約265平方キロメートル)の放射線量低減を目標とする除染計画を策定する方針を固めた。

 専門家の助言や、市民の協力を求め、長期間にわたる計画としたい考え。除染計画策定に向けて市内の詳細な放射線量を把握する為3日、同市の富成小で専門家と除染作業を実施、除染前後の放射線量データを測定した。

 計画作定後は、専門の実測チームを発足し、本格的な除染作業に乗り出す。

 

「市長『何年かかっても』」

同市の世帯数は5月末現在で2万1840世帯。

民家の除染だけでも多額の費用が必要となるが、市は当面、費用を負担し、最終的に東京電力、国に請求する方針。仁志田昇司市長は、『何年掛かっても除染する必要がある。先ずは計画を固め、市民が生活する場所から優先して除染したい』と話している。続く

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