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300日拘束獄中記73・おわりに2-1

300日拘留獄中記

74

おわりに・・・笑って前に進みたい

2-1

籠池諄子

 300日に及んだ拘置所生活に別れを告げてから3か月が過ぎた今年3月末、次女の運転する車で大阪拘置所に行く機会がありました。すこしだけ、塀の周りをまわってもらいました。

 保釈以降初めて訪れた大阪拘置所。くすんだ色の古めかしい建造物を目にした途端、胸にぐっと苦しくなるような感覚を覚えました。

あの中で目にした光景が次々に浮かんできます。

光りの入らない独居房。

暗く汚れた廊下。

垢と髪の毛だらけの浴槽。

じっとりと見つめる看守たちの目・・・。

試練というのはそれを乗り越えられる者にのみ与えられます。

 国有地払下げに端を発した一連の森友事件、そして大阪地検特捜部による逮捕、勾留を経験する中で、

私は自分が『選ばれたのだ』と自覚することが出来ました。その点に於いて逮捕されたことに私はむしろ感謝しております。

 私は試練を経て、「人間には2種類の人がいる』ことを知りました。

起こった事柄を正面から自分の問題として受け止める人と、世間と一緒になって他人事として受け止める人です。

私たち一家が大きな渦の中に巻き込まれ、人間の持つ美しさと醜さを目の当たりにする中で、一つ分かったことがあります。

 チャンスなりピンチなり、人生の大きな転換期に直面した時、自らの足で立っている人間でなければ、怖気づいて自分の方針を曲げてしまうということです。信念を貫くことができないのです。

 偉そうに言っていますが、私自身、拘置所で過ごす中でやっと現実から逃げず、自分の両足で立つことができるようになったと感じます。

 塀に囲まれた閉ざされた空間で、自分のこれまでの生き方を振り返り、自分を見つめ直しました。心の中に驕りや弱さがあったのだと深く反省しました。

 悩みや苦しみの奥深いところは、結局のところ、自分にしかわらないものです。

だから壁にぶつかっても笑って、感謝して乗り越え、前に進みました。それを繰り返すうちに自分が多くの人たちに生かされていること、そして自分を必要としてもらっていることに気づいたのです。

私が生きている理由はそこにありました。 続く

 

 

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300日拘留獄中記73本物を求めて生きる

300日拘留獄中記

73

本物を求めて生きる

 浦先生、どんなことも神様にお任せです。

先ほど、保釈許可決定が下りました。

新聞を読んでいても今までいろいろな記事に振り回されて、ずっと生きてきたなと思いました。

やはり本物を求めて生きることが大切です。今の時代、損得抜きで人の喜ぶことに尽くすこと、これが大事だと私は気付きました。

やっぱり経済・経済では駄目です。

カジノや万博やとお金を集めても、結局お金持ち以外、幸せにはなりません

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300日拘留獄中記72保釈金費用

300日拘留獄中記

72

●保釈金費用

5月22日書く

籠池諄子

 真優美が「お母さん、保釈金費用のことは考えなくていいし、心配しなくていいから」と言ってくれた。現実的なお金が・・・とわかっていたので私は思わず悪いなあと、神様にきっとお任せだ、祈ろうと、思うことにした。

 私が頼んだ母の日のプレゼントを、娘は主人の母親と私の母親に、花束と一緒に持って行ってくれた。主人の母と一緒に撮った写真を真優美が面会時に見せてくれた。

私の母はとても嬉しかったらしく、その思いを私に手紙にして伝えてくれた。

 1つひとつ、自分の中の心が修正されていくように、毎日毎日お世話になった方が幸せになられますように、と祈っている。

私は優しさ明るさ強さ、神様からすべて頂いて生を受けた。その実相を出すため、御先祖様を大切に思う心が、はっきり自分を清めてくれたのだと思う。

これからは人を大切にしよう。どんな悪人と見える人の奥にも、御先祖様がいて神がいる。

人は粗末にしてはいけない。大切なことは目に見えないから。

 (永人所感)

どんな悪人と見える人の奥にも、御先祖様がいて神がいる。この言葉一つで安倍晋三は籠池夫婦の保釈に応じた可能性があるのでは・・・。

安倍晋三の立場を極端に悪くするようなことは公表しません』と籠池夫婦に約束させたか・・・。

 どんなに安倍晋三がシラを切っても、森友学園に関する安倍晋三夫妻が絡んでいた事実は疑いようがないのだ。どうすれば、籠池夫婦はそれを公表するのだろう。命が惜しくて公表できないか・・・。

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300日拘留獄中記・71新聞の嘘

300日拘留獄中記

71

新聞のウソ

5月20日書く

 毎日新聞の記事を見させて頂いたが間違っています。同様に読売も産経もウソを書いていました。

〈学校法人「森友学園」(大阪市)を巡る補助金詐欺事件で、詐欺罪などに問われた学園の前理事長・籠池泰典被告(65)が、大阪府・市の補助金詐欺の起訴内容について大筋で認める方針であることが、関係者への取材で分かった。

 共謀したとされる妻洵子被告(61)は否認する意向という。起訴状によると両被告は2011~16年度、学園が運営する幼稚園の障害児偽り数などを偽り、大阪府・市からの補助金計約1億2000万円を詐取。

 さらに、国有地での小学校建設を巡って国の補助金約5600万円をだまし取るなどしたとして、詐欺と同未遂の疑いで起訴された。

 関係者によると両被告は捜査段階で黙秘していたが、籠池被告は大阪府・市の補助金に関する基礎内容を大筋で認める方針を固めたという。

国の補助金は、だまし取る意思はなかったとして、より量刑の軽い補助金適正化法の適用を求める見通し。

  両被告は大阪地検特捜部に逮捕された昨年7月末から勾留され、弁護側は今月上旬、2度目の保釈請求を大阪地裁に出した。〉(2018年5月17日毎日新聞)

起訴内容を大筋で認める方針、というのはあり得ません。本当に主人を追い詰め、陥れようとした。

今回のニュースが誰からのリークなのかは、浦先生のおっしゃる通り、私にでもわかった。

真優美も屈せずに偉い。私は、これは反転の兆しでよいことにつながる。絶対よくなると思った。

  ちっとも腹が立たないし、むしろそう思えて勇気湧いてくる自分が不思議なほどだった。

やはり自分の中に神様仏様がいると思った。

 秋田先生がすかさず抗議メールをして下さったのもすごい。私たちの弁護士先生たちは皆切れ者ぞろいである。読売さん、毎日さん、産経さん、特に産経さんは浦先生の家まで来られたそうだ。

 浦先生は忙しい中、家まで通されてきちんと説明されたのに、新聞には読売さんと同じことが書かれていたそうである。何か事情がって書いたのだと思うが嘘です。これからはやめてください。

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300日拘留獄中記・70立派な人がいない

300日拘留獄中記

70

●立派な人がいない。

 5月7日書く

 この国には、立派な人がいない。風格のある人がいない。長い間そういう印象を私は持ってきたし、今も持っている。その思いは深まる一方だ。

 人の上に立つ役割を担っている人はいる。指導層と呼ばれる人たち。政治家、官僚、財界人、知識人・・・。会ってみれば有能な人たちは決して少なくない。善良な人もいる。なかなかチャーミングな人、感心するくらい頭のいい人もいる。

 日本もまだまだ捨てたものではないと思うこともしばしばだ。

でも、立派な人はいない。

風格のある人、接するだけで引き込まれるような、感化されるような人は一人もいない。

  何かの本で読んだのだが、ある警察官僚が語った警視庁の故・土田國保警視総監の話に驚かされた。警察署の剣道道場には土田総監が揮毫した書が掲げられているという。

『何故』と問われましたが、その警察官僚は特に説明せず、『土田さんは日本のお巡りさんのお父さんですから』とだけ語ったそうだ。

 それにしても『お父さん』とはただ事ではない。

「そういう方は今の警察にもいますか?」と尋ねられたその人は『いません。もう出ないでしょう』と少し背を正して言った。

立派な人がこの国から払底してしまったのだ。

有能な人材よりも有徳な人物の方が得難く、貴重だ・・・。

 

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300日拘留獄中記69・裁判所は苦手2-2

300日拘留獄中記69

●裁判所は苦手2-2

4月25日書く

 頭の中はお父さんへの気遣いは何もしてあげられないので、どんな言葉に成るのか・・・。

いつも考えます。そして、1回ごとに忘れることがあります。

今日は秋田先生と会わないなあ、あいさつしたいなあと思っているうちに、しまった!最後、お父さんと目を合わせたかった――。あちらに気を取られてこっちを忘れる。いつもそうです。

 それと、これはどうしても言っておきたいのですが、公判前整理手続きで、拘置所から裁判所に行くのに、手錠と腰縄を付けられます。裁判所に入廷してやっと外されますが、手錠、腰縄姿を見られることの恥ずかしさや屈辱感といったら・・・。

 お父さんだって、同じように屈辱に耐えているはずです。

 逃走や危害を加える恐れがある場合に備えてだそうですが、納得できません。私はまだ未決拘禁者であり、犯罪者ではありません。

人間としての尊厳を深く傷つけられます。実際の裁判でも裁判官が入ってくるまで手錠に腰縄だそうです。これは中に入ったからこそ気づいたこと。私はこのおかしさに声を上げ続けます。

 帰りの車中、裁判所での一つ一つの情景を思い浮かべながら、この事が何時か思い出話になるのだろうと思いました。本当に良い方向になる筈だと車の中でもずっと祈っていました。

お父さんカイロ16個とか…きちんと卓下げしているなど真優美から聞いて、主人に本当に申し訳ないと思うと同時に安心した。

家では家事は一切私がしていたが、宅下げなど自分でちゃんとしてはるんだ・・・。

本当に主人は偉大な人やと思います。本当に何十年も前から国の為にと、誰を当てにするわけでなく、

コツコツ生きてきて、それは神様もお見通しだと思います。

裁判所に行くたび、心境は変わりますが、やはり私のお父さんは世界一素晴らしい主人です。

離れる程に愛は深まる一方です。

でも、裁判所に行くのは苦手。

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300日拘留獄中記68いよいよ出られる

300日拘留獄中記

68

●いよいよ出られる

4月24日書く

 藤原先生の面会で、少ししゃべり過ぎました。本当に浦先生たち考えてくださったんだ。嬉しかった。

私は必至になる癖があるので。でも本当に面白い弁護士の先生ばかり。“勝利です”絶対に。

ここまで9か月間頑張ってこれたのは先生たちのおかげ。ありがとうございました。

「いよいよ出られますよ」と、藤原先生から言って頂いた。長かったですが9か月が自分の一生に値する程得難い体験でした。

雨。また、禊、神様のおかげです。

 ●裁判所は苦手2-1

 浦先生、やっぱり裁判所へ行くのは苦手です。公判前整理手続きで1回、1回通うたびに度胸は付きましたが、本当に嫌でした。

お父さんが真優美に「お母さんと会うのが楽しみだ」と言っていたそうです。でも私は、別の意味で返答に困ったのです。

お父さんは、そんな時でも私を大切に思ってくださいます。

力というのは困難を乗り越え、乗り越え、そして打ち勝ってやっと付くのだと思います。

でもお父さんはどういうことを思い裁判所に向かう車に乗ってはるのでしょう。続く

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300日拘束獄中記67・地位と人

 

300日拘留獄中記

67

●地位と人

4月18日書く

人間は、地位を付けられると、本当に一つ間違えば裸の王様になります。

私は、上になる人ほど謙虚であらねば、必ず神様から気づけよと教えていただくことになっていると思います。

セクハラ報道の福田淳一事務次官は毎晩飲み歩くとか。いつの間にか本能はマヒしてしまいます。

福田さん、本能マヒの治療法はね、祈ることですよ。

●浴槽のあか

4月19日書く

 今日も浴槽にこってり垢がびっしりついていた。衛生上、本当に問題がないのかしらと思う。

お湯をタライですくう時、手に着いた石鹸を流そうとするのだけれど、どうしても浴槽にこぼれてしまう。

次の人の事を考えて出来るだけ浴槽に石鹸が入らないように考えるのだけれど難しい。シャワーは絶対にいる。

●朝日新聞が一番いい

 Fさんが差し入れて下さった毎日新聞、京都新聞と、自分が買っている朝日新聞を読み比べると、やっぱり朝日新聞が一番いいです。籠池家ではずっと産経新聞か読売新聞を取っていました。

朝日は絶対に読んではいけない』と日本会議で言われていたので読まなかった・・・と人のせいにしてごめんなさい。

自分ですね、朝日はいいです。お伝えください。

 ●8か月の拘留で得たもの

 8か月の拘留の間で得たものは自信という力です。

自信というのは相当の修練の後でなければ得られない、と谷口雅春先生はおっしゃっています。

そして不撓不屈の精神を持って目的に対して邁進する人は大事を成し遂げると谷口先生はおっしゃっています。

私がここでの日々の中で一生忘れられない出来事は懲罰です。

一日目、周りのどの看守に対しても『必ず仕返ししてやる!』というまでの恐ろしいことは思いませんでしたが(笑)、あの屈辱は自分の中で“負けるものか!”と本当に鍛えられました。

近くにいた私の担当の看守さんに『これ全く体罰よね。おかしくない?!』と怒っていました。

でもあの時、生きている深いところが見えたのは確かです。今は感謝しています。

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300日拘束獄中記66・不死身の特攻兵

300日拘留獄中記66

●不死身の特攻兵

4月18日書く

 『不死身の特攻兵』を読み始めた。

9回特攻に出撃して9回生きて帰られた佐々木友次さん(享年92)。会いたくないという佐々木さんを執念で探しだし、会われた著者の鴻上尚史さん。

 一番ショックだったのは、一度は死を覚悟して特攻機に乗り込みながら、様々な理由で九死に一生を得て、生還したまだ20歳ほどの特攻隊員28名に上官が『なんで貴様ら帰って来たんだ。貴様らは人間のクズだ』と怒鳴り、

 『そんなに命が惜しいのか。いかなる理由が有ろうと、突入の意思がなかったのは明白である。死んだ仲間に恥ずかしくないのか』と炎天下の中庭で30分近くも怒鳴り続けたという事実。

 次の日は『振武寮』と書かれた寮に軟禁されます。周囲は鉄条網が張り巡らされ、銃を持った兵隊が入り口に立っている。

外出は勿論、手紙も電話も禁止。外部との接触は一切断たれ、隊員との会話も厳禁。

 しかも親許にはすでに戦死公報も届けられ、自分は死んだことになっている・・・!

 本当に許せないくらいショック!

知らないことが多いです。歴史って正しく伝わっていないと思いました。

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300日拘留獄中記65昭恵さんからのTEL2-2

300日拘留獄中記

65

昭恵さんからのTEL2-2

籠池諄子

この時、迷いながらもまだ安倍首相を慕う心を持っていた主人は、すぐに学園に電話し

「ファクス届くので対応するように」指示を出した。

 その時今度は私の電話が鳴った。住吉大社の権宮司Kさんの奥さんからだった。

Kさんの娘さんは安倍昭恵さん付きのスタッフを、後には安倍首相付きのスタッフを務めているとも聞いていた。

『籠池さん、今娘のところに来ているんだけど、昭恵夫人に“一体どうなっているの”って聞かれているのよ』

「え?安倍さんの秘書の初村さんから電話があって、昭恵夫人が名誉校長をやめられるって。こちらの方がどうなっているのか聞きたいぐらいです」

『えーっ!?昭恵さんが小学校の名誉校長をやめられたって、どういうこと』

驚いているので事の経緯を詳しく説明した。一方主人の電話には学園から「ファクスが届きました」と連絡が入った。私はそれも奥さんに伝えた。

「ファクスには昭恵さんが名誉校長を辞任する旨が書いてあるそうで、“直ぐにホームページから名前と写真を外して欲しい”とおっしゃっていて」

 『娘からだけど、昭恵さんは“そんな文章知らない、私は辞めていない”と言ってはるらしいわよ』

奥さんはそうおっしゃったが、もうどうでもいいという思いだった。

その後昭恵さんから私の携帯に電話があり、

『私は今でも名誉校長をやりたいと思っている』と言われた。

後に昭恵さんの豹変ぶりを、報道で知ることになるのだけれど。

 あの時期は何が起きているのか分からないほど激動の日々だった。次々と降りかかる事態に翻弄され、ふらふらだった。しかし主人はのちのちこう言っていた。

「あの3日間が、ターニングポイントだった。

保育園や幼稚園が嵐に晒されて、僕が守らないといけないのに、雲隠れしろという。あれで学園は大ダメ―ジを負ってしまった。ただ僕もあの時に目が覚めた。

安倍晋三さんの正体が分かったのだから感謝しないといけない」

何かが確実に動いている気配がします。

いま私の心は安定しています。

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