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くじけない人・前向きな人・小日向文世

 

くじけない人・前向きな人

小日向文世(こひなたふみよ)

苦しい時こそ自分を信じる

40代半ばで、仕事も貯金もない。そんな日々が5年も続きましたが、心は不思議と前を向いていました。

小日向文世

 3 4 6 4 5

天格・小日向   13

人格・向文    10大凶

地格・文世     9大凶

外格・小日世   12大凶

総格・小日向文世22大凶

成功運(3-10大凶・乱離・困窮・急禍あり)

基礎運(10-9大凶・病災・孤独に陥る)

(鑑定・吉野永人)

**

 名優だなんて、とんでもないです。みなさんに顔や名前を覚えていただけるようになったのは、四十代も半ばを過ぎてから。それまでは劇団の役者でずっと食うや食わずの生活でした。

長い、長い下積みでした。やめようと思ったことは一度もないんです。くじけないというのかな、やはり芝居が好きだったんですね。

ワクワク感があると長続きする。

 高校生のころは劣等生でした。スポーツも勉強もダメ、女の子にもモテやしない(笑)。

唯一の趣味が絵を描くことで、暗くなるまで美術室にこもる地味な日々でした。

卒業後はデザインの専門学校に進んだのですが、遊びで出かけたスキーで骨折しましてね。

治りが悪くて、六回も手術を受け、結局二年間も入退院の繰り返しでした。

絵はあきらめて、今度は写真学校に入りました。二年間学んで卒業はしたんですが、今一つ夢中に成れなかった。

 本当に自分がやりたいことってなんだろうと自分自身に問い掛け続け、出た答えが役者でした。ずっと目立たずに生きてきたせいか『自分はこうだ!』『俺を見てくれ』って、どこかで主張したかったんじゃないかなあ。続く(PHPインタビュー)

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生きる・『赤ちゃんが一番がんばっている』3-3

生きる『赤ちゃんが一番がんばっている』

3の3

一度きりの出会いが教えてくれた

 半年後に息子がNICUから出ると一つのベッドで息子と共に過ごす。母子入院の生活が始まりました。またしても先の見えない入院生活です。

 高熱は殆ど毎日のこと。おむつを見ておしっこの量を確認し、制限量を守ってミルクをあげ、泣くわが子をあやし・・・。

 んな子育てに疲れていたある日、院内で、同じく子供が入院している、ひとりのお母さんに出会いました。私の経験と不安を話した時、そのお母さんは言いました。

もし眼が見えなかったら、盲学校があるじゃない

 明るい口調に、私はハッと目を開かされる思いがしました。

そうだ、眼が見えなくたって絶望する必要なんてないんだ。彼女自身のお子さんがどんな障害を持っているのかは聞けないまま、

そのお母さんは去っていき、再び出会うことはありませんでした。

たった一度の出会いでしたが、私を力強く励ましてくれたその言葉は、今も頭の隅にあります。どんなにつらい時も前向きに生きる支えとなってくれたのです。

 それから二十年、長男は五体満足に育ち、昨年、晴れて成人式を迎えました。

私の心は誰よりも幸せと感謝で、一杯になりました。

 名前も聞かずじまいだったその人に、もしどこかでお会いすることが出来たなら、一言、心からお礼を言いたいと思います。  終わり

 

 

 

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生きる・『赤ちゃんが一番がんばっている』3-2

赤ちゃんが一番がんばっている

3-2

毛むくじゃらの小さな背中

 この日、私は妊娠7か月と2日目でした。何とか無事に生まれたわが子の体重はたったの1005グラム。いわゆる超未熟児です。両家の親と夫が、NICU(新生児集中治療室)に運ばれる息子と私を、窓越しに見守っていてくれました。

 1週間後、体調が回復して動けるようになると看護師さんが私を息子の居るNICUに連れて行ってくれました。その道中、看護師さんにこう言われました。

「お母さん、赤ちゃんが小さくて、初めはびっくりするかもしれません。中には、気が動転して立ち直れず、子育て出来なくなるお母さんもいます。でも、一番がんばっているのは赤ちゃんですからね・・・」私の気持ちを察してこう励ましてくれたのです。

  そしていよいよわが子と初めての対面。白衣に帽子とマスクを着け、手を腕から消毒。緊張しながらNICUに入室して、息子の名前が書かれた保育器を見つけました。

 うつ伏せに寝ているその小さな背中は、まるで猿のように毛むくじゃらで。たくさんの管がついていて・・・・。

正直なところ、辛くて悲しくて涙が止まりませんでした。この子は元気に育って行ってくれるのだろうか。

眼は大丈夫なのか・・・。

 その子をじっと見ていると、

「お母さん手を入れてみますか?」と促(うなが)されました。

私は保育器の二つの丸い穴からゆっくりと手を入れ、初めてわが子に触れることが出来ました。

 それから一週間で私は退院し、

張ってくるお乳を日に5回搾(しぼ)って、わが子のもとへ毎日運びました。でも当初息子の飲める量はたったの2ミリリットルでした。小さじの半分以下。

その量を鼻に通した管から少しずつ注入していくのです。続く

 

 

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生きる・『赤ちゃんが一番がんばっている』3-1

生きる

NO400

赤ちゃんが一番頑張っている

中村充枝(みちえ)長野市主婦50歳

その1

 母親というもの、わが子が無事生まれてきた時の喜びと言ったら何物にも代かえがたいものでしょう。しかし、私の子育ては喜びではなく、生きる希望を失うところから始まりました。

 第一子を授かって安定期に入ったある夜、突然の出血。絶対安静を言い渡されました。

 前日まで働いていたのに、突然ベッドから起きられない入院生活が始まりました。

私にとって初めての入院です。

ベッドわきのポータブルトイレで用を足す毎日。

相部屋のため、思う様にいきむこともできません。先が見えない入院生活ほどつらいものはないと思い知りました。

 二週間ほど後、深夜二時過ぎにお腹が痛み始めました。

眠れぬ夜を過ごし、朝方破水と同時に看護婦さんを呼びました。

 事の重大さがわかったのは、医師が救急車を呼んだ時でした。私を一刻も早く大きな病院に搬送する為、医師や看護婦さんが必死に立ち働いてくれました。

救急車に乗り込む直前、医師が私にこう言いました。

生まれてくる子供は眼が見えないかも知れません

 搬送先で医師や看護師さんによる懸命なケアを受ける間も、その言葉が脳裏から離れずお腹の中の子と私は一体どうなってしまうのかと、不安でいっぱいでした。続く

 (永人所感)

私だったらこれから救急車で搬送される不安一杯な妊婦に向かって『生まれてくる子供は眼が見えないかも知れません』等とは絶対に言わない。『大丈夫だからしっかり気を持って頑張ってください』ぐらいのことを言って見送ると思う。

いろいろな医師がいるからだが、上記のような医師の言葉は状況からいっても配慮に欠け過ぎてちょっと驚く思いだ。

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決別

決別

引用・PHP10月号

 日常生活や仕事の中で重大なアクシデントに見舞われたり、些細な出来事から親しい人との関係が壊れてしまったり、辛いことがあって気持ちが沈み、何事も心から楽しめない。

 そんな時、平穏無事だったころに戻りたいと思うだが覆水は盆に返らず、一度起こったことは、どんなに望んだところでなかったことに出来ないし、過去には決して戻れないのである。

 あの時、あんなことをしなければよかった、あの人の所為(せい)でこうなったと後悔したり、恨みたくなるのも人情だけれど、過去にこだわり、引きずられていては、せっかく与えられた人生が暗く、寂(さび)しくなるばかり。

 得することなど何もない。とするなら、起ったこととは決別し、未来に目を向けることである。

 さあ、気持ちを切り替え、新たな扉を開いて、限りある自らの人生を楽しもう。空を仰いで上を向いて歩いて行こう。透き通るような秋の青い空がどこまでも続いているではないか。

 一度きりの人生、いつまでもくよくよしてはいられない。

 

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金正恩のストレスは米国のステレスが原因

金正恩のストレスは米のステレスが原因

 北朝鮮が核ミサイル開発に血道を上げている。20日には長距離弾道ミサイルに使用するとみられる新型エンジン燃焼実験を実施朝鮮中央通信によると、立ち会った金正恩は成功にご満悦で、「衛星発射の準備をいち早く終わらせるよう」求めて、今年2月に続く長距離ミサイル発射の準備を指示したという。

 国連安保理による過去最高の経済制裁を食らい日米韓が追加の制裁をまとめている最中。それに懲りず、技術開発に固執する姿は異常だ。金正恩体制以降、北朝鮮はハイペースで実験を行っている。

 『金正恩はイラクのフセイン大統領やリビアのカダフィ大佐が米国に潰されたのは核兵器を持たなかったからだと盲信している。

 それに友好国の中国は強引に核保有国の立場を手に入れた。米国の次期大統領が誕生するまでの政治空白期に既成事実を積み上げようと焦っている』(外交関係者)

父親の金正日時代のトラウマも“狂行”に駆り立てているという。

 「金正日による核保有宣言を受け、2005年に米軍のFS117ステレス爆撃機が平壌入りし、急降下や急上昇を繰り返して威嚇作戦を繰り広げた。

 凄まじい爆音と振動で金正日の居た建物はきしみ、窓ガラスも割れたそうです。

 暗殺の恐怖に取りつかれた金正日は、その日を境に、毎日居場所を変える程追い詰められた。金正恩も米軍の急襲に脅え、戦略爆撃機が朝鮮半島で示威行動をするたびに震え上がっていると聞きます」(朝鮮半島事情通)。

 今年1月の4度目の実験に激怒したアメリカは、グアム基地からB52を朝鮮半島に飛ばして牽制。B52・B1・B2は米軍の3大戦略爆撃機で、今年8月にB1・B2もグアムに配備された。

 今月9日に強行した5回目実験後に派遣されたのは、B52以上に高性能のB1で21日にも再配備された。

軍事ジャーナリストの世良光弘氏は言う。「3大爆撃機はいずれも核爆弾を搭載可能で平壌を一瞬で火の海に出来る。38度線を越えずとも可なりの脅威です。

 中でも最強なのがステレス爆撃機のB2、レーダーをかいくぐり、出撃から2時間ほどで平壌中枢に接近可能です。

 グアム配備で、金正恩委員長には相当なプレッシャーがかかっているでしょう」ステレスによるストレスは限界か。

 

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慎太郎に甘く舛添には厳しいメディア

 

慎太郎に甘く舛添えに厳しいメディア

慶大教授金子 勝

 豊洲市場の問題は、この国の“無責任体質”を如実に表している。盛土がされていなかったことに誰一人責任を感じず、責任を取ろうとしない。

 最高責任者だった石原慎太郎元都知事は、盛土をしない書類に押印までしておきながら、平然と自分は知らなかった、都庁は伏魔殿だ、と言い放った。しかも盛土だけでなく地下を空間にするプランは元々自分が部下に提案したものなのに、当初「私はだまされた」と、部下に責任を押し付けていた。

 責任をとろうとしないのは、石原慎太郎に限らない。経済産業相だった甘利 明も同じだ。

大臣室で賄賂まがいのカネを50万円も受け取り、テープも残っているのに睡眠障害を理由に国会から姿をくらまし、ほとぼりが冷めたと勝手に判断して「違法性は無かった」と素知らぬ顔で国会議員を続けている。

 民間企業も例外ではない。東芝の粉飾決算では、当時、社長をしていた3人も、不正会計に直接関わっていなかった、と言い逃れ結局不起訴となった。

 何時もトップは「知らなかった」の一言で許されている。

なぜこうした事態が次々に起きているのか。

  その大きな原因はメディアにある。今のメディア報道は権力の腐敗を追及する姿勢がなく、腰砕けだ。仕返しを恐れて大物は叩かず、叩きやすい相手には分かりやすいイメージを作り上げ、視聴率を取ろうとして一斉に叩く。

石原慎太郎と舛添要一に対する報道の違いを比較すればよく分かる。

 舛添知事に問題があったのは確かだが、スイートルームとフアーストクラスを使った豪華出張は、石原知事も同様だったはずだ。石原知事は都庁への登庁も、週に2、3度。それなのに、石原知事が批判されることはほとんどなかった。

 メディアが舛添知事を血祭りに上げたのは、『チャイナ服を買っていた』『家族とスパに行っていた』と分かりやすくて視聴率が稼げ、叩きやすいキャラクターだったからだろう。

 その間、コワモテの甘利 明に対しては、追及がほんとうに弱かった。いまでも、石原慎太郎に対する批判は弱い。

 小池百合子都知事についても「政治とカネ」の疑惑があるのだが、人気者だからか、メディアは触れようともしない。

巨悪は許すが小さな悪は許さない社会はすぐさま腐っていく。

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かど番大関豪栄道が初優勝

かど番大関豪栄道が初優勝

大関になって2年1か月、弱い印象しかなかった豪栄道が、白鵬の居ない本秋場所で初優勝を遂げた。日本人の全勝優勝は貴乃花以来20ねんぶりで、またかど番大関の優勝は2008年夏場所の琴欧洲以来8年ぶり8人目なそうだ。

◎過去のかど番大関の優勝

1975・秋・貴ノ花12勝3敗

1989・九州・小錦14勝1敗

1994・初・ 貴乃花14勝1敗

2001・名古屋・魁皇13勝2敗

2003・春・千代大海12勝3敗

2006・初・  栃東14勝1敗

2008・夏・ 琴欧洲14勝1敗

2016・秋・ 豪栄道15勝

**

 かど番脱出は死にもの狂いになるのか、単に大関の地位を守るだけでなく、かど番脱出に優勝のおまけがつく。ただし、脱出してからホッとするのかその後は次第弱りとなり、横綱に成れないまま引退するケースが多い。

かど番脱出後に横綱まで行ったのは、1994年の貴乃花以外は皆無である。

 私は2014年8月2日『大関豪栄道の横綱はない』とブログの終わりに書いた。この予想が外れて豪栄道(しこ名が凶名)が横綱になり、予想を外した私が皆様にお詫びすることになれば豪栄道ファン・大相撲ファンを喜ばせることが出来る。

強い豪栄道の誕生ならこれ程愉快なことは無い。 終わり

 

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田中の右ひじに張り・27日登板予定を回避

田中の右ひじに張り

27日予定の登板は回避

  私は2014年2月18日付ブログに『背番号19は田中の実力を削ぐ』という題で投稿した。

 背番号19番は怪我や病気、災難、遭難などを誘発する苦労困難の運気を誘発するので、知らぬ事とはいえヤンキース球団も超高額契約したのにもったいない事をするものだ、と書いた。

しかし・当時のニユーヨーク地元紙のスターレジャーで、2014年2月16日付、「田中が背番号19番を選んだ理由」と題してそのいきさつを載せていたことが、最近になって分かった。

なるべく18に近い番号にしたかった。

  ヤンキースの田中将大投手が新天地で背番号19を選んだ理由を明かした。楽天時代は入団以来7年間エースの象徴的数字である背番号『18』を背負い続けた。『18にこだわりはない』と素っ気なく報道陣に話していたが、実際は違ったようだ。

同紙によると、タンパでスプリングキャンプ中に『なるべく18に近い背番号にしたかった』と通訳を通じて米メディアに理由を明かしたという。

 自主トレ中の発言は照れ隠しだったのか。

やはり田中のエース番号に対するこだわりは深かった。ヤンキースの『18』は日本人投手の大先輩でメジャーで実績を持つ黒田博樹投手が着けている。メジャー史上五位の7年1億5500万ドルのゴールデンルーキーとはいえ、さすがに「譲ってください」と言えるはずもなかったか?

 『19』は『18』に形も近いことから田中自身が空いている19を選んだのは、自然の流れだったようだ。

(永人所感)

黒田選手が日本に帰ることになった時、何故「18番を譲って下さい」と言わなかったのだろう。

 今年は21日のレイズ戦で自己最多の14勝目を挙げたが、自己ワーストの4本塁弾を浴び、試合後違和感が有って、検査したところ、右ひじに張りがあり、27日のブルージェイズ戦を回避することになったという。やはり『19』である事の心配の種は尽きない。

マリナーズの岩隈久志。

ドジャースの前田健太。 

ともに背番号18で堂々たる活躍ぶりを見せている。田中も早く18を着けて今以上の活躍を遂げてもらいたい。このまま『19番なら』運気を弱め、常に故障などの不安が付きまとう事になる。

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その4・やっぱり放射能の影響でしょうか?

その4・やっぱり放射能の影響でしょうか?

福島県と県医学界の放射能の隠ぺい体質

 さらに県が実施している検査の枠組みから外れると受診し辛いという事情があるのだ。実際に患者が別の病院を受診しようとしても、拒否されるケースがあった。

 記者が取材した別の母親は、子供が県で受けた甲状腺検査でB判定(二次検査が必要)の通知が送られてきたので、県立医大に『二次検査はいつ受けられますか』と問い合わせたが「いつできるかわからない」との回答を受けました。

 「早く検査を受けて安心したい」と思った母親は、県内の別の医療機関で検査の予約を取り、子供を連れていくことにした。

 しかし検査当日に病院に行くと、医師から「ウチでは診られません。県立医大に行ってください。これからずっと医大で診てもらうようになるんだから、個人の病院で検査することは出来ないんです」と言って帰されたという。

 結局医大で二次検査を受けられたのはB判定の通知が送られてきてから約半年後。その間母親も子供も『癌だったらどうしよう』と不安な日々を過ごした。

結果は癌。リンパ節にも転移が見られた。

『検査を待たされてる間にもっと進行していたら、と思うと恐ろしい』と母親は振り返る。

 川向さんが主治医に「どうして、うちの子は甲状腺癌になったのでしょうか?やっぱり放射能の影響なんでしょうか?」と尋ねたら

主治医は頭ごなしに、こう言った。「そんなの(癌)は前々から在ったんだ!!」川向さんは“私のせいだ”と自分を責めた。終わり

 

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