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何かがおかしい・三・

小澤一郎の腕力が無ければ、超腐敗自民党政権の悪政暴政が永遠に続き、国民生活の為の政権交代などは絶対に起きなかった事は間違いない。

これまで官僚民主主義と言われてきたが、東京地検特捜部のこれほど小澤や国民が政権を取らせた民主党に対する汚いやり方を見せつけられると、嘗て自民党など束になってかかっても官僚達に手もなくやられてきた経緯や実態が手に取るように良く解るような気がする。

検察の横暴とデタラメ、そのお先棒を担ぐマスコミ、それに便乗しようとする守旧自民党を解体に追い込むまで国民は厳格な眼で彼らを監視する必要がある!!

A:特捜部―土地取引―水谷建設―福島県知事:佐藤栄佐久氏逮捕。
B:特捜部―土地取引―水谷建設―民主党幹事長:小澤一郎

佐藤栄佐久(7・21・14・7・3)運気100点完全大吉名。
小澤一郎(3・17・1・14)   運気100点完全大吉名。
佐久間達哉(7・3・12・16・9)運気 10点大凶名。

AもBも特捜の担当責任者は佐久間達哉である。Aについては特捜副部長だったこの男は白を黒とするのが得意な様である。人格28画の不和争論、無茶苦茶型の男である。

外格19画の刑罰殺傷運、つまり法を犯す男である。

又成功運が天・二―人・八で心身過労、神経衰弱、精神錯乱型の大凶運で、病的に頑迷、強情型の人物である。もっとも冤罪を創りやすいタイプという意味での危険人物である。佐久間は日本長期信用銀行の事件でも東京地検特捜主任検事として当たったが全員無罪でやはり、冤罪事件を作っている。それだけに今焦りまくっているといえる。

今小澤の件は検察からの過剰な情報漏れが目に余るが、マスコミに情報を流す事など本来は公務員の守秘義務違反だが、この男佐久間達哉はそんな事はクソくらえのやり方で、「小澤=悪党」という世論誘導にマスコミを利用している。

マスコミは本来検察が暴走しないように監視する役割を持つのだと思うが、小澤=悪のキャンペーンで検察のお先棒を担いでいるところに大きな問題がある。福島県知事逮捕という悪夢と似た構図が浮かび上がってきたが、

Aの裁判では水谷功会長が検察に頼まれてニセの証言をしたことが明るみになった。左藤栄佐久氏は高裁で無罪を勝ち取り、この件も結局冤罪だったのである。この問題こそ、検察は直ちに国民に説明する責任があろう!!、

この時の事件を手がけたのが特捜の副部長だった佐久間達哉で、今は部長として小澤一郎を執拗に追い回している。マスコミもこの事実を報道する責任があるはずだが、全く隠したままである。

まさに検察、マスコミこそが悪ではないか!!・・・完





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何かがおかしい・ニ・

時々発表される内閣支持率なども、或いは小澤は幹事長を辞めるべきだ、などとする世論というものは読売70%、朝日52%と言う具合で、いかに読売の偏向振りが目立つか良くわかろうというもの。

検察のマスコミに対するリークもひどいが、その検察さえ否定する内容の『記事の捏造(ねつぞう)を平気でやり続ける』読売新聞の異常さは一体何から来ているのだろう!小澤が悪質どころか読売新聞の悪質ぶりは昨年の総選挙前から際立っている。

「さすがに民主党も放置出来なかったのでしょう、22日の国会では伴野 豊議員が『読売が誤報であったと法務省刑事局長がお答えになっているが』と千葉法相に質問しています」と政界関係者も言っている。

実際、石川議員はどこまで供述しているのだろうか。

「逮捕前から石川は『小澤先生に申し訳ない』と繰返していた。小澤が困る事をペラペラしゃべる筈が無い。それに小澤の前では直立不動の石川が、収支報告書について『どうする、こうする』と対等に話し合えたとは思えない。恐らく怒られないように、勝手につじつまを合わせたのではないか」と民主党事情通も言う。

それにしても取調室という『密室』のやり取りは検察か、石川側かどちらかが洩らさなければ、絶対に表に出てこない筈のものだ。検察が読売新聞、その他にリークしたのだろうが、弁護士から『誤報だ』と指摘されるようなリークまでして『小澤=悪』というイメージをつくろうと必死なのは捜査が手詰まりになっている事の裏返しなのかも知れない。

昨年あれだけ騒がれた西松建設の森、二階、古賀、その他多数の自民党議員に渡った悪質裏金の贈収賄問題を完全に見逃した同じ検察のやっている事とはとても思えない、小澤と民主党たたきの酷(ひど)さである。

収支報告書虚偽記載という、本来なら書類の提出し直しだけで済むはずの軽微な事柄をいまや国会開会直前の現職民主党国会議員の逮捕までして小澤を、民主党を叩こうとする意図の裏には何があるのだろうか?

最近の検察のリークの酷さに、さすがの一般国民も気付いてきたようだが、どの新聞社の政治面もほぼ横並びで小澤一郎を叩こうとしている事の本当の意味は、何なのだろう。

国民の選んだ、民主党政権を存続させるのか、それに抵抗する官僚の代表たる検察が小澤を悪人に仕立て上げて政界から葬り、『明治以来続いている官僚支配』を続けるのか、の戦いである事を認識すべきである。三へ続く


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何かがおかしい

『小澤氏4億不記載を了承』
『石川容疑者が供述』・・・・・読売新聞が一面トップで報じた記事が大問題になっている。これが本当なら小澤一郎は政治資金規正法違反の『共犯』か『共謀共同正犯』で逮捕される。

本当に石川知裕議員(36さい)は小澤一郎の関与を話しているのか?読売新聞の1月20日夕刊(朝刊は21日)の一面記事は衝撃だった。
〔逮捕された石川知裕衆院議員(36)・民主・が東京地検特捜部の調べに、土地購入前の2004年10月下旬頃、土地代金に充てる現金4億円4億円を同会の同年分の政治資金報告書に記載しない方針を小澤氏に報告し、了承を得ていたと供述している事が、“関係者の話”でわかった〕と報じたのだ。
他社は後追いせず

石川議員は逮捕前、小澤一郎の関与を全面否定していたが、供述をコロリと一転させたというのだ。このスクープには他社の社会部記者も仰天。
大慌てで検察関係者や石川周辺に確認に走った。

結果は『石川はそんな供述はしていない』のオンパレード、石川議員の弁護士も、直ぐに『石川氏が上記のような供述をした事は全くなく、上記の報道は完全な誤報です』という文書を報道各社に送った。

翌21日の各紙は、読売のスクープを後追いせず、一切無視、それどころか朝日新聞は〔(石川議員が)東京地検特捜部の調べに対し、「報告書は小澤氏の了解を得て提出した」と説明した事が解った。

ただ、記載内容まで了承を受けたのかどうかまでは話していないという〕と読売の記事を否定する始末。各社も朝日と同様の取材結果だったらしい。

ところが読売は翌21日の「4億円不記載、『小澤氏も了承』と大きく報じ、小澤幹事長を「悪質」とまで断じている。

私は読売新聞を取って30年になるが、昨年の大久保逮捕直前辺りから、この読売の偏向記事はひどい状態がズーッと続いている。政権交代が済めば鳴りを潜めるのかと思いきや、益々ヒドイ状況に至っている。

文化部、運動部を除いて、政治面などは全く信用できない新聞になってしまったと思う。今回のように嘘まで報道するような強引な姿に、何か裏に恐ろしい計画でも潜んでいるのではないかと疑わざるを得ないものを感じる。二へ続く


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小澤和子・二・

大金持ちなのである。2009年の3月提出の有価証券報告書によると、
現在も株式会社福田組の株を136万3000株〔3,03%で第8位の株主〕を保有している。

昨年、第2位の大株主だった父親の福田正氏が逝去し、和子夫人は株
などの財産を相応に相続したといわれている。保有株の資産価値は数億円、配当だけでも毎年かなりの金額に成る。長者番付けが公表されていた当時は和子夫人は高額納税者の常連であった。

福田組の監査役を務めていたこともあり、毎年2000万円前後を納税していたという。裏返せば、毎年6000万円~7000万円の収入が有ったという事に成る。

したがって数億円単位の貯預金があっても不思議ではない。小澤一郎の政治活動を物心両面で支えてきた訳である。平成3年に小澤が狭心症の疑いで入院した時には献身的に看病を続けた。

その後も体調を気遣って、小澤氏の昼食は、いつも和子さんが作るおにぎり2個だったという。口さがない連中は、さすがの小澤一郎も、和子夫人には頭が上がらないのだ、と言うが、それでいいのである。

それにつけても小澤一郎は運気100点であると同時に、いろいろな分野で100点の仲間を増やし、自身の妻たる者まで、福田和子の10点から小澤和子へ100点にしてしまう、全く強い不思議な運気を持った
男であるといえる。

その和子夫人を検察が今参考人聴取することを検討中なのだという。検察のごり押しはどこまでも続きそうだが、いい加減にしないと、にっちもさっちも行かなくなって、そのうちに検察陣の自滅につながりそうだ。

今度の騒ぎを、小澤一郎の不正蓄財問題であるかのように国民が誤解するようなニュースの取り上げ方をマスコミが一斉にしているのであるが、これは明治維新以来続いてきた官僚支配が、続くのか、それとも

国民が初めて選んだ民主党政権が続いて行くのか、の権力闘争なのである。上級官僚のバックにはアメリカ絶対主義の安保マフィアや大マスコミが群がっている。これらが東京地検特捜部の尻をたたいている。

小澤潰し、民主党潰しに死に物狂いなのである。明治以来の官僚支配国家を壊し、民主主義国に再生するには、国民にとって、民主党か、検察特捜部かどちらに軍配を上げねばならないか、言うまでも無い事だ!

『検察・大マスコミ・安保利権組織・・対・・民主党・国民』の対決なのである。・・完




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小澤和子

歴史に『もしも・・・』や『・・・・たら』『・・・れば』はないと言うものの、若し西松建設献金問題での大久保秘書逮捕という、昨年3月の問題が無かったら、恐らくは今頃、ファーストレディーと呼ばれて居たかも知れない女性が小澤和子である。

和子は今後『総理大臣婦人』として紹介される事は無いかも知れないが、それだけに少しだけ、彼女の人柄などを紹介したいと思う。彼女は田中角栄の後援会組織である越山会の幹部、新潟のゼネコン福田組の経営者だった福田 正氏の長女で昭和19年生れの65歳。

37年前の1973年、小澤一郎が衆議院議員となって2期目の時に、田中角栄の紹介で見合いし、上智大学出の英語ペラペラの才媛だった和子と一郎はお互いに気に入って結婚したのである。

A:福田和子:(14・5・8・3) 運気 10点:性格は火性の3
B:小澤一郎:(3・17・1・14)運気100点:性格は金性の8
C小澤和子:(3・17・8・3)  運気100点:性格は土性の5

AとB=相性凶、性格不一致。〔二人の独身時代〕
BとC=相性吉、性格一致。   (結婚後)

若し独身時代に自然の状況に置かれた場合には二人は性格不一致、相性も凶で、恋愛まで発展する事は無かったであろう。紹介者が紹介者なだけに、インスピレーションで二人は一緒になったのだろうがかえってそれが良かった。10点の福田和子は100点の小澤一郎と結婚して小澤和子となった途端100点に変化したのである。

めったに無い『運気100点の夫婦』の誕生となったのである。こんな事は田中角栄は勿論、福田和子も小澤一郎も知識として持ち合わせている筈も無く、今日まで、理解の外であろうと思う。

和子夫人は内助の功に徹底し、余り人前に出ようとせず、あくまでも控え目な態度に終始しているという。これは和子という11画の大吉のなせる業であり、天賦の恵福を受ける富貴繁栄運を物語っている。

ポッチャリ型の体つきで、服装もあくまでも地味、ブランド品も身に付ける事はほとんど無いという。小澤邸での新年会でも厨房を仕切るなど裏方に徹し、表には出てこない。

人手が足りないときなど料理を運び役し、自分から挨拶などもせず、直ぐに引っ込んでしまうのだそうだ。後になってから、「先ほどの女性が奥さんだったの?」と聞いたり、驚く議員さん方がほとんどだという。

ややもすると、“お手伝いさん”と間違えられてしまいそうなほど地味な印象の和子夫人だが、実はこの和子夫人は大変な・・・・二へ続く。

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世相の犠牲者?

何に苛立(いらだ)っているのか、一億総中流社会を標榜していた20年程前までには到底考えられなかった人々の『荒(すさ)んだこころ』が産みなす犯罪模様に、格差社会といわれる今日の病巣の一端を思い知らされる。

警視庁小岩署は
『ご飯を食べるのが遅い』と小学校1年生の長男・7歳に暴行を加えた容疑で東京・江戸川区東松本に住む、電気作業員岡本健二容疑者・31歳・と妻の千草容疑者・22歳・の二人を、1月24日傷害容疑で逮捕した。
二人は容疑を認め『しつけのためにやった』と言っている。

海渡くんは病院に運ばれたが死亡した。同署は死亡原因を詳しく調べるという。背中などに古い痣(あざ)があることから、長期に渉って虐待を受けていたものと見て捜査する。

逮捕容疑は23日午後8時から約1時間海渡君を正座させて顔を数回平手打ちにし、両太ももを数回蹴ってケガを負わせた疑い。小岩署によると、海渡君がグッタリした為、両容疑者が消防に通報、搬送した救急隊員が同署に連絡したという。

海渡君は24日に搬送先の病院で死亡した。

岡本容疑者は昨年2月に千草容疑者と結婚し、3人暮らし。海渡君は
千草容疑者の連れ子だった。・・・以上河北新報、1月25日の記事。

◎ この手の悲劇は後を絶たないのが実情のようである。

岡本健二・(8・5・11・2)運気10点
岡本千草・(8・5・3・12)運気10点(くさかんむりは竹で6画)

岡本海渡・〔8・5・11・13〕運気100点。完全大吉名。
〔氵は水で4画〕

岡本健二容疑者の外格に10画の犯罪運があり、妻子との別離の運気がある。再婚して岡本姓になった千草容疑者には外格に20画があり,刑
傷殺伐運と称される要素があり、今回この運気を表出したのである。

千草そのものが、14画で物事の破れを現して14歳で妊娠、15歳で海渡君を出産、海渡君は一年前の6歳で岡本姓に変ったのであるが、100点満点の効果が出る前に、義父からの虐待を受け続け、小学校1年生で逝ってしまった。

再婚する人達は自分と同じ様に『連れ子を大事にしてくれる』相手を選ぶ事は『再婚の最低条件』とこころすべきだろう!

今回の事件は、母の再婚によって、折角100点の運気になった海渡君が運気10点の両親の大凶名、犯罪運の犠牲になってしまった典型を見せてくれたものといえるのである。
                                     〔合掌〕





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今の世に思う事

原 敬の人となりを知るほど、現代に活動する政治家達との見識、気魄、器量、実行力、行動力、覚悟、国家国民を思うこころ、などに於いてそれらの圧倒的な差を痛感させられのである。

原の洞察力も見事で、暗殺される23年も遥か前に61歳を過ぎて政治に身を置く時は、命は無いものと自ら覚悟しており、それを浅という後妻にも覚悟をさせている。藩閥と軍部の抵抗を読み取っていたのであろう。

大正10年11月4日、この日の昼間、原 敬は中国人記者に
“対外協調路線”・・について聞かれ、次のように答えている。

『20世紀の今日、他国への領土的制服などは実に時代遅れのお粗末な政策です。我々が求めるべきものは通商です。通商こそが何にもまして重要なものです。“自分が今この瞬間に職を去ろうとも”この政策は変らないでしょう』

この日の夜、暗殺によって帰らぬ人となったが、23年前の死を賭す覚悟といい、暗殺当日の記者会見といい、己の死を、その瞬間まで読み取っていたかのようであった。さすが23画の頭領運だけの事はある。

原 敬の没後既に90年になろうとしているが、なんと言っても特筆されるべきは『原 敬の政治理念』であろうと思う。

『いずれの国に於いても、国民多数の世論によって政治が動いているということは明らかである。国民一致の力でなければ到底国家の進運(しんぬん)を図る事は出来ぬ。政党内閣祝すべしといえども国民の意志を基礎として国政を料理するにあらざれば不可なり』と説いている。

思想、政治手法の違いにより、各政党に分かれる事はやむを得ないことではあるが、政治の舵取りをする者は、この原 敬の思想精神を忘れてはならぬものと思う。

今、平成の世になったこの時点において、ある種の乱れた世相を呈しているが、衆参両院の議員全員に原 敬の政治理念を学んでもらい、政治の道を目指した原点を各人が思い起こしてみて欲しいものである。

我々国民の側も、選挙によって政党や議員を選び、これからの政治を託す相手を選んだ以上、キチンと一本立ちするように添え木の役割で叱咤激励しながら道を誤らぬよう、見守っていかねばならないと思う。・・・完


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高橋光威(武士道)・ニ・

原の遺書により葬儀委員長を務めた後、残務整理をし、書記官長を辞任したという。東京の本宅は借地の上に小さく建てられ、預金の額もほんの少しだけだったという。清貧を地で行く生き方だったようだ。

原が最も大事にしていた日記は遺言で『保存せよ』としてあり、高橋は直ちに出身地の盛岡市に有った原の別邸の蔵に移した。その2年後、東京は関東大震災に遭うが、移転のお陰で原日記は被災を免れ、一級品の資料として先ごろ盛岡市文化財になった。

原 敬の死後、高橋光威は生きる指針を失ったようであり、原が没した6年後1927年頃から病気静養が始まり、1932年、原と全く同じ年の65歳で病死した。その遺言は『死んでも総理をお守りしたいので総理の墓の近くに埋葬して欲しい』ということだったそうである。

翌1933年8月15日〔12年後の1945年から8月15日は:大東亜戦争の終戦記念日となっている〕高橋の遺骨は盛岡市の大慈寺に分骨され、高橋の墓石は原夫妻の墓石の方を向いて建てられているという。死後も貫く武士道精神の最たるものであろう。

政治の世界で最後の武士道を持った二人、生き方を説くわけでもなく
体と自らの生き方でそれを示したのである。二人のような信と義に結ばれた協力関係は、他の歴代内閣では平成にいたる今日まで見当たらないのである。

この二人が亡くなったあと、軍部の政治支配が続き、戦争へと国家を誤った道へ突き進め、時代は原の目指した平和主義、通商による富国政策と逆の方向へ突き進んで行ったのである。

明治、大正期の時代、少なくとも、国家国民のために命を掛けて闘う政治家の姿勢は顕著だったが、今この平和ボケした平成の世に国会議員たる諸氏を見るとき、特に誠意と勤労精神の欠落、見識のなさと、気魄の欠如、人間味の薄さ、など、どれをとっても全体的に小粒になって、大マスコミの偏重記事に踊らされ右往左往している現状がある。・・完



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高橋光威(武士道)

(一)原敬(一)(1・10・13・1)運気20点  
高橋光威   (10・16・6・9) 運気20点。

原の性格は3で火の陰性、高橋の性格は木の陽性であるゆえ、
二人は性格一致、相性吉である。基本的にウマが合い、価値観を共有する関係にある。しかも原が頭領運、これを補佐する役に高橋光威がピッタリの形を作っている。二人は1903年、明治36年に出会った。
原敬が47歳、高橋光威33歳の時である。

原が大阪新報社長就任時に、高橋を主筆として採用した。親友の千石 貢〔後の原内閣の鉄道大臣〕の紹介であった。原は直接高橋を面接し、採用を決めている。

原社長、高橋編集長の時代は、日露戦争直前から開戦、講和の時であり、高橋は『日露講和はやむを得ざるもので、条約の早期締結こそが望ましい』との論を展開した。当時の国民もマスコミも勝利に酔い、賠償金や領土の獲得を主張し、原を弱腰外交と批判していた。

この論陣に新聞の売り上げが減少、社の幹部達から論調の変更を働きかけられた高橋は
『余は信念を持って書いているのであるから断じて改める訳には行かぬ』と拒否。困った社の幹部達は帰郷中の原に高橋を説得してもらおうと電報を打った。

しかし原の返事は「高橋の所説の通りで良い。そのために新聞の売り上げが減っても仕方が無い」というものだった。これこそが原と高橋が本物の人間性を共通せしめた本当の出会いであったといえる。

高橋は『これで、“士は己を知る人のために死す”の心服になったのだ』という。2100年前の中国古典でいう、武士道ということであろう。

原が1906年内務大臣に就任すると、高橋は秘書官に起用され薩長閥の切り崩しの為、仕掛けた郡制廃止では高橋が全国を根回しで駆け廻り廃止案は2度の廃案の後、原内閣の時に成立した。

原が力を入れた政策の一つに港湾の建設と鉄道敷設が有った。山縣有朋派と対立しながらも、北海道の留萌港建設が実現したのは高橋秘書官の働きが大きかったという。

原が全幅の信頼を寄せる高橋の情報収集力、分析力、交渉力が原内閣を支えたといえる。

高橋光威は原 敬が暗殺されたあと『士は己を知るもののために死す』の気持ちが益々強くなったようである。二へ続く



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同類と数の因縁

Aグループ〔19の同類〕
原 敬   第19代内閣総理大臣:出てくる数字・・19。
第19代内閣総理大臣
原 貞子  主運(人格)19画 :出て来る数字・・19。
原の先妻
中岡艮一  後運(総格)19画 :出て来る数字・・19。
原 敬の暗殺犯人:大塚駅転徹手
橋本栄五郎 主運(人格)19画 :出て来る数字・・19。
中岡の上司:大塚駅助役
高橋光威  副運(外格)19画 :出て来る数字・・19。
原の内相秘書官、原内閣官房長官、葬儀委員長
原奎一郎  主運(人格)19画 :出て来る数字・・19。
原の養嗣子

Bグループ〔22の同類〕
陸奥宗光  副運(外格)22画 :出て来る数字・・22。
原の信頼する政治家
原 貞子  後運(総格)22画 :出て来る数字・・22。
原の先妻
原 浅   後運(総格)22画 :出て来る数字・・22。
原の後妻
中岡 精  主運(人格)22画 :出て来る数字・・22。
中岡艮一の父親
高橋光威  主運(人格)22画 :出て来る数字・・22。
内相秘書官、原内閣官房長官、原の葬儀委員長
古河潤吉  前運(地格)22画 :出て来る数字・・22。
古河財閥2代目、陸奥宗光の次男
高橋是清  副運(外格)22画 :出て来る数字・・22。
日銀出身:原内閣大蔵大臣

同類の縁、同数字の縁、様々な縁を形作るのが人間関係なのであるが、
原の結婚、政治活動、交友、内閣閣僚、暗殺にかかる実行者とその父、今回関係者について調べている内に、その共通する運気を感じ、上に記禄した如く、数字のもたらす因縁を改めて思い知らされてしまった。

姓名に出て来る19という数に一人原 敬のみが例外と思いきや、
第19代内閣総理大臣として肩書きに『19』を乗せている。単なる偶然とは思えない不思議な因果を感じる。

ここでAグループとBグループに共通しているのは原貞子と高橋光威だが、貞子は先妻としての立場、中途で離別しており、最後まで影響を及ぼした高橋光威(たかはし・みつたけ)について原との出会いは勿論、原が逝った後までも、影響をもった事に何故か興味を抱いたが、二人の信頼関係には今日に至るまで、歴代内閣に存在しなかった、政治家としての強烈な『信と義』の結びつきがあった事が解った。

本来このブログは歴代宰相とその妻の、いわば総理夫人の立場に立たされた女性の悲喜こもごもを姓名の画数から解説しようとしたものであるが、余談から入り込んで、これだけは記述しなければ,という高橋光威と原 敬の信義の結びつきを、余談の余談として記述してみたい。
・・・・・高橋光威〔武士道〕に続く

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