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10・小沢一郎の政治的遺伝子

 

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小沢一郎の政治的遺伝子

 

(父・小沢佐重喜から受け継いだもの)

 

 さてこうして見てくると、小沢氏の『揺るぎのなさ』と、『一貫性』は信念・信条を超えて、当人の気質も関係しているのではないかと思えてくる。それはどこから来たものか、恐らく父親の小沢佐重喜氏からの政治遺伝子ではないだろうか。

たまたま私は両者を見知っており、比較をすることができたので、確信をもってそう言うことができる。息子の一郎氏と私の関係はこれまでに述べてきたので改めて言うまでもないが、父親の佐重喜氏とは私の故郷の大先輩であり、晩年には謦咳(けいがい)に接した吉田 茂元首相の腹心であったことから、知己を得ていた。

  私の知る限り小沢佐重喜氏は小学校もろくに出ていないにもかかわらず、車引きや新聞配達などをしながら弁護士になり、そこから政界に転じたまさに立志伝中の人物であると同時に、「ゆるぎなき信念・信条の人」でもある。

  小沢家は明治に入って繁盛したが、佐重喜氏の父・徳太郎氏の代になって経済的に行き詰る。佐重喜氏は小学校5年生で奉公に出されるが、学問をしたいために家出して、東京を目指す。宇都宮の公園で、衰弱しきった小沢佐重喜氏を救ったのは、陸軍の中村少佐であった。運命の出会い(佐の字・同字の縁と中よく小を救う主従の縁←永人)があって苦学し、弁護士となるのである。

 小沢佐重喜氏の政治信条は、息子・一郎氏と実によく似通っている。

 小沢佐重喜氏の人生の節目節目の発言を見ればそれは一目瞭然であろう。

 貧しくも能力のある人間が、学校へ行ける社会を作りたい

 これは大正14年東京市下谷区会議員に立候補した時の公約である。わずか7票差で落選の憂き目にあうが、それでもあきらめず、再起を期したところが佐重喜氏の真骨頂であり、それは何度もたたかれ、排除され、謀殺されかけても、挑戦をし続ける息子・一郎氏の気概に受け継がれてはいないだろうか。

物質文明に禍(わざわい)せられ、富の偏在、貧富の差がはなはだしく、「良心と理性に基づく真の自由」が生かされる社会は実現していない。自由主義の欠陥を補い、高度な社会政策を断行する」これは三木武吉に師事して東京市議、府議を5期務めた後、昭和21年4月、戦後最初の衆院選に吉田自由党から立候補した時の小沢佐重喜氏の演説である。

 社会主義の実現をうたい上げた高邁な理念は今も色あせることなく息子、一郎氏に引き継がれているではないか。佐重喜氏は見事当選を果たし、第二次吉田内閣の運輸大臣に抜擢され、以後、郵政、電気通信大臣、行政管理庁長官、自由党国会対策委員長などの要職を歴任する。

 「民主主義の原点は、公正な選挙制度の整備と、金のかからない選挙の実現である。戦後政治を廃止し、国民のため、徹底した審議と多数決原理による健全で公正な国会運営を確立すべきだ」

 これは昭和43年5月、心不全のため入院した病院での最後の言葉である。

 最期まで、「国民のための政治家であり続けようとした姿勢」は、これまた息子・一郎氏に引き継がれていると言えよう。それは息子・一郎氏も自覚していたようである。 続く

 

 

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9・小沢一郎を排除しようとする旧体制

小沢一郎が旧体制から排除される理由

(ご都合主義の菅 直人)

 

この理念は、自由党時代の『日本再興へのシナリオ』

を起点に、『日本一新11基本法案』を発展させたものだ。これが平成19年(2007)7月の参議院選挙を勝利させた“国民の生活が第一”の箴言(しんげん)となり、平成21年(2009)8月の衆議院選挙で民主党が政権交代を実現した原点なのである。

 しかし菅政権になった途端に“国民の生活が第一”という箴言は消えた。

そして政策も政治手法も「小泉・竹中時代」を連想させ、歴史を逆転させる事態となった。

 菅首相は平成22年6月11日、国会での所信表明で

「90年代初頭のバブル崩壊から約20年、日本経済が低迷を続けた結果、国民はかつての自信を失い、将来への漠然とした不安に委縮しています」と発言した。これが歴史的政権交代を果たした政権トップの歴史認識かと思うと情けなくなる。

 日本人が自信を失い将来への不安で萎縮している原因を「経済の低迷」とし聞き様によっては「バブル経済」を評価しているような発言である。

 党内から菅への批判が出ないのは、政党としての理念に混迷があるからだ。

 20世紀から21世紀への世界史的激変は、先に指摘したように「東西冷戦の終焉による国際社会の構造変化」と「第三次産業革命による資本主義の変質」日本の衰退の根本原因はここにあり、そのため「政治の自己改革」と『国民の意識改革』が実現されなければならないのだ。

菅首相は政権の座に着くや、「私は現実主義者だ」と自負した。真の現実主義者なら「理念」と「理想」のつながりの中で、問題解決へ具体的な展開を提示していくものである。

「官僚はバカだ」と言ってその舌の根の乾かない内に

「話してみると官僚は優秀だ。官僚の能力を活用する」と言い換え、官僚の掌に乗ることを「現実主義者」とは言わない。それは「ご都合主義者」であり、「日和見主義者」とも呼ぶのである。

このように小沢氏は日本人の在り方として「自立と共生」を提唱し、政治運営や基本政策など国づくりの基本としてきた。ところが我が国の旧体制の多数は、政治信条を理解しようとはしなかった。

 その理由は日本の政治文化が、建前と本音を自分に都合よく使い分け、本音(個人的利害)を、理屈でもって建前(倫理や論理)として正当化するものであったからだ。建前の世界と本音の世界は、本来は峻別されるべきものである。しかし、日本の社会では意図的に混同されている。その結果は、矛盾の発生による混乱である。

 わが国では戦後の高度経済成長による豊かさが、その矛盾を社会的に消化してきた。その方法が談合政治や馴れ合い政治として社会に君臨し、率直にいえば国民の多くもそれを容認した。

 また戦後の長期間に亘って続いている米国に依存している安全保障も、日本人の馴れ合い、甘えの社会心理を増長させている原因であった。

この建前と本音のすり替えによる国家運営のノウハウは、官僚の得意とするところである。

 もちろん日本の政治家も、経営者も、この官僚のノウハウの中で生きているのが実状である。新聞テレビもこの馴れ合いの中で生きている化け物であり、小沢氏の日本改造の核心は、これを改革することにあった。

 米ソの冷戦が終結し、資本主義が変質して高度経済成長が期待できなくなった21世紀の世界に生きるため、小沢氏の発想は日本にとって、どうしても必要な課題である。

 ところが旧体制はこれを容認できず、自分たちが既得権で生き延びるためには「小沢排除」にどうしてもこだわるのである。 続く

 

 

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8・マネーゲーム資本主義の崩壊

小沢一郎の歴史認識と共生の思想、

(マネーゲーム資本主義の崩壊)

マネーゲーム資本主義は国家をも崩壊させかねない事態となった。歴史をみると健全な資本主義のもとで。健全な議会政治が機能してきた。現在世界中で「政治の混迷が指摘されているが、それは資本主義の変質による混乱が原因で、政治家の能力がそれを解決できないでいる。

 さて、我が国の議会政治の混乱は欧米のような自立したデモクラシーでない政治文化だけに、複雑で困難な問題を抱えている。平成21年の民主党への歴史的政権交代は巨大メディアの言う「自民党へのお灸」ではない。日本の資本主義社会の危機を本能的に受け止めた民衆の津波のような動きであった。

 しかし、民主党政権はこれに応えるどころか、マネーゲーム資本主義で支配を続けようとする財界、官僚、

巨大メディアの奴隷となった。

 平成20年(2008)のリーマン・ショックは、ポスト冷戦のもとで世界を支配したマネーゲーム資本主義の敗北を示すものであった。

 世界は「ポスト・ポスト冷戦」の時代に入り、新たに民衆が幸せになる資本主義を創造する段階に入ったと言える。この歴史の進化を小沢氏追い落としの菅直人・野田佳彦。岡田・前原・仙谷・らの民主党は気付いた格好をして国民を裏切り、騙(だま)したわけだ。

 小沢一郎氏の認識は見事に現在の混迷を言い当てている。まさに慧眼(けいがん)と言うべきであろう。

 小沢一郎氏のこの「歴史認識」は自民党を離れてからも揺らぐことなく、政治の節目、節目で生かされていった。

平成10年(1998)6月小沢一郎氏を党首とする自由党は「日本再興へのシナリオ、『国民が主役の社会』を目指して」を発表。

 二つの世界的激変を認識して、「このままでは日本は衰退の道を歩むだけだ。今ほど政治の自己改革と国民の意識改革を求められている時はない」と宣言、真っ先に必要な改革を

「政治の自己改革」と

「国民の意識改革」としたのである。

さらにそれから5年後の平成15年(2003)9月自由党は小沢氏の大局的判断で民主党と「合併」、

民主党を大きく飛躍させる。そして小沢氏は平成18年(2006)4月、民主党代表となるが、その代表選で唱えたのもまた、歴史認識であり、それにもとづく共生の思想であった。

 すなわち、

「小泉政治は自由と身勝手を混同した結果、弱肉強食の格差社会と言う妖怪を生み出してしまいました。本当の自由とはだれもがともに生きていける『共生』の理念が前提であり、それを保証する規律と責任を伴うものであります。その『共生』のルールが公正なのであります」  続く

 

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7小沢一郎の歴史認識と自立・共生の思想

 

小沢一郎の歴史認識と自立・共生の思想

(冷戦の終結がパンドラの箱を開けた)

 もうひとつ、小沢一郎氏のぶれないゆるぎない政治信念を支えているものがある。それは「歴史認識」である。政治信念は何でもいいから曲げなければいいと言うものではない。それでは単なる頑迷固陋(がんめいころう)の守旧派であり、改革者とは似て非なるものだ。

その真贋(しんがん)を分けるもの、それが背骨となる確固たる歴史認識であり、それがあるから小沢一郎氏の政治信条は一貫しており決してぶれないのである。

では小沢一郎氏の確固たる歴史認識とは何か。それは戦後冷戦構造の崩壊を受けたもので、以下の二点に集約される。

一つは東西冷戦構造の終焉である。世界規模の戦争は回避されつつあるが、地域紛争やテロの頻発、核兵器や、生物・化学兵器が拡散して、局地的な危険は増大している。もはや国際社会の平和と安全を、特定の国にゆだねることに限界が来た。国連の機能を重視し。国際的な枠組みの中で平和を維持する必要がある。

「一国平和主義は破綻した。

 いま一つの激変は、資本主義の変質である。重化学工業から情報社会へ第三次産業革命が行われた。日本では労せずして成長する右肩上がりの経済成長時代は終わった。さらに世界に例を見ない超少子高齢化社会に突入した。如何に経済の活力を維持していくか。

これまでの高度経済成長時代の官主導の利権政治を改革しなければならない。日本は今前例のない状況に遭遇している。

 小沢一郎氏がこの歴史認識を持つに至ったのには次のような背景と経緯があった。

平成元年(1989)12月2日、米ソ首脳、ブッシュとゴルバチョフがマルタで会談し、米ソ冷戦が終結。

冷戦の終結は国際社会を激動させた。

 特に日米安保体制で、安全保障も経済も米国に依存していた我が国は、戦後初めて自立して生きることを考得ざるを得なくなった。ほとんどの日本人は「これで資本主義は勝った。これから平和と繁栄の時代となる」と喜んだ。

 しかしこの時、深刻な顔をしていた一人の政治家がいた。だれあろう、海部政権を支えていた自民党幹事長、小沢一郎氏その人である。これからの国際政治と経済について彼はこう言った。

「僕は冷戦の終結はパンドラの箱が開いたと同じことだと思う」

☆ゼウスが、あらゆる災いを封じ込めた小箱をパンドラに人間界へと持たせて、それを開けさせたようなものだ(ギリシャ神話)、ということである。

 小沢幹事長は続けて「これから資本主義の暴走が始まる。米ソの戦争はなくなったが、富の偏りによる地域紛争や、民族や宗教の対立が激化する。戦後政治の惰性で生きてきた日本は、自立して世界の中で活動するために、これからどうするべきか」と語っていた。

 これを契機に小沢氏は総合的研究を組織的に始め、平成3年に『日本改造計画』の原案を書き上げて、日本人および日本国としての在り方の根本姿勢を論じるのである。

 その後小沢氏の歴史認識はどう時代によって検証されたのか。

 21世紀に入ると、世界は小沢氏が予言したように、パンドラの箱を開けたようになる。 続く

 

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6・小沢一郎は天然の共同体主義者

小沢一郎は天然の共同体主義者

経済社会に関しては、優勝劣敗だけではよい社会にはならないのではないか。経済主体は損得や好み以外にも共同体に対して為すべきことがあるのではないか、ということになる。

 政治の場ではある役についているものは、好き勝手に行動していいのではなく、局面ごとに当然なすべきことがあるのではないか、その為すべきことについて多数の合意を形成していかなければならない、ということになる。

  小沢一郎氏本人は、私が教えるまで共同体主義なるものがあるということをご存じなかったようだが、

(私もサンデル教授の本を読むまで知らなかった)

 今までの言動からして天然の共同体主義者である

功利主義や自由至上主義の良さも認めているが、その二つを残して共同体主義を捨てることはない

小沢氏は時々、『それは人の道に反する』と言うが政治家人生において「」というもの(サンデル教授の言う「」)を常に意識しているのだと思う。

 共同体主義は古い政治であり、グローバルスタンダードに則(のっと)って、功利主義と自由至上主義の組み合わせで行けば良いと思いこんでいる政治家たちは反小沢になるであろう。

 彼らは政策的には、小泉―竹中路線に近いものが多い。

政治手法は、政治家一人一人の価値観はそれぞれ違っていて当然と考え、なるべく相互干渉せず、波風立てないために場の空気を読む術が発達する。

原理原則にこだわらず、手続きにこだわる。

 小沢氏は政策的にはセーフテイネット重視であり、政治手法は、理念・政策を共有する政治家や支持者を結集して多数の形成を目指し、必要があれば波風立てても徹底的に議論をする。

 意思決定の手続きはもちろん尊重するが、こだわるのは「内容」である。

小沢氏と同じ岩手県出身の新渡戸稲造は、やはり岩手県出身の原 敬首相が平民宰相と呼ばれたころに

「デモクラシーは、平民道と訳すのがよく、それは武士道の延長である」という趣旨を述べた。

 政治には「道」の感覚が必要なのではないか。それは決して懐古趣味ではなく、あるべき世界的基準を草の根から構築していくための極めて今日的な課題であり、日本を救う唯一の道なのではないか。

(平成22年10月16日)

 なお、達増拓也岩手県知事は、十数回にわたり、『小沢一郎論』をわが「メルマガ日本一新」に寄稿している。いずれも示唆にあふれており、これからも要所要所でわが愚見の足らざるところを、補足するコメントとして紹介させていただく。  続く

 

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5・小沢一郎の原点『日本改造計画』

小沢一郎の原点『日本改造計画』

この出版には私も少なからずかかわったことから、そのコンセプトは誰よりも承知している。さらにここで注目すべきは「個人の自立」の「土台」に言及していることである。

 「日本改造計画」には次のような人間の「生き方」について重要な記述がある。

「人間は、人間による自然支配という西洋的価値観から、人間は自然の一部であるという東洋的価値観への転換が迫られている。

 東洋的価値観、特に古代日本の縄文時代においては、人間は全く自然と共生していた。人間が自然を支配するのではなく、自然によって生かされていた」

 おそらく日本の政治家で、共生(きょうせい)という言葉を使ったのは、戦前の椎尾弁匡(しいお・べんきょう)元衆議院議員の「共生(ともいき)運動」を別とすれば、私の知る限りではこれが初めてだと思う。平成5年5月と言えば、小沢氏は自民党幹事長をやめて2年目、幹事長時代の苦悩の体験を乗り越えようと『日本改造計画』を世に出した年である。

 まさに小沢氏のぶれることのない思想信条の根っこに

「個人の自立による真の民主主義の確立」と並んで

「共生」という発想があったのである

 

真の民主主義の実現に政治生命を懸ける小沢氏は自民党を離党した後も、さまざまな政治主役として活躍するが、一貫して「自立と共生」を新しい国づくりの理念として大義の旗を振り続けている。

小沢一郎は天然の「コミュタリアン=共同体主義者」

ところで自立と並んで小沢一郎氏の政治信念の「対概念」ともいうべき「共生」について達増拓也・岩手県知事が、私が主宰する「メルマガ日本一新」に論考を寄せてくれた。

さすが小沢氏が大いなる期待をかける若手のホープだけあって感性は瑞々(みずみず)しく、また大変示唆に富んでいる。以下抜粋して引用する。

最近有名になっているサンデル教授(ハーバード大学)の正義論を参考に、反小沢の政治哲学的背景について述べたい。

 サンデル教授の正義論がいま急速に広まっているのはリーマンショックで欠陥が明らかになった米国流自由主義の修正を訴えているからではないか?

サンデル教授は、米国流自由主義は

功利主義(ユーテリタリアニズム)と

自由至上主義(リバタリアニズム)を二本柱としているが、それだけではダメで

共同体主義(コミュニタリアニズム)が重要であると主張している。

○功利主義は「最大多数の最大幸福」がスローガンで,福利の向上とそのための経済的効率化が目標になる。損得の計算が重要である。

 ○自由至上主義は、個人の自由の貫徹を最重要視する。自己決定と自己責任。自己の意思以外には何者にも縛られる必要はない、という考えである。

 この二つを合わせると市場原理主義になり、リーマンショックを引き起こしたアメリカ生まれのグロー^バル・スタンダード(世界的基準・ルール)となる。

日本においては小泉―竹中路線になった

 これらに対し、共同体主義は、共同体において個人が「役割を果たす」ことを重視し、共通の価値である

「徳」を大切にする。損得や個人の好みとは別に「為(な)すべきこと」があるのではないか、それを集団において共通のものにしていく必要があるのではないか、という考え方である。 続く

 

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4・ゆるぎない政治信条・(2)

小沢一郎のゆるぎない政治信条2

 さらにその翌年読売新聞社が安倍晋太郎氏ら11人の論文を募集して「自民党改造案」を出版。小沢氏は当選1回の新人代議士ながら、これに参加。保守政党の体質改善論というテーマのもと、

①組織面における改革――党員拡大と党組織の整備

②資金面における改革――政治資金の大衆化による財界依存からの脱却

③政策立案面からの改革――党政調各部会の改組による官僚依存の改善

④総裁選挙の改革――米大統領選の予備選方式の導入・・・・を提案

とりわけ「④総裁選挙の改善」は画期的ではあるが、派閥談合政治の中ではまず実現不能である。

にもかかわらず、小沢氏は幹事長となってからしばらくして、この方式を正式に導入してしまうのである。

信念の貫き方にいささかの揺るぎもない。

まさに小沢一郎流の面目躍如たるものがある。

 初当選後、小沢氏は田中角栄氏のもとで政治修行をすることになり「金竹小」(金丸・竹下・小沢)の金権政治の枠に入れられ、その実態を文字通り体感する。しかし、そこでも所期の政治信条を

曲げることはなかった。政権交代を間近に控えた平成21年(2009)西松事件に始まる小沢バッシングで、しばしばマスコミから小沢氏の出自が金権派閥であることをもって「だからダ―テイな政治体質だ」とたたかれて来たが、これは全く論拠のない「ためにするレッテル貼り」である。

 むしろ小沢氏は「ロッキード事件で刑事被告人となった田中元首相のすべてを知ることによって、

金権政治からの脱却を決意し、政治家を志した初心の公約である「我が国に真の民主政治を確立すること」を貫こうとする。

 その証拠に平成元年(1989)8月47歳の若さで与党自民党の幹事長に就任すると同時に政治改革に着手するのである。が、突発した湾岸戦争への対応や、都知事選挙の失敗で改革を実現することができなかった。

しかし「ぶれない」が身上の小沢氏はそこであきらめなかった。『日本改造計画』を出版、これは英訳本も出て超ベストセラーになったがここで政治に臨む基本構想を世に問い、その核心的メッセージとして

民主主義は国民の自立から』と決然と謳い上げる。

 すなわち、民主主義の前提は、国民が自分の価値観を持ち、自分の判断で行動できる自立した個人であるということだ。

この前提が日本人に欠けたままであり、アメリカ式の『戦後民主主義』が導入されても、実際には民主根付かないまま現在に至っている。戦前の官僚組織が存続したなどの問題があるが、基本的には国民の側に民主主義を実現する条件が揃っていなかったからだ」(同書)  続く

 

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3・第一章・真の改革者だから嫌われる

 

第一章・真の改革者だから嫌われる

(小沢一郎のゆるぎなき政治信条)

「原点がぶれない」

そもそも小沢一郎氏はなぜこれほどまでに嫌われ、社会的に謀殺されようとしているのか、小沢氏を葬り去ろうとする真犯人は誰でその動機は何かについてはおいおい明らかにしていくが、まずはその根源的な理由を明示しておこう。

それはすなわち、彼が「戦後政治の真の改革者」であるからだ。

半世紀近く国会職員を経て議員として活動してきて、小沢一郎氏を含めて多くの「大物政治家」と身近に接する機会に恵まれたが、その政治信念の「ゆるぎなさ」は折り紙つきと保証してもいい。

「端倪(たんげい)すべからざる(=計り知れない)政治家」とは彼のためにある形容といっても過言ではない。

小沢一郎氏の政治活動の原点は「戦後民主主義の誤った内容を正したい」ということになる。誤った民主主義では国民は不幸となり、国家社会は滅亡していくので、しっかりとした真実の民主主義社会を作りたいと言うことだ。

 この原点がぶれない、ゆるぎない、ということが小沢一郎氏の真骨頂である。昭和44年(1969)12月、吉田内閣の運輸・逓信・建設各大臣、池田内閣の行政管理庁長官、自由党国対委員長。衆院議運委員長、日米安保特別委員長。公職選挙法特別委員長を務めた父、小沢佐重喜氏の突然の死によって、衆議院選挙に初出馬した時の選挙公約に、それはしっかりと刻まれている。

いわく「現代の社会は多種多様化した欲望が生まれ、

政治がこれに応(こた)えきれず、国民生活と遊離している。このために政治不信が生まれ、社会的に大きな混乱が起きている。さらに政治が無力化して官僚に政策決定を任せているため、生き生きとした政治がおこなわれていない。

このままでは日本の行く末は暗澹たるものだ。こうした弊害をなくするため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなくてはならない。

 政治に新しい考えを取り入れ、浄化と刷新を行う。

 官僚システムにどっかりと依拠していた与党自民党の候補、それもぺいぺいの新人として相当に勇気がいる公約である。

 この時期我が国は高度経済成長の最盛期で総選挙の三ヶ月後の大阪万博が開かれている。小沢氏はこの時すでに高度に成長した資本主義の矛盾に気が付き、政治が適切に機能せず、官僚に政策決定を任せていることが日本の将来を危うくすると、戦後の民主主義を極めて憂慮しているのである。   続く

 

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2・ようこそ、政治ミステリーの謎解きへ

ようこそ、政治ミステリーの謎解きへ

 ではあらかじめ本書の二つの眼目へ向けた展開を簡単にご案内しておく。

まず第一章においては小沢一郎氏が揺るぎない政治理念を持った真の改革者であるがゆえに嫌われるという「政治のパラドックス」を明らかにしたい、そこに、「小沢一郎謀殺劇」の策源地があるからだ。

 続いて第二章では小沢一郎氏が真の改革者であることによっていかに「排除」の憂き目に遭ってきたかを、歴史を追って、ポイントとなる事件とエピソードを例に上げながら、詳(つまび)らかにする。

第三章では、戦後政治のエポックである民主党政権による政権交代劇について、小沢一郎氏が大きな役割を演じたにもかかわらず、身内の民主党内から「小沢一郎排除」が生じ、それが鳩山政権から菅政権、野田政権へと進むにつれてついに「小沢一郎謀殺」へと激化していく流れを彼らの醜悪なる企図とともに炙(あぶ)り出す。

 第四章では、第二章と第三章で明らかになった「小沢一郎排除、謀殺」に狂奔する政権、政党、政治家たちの背後には、一体誰がいるのか、小沢一郎謀殺の仕掛け人は誰なのか。

そしてここまで執拗に「小沢一郎謀殺に取りつかれる彼ら仕掛け人と「共犯者」たちの「総意としての動機」とは何なのか。「検察権力と巨大メディア」、「原発資本」、さらには「アメリカ政府の影」について、分析、追及する。

 第五章では、平成24年夏、断末魔の民主党と決別して新党を立ち上げ、「小沢一郎謀殺」包囲網に抗して、敢然と立ち上がった小沢一郎氏の「最後の戦い」の決意と真意を明らかにする。

 第六章では、小沢一郎氏が将来を託すホープの一人,達増拓也岩手県知事との対談を持って、小沢一郎氏を復権させ、破滅の淵から日本を救い出すための処方箋を示し、以って本書の「まとめ」としたい。

 おそらく読者諸賢は、

「少しでも早く真犯人を特定し」その動機を明らかにしてほしいと望まれるであろう。

 しかしこれから語る「小沢一郎謀殺物語」は言ってみれば、筋立てが複雑にして登場人物が入り組み、謎が深い「政治ミステリー」でもある。

すぐれたミステリーがそうであるように、犯人の割り出しと、真相究明までには手間と暇がかかり、結論よりもそのプロセスにこそ真骨頂と醍醐味がある。

 いささか長丁場にはなるが、複雑に絡まり、ほつれた謎の糸を一本一本ほぐしていく作業を、読者諸賢も

私同様の「政治探偵」となって、知恵を凝らしながらお付き合いをいただければ幸いである。  続く

 

 

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宮城県民の良識!!裏切り民主の岡崎トミコを退治したぞ!!

宮城の良識が示された。

祝!「国民裏切りの岡崎トミコ」消滅!!

これで宮城県民の良識が示された。

自民党や民主党にホトホト愛想が尽きて、行き場を失っていた自民・民主両党への不信・批判票は、ついに和田政宗候補に集まった。

本当によかった。

これで宮城県民の良識が証明されたと言える。

 

☆☆

 今回は「みんなの党」を支持していない層も、驕りの自民や裏切り民主党よりもはるかにマシだという理由で個人的に「和田政宗」候補に応援したものであり、

 渡辺代表はそのことをよく理解してもらいたい。

和田政宗氏は

 TPP加入反対!

原発再稼働反対!

消費税増税反対!

の意向を皆持っていることを、よく、はらわたに

しみこませて、「政治のかじ取り」に励んでもらいたい。終わり

 

 

 

 

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