goo

今日の一話:辛抱が感謝に成る

                 今日の一話
                 8月31日
                辛抱が感謝に成る

我々が一生懸命に仕事をしても、世間がそれを認めてくれなかったら、非常に悲しい。そんなとき、その悲しさが不平となり出てくるのも、一面無理のない事だと思う。

しかし、「認めてくれないのは世間の人が悪い」という解釈もできるが「まあちょっと辛抱しよう。今は認めてくれなくても、いつかは認めてくれるだろう」とじっと耐え忍び、いい仕事を続けていくというのも一つの方法である。

そして認めてもらったら、これは非常に嬉しい。その嬉しさが感謝になる。「より多く我々を認めてくれた社会に対して働かなくてはいけない」という感謝の心になってくる。そういう心が無くてはならない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一言:形成者

               8月31日
                形成者

『教育基本法』第一条の「教育の目的」のところには
『人格の完成を目指し』
『平和的な国家及び社会の形成者として・・・』と示されているのですが、実際は、人間の衰弱、人格の破壊、分裂を目指し、『形成者』どころか、平和的な国家及び社会の『破壊者』が育てられていると言ってもいいのではないでしょうか。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

よろず世の中:6・竹脇無我を悩ませた『49歳』

              よろず世の中・6

            竹脇無我を悩ませた『49歳』

1944年2月17日生れの竹脇さんは千葉県我孫子市の出身である。

父親はNHKのアナウンサーやニュース解説をしていた竹脇昌作である。三男として生まれた子に父昌作は『宇宙』と名付けたかったが、母の強い反対で『無我』に決まったのだという。竹脇無我は本名である。

1960年、竹脇が16歳の時、父昌作さんは自律神経失調症から49歳で自殺して果てた。この『49歳』で父親が自死した事に無我は強烈な衝撃を覚え、「自分も49歳で死ぬのでは」と強迫観念を覚えたという。

更に、長兄が失明して職を失い、
次兄が脳腫瘍の為18歳で早死にしている。

こうした良からざる家庭環境の中、青山学院大法学部を出た竹脇無我は家庭の経済的艱難の回復を支えるために俳優になったという。

竹脇無我(6・12・12・7)運気10点大凶名。脇の月は肉づきで6画したがって、脇は12画と数える。第三型の絶対的短命運。

天格:竹脇   18画
人格:脇無   24画成功運の凶により大吉から凶に変わる
地格:無我   19画大凶。万事行き詰まりの病弱・孤独短命運
外格:竹我   13画基礎運の凶により大吉から凶に変わる
総格:竹脇無我 37画三才の配置の凶により、大吉から凶に変わる

成功運:天・八―人・四大凶=成功極めて困難、肺患、その他の難症に罹り、甚だしきは、発狂、自殺などあり。
基礎運:人・四―地・九大凶=基礎絶対不安定。意外の変事ありて生命財産を失う。

三才の配置:天・八―人・四―地・九大凶=〔第三型絶対的短命運〕
負傷、遭難など他動的、外傷的危険に陥り、或いは難治の病症を起して短命の人生に終わる。

竹脇昌作(6・12・8・7)運気10点大凶名。主運20画の物の割れんとする浮沈行き詰まり、苦労困難の絶える事なき病弱短命運。

                    ★

俳優として『知的な優しさ』と『理想の夫・第一位』と騒がれる女性からの圧倒的人気とそうした外面とはウラハラに酒とタバコ、女遊びに興じる自己内面との差に悩まされ、気の休まらない日々が続いたという。
47
竹脇無我の姓名基本の凶兆がもたらすこれらの不安定な心理状況が後の彼の『ウツ』症状を更に重くする主因をなしていたものと思われる。
更に親友の死が無我のウツ症状を悪化させることになったのである。  二へ


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

長兄の旅立ち

                 長兄の旅立ち


長兄:吉野精右衛門(よしの・せいうえもん)の葬儀が一昨日28日正午から長兄の自宅で執り行われた。8月20日に81歳の誕生日を迎えたばかりだったが、病には勝てず8月24日11時43分、息を引き取った。享年82歳だった。

昭和25年から消防団活動にいそしみ、石巻市消防団長も勤め、勲6等旭日単光章を授与されていた。鮮魚仲買・小売り・割烹・仕出しの『よしの屋』という家業の合間を縫って、名実共に消防団活動に徹した兄だった。一昨年7月肺癌の手術をして以来、自宅での闘病生活だった。

                   ★

これより前、本年7月20日ごろ私の家内の友人である茨城県在住・泉さんと千葉県在住・飯田さんという二人から家内宛に電話が入った。

『20数年ぶりに、8月27日から2泊3日の予定で二人一緒に世界遺産登録の平泉を見ながら家内に会いに来たい』ということだった。家内は“今後いつ又会えるかわからない”ので、二人を歓待して心置きなく帰っていただこうというので、8月27日から3日間のスケジュールを組んだ。

8月27日・三陸道・北松島インターで待ち合わせ。松島宅へ一泊。
28日・松島観覧の後石巻へ
28日・石巻宅へ一泊
29日・秋保(あきゅう)温泉『ホテル瑞鳳』へ一泊

30日・秋保の見所を案内し友人二人と家内はここでお別れする。
30日午後、友人二人は・平泉へ出発。

以上のような計画を立て、石巻と松島の建物の清掃と整備、庭の手入れ、
必要物資の購入、ホテルの予約、石巻でのすし店予約など、夕食の手配・
20日以上の日数を掛けて着々と準備をして来ていた。

                  ★★

8月10日長兄宅を訪問したが、この時、もしかしたら家内の友人が来石する日と、『長兄の万が一の見送り』に関する前後の日程がダブりはしないかと、嫌な予感を強く覚えた。

『お母さんの友人来石と長兄の万が一が重なるような気がするが、その時は仕方だないからね、そうなったら、早めに中止の電話しないとね』
と家内に言ったが、長兄の様子をうかがう限り、どうしてもそういう気がして仕方なかった。

8月24日9時30分頃、二度ほど電話があった。私が用を足し、家内が庭で花に水遣りをしていて、出られなかった。続けて三度目のベルが鳴ったので、多分長兄のことだろうと思った。

電話を取った家内が「姪からで、『父が危ないから、直ぐ来てください』
ということです」と私に告げ、石巻市井内字井内10-1の実家へ向かった。長兄はまさしく危篤状態の息づかいであった。

家族の見守る中、午前11時43分息を引き取った。

喪主は長兄の長男:吉野精晃(よしの・せいこう)
火葬は26日、午後2時30分出棺午後3時より。
通夜は27日午後6時から於自宅
葬儀は28日正午・於自宅・・・と決まった。

この夜、家内は友人二人に『来石の後日への変更』を申し入れた。

                  ★★★

告別式当日、24日の10時30分、十五分ほど消防のサイレンが鳴り響き、長兄の葬儀に際し消防当局のサイレンで、長兄の霊を見送ってくれるのかと思ったらナント石巻霊園近くで山火事が発生したというのだ。

当日かなりの消防団員が長兄の葬儀に参列予定だったが、この山火事消火作業のため出席できないとの火災現場からの電話連絡があった。

元消防団長の葬儀時刻に消防団員が懸命に山火事現場で消火作業・・・
長年消防に捧げた長兄に似つかわしい旅立ちだった。

本日、早くも初七日である     合掌



コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

今日の一話:

                 8月30日
                 日ごろの訓練

お互いが仲良く生活し、又仕事を円滑に進めていくためには、人の応対一つにしても、充分に注意しなければならない。そして単に礼儀が正しいとか、言葉使いに気をつけるという事だけでなく、いわば心のこもった応対振りを見せる事が大切ではないかと思う。勿論これは口で言うほど簡単なものではない。

日ごろからそういう訓練がなされていなければ、たとえ頭で分かっていても、実際に容易にできることではない。いつの場合にも、自然に行動に表われてくるという為には、やはりことあるたびに躾、習慣づけておかなければなかなか養われるものではないと思うのである。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一言:愛情


                 8月30日
                  愛情

愛情も

「相手を本当にわかってあげる智恵と結びついて」

初めて『真の愛情』になる。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

よろず世の中:極盛から極衰へ・・・

                よろず世の中

              5・極盛から極衰へ・・・

島田紳助さんは極盛から極衰へ落ちる事になるようだ。
内容が内容なので致し方が無い面もある。

芸名:島田紳助(10・5・11・7)運気100点大吉名。
本名:長谷川公彦(8・7・3・4・9)運気30点凶名。

まず本名の長谷川公彦は,難儀な目に遭いやすく、強情の気質で他とのトラブルをつくり、性格に変化を来たして、37歳以降の人生後半に脳や呼吸器の難症に冒され、病災の不幸を免れない事を暗示します。

しかし本人は漫才の世界に身を置き、師匠の姓・島田から「島田紳助」の芸名を名乗り、今ではほとんど誰も本名を覚えていない。

芸名の運気はたまたま100点の大吉名で、今ではテレビ界の人気者を自他共に許しているのだが、島田紳助の総格33画は、余りに強すぎて、凡人には位がその身に充当しがたく、極盛から極衰へ急変転落しやすいので、出来れば、用いるのを避けた方が良いといわれる画数である。

最近は嫌いなイメージの芸能人NO1と言われていたそうだが、人気の影で、人間的傲慢さが表面にも出てきていたのだろう。

                    ★

今から10数年前、関西テレビ(大阪市)制作のバラエティー番組、
「紳助の人間マンダラ」で「テレビ局に行こうとしたら右翼の街宣車に邪魔されたので文句をつけた」という内容が余りにも問題のあるものだったようだ。

右翼に「この“菊のご紋”を見て俺たちが何者か分からないのか!」と言われ、紳助は
『菊のご紋ぐらい、“俺のケツ”に付いとるわ!!』とやり返した。

・ ・・この顛末を先述のテレビ番組でしゃべり、それがカットされずに放映された。

それをみた右翼団体は激怒してその後放送局や島田紳助の自宅にまで押しかけ、これにビビッタ紳助は渡辺二郎に相談、渡辺はボクシングの元世界チャンピオンで、大阪の暴力団の相談役をしていた。

この暴力団は山口組の2次団体で大阪の極心連合会という構成員約600人の組織。橋本正弘組長に渡辺二郎が解決方を依頼し、このトラブルは解決したといわれる。

橋本正弘組長は目下山口組の若頭筆頭補佐を勤め、山口組組織ではNO4といわれている。将来山口組7代目に成るのではないかとも言われて
いるそうだ。

いずれにしても、ビート・たけしなども裏社会とのつながりを言われており、いつかの時点で表に示されて来るのではないかと思っている。

島田紳助の芸能界復帰は難しいと思うが、政界での活躍を期して、政治活動での生き残りを図った方が紳助にとって最善策かも知れない。

前原誠司ではないが、どれだけ、裏社会とのつながりを指摘されていても、ちゃんと首相を狙ってズウズウしく、政治活動をしているわけであり、何もしない、口先だけの無責任男で池田大作の子前原誠司よりは島田紳助の方が遥かにいい政治をするかも知れない。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

今日の一話:会社の実力を知る

今日の一話
8月29日

会社の実力を知る


私は今まで銀行にお金を借りに行って、断られた事はありません。これは決して誇張や自慢でもありませんが、計画を立て,[これだけお金が要りますから貸してください]と申し出て、

「これは松下さんいけません」と言われた事がないのです。

それはやはり、自分の会社の力というか、そういうものを正しく認識して、その範囲の中で銀行にお願いしていたからでしょう。

ですから銀行のほうもこれなら大丈夫だと信用して応じてくれたのだと思います。

大事なことは自らの会社の実力を正当に認識し、それに応じて事をなしていくことです。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

一日一言:宇宙

                8月29日

                  宇宙

宇宙は
山も川も海も天も
善も悪も 敵も味方も
一様に抱きかかえる偉大さを
持っていると共に
名もない 小さな草の実にも
小蟻の小さい卵にも
見残し無く
あたたかく 細やかな
愛情を注いでいる
本当の偉大なものというのは
そういうものだ
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )

今日の一話:身を捨てる覚悟


                 今日の一話
                 8月28日

                身を捨てる度胸

人生というものには、いろいろな問題があります。しかし、それらのことも過ぎ去ってみると、あの時に迷わないでやって本当によかったな、
というような場合が多いのです。

そこが大事な所だと思います。

ある場合には迷う事もあるでしょう。しかし、所詮迷ってもお互い自分の智恵裁量というものは本当は小さいものです。だから,「これはもう仕方がない。ここまで来たのだから、これ以上進んで結果がうまく行かなくても、それは運命だ」と度胸を決めてしまう。

そうした場合には、案外、困難だと思っていた事がスムーズにいって、むしろ非常に良い結果を生む、ということにもなるのではないかと思うのです。















コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ