goo

こころの除染という虚構 45

こころの除染という虚構

45

 『当該地点に居住していても仕事や用事などで家を離れる時間がある通常の生活形態であれば、年間20ミリシーベルトを超える懸念は少ない』

 故に『計画的避難地域とは異なり安全性の観点から、政府として区域全体に対して一律に避難を指示したり、産業活動に規制を掛けたりする状況ではない』と判断するものの、ただし一方で『年間20ミリシーベルトを超える可能性も否定はできない』

 その様な『地点』を特定避難勧奨地点とすることで、

『近辺の住民の方々に対する注意喚起や情報の提供、避難の支援や促進を行う』、新たな制度だという。この新たな避難制度の対象となったのは、南相馬市原町区大原、伊達市霊山町石田、伊達市霊山町上小国・(下小国を含む)の3地点。

 それにしてもわかりにくい。「地点」と「近辺の住民」とはイコールではないのか、その関係はどうなるのか。「地点」にならなくても、地点の近辺の住民であれば、注意喚起や情報の提供、避難の支援を受けられるのか?

 実際運用された実態は『地点』の住民と『地点でない住民』とはいくら近辺であっても。明確な線引きがなされ、地点でなければ注意喚起や情報提供も蚊帳の外。避難の支援も促進も全く受けられないという、地域共同体の暮らしをメチャクチャにするものだった。

何より「地点」かそうでないかの指定の根拠が曖昧だった。「放射線量」で決まるにも関わらず、そのモニタリングは住民からの信頼を得る方法で行われたとは言い難い。

ではどんな状況ならば『地点』として特定されるのか。官房長官=国の説明はこうだ。

 「雨どいの下や側溝など住居のごく一部の箇所の線量が高いからといって指定するのではなく、除染や近づかないなどの対応では対処が容易ではない年間20ミリシーベルトを超える地点を住居単位で特定する」

  では玄関と庭先が3マイクロシーベルト毎時、以下の数値だった高橋家の場合はどうか。それ以外のほとんどの敷地が3~4シーベルトの線量を有するにもかかわらず、たった2か所の測定だけで『対処が容易』と判断されるということか。

家の裏では8~9マイクロシーベルトの線量があちこちにあるにもかかわらず。

  繰り返すが、「地点」かそうでないかを決定する測定が敷地内のたった2か所なのだ。

その法的根拠も、計画的避難区域が、原子力災害対策特別措置法であるのに対し、「一律に避難を求める程の危険性はなく」、注意喚起としての支援表明であるので、法律に基づく避難等の指示ではないというのが政府の位置づけだ。何ともすっきりとしない曖昧さを残す。

 すなわち、避難してもしなくても良くて、その土地で農業や酪農をしても一向に構わず、ただし、「地点」に指定されれば、計画的避難区域と同等のものが補償されるという。

この避難の枠組みでとりわけ強調されたのが、

「妊婦や子どもがいる家庭の避難」だ。

妊婦は明確だが、子どもとは何歳までを指すのか。

しかし国の関与は、「自治体と相談していく」にとどまる。実際、同じ制度の適用を受けたにもかかわらず、伊達市と南相馬市は全く、異なる基準のもと、「地点」設定を進めていくことになる。

 伊達市は子どもを『小学生以下』としたが、

 南相馬市は『18歳以下』とした。

 この事により、伊達市では、中高生は避難というセーフティネットから振り落とされ、ことごとく高線量地帯に取り残されることとなった。続く

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )