goo

第6章:本当の姿・一・人物剖象

此処に到って姉の異常性に気付かされたのである。吉野姓の姉と雰囲気が違うのである。大幡姓での強欲な発言、態度が目立ってきた。創業時代は兎も角、今は何もしていないが高給付きの副社長なのである。従業員の手前、もう少し遠慮気味で謙虚な態度でいてくれればいいのだが。

それにしても結婚前の吉野時代は母や姉、私、弟、の四人とも気が合っていたし、本当にまとまって協力し合っていた筈だ。

姉の結婚後は何が狂い始めて今のようにギクシャクし出したのだろう?

『人間性』・・『価値観』・・『性格』・・『人相』どれをとっても、母と私と弟の三人と大幡姓の姉との間に溝が出来、昔の姉との違いを感じるのは何故なのだ?・・・

この時期は多忙な日常に追われて、『姓名画数と人生の研究』が手薄になっていた。改めて剖象(ぼうしょう・分析のこと)を試み、答えはこの中にあるはずだと思い、身内の姓名画数を精査した。

吉野政代。母 人格:野と政で19画:大凶。水性の陽
吉野紀子。姉 人格:野と紀で20画:大凶。水性の陰
吉野武喜。私 人格:野と武で19画:大凶。水性の陽
吉野武弘。弟 人格:野と武で19画:大凶。水性の陽
吉野精右衛門。長兄 人格:野と精で25画:大吉に凶を含む。土性の陽
大幡紀子。姉 人格:幡と紀で24画:大吉に凶を含む。火性の陰

大幡光二郎。人格;幡と光で21画:大吉に凶を含む。木性の陽
外格:大二郎で19画:大凶。

性格は「人格の一の位の数」で決まるが、吉野時代は四人とも水性の陽と陰で性格一致、相性吉の理想的にウマが合うかたちなのである。従って同じ家に生まれ、兄弟姉妹として育って仲良くウマが合う吉野紀子に応援する心が母、私、弟の三人に共通してあったのだ。

ところが、結婚して大幡紀子に成ると我々三人とは性格不一致、相性凶
でまるで合わなくなるのだ。まさしく水と火の相剋(そうこく)と成る。
しかし我々の長兄である、吉野精右衛門とはウマが合うように変化した。

大幡夫婦は相性吉、性格一致を形作り、それでいて二人とも神経異常、従って、全く価値観一致の『ウマが合う夫婦』を物語る。

母と私と弟の性格は水性であり、水が木を育てる如く、木性の大幡光二郎には一方的に尽くす要素になっている。つまり、大幡光二郎に尽くしっぱなしで、見返りを持てない、一方通行の組み合わせになっている。

大幡夫婦は困れば吉野側にすがり、どんなに支えられ、応援を受けても、後々感謝の気持ちを持てない。「吉野家を利用して自分達が得をすれば良い」とズルイ考え方をしているのだ。・・・徹底分析へ続く。



コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )

七・理解の落差

昭和48年12月,大幡海事工業株式会社に法人化し改組する事になった。アポロリースは私を代表者とするよう言ってきたが私は,創業者の大幡光二郎(40歳)を代表取締役社長とすることを報告した。

それに対してアポロは難色を示したが、昨日今日入って来たばかりの吉野では未だ若すぎるし、大幡の義兄が三人もいる社内のまとまりがつかない懸念がある。社員は25名に増えていたが、最高齢67歳で、28歳の私が最も若かったのである。

初めから何も無い状態で「私が会社を立ち上げる」なら話は別だが、あくまでも私の立場は『大幡家への助っ人』なのである。社内の一致結束を図る事を第一義として大幡光二郎の代表取締役就任をアポロ側に納得してもらったのだ。

但し大幡光二郎にはあくまで吉野の指示に従って貰うことを条件にした。大幡にしてもそのほうが楽で、一から十まで私の言うとおりに行動すれば、社会的には立派な社長で通るのだ。

立場を換え、私が大幡社長の身であったらどれほど楽で幸せかわからない。吉野という義弟が全てをやってくれるし、人前では完全に社長として自分を立ててくれる。妻を副社長として待遇してくれ、将来は大幡の長男に代表職をキチンと継がせると言う。ありがたくて吉野に手を合わせて拝んでいなくてはいけない。・・・・

事実、私の働き振りを見た大幡光二郎は”正常な状態”では

『信じられない、夢のようだ、こんなに良くやってくれる男だったとは予想以上だ。いま、金のわらじを履いて探してもこんな男は何処にもいないよ!』
と、会う人毎に感想を漏らしていたようだ。

ところが、”神経の状態が悪くなって来る”と,

『吉野がどうした!あいつは女房の弟というだけの男だ。なんだったら何時だってクビにしてやる!』とまるで掌(てのひら)を返すような言葉遣いと態度に変わるのである。

この様に私に対する“理解の落差”は極端に過ぎるのである。

姉は姉自身の給料を「もっと上げろ」とばかりに私に対して常に不満の気持ちを抱いていたようだ。

私は私の給料を大幡夫婦が決めるようにしていた。従って夫婦に私の能力を見抜く力がなく、更に私に何か不満があれば、私の給金はさっぱり上がらないことに成るのである。

反対に私を除く全員の給料は能力、勤務態度、人柄、貢献度、資格の種類、経験年数、家族構成などを基準に私が中心になって決めていたのである。

この時点で大幡社長30万円、姉の副社長20万円、吉野常務7万円である。

副社長に就任予定の姉の内心は「夫と自分にあと5万円ずつ上げろ」ということである。そうでなくても大幡夫婦には更に賞与などで厚遇しているのだ。

どんなに良くしてやっても「まだ足りない」と不満気なのだ。・・・人物剖象(ぼうしょう)へ続く



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

六・3秒が分けた生死

石巻を午後1時に出て河北町、飯野川という町に入ってから直ぐ居眠りを覚えた、ハッ!として目を醒ます。またいつの間にかウツラ、ウツラしては又目がさめる。右に山々、左手に北上川を見ながら、いま津山町を走っているな~というおぼろげな感覚のまま、国道45号線は北に方向を変え、左手に横山不動尊を見て山中に入り、ウトウトしてはハットしておもわず吾に帰る。

こんな事を繰り返し、石巻から45キロ先の志津川町に入ったが飯野川から志津川までの道中の記憶が余り定かでは無いのである。
かなり危険な状況であった。

思えばこの一年、中古のセドリックを弟から継いで北へ南へ3万5千キロは走った。

今も居眠りしながら左手に山すそ右手に海を見ながら宮古へ向け走っている。車は繰り返すカーブと緩やかな上り坂、下り坂の多い歌津町を走っていた。

突然「ピヨン、ピヨーン!!」というけたたましく大きな汽笛が鳴ったような気がした。瞬間に目を凝らすと約30メートル先の真正面に坂を下りて大型冷凍トラックが迫って来た。私はセンターラインを越えて完全に右側を走っていたのだ。

とっさに左へハンドルを切り、間一髪、辛うじて正面衝突をまぬがれた。

先方のクラクションが『あと3秒遅く鳴らされていたら』大幡光二郎も私もこの世の人間ではなかったのである。

完全・完璧に目が覚めた!

『危なかった!・助かった!』

文字通りの危機一髪だった。今日運転したくなかった『予感』はこのことだったのだ!!

私はこの年、1月に生れたばかりの息子の歩く姿を見ることもなしに死ぬわけには行かない!との思いを強くしてその後宮古まで一度も居眠りする事はなかった。大幡は何も知らずに相変わらずイビキをかいて寝ている。

『全くの極楽トンボ』である。

車は本吉町から気仙沼市を通り、更に唐桑町を通って雄大な広田湾を右に見ながら大理石海岸をすり抜け、岩手県の陸前高田市へ入る。ゆったりした峠を越えて頂上から眼下に見下ろす大船渡湾から太平洋の雄壮な眺めは石巻から宮古までの国道45号線の中ではもっとも好きな眺望である。

雄大な自然の息吹をいやと言うほど見せ付けられて、この自然の大きさに比べたとき、人間社会の営みなど何という“ちっぽけ”さであろうか!

やがて大船渡市に入り、大峠を越えて三陸町の越喜来(おきらい)を過ぎ、鍬台トンネルの手前に高台があるが、此処へ車を止めてトイレ休憩をする。ここから太平洋の大海を見渡す眺めも本当に素晴らしい。

小白浜のトンネルを過ぎて鉄の町釜石市へ、大槌町、更に海の十和田湖と言われる山田湾の山田町、へと続く。これらの景観で私はどれだけ癒されたか解らないリアス式の貴重な自然がある。

そうこうして、この日宮古へは夜7時30分に着き、常宿へ、入浴し夜食の後、それこそ「死んだように」翌朝まで眠ったのである。・・・理解の落差へ続く。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

五・無理強い

『なに馬鹿なことを言ってるんだ!!・高知県まで物見遊山で行ってたんじゃないだろう!!今度の新造船は我々の将来を決める大事な船で、そのことは姉さんもわかっているだろう?新しいクレーンの調子がいいか、悪いかで大幡海事工業所の命運が決まるんだよ。

アポロへ行って契約解除を申し出た“この間の件”でアポロに不信感を与えてしまった義兄はもう少し反省して大人しくしていてもらわないとね。』

姉も免許を持って居らず車の運転はできない。したがって運転する者の辛さ、疲労、大変さをまるで理解できてはいないのだ。普通の人ならたとえ運転免許が無くても想像で長距離運転の大変さは理解できるのだがこの夫婦は違っていた。

『私も生身の体なんだよ、疲れてずうっと居眠りしながら今やっと帰って来た。これから休んで明日朝4時に此処を出れば10時まで宮古へ着くからそうするよ。以前に弟が事故を起した時も恐らくこんな状態だったはずだ!』

「またオヤジ(姉は夫の光二郎をそう呼ぶ)に騒がれるとオレ(姉は自分のことをそのように言う)が困るからなんとかオヤジの言う通りにして宮古へ連れていって欲しい」やっぱり姉までがそうなのか?・・・

『こりゃ、この夫婦に殺されてしまうぞ!』本当にそう思った。
全く大迷惑な要求である。かといって今の今、大幡を入院させるには準備の不足で不可能だ。ならば大幡の言いなりで、いかにも子供にドライブをせがまれた父親が仕方なく子供の為に運転する如く、「眠いのを我慢して」宮古へ向けて運転するか、明日にするか迷うところであった。

一番いいのは本人が今日は静かにして私を休ませ、明日の宮古行きに納得することなのだが。大幡の目的は「私を困らせる事」であるゆえ、「何が何でも宮古へ向けて運転しろ」と言う“病的要求”をするわけである。

何時か東京で、『吉野武喜は人の何倍も苦労して早死にする』と言われたことを私はしきりに思い出していたのである。

仕方なくインスタントラーメンを事務所で食し、大幡光二郎が薬を飲むことを条件にして彼を乗せて宮古へ向った。分裂症状の起きかかっている光二郎は石巻を出て直ぐグオウ、グオウと大口を開けて寝ている。病院から貰っている安定剤を飲むとそうなるのだ。

大幡夫婦の目的は私に対する完全な嫌がらせである。

「散々四国まで・遊びに行って来て・疲れたとは何事だ」という理屈なのである。社運を懸けたクレーンの製作という重要な事柄をまるで認識できないので有る。

大幡光二郎は正常に近い状況では吉野の意見に絶対的に従い、精神に不安状況を生じると被害妄想と猜疑心を強くして吉野を見る。結果として誰の言う事も聞かなくなる。そうなると入院で治療ということに成る。

何かをしたいという意思を出す時は未だいいほうなのである。だから普通なら喜んで宮古でもどこへでも行くが、今日ばかりは私も疲れていて運転できる状況にないのだ。

ところが大幡は吉野が疲れて帰ってきた事をわかっていながら、とにかく運転させればいいのだ。万が一の場合は自分も危ないという認識をまるで持てないのである。・・・・3秒が分けた生死、へ続く。




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

号外第3号:ホンダの社長交代

先日、トヨタ自動車において豊田章男さんが6月に社長就任の予定であることを、発表したが,実現すればトヨタでは初めて完全大吉名の運気100点の代表者が誕生する事になる。

昨2月23日夜、本田技研工業においても55歳の新しい社長が就任する事になったという、テレビニュースでの発表が有った。

その名を伊東孝紳(いとう・たかのぶ)さんというのだそうである。

偶然ということが有るもので、なんと、この新社長も運気100点の
完全大吉名者である。伊東氏はこれまでも活躍してきたには違いないが、この未曾有の経済危機の中で社運を託すに足る優秀な人との評価があってこその専務から社長への就任となったのだと思われる。

伊東孝紳(6・8・7・11):運気の強さ100点。

天格・伊東で14画。人格・東孝で15画大吉。地格・孝紳で18画大吉。総格・伊東孝紳で32画大吉。

成功運:天(四)―人(五)で大吉:先輩、上位の愛護あり、若しくは父祖の余徳を得て安寿なり。

基礎運:人(五)―地(八)で大吉:大いなる安定と発展を得る。

人格(主運)15画:大吉。福寿円満の形で順和、温良,雅量に富み、上位より恵沢を受け、徳望を得て大業を成就し、富貴、栄誉に時めく。家を興し、榮を致し、有徳,慈祥,自ら得たる最大の吉運なり。

総格(後運)32画:大吉。僥倖多望の運格。俗に云う、濡れ手に粟の誘導あり,上長の引き立て厚く、時を得れば、破竹の勢いを以て成功す。温良の性質にて、他の愛顧深きは最大の徳にして、家門の隆昌は,至上の幸福なり。

世間は、困難な時期に社長になって大変だと思うだろうが、運気100点の新社長は充分にこの危機を乗り切るだけの実力を備えているのである。それを又、社内の誰もが認めるだけの実績も積んでいるのである。

トヨタとホンダは自然の理に適(かな)って、運気100点の完全大吉名者を選んだと思うが、近き将来、この二社の立ち直りは早い筈だ。

特にホンダはハイブリッド車のインサイトを100万円台後半の値段で勝負に出たが、この車は相当売れると思う。

政治の世界も完全大吉名者の小沢一郎が総理になれれば、(国民が彼を総理に選ぶならば)、初めて完全大吉名、運気100点の総理大臣の誕生となり、『日本の政治は必ずよくなる』筈だ。麻生太郎の精神異常者では日本を間違いなく滅ぼす事に成る。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

四・僻(ひが)み

アポロは山西造船の件以来、大幡光二郎を全く信用しなくなり、全ての案件について吉野を交渉相手としていた。大幡光二郎と姉の紀子にとってはこの事についても吉野にヒガミから悪感情を持ち始めたようである。何かにつけて

『大幡を差し置いて』とイヤミを言っていたが、次第に『このままでは吉野に事業体を乗っ取られてしまう』と夫婦共同で私への被害妄想を抱き始めたようである。

一先ず、クレーン製造の方は問題点を解決してどうやら性能上の目途が立ち、石巻へ帰ることになった。5日間留守にしたことに成る。28歳の若さながら正直なところ疲労困憊した。高知から大阪。大阪から羽田。東京一泊、羽田から仙台。仙台から仙石線の電車で石巻へ向かい、昼近くに石巻駅へ着いた。

駅から事務所に直接顔を出すと大幡光二郎は待ってましたとばかりに、

今から岩手県の宮古まで仕事の打ち合わせがあるから車を運転しろ!』と言う、

石巻から国道45号線を走り、気仙沼を通って峠道を上り下りし、陸前高田、大船渡、釜石、山田、宮古、曲がり道など多く、途中には工事中の箇所もあり道路事情が悪いので宮古までは220キロの道を7~8時間はかかるのである。

このまま走っても到着は夜に成る。大幡光二郎の用事があるという相手は運輸省・港湾建設局の役人である。5時で役所は終わる。夕方4時前に相手と会わなければ用を足せない。従って物理的に無理なのである。

『明日の朝4時に此処を出れば朝のうちは道が混まないので宮古へ10時までに着く、今日は私を休ませて欲しい』と

どんなに筋道を通して説明しても大幡はこれから

「宮古へ向けて運転しろ」と言う。用件というのは名目であり、実質は私に運転させて困らせることなのだ。分裂の症状が出始めてきた様だ。

事務所の道路向かいにある大幡の自宅ヘ行き玄関へ入って姉を呼んだ。

『義兄はずーっと薬を飲んでいたの?』

「飲んでいたようだよ」副作用で口と鼻が乾燥し、それを嫌って本人は時として薬を飲んだ振りしてトイレへ流したりもするのだ。だからキチンと姉の前で飲ませるようにしてくれないと困るのである。ましてや

「飲んでいたようだ」というのは想像であって事実を見たというわけではないのだ。無責任な答えようである。

細かな事を言うようだが「この様な病気を持った人の家族」は本人にきめ細かい対応をする必要がある。感情の起伏、言葉の変化、目つき、顔つき、顔色、食欲、行動、凶暴性の有無、などなど、病院側の医師との連絡も大事なのである。

状態の急変があれば、緊急入院や強制入院させる必要もでてくるのである。それだけ周囲の人間の負担が大きく、心身ともに疲れてしまうのである。この酷(ひど)さは「病人と一緒に暮らしたことの無い人達にはなかなかわかって貰えない」、悩み、苦しみなのである。

姉が夫の病気にウンザリする気持ちも充分にわかるが、周囲も一生懸命頑張って居る訳で、もうすこし夫の事に注意を払って欲しいのである。姉は近いうちに設立する法人の副社長の予定者でもあり、今でも高額の給金を受けているのである。

『今から宮古へ行くと言って騒いでいるが、一体どうしたんだ?』

「吉野が帰ってきたら『コキ使う』と言っていたのでアポロから吉野だけが招待された事への嫌がらせで言ってるのじゃないかな。」・・・無理強い。へ続く。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

三・第三公福丸の船出

対山西造船所との契約は半月以内にまとまった。此処に第三公福丸は建造へ向けて文字通り船出したのである。私は第二公福丸から大幡の義兄である、川下紀悦を陸上勤務とし、船舶部長として新造船の任に当たって貰った。

山西の船は全体がスマートで速力は出るが、船尾の幅が足りないと物をつかんでクレーンを旋回させた時は横揺れする可能性がある。それと喫水が深くなって、水深の浅い地点の工事には適さない。従って船体中央部の設計と同様に10メートルの幅で船尾を造るようお願いしたが、それでは速力が出ないと言う。

レジャーボートではないから速力は第一義ではないはずで、特に山西側の言う船体なら700馬力のエンジンで事足りる。・・が、我々は別途で1、000馬力のエンジンを用意したので、船尾を10メートルの幅で設計しても速力については心配なかったはずだ。

後でわかったことだが、いつの間にか大幡が山西へ行って,『吉野は船に関してはど素人なので、吉野の言う事を気にせず山西の思うようにやって貰って結構だ』と話していたらしい。もとより漁船を造るなら私は100%山西に任せても良かった。

しかし今回は山西が初めて建造する作業船である。いい船を造って貰うために何かにつけて注文をつける吉野は山西の側から評判が悪く、時どき、山西の職員や作業員を酒食でもてなし、彼らの機嫌を取る大幡は『話のわかる大幡社長さん』と言われて一人ご満悦の日々を過ごしていた。

吉野は総務部長、大幡は代表である。アポロと違って山西は大幡と私の関係を知らず、勿論大幡の病状についても知らない。結果的に大幡の意見を重んじる。私と面識の薄い、山西の建造現場は大幡と馴れ合いになって行った。・・・
・ (後日、山西は最船尾をたった1メートルに仕上げたのである。作業船を造った経験の無い悲しさか、当然のことながら、第三公福丸はクレーンが旋回する時の横揺れがヒドかった)。

道一本隔てた大幡宅の向かいに60坪ほどの土地を買い、二階建ての事務所を新築、男女2名の事務職員を採用し、個人経営の大幡海事工業所を法人化する準備を始めた。と同時に高知市のクレーンのメーカーとの製作協議に入った。

5月半ば高知市にあるクレーンのメーカーに川下船舶部長(43歳)と第3公福丸のクレーン士斎藤高也(30歳)の二名を派遣し、クレーンの開発に参画させた。なかなか思うように機械の性能が仕上がらずにメーカー技術陣と当所二名の社員は悪戦苦闘を繰り返していた。

6月に入ってアポロの河島部長と私でメーカーへ視察と二名の激励の為に足を運んだ。何せ、クレーンだけで1億円の設備投資なのである。これの出来の良し悪しが当所の命運を握るのである。なんとしても良いものを造る必要に迫られていた。

ところが、大幡光二郎は代表の自分は差し置かれ、アポロから「吉野だけが『四国見物』に招待された」という「誤解とヒガミ」の感情を持ったらしく、毎日大幡の事務所で「面白くない!吉野が帰ってきたら、寝かせずに働かせる」とブツブツ言っているという事務員からの報告があった。何とも情けないが、大幡の病状がまた悪くなってきているのだ。まるで現状認識が出来ず、常に精神に異常性を有してこういう場合の大幡の人間性は極端に幼稚さを示すのである。・・・・僻(ひが)み、に続く


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

二・言葉の持つ力

『作業船は手がけた事がないと仰(おっしゃ)るんでしょう?技術屋さんの立場から自信が無いのではないかと思いますよ、うまくいって当たり前、失敗すれば会社の信用にマイナスのみならず、自分達技術屋の名誉にかかわると思っているのですよね。

何時までも漁船だけにこだわらず、作業船、貨物船、各種専用船、フエリーなど将来を展望して技術の転換を図るべく対応して行かなかったら将来は無いでしょう。その意味で我々が実験台になりますよ。思い切ってやってみませんか?』

「・・・・解りました。そこまで仰っていただけるなら、やらせていただきます」と社長さんが言った。何のことは無い、技術的に未経験から来る不安があったのだ・・・だからこそ、私は「100%任せても良い経験豊かな関西か四国での建造」を先日まで考えていたのであるが・・・

(その後、200海里問題が起きて漁船の建造が激減した。株式会社:山西造船所は倒産し会社更生法の適用を受け、ヤマニシと社名を変更して石巻市川口町から、東松島市大曲地区へ移転し2009年の現在では数千~1万トン級の貨物船、カーフエリー,客船などを建造している)

結果的にその私が山西を励ましながら、山西に建造への決断を促したこことに成る。元はといえば大幡の勝手な行動に振り回された結果だが、筋書き通りに行かない人生の意外な展開を思い知る事になったのである。

「アポロリースさんがお見えになりました」と告げられ、応接室は山西四人、大幡側は吉野とアポロ三人の計四人合計八人の初の顔合わせ会となった。名刺交換の後、

『ただいま、山西さんで造っていただくことが決まりました』と私からアポロ側に話の経過を説明した。

「何ならこの金を手付けとして置いても良いですよ」とアポロの木島常務がトランクをテーブルの上に置いてから山西側に見えるようにフタを開けた。例の5千万円が入っている。

「いや吉野部長さんの説明でアポロリース様の事はよくわかりました。これから宜しくお願い致します。そのお金は契約時に頂戴します。どうぞそれまでアポロ様で納めおいて下さい」・・・

これを『人生の妙』と言うのであろうか。たった30分前まではお互いに知らぬ者同士が大幡の2億円での作業船を造る目的でまとまった。

山西造船はユーザーの求める船を造るのが商売。
アポロリースはその資金提供での利ざや稼ぎが商売。
大幡海事工業所はその船で港湾工事を請け負うのが商売。

三社の足並みが揃って初めて実現する。それを可能にするのは誠心誠意で話す『言葉の持つ力』である。その力で人の心が動く。このことを勉強させられた28歳になりたての春だった。・・・・第三公福丸の船出へ続く。




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

第5章:ひたすら前進・一・山西造船を買うぞ!

大幡は70坪の家を建てている最中も、完成後も偶然道で出逢った雄勝出身者をわざわざ自宅へ連れ帰り、20分、30分と時間をかけて家の中を自慢して見せるのである。急用のある人、用件途中の人等迷惑そうな顔をしていても、全くお構いなしなのである。自分勝手で独善独断の要素が強い男なのである。

今、社運を懸けて2億円の資金を使い、いい作業船を造ろうとする時に、『他人にいい格好をしたいからという理由で造船所を選ぶ者はこの大幡光二郎という男を除いては皆無』であろう。

作業船を造る優良な造船所は関西、四国に集中していたので、それらの中からいいところへ発注しようと思っていた私だったが、資金の出し手のアポロ側が山西にコケにされたと意地になったせいもあり、本来なら依頼したくなかった石巻の山西造船所へ明日『大幡の作業船を造るように交渉しに行く』という何ともネジレタ事態になってしまった。

翌日朝に電話で連絡し、私一人で山西の本社に出向いて行った。9時半ころに応接室へ入り、社長、以下三名計四名と対面した。名刺を交換した後、初めに山西の営業部の者が私に言った。

「今漁船建造が集中し多くの船主に順番を待ってもらって恐縮しております。これ以上船台の確保が難しいので、大幡さんの新造船は無理だと思っています」

『一昨日、大幡が来た折にアポロリースという会社を聞いた事もないし,わからないので、“その様な会社を裏付けにして船は造れない”と話されたそうですが、今のお話とは造れない理由が違いますね?』

営業部長の肩書きを持った人が言う
「今余りにも忙しいので、正直なところ、船を造りたい人に怒らせないようにお断りするのが今の営業の仕事なのです」確かに忙しかったようだ。それにしても・注文を受けずに断るのが営業の仕事・だというのだ。

『うらやましいですね。御社は幸せな会社ですよ。ところでアポロリースという会社がどういう会社なのか昨日調べてみた方はいらっしゃいますか?』

「・・・・・」全員無言。

『聞いた事も無い会社なら、余計に調べる必要も有ったのではないですか?。武蔵野銀行をバックにして、相当な資金量でリース事業に乗りだした会社です。創業二年目ですがやる気満々の会社ですよ。パンフレットを持ってきましたから参考にしてください。余談ですが,あなた方に会社を売る気があるなら,この山西さんをスッポリ買い取らせてもらっても良いと言っています』

「いやいや、決してその様な意味ではないと思います。正直忙しくて現場が悩んでいる事は確かなのです。私は今初めてアポロさんの事をお聞きしました。ただ・・・」と社長さんが言葉を濁す・・言葉の持つ力、へ続く


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

六・大変だねえ!

大幡は、昨日の夕刻、山西造船所に出かけて船を造りたいと申し出をしたが、山西では『アポロリースという聞いた事のない会社』が大幡に資金を出すと言っても『信用できない』から、『オリエントリースの様な名のある会社』から建造資金の応援をして貰ったらいいのでは?・・・と話をされ、昨晩一睡もせず、今朝早々と電車に乗り、アポロリースの本社に来たのだという。

『仮にアポロさんが契約を解除してくれたとして、後はどうする気なの?』

「それを何とかするのがお前の仕事だろう!」と私に言う。

『何言ってるの!アポロさんも私も今度のあなたの行動は寝耳に水だよ。あなたは二つの約束を破っているんだよ。一つはアポロさんとの約束、もうひとつは私との約束,何でも私が指示した通りに行動する約束だったよね。どうして勝手な行動するの?』

大幡はポロポロ涙を流し、それを両手の甲で拭きながら
「悪かった・・・」と、うつむいたまま小声で言う、まるで幼稚園児の姿である。

山西を相手にせず、関西方面に発注すれば良いのだが、山西から「信用できない」と言われたアポロ側は山西にプライドを傷つけられたと受け取ってしまい、意地になってしまった。私も瞬間に関西での建造を諦めざるを得なかった。

『ご覧の通りです。これでは事業が立ち行きません。大幡を近々に法人化して体制を整えます。今回の件は明日私が山西へ行って船を造るように話をまとめます。場合によったらアポロの金で山西造船所を買い取るぐらいの話をしますので、それは了解しておいて下さい。向こうがアポロの中味を知らず一方的にコケにするならアポロリースには“その位の力があるのだ”ということを示しておきたいのです。』

「それは面白いね、20億も出せば山西を買えるかな」と安藤社長。

「大幡の船を造るよりも面白い話だな」と木島常務。

『もし可能なら明日午前十時に5千万円、手付け金でもいい、契約金でもいい、単に見せ金でもいいですからトランクに入れて持ってきて下さい。彼らにアポロリースをコケにすると大変な事に成ると思わせましょう。良い船を造らせるためにもそれは必要な事でしょう。大幡のように軽くいい加減に扱われたら困りますからね』

解りました明日の十時だね、これから用意します。木島、河島、太田の三人で山西へ5千万円持って行かせます」と安藤社長はニコニコ笑って了承してくれた。

「吉野部長さんも大変だねぇ!でも我々はどんな事でも前向きに協力しますから頑張ってくださいね」と安藤社長さんや木島常務さんに励まされたのである。

一年前まで知らない者同士が今「20億円を貸せと言えば貸す」と言う。
まさに“正直は力”である。

義兄大幡光二郎は帰りの車の中で、何事も無かったかのように平気な顔をしている。内心ではこれで山西造船所での建造が実現できそうだと喜んでいるのだ。何せ虚栄心の塊みたいなところがあって、石巻で船を造って雄勝の船主達に大した者だと誉められたい一心なのである。

嘗てあこがれた雲の上の存在だと思っていた名振丸,雄勝丸、或いは石巻地区漁船関係の船主達の耳に早く届いて欲しい。病的な見榮っ張りでそのことしか頭に無いのである。・・・山西造船を買うぞ!に続く。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ