日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
さすが 山本太郎!!
さすが、山本太郎!!
9月11日・第四次安倍内閣の第2次内閣改造について、談話が出ていないのは「れいわ」だけだと言われたのでコメントします。
「出涸(でがら)しお友達内閣に関してのコメントは特にございません。
そんなことより、千葉の復旧に政府として全力で取り組んでください」
さすが山本太郎!これぞ総理の器!!(←永人)
心の除染という虚構27
心の除染という虚構
27
真理は当時のことを振り返りながらそばにいる娘の詩織に笑う。
「お母さん、人生、もう終ったって思ったよ。苦労してやっと建てた家なのに何のためにこれまでやって来たんだろうって・・・」
それでも「地震に強い」鉄骨の家。先ほどの水田家の様に『家の中に居るのが怖い』と外で過ごす必要はなかった。
「鉄骨のフレームで出来ている家なので、そうは壊れないだろうという安心感はありました。ウチの地区は停電になったのですが、自家発電できるようになっていたし、エコキュートで水は確保されてあるので、蛇口の水は止まっても家の外のエコキュートのタンクから水を取り出せば何とかなるし」
夫も無事帰宅し、家族が全員そろったので、真理は実家に一人でいる母の様子を見に行った。
「実家は電気が通っていたので、母はずっと津波の映像を見ていたそうです。母は大丈夫だし、父も病院で安全なので家に戻ったのですが、この日は、津波のことも、まして原発のことも何もわかっていなかった」
そんなことよりショックだったのは、この日の午後に予定されていた父の検査が、地震により延期されたことだった。
「検査して治療して、家に帰ってくるはずだったのに、検査もできずに、そのままずるずると入院していて、父は刻一刻と状態が悪くなって行きました。そのうちに動けなくなって・・・。
元気に家に帰るものだとばかり、思っていたのに」
父は家についに戻ることなく、5月初旬に亡くなってしまうのだが、ゆえに、地震後の真理の心を覆っていたのは、ひとえに父の容態だった。
「もちろん、地震が有って、津波が起きたというのはわかっていました。3月13日に、祖母の49日法要が有ったのですが、その時はまだ、原発が爆発したのは知らなくて、お寺で親戚としゃべったのは、地震がすごかったねってそれだけです」
爆発を知ったのは、14日のこと。でもそれは遠い場所でのことだった。「私たちは60キロも離れて居るし、テレビで見た同心円の中には入っていないから、うちらには関係ないもんだと思っていました」真理がガス検針の仕事を再開したのは、その14日のことだ。
会社から「地震でガスボンベが外れていないか点検するよう」に連絡が入ったため、14日の午後に保原町柱沢地区を車で点検に走った。車を止めては1軒1軒ガスメーターの場所に行くという確認作業を午後目いっぱいかけて行った。点検車には特別に、ガソリンが支給された。
翌15日には、自分の担当エリアである上保原と富成地域を1軒1軒、同じように車を近くに止めては、歩いて点検と検針に回った。
「後でわかったんですが、私が回っていたのって、全部線量が高い地域ばっかりだったんです。15日には仕事が終わった後に顔が物凄くヒリヒリして、どうしてこんなに痛いんだろうって。まさか日焼けじゃないだろうって」 続く