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八・巡視船での取調べ

翌日、釜石港に接岸している第二管区海上保安本部釜石海上保安署の巡視船“かまいし”に10時まで入り、参考人としての取調べを受けた。

第十五公福丸船員による,「岩手県・漁業取締り規則違反事件」について。
いわゆる小白浜アワビ密猟事件での会社経営者として現場職員に対する

一、日常の教育指導について。

二、事件発生後の処置について

三、再発防止策について
以上の三点に付き、日ごろどのような対処をしていたのか、経営者としての見解を訊きただし、過失があれば業務上の過失責任を課すという。

一・は、当然のことながら、毎日社員を信用して現場で働いてもらっている事であり、どの船のどの船員にも社会常識を分きまえた社員としての信頼で雇用契約を行っているのであり、地元の人たちに感謝されこそすれ、決して陰口を言われる事の無い様に常々指導を徹底している事。

二・は、関係方面魚業組合や、県出先機関、元請業者へのお詫びと再発防止策の書面を提出する事を約束したこと。

三・は、今後社内規定を厳しく見直し、具体的罰則を設けて再発の防止を徹底したい。少なくとも毎日の朝礼に各現場で日常の心得を復唱させること。などを話し、会社経営に当たる幹部の供述として、いわゆる供述調書に署名捺印した。

その後の雑談で取調べに当たった海上保安官が言った。その方は40歳になると言う。

「ねえ吉野さん。大人の親指の爪ほどの小さなアワビ、それもたった13個だが黙って取ればたった1個でも、どんなに小さくても、盗んだと言われる。口惜しいでしょう?」

『残念ですね。地元の人たちには・ご苦労様・ありがとう・と言って普段は感謝されているのですが、ついつい甘えが出るのですかね。口惜しいと言うよりひたすら反省しています。

見つかったのは運が悪いとか、その様な考え方をされたら再犯につながりますから、そういうことの無いように、徹底指導します。ご迷惑をおかけました』と頭を下げた。

昼までには取調べが終わった。
「遠いところをご苦労様でした」と海上保安官に小さく頭を下げられた。

巡視船を降りて、早めの昼食を取り、小白浜の第十五公福丸に立ち寄った。船のサロンで8名の船員を集め、『繰り返しこの様な事の無いように』厳重に注意し、自覚を促した。情けなくて注意する方が泣けてくる。

午後1時、釜石市小白浜を出て国道45号線最長の鍬台(くわだい)トンネル(総延長2,305米)を抜けて直ぐ右手に気仙郡三陸町吉浜のドライブインがあり、そこへ入った。吉浜(よしはま)湾・全体を見下ろす此処からの眺望が一番勇壮な感じがして時々立ち寄るのだ。

太平洋に続く吉浜湾のコバルト色の海,そこへ迫る岬や山々の紅葉の赤と黄の織り成すこの世のものとも思えない美しい眺めに浸っていると日常の辛いと思われる心もすっかり洗い流されるのである。・・・
第11章:要らざる事柄・一・経理担当者へ続く。



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七・ここは内科です

「食事ですよ」と言われ食堂に行ったが、どうも歯の痛みが止まらない。ひと口だけ箸をつけたが食べられない。

『この辺に医者と名の付くところはありませんか?』と聞いてみた。
「5軒ほど大船渡側に行った隣に内科と産婦人科が並んでいるよ。
手前が内科、向こう隣が産婦人科ですよ。どうかしましたか?」

『歯が痛くてね、先ほどから痛み出したんです』

「歯医者は釜石市街地に行かないとね、もう五時だからどうかねえ」

『いやいや、医者と名が付けば何処でもいいんです。医者のところには
麻酔があるでしょうから・・・』

「ええッ・・・そんな!歯医者でなくて大丈夫なのですか?」

『大丈夫です。帰ってきたら、もう一度夕飯を温めなおして下さい』、

と食事をいったん引きとって貰い、保険証を持って教えられた通りに行って見ると手前に『田村内科』の看板が見えてきた。

『ごめんください』と入って行った。受付には誰もいない、仕方なく靴を脱いでスリッパに履き替え、診察室の中に入って行った。

「何でしょうか?」と50代くらいの白衣の眼鏡をかけた女性。

『実はそこのレストハウスに泊まることになった者ですが、急に歯が痛み出して食事も出来ません。宮城の石巻から来ました。どうか痛む歯の上に麻酔を打って頂けませんか?』と言いながら健康保険証を手渡した。

「表の看板は見なかったのですか?此処は内科ですから歯の治療は出来ません。歯医者ではありませんから・・・」

『勿論です。そのことはわかっています。先生、麻酔は有るでしょう?私が言う歯の上の腫れているところに麻酔を打ってくださいませんか?今は痛みを止めるだけでいいのです。治療は石巻に帰ってからキチンと歯医者に行って受けますから!お願いします先生!』

「私で三代、ここの場所で医者をやっていますけどね、歯の痛い人が飛び込んできたのは初めてです。どうしましょう。責任持ちませんよ」

『もっともです。責任は全部私が持ちますから、よろしくお願いします』

女医さんは仕方がないと思ったのか、小さく笑いながら別の部屋から小ぶりの注射器を持ってきて、大きく口を開け、此処ですと示した私の左上の腫れている歯茎に麻酔の注射をうってくれた。周囲に患者か看護婦か解らない3人程の女の人たちがいたが、私を見ながらクスクスと笑っている。

『有難うございます。助かりました。もう痛みが止まりました。先生、御代を・・・』

「それじゃ100円頂きます」

『本当に有難うございました。助けて頂きました。』お礼を述べて保険証を受け取り、レストハウスに戻った。その間20分位であろうか。

『吉野です!すみません、夕食お願いします』

「アラ早いですね。もういいのですか?」

『さすが麻酔ですね、もう痛みは止まりましたよ』・・巡視船での取調べ。へ続く

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六・報道の恐さ

翌日「健康保険証と認め印」を持って石巻を出発した。左上の奥歯が虫に食われてボツボツ痛み出す頃だと思われたが、いつ痛み出してもおかしくないと思い、念のため、保険証を持ったのである。認め印は取り調べの調書に押す為である。

途中、石巻から120キロ走って、大船渡市の日産建設大船渡事業所へ行った。
「駄目だろう!吉野君、折角いい仕事をして岩手県の港湾課から優良工事として認められ、今年も表彰を受ける事になっているのにこんな馬鹿げた事で水産課から文句が出るような失策をするなんて何を考えているんだね!」

『大変申し訳ございません。二度とこのような事の無いように対策を取り、処置しますので、どうか今度ばかりは善処を願います。』

「大幡社長の調子は相変わらず良くないのかね?」

『どうもすみません』

「吉野君も苦労だねえ~」

釜石市内で発行している「新聞」を見せられた、大きな活字で

“作業船員がアワビ密漁”と書いてある。日産建設株式会社の工事作業船の船員と書いてあった。これでは日産建設が怒るはずである。このとき日産建設所有の作業船も同じ場所にいたので、だれがみても日産建設の船が密漁した事に解釈する。宮城県石巻の大幡海事工業株式会社所有の工事船とは何処にも書かれていないのである。しかも小白浜作業所にいた船には大幡の工事船にも全部に、日産建設株式会社の社旗が掲げられてあった。

アワビ13個を密漁としているが、動機や、採ったあわびの大きさ、被害金額などは掲載されていない。直径、1,5~2センチのアワビの稚
貝がいくらの値段かはわからないし、13個でどのくらいの重さに成るのか解らないが、食するには適さない大きさである。一般に購入しても1キロgで2,000円ぐらいである。とに角詳しい報道にはなっていない。

読者はまさか、稚貝とは知らず、普通のアワビと解釈する。しかも動機は自分の部屋で小さな水槽で育ててみたいと思ったことからだという。此処をキチント報道して欲しかったが、この事実では大きく報道できなかったので無視したのだろうか?『報道の恐さ』を思い知らされた。

唐丹湾(とうにわん)の奥に小白浜漁港がある。国鉄大船渡線の唐丹駅があり、国道45号線の左手にある小白浜レストハウスに宿をとることにした。それまで何度も利用している宿だ。そこからは雄大な唐丹湾が一望できる。

先ず車をそこへ置き45号線をまたぎ、歩いて坂道を降りて、日産建設の小白浜作業所へ行き、所長さんにお詫びの挨拶を申し上げ、一先ず宿に帰った。何となく左の歯がじくじくし出した。痛む歯の付け根がはれている。・・・此処は内科です。へ続く。



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五・初の元請受注

昭和51年宮城県石巻漁港事務所発注の雄勝町大浜地区の漁港修築事業を県発注の事業を指名業者として初めて受注したが施工場所は大幡代表の実家の直ぐ前である。

思えば、この場所は、私が高校時代に大幡夫婦に連れてこられ、アワビを取りに大幡が小船を繰り出したあの船着場なのだ。そこに大きな岸壁や防波堤を造るのである。営業で苦労に苦労を重ねて得た成果である

この前の年にはある業者の常務さんから「業界の意向」だとして「大幡が公共工事を受注するのは50年早い」と、圧力を受けてから,わずか1年で受注業者に成れた訳で、本当に努力の実績を改めて認識した。

この工事は足掛け5カ年をかけて落札受注し、立派に完成した。
この事を皮切りに、仙台港湾事務所。運輸省第二港湾建設局。などに元請業者としての実績を残して行った。

私自身の改名を使い始めた年から念願の元請への進出を図る事が出来たのは、運気強化という変化のなせる業だと思ったものである。

大幡海事工業の石巻工業高校から入社した新人や中途採用の技術者を大都工業株式会社の仙台工事事務所に一年間派遣して港湾工事の手法を徹底的に学んでもらった。書類作成のいろは・施工の実務・などである。

実際に工事を受注した段階で彼ら技術者たちを派遣先から大幡の社に戻し施工現場に投入して行ったのである。こうした努力が少しずつ実を結んで、発注者の県や国から信頼を勝ち取って行った。その結果、指名の本数が増えて行ったのである。

又『大幡海事工業』の社名が海の専門業者をイメージする要素が強かったが、陸上の工事部門の施工体制も整え,陸上の工事も少しずつ増やして行った。大幡代表に『大幡建設工業』と社名の変更を促したが,海との関係を絶ち切れない大幡の心はそれに同意する事は無かった。

この時期は私自身も「1級土木施工管理技士」の資格を取るため、様々な体験を積み一種の修業を重ねた。これを契機にして、七ヶ浜町の花渕浜漁港,松が浜漁港。塩釜市の寒風沢漁港等、次々に施工していった。

昭和51年10月、大浜漁港工事の竣工検査に立ち会い中、突然船舶電話で連絡があり,『釜石海上保安部から40トン吊りクレーン台船の件で呼び出しが有ったという。

岩手県漁業規則違反だという。なんでも直径1,5~2センチのアワビの稚貝を水槽で飼育し干渉する事を目的に13個ほど釜石市、小白浜の工事現場の近くで採取した事を見咎められ、その船員が検挙されたのだ』という。

代表者が明後日午前10時に釜石海上保安署へ出頭するように言ってきたという。精神的に不安定の大幡を行かせる訳には行かない。代わりに自分が行く事にした。船舶電話で元請の日産建設株式会社大船渡営業所にお詫びの電話をしたが、所長さんから大変な剣幕のお叱りを受けた。・・・報道の怖さへ続く。
















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五・初の元請受注


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四・笑顔で一先ず安心?

左が4号線で青森市方面。右が我々の目指すむつ市へ向う国道279号線である。この国道は野辺地を起点にむつ市を通り、下北半島の最北西端、高給マグロ漁で有名な大間町を終点とする道である。我々は右に国鉄大湊線。左に野辺地湾を見る形で、(実際は夜なのであまりよく見えない)海沿いをひたすら真北に向け車を走らせた。

菜の花が綺麗な横浜町を過ぎ、ようやく、やっとの思いでむつ市のむつ総合病院に着いた。午前4時で大分明るくなってきた。我々も疲れたが、奥様はモット疲れただろうと思う。『無言の長距離運転』、『夜』、『状況の解らない心配事の中』『初対面同士』というストレスの中での運転は予想以上に疲れた。
一階の集中治療室にいるのだそうで、面会は奥様だけだと言われ、待合室で待機していたが、4時30分頃、奥様から

「末永が不注意で負傷してしまい、みんなに迷惑をかけてすみませんと詫びていました。私もこの通りお詫び致します。本人はちょっと笑い顔を見せてくれました。今日も集中治療室にいる事のようです。私はこのまま一週間ほど残りますから」と言われ、

『一週間後に迎えに来ます。奥様も体に気をつけてください。どうぞよろしくお願い申し上げます』そう伝えて、一先ず病院を後にし、陸奥湾の見えるむつ市から下北半島を北東に横断して、津軽海峡側の野牛漁港にいる第三公福丸に向かった。直ぐ近くが尻屋崎である。

尻屋崎は本州の太平洋側沿岸の最北端に位置して太平洋側と日本海側の潮が移動交流し、しかも潮流の速い航海上の難所である。

午前5時、岸壁の見える場所に車を止め、船の者が起床するのを待った。
午前7時頃トントンと音がして目を覚ました。第三公福丸の船員に起された。車の中で2時間ほど仮眠したことに成る。阿部も一緒に船で顔を洗い、朝食を頂いた。サロンに全員を集め、話し合いを持った。

みんなに今朝の末永さんの様子を伝えた。多少笑顔を見せてくれたということに一同に安堵の空気が流れたが、頚椎の損傷ということで体の機能の復調がどうなのか懸念されるところであった。

負傷事故に関し船長の報告では『本人は几帳面で、クレ-ンの下に何かが落ちているのを拾おうとして旋回の範囲内に入り込み、うっかり動いている本体に触れてしまったようです』という主旨だった。触れた勢いで体がはじかれ、ヨロケテ転んだという事の様だった。

皆に『充分注意して働いていただくよう』お願いし石巻に向けて尻屋崎を発ち、大都工業の八戸事業所に顔を出してお詫びをし、再発防止策を提示して、石巻へ帰ったのはその日の夜7時だった。
私がその後1回末永さんにむつ市の病院で会ったがその日は昭和51年7月27日で前総理、田中角栄が逮捕された日だった。

末永さんは7ヶ月むつ市にいて体調を回復させ、両手は動くものの、下半身は動かず、車椅子の訓練を受け、52年2月に退院、雄勝で引退生活に入った。
撰名の話をする事も無く、昭和55年に病衰で亡くなり、大幡が葬儀に参列した。享年60であった。・・・初の元請受注へ続く。


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三・いい人が何故?

「本当に運転を変わらなくていいんですか?」
『大丈夫だから阿部さんも寝た方がいいよ』

滝沢村、花山村、を通り岩手町に入ってから日付が変わった。
一戸(いちのべ)町、二戸市、此処が国道4号線上の岩手最北端の町である。

末永和四郎(5・5・8・4・14)郎は郒で14画。

天格:末永で10画
人格:永和で13画   成功運の凶により大吉に凶を含む。
地格:和四郎で26画  成功運の凶により大吉に凶を含む。
外格:末四郎で23画  成功運の凶により大吉に凶を含む。
総格:末永和四郎36画 大凶。

成功運:天(十)―人(三)大凶:成功絶対に抑圧され、急変の難(厄難、遭難、災難、病難)を生じ、心臓麻痺、脳溢血、自殺などあり。

頭脳明晰で,しかも冷静にして辛抱強く、じっくり物事を考え、率先して行動を成し遂げていくタイプの人柄を持つゆえ、みんなの信頼を受け、活躍して行くが、人に頼まれた事をイヤといえずに引き受けて苦労を呼び込む事も多い。

23画の頭領運を持ち、人の上に立って頭領と仰がれ、勢力旺盛と成りて物事良く勝ちを制し、功名栄達して富貴繁栄をもたらす吉運があるも、
成功運の凶により、永久性を欠く。

37歳過ぎの後半は自分を捨てて人のために尽くす美徳を有するも、一生平安を得がたく、常に苦心困難多く、波乱変動を醸し,極衰に陥り、失敗、淪落(りんらく・落ちぶれる事)の大凶を来たし短命・病弱・孤独・厄難を招く。

このようにいい人が何故怪我に遭い、家族を心配させてしまうのか、正に『運気の支配するとおりなのだ』と思うしかないのだ。

末永さんは良い人柄を持ちながら、運気が、特に後半において、弱く成ることを意味し、今正に、その状況に入りつつある訳だ。これからを思うとき、このご夫妻の撰名を考慮すべきだと思ったが、この事は今の今、話すべきではないと思った。末永さんの回復状況を待って落ち着いてから話せばいい事だと思ったのである。

そうこう考えごとをしながら走って何時の間にか車は青森県、三戸(さんのへ)町に入った。やがて五戸(ごのへ)町、十和田市、七戸(しちのへ)町、へ着き国道4号線と分かれる町、野辺地(のへじ)町に着いた。(へのへのもへじ)・ならぬ・(へのへののへじ)の語呂が浮かんだ。

真正面の突き当りの海が野辺地湾である。・・・笑顔で一先ず安心?へ続く。



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課外・3号・記憶に無い

漆間発言のお粗末

西松建設による献金事件で、小沢民主党代表の秘書が逮捕された事を受けて、捜査が『自民党側には波及しない』と発言した漆間官房副長官。

国会審議や、記者会見で発言自体を『記憶に無い』として否定した。オフレコ懇談に出席した記者団と自身の記憶との間にズレがあるのだという。

そんな馬鹿なことはないだろう。
読売(1000万部)・朝日(800万部)
毎日(400万部)・日経(300万部)産経(200万部)
といった新聞社の記者たちが揃いも揃って誤報を流したとは思えない。

大体政治家や役人が『記憶に無い』と言う時は、ろくな事は無い。
ロッキード事件この方、嫌疑を受けた人間の常套手段(じょうとうしゅだん)文句になっているのだが実に便利な言葉である。

『言ってない』『そんな事実は無い』等と断言し、後になって嘘がバレた場合は大変なことに成る。しかし『記憶に無い』と言っておけば誤魔化しが利(き)く。

所詮『思い出した』・『やっぱり記憶に無い』などとして、虚偽答弁ではなかった事にする為の伏線でしかない。容疑者を取り調べる側のトップである警察庁長官でいた人間の口から『記憶に無い』等と聞く事になろうとは思わなかった。何とも情け無い政府高官である。

『自民党には波及しない』という漆間氏の発言は
『捜査状況を把握しているか、牽制』のどちらかでしかない。
発言自体が『国策捜査』の証左と取られて当然である。

いっせいに起こった批判の声を何とか鎮静化しようということだろうが、問題は更に大きくなったというべきだろう。又麻生首相をはじめ、政府をあげて漆間氏をかばう姿勢は、正に『国策捜査』の隠蔽(いんぺい)である。

東京地検特捜部による事件捜査が西松から献金受け取りの議員数の多い(18名)自民党側特に二階大臣は裏金で、金額も多く悪質性が高い事案の解明や操作に手ぬるいようだと漆間氏の『記憶に無い』も嘘だった事に成る。どの新聞も追及しないこの件を国民が目を凝らして見守る事である!

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二・無言の苦しみ

石巻から津山町まで国道45号線、を通り、そこから県道に入って登米(とよま)町、東和町を過ぎ、石越町あたりで7時10分頃、漸く暗くなりかかってきた。岩手県境を超え花泉町を通過、山道から一ノ関市に抜けた。そこからは国道4号線に出て夜道をひたすら北上するのである。外の景色が見えていた時は気もまぎれていたが、段々困った状況に成っていた。

実は石巻を出発する前から心に感じてはいたのだが、奥様とは初対面であるし、我が社に来て末永さんの勤務年数は未だ1年目である。従って末永さんに関しては色々な意味で知識不足であった。私は奥様に車中で、何を話し、約11時間の『間(ま)をどう繋(つな)ぐか?』・・・どんなに考えてもいい考えは思い浮かばなかった。

奥様の気持ちに立てば、夫の怪我の状況を未だつかみ切っておらず、心配が先で、とても、我々と話をする気にもなれないだろうし、我々も何を話していいか解らないのだ。成り行きに任せるしかないだろうと思ったのである。

辛(つら)いもの同士、音楽も無く、ラジオも無く、カセットテープも無い,私語も無い。

『無いのではなく、末永さんの気持ち、奥様の心境を思うとき、聞けないし、余計な事は一切話せなかった』のである。ただ無言のまま,車を走らせるだけであった。これは思った以上に辛い事だった。

国道4号線(こくどう・よん号線)を走りながら、頭の中には勝手に
酷道4号線(こくどう・死号線)・・と変なゴロが浮かんでくるのである。・・・あぁ縁起でもない。

『奥さん、トイレは大丈夫ですか?』と初めて声をかけた。
「ハイ,大丈夫です」と返事が返ってきた。
『何か気付いたら直ぐ言って下さいね』
「ハイ、わかりました」

助手席の阿部が
「運転変わらなくていいですか?」と私に言う。
『大丈夫だよ、阿部さん、今のうちに少し寝たら?』
「大丈夫です」

たったこれだけの、声の掛け合いだったがほんの少しだけ気が楽になった感じがした。前沢町、次の水沢市で満タンに給油した。金ヶ崎町、北上市、花巻市、石鳥谷町。と過ぎたあたりで私は尿意を催して、次のドライブインで止めようと思ったところ、紫波町に入って間もなく、右手に広い駐車場のある大きなドライブインを見つけ、三人で車を降り、そこへ入った。

用を足してから、眠気予防のコーヒーを飲み、末永さんの奥様は何も飲み食いせず、畳席の畳の上に10分ほど横になり手足を伸ばして休んだ。

再び車に乗り、私の運転継続で、4号線を北上し、間もなく人気の少ない盛岡の市街を通過した。夜11時を回っていた。ラジオを低くつけた・・・「丸紅・ロッキード・云々」とアナウンサーの声がしていた。・・いい人が何故?へ続く。


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第10章・明暗の禍福・一・事故発生

昭和51年6月初め、大都工業株式会社の八戸事業所からの発注にかかる要請で,尻屋崎灯台近くの尻屋漁港修築事業に参加していた第三公福丸から大幡の事務所に船舶電話で『負傷事故発生』の連絡を受けたのは午後1時20分だった。

報告によると、この日、午後1時10分甲板員の末永和四郎(55歳)さんが旋回中のクレーン後部に誤って触れ、甲板上に転倒した際に変な転び方をして、全く体が動かなくなったというのであった。

とりあえず救急車を呼んでむつ市の病院に運ぶ段取りをしたので、詳細は後の電話で連絡するがとりあえず

『命には別状がないし、本人は話が出来る状態だ』という。

末永さんは大幡光二郎と同じ雄勝の出身者であり、大幡の実家とは隣近所である。事務所から末永さんの自宅に連絡し、事故を知らせて奥様に身の回りのものを用意して待つように話し、おそらく,一週間ぐらいは現地に泊まり込みになる覚悟をお願いした。

会社から社員の阿部賢悦に雄勝まで奥様を迎えに行ってもらった。

午後2時30分、第三公福丸の船長から連絡が入った。

第一点は、本人は『むつ総合病院に運ばれた』こと。

第二点は、頚椎が損傷しており、入院は長期になりそうであること。

第三点は末永さんの体が元の様に動くかどうかはまだ不明であること。

第四点は、負傷事故に到った詳しい状況は後刻報告書を纏めて報告する。

という事だった。

私は末永さんの奥さんが会社事務所に到着次第、阿部賢悦を伴って、三人で
むつ市に向かうことを船長に話し、次の事故を起さぬ為、船内の空気を引き締めるように注意を促した。

午後五時、奥様が事務所に到着した時点で、事故の概要を説明し、一呼吸入れた後、近所から出前を取り、三人で夕食を済ませ、当座の必要な経費を奥様に渡して、石巻を午後6時に出発した。

私がハンドルを握り、運転の交代要員として阿部賢悦が助手席に乗り、運転席の後ろに奥様を乗せた。石巻市からむつ市まで約500キロの道のりである。
途中の休憩時間を入れて、11時間の所要と推測した。明朝4~5時の到着予想である。車は日産のグロリアだった。・・無言の苦しみ、に続く

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