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酒田市に吹いた民主党への逆風

酒田市に吹いた民主への逆風

 自民も大差無し

 阿部寿一(53)前市長の辞職に伴う酒田市長選は、28日に投開票があり前副市長本間正巳氏(65)無新=自民推薦=が前民主党衆議院議員和嶋未希氏(40)を振り切って初当選した。

当選・本間正巳  28、553=自民推薦

次点・和嶋未希  24、981=民主推薦

 自民党の組織力で支持を伸ばした本間氏に対し、和嶋氏は民主党の逆風を正面から受けた。本間陣営は自民対民主の政党対決に持ち込む戦略をとった。

 和嶋陣営は当初から民主党の存在を隠す戦術。民主党の国会議員の応援は一切受けず、代わりに吉村美栄子知事や民主党を離党した舟山康江参議院議員との関係をアピールした。

 事務所の壁には全国の民主党国会議員から送られた激励のため書きなどが多く貼(は)られたが、民主党のマークは白い紙で隠していた(前代未聞)。

 或る民主党県議は「和嶋氏の周辺からため書きを貼ららないで、と言われたが、捨てるわけにもいかなかった」と内情を明かした。和嶋氏の民主党色は最後まで払拭できず、幹部は「逆風の影響は大きかった」と。

 本間陣営の幹部は「敵失で勝った側面もある」との認識を示した。

 阿部前市長は「本間陣営は私の選対を使い切れていない。あれほど『自民党を前面に出すな』と言っていたのに。

 私の指示を聞いていれば,もう少し楽に行けたはずだ」と不満を漏らしていた。

 鹿児島と同じく、自民党も決して大きく支持を受けているわけではない。

 

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「浅野内匠頭切腹」の直後に鳴った電話②

「浅野内匠頭切腹」の直後に鳴った電話②

元山口組直参後藤組組長・後藤忠政

101回

3回目の電話のことはハッキリ覚えてるよ。あれは7月4日の夜中だった。4日はアメリカの独立記念日だから、ロスの町もお祭り騒ぎだ。花火がバンバンあがって、一日中パレードがあったりして、にぎやかな日だったよ。おっかあはその時、日本へ一時帰っていた。

 2回呼び出しがって肝臓が合わなかっただろ。それでいったん帰って家のことを整理したら、また戻ってくるからと言ってさ。で、その夜も俺は独りでNHKの大河ドラマを見てたんだ。

 『忠臣蔵』だった。浅野内匠頭(あさの・たくみのかみ)が松の廊下で、吉良上野介(きら・こうずけのすけ)に切りつけて、即日切腹となるだろ。

 白装束に身を包んで切腹に臨む場面がまたゆっくり流れるんだよ。腹にこう短刀を突き立ててやるところをじっくりとさ。最後に桜がばあっと散って。

 そうやって浅野内匠頭が切腹し終わったとき、ちょうど電話が鳴ったんだ。

 「すぐいらっしゃい」と。日付が変わって5日の午前1時頃になってたと思う。

 慌てて身支度して、若い衆らを連れて飛んで行ったわ。

 病院に着いたら、改めて俺とドナー両方の検査をやった。2時間ほどやったかな。

 それで「よし今日は大丈夫。行きましょう」となったんだ。俺は思ったよ「ああいよいよ切腹かな」って。さっきの映像がまざまざと頭に浮かんで来てさ。

 それで「浅野内匠頭は潔かった。俺も潔くしなきゃあ」と思ったんだ。

 手術に100%の安全なんてないからな。身体が急に不調を起こしたり、突発事故があったりして、生きて帰れない可能性だって何パーセントかはあるし、移植そのまのはうまくいっても、1ヶ月後に死んじゃうかも分からんしな。

 しかし、ここまで来たら潔くアメリカの医者に腹を切らせてやろうと。承諾書やなんかを書いたら、ベッドに寝かされて下の階の手術待合室に行くんだ。

 朝の5時頃だった。まだ暗い中、手術を受ける人間が10人ほど寝台車(ストレッチャー)に横たわって溜まっていたよ。

 腎臓移植の人とか、全然違う病気の人もいたはずだ。

肝臓は俺を含めて二人だったかな。それが次々に注射とか点滴で麻酔を打たれて、手術室に連れて行かれるんだ。流れ作業と言うのか、その辺の合理性はすごいよな、アメリカって。

 俺の順番は最後だったから、「行ってらっしゃい」ってみんなを見送ってたんだけど、まあいろいろ想像しちゃうよな。

いい想像じゃないよ。半分は火葬場に連れて行かれるようなもんだから。

 みんな眠っちゃってサーッと連れて行かれるんだ。

 それでいよいよ、「後藤さんの番ですよ」って言われて、それから先はもう記憶がない。 続く

 

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ハシシタ  奴(やつ)の本性 ・その六

 

ハシシタ・奴の本性 その六

 ――ヤクザ組織には入ってたんですか。

「柏原に土井組系の津田組と言う組があった。そこの若い衆をやっとった」柏原は之峰の出身地の八尾に隣接した同じ旧中河内郡内の町である。

 之峰が若い衆だった津田組の上部団体の土井組には、97年に山口組内部の抗争事件で射殺された山口組若頭の宅見 勝も若い頃に出入りしていた。

 ――ピッキャンは博打はしましたか。

「ワシ一回、河内の志紀の方にあった博打場の手配師から、来てくれって呼ばれたことがあるんや。その時ピッキャンが博打場でケンカしとったのを覚えとる。

 ケンカの相手は無期懲役で仮釈放されよった男やったけどな。その男が女に手を出そうとしたとき、ピッキャンが血相変えて相手をどつき倒したんや。

 橋下がテレビで相手をめちゃめちゃ言うて負かしてしまうのは、ピッキャンの血や」

 ――ピッキャンは博打強かったんですか?

「あんまり強うない。頭がかしこくないから」

 ――主にどんな博打だったんですか。

「賽本引きとか、手本引きとか。賽の場合はツキやけど、手本引きは相手の手をある程度読まなあかんでしょ。だからアホではなかったけど、あんまり賢くなかったピッキャンは、それほど勝てんかったんとちゃうかなあ。

 ――入れ墨は入れてましたか。

「若いころは肩のところにちょろちょろっとミッキーマウスの漫画のようなものしとった。でも自殺する十日ほど前に安中の銭湯で会ったときはすごい入れ墨やった。

 そんとき、ワシ、『あんな、なんなんその体?』って聞いたんや。そしたら、おっさんが『ちゃうがな。これはお前、彫師にカネ貸しとって、取りに行ったらカネ無い言うから、これ(入れ墨)で返しよってん』って言うんや。全身入れ墨やったで」

 ――どんな入れ墨でしたか。

 「たぶん龍やった。背中にバーンと。ジンベエ彫リ言うてね。背中から膝あたりまで入れとったわ。あれ入れようと思ったら十万や二十万じゃ入れられへん。何百万もかかる入れ墨なんちゃうか」

 ――自殺する五時間前にも会ったそうですね。

「会った。電話かかって来たんや。『来い』言うて」。はっきり言って、頭半分狂うとった。もう、脳みそいれかえせなあかんような。そんな感じやった。

 ワシ昔やんちゃしとったし、いろんなヤクザの知り合いおるから、シャブやってる人間は見たらすぐわかるねん。もう目は飛んでるしな。

 あくる日、知り合いから電話がかかってきて『ピッキャンがガス管くわえて死んだ』って言うから、誰だって『え~!?』ってなりますやん」

 ――ところでピッキャンには博(ひろとし)という弟がいますね。

 「ああ、おる。丸万土木という土建屋をやってた。その博と愛人の間に生まれた子が、金属バット殺人をやった。その子が加古川刑務所から出た時、博が面倒見てくれいうたけど、ワシ面倒み切れんと断った」

 橋下徹の父親が自殺しているばかりか、いとこが金属バットで人を殺しているという。橋下の周りには修羅が渦巻いている。

私は死んだ之峰の縁戚が淡々と語る話を聞きながら、これはまごうことなく、中上健次の世界だなと思った。

 被差別出身という境遇や、自殺、殺人という物語りの重要な要素が共通しているからだけではない。

 中上の小説に決まって登場する「秋幸」という主人公の名前が、ピッキャンこと、「之峰」という名前とどこか響き合っているように感じられたからである。

(文中敬称略・以下次号)

 ――以上、週刊朝日10月26日号の転載終わり――

 

☆★

「第三者で検証」橋下氏に伝える

 朝日新聞出版は24日、日本維新の会代表の橋下徹大阪市長の出自を題材にした週刊朝日記事に対し、朝日新聞の第三者機関で掲載に至った経緯を検証すると橋下氏に伝えたと発表した。

 第三者機関は朝日新聞や朝日新聞出版の報道による人権侵害について審議する「報道と人権委員会」。

同社が24日社長名で委員会に審理を申請した。

これに関連し,大阪府八尾市教育員会は同日までに、市立図書館で週刊朝日の当該号(永人→10月26日号)の一部を閲覧できないようにすることを決めた。

 同市内の地域を被差別地域として特定する内容だとしている。

 朝日新聞出版幹部は24日、市役所を訪れ「記事には極めて不適切な記述が複数あった。委員会の見解を踏まえ再発防止策を講じる」との謝罪文書を市職員を通じて橋下氏に提出。

 これを受け橋下氏は同日、市役所で記者団に

「検証結果の報告のやり取りはオープンの場でやらせてくれと伝えた」と述べ、朝日新聞出版が検証結果を橋下氏に報告する際は、報道機関に公開するよう要求したことを明らかにした。 (10月25日河北新報)

 

 

 

 

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ハシシタ  奴(やつ)の本性 ・その五

ハシシタ・奴の本性 その五

 思えば維新の会の旗揚げパ―ティ―は、橋下のピークだった。橋下が竹島は日韓の共同管理以外ないと言った時、この男の大半の支持層の右翼ナショナリストを失った。

 極論すれば橋下の考えはすべて世情に阿(おもね)ったテレビサイズの世界におさまってしまう。そこにこそ橋下人気の秘密がある。逆に言うなら、橋下人気の裏側には保守化する国民の集合的無意識がべっとりと貼りついている。

 不気味なのは橋下の支持者達が、自分の殻に閉じこもって顔を見せないことである。彼らの多くがツイッターの匿名世界だけである。だが本稿でそれを分析する気はない。

 そんなものは新しいものならうんこにでも飛び付きかねないテレビ局御用達のお手軽評論家連中に任せておけばいい。この連載で私が解明したいと思っているのは、橋下徹という人間そのものである。

 もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容の人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。

 そのためには橋下徹の両親や橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べ上げなければならない。

 「オレの身元調査までするのか。」

橋下はそう言って自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむきだしにするかもしれない。

 そしていつもの通り、ツイッターで口汚い言葉を連発しながら、聞きわけのない幼児のようにわめき散らすかも知れない。

 だが平成の坂本龍馬を気取って、“維新八策”なるマニフェストを掲げ、この国の将来を舵取りしようとする男に、それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である。

 それがイヤなら、とっとと元のタレント弁護士に戻ることである。もっとも一度負け犬になった男をまた起用するほど、日本のテレビは心やさしい世界ではない。それは橋下が誰よりもよく知っているはずである。

 

 私はそんなことを考えながらパ―ティ―が始まる前、橋下 徹の亡くなった父親をよく知る人物に会い,長時間インタビューした。

 この人物は橋下徹の父親の橋下之峯(ゆきみね)の縁戚に当たる。彼は之峰と同じ、八尾の出身である。

 八尾は今 東光原作、勝 新太郎が八尾の朝吉を演じて大ヒットした映画「悪名」の舞台として知られた土地である。

 「ワシ、子供のころやんちゃしとってな、少年院に入ってたんや。それで、出てきたらアレ橋下徹の親と、ワシの知っとる人が一緒になっとった。ワシが18歳ぐらいの時やから、今からちょうど50年前や。その時あのオヤジは水道屋やってたんや」

 ――之峰は「ピキ」とか「ピッキャン」と呼ばれていたと聞きました。そう呼ばれたいわれはご存知ですか。

「あぁ、それならワシ聞いたことあるわ。『アニキ、なんでピッキャンなんてしょうもない名前言うてるの?』って聞いたら、『キューピーに似てるから』って言うてた。あの、人形あるやん?キューピー人形。

 どっかの週刊誌に『役者みたいな顔してた』と書いてあったけどあんなんウソや。あんなん役者の顔やないわ。背も低いし、ドラム缶みたいにずんぐりむっくりやし」

 ――ケンカも強かった?

 「強かった。相撲も強かった。なんでそんなに相撲強いの?って聞いたら『奈良の少年刑務所で相撲しとった』って言ってた。

 今はどうか知らんけど、奈良の少年刑務所にはそのころ相撲道場があったらしい。ピッキャンは八尾の安中の生まれやけど、子供時代から悪くて有名やったらしいねん」

 橋下之峰の出身地の八尾市安中地区には被差別がある。 続く

 

 

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ハシシタ・奴の本性 その四

ハシシタ・奴の本性  その四

 新聞は、民主、自民、みんなの党に離党届を出した衆参の国会議員七人が新党に合流した、などと政治記事らしくきれいにまとめたが、打算ずくでパーティー券を売ってひと儲けした市議会、府議会議員たちを集めて、こういう下品な連中は、私から言わせれば人間のクズという。会場で、顔見知りのTBS「報道特集」キャスターの金平茂紀に会い、一言コメントを求められた。

 そこで、こんな感想を述べた。

「日本の歴史が暗転する瞬間に立ち会ったというのが、実感です。でも本当のことを言えば、こういう見たくもない歴史的瞬間には生きているうちには立ち合いたくなかった」

 「日本維新の会」は間もなく行われる総選挙で第一党に躍り出て、橋下は日本の救世主になるのか、それともいっとき騒がれるだけの関西の“衆宮の王”で終わるか。

 橋下のような男が注目を集めているのは、いうまでもなく、日本の議会政治が歴史開闢(かいびゃく)以来の最低状況というより、今や完全に機能不全状態に陥っているからである。

橋下の新党旗揚げパ―テイ―から間もなく、民主党の代表選と自民党の総裁選が行われた。だが、どちらの政党も顔ぶれは一行に代わりばえせず、全く期待できそうにない。

 では公明党、共産党はどうか。日本の難局を突破できるとはとても思えない。「国民の生活が第一」は党名からして、あやしくて信用できない。それならいっそ「日本維新の会にでも投票する以外にないのではないか。

 こういう気分が蔓延した日本は、(ヒットラー)本人が聞いたら「(橋下のような)あんな下劣な男と一緒にするな」と墓場の下から怒鳴られそうだが、ワイマール憲法下、少数複数政党の連立内閣が乱立したため政策の安定性をいちじるしく欠き、ヒットラー率いるナチ党が台頭する温床となった1930年代のドイツの政治状況とよく似ている。

出口が全く見えない長期不況の中で、国民のフラストレーションは溜まりにたまっている。その不満のはけ口を親方日の丸の公務員や、経済的に安泰の国会議員に向けて爆発させる橋下の手口は「ハシズム」と呼ばれるように、確かにヒットラーに似ている。

 だが、初めに断っておけば、私はこの連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない。

 橋下にはこれと言って確固たる政治信条があるわけではない。

 橋下にあるのは、古臭い弱肉強食思想と恵まれない環境で育ったが故にそれを逆バネとした自負からくるエリート実力主義そのままの大衆迎合思想、それに受験勉強を勝ち抜いてきた男らしく、一夜漬けのにわか勉強で、身につけた床屋政談なみの空虚な政治的戯言(ざれごと)だけである。 続く

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ハシシタ  奴(やつ)の本性 ・その三

ハシシタ・奴の本性  その三

 今年90歳になるというこの老人に、なぜこの会に参加したのかと尋ねてみた。すると老人はそれには直接答えず、まず二つ折りの奇妙な名刺を差し出した。

 表には「何でもかんでも相談所 所長」と書かれ、裏を返すと、「家訓 男は珍棒 女は子宮で 勝負する」と書かれていた。

 頭の中に「?」がブンブンと飛び交い、思わず相手の顔をまじまじとのぞきこんでしまった。こちらの不審な顔にも眉ひとつ動かさないところが。また大阪人らしかった。

 この老人に話しかけて得た唯一の収穫は、橋下のパ―テイ―にはこの種の輩たちが参集したのがはっきりとわかったことだった。

 阪神タイガースの野球帽をかぶった関西弁丸出しのおっさんは、こんな話から始めた。「橋下さんの父親はあがり(被差別出身)で、それに比べて母親は純粋な人やと思う。

 これは私の持論なんやけど、一般的に子供は親父の精子が八十%、女の卵子が二十%の割合で結合するわけや。けど、橋下さんの場合はこれが逆で、母親の卵子の割合が八十%やったと思うんや。

 お母さんは女手一つで七人の子供を立派に育てているわけやろ」これは七人の子供を産んだ徹の妻と母親を混同している。徹の母親は実際には徹と四歳年下の妹の二人しか生んでいない。

 精子八十%、卵子二十%の珍説を披露した『何でもかんでも相談所 所長』が橋下と初めて会ったのは去年の九月だったという。

 「北区の区役所で橋下さんの後援会のようなものがあってな。そこで私は、『いまの政治家にはろくなのがいないから、あなたは総理大臣になりなさい』って一席ぶったわけや。そしたら会場は万雷の拍手でしたわ」

 大阪出身の総理は、敗戦をまたいだ、鈴木貫太郎と敗戦直後の幣原喜重郎しかいない。京都出身でも戦後は東久邇宮稔彦と芦田均だけである。

 奈良、兵庫からは宰相が出ていない。平成以降の関西出身総理は“三本指”愛人問題で総辞職した滋賀出身の宇野宗佑がいるが、宇野を関西人と思う大阪人はまずいない。

 ハシ下への万雷の拍手は、久々の大阪出身総理に期待する拍手であったに違いない。

 パーティー券についても聞いてみた。「パーティー券はうちの会社(自動車部品会社を経営していたが、今は休眠状態だという)の顧問弁護士で大阪市議会議員をやっている人から五口買ったんや。

 一口二万円で十万円。本当は二十五口買おうと思ったんや。大阪には二十二の区(実際には二十四区)があるだろ。二十五口買えば大阪中が全部カバーできるやろ。

 相変わらず、よくわからない答えだった。

 ところで、この会になぜ参加したんですか。いよいよ本題の質問に移ると、またまた頓珍漢な答えが返ってきた。

「今の政治家はだれも戦争を知らん。だから橋下を応援しとるんや」橋下も戦争を知りませんよ、そう言おうとしたが「男は珍棒、女は子宮」と信じて疑わないおっさんが、橋下なら中国、韓国と戦争してくれると言おうとしていることに気づいて、それ以上聞くのはやめた。

 いかにも橋下フリークにふさわしい贅六(ぜいろく)流のファシズムだと思った。だが品性の点では、新党に参加表明した政治家連中より、このおっさんの方がまだ上等だった。

 国会議員というより場末のホストと言った方が似合いそうな男たちがもっともらしい顔で、ひな壇に並んだところは、橋下人気にあやかっていることが丸見えで、その醜悪さは正視できなかった。 続く

 

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ハシシタ  奴(やつ)の本性 ・その二

お知らせ

 本ブログの2012年6月7日~9日に延べ3回にわたって「橋下 徹」を投稿しています。これは姓名分析による彼の人間性を解剖したものです。よろしかったらご参照ください。

 

ハシシタ・奴(やつ)の本性・その二

 呆れたのは、この日の橋下を「すごいオーラ」と報じたテレビがあったことである。このレポーターはいったいこの橋下という男のどこを見ているのか。

 薄茶色のサングラスをかけ、髪を茶髪に染めたタレント弁護士時代、〈私は〉あるテレビ番組に出演して、コメンテーターの橋下を見たことがる。

 大変な人気者らしいが、恐ろしく暗い目をした男だな。それが第一印象だった。橋下はテレビカメラが回るとわざとらしい作り笑いを浮かべる。

 だがテレビカメラが回っていないとわかると、たちまち素に戻って暗い顔になる。この男は裏に回るとどんな陰惨なことでもやるに違いない。

 その時の予感は不幸にも当たった。光市母子殺害事件の容疑者弁護団への懲戒請求をテレビであおり、大阪市職員の入れ墨調査を断行する。

 テレビや講演会などでの言いたい放題の妄言を挙げていったらきりがない。能や狂言が好きな連中は変質者、いまの日本の政治で一番重要なのは独裁・・・・。

 橋下の言動は、すべからくテレビ視聴者を相手にしたポピュリズムでできている。ポピュリズムと言ってもそれを最初に政治の世界に取り入れた小泉純一郎とは天と地ほどの違いがある。

 好き嫌いは別にして、小泉の言動が「千万人といえども吾往かん」という信念というか狂気をはらんでいたのに対し、橋下の言動を突き動かしているのは、その場の人気取りだけが目的の動物的衝動である。

 ヤクザとの交友関係が発覚して島田伸介が芸能界を引退したとき、大阪府知事時代の橋下は「伸介さんはバラエティー番組の宝。僕が府知事になれたのも、伸介さんの番組(『行列のできる法律相談所』)に出させてもらったおかげ」と言ってのけた。その時やはりこの男はそんなおべんちゃらと薄汚い遊泳術で生きてきたのか、妙に得心がいった、

 それだけに、橋下徹はテレビがひり出した汚物である、と辺見 庸が講演で痛烈に批判した時、我が意を得た思いだった。

 視聴率が稼げるからと言って、この男をここまでつけあがらせ、挙げ句の果てには、将来の総理候補とまで持ち上げてしまったテレビの罪は極めて重い。

 ことごとく橋下翼賛体制化したメディアの中で、この日の旗揚げパ―ティ―の問題点をチクリと刺したのは、本誌「週刊朝日」(2012年9月28日号)の「橋下新党を丸裸にする!」という記事だけだった。

 記事には「大阪維新の会」に所属する議員が語った。耳が勃起してきそうなこんな裏話が紹介されている。

 「今回のパーティー券(一枚二万円)は、全議員に20枚以上のノルマが課せられていました。しかし、後援者に売ると議員に販売手数料が入る仕組みになっとるんですわ(笑い)。

 20枚を売ると1枚につき五千円で、十万円。21枚以上なら一枚につき一万円と高額になり、かなりの稼ぎになる。100枚以上さばき、儲けた議員も大勢おりました」

 なるほどそういうことだったのか。超満員の大盛況だった割には会場に熱気のようなものが感じられなかった理由が、このコメントを読んでやっとわかった。

 この会は「日本維新の会の門出を祝ってなけなしのカネをはたく有志の集まりではなく、旗揚げパ―テイ―でひと儲けをたくらむダフ屋もどきの連中の集まりだった。

 うっかり伸びをすると、指が周りの人の目に刺さりそうに混雑した会場を回っていると、ひとり黙々と料理を口に運んでいる老人が目についた。大阪下町の町工場の社長だろうか。阪神タイガースの野球帽をかぶり、背中にはリュックを背負っている。

二万円分の元を取ろうとしているのか、いかにもありきたりのパ-ティー料理をがつがつと食べているのが、むしろほほえましかった。 続く

 

 

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ハシシタ・奴の本性

ハシシタが勝手に怒った週刊朝日の記事

 (週刊朝日10・26号が10倍のプレミアム)

 ☆

 「ハシシタとおる」は本名です。 

橋下 徹は「橋の下(した)を通る」を連想されてうまくないので、住民票には無理に勝手に『ハシモト』とふりがなを書き込み、それ以来「ハシモト」で通しているものの、戸籍名は「ハシシタ・トオル」であることを話しておきます。――橋下 徹

 ☆☆

 ハシシタ・奴(やつ)の本性

 第1回「パ―テイ―にいた謎の人物と博徒だった父」

 大阪府知事になって5年弱、橋下徹は一気に政界のスターダムの座をもぎ取った。だが彼への評判は賛否に分かれ、絶賛と嫌悪の感情は決して混じり合わない。

 彼の本性をあぶり出すため、ノンフイクション作家、佐野眞一氏と本誌は、彼の血脈をたどる取材を始めた。

すると、驚愕の事実が目の前に現れた。第1回は彼の実父の話から始める。

 ◎2012年9月12日夕刻、大阪の中心部は水曜の平日だというのに、時ならぬ交通渋滞に巻き込まれた。ほとんどの車列は中之島のリーガロイヤルホテルに向かって流れた。

 同ホテル三階の「光琳の間」で開かれた「日本維新の会」の旗揚げパーティー会場に上がるエスカレーター前は、午後六時の開場一時間も前から、長蛇の列ができた。

 老若男女の参加者でごったがえした会場は、人いきれで息苦しささえ感じた。主催者の「大阪維新の会」の関係者によると一枚二万円のパ―テイ―券を六千枚配り、当日は約四千人来場したという。

 壇上に立った大阪市長の橋下 徹の姿はこのホテルで最も広い会場では豆粒ほどにしか見えなかった。

 多くの参加者は、会場の何カ所かにしつらえられた大型スクリーンで、橋下の挨拶をかたずをのむように見守った。

 いつも通りのノーネクタイ姿で現れた橋下は、立錐の余地もない会場を満足そうに眺めて。こう口火を切った。

 「どの新聞もテレビも、有識者もコメンテーターもバカばっかり。僕が二年前に言った大阪都構想が予測できなかった連中に、三十年、四十年後の日本を語る資格はありません」

 橋下は、会場の雰囲気が熱を帯びてきた頃合いを見計らって、新党のロゴマークを発表した。大型スクリーンに映し出されたマークは、グリーン地に日本列島の地図が白抜きされ、そこに白と赤で「維新」と書かれただけのシンプルと言うより、凡庸なデザインだった。

 ハシシタはそれを眺めニンマリと笑って言った。

「いいですか。よく見て下さい。この地図にはちゃんと尖閣も竹島も北方領土も入っていますからね」

 会場から大きな拍手が起きた。橋本はその余韻をしばし楽しむような表情を見せた後、慣れた手つきでそれを制し、こう宣言した。

 「さあ、これから、日本国中で大戦(おおいくさ)が始まりますよ」新党の結成宣言と言うよりテキヤの口上だった。その口振りを聞いて昭和末期のバブル時代に一大ブームを巻き起こした細木数子という女占師が、都内の高級ホテルで開いた会費一万円の講演会を思い出した。

 田舎芝居じみた登場の仕方といい、聴衆の関心を引き付ける香具師まがいの身振りといい、橋下と細木の雰囲気はよく似ている。 続く

 

 

 

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「浅野内匠頭切腹」の直後に鳴った電話

「浅野内匠頭切腹」の直後に鳴った電話

 

100回

移植のために渡米したのは2001年4月だ。おっかあ(妻)と、若い衆を二人連れて行ったけど、誰も英語は分からんから現地で通訳を雇った。月雇いでな。

何カ月の滞在になるか分からなかったから。

 病院に行ったら、まず数週間かけて検査だ。心臓が手術に耐えられるかどうか、癌が他に転移していないかどうか、改めて調べるんだ。

 それぞれ専門の医者がいて全員からOKのサインをもらって、それで初めて「今日からあなたはACLAの移植患者となりました」と認定される。

 晴れて認定患者と認められたら、患者向けの説明会があって、「あなたに適合する肝臓があったらすぐ手術しますから、常に1時間以内で来られる場所にいてください」とポケットベルまで渡されるんだよ。

 説明会は週に1回は開かれているらしい。俺の時は20人位いたかな、だから1回10人か15人だとしても月に50人か60人かそのぐらいの人間があの病院の移植患者として順番を待つわけだ。

 すごい数だった。周りの患者の顔を見ると明らかに俺よりも悪いなという人ばかりだったよ。黄疸がひどかったり、腹も大きく出ちゃったりな。

 だがどれだけ病状が重かろうが軽かろうが、肝臓移植ってのは適合する肝臓が出るのを待つしかない。

 正式に移植患者になって、数週間ぐらい経ったころに呼び出しの電話があった。ドナーが出たから、と聞いて急いで行ったんだけど、検査をしてみたらアウトだった。

 肝臓が合わなかったんだ。それからもう一カ月ぐらい後に呼び出されたけど、これもやっぱりアウト。だから2回俺は振られている。自分に合う肝臓がそう簡単に見つかるとは思ってなかったけど、嫌な気分だったな。

 肝臓はヘリで運ばれてくるんだ。俺は病院から車で15分ぐらいのところにマンションを借りてて、そこからちょうど病院のヘリポートが見えた。

 毎日のようにヘリが飛んできたよ。こっちは毎晩部屋にいてテレビを見ながら今か今かと待ってるわけだ。もちろんアメリカのテレビなどみたってわからんから、NHKの大河ドラマかなんか近所で日本のビデオを借りて来てさ。

 そうするとブルルッてヘリの音が近づいてくるから、すぐ気付くよな。ヘリポートに降りて行くのを窓から見て、「あ、また肝臓が来た、来た」って。そうすると

「俺の番かな。いつ電話がかかってくるかな」って期待感は膨らむわな。焦りみたいなものが全然なかったといえばウソになる。

 年内いっぱいの体だって日本では言われてたし、それまでに2回病院に呼び出されたものの、適合しなくて「次こそは」という気持ちでいるわけだし。

 ただ、悲観はしてなかった。肝臓移植では日本でナンバーワンの東大の先生と、世界的権威のUCLAの先生が話した上で「移植手術をした方がいい」と勧めてくれたからには、「アメリカに来ました。でも待ってるうちに死にました」なんてことはないだろうと思ってたから。  続く

本日から週刊朝日の「ハシシタ奴の本性」記事を紹介するため、明日の「憚りながら」101回以降は橋下記事が終わるまで1週間前後、投稿を休みます。ご了承ください。

 

 

 

 

 

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日本は破滅のパターンに陥った

日本は破滅のパターンに陥った。

 

経済も外交も内政も人心も病み切ってしまった日本。

隅から隅まで閉塞ムードが蔓延しているためなのか、偏狭なナショナリズムが台頭しつつある。

 自民党の安倍総裁や石破幹事長、日本維新の会の橋下徹代表のような単細胞のタカ派・右翼が増長し、彼らが拳を振り上げる度、近隣諸国との緊張関係が高まっている。

 この先この国は一体どうなっていくのか――誰もが不安におびえているが、問題は一連の出来事が決して偶然が重なった結果ではないということだ。

 今の日本は国が壊れて行くパターンに完全に陥ってしまった。世相の乱れには必ず原因があり、常に権力から腐敗が始まる。

 今の日本がそうで政治家が約束を守らず、官僚はやりたい放題。上に立つ人物が「人の道を踏み外せば」、あっという間に社会全体にモラル崩壊が進行する。

 さらに経済政策の失敗が人心の乱れに拍車をかけた

 格差拡大で、稼ぐが勝ち(8000万円以上の資産保有者は356万人)の拝金主義がはびこる一方、働いても生活できないワーキングプア(生活保護受給者210万人を超えて戦後最多)・・が大量に生まれた。

 こうなれば真面目に働くのが馬鹿らしくなり、“自分さえよければ”という発想になりやすい。何をやってもうまくいかなければ自暴自棄になり、破れかぶれの人たちも増える。

 そこへ、野田のようなぺテン首相の嘘が重なれば、ますます良識のタガが外れていく。こうして何でもありの乱世になってしまったのではないか。

 この腐敗しきった国情を立て直すのは大変だ。

日本は奈落の底へ向かって進んでいる。

 誰もが「おかしい」と感じているのに、変えられない。

 敗戦に向って突き進んだ戦前のようだ。

今のムードだと世の腐敗を暴力で手っ取り早く変革しようとするフアシズムが台頭しかねない。

 日本は何度同じ過ちを繰り返せば気が済むのか。やりきれない思いと不安、絶望が交錯する。 終わり

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