日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
僕とインスタントラーメンの60年④
僕とインスタントラーメンの60年
④
記憶以上においしい
百福氏は『チキンラーメン』の発明以前にいろんな商売に手を出している。最初は繊維業でメリヤスの工場を経営したり、信用組合の理事長に成ったりした後、チキンラーメンの開発に乗り出している。
経歴から見ると多少山っ気のある人と思われるが実際に会った百福氏はむしろ、実直・質実・誠実を思わせる人柄であった。誠実ではあるが山っ気もある人、という解釈はどうだろうか。
即席ラーメンは『20世紀最大の発明と言われている。それまでこのよにそんざいしなかったものを発明した人である。失敗に失敗を重ね、失望と絶望の果てにチキンラーメンを発売したのだ(百福氏その時48歳)。
今年(2018年)はチキンラーメン誕生からちょうど60年。60周年を記念して様々な行事が行われ、チキンラーメンの包装にも『元祖鶏がらチキンラーメン日本発の世界食!インスタント発明60周年』の文字が躍る。そうか60年か。生き証人としての私もインスタントら―めんと共に、60年を生きてきたわけだ。
インスタントラーメンを友として60年。
60周年を記念する私的な行事として、久しぶりに『日清のチキンラーメン』を食べてみることにする。
チキンラーメンの袋を手にして思うことは『何も変わっていない』ということである。60年前に発売されたときの包装のデザインそのまま、中身もそのまま。
60年前と同じように茶色く、60年前と同じように小さく、かわいらしく丸まり、その中央には丸くへこんだ『たまごポケット』。我が下宿生活伝来の伝統方式で食べることにする。すなわち片手鍋で。
先ずガス台で片手鍋に湯を沸かせて、麺を投入。
沸騰してから1分、昔は3分だったような気もするが、今のは1分(そう書いてある)。
1分経過、伝統に従って丼にはあけず、片手鍋アチアチ方式。改めて思ったのは、「おいしいじゃないか」ということ。記憶していた以上においしい。続く
僕とインスタントラーメンの60年・東海林さだお③
僕とインスタントラーメンンの60年
③
漫画家・東海林さだお
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なぜ「チキン」の名称が
やがて発売してからずいぶん経って、丸く固まっているチキンラーメンの真ん中のところに、卵を乗せる窪み(たまごポケットが付くようになる。「メーカーはこのようにさまざまな工夫をして下宿生の栄養バランスを心配してくれているんだ、と勝手に解釈して、涙ぐんだものだった」と述解するお父さんもいる。・・・と。
ここまで私は、生き証人しての自分とチキンラーメンの係わり方を述べてきた。だが、こんな小さなことをチマチマ書き連ねて、自分はチキンラーメンの生き証人である、等と大それたことを言うつもりはない。
それは日本初のインスタントラーメンであるチキンラーメンの生みの親、安藤百福(あんどう・ももふく)氏に、直接、ジカに、目の当たりに会っているということだ。
もっと詳しく説明すると、日清食品の会社の社長室で百福氏と同じ部屋の空気を吸い、同じ室温をともにし、同じ気圧の中で百福氏の生の声をこの耳で直かに聴き、あまつさえ当時発売した(1971年発売)ばかりのカップヌードルを「どうぞどうぞ」と奨められ、生の百福氏の肉眼に見詰められながらすすったという経験を持っているのだ。
これ以上の資格を持つ生き証人は居るだろうか。
日本初のインスタントラーメンは何故『チキンラーメン』という名前で売り出されたのか。考えてみれば奇妙ではないか。牛・豚・鶏・羊・・・と数ある肉の中からあえてチキン。
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その社長室で百福氏は私に言った。
自分は『即席』とか『インスタント』という言葉が好きではない。「間に合わせ」というように感じられる、と。
ここから後は私の推測である。何かほかのネーミングがないか。ということであれこれ上がった候補の中に『チキン』の名前が有ったのではないか。
いま即席めんは世界中に進出して、その数1000億食。
世界中ということはイスラム圏も含まれるし、仏教国も入る。今にして思えば、『チキン』という選択は大正解だったことになる。
様々な資料によれば最終的にチキンに決まったのは、百福氏が『チキンにこだわったから』としか書かれていないがもしかしたら百福氏の野生の感が閃いたのではないか。
良く考えるとこの部分、偉人としての百福氏の偉人ぶりを見せつける、偉人伝の重要なポイントになるのではないだろうか。続く
僕とインスタントラーメンの60年・東海林さだお②
僕とインスタントラーメンの60年
②
東海林さだお
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発売当時の袋入りチキンラーメンは乾物扱いだった。今では乾物屋という商売はほとんどなくなったが、当時は鰹節、かんぴょう、煮干し、昆布、大豆、小豆、等の乾燥品ばかりを売る専門店が町内にⅠ軒はあった。
この『インスタントラーメン乾物時代』があった、という証言は貴重である。
初期のインスタントラーメンの販売に携わった後、私はその大消費者となる。販売に大いに係わり消費に大いに係わる。
証人としての地位を着々として築き上げて行く時代であったと言える。
昭和35年、私は家を離れて下宿生活を始める。
下宿生活といえば貧乏、貧乏といえばインスタントラーメン、そういう時代だった。
「日清のチキンラーメン」が発売された時代を。映画3丁目の夕日風に回想してみよう。
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街にはオート3輪が走り、都電が走り、乾物屋が繁盛し、東京タワーが建てられつつあった時代。
当時の街のラーメン屋のラーメンが1杯40円。
『チキンラーメン』の値段は1杯35円だった。
当時はトリスバーという大衆バーの全盛時代で、学生はもっぱらここで酒を飲んだ。
トリスのシングル1杯が40円。
ハイボール60円ぐらいだったと記憶している。
当時、水割りというものはまだなく、学生はウイスキーを一番安いストレートで飲んでいたのである。
私が通っていた早稲田大学のスクールバス(高田馬場~早稲田)が往復15円。
普段の食事はもっぱらチキンラーメンだった。
朝・昼・晩とチキンラーメンだった。
日清のチキンラーメンは今でもそうだが、鍋に丸い固まりの麺を入れて煮るだけ。
つまり『スープの小袋』『油脂の小袋』『香辛料の小袋』といった小袋の類(たぐい)は一切なかった。
片手鍋と言われる片方だけ柄のついた(下宿鍋とも言われていた)小さな鍋で煮て丼にあけたりせず、その柄を逆手に持ってそのままアチアチとか言いながら食べるとき、ああこれが下宿生の晴れ姿だ、と晴れがましい思いをしたものだった。続く
僕とインスタントラーメンの60年・東海林さだお
僕とインスタントラーメンの60年
我が人生の友・即席麺に捧ぐ
文芸春秋11月号・漫画家東海林さだお
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生き証人と言われる人たちがいる。太平洋戦争の生き証人。連合赤軍による浅間山荘事件の生き証人など、事件や異変、社会現象となる現場に居合わせた人、関わった人という意味も勿論あるが、一番大切なのは、「生き」の部分である。その証人が、今、現在、生きているという部分。
生きて証言できるという部分。生き証人は、その証人が係わった事件や事変が古ければ古いほど価値が出る。
事件が古い分証人も当然古くなる。余り古くなり過ぎると、呆けて証言が怪しくなり証言の価値が下がる。
『生きてちゃんとした証言が出来る証人』。そういう意味から言うと私はまさに日本におけるインスタントラーメンの誕生から今日に至までを、現場の近くで生きて見続けて来た生き証人そのものということになる。これ以上古くなると、古くなりすぎて証言が怪しくなるという、かろうじて間に合った“証人の旬”とも言うべき私である。
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私は日本のインスタントラーメンの歴史とどのように係わって来たのか、まず、インスタントラーメンの初期の販売に携わった。
日本最初のインスタントラーメンである『日清のチキンラーメン』の誕生は1958年(昭和33年)8月25日と、日日まではっきりしている。
こうした「歴史上初めて」というようなものの誕生は、普通曖昧であるはずなのだが、インスタントラーメンに関してははっきりしている。
なぜはっきりしているかというと、発明者の安藤百福氏がそう決めたからである。
昭和33年、私は20歳。
私の青春はインスタントラーメンと共に始まったのである。
その翌年、我が家は父親が脱サラをして、酒類販売業の免許を取って酒屋を始めた。
当時の街の酒屋は一種の総合食品店で、当然、売り出されたばかりの袋入りインスタントラーメンも店先に山済みで並べられていた。
私は店の手伝いをやらされていたので、売り出されたばかりの袋入りインスタントラーメンの販売に携わることになる。
勿論ここで言う「日本初のインスタントラーメン」というのは『日清のチキンラーメン』のことである。続く
廃消費税増税が日本を破壊する③・廃業も考える
消費税10%増税が日本を破壊する
③
中小の小売業を潰す気なのか!!
ふじみ野市駅前商店街の青果店の店主(72)も消費税が10%になれば、店をたたむことも考えざるを得ないと話します。大型スーパーなどに客足を奪われ、商店街では生鮮食品などの店が廃業に追い込まれました。ふじみ野市の統計によると、市内の小売り商店数は2007年の660店から消費税が8%に増税された2014年には、441店と3割以上も減少しています。
店主は、「消費税を増税するということは、それだけ家計の収入が減るということです。その影響で消費が冷え込み、物が売れなくなる」と心配します。
「ポイント還元」についても、『小さな店にとっては、レジを切り替えるだけでも大変なのに、クレジットカードなんて負担が大きすぎて対応できないよ』と批判します。
『個人の店を潰す気でいるのか』と憤るのは、弁当店を営む田中裕一さん(69)。妻の早苗さん(58)と2人で弁当の宅配専門店をはじめて35年。自宅を店舗にし、何とか値上げせず、常連客に支えられて経営を続けてきました。
『10%になったら値上げしないと経費の増加分を賄いきれない。もう限界、でも値上げしてまで続けたくありません』と早苗さん。
2人の弁当店は、家庭の味を追求し、使う米や野菜、肉類などの食材の安全性にもこだわっています。常連の客からは
“安全・安心でおいしい”と評判です。
原材料費は開業当初より倍近く上がりました。消費税も8%になりましたが、それでも値上げせずにやってきました。今でもギリギリなのに、再び消費税が増税され、燃料代や、容器代が上がったら・・・『中小の小売業はますます淘汰されていく』と裕一さんは危機感を募らせます。終わり
中小の小売業を潰す気なのか
クリーニング店主・安倍政権に怒り
ポイントは経費増えるだけ
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安倍政権が強行しようとしている来年10月からの消費税10%への増税。中でも政府が鳴り物入りで打ち出している「ポイント還元」などの“消費税増税対策”に強い批判の声が上がっています。埼玉県ふじみ野市の商店主らの怒りの声は・・・
「客離れを考えると消費税10%は恐ろしいい」、不安を募らせるのはクリーニング店を経営する上野すずほさん(84)です。
政府は中小店でクレジットカードを使ったら、価格の2%分を『ポイント還元』すると言いますが・・・。
「うちは現金商売です。これから機械を買ったり、カード会社に高い手数料を払ったりできない。増税そのものをやめてほしい。」
世論調査でも政府の対策に『期待しない』人が6割に上ります。家計のクリーニング支出は減少傾向です。業界の価格競争に拍車がかかる中。上野すずほさんの店は仕上がりの質の良さを追求し、『いつまでも大事に着られるように』と努力してきました。
円安で石油の輸入価格が上昇。溶剤や包装用の袋、ハンガーなど石油を使った製品の高騰が経営を圧迫しています。
上野さんは『その上に消費税増税はあまりに痛い。今後店をどうするか考えざるを得なくなる』と語ります。埼玉県ふじみ野市の商店主らの怒りの声はまだまだ続きます。
たばこ店を経営する女性(69)は『10月にたばこ税が上がったばかりで、消費税10%への増税はダブルパンチで絶対反対』と話します。
『消費税の増税は社会保障のためと言っていたのに、年金の受け取り額も年々減らされている。ポイント還元なんて本の一時的なもの。政府のやり方はおかしい。続く
(永人所感)
『6か月から9か月の間、2000円ずつ国民にやるから、その代わりに10000円ずつ永久に寄越せよ』というのが還元策の基本である。国民にはとっては何ら得策なものではなく、還元策・還元策と騒ぐのはズルイ政府の作戦である。
国民はだまされることなく、絶対反対の声を大にすべきだ消費税3%導入から5%へ増額、さらに8%へ、社会保障の名目で集めた消費税はほぼ大企業への減税分と同額であり、大きく儲けている大企業への減税をやめ、所得税の応分の負担をしてもらえれば、消費税はゼロでいいのだ。さあ、怒りの声を挙げよう!!
『弱者国民と中小の小売業を潰す気なのか!!』と。続く
内閣参与も増税反対② 実行すれば日本を破壊する
内閣参与も反対する
②
消費税10%は日本を破壊する
消費に“異次元”の衝撃
昨年男女200人を被験者とした消費税増税についての消費者心理実験を京都大学で行いました。その結果10%の増税はこれまでの増税とは違う『異次元のインパクトを消費者に与える』、ということが分かりました。
税率が3%や8%の時の消費税の負担は、計算がややこしくて正確には認識されにくい。しかし消費税が10%になれば計算は簡単です。『価格の1割が消費税』と容易に認識できることが心理的負担を格段に大きくします。
実験では10%への増税はこれまでの増税と比べて1・4倍もの『消費縮退効果』をもたらすという結果が示されました。
その影響は短期では収まらず、長期にわたって続きます。
消費税増税は日本経済に恐ろしい被害をもたらします。
元々日本がデフレに陥ったのは1997年の消費税増税が原因です。消費税率が3%から5%になり格差と貧困が拡大しました。90年代後半から日本経済は停滞し、「失われた20年」と言われました。
日本の経済成長は消費税増税によって失われたのです。
党派を超えて反対を
消費税増税推進派は、すでに10%以上の増税に言及し始めています。「10%への増税は決まったことだから仕方がない」と国民が容認すれば、消費税率は15%、20%へとさらに引き上げられることでしょう。国民が諦めてしまえば『地獄への扉』が開きます。
消費税10%への増税中止は十二分にあり得ると思っています。そのカギとなるのは国民世論です。
この問題に党派は関係ありません。目の前のコップに入っている液体は毒なのか薬なのか。国民が冷静に分析し、考えなければいけません。
私は毒だと確信しています。終わり
内閣参与も増税に反対
内閣参与も増税反対
内閣官房参与・藤井 聡・京都大学大学院教授
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不況さらに、貧困化が加速する
消費税10%への増税の危険性を深く懸念する声が、今、党派を超えて広まっています。
内閣官房参与を務めている藤井 聡・京都大学大学院教授もその一人、『10%への増税は日本経済を破壊する』と警告する思いを聞きました。
笹川神田記者
私は、来年10月の消費税増税は凍結すべきだと思っています。10%への税率引き上げは、日本経済を破壊するからです。日本経済には未だ2014年の消費税増税のインパクトが濃密に残っています。消費税率を8%に上げた結果、家計の実質消費支出は14年から減り続け、17年までの4年間で7%も減りました。
消費税増税によって国民生活は7%も貧困化しました。
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環境税は、温室効果ガスを抑制する為、石油・石炭に課税します。このように税金にはその行動を抑制する“罰金”のような働きがあります。今の日本はまだデフレから脱却していません。にもかかわらず、消費に対する罰金として機能する消費税を増税すれば、消費は低迷し、国民の貧困化が加速するのは間違いありません。
しかも来年は東京オリンピックの建設特需が終わる時期で、経済のさらなる悪化が危惧されます。こうした状況で消費税を増税するのは、栄養失調で苦しむ子供にさらに絶食を強いるようなものです。
クレジットカードで決済した消費者への2%分のポイント還元策のようなことを重ねても、『15兆円の補正予算を5年連続で支出する』くらいの規模感がなければ、大した効果は期待できません。
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大企業向けに法人税の減税が繰り返されてきました。
消費税増税はその減収を穴埋めする為に他なりません。今なすべきは消費税増税ではなく、所得税の累進課税を強化し、法人税率を引き上げることです。企業は多くの内部留保(儲けの蓄積←永人)を抱えています。法人税率を上げることで内部留保が実体経済に還流され、大きな経済効果が期待されます。
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被災地復興に大打撃
今年は全国各地で災害が続き、経済的にも大きな損失をもたらしました。各地の農業は大打撃を受け、いまだに操業が停止したままの工場も数多く存在します。
このまま政府が消費税増税に踏み切れば、被災地は災害の被害と『増税による被害』のダブルパンチを受けることになるでしょう。被災地復興の視点で考えても、大きな禍根を残すことになります。
被災地の復旧・復興・防災・減災対策などへの政府支出を増やし、経済不況から国民を守る事こそが求められます。
消費税増税はこれに逆行します。続く
和菓子店が消えていく
和菓子店が消えてゆく
倒産急増中
日刊ゲンダイ11・20
和菓子店が大ピンチだ。東京商工リサーチの「2018年1~10月の和洋菓子店の倒産状況」によると、倒産件数は前年同期比の1・2倍に上った。
「今年は有名店の『花園万頭』が倒産するなど、和菓子店の経営難が目立っています。
9月には昭和4(1929)年創業で瓦せんべいが有名な人形町『亀井堂』も東京地裁から破産開始決定を受けています」(東京商工リサーチ調査部関雅史氏)
花園饅頭は天保5(1834)年創業の老舗和菓子店。饅頭に加え「ぬれ甘なっと」が人気で有名百貨店内など全国56カ所に売り場があった。
ピーク時には42億円(94年6月期)の売り上げを誇ったが昨年は約19億円まで減少。債務超過に陥り、5月に倒産した。「コンビニはシニア層を獲得する為、数年前から和菓子に力を入れ始めています。
レジ付近に一口サイズの羊羹やどら焼きを並べ、購買意欲をそそっています。その影響もあって、昔から商店街にある小さな和菓子店は、売り上げが減少しています」(流通関係者)
若者は気軽に食べられる洋風のコンビニスイーツに手を伸ばす。家計調査(総務省)によると08年の「まんじゅう」の支出額は1769円あったが17年は1183円まで減った(減少率約33%)。「ようかん」は同じく813年が687円に(同約15%)になっている。
一方洋菓子のケーキは、7523円⇒6803円微減にとどまり、ビスケットは3371円⇒3742円と増加している。
「歳暮や中元といった贈答品の落ち込みも無視できません。老舗和菓子店は贈り物としての需要が高かったので、影響は大きいでしょう。和菓子業界はギフト需要に強い超高級店とコンビニ店の二極化が進んでいるのかも知れません」(岡雅史氏)
和菓子の製造業者は現在約3万社(店)で10年前に比べ約1万社ほど減ったと言われている。
(永人所感)
健康志向、特に糖尿病予防などの観点からあまり甘いものを食べないように注意している人が多くなったのではないか。そういったことも売り上げ減につながっていると思われる。
産経が全国紙の看板を下ろす
産経新聞が全国紙の看板を下ろす
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私の息子が産経新聞の配達をしていたのは中学時代の3年間。昭和60~63年のことである。日和山という山あいの地で積雪20センチの冬場にも山道を歯を食いしばり、涙を流しながら雪で重くなった自転車を押しての配達を頑張っていた。
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その産経新聞が、2020年10月をメドに、関東と関西の2地区に販売を縮小し、全国紙の看板を下ろす決断をしたという。
関東は一都6県 ・東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城・栃木・群馬
関西は2府3県 ・大阪・京都・兵庫・奈良・和歌山
に縮小し、他の地域からは全面撤退する方針だという。
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あれあれ? アベノミクスで景気が良かったのではないのか?
ネトウヨの機嫌取りに安倍晋三をヨイショして媚を売っていたのにそれでもだめだったということか・・・
安倍晋三もネトウヨも新聞を買ってくれれば、と思うのだが、ろくすっぽ漢字も読めず書けずの安倍晋三。何よりもいい加減な政治記事を書かせている本人の安倍晋三が買う筈もなかろうし、所詮(しょせん)彼らは口先ばっかりで責任は取らないし、取ろうとしない、取ってくれないからねぇ。
この調子では廃刊も近いだろう。
渡辺恒雄が逝って影響力がた落ちの読売新聞(私も中学1年の時、配達をしていた)も番組のヤラセが次々発覚し、これから凋落の一途をたどる様な状況を呈するだろう。
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