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永人所感・思いで多いあの頃のこと

永人所感・思い出多いあの頃のこと

昭和59年7月石巻市門脇(かどのわき)の「株式会社・斎藤総業」というビル清掃管理業を営む斎藤 清社長から社名変更に関する相談の電話を受けた。

カタカナを使ったもっと近代的なイメージの湧く社名を考えて欲しいということだった。同社は大手建設業者との取引や、石巻市を始め、近隣の1市9町に指名登録され、公共事業をも施工していた。

 もともと斎藤総業は68画のいい社名である。だがイメージの刷新ということなので、カタカナのサイト―を用い、『サイトー工業』はどうかと提案したところ、斎藤社長は気に入ったということで直ちに社名変更することになった。

株式会社・斎藤総業(68画)』改め

株式会社・サイトー工業(24画)』となったのである。

社名の場合、株式会社は画数に数えないので68画から24画とだいぶ軽快なイメージが浮かんでくる。しかも24画の意味するところは、物資四方から集まり、大きな財運を掴むという経済的旺盛、蓄財の運気を示現するのである。

この社名を使うことでこの先経済的に困ることはないはずだと、説明し納得していただいた。

斎藤社長さんの曰く「ところで吉野さん、変なことを聞くが “マル暴の団体名”にも吉凶があるんですかね」

『当然ありますよ』

「先月独立した一和会はどうかなぁ?」

22画で大凶、よくないですね、ダメです。何事も中途半端になってしまう。頑張ってもうまくいかず、目標手前で挫折することになりますよ。反対に山口組は17画で大吉

あらゆる苦辛、困難を乗り越えて決めた目標を達成するという運気の強さがあるね。』

「そうかなぁ、一和会の方が山口組の倍の規模になったそうだよ」

『今後、誰がトップで組を運営するかだろうね。ただ組の運気に差がありすぎる。山口組が横綱なら一和会の運気は序二段ぐらいでしょう。ちょっと悪すぎますからね・・・』

「竹中と山広どんな運です?」

竹中正久・主運(中正)9画、副運(竹久)9画の大凶名だから、利は去り、功を空(むな)しくして逆運、短命、惨憺(さんたん)を意味し、遭難・貧苦・災害などあり。あるいは刑罰に問はるなど凶禍ははかり知れぬ運気を表出することになり、主運にこの9画数が有るときが最も凶ということになる。』

「ずいぶん悪いんだねぇ、じゃぁ一和の山本広は?」 続く

 

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最終回・抗争終結へ

竹中四代目暗殺事件の真相

最終回・抗争終結へ

5月7日には一和会最強・最大勢力といわれ、一和会ナンバー2だった加茂田組長が自身の引退と加茂田組解散を決定。

 そして5月14日一和会を震撼させる事件が起こった。竹中組幹部ら4人が、自動小銃や、消火器爆弾、ロケット弾などで武装し、山本広邸への突入を図り、警戒中の警察官3人を銃撃したうえで、ロケット弾を撃ち込んだが防御ネットで跳ね返され、空中で爆発。

 この事件の実行犯が現在六代目山口組直参の安東美樹・二代目柴田会会長である。

 結果として山広邸襲撃は失敗したが、一和会は山口組執行部が抗争終結に向けて動く中にあって、竹中組の執念を思い知らされ大きく動揺したのだ。

 加茂田に続き、5月21日には本部長の松本勝美・松美会会長が引退、組を解散させるなど、直参が相次いで脱退していった。

 7月12日には風紀委員長の松尾三郎・松尾組組長が銃撃されて重傷を負ったが、一和会系組員による犯行で、内紛だった。

 松尾は山口組が提示する「一和会解散、山本広引退。その代りに山本広の命を保証する」という条件で。一和会内部をまとめようとし、これに反発する勢力が粛清を図ったものだった。 

 これを機に、『同志に銃口を向ける組織に忠誠を守る必要はない』と狙撃された松尾はもとより、北山組織委員長ら11人が同15日までに脱退した。分裂時山口組を上回る6000人の勢力を誇った一和会はわずか4年で50人足らずになってしまった。

 それでも山本広は石川や長野らのヒットマンをはじめとする服役者の受け皿となるべく。一和会の解散、自身の引退を拒み続けていた。

 だが、石川らの控訴審判決を目前にした平成元年3月16日、一和会解散と自身の引退を記した書状を山口組の渡辺若頭に手渡し、19日には東灘署に解散届を提出した。

 そして判決後の30日、山本広は稲川会最高幹部に付き添われて、山口組本家を訪問。

 田岡三代目と竹中四代目に謝罪。

ここに山一抗争は完全に終結したのである。―完-

山口組(17画)大吉名

田岡一雄  凶名 人格9(絶対的短命運)

田岡フミ子 凶名 人格9

竹中正久  凶名 人格9

中山勝正  凶名 外格9

(一)南力(一)凶名(人格部・姓の南9)

宅見勝(一)凶名人格19絶対的短命運

竹中武(一)凶名地格 9

渡辺芳則  凶名地格19

池田一男  凶名外格14(氵は水で4・池は7)

**

一和会(「会は會で13画」・22画)大凶名

山本広(一)凶名人格20「広は廣で15画」

加茂田重政凶名 人格14

松尾三郎凶名  人格10

伊原金一凶名  地格 9

 

長野修一凶名  外格 9

田辺豊記凶名  人格40(辺は邊で22、辶は辵で7、豊は豐で18)

立花和夫凶名  外格 9

長尾直美 大吉名

石川裕雄 大吉名

***

稲川会(31)大吉名

稲川聖城   大吉名

 

會津小鉄会(52)大吉名

高山登久太郎 大吉名

↑永人

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最終回・抗争終結へ

竹中四代目暗殺事件の真相

最終回・抗争終結へ

5月7日には一和会最強・最大勢力といわれ、一和会ナンバー2だった加茂田組長が自身の引退と加茂田組解散を決定。

 そして5月14日一和会を震撼させる事件が起こった。竹中組幹部ら4人が、自動小銃や、消火器爆弾、ロケット弾などで武装し、山本広邸への突入を図り、警戒中の警察官3人を銃撃したうえで、ロケット弾を撃ち込んだが防御ネットで跳ね返され、空中で爆発。

 この事件の実行犯が現在六代目山口組直参の安東美樹・二代目柴田会会長である。

 結果として山広邸襲撃は失敗したが、一和会は山口組執行部が抗争終結に向けて動く中にあって、竹中組の執念を思い知らされ大きく動揺したのだ。

 加茂田に続き、5月21日には本部長の松本勝美・松美会会長が引退、組を解散させるなど、直参が相次いで脱退していった。

 7月12日には風紀委員長の松尾三郎・松尾組組長が銃撃されて重傷を負ったが、一和会系組員による犯行で、内紛だった。

 松尾は山口組が提示する「一和会解散、山本広引退。その代りに山本広の命を保証する」という条件で。一和会内部をまとめようとし、これに反発する勢力が粛清を図ったものだった。 

 これを機に、『同志に銃口を向ける組織に忠誠を守る必要はない』と狙撃された松尾はもとより、北山組織委員長ら11人が同15日までに脱退した。分裂時山口組を上回る6000人の勢力を誇った一和会はわずか4年で50人足らずになってしまった。

 それでも山本広は石川や長野らのヒットマンをはじめとする服役者の受け皿となるべく。一和会の解散、自身の引退を拒み続けていた。

 だが、石川らの控訴審判決を目前にした平成元年3月16日、一和会解散と自身の引退を記した書状を山口組の渡辺若頭に手渡し、19日には東灘署に解散届を提出した。

 そして判決後の30日、山本広は稲川会最高幹部に付き添われて、山口組本家を訪問。

 田岡三代目と竹中四代目に謝罪。

ここに山一抗争は完全に終結したのである。―完-

山口組(17画)大吉名

田岡一雄  凶名 人格9(絶対的短命運)

田岡フミ子 凶名 人格9

竹中正久  凶名 人格9

中山勝正  凶名 外格9

(一)南力(一)凶名(人格部・姓の南9)

宅見勝(一)凶名人格19絶対的短命運

竹中武(一)凶名地格 9

渡辺芳則  凶名地格19

池田一男  凶名外格14(氵は水で4・池は7)

**

一和会(「会は會で13画」・22画)大凶名

山本広(一)凶名人格20「広は廣で15画」

加茂田重政凶名 人格14

松尾三郎凶名  人格10

伊原金一凶名  地格 9

 

長野修一凶名  外格 9

田辺豊記凶名  人格40(辺は邊で22、辶は辵で7、豊は豐で18)

立花和夫凶名  外格 9

長尾直美

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稲川会(31)大吉名

稲川聖城   大吉名

 

會津小鉄会(52)大吉名

高山登久太郎 大吉名

↑永人

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⑳一和会の自壊

竹中四代目暗殺の真意

⑳一和会の自壊

 竹中暗殺の指揮役だった一和会常任幹事だった石川裕雄・悟道連合会会長が逮捕(7月11日)されたのはこのような情勢の元であった。山一抗争はここまでで、

山口組側に竹中を含む死者8人、負傷者17人

一和会側に死者17人、負傷者48人を出していた。

 そして昭和62年2月8日、山口組は緊急直系組長会を開き、中西組長代行が、「一和会との抗争を終結します。今後一和会とは事を構えないように」と一方的な抗争終結宣言を出した。

 一和会もまた10日に抗争終結を決定した。

この抗争宣言から約1か月後の3月14日に、ヒットマン8人に大阪地裁判決が出ている。

先にも触れたようにこの段階で北山ら一和会最高幹部は、ヒットマンを迎えられるよう組織の存続を考えていた。

だが、一和会は自壊を始める。

6月13日、一和会二代目山広組傘下の川健組組員が、大阪枚方市のレストランで山口組系二代目山健組傘下の池田一男・中野会副会長を射殺した。

この事件は当初、大阪の砂子川組の犯行と誤解され、同組に報復攻撃がかけられたが、のちに山広組傘下の犯行と分かり、この終結破りに山口組側は怒りを増幅させた。

 昭和63年1月3日、山広組事務所前で同組事務局長が、その報復で射殺された。

 2月27日には前日に出所した加茂田重政の放免祝いから帰る山本広を襲撃しようと手りゅう弾などを持った竹中組幹部らが逮捕されている。

 4月11日には札幌で、加茂田組傘下の丹羽勝治二代目花田組組長が、弘道会傘下司道連合組員に射殺された。竹中の墓前での射殺事件の報復だった。

既に勢力差は歴然としており、一和会に反撃する余力はなかった。 最終回へ続く。

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安倍晋三が公明党を脅す!!

安倍晋三が公明党を脅す

公明党集団的自衛権一転容認へ

 歴代政権が「出来ない」と禁じてきた集団的自衛権を行使できるようにして本当にいいのか。

 ゴリ押しする安倍に対して強く抵抗してきた公明党があっさり寝返った。

 安倍の脅しに震え上がり、大慌てで白旗を上げたらしい。集団的自衛権を行使できるように、この国会中に「閣議決定」をする予定だった安倍官邸に対し、公明党は『まだ議論すべき点は多く残されている』と突っぱねてきた。ところが一転閣議決定を認めることになった。

 「とにかく代表の山口那津男さんが『集団的自衛権は認められない』と妥協しようとしなかった。支持母体の創価学会の意向が有ったのかも知れない。

 それが急転直下、公明党は閣議決定を認めることになった。

ただあれだけ抵抗しておきながら、何の成果もなく、容認するわけにはいかない。

 そこで閣議決定を国会会期中ではなく、国会閉会後に遅らせることで、自民党と話をつけたようです。

 これなら、公明党が安倍首相の暴走にブレーキを掛けた。時間をかけて議論したと支持者に説明できる。でも実態は公明党の全面譲歩ですよ」(政界関係者)。

公明党が「集団的自衛権」の行使を容認するのはシナリオ通りという見方がないわけではない。しかしこのタイミングで慌てて方針転換したのは。えげつない脅しがあったからだ。脅しの一つは安倍のブレーン、飯島勲参与の発言である。

 わざわざアメリカで公明党が最も嫌がる「政教一致」について発言した。公明党と創価学会の関係は、『政教一致』と騒がれてきたが、法制局の発言の積み重ねで『政教分離』ということになっている。

 法制局の答弁が変われば直ぐにでも『政教一致』が出てきてもおかしくない。

 集団的自衛権を禁じてきた従来の憲法解釈を変えるように「政教分離」も「政教一致」へ変えるぞ!という脅しである。しかし公明党がそれ以上にビビったのは、『創価学会のカルト認定』だったらしい。

 先週あたりから政界の裏側では『もし公明党が集団的自衛権に反対したらアメリカが創価学会をカルト認定するらしい』という情報が流れ始めた。

 この情報に公明党が真っ青になったのは間違いない。

『創価学会はフランスではカルトと認定されていますが、大した実害はない。だがアメリカにカルト認定されたら激震が走る。アメリカは宗教に寛容な国ですが、宗教団体が過激な政治活動をした場合、宗教団体の免税特権などを剥奪することになっている。

創価学会はアメリカにも大学を持ち創価学会インターナショナル(SGI)が世界中で活動している。

アメリカにカルト認定されることだけは避けたいはずです」(霞が関事情通)

 公明党が方針転換裏にどんな事情があったのか、集団的自衛権を認めるのは方針通りだったとしても、国民の期待をあおり、最後に裏切った公明党はいずれ国民から強烈なしっぺ返しを受けるはずだ。

もちろん安倍晋三も・・・

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安倍晋三が公明党を脅す!!

安倍晋三が公明党を脅す

公明党集団的自衛権一転容認へ

 歴代政権が「出来ない」と禁じてきた集団的自衛権を行使できるようにして本当にいいのか。

 ゴリ押しする安倍に対して強く抵抗してきた公明党があっさり寝返った。

 安倍の脅しに震え上がり、大慌てで白旗を上げたらしい。集団的自衛権を行使できるように、この国会中に「閣議決定」をする予定だった安倍官邸に対し、公明党は『まだ議論すべき点は多く残されている』と突っぱねてきた。ところが一転閣議決定を認めることになった。

 「とにかく代表の山口那津男さんが『集団的自衛権は認められない』と妥協しようとしなかった。支持母体の創価学会の意向が有ったのかも知れない。

 それが急転直下、公明党は閣議決定を認めることになった。

ただあれだけ抵抗しておきながら、何の成果もなく、容認するわけにはいかない。

 そこで閣議決定を国会会期中ではなく、国会閉会後に遅らせることで、自民党と話をつけたようです。

 これなら、公明党が安倍首相の暴走にブレーキを掛けた。時間をかけて議論したと支持者に説明できる。でも実態は公明党の全面譲歩ですよ」(政界関係者)。

公明党が「集団的自衛権」の行使を容認するのはシナリオ通りという見方がないわけではない。しかしこのタイミングで慌てて方針転換したのは。えげつない脅しがあったからだ。脅しの一つは安倍のブレーン、飯島勲参与の発言である。

 わざわざアメリカで公明党が最も嫌がる「政教一致」について発言した。公明党と創価学会の関係は、『政教一致』と騒がれてきたが、法制局の発言の積み重ねで『政教分離』ということになっている。

 法制局の答弁が変われば直ぐにでも『政教一致』が出てきてもおかしくない。

 集団的自衛権を禁じてきた従来の憲法解釈を変えるように「政教分離」も「政教一致」へ変えるぞ!という脅しである。しかし公明党がそれ以上にビビったのは、『創価学会のカルト認定』だったらしい。

 先週あたりから政界の裏側では『もし公明党が集団的自衛権に反対したらアメリカが創価学会をカルト認定するらしい』という情報が流れ始めた。

 この情報に公明党が真っ青になったのは間違いない。

『創価学会はフランスではカルトと認定されていますが、大した実害はない。だがアメリカにカルト認定されたら激震が走る。アメリカは宗教に寛容な国ですが、宗教団体が過激な政治活動をした場合、宗教団体の免税特権などを剥奪することになっている。

創価学会はアメリカにも大学を持ち創価学会インターナショナル(SGI)が世界中で活動している。

アメリカにカルト認定されることだけは避けたいはずです」(霞が関事情通)

 公明党が方針転換裏にどんな事情があったのか、集団的自衛権を認めるのは方針通りだったとしても、国民の期待をあおり、最後に裏切った公明党はいずれ国民から強烈なしっぺ返しを受けるはずだ。

もちろん安倍晋三も・・・

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野中広務が安倍晋三を痛烈に批判

⑳は2日ほど休みにさせていただきます。

 2日ほど石巻を離れ松島に来ました。竹中組長暗殺の原稿をウッカリ石巻に置いたままでしたので、2日ほど休みます。ご了承願います。

野中広務が安倍晋三を痛烈に批判

日刊ゲンダイ7・26

 風向きが完全に変わったぞ!

安倍政権の終わりの始まりがいよいよ鮮明になってきた支持率の下落、不支持率の大幅上昇に加えて、昨日はウォール・ストリートジャーナル紙が安倍氏が日本の首相でいられるのもあとわずかになるかもしれない」と書いた。

と思ったら野中広務元官房長官も沖縄で開かれたシンポジュウムでこう吠えた。

 『憲法によってできた内閣がその憲法を無視して解釋でことを図ろうというのは本末転倒です』

 政局感にかけては動物的嗅覚のある野中広務のことだ。

風向きが変わりつつあるのも当然わかっているのだろう。沖縄でのシンポジウムでは言葉を選びながらも痛烈批判を連打した。

 『総理はよくあれだけ体が続くな、と思うくらい海外に行って交流の努力をしているが大切なのは中国、いちばん近い韓国、北朝鮮といかに友好親善を図っていくかです。

それが日本の悠久の平和につながると思うし、沖縄の負担の軽減にも役立っていく。総理はどうして自ら韓国や中国に自ら行って話し合い仕様という努力をされないのか。残念です』

 「すべては『総理が発想して総理が決めた』そういう形に国の姿を持って行こうというのが今の政治の姿です。国会は最大の審議機関であるのにそれを無視してやっている。

与党からも声が出ないのは悲しいし、野党は自民党にすり寄ってばかりで恥ずかしい」このシンポジウムは『躍進日本!春風の会』が主催し、「月間日本」の発行人、南丘喜八郎氏が司会した。鈴木宗男氏や鳩山由紀夫元首相。太田昌秀元沖縄県知事らが参加、大勢の聴衆が集まった。

このようにして安倍おろしの声は日増しに強まっている。

 

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⑲ 田岡未亡人(フミ子)の死去

田岡未亡人(フミ子)の死去

12月9日には加茂田の自宅で放火未遂事件が発生。同20日には、一和会本部事務所で、松本本部長を送り出して事務所に戻ろうとした組員が銃撃されて死亡し、もう一人の組員が重傷を負った。松本は間一髪のところで難を逃れたのである。

 クリスマスの25日には、一和会の北山組織委員長がボディーガードをつけずに一人で歩いているところを尾行されているのに気付き、いったんは身を隠したが、再び鉢合わせとなった3人組の男に銃撃され、重傷を負った。

 昭和61年1月21日、一和会系加茂田組傘下の小野会会長が、自宅に侵入してきた山口組系竹中組傘下の大西組組員に射殺された。

 翌22日には、和歌山市内の路上で一和会系松美会傘下の吉田組組員が、山口組系小山組組員に射殺された。

 そんなさなかの1月24日、田岡フミ子・三代目未亡人が肝硬変のため死去した。

 その告別式は、奇しくも竹中が襲撃されてちょうど1年目後の1月26日に営まれたが、稲川会をはじめとする友諠団体トップらも参列し、活発な弔問外交が展開され、抗争終結への機運が高まっていった。

 ところが2月27日、山口組系竹中組傘下の柴田会組員2人が、一和会系加茂田組員によって射殺される事件が発生した。この日26日は、竹中の月命日で、柴田会組員は墓所の清掃を行っているところを襲撃されたのである。

 抗争は沈静化しつつあったが、この事件を機に、再び山口組による一和会への報復攻撃が活発化していった。

5月21日には大阪市内でタクシーに乗っていた一和会副本部長の中川宣治。中川連合会会長が横付けされた車に乗っていた山口組系竹中組傘下の生島組組員に銃撃され死亡した。

 一和会直系幹部では2人目の犠牲者だった。この事件以降抗争は急速に下火になっていった。

 一和会は半ば戦意を失い、山口組執行部は抗争終結に向けた組織内の説得工作に乗り出し、また稲川会、会津小鉄会も抗争終結に向け奔走していたからである。 続く

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⑱・ダンプ特攻とユニバ休戦

ダンプ特攻とユニバ休戦

 その激しさを象徴するのが、5月29日に起きたダンプ特攻事件だ。山口組系後藤組と美尾組の組員3人が一和会・山本広会長宅にダンプカーで突っ込み発砲し、警戒中の警察官と銃撃戦となった。

ダンプにはダイナマイトも積み込まれていた。

昭和52年の「第2次松山抗争」で山口組の抗争戦術で有名になったダンプ特攻は6月にも5件発生している。6月23日には高松市のパチンコ店で、一和会系二代目山広組幹部が山口組系一心会幹部らに射殺される事件も起きた。

 山口組、一和会双方の本部がある神戸市では、8月24日から9月4日まで『ユニバーシアード神戸

大会が開かれた』このため、中井一夫・元神戸市長らが奔走し、7月下旬から9月末まで休戦することで合意した。いわゆる『ユニバ休戦』である。

ところが7月27日に山口組の組長代行宅に火炎瓶が投げ込まれ、翌28日には建設中の山口組新本家が放火されるなどの事件が発生し、山口組からの反撃や攻撃も見られた。

先に休戦破りの攻撃を行った一和会は中井元市長に謝罪して改めて自粛通達を出し、中井氏は改めて山口組に対し抗争自粛を要請。これによってユニバ休戦は実行力を伴うものとなった。

 そしてこれを契機に抗争終結に向かうのではないか、という淡い期待も膨らんだが、休戦明け、再び激しい抗争が始まった。

 10月27日未明、鳥取県倉吉市のスナックで、一和会幹事長補佐の赤坂 進・赤坂組組長が山口組系竹中組傘下の杉本組内輝道会組員に射殺された。赤坂は一和会幹事長の佐々木将城の舎弟で、山陰地方に睨みを利かす重鎮だった。

 一和会直系の幹部が射殺されたのはこれが初めてであり、山口組の攻撃が無差別から幹部の狙い撃ちに向けられたことを示唆する事件でもあった。

実行犯の竹中組傘下組員は、赤坂にターゲットを絞り、よく通っているスナックを突き止め、日参していた。

 組員の一人は女装して赤坂に近づく策を思いつき、油断したところを襲撃する計画を立てた。

 そして26日夜、いつもは大勢のボディーガードを引き連れている赤坂が、2人だけを連れて店に来た。

女装ヒットマンは電話でもう一人の組員を呼び出した。日付が変わり、赤坂が帰ろうとしたところを、電話で呼び出され、カウンターでグラスを傾けていた組員が銃撃し、お付の組員一人にも銃弾を浴びせた。

 女装のヒットマンはもう一人のお付を包丁で刺した。続く

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⑰ 『5月血戦』

『5月血戦』

 4月4日、山口組系豪友会傘下の岸本組幹部が、宅配便を装い、一和会系中井組本部に侵入し発砲、組員1人が死亡、1人が重傷。

 4月12日、山口組系弘道会傘下薗田組組員が、一和会系水谷一家傘下隅田組組員2人を拉致し、翌13日名古屋市内の病院前で発見され、1人が死亡、1人重傷。

 弘道会傘下の菱心会系組員も拉致され、17日に重傷を負い発見された。

一和会の山本 広会長は、竹中暗殺事件以降、行方がわからなくなっていたが、4月14日の定例会に約80日ぶりに姿を現した。

 無差別攻撃ともいえる報復を受けている一和会の結束を図ることに最大の目的があったが、その定例会の帰りがけ、一和会副幹事長、吉田好延・吉田会会長の乗った車に山口組系後藤組組員が発砲するという事件も起っている。

 4月21日、一和会系加茂田組傘下西林組事務所に山口組系二代目山健組傘下極心連合会組員が乱入発砲し、幹部一人が重傷。

 4月23日、山口組系二代目山健組傘下の二代目健竜会系組員が和歌山市内のクラブで、一和会系松美組傘下の光山勝治・光山組組長を射殺。

 同日、神戸市内の山健組本部事務所近くの駐車場で

加茂田組傘下組員が車の中から発砲し、組員1人が死亡し、流れ弾で市民1人が重傷。事件があったのは、山口組若頭で山健組組長の渡辺が事務所を出ようとし、組員が駐車場に集まったところだった。

 4月29日、一和会系加茂田組傘下組員が、加茂田組長自宅の路上で銃撃され重傷。

 5月5日石川県加賀市の一和会系加茂田組傘下の宮原組内奥原組事務所に宅配便を装った山口組系紺谷組幹部2人が侵入、発砲し、同組若頭が死亡。組員1人が重傷。

 5月5日、山口組系岸本組本部事務所付近で車から降りてきた岸本組傘下南野組組員が待ち伏せしていた男に撃たれ死亡。

 ヒットマンの初公判を目前にした5月23日から24日にかけては、一和会系加茂田組傘下の小野会・会長が兵庫県加西市のパチンコ店で銃撃されるなど7件の事件が相次いだ。

 5月4日には、竹中四代目の百か日法要が執り行われているが、5月だけでも、山口組側から45件、一和解側から14件の攻撃があり、死者2人、重傷者5人を出し、「5月血戦」と言われた。続く

 

 

 

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