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こころの教え:病人のためになる事を私の手でしてあげたい

       2・病人のためになることを私の手でしてあげたい。

                        八鹿小学校 六年三組 梶原恵子

今私は医者になりたい。とてもなりたい。それも体に障害を持った子ども達の医者になりたいと思っている。脳性小児マヒとか足の悪い人とか、この世の中では、病気はなくならないものでありながら、それをなおす病院が少ないということだ。それに施設も少ない。

良い病院に入ろうと思ったらお金がたくさん掛かる。それでは貧乏な人は家に閉じこもっている居るより他に方法はないということになってしまう。そのような事を成るべく無くすために、医者か看護婦になり、無料で体をなおしてあげたいと思っている。

しかしわたしには設備を整える事が出来ない。
とても私の持っているお金ではそろえる事が出来ない。せめて病院に勤め、病人の面倒を診てあげたい。それが駄目な場合は、学校の先生になり、みんなに私の持っている知識を分けてあげたい。

今は少しの知識でも、大きくなれば今以上に身に着ける事が出来るだろう。それをみんなに分けてあげたいのだ。

だが、なんと言っても看護婦になり、日本から少しでも、病気で苦しむ人を少なくしてあげたい。たとえシュバイツアー博士のような素晴しい業績ではなくても、病人のために成ることを、私の手でしてあげる事を出来る事を望むのだ。

                    ☆

使命を果たすにはどんな条件が必要かも、考えなければなりません。

人間が人間に生まれさせてもらったのは、何かしなければならない仕事があって、その人でなければ出来ない仕事をする為だと思います。つまり何かのお使いのために人間の世界にやってきているのだと思います。

ところがたくさんの人間のなかには、そのお使いの用事を忘れてしまって、お使いの用事をしないばかりか、いたずらや、悪さだけして帰って行ってしまう人が多いのです。

その大切な用事をこれからしなければならない若い人たちの中にも、用事を忘れている人が、ずいぶんたくさんいます。そういう人は直ぐ分かります。

生意気な人というのは用事を忘れた人です。真面目に用事をするのが馬鹿らしくなった人が、生意気に成るのです。

目の光がドロンとにごっている人は、用事を忘れた人です。忘れたと言うより、用事がみつからないのだ、とも言えそうです。

何でもかんでも反抗する人、ぐれている人は用事を忘れた人です。梶原さんは目も生き生きしているし、これは自分でなければ出来ない用事が、もうちゃんと見つかっていて、それで、生き生きしているんだと、前から考えていました。・・・②へ
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被災地模様:7・川水の浄化

                7・川水を浄化

国内有数の浄水技術を持つ戸倉工業〔東京都〕は3月23日午後、石巻市中央2丁目の北上川右岸に川水を浄化して飲用水にする車載型プラントを設置した。当面洗濯など生活用水として供給し、石巻地方広域水道企業団の検査後、飲用水としても供給する。

川からポンプでくみ上げ、オゾン殺菌、逆浸透膜を使ってきれいにする。災害現場等、飲料水の確保が難しい地区で活躍してきた実績が有るという。1時間当たり4トンの水を浄化する能力を持つのだという。

近くで飲食店を経営する石森慶哉さん(34)は『今まで川水を汲んで店の掃除をしていた。とても助かる』と感謝していた。装置の輸送は日本財団〔東京都〕が行なった。

財団の尾形武寿理事長(66)は石巻市の出身。ふるさとの為、手配を請け負った。当面、午前11時から午後3時まで提供する。場所は石巻中央交番の南側隣接地バスターミナル広場。水が欲しい人はぺットボトル、ポリタンク、バケツなどを持参のこと。

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一日一言:太陽

           4月30日

             太陽

太陽は
夜が明けるのを待って
昇るのではない。
太陽が
昇るから
夜が明けるのだ。
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被災地模様:車が不足

                6・車が不足

多くの車が被災した石巻地方では、生活の足を奪われた市民が次々と自動車販売店に駆け込み、車の確保に必死になっている。だが販売店も、在庫の車を流されてしまった店が多く、被災範囲が広い為、東北全域で車の需要が急増。深刻な車不足に陥っている。

石巻市港町3丁目の・みなとモーター商会・阿部貞夫社長は約3メートルの津波に襲われ、整備工場や、事務所、車両積載車が冠水した。
商品の新車や中古車、整備の為に預かっていた客の車など約60台が流された。

『直ぐ乗れる車が欲しい』
『流された車を運んで』
、震災直後から、続々となじみ客が訪れたが、工具や、書類は泥の中、幹部の千葉栄光さん(60)は『何とかしてあげたいが、どうにも手が打てない』と話し、一日も早い復旧を目指し、社員総出で片付けに追われている。

一方津波被害を免れた石巻市南境の大場モーター(大場昭宏社長)北部バイパス店には、震災翌日から中古車を探す市民が次々と訪れている。
『走れば車種は問わない』と訴える人が多く、震災当初あった40台の在庫はほぼ完売。県外からの仕入れに奔走している。

震災後東北地方の中古車市場は、相場が急騰。同社取締役の大場浩樹さん(25)は、『関東地方中心に仕入れている。価格はようやく落ち着き始めたが、入荷するそばから売れていく状況』と明かす。

新車についても、搬入拠点と成る仙台港が津波で被災した為、「入荷台数は中古車よりも限られる」(前出の千葉栄光さん)という。

さらに車を確保できたとしても、行政の窓口機能が復旧しておらず〔3月27日現在〕証明書類が発行されないために、手続きが進まない事例も多い。

中古の軽乗用車を24日に購入した石巻市大宮町の土木業:追木喜久夫さん(51)は自宅は冠水し、2台の車が流され、同市蛇田の同僚宅に避難している。『車がないと生活が立て直せない、まず給水所と被災した自宅に行き、茶碗1個でも探したい』と疲れた表情で話した。

震災後、潮水に冠水した車を動かした事によるトラブルも続発している。大場さんによると、エンジンをかけると出火したり、一時的に走行できても途中で動かなく成るというおそれがあるという。

又、大場さんは『レッカー依頼の順番待ちは常に15台以上で、万が一、公道上でトラブルがあっても直ぐ引き取りにいけない。自己判断でエンジンをかけず、業者に任せて欲しい』と呼びかけている。
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一日一言:実践で

                4月29日

                 実践で

教師は、勝手にいろいろな事を思ったり、考えたり言ったりしておれば、いい人間ではない。また口先でものを言っていればいい人間ではない。実践でものを言わねばならぬ人間である。
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こころの教え:私は肉が食べられません②

          わたしは肉が食べられません:②

                 ☆☆

これらは、しっかりとみんなのためにはたらく為に与えられたものだと思います。つまり人間は、人類の進歩のために尽す為、その用事のために生まれて来たのだと思います。

それだのにその用事を忘れて道草をしたり、人に迷惑をかけたり、自分だけの幸せに酔っ払っていい気に成ってしまったり・・・という人がずいぶん居ますね。そんな人は、お使いに行ったのに用事を忘れているのと同じですね。

さて、米沢さんの願いを読んでも、食べ物の好き嫌いを考えても、命を持っているものへの強い愛の心が、米沢さんの心の柱となって居ることを感じます。これも嬉しい事です。

平気でモノの命を殺し、残酷を残酷と考えない人が多くなっている今、米沢さんのように、モノの命の尊さをはっきりと感じられる人が居てくれることは、とてもとても嬉しい事です。

仏教を開かれたお釈迦様も、米沢さんのような人で、モノの命を取る事〔殺生〕を一番悪いことだと教えています。ですから、仏教を信じているお坊さんの中には、今でも魚や、肉を絶対に食べない人が居ます。


出汁(だし)に使うジャコさえ、お汁や、おかずの中に入れない食事を取っている人が居ます。ちょっと米沢さんに似ていますね。私はそういう人を大変偉いと思います。

しかし、また考えてみると、私たちは、ご飯を食べても、豆腐を食べても、みんな『生き物の命』を食べているのです。命を食べなかったら私達も生きてはいけないのです。

だからモノの命を取っても構わない、と言うのではありません。少なくとも、ご飯を食べる時には、手を合わせ『すみません、頂きます』ぐらいのあいさつはしなければいけないと思います。

『あいさつをしたから何を食べてもいい』ということではありませんが、食べただけの働きは必ずする事が大事だと思います。

魚の肉、牛の肉、鶏の肉をいただく時は、「すみません、その代わり、きっと世界が幸せに成るように働かせてもらいます」という心になってもらいたいと思います。

命のあるものを何も食べないで、病気になったり、死んでしまったりするよりも、元気な力を養ってもらって、『世の中のためにいっぱい働かせて貰う』事の方が“大きい愛”だと米沢さんは思いませんか。

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被災地模様:『もう終わりだ』死を覚悟


            5・「もう終わりだ」死を覚悟。

「津波に襲われたが、運良く浮いた自宅屋根に這い上がった。沖に流される途中、水面に出ていた鉄筋二階の建物に飛び移る事が出来た」

石巻市門脇(かどのわき)町5丁目の自宅で、日本製紙石巻工場の嘱託社員・横山守さん(63)は恐怖と奇跡の体験を語った。自身が発生して家族を高台へ避難させた後、自分も逃げよとしたが遅かった。

大きな波が迫っているのが見えたため、2階に駆け上がり、太い柱にしがみついたが、津波の勢いで家の柱は次々に折れた。無意識で屋根の金具をつかみ上によじ登った。建物から切り離された屋根が船のように浮いた。

三角になった屋根の頂上にまたがった。第2波は比較的小さかったが、第3波が大きかった。「ひっくり返されて終わりだ」と覚悟したが、屋根がうまい具合に津波に乗った。雪が降ってきて下半身が冷えた。

漂流している板切れを広い、テレビのアンテナをまげて囲いを組み、風除けにした。すると津波が又引き始めた。

「このまま沖に流されて死ぬのか」とコンクリートの建物の2階窓が近づいてきた。私の自宅から東南東へ200メートル先にあった南浜町3丁目の共栄クリーニング店だった。

屋根から窓に跳び移ると店の男性が一人いた。店にあった毛布にくるまり、床は濡れていたため、たったまま二人で一夜を過ごした。

夜は門脇小学校や、南浜町の火災を目撃。車のガソリンタンクに引火して次々に爆発するのを見た。翌12日午前11時頃、ようやく水位が下がった為、北側の高台まで歩き、同市、日和が丘4丁目の友人の家に避難した。

その日のうちに家族と再会し、喜び合ったという。

                    ☆

私(吉野永人)は3月11日16時30分頃、高台の門脇幼稚園屋上から共栄クリーニング店の方向を見渡したが、二人の姿は見えなかった。
勿論こうしたドラマの展開など知る由も無かった。

これより前の3月はじめに替え上着とズボン、毛糸のチョッキを共栄クリーニングさんへ依頼していた〔取引してから20年に成る〕が、この津波で多分流されたのだろうと覚悟したが、取り扱った店員さんが無事らしいと他から聞いているものの、今日まで私のところへの連絡はない。

それにしても横山 守さんは大地震と大津波から命が助かったという意味において本当に運が良かったのだと思います。


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一日一言:磨きあい

                  4月28日

                   磨きあい


磨きあいとは、AとBとCが寄れば、

AやBやCの素晴しさに、

Aの中にもBの中にもCの中にも無かった

素晴しいものが生まれてくる事。

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被災地模様:4・先祖の墓石で命拾い。

4・先祖の墓石で命拾い。
親子の乗った車を先祖の墓が止めた。

先祖の墓石が親子を救った―。3月11日、自家用車に乗ったまま津波で流された、マッサ―ジ師・遠藤孝一さん(51)―石巻市中屋敷1丁目―が、80歳の父親とともに九死に一生を得た。

100メートルほど先の墓地まで漂流した車は、先祖の墓石で止まった。車体は運良く運転石を下に逆立ちするように斜めになり後部座席から

、消防隊員に救助された。遠藤さんは「偶然とは思えない、先祖が命を救ってくれた」と感謝している。

地震が起きた時、自宅に居た遠藤さんは震れが収まった後、近所にいる親類の安否確認のために一端外へ出たものの、送電線が切れ、「バリバリ」という音を聞いた。直後、防災無線で大津波警報が出された為、自宅に戻り、父親を乗せて避難しようと車を走らせた。

地域住民が大勢走って避難していた為、大通りに抜けられず、細い道に入ろうとした矢先、正面と右側から津波が押し寄せてきた。その瞬間車はふわっと浮かび、瓦礫やタイヤなどが次々に車体に当たりながら勢いよく押し流された。

「生きた心地がしなかった」と言う遠藤さん。昨年亡くなった母親の眠る墓の脇を通った。「どうなるのだろう」と死を覚悟した時、ドスンと音がして車が止まった。運転席が下になり、逆立ちするように斜めになった車の後部座席、右側の窓を開けて懸命に脱出。

父親を引きずり出し、トランクについていたウィングに捕まり助けを待った。ズブ濡れの上、降り続く雪で、寒さが厳しさを増す中、近くの2階窓から「頑張れ~」と声を掛けられた。

「オヤジ大丈夫か?」
『ここで死んでいられない、頑張ろう』・・と2人は励まし合った。

3時間半ほどして、救助に来た消防隊員のボートに乗せられ、運河沿い
の堤防まで運ばれ、命拾いした。

水が引いた3日後に現地に行って見るとその墓が母方の先祖の墓だった事を知った。『車を止めてくれた墓石が先祖の墓とは・・・
この墓石が無かったら、車が沈んでどうなっていたか・・・』と話し、

先祖の墓に手を合わせた。

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一日一言:個の確立②

                 4月27日
                 個の確立②

               ・ぼくだけじゃない。
              ・だれ君だってやっている。

               などと集団を隠れ蓑にして、
             どんどん自分を駄目にする若者は、
            集団の甘さの中で育てられたものです
            
           「個」は「集団」の中に埋没してしまい、
            
            駄目な個になってしまっているのです
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