goo

小沢一郎と森ゆうこ参院議員の対談・その五

小沢一郎と森ゆうこの対談・その五

 

マスコミは多分、官僚以上に既得権や利権を持っている。

電波とか、再販とか――小沢

 

森: 例の前田元検事が、小沢先生の裁判、昨年12月の公判で厳しく検察を批判しました。自分が今検察から追われている立場ということもあるかも知れませんが、

「取り調べの初日に木村主任検事から『これは特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢を挙げられなかったら特捜部の負けだ』と言われた」と証言したり、「検察の書いたストーリーは荒唐無稽な妄想」とまで公判で証言しました。

 私もそう思うんですが、そのストーリーを描いたのは一体誰なんでしょう。

 小沢:やっぱり官僚の、変革に対する恐怖心かも知らんね。

 森:無意識のうちに?

 小沢:いやそれは意識しているんじゃないかな。それと官僚の中でも検察は自分たちが社会正義を実現しなきゃいけないと。

 自分たちこそ月光仮面だという意識が非常に強いから、他の役所よりも。それで権力を持っているからね。

 だからそういう行動をしたんじゃないかな。

だって最初の西松建設事件だって、具体的な証拠もないのに最初から強制捜査なんだもん。

 何の聞き取りもない見込み捜査とよく言われるけど、

「やりゃあ、なんか出るだろう」と。

 森: 全部オープンにしているお金なのに。

 小沢:ほんとにもう。

 森: だから例の記載時期の「期ずれ」の話も。わざわざ裁判公判に会計の専門家を呼んで、私はすごくばかばかしいと思ったんですけど、これは真っ当な会計処理である。

 問題の無い正しい会計処理だと。そんなことをわざわざ専門家を呼ばなきゃ分からんような裁判長や指定弁護士、あるいは検察はどうかしてるよって。

 小沢: 理由はどうであれ、不動産は登記した時に所有権が確定するんだから、その時に報告して何も悪くないと、こう(会計の専門家が)証言しちゃったんだよね。

これをずーっと隠し続けていたならこれは問題だけれども、ちゃんと報告してるわけだから。

 森:今回の事件で、マスコミは石川さんが現金をANA 

ホテルで受け取ったというビデオまで作って流したわけです。

小沢:TBSだっけ。

 森:はい。わたしは同僚議員から聞いて、「TBSはひどいことをやっている」って。

それで私も「NEWS23」で見たんですよね。

見た時に変だと思ったんですよ。

 たまたまその現場に居合わせた人物、水谷建設関係者ということで、その男性が全部モザイクで証言しているんですが、「石川さんがここに座って」と図解して指さすんです。

 モザイクから透けて見えるのは、きちんとしたスーツ姿なんですね。だけど指さす時の指先だけはさすがにモザイクが外れるんですが、爪が伸びていて真っ黒だったんですね。

 それを見ておかしいと思ったんです。だってANAホテルですよ。ANAホテルのロビーで、水谷といえばそれなりの企業でしょ。

 その関係者でたまたまそこに居合わせるような人が爪が伸びてて真黒だなんて、おかしいと思ってその男性の証言の書き起こしをネットで読んだら、「長身のスーツの男性が入ってきた。それが石川議員だった」って言う証言なんです。これはもう絶対嘘だわって。

小沢:長身じゃないじゃない(笑)  続く

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小沢一郎と森ゆうこ参院議員の対談・その四

 

小沢一郎と森ゆうこ参院議員の対談・その四

 

虚偽記載で捕え、供述調書を虚偽記載する・・・

検察審査会法の前提が崩れている――森

 森:私も西松事件の当初から、素人なりに事件の解説を書いたり、Q&Aを書いたり、檄文を作ったり、独自の調査をやって来ました。そして検察審査会の方に問題が移って、検察審査会事務局が9月14日に議決した審査員の平均年齢を3回も発表したと。

 10人の平均年齢を11で割るという,ばかばかしい話からスタートして、検察審査員を選定するためのくじ引きソフトを調査したり、調査のおかげでいろいろなことが分かってきたんですけれども。

 小沢: 制度の仕組みとして検察が起訴できない人をなぜ違うところが起訴するんだって云う、その問題があると同時に、それは別にしても日本の民主主義社会に全く真っ暗闇のベールで包まれている場があるということね。

 これがやっぱり非常に不思議なところだね。建前から言うと検察は法務大臣の所管だから、政治家が本気になれば情報は全部出させられる。

 検察審査会は裁判所の系統でしょ。そうすると政治が全然チエック出来ない訳だ。それでオープンならいいけど、暗黒でしょ。

 森: しかも調査の過程で分かったのは、都合が悪くなると「独立した機関です」「情報は非公開です」と。

 検察審査会法の条文を盾にとって、当然開示してもいいはずの情報まで最高裁が押さえてるんですね。

 でも実際には、その仕事は裁判所の事務官がやることになっています。実際は最高裁がすべてを抑えている。

 それでわたしも検察審査会法の改正案を1年半前につくって、民主党の法務部会のワーキングチームに提示したんですが、ちょうど今日、参議院の法制局の方にぱったりあったら「先生、あれをさらに進化させて、もっとやりましょう」と言われたんです。

 小沢先生がおっしゃったように、秘密のベールに包まれているということも問題なんですが、少なくとも、検察当局がきちんと法と証拠に基づいて捜査をし、そしてその捜査報告書をきちんと判断材料として提供するということが大前提で、小沢先生の裁判のように、そもそも捜査した側が捜査報告書を捏造するとか、供述調書の虚偽記載をしてしまう。

 虚偽記載で捕まえといて、供述調書を虚偽記載するって、もうブラックユーモアなんてもんじゃないですよ。

 そもそも検察審査審査会法の前提が崩れている。

そういうことも考えてもう一回法改正を考えなければならない。

小沢:仕組みとすると裁判所が起訴までしちゃうということになってしまった。起訴して自分で判決すると。

 森:いや本当にとんでもない話ですよねえ。立法府が国権の最高機関なわけですから、司法、それからこれは行政権の行使ですけれども検察、それらをもっときちんとチエックしてもいいと思うんです。

 でも、これをたとえば国会で取り上げると、司法に対する国会、政治の介入っていうふうに批判される。

これは的外れだと思うんですよ。

 小沢:変ですよ。ちゃんと裁判官訴追委員会も弾劾裁判所も最初から法律で認められているんだから。

 主権者の代表として、国家の最高の地位を認められているんだから、もうすこし本当の意味での国政調査権を行使すべきだと、これをもっとはっきりしていいと思う。  続く

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小沢一郎と森ゆうこ参院議員の対談・その三

小沢一郎と森ゆうこ参院議員の対談・その三

反対派を取り込むつもりの鳩山さんだったが。

 小沢: 好意的に考えると、彼の説明は反対した人たちは全部取り込みたいと。そういう人事をしたいという説明だったよ、僕に対しては。人事権はもう総理総裁にありますから「ああ、そうでか」って。

 森: 本人のいないところで個人名を出して批判するのは良くないと思うんですけども、今また藤井裕久さんを党の税制調査会長に起用して、党が政府にかかわりましょうということで使ってらっしゃるのは、私はすごい失敗だったなと思っています。

 藤井さんは党の会合で「君たち一人ひとりの言葉が歴史に刻まれる。そこまでの責任を持ってものを言え」というようなことを言っていらっしゃいました。

 わたしは既に文部科学副大臣だったので、その会議には出ることはできませんでしたが、もし私が出ていたら

「藤井さん、あんたにその言葉そっくり返してやります」って言いたかったんですけどね。だって自由党の時に藤井さんが言っていたことと、今言っていることは違いますからね。先祖がえりしちゃったんです。

 小沢:先祖返りするんですよ。大蔵官僚に戻っちゃった。

 森: もう「ザ・財務省」「ザ・大蔵省」になっちゃったというか。

 小沢: もともと叩き込まれた本質だから。

 森: 今回の増税の話が、あれはどうしてあんなに増税したいのかがちょっと良く分からないんですが。過去の歴史からしても、今のようなデフレの状況の中で大増税をして大失敗をしたというのは、ついこの間の日本の歴史の中にあります。

小沢: ある。

 森;それからアメリカも世界恐慌の時に、フーバー大統領が増税をやってさらに不況を深刻化させています。

 小沢: だからレーガンは逆に減税した。レーガノミックスっていってね。大減税して、だけど結果は税収が増えたって言うあのレーガノミックスの例もあるんだけれども。普通は景気が悪い時は減税だよね。

 森;今でも「消費税は上げられる環境です」と言うのは一体どういうことなのか。

 わたしも副大臣として政府税調の会議にずっと出てきたんですけれども、財務省に質問しても、まともな答えは返ってこないんですね。

 小沢;そりゃ、財務省はしょうがないんだよ。財布を預かっているから、取るものは取って出すものを出さないようにと。これは彼らの習性だから。財務省がゆるゆるになっちゃうと歳出圧力だけ強まっちゃうからしょうがない、彼らの立場としては。

 ただ、それをコントロールする力が政治家にないっていうことだよ。

 森;ということは、今は本当に政権交代前に国民にお約束していたことと正反対というか、むしろ官僚主導になっている。

 小沢:だから「自民党よりもひどい」という評判になるんだよね。

 森:国民の皆さんはよく見てる。

 小沢:大衆は「愚にして賢」ですよ。ちゃんと見てる。だから民主党の支持が減っているんですよ。   続く

 

 

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小沢一郎と森ゆうこ参院議員の対談・その二

小沢一郎・森ゆうこ参院議員の対談

その二

大衆は愚にして賢。

 だから民主党支持が減っている――小沢

 

森: そうですね。だから私としては、これは小沢先生をターゲットにしたものではなくて、政権交代阻止が狙いで、このまま放置したら大変だということで檄分を書いて、すべての民主党の総支部に配りたいと。

 大分先生にもご相談したわけですけれども、あそこまでメディアスクラムを組んでやられてしまうと、もう党内世論が「小沢さん、犠牲になってください」と。

 小沢: そうそう、僕が生贄で、それで収めてくださいとなっちゃうな(笑)。

 森: でも私はそれは絶対に違うと思う。小沢先生が他の人たちよりも並外れて力がおありになるから、余計そうだったと私は思うんですけれども、戦う時には大将の首を取った方が勝ちなわけですよね。

これは鳩山先生にも申し上げましたが。

 特に小沢先生のような大将の首取られたら、たとえ政権交代が実現しても、そのあとはどうなるか想像できるなあと思ったので。「絶対にここは戦うべきだ」って皆に言って回ったんですけど、残念ながらあの時はやはり無理だったんですかね。

 小沢: そうねえ。これは僕が言ってるんじゃないけど、政権に対する批判も、結局はそういう民主党の体質に原因があるんじゃないの?今のような政権だったら、別に役人は心配する必要なかった(笑)。

 森: 本当ですね。

 小沢: やっぱりもっとドラスティックな、革命的なことをやられるんじゃないかという、その心配だった訳だから。その意味では、政権交代後の民主党について非常に危惧の念を持っているけどね。

                        大衆は愚にして賢。

だから民主党は支持が減っている――小沢。

 森: 結局は先生が代表の座を降りて、それで政権交代が成就したわけです。それでも先生が幹事長兼無任所の国務大臣として閣内に入るという、そういう形であれば、ここまでひどい状況にはならなかっただろうなと思ったんですけれども。いかがですか。

 なかなかお答えづらいとは思んですが。

 小沢: 政権交代前のネクストキャビネットの時から、幹事長は内閣に入っていたんだよね、副総理として。

 マニフェストなんて今はもう影も形も見えないけれど、マニフェストの中でも内閣の再編成はすることになっていたわけだ。政府与党一体というね。

 だけどあの時どういう風の吹き回しか、鳩山さんが

「今回は幹事長は内閣に入らないでもらうということに決めました」っていう話だったから。

 やっぱり迷惑はかけたくないし、別に僕は入りたいと思わなかったし、

「あ、そうですか」ということになっちゃったんだけど、以来ずっとそのままでしょ。僕じゃない人ならば良かったのかというと、そうではないんだね。

 ずっと幹事長は内閣に入っていない。

 森: そういう意味では、小沢先生が代表でいらっしゃった時のイメージ通りにいかない原因というのは、やはり幹事長が内閣に入らなかったことで、政府与党一体の原則が崩れてしまったことだ、という指摘はありますね。

 ただ、何で鳩山さんが小沢先生を副総理にしなかったのかは――。

 小沢: それは分からないと。

 森: 分からないですねぇ。鳩山さんにいろいろ囁(ささや)く人が居たんですかね。 続く

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小沢一郎と森ゆうこ参院議員の対談

小沢一郎と森ゆうこ参院議員の対談

                            森ゆうこ著(検察の罠)より

                  あの西松事件が罪ならどの政治家もアウト

 森ゆうこ: 改めてこの三年間を振り返ると、西松事件はもう「事件でさえない」と云うことになっています。

 小沢一郎: どうなっちゃっているのかね、あれも。

 森:ひどい話ですよね。訴因変更というか、ウルトラCというか、あり得ない方法を使って、あのままやったらもう完全に負けだから。西松建設事件、陸山会事件とは一体何だったのか。先生はどんな風にお考えですか。

 小沢:やっぱり問題は政権交代を阻止すると。何が何でもそのためには小沢を訴えて、ということなんだろうけど。たまたま僕個人が標的になったけれども、菅憲というか、役所、役人が、政権交代の直前に直接的に権力を濫用して、政治に関与するということは、これはもう民主主義国家じゃない。暗黒政治の話でね。

 このことが一番問題であって、僕自身じゃなくて政治家みんなが、国民みんなが考えなきゃいけないことです。

みんな人ごとみたいに思っているけれども。君がよく言ってたじゃない?検察の機嫌取りをしなきゃ、政治家が出来なくなっちゃうって。

 :特に「ダミー団体」が問題になった西松建設事件は、おそらくみんな分かってきたと思うんですが、あれで本当に罪になるんだったら、どの政治家もアウトだなと。

 小沢:全員アウトだよ。

 森:分かってたはずなんですね。本当に分からないって言う人はよほど政治資金規正法が分からないのか,あるいは敢えて目をつぶろうとしているのか。

 小沢:献金が一銭もなかったのか(笑)

 森: ある程度の献金を団体から受けている人なら、あれは誰でも全員しょっ引かれます。

 小沢: そうそう。特に労働組合なんかみんなそうだよね。あれは皆産別組合で集めた金で献金している訳だから。

 森: そうなると、だれをタ-ゲットにするか、どの献金を事件化するかはすべて検察、先生のおっしゃった官憲の思し召し次第。

 小沢: 検察、警察は最たるものだけど、日本ではその他の部分でも役人の裁量が多すぎるんです。役人の鉛筆のナメ次第でどうにでもなると。

 税務署なんか分かりやすい例でしょう。税務署の職員の裁量で課税されたり、これは経費と認めるとか認めないとか。

 法律の規定そのものが非常に幅が広すぎて、役人に裁量権を持たせすぎる。これが日本のいろいろな矛盾や癒着の最大の原因。

 それは、人間社会ではなかなか杓子定規にはいかない部分もあるから多少の柔軟性と幅を持った裁量権というのはしょうがないんだけど、あまりにも多すぎる。

 何でも役人の思い通りになる。この仕組みが根本的な問題でその最も典型的で象徴的な、そして民主政治に対する影響が強い例が今回の事件なんだね。 続く

 

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

怠慢

怠慢極まりない対応だった

(東電の津波対策)

 

津波が原発の敷地内を襲ったら一体どうなるのか。

6年ほど前、東電と原子力安全・保安院などが具体的に検討していたことが明らかになった。

 タービン建屋が水浸しになって電源を喪失し、原子炉の命綱である緊急炉心冷却装置(ECCS)が機能しなくなるという結果だった。 

福島第一原発事故はその通りの結果を辿って、核燃料の溶融という重大局面に陥った。

 電源喪失の危険性が分かっていたのに、なぜ根本的な対策を講じなかったのか。長年、福島県の浜通りで、10基もの原子炉を稼働させながら、東電は結局、安全性を無視し続けたのではないか。 

怠慢と不作為によって、原子力災害を防ぐ機会を逃したとしか思えない。まさに人災そのものだ。

 電源喪失の可能性を指摘したのは「外部溢水勉強会」と呼ばれる組織。保安院の公開資料によると、「あくまで仮定という位置づけで、想定外津波に対するプラントの耐力」を検討したという。

 何もないのにいきなり始めたわけではない。2004年のスマトラ沖地震「マグニチュード9・1」の津波によって、インドの原発が、浸水被害を受けたことなどがキッカケになった。

 勉強会では電力各社の代表プラントを選び検討した。

東電は福島第一原発5号機で、津波が海面より10メートルの高さなら何の影響もないが、14メートルでは敷地内に高さ1メートルの海水が浸入し、電源と(ECCS)の機能を失う。

 4メートルの差で、全く状況が異なるのは、5号機の敷地がそもそも海面より13メートル高いからだ。

 タービン建屋のどこから浸水するのかも。具体的に示した。福島第一原発では現地調査まで行っている。

 勉強会ではこのほか東北電力、女川原発などでも電源喪失に陥ると指摘された。

 東電は結果をどう受け止めているのか。「現実の津波の可能性や、蓋然性(がいぜんせい=確からしさ)を考慮せず、勉強として影響を確認したものに過ぎない」と言う。

 取るに足りない結果だったとでも言いたげだが、とんでもないことだ。決してそんなことではなかった筈だ。

 仮定だろうが、想定外だろうが、出てきた結果は冷却機能喪失という、これ以上はない深刻な内容だった。

 可能性のあり得るものについては、対策に乗り出すのが、原子力を扱う企業の最低限の務めではないか。

 浸入口の機密性を高めたり、設備の移動やかさ上げなどを行えば済むことだ。何も原子炉を移転させるわけではない。

 電力各社と保安院は、外部溢水と同時に「内部溢水」の影響も検討していた。建屋内の配管や弁からの水漏れによって浸水することを指す。これもフランスの原発で実例があった。

 数年前、浸水と電源喪失は「原子力ムラ」の関心事だったと思われる。それなのに何の教訓も得ないまま放置した。こんな体たらくの揚句の人類を滅ぼしかねない事故だった。

 東電も保安院も,原子力に関わることの適格性を問われるしかないだろう」 終わり。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

これぞ奇偶!!


                  これぞ奇偶!!

家内の実家は高橋と云い、石巻市高木(たかき)に存在する。そこから姪が大崎市鹿島台の畑中家へ嫁いだ。
本年3月中旬、家内の実家でこの姪と会った折、「女児と解かっているので命名をお願いしたい」と依頼された。

親の希望は『ななみ』だという。

そこで、「畑中七奈美」と名付けるように助言した。予定日は4月25日だという。姪に話した『最近はh母親の喫煙や食生活の変化が原因なのか、胎内でへその緒を絡ませる子が多くなった。万が一へその緒が絡んでも、無事生まれるように、胎児を強くするため、腹帯に“畑中七奈美”と縦書きに書くように』と。

                    ☆

私が日赤に運ばれ、入院したのが5月3日・1時30分である。翌4日午後1時ころ、家内の妹夫妻が見舞かたがた来ていただいた。大友さんという。

妹が家内に向かって言った「畑中へ嫁いだ姪は4月25日ごろに生れると聞いていたけれど、どうなった?」

『さあて聞いていないね、もし生まれたならなんとか言ってくるでしょう』と家内が言う。

「それもそうだよね・・・」と言いながら、大友夫妻は2時頃帰って行った。

すると間もなく私の携帯電話が鳴り、出てみると今帰ったばかりの家内の妹の大友さんだった。

「びっくりしたよ!!今3階の産婦人科病棟で畑中さんにばったり会ったのよ。昨晩、生まれたそうだよ。部屋も吉野さんの真下あたりだよ。噂をすれば影というけれど、本当にびっくりするよねえ」というもだった。

                    ☆☆

3時半ごろ、家内の実家の高橋家から家内の弟夫妻、その長男夫妻の見舞いを受けた。

先ほど帰った大友さんから私のことを聞いて来たのだという。もちろん昨夜出産した娘と孫を見に来た訳だ。

弟の妻(産婦の母)が言う
「『出産予定日の25日から大分遅れたので29日に大事をとって入院したのです。ところが昨日3日になって妊婦の顔がむくみ、急きょ帝王切開ということになって、夜7時頃無事に出産したのです。やはり女の子でした。

しかし、赤ちゃんの首にへその緒が二重に巻きついていて、本当に危なかったよねえ』と医師に言われたそうです。

昨24日、午後2時頃に家内と一緒に家内の実家を訪ね、
姪の畑中さんに会い、七奈美さんの出産祝いと命名書とを置いてきた。ありがたいことに順調に育っている。

                    ☆☆☆

偶然にも姪と同じ日赤の建物で、部屋も真下、私の入院した日の夜七時に七奈美さんが生まれた。全く奇偶そのものであったと云うしかない。終わり
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

体調異変。その五

                 体調異変
                 その五

                退院後の要観察


5月7日18時20分ごろ病室(568号室)に戻った。

18時50分ごろ島田医師から『今後胆のうに残っている小さな石の状態を観察して大きくなるような状況になれば、内視鏡で手術することになるが、現在の石が大きくならず、輸胆管の方への移動もなければ、当分そのまま様子見でよいと思う。

今日は内視鏡で少し内部を動かしているので落ち着くまで少し吐き気があるかも知れません』と説明を受けた。

20時ころから翌日8日23時頃まで数回嘔吐したが、その後は落ち着いた。

9日10時ごろ田中淑恵研修医が来て「順調に回復しています。すい炎の心配もなくなったようです」と説明された。

さらに『明日の夕食からお粥で食事を摂(と)れるかも知れません』と言っていただいた。やれやれ漸く一安心、という心境だった。

『ところで吉野さんは何をしていらっしゃるんですか』と聞かれた。

「人生相談を受けています」

『基本的には何で判別するのですか』

「姓名の持っている画数です。姓名を見ただけでどんな人かはすぐ分かります」

『ええっ!それでは私の(田中淑惠)はどうなんですか?』

「田中先生はいくつですか」

『27歳です』

「なかなか結婚できませんね。頭領寡婦運と云って、一般に後家運といわれる39の画数がありますから、良縁を得ることは難しい。つまり結婚しても相手と離婚に至る確率が高いのですよ。家庭より仕事に生き甲斐を感じているはずだし、男を見る目も高いので、田中先生のお眼鏡にかなう男もそうそう居ないと思いますね。

それと親よりも強い運気を持っていますから、ついつい親に心配を掛けてしまうことになりやすいのです。
結婚したいと思っていますか?」


『勿論です。先日父が入院したので帰りましたが、父に言われました"俺が倒れなけりゃ帰って来ないのだから“と・・・』
「先生はどちらの出身ですか?」

『東京江戸川です。吉野さんはどちらに住んでいるんですか?』

「日和山です。石巻小学校の上です」

『この間日和山に登って桜を見て、公園の脇の“風見鶏”で例のシュークリームを食べましたよ』

「それはよかったね。 先生は研修後、宮城に残りますか?」

『う~ん、東京へ帰るかも知れませんね。ところで結婚するためにはどうすればいいのですか?』

「別な“よしえ”をつかえばいいのですが、最低限、別な名を持てばいいのです。その名札の裏側に別の“よしえ”を張っておけばいいのです」

『じゃお願いします。いい“よしえ”を考えて下さい』

“田中良枝”と撰名させていただいた。「田中良枝なら2年以内に良い結婚をする筈だ」と彼女に伝えた。

                    ☆☆

10日夜7時で予定の点滴が一切終わりなそうで、11日・12日とお粥ではあったが三食を摂り、経過も順調で炎症も完全に回復し、13日の朝、島田憲宏医師から14日に退院と告げられた。

ただし経過を診(み)るので、5月25日PM1時から1時30分の間に来るようにと通告された。

早いもので、今日がその25日である。前回は救急車で行ったが、今日は自分で運転して行ける事に感謝したい。 終わり

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

体調異変・その四


                  体調異変

                  その四

                 まな板の鯉

体温と血圧測定(上118・下62)を行い、採血で血糖値を測るということだった。矢吹クリニックからもらっていた血糖上昇抑制剤の中で最も弱いベイスン0、2ミリ錠は服用をストップするように指示された。

30分後、血糖値は157と教えてもらった。

ベッドの頭部の表示板に

担当医師:島田憲宏(のりひろ)
患者名 :吉野永人
入院日時:5月3日1時30分
手術日 :5月7日
主任看護師:千葉○○子
絶食・絶飲の大きな札が掛けられていた。

矢吹医師から日赤あてに書いていただいた紹介状の五人連名宛名の最初にあったのが島田憲宏先生の名であった。
                     ☆

紹介者:矢吹クリニック
矢吹憲高(のりたか)・先生(本名:法孝=のりたか)

受け入れ側:日赤石巻病院
島田憲宏(のりひろ)・先生

憲高も憲宏も「けんこう」とも読め、健康に通ずる。
当面この二人の先生に自分の健康回復を委ねることになった。

しかも、入院日の「5月3日は憲法記念日」であり面白い偶然もあるものだと思った。

                     ☆☆

点滴はとっかえひっかえ当分続くという。昼近く、研修医である田中淑惠さんの診察を受けた。腸の動きが弱く「この状態が続くと腸閉塞を起こす心配がある」と言う。

家内に「五靖閣」のタオルを二本持ってきてもらい、一本は腹に掛け、一本は枕カバーにした。過去にいろいろな人に提供した五靖閣のタオルを患部に充て、手術前に20日でアヒルの卵大の子宮筋腫が消滅した人。

乳がんと診断されて乳房にタオルを掛け、13日目に乳腺のシコリが亡くなった人。

心不全から5か月で胃ろうの状態から回復した人、など色々なケースで人さまから感謝されてきた私自身にも、効き目があるのかどうかの実験の意味もある。

今回は胆のうの炎症がひどく、膵臓に影響してすい炎を起こしている可能性があり、この「すい炎を起こすとかなり厄介なものになる」と島田医師から昨夜家内に説明されていたらしい。

知り合いや、親戚の人もすい炎で亡くなっている。
家内はカテーテルの時もいろいろな書類にサインしたらしい。

そういえば、昨夜日赤に運ばれた時、最初に右腕から採血された筈だが、あとから看護師の話で「足の付け根からも採決します」と言って左太ももの付けねあたりからも針を入れられた。

変なことを言うものだと思ったが、これがカテーテルだったのだろう。

ここまで来てからあれこれ考えても仕方がないことでとにかく島田憲宏という担当医師の運気のよさ(90点)
と自分そのものの運気の良さとで何とかなるだろう、と勝手解釈した。

もはやまな板の鯉でじたばたしてもはじまらない。静かに、手術の日を待つしかないと肚(はら)をくくった。 続く

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

体調異変・その三

                  体調異変
                   
                   その三

                   入院

20時を過ぎて痛みが増し、脂汗をにじませながら、家内に保険証、日赤への紹介状、などを用意してもらい、布団の中で七転八倒しつつ顔を歪ませる中で救急車を要請した。

担架に乗せられ、小雨が顔に降りかかる中、21時15分ごろ救急車に乗り、日赤に向かったが走り出して間もなく、血圧を測られたが昼間、上が118,下が65(常にこのくらい)の血圧が上180と、下98まで上昇していた。15分ほどで日赤に到着する寸前にもう一度測ったところさらに上が210ほどに急上昇していた。

激痛をこらえた時に血圧が上がるのだそうだ。

日赤の検査室に入り、採血、足の付け根からのカテーテル(後で家内から聞いた話であまり意識がなかった)などを行なったり、CTや背中のレントゲンなどを取る間約3時間を要したようだ。

一番つらかったのはCT検査の中で「息を吸って、ハイそのまま止めて」ということを5度ほど繰り返され、痛みの中でこの繰り返しが大変ひどかった。

何時になったのか、「検査が終わった」と言われたが、腹部の激痛がとれず、こんなに痛むなら死んだほうがましか、とつい弱気になった。顔面が脂汗でビッショリしているのがわかった。

「何とか痛みを取っていただけませんか」と傍らの看護師さんに頼んだがなぜか、相手にしてくれない。何か病院側で思うことがあるのだろう。

担当の医師から、『胆石だって油断すると命取りになることがあるんだよ。輸胆管に入っている胆石を先に取ろう、内視鏡で手術する』と言われ「よろしくお願いします」と答えたように覚えている。

『さあ、部屋に行くよ』と声をかけられたが、途中で一度吐き気を模様した。

病室に落ち着いた時は5月3日の1時30分になっていた。

『これから連続で点滴を行います。20分もすれば、痛みは無くなります』と言われたが、話された通り、腹部の痛みが、薄らいでいくのが解った。左腕に点滴注入用の針を固定され、一度に3種類の薬品を点滴された。

栄養剤・痛み止め・炎症対策の抗生物質だろうか?
思えば、4月30日から食事らしいものは摂取していない。わずかに5月2日の14時頃、茶碗に半分のお粥と味噌汁を一杯食しただけである。

ブログも2日0時27分に投稿しただけで、今日から当分の間誰にも知らせる手段もなく、休まなければならない。事情を知らされないまま、皆さんを、なぜだろうかと疑心暗鬼にさせるだろうことの心苦しさを覚えた。

そんなこんなを思っているうちに、睡魔が襲って来て眠ってしまったのだろう。3日5時頃に目を覚ました。

6時頃『おはようございます。体温と血糖値と血圧を測ります』と看護師さんが入ってきた。  続く。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ