日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
300日拘留獄中記・48麻生太郎の座り方2-1
300日拘留獄中記48
●麻生太郎の座り方
2-1
3月13日(火)書く
国会での麻生太郎(籠池諄子さんは「麻生太郎さん」とさん付けで書いているが、この悪党でデタラメ男・国賊には敬称などもってのほかと思い、主権者である私、永人は安倍晋三同様・麻生太郎には敬称を用いないことにしている。また他の尊敬に値しない者たちへも同様の扱いをしているので、この事を本ブログ読者にはご理解いただきたいと思います)。議員は、これからも寝そべるように座って、目つぶっている姿で国民の前に映られるのかな?
大きな態度を取るということは、相手を弱いものだと思って舐めているということです。
これからはもっと賢い人が長に成るべきです。そんな国になって欲しい。
私は皆自分だけのことを考え過ぎていると思いました。今回の経験を通じ、私も今、自分だけのことを考えてはいけないと心から思っています。
何のために政治家が居るのだろうと思います。
信念がなさ過ぎます。
青山繁晴・参院議員のことも書いておきます。青山議員は私には頭が上がらないと思います。
政治家になる前ですが、青山を幼稚園の保護者向けの講演会に招いたときのことです。
当日、主人が運転する車で、私たちは飛行機で来阪する青山(さん)を伊丹空港までお迎えに上がりました。ゲートから現れた青山(さん)は、なぜか奥さまも同伴されていました。
それはそれで構わないのですが、お二人が、アロハシャツとハワイアンドレスのムームー姿だったことに仰天しました。
服装に違和感があったものの、わざわざ来てくださったお二人なので、「おはようございます」とあいさつしたのですが、青山(さん)は『アー』と言うだけ、主人が「お忙しい中、ありがとうございます」と言っても、車のトランクに青山(さん)の荷物を運び入れてもお礼の言葉一つもありません。
挙句に車へ乗るなり『今から寝ます』だと。車内に流れる沈黙。
しばらく走りましたが、私はもう我慢できませんでした。続く
300日拘留・獄中記48挨拶をしてはいけない2-2
300日拘留獄中記47
●挨拶をしてはいけない
(2-2)
限度を超えて居ないかと思う。未決拘禁者の痛みがどれ程辛く悲しいものか“見せしめ”なのでしょう。
本当に禁じられた粗暴なふるまいをしたのなら仕方ないけれど、今の時代、前近代的な懲罰を与え続けることが必要なのか。
可なりの数の方が受けている懲罰についてその理由や受けた懲罰について私たちも知るべきじゃないかと思う。
私がここを出たら、拘置所内で声を挙げたことも忘れられ、何も変わらなかったら悲しい。
私しか言う人間がいない気がするので、正直にありのまま書くことにしました。
私が去年11月に受けた懲罰の時の話も書きます。
先ず調査室みたいな部屋の前に連れて行かれました。競馬の発想ゲートの様に1人分づつ板で仕切られ、両横が見えない席に座って待たされました。
ただただ苦痛でしかない時間をしばらく過ごしました。
そして部屋に入ると、看守なのか、8人ぐらいの男の人たちが向い合せに背中をピーンと伸ばして座っていました。まるで昔の御前会議の様で、明治時代かと錯覚するような空間でした。
そこで一方的に懲罰の理由を告げられるのです。
読み上げられるのは看守さんの手で作られた文章であり、こちらの言い分は一切記されません。この民主主義の時代になんと封建的なのだと怒りで体が震えましたが、もはや抵抗する気力もなく黙って受け入れるしかすべはありませんでした。
しかし、それも経験すればこそ、皆さんにお伝えできる訳で、これは私がここに居る意味が解るような気がしました。村木厚子さんや佐藤 優さんもおっしゃっておられましたが、拘置所に入った経験がある人しかわからないことがあります。
ここで懲罰を受けた経験がある人が1人でも看守の中にいたならば、空気は変わるだろうと思います。
懲罰の経験は私だけでいいのですが(笑)、
同じ経験をした者同士が何か目に見えない大きな使命を託されているのだと思います。
300日拘留獄中記47挨拶をしてはいけない2-1
300日拘留獄中記
47
●挨拶をしてはいけない2-1
3月13日書く
国を挙げて“おはようございます”の挨拶運動ののぼりを立ててまで挨拶を奨励していた。青の運動の対称は子どもなのか大人なのか。
今朝ふと、大切な挨拶を言わないことが当たり前になっている自分に気が付いた。
入所当初、『挨拶をするな』と看守さんに散々怒鳴られた。『ありがとうも言うな』と怒鳴られた。
「何でですか」と私は何度も反発した。男の看守さんに『たくさんいてるのに、みんなに挨拶したら大変やろうが』と言われた。
被疑者ノートを看守さんが読んでもいいのでしょうか。おかしいと思います。そういう点について、再度徹底されるよう、日弁連の方にお願いしたい。
看守さんが『拘置所から裁判所に行く時のための袋を買っておいた方がいい』と言われ、購入しました。だが弁護士先生と打ち合わせの為にこの2回、裁判所に行く際、『被疑者ノートを私は持って行きたい、』と云ったのに建て前的にあれこれ云うだけで駄目でした。
強く申し出ても袋に入れて持って行くことは許されませんでした。なぜだろう・・・最初は手で持って行けたのに・・・。「私の大切なものなのです。弁護士の先生にもいいと言われていますので」と申し出たが『言うこと聞かなければ懲罰になる』と言われた。
私は「それなら何とでもしてください」と言いました。懲罰になった理由がどれだけおかしくても、あとの裁判で未決拘禁者の言い分が通らない例がすごく多いと浦先生がおっしゃっていた。
拘束の身、弱い立場の人もたくさんいる。
常に脅されている恐怖心もあると思う。今までどれだけ多くの方がどのような理由で懲罰を受けて来たのか。余りにも人権を無視している気がする。 続く
300日拘束獄中記46鉄の意志を持たない国会議員
300日拘留獄中記
46
3月8日書く
●鉄の意志を持たぬ国会議員
今の国会議員を見ていると、誰のために生きてはるんやろうと思ってしまいます。
鉄の意志をなぜ持っていないんだろう。状況が変わると掌返しで簡単に裏切る。
幼稚園の子供達でも、入園当初は指示がないと不安で動けない子がいる。給食のとき、お手拭の袋を前に、先生が開けてくれるのをジ―ッと待っている。手を洗うにも勝手に水が出ると思って蛇口をひねらない。何でもかんでも大人にやってもらって育っている。これは最近の特徴だ。
国会議員も本音では反対であっても、テレビカメラの前では必要以上に頷いて賛成してみせる。
みんな正直に生きればいいのに、と思う。嫌われてもまっすぐ生きている人の方が、あとで揺るがない支持を得られるのに。今だと貴乃花親方は一人で頑張っているようで、男やなあ、と思う(騒動の内容はよくわかりませんが)。
文科省をやめられた前川喜平さんもその一人かな、と思います。
ここに入る前に私の人生が終わっていたら、本当につまらなかったと思う。深く悩めばこそ、大きな事実に気づく。
前は辛い事、嫌われることを避けて生きる選択をしていた。
そんな薄っぺらい人生を生きるのはつまらない。
300日拘束獄中記45前川喜平さん
300日拘留獄中記45
3月4日書く
●前川喜平さん
新聞を読んで知ったことだが、加計学園問題で注目を集めた文科省前事務次官の前川喜平さんも、夜間学校の子に勉強を教えておられるそうだ。
文部科学省を辞してから、在職中から抱いていた『教育の本質に触れたい』という思いから夜間中学で勉強を教えているという。教えるとは教えてもらうこと。学とは自分が学ぶこと。なんか、こんな混迷の時代に素晴らしい人がいる。それが、本当に嬉しい。
●マスクを取りなさい
今朝点呼の時、看守さんが未決拘禁者に『点呼の時はマスクを取りなさい』と注意していた。本当に、それは当り前だと思う。
でもそう言った看守さんもマスクをしている。
成るほど注意をされることに納得するかどうかは、矛盾を感じるか感じないかですね。
子供でも、まず『先生』と言われる限りは、先生らしくあって欲しいと思いましたよね。みな本当のことは心でわかると思のです。
浦先生より、自民党の先生方の間でも、「籠池さんの件はやり過ぎではないか」との話が出ているとの伝言を聞き、『当り前やん』と思いました。
でもそういう本当の気持ちが出てくれば、国民にも伝播する筈です。
皆ひとりで生きようよ!
一人で物申す人が少ない。
あの半沢直樹ドラマではないが、“倍返し”出来る人間は心で言葉を聞ける人。言葉は耳で聞くのではなく実は心で聞くのです。
目や耳が不自由でも、心に伝えればちゃんと伝わる。ちゃんとわかってもらえる。本当にそう思う。
300日拘束獄中記44・加計も安倍も道楽息子
300日拘束獄中記
44
2月23日(金)書く
●加計孝太郎も安倍晋三も道楽息子
私の様な世間知らずは、勉強して体験してみて、人の気持ちを知るために、今ここに居て修業させていただいているんだな、と思いました。
主人は純粋に国をよくしたいと思い、小学校を建てようとしていました。
『悪だくみ』の本を読んで、正直加計さんも安倍さんも道楽息子で、本に記されている内容を読めば読むほど、本当にひどいと思った。
余りにも
公私混同・身内びいき。ミャンマーで政府専用機に加計理事長を同乗させる『特別扱い』をするなんて・・・。
最近は二枚舌の人が増えたなあと思う。誰れ誰れの息子だから、孫だから、という肩書が人の目を眩(くら)ませる。本当に、豊かな時代には皆、逆の目で見た方が良い。
その人となりを見る心眼で日々何を見て、何を思うか――。
●裁判は絶対に負けない
国家権力に屈せず、国民の為の国民による国民の政治に戻したい。
絶対、私は負けない。主人は『国の為に』が口癖の人で、国の為になると思って二十数年ひたすら小学校を建てようと思ってきただけ。
加計孝太郎さんみたいに、息子が獣医だから息子の為に獣医学部を作る。
毎晩ボトル1ポン飲み干す酒豪でホステス相手に飲み歩く、ゴルフをする。大学の横に自分たちの遊び場を作る計画をしていたとか・・・・。そんなのとは、私たちは理念から何からして全く違う。
○主人は証人喚問にも出た!
●加計さん、全く出てこない。
一緒にされたくない
浦先生、裁判は絶対に負けない
300日拘束獄中記43自殺しようとした日2-2
300日拘留獄中記43
●自殺しようとした日2-2
それが使命というものかな、と思います。
しかしこうして振り返ってみた時、あの日の飛込みをしようとしたことも少しも無駄になっていない。同じ経験した人と悩みを共有できるから。
幼稚園経営で資金に行き詰った時、かつて主人が県庁時代に知り合ったTさんがふらりと訪ねて来られ、「ご主人のお陰で今日があります。
お父さんにも聞いておられると思いますが、お金をお返ししたいのです」と言って1000万円もの大金を渡してくださった。私は主人からそんな話は聞いたこともなく、ただただ驚きました。Tさんがお渡しくださったお金のおかげで、幼稚園は奇跡的に助かったのです。
人生無駄はないなあ。どんな人生の体験もその人にとって心の喜びに変わる財産だと思いました。
万博やカジノ等の快楽のため、多額の税金を投入する。食道楽や高級品を買い漁って、自分を満たそうとする・・・。それは虚しい結果になると思います。
何故なら人間の本当の喜びというものは『魂が喜んでこそ』満たされるものだからです。
300日拘束獄中記42 自殺しようとした日2-1
300日拘留獄中記
42
●自殺しようとした日2-1
2月22日書く
平成7年の話ですが、大阪市の勝手なリークにより、森友学園に関する嘘の新聞記事が出ました。
「籠池600万円の流用」と嘘の報道がなされたことで、支払いが行き詰まりました南港さくら幼稚園は園児430名⇒200名に減り、塚本幼稚園は200名⇒100名に減りました。
当時、主人の教え子だったY君という方が南港さくらの実印を持って事務長として働いてくれました。このY君の明るさで、幾分精神的に救われたのですが、いよいよ、切羽詰まり、迷いの中でどうしようもなくなりました。
幼い5人の子供がいましたが、わたしはY君に電話し、『私の家の押入れのココに保険証券があるから(といっても、満期100万ぐらいの郵貯だったと思う。恥ずかしながら)もし何かあれば、あとのことはよろしくお願いします』と言いました。
Y君の「奥さん何を言い出しはるんですか」という言葉はよく覚えていますが、その先はよく覚えていません。南港から地下鉄の住之江公園駅に行き、ホームの前方から入ってきた電車に飛び込もうとしました。
しかし足がすくんでまぶしいライトの中に飛び込むことはできませんでした。
『アー私は死ぬこともできないのか』そう思いました。私は今までこのことを公言することをはばかってきました。自分の弱さを話すようで。
幼稚園の保護者の方が相談に来られるとき、本当の自分の悩みはそうなかなか打ち明けられるものではありません。
この人なら大丈夫、と思われるまでは第一の悩みを心の中に隠して、第二の悩みから話し始めます。
私の経験上、そう思います。そして以前の私のようなものであれば、なおさらすぐに悩みを話してはもらえなかっただろうなあ、と今は理解しています。
今なら違う気がします。人の内側の深い部分に触れるのは、よほど自分が辛く、痛みを知る体験をしていなければ、実にしんどい作業です。続く
300日拘留獄中記41 お産と祖母の想い出
300日拘留獄中記
41
●お産と祖母の想い出
2月20日(火)書く
ふと私が出産する時、毎月毎月の検診の際に「お前この前行った床やろ、おばあちゃんなんか、生まれるまで産婆さんに診てもらったこともないぞ。今日びはホンマにたいそうなもんやなあ」と祖母に言われたことを思いだした。
もしかしたらおばあちゃんが言うように余りに頻繁に医者で検査することで、神経質な親を育てることになり、「お産は大変だ!」という印象を過度に若いお母さん達に植え付けているのかもしれない。
妊婦さんは労(いたわ)ってもらうのが当たり前みたいな感じで、たくましさに欠けている。
町浪の出産時に入院する時も、病院が近かったので、一人で自転車に乗って行った。今そんなことすると変わり者扱いされそうだ。
おばあちゃんは又こうも言った。
「雑巾がけするんや。きれいな子が生まれるんや」
又こうも言った。
「お乳がよう出るように、4食ぐらいしっかり食べよ」
私はそれを大きく間違えて取った。気が付いたら20キロも太ってしまった(笑)。しばらくはおばあちゃんのせいやと思っていた。
私の人生でイヤだと思っていた祖母の影響は大きいのかも知れない。
300日拘束獄中記40人生について
300日拘束獄中記40
●人生とは
2018・2・15 書く
人生において大きな嵐を乗り越えようとするときに、人が試される。昔の人は戦争に行ったことを考えてみても、どのように生きて来たのだろうと思う。どんな時も、与えられた環境の中で尻込みせずに勇敢に立ち向かう。
その過程が人を磨いてきたのだろう。
出来るだけ苦手なことから逃げようとして、毎日幸せに日々を暮せたら満足と思って・・・心に小さな不満を抱きながら。このまま自分の人生は終わるのだろうと、勝手に決めていたが何と人生こんな道があるの!と最初は夢の中にいるような日々。
でも自分の至ら無なさが露呈し、拘置所で心を磨く日々。
いま、人格改造の努力をどんどん惜しみなくしている。
●1000人以上のデモ
12月19日(月)書く
東大名誉教授の先生(2018年2月16日に行われたデモの発起人でもある「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の醍醐 聰 =だいご・さとし氏)の件すごかったらしいですね。藤原先生にお聞きし、驚きました。権力社会に一石投じたい人が多いんですね。
財務省の周りとかにも1000人を超えるデモ隊に、関係のない人たちも応援してくださっていたとの事、多かったそうでよかった。新聞ではデモ行進1100名と書いていました。
佐川宣寿さんに皆が詰寄りに行ったのに、また留守と嘘をつくのですか・・・ね。麻生さんは全く支障がない、とコメント。もう崩壊寸前ですね
永人のひとごころ
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