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懐かしい

1952年《昭和27年》7月創業の四益土木は漁港、港湾建設を中心とした土木業者で、その後法人化して四益土木株式会社となったが2007年ヨツマスと称号変更した《石巻市門脇1丁目、資本金2000万円》。1995年6月期には従業員32名で20億円の完工高を記録したが、2007年には12名の社員で3億円まで完工実績の下降を見ていたという。

2008年10月14日、仙台地方裁判所石巻支部に自己破産申請した。負債総額が4億2千万円だという。代表者は四益 亮《81》氏。同氏は1996年から2004年11月まで石巻商工会議所会頭を勤め、1980年頃から2000年頃まで宮城県建設業協会石巻支部長を務めた
同社長は『公共工事の削減と受注合戦の激化が一段と進み、経営の継続を断念した』と語った。

この会社の名前を初めて見たのが、高校一年生の頃だった。今から48年前の事だった。デッキに『四益土木』という白ペンキで書かれた小さなタグボートが北上川の河口付近を海へ向かって、或いは海から河口へ向かってひっきりなしに航行するのを右岸の岸壁に立って眺めたものである。

この四益土木という会社と私が30歳から52歳まで大きくかかわる事になるとは、当時石巻高校一年生・15歳の私は夢の夢にも思わぬことだった。

今私は事業を退いて、過ぎ来し昔を懐かしく思いつつ、ブログに書き込んでおり、近々に四益土木の事も書かねば成らないと思っていた矢先の事であり、懐かしくもあるが、往時をしのぶと一抹の寂しさを感ずる。

時の流れとはこういうものなのだろう。この間まで自民党の集票マシーンとして働いてきた全国の多くの建設業者がバタバタと潰され、ドンドンと潰れていく。自民党が見限られる所以(ゆえん)である!
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おくりびと

主役の本木雅弘(5・4・12・5)外格が本と弘で10画:大凶。が演ずる納棺師という仕事を正面から見つめた重厚な内容が多くの人々の共感を呼び、ヒットを呼びそうな映画「おくりびと」は一昨年4~5月に撮影され、10月に試写会が行われたという。

その日のパーテイーで、誰が言ったかは不明だが、
「この中に来年(2008年)秋の封切までに『おくられびと』が出るかもしれない」と発言した者がいたのだそうであります。

この映画の主役である本木雅弘さんが、所属する事務所の社長である『小口健二』さんに映画化を非常に積極的に働きかけて実現したのだそうです。

一昨年10月、試写会パーテイーの1ヵ月後の11月末に

『小口健二』さんは持病を悪化させ59歳で急死したという。

そうしてこの映画に「おくられびと」の役で出演した
『峰岸 徹』さんが、2008年4月に末期の肺がんであることを告げられ同年10月11日に亡くなったという《享年65歳》。

パーテイーでの雑談通り「おくられびと」が出たわけです。しかも二名が・・・

何かしら因縁めいた話でありますが、「一昨年パーテーで発言した方には確かに予感めいたものが働いたのだろう」と思われます。

しかし、なんと言っても、小口健二と峰岸 徹両者共に「短命の運気」があったことが、この様な形を作ってしまった事を意味します。

私は今、パーテイーに参加したもので短命者がいれば、「二度あることは三度ある」ということわざではないが、今年(2009年)の10月頃までに第三、第四番目の「おくられびとが出る可能性」を感じております。これは「連鎖の縁」と言えるかもしれません。

本木雅弘さん自身に「10画の短命の運気がある」ことが気になります。
映画の役の「おくりびと」が、現実世界での「おくられびと」にならなければよいが・・・と思っております。

小口健二(3・3・11・2)

主運:人格・口と健で14画:大凶《辛酸極まりない浮沈を嘆く短命運》。

後運 :総格・小・口・健・二で19画:大凶《苦労困難の絶ゆることなき孤独、厄難、遭難、病難、事業中途挫折の短命夭折運》。

峰岸 徹《一》(10・8・15・1)天格《峰岸》18・人格≪岸徹)23・地格(徹(一))16・
成功運:天・八―人・三で大凶(成功極めて困難、肺患、難症に罹り、甚だしきは、発狂、変死す)。

天格八の金性が、人格三の火性に剋(こく)されて呼吸器疾患を起こす事になり、このたびの末期の肺がんはまさしく姓名画数の示すとおりの結果となったのであります。(合掌)


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今日も停電か?(二)

おおよそ、今の社会において、電気のない生活は成り立たないと思われる。それほど生活の中に電気製品が溢れているのだ。そんな中で若し電気が停まったらどう成るだろう?・・・普段は考えもしない事だ。

2009年1月10日夜9時40分頃、埼玉県熊谷市見晴町に住む。鈴木孝子さん(71歳)が電気代の滞納から、5日に電気を停止され、やむを得ず、ローソクを使って照明を取っていたが、それが倒れて引火し木造二階建て80平方メートルの住宅を全焼して焼け出されてしまったという。

鈴木さんも戦後しばらくは、ローソクを使った生活の経験者だと思われるが、まさか今回そのローソクで家を『焼く』とは夢にも思わなかった筈だ。しかし、姓名はその様な『厄』を受ける運気だったのである。

鈴木孝子(13・4・7・3)運気の強さ10点

地格:孝子で10画:大凶。
魔人全ての凶災を振るうのかたちなり。無気力、不如意に陥り、功を収めんと欲して、障害多く、漸次失敗して家を破り、産を傾け、貧困、逆難重ね来たり、或いは夫子に別離して孤独を嘆き、或いは幼にして親を失い、若しくは病弱、遭難、不慮の怏禍(おうか・後々まで嘆く災難)に罹(かか)る等、悲運、非業を免る事無し。

総格:鈴木孝子で27画:大凶。
自我心強く、批難運と称し、誹謗攻撃を受け、失敗する者多し。中絶半途、中折れの形あり。中年頃までは、智謀と奮闘と努力とによりて、名利共に行はるることあるも、内外不和を醸して発達成り難く、裏面の陰口、批難を免れず、刑罰、遭難、孤独、変死に陥る。

熊谷市は彼女に生活保護の手続きを進めていたというが、仮に手続きが認められたにしても、家を焼失した彼女にとってこれから先も、大変な生活が待っている運気なのである。

彼女に対する行政側の対応を間違えば、彼女は自死に至る可能性が強い。


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今日も停電か?

終戦後の電力供給事情の悪化で昭和27、8年ごろまでしょっちゅう停電が起きていたのを覚えている。その間は菜種油を使用したランプや、ローソクをつかって、電気の通じるのを待った。

生活そのものが、今ほど電気に頼らず、当事の電気は、明かり、即ち照明が中心だった。冷蔵庫などない、ものを冷やすのは氷を使った小型の物、それも一般家庭にはすくなかった。保存するほどの食べ物の量もなかった。

大家族が多く、食べるものはいつも不足気味だった。電話すらなかった。掃除はハタキと箒(ほうき)ちりとりを使う。ご飯は竈(かまど)で薪(まき)を使って炊(た)く。洗濯は洗濯桶に洗い板を使って行う

。暖房は炭の火鉢が中心。綿入れや、ドンブクと言われるものを着てしのぐ。当時は今よりはるかに寒かった。夜、年寄りなどは陶器製の湯たんぽを使った。

楽しみと言えば真空管式の小さなラジオを聴くぐらい。こうして書いてみると電気そのものを今に比べてほとんど使っていなかったのだ。

現代は、一、炊飯器。二、洗濯機。三、掃除機。四、オーブン。
五、魚焼き機。六、餅つき機。七、アイスクリーム製造機。八、除湿機。九、加湿器。

十、乾燥機。十一、テレビ。十二、ラジオ。十三、オーデイオ。十四、アイロン。十五,暖房具。十六、エアーコン。十七、パソコン。十八、照明器具。十九、ウオッシュレット。

二十、温水器。二十一、電話機。二十二、冷蔵庫。二十三、ストッカー。二十四、電子レンジ。二十五、電気炬燵。二十六、食器洗い機。二十七、インターホン。二十七、扇風機。二十八、パン焼き機。二十九、美顔器。

三十、ドライヤー。三十一、髭剃り機。三十二、ホットカラー。三十三、ホットブロー。三十四、トースター。三十五,豆乳製造機。三十六、スープマシーン。三十七、ジューサー。三十八、ミキサー。三十九、換気扇。

四十、ズボン・プレッサー。四十一、電気毛布。四十二、カーペット。四十三、健康器具。その他・・・

今改めて数えてみて電気製品のこの数の多さにビックリさせられるが、50数年の中で生活の変化、向上には感慨深いものがある。・・・二へ続く。


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渡部恒三

運気100点の完全大吉名者である民主党の最高顧問、渡部恒三氏はつい先ごろ、読売新聞の政治部記者に小林弘平という者が居て、この記者の質問に答えていた記事が2009年1月23日の朝刊で報じられていたので,ここに紹介させていただく。

『混沌・政局インタビュー』

・・・ねじれ国会で政治に停滞、閉塞感がある。(小林記者)

『大連立や政界再編が混迷を打開するという意見があるが、間違いだ。必要なのは政権交代だ』 (渡部恒三)

・・・政権交代は実現できそうか。

『もう時間の問題だ。あとは慌てない、焦らないことだ。ゆっくり寄り切ればいい。無理に衆院解散に追い込もうとする必要はない。麻生首相が任期いっぱいの9月まで頑張っても、党内が一致していれば必ず政権交代は果たせる』

・・・短命に終わった細川,羽田政権の教訓は。

『小沢代表は政権を取った後の事を非常に真剣に考え、勉強している』

・・・小沢氏は変わったか。

『変わった。彼は若い時からポストを求めず、人の見えない所で働いた。それで田中角栄さんや、竹下登さんから評価された。ところが、民主党の代表選に出て、初めて自分から役職を求めた。あの時“政治を変えるために私が変わる”と言った。言葉通りに受け取らない人が多かったが、その後の3年間を見ていると、本当に変わった』

・・・どこが変わった。

『人の意見を良く聞く、テレビにどんどん出演する、演説会にも出る。表舞台で自らの考えを国民に訴えることに積極的に行動するようになった。私も文句を言う事が無くなった』

・・・小沢氏は首相にならないのではないか。

『表舞台に出ることを非常に嫌がってきたが、この3年間積極的に出ている。それは首相を意識しているということだ』

・ ・・「ポスト小沢」は、

『党内には(副代表の)岡田克也君ら優れた政治家が山のようにいる』

さすが渡部恒三氏である。一番わかり易く的を得た事を言っていた。
自民党がありとあらゆる手段で選挙用のバラマキを始めたが、国民は冷静に過去数十年の自民党デタラメ政権に今こそ引導を渡す積りでいる。此処は正々堂々、次の選挙を戦って政権の奪取を図ればいい。小細工はいらないし小細工すべきでもない。

党利党略,私利私欲に明け暮れする麻生内閣と森喜朗、大島理森、細田博之ら国賊議員らの率いる与党が姑息な手段で如何なる策を弄しても、もう国民は騙されない。300人も居る自民党の中からまともな事を言って飛び出たのは「渡辺喜美」ただ一人だったとは呆れ果てるばかりだ。

自民党議員は、政治を語る資格などない。国民がやるなという政策を平気で(小泉が国民を騙して取った300の議席で)ごり押しするという。

麻生太郎は東條英機以来の、大馬鹿の国賊総理に成ってしまった。

今全国民は、今度こそ、国民の、国民による、国民のための政治を取り戻す、最後の機会である事を確り腹におさめて、来たる衆議院議員総選挙を待っているのだ!

長年の腐敗自民党派閥政治に今こそさよならしよう。国と子孫のために!!


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又もや

平成12年晩春の五月、姉の苦労は続いている。一年前に娘が離婚し、ようやく心の傷が癒(い)えかけて来た頃、同じ姉に今度は息子の結婚が迫ってきた。結婚予定の二人は、結婚式をせず、入籍を済ませ、仙台市で事実上の結婚生活に入った。

「息子夫婦が結婚の挨拶に行くから今日会って欲しい」と姉から連絡があり、姉も一緒に訪ねて来た。私達夫婦と応接間で会い、甥夫婦にご祝儀を渡し、何かあったら遠慮なく相談に来るよう話し、本人達を励ました。やがて帰るということになり、別れ際に,[泣き笑い真剣勝負]を袋に入れて一冊手渡し、甥に向かって

『あなた達は別かれる様になっているので、そうならないように、この本を読んで置くように。何かあったら必ず来なさいよ』・・・甥は

「はい」と言って頷(うなず)いたが、姉はこんな時に、しかも息子の嫁の前で何で余計なことを言わなきゃならないのか?という感情を面(おもて)に出して帰って行った。娘の時に続いて又か、と私を恨んだかも知れないが・・・

私にしてみれば、娘で懲りたはずだから、せめて息子夫婦だけは失敗の無いように、という真面目な気持ちで話した積りなのだ。これまで私の予感や直感が全て適中しているのに何故姉は信用してくれないのか全く困ったものだと思っていた。

「叔父さん、何かあったら必ず相談に来ますから」と返事をして帰って行った甥を信じていたのである。平成13年6月,甥夫婦に男児が誕生した。私に命名の相談が来るだろうと思っていたが、その様な素振りもなく、姉の家にご祝儀を持って行ったが、聞かされた男児の名前には、

「幼時期に親を失(な)くして苦労する」運気がある。これで、この夫婦つまり、この赤ちゃんの両親は離婚確定の運気に突入したと確信したが、「又人騒がせな」とイヤミを言われるのが関の山ゆえ、何も言うまいと思った。というより、この人達には

『何を助言しても真剣に取り合わないから無駄だ』
という事を再認識するしか無かったのである。

平成15年12月、この甥夫婦も前もって指摘したとおりに離婚した。事前に解る事が繰り返されていくこの「むなしさと、無念さ」はどうしようもない。

「非運者の人間の業(ごう)」を覚え、思い知らされる。《完》


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人騒がせな

私の予想が外れて姪達が幸せに暮らして行ってくれるなら、そんないいことは無い。負け惜しみではなく、本当にそう思うのである。

普通の予想人は、自らの予想した事の実現を望む事が普通であろうけれど、私の場合は、

『良いことの感覚は是非実現するよう』に祈るし、反対に

『悪い形の予想はできるだけ外れて欲しい』と思うことが多い。

「本当に人騒がせな」・・・と私が文句を言われ、恥をかいて物事が良いほうへ向かうなら、或いは良い結果となって済むのであれば、甘んじて「人騒がせな男」の汚名を受けようと思っている。

姪の結婚式の後、1年5ヶ月が過ぎた頃、

「姪が“とっくに”離婚した様だ」・・・との話がちらほらと他の兄弟達から聞こえ始めてきたのである。

結婚式後10ヶ月で別居し、ちょうど一年目で籍を抜いたというのだ。それは事実だった事が解ったが、姉と姪が他に対してひたすら伏せて居た為、私が「人騒がせ男」の立場に置かれていたのである。

どうやら結婚後5ヶ月目当たりからゴタゴタが有ったらしい。

『途中で何かあったら、私の元へ相談に来るよう』

あれ程姉と姪に話していたのに全く無視された状況にあったのだ。

予想の悪い形が適中すると、他人ならず、身内の方からの嫌われ方が余計強いように思われる。運気の強い方と弱い方の兄弟姉妹の溝は日を追って深くなって行く気がする。

運気の強いほうは兄弟姉妹のつながりをいつでも受け入れる積りでいるが、弱いほうの心がどんどん一方的に離れて行くようだ。ある種のねたみや、ひがみ、と言われる現象なのだろうか?、

この姉は名に14画を持っており、家族縁薄く夫子の不幸を嘆き、辛酸の絶えること無き苦労の多い、神経衰弱運である。私の助言を受け入れれば、たちまちあらゆる面で良くなるものを!・・・『何とも悲しく』、又、『誠に残念な事』である。
(又もや)へ続く。




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結婚式の招待状

『アノね、ごたごたが始まってからでも遅くは無いから、若しその様な兆候が出てきたら、私に必ず教えてよ。二人とも使う文字を直せば、結婚前のような円満な状態になるからね。花婿さんに説明してあげてもいいから一度私に会わせてくれないか?』

「もういいから、二度とそのことは言わないで!」とすこぶる機嫌を悪くした様だ。この姉は、こちらが良かれと思って話すことを善意に受け止めてくれない傾向がある。それ以上言えば、嫌がらせのように受け取られかねないので、私もそれ以上の事は言わないで姉の自宅を後にした。

しばらくして、この結婚式の招待状が届き、当日、式場には兄弟9人のうち私の車で5人が同行する事にした。次男の家に集まり、そこから出発する事になっていたが、三男が糖尿の薬を貰う為、病院を出るのが遅くなり、予定より20分遅れて、次男宅を出発した。当然のことながら、式場には遅れて着いた。入り口で姉(花嫁の母)が

「待っていたけれど、余りにも遅いからもう記念の写真は撮り終えたからね!」

『遅れて申し訳ない、三男が病院から戻るのが遅れたものだから。写真のことは仕方が無いさ。どの道一年しか持たない筈だ。一年経ったら今日の写真は、無駄になるからね』

「アンタ!この場でそこまでいうの?!」と姉のきつい顔。

『言うよ、そうなる様になっている!』幸せに成って欲しいから言うのである。

だがこんな調子でズバリいうものだからこの姉にも嫌われてしまうのだろう。こちらも解ってもらおうと真剣だからこそ、思わずきつい言い方に成ってしまうのだ。

結婚式から一年経ち、姪達のカップルに何の噂も聞こえて来ない。周りの兄弟達から,

「今度だけは予想が外れた様だね」

「あんたの感も鈍(にぶ)る事があるんだね」

等と盛んに揶揄された。・・・・(人騒がせな)へ続く。

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身内も

聞かれた物事に対しては、その質問者に対して必ず回答しなければならない立場に居る私は、良い事と悪い事、良い方向と悪い方向、予想される良い結果と悪い結果などに就いて、余りにもストレートな物言いをする事から、相手にもよるが、余り快く思われない傾向がある。

特に悪い方への予想が出た瞬間において、或いは悪い方への予想が後日、事実となって明らかにされたとしても、『嫌な感覚と印象』を相手に持たれることが多い。

この事は以前にも『適中で嫌われる』という2008・2・22のブログにも記した通りだが、悪い予想をされた者の立場に立てば、これらの事には必然性が有って、仕方が無いのだと思うしかない様だ。

さて、平成10年3月、姪が高校時代から交際していた男性と結婚することになった。前ご祝儀を持って姉の家に行ったとき、たまたまその姉に

「二人の将来はどんなものか?」と聞かれたので、相手の姓名(花婿)と姪の姓名(花嫁)を観た上で、

『これはいかん、この結婚は一年持たないよ。どうしても一緒になるの
だったら,撰名したらどうかな?二人とも』と答えたのである。

「高校一年の時から8年も付き合って一緒になるのだよ、そんなことはない筈だよ!」と姉が気色ばんで言った。

『運気の問題なのだよ、先方の姓を名乗ると(戸籍に入ると)、性格の不一致を起こすよ、イサカイが起きるんだ。特に花嫁が余りにも急激に変化するので、夫婦間の喧嘩が絶えなくなり、一年で離婚という可能性が大きくなるのだよ』

「ちょっと!折角本人もその気になってすっかり結婚の準備も整ったのに、今そんな水を差すような事は言わないでよ!」・・・結婚式の招待状へ続く。

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金のなる木(二)

小室哲哉(3・9・10・9):運気の強さ・・10点
人格:室と哲で19画:大凶.
外格:小と哉で12画:大凶
地格:哲と哉で19画:大凶
総格:小室哲哉で31画:大吉に凶を含む〈他の運格の凶を受けるため〉

名誉、利益ともに行われ、栄誉を極めた男が「何故?どうして?」借金取りに追われ、インスタントラーメンをすすりながら、逃げ歩く生活に追いやられたのか?・・・以下の姓名分析を観れば理解できよう。

主運:人格。室哲・及び
前運:地格。哲哉・ともに19画:大凶・・すこぶる知能を有し、活動の素質あり。大業を起こし、名利を達すべき実力ありといえども、意外の障害をもたらし、内外不和にして困難多く、辛労の絶ゆる事なし。あるいは病弱、孤独の悲運に陥り短命夭折、妻子生死別、刑罰殺傷などの災いあり。万事行き詰まりの運にて特に事業挫折等最も多く、非業、非命を免れず。

副運:外格。小哉・12画:大凶・・無理に伸びんとする要素ありて薄弱無力を顧みず、不相応の企てを為(な)し,かえって失敗す。
物事不足がちとなりて家族縁薄く孤独、遭難、困難、逆境、病弱を生ず。
あるいは意外の厄難に襲われ、天寿を完(まっと)うし難き悲運に陥る。

奥さんの・KEIKО(3・4・1・3・1)さんは12画で大凶を意味し、無理に伸びんとする形ありて薄弱無力を顧みず、不相応の企てをなして却って失敗を生じます。物事不足がちにして家族縁薄く親を失い、子を亡くし、孤独、病弱、逆境、遭難、困難を生ず。意外の厄難に遭い、天寿をまっとうし難し。

彼がどういう生き方をしてきたのかが色々と明るみにされているが、女性遍歴が物語るように,余りにも自分と周囲を大事にしない生き方は、姓名の分析にも現れているとおりで、今後やりなおすといっても,小室哲哉のままでは、又繰り返しとなるわけです。刑罰運を持った人が前科を重ねていくのと同じであります。したがって、小室哲哉の撰名または改名なしには「再起困難」と観る訳です。・・・〔完〕

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