日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
無名だが誠実な男・吉野正芳
無名だが誠実な男
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今村雅弘という東大出の非常識ダメ男がクビになり、代わって福島第5区選出の代議士、吉野正芳議員が、やっと復興大臣に選ばれた。「名は体を表す」と言うが、今村雅弘議員は大凶名者でその名の通り凶悪な運気が表出されて周知の如く、安倍は直ちに今村をクビにし、福島出身の吉野正芳議員にあとを託さざるを得なかった。
吉野議員は、吉野木材株式会社の御曹司で早大商学部出身。国会議員には珍しい「完全大吉名者」である。
凶悪相の今井雅弘議員に比べ、吉野正芳議員はゆったりした雰囲気と落ち着きで、人相も善人そのものを表出している。
今村雅弘 吉野正芳
47125 611510
天・今村11 吉野17
人・村雅19大凶 野正16大吉
地・雅弘17大吉 正芳15大吉
外・今弘 9大凶 吉芳16大吉
総・今村雅弘28大凶 吉野正芳32大吉
運気10点 運気100点
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●今村雅弘議員には遭難険悪運という人と和を保てない争いを好む性質があり、陰湿な性格から何を考えているのか外からは分からない要素を持ち、刑傷罪科を醸す特質があり、生涯苦労困難を続ける運気がある。
◎吉野正芳議員には、福寿円満、温良温厚の性格を有し、物事をすべて良い方向へ展開しつつ衆からの敬服をうけ、大志大業を成す頭領の力を発揮します。良きリーダーとしての力を充分発揮すると思われる。
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全国的に無名であっても、掃き溜めのような安倍内閣に在って、善良の力を発揮してくれる善人として被災者に安心を届けてほしいと思う。
が、安倍晋三・麻生太郎・菅 義偉という名うての悪党どもの居る内閣故に大変だろうが68歳という年齢から、上の悪人たちと戦って被災者に安心を届けてもらいたいものだ。
国民を見下した安倍晋三の『看板政治』
国民を見下した安倍晋三の『看板政治』
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東京五輪招致の際、安倍晋三は『東京は世界有数の安全な都市』と大見えを切った。今は『共謀罪など法整備が出来なければ東京五輪が開けないと言っても過言ではない』―と。
一体これはどういう意味?
政治屋さんたちは、口から出まかせでいいのか?
安倍晋三は精神異常者そのものだ。
実際の内閣支持率は3~5%程度のはずだが、これを10倍以上に膨らませて捏造した50%以上の数字を機械的にマスコミに報道を強制している。
国民を馬鹿にするにも程がある。
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こういう笑い話がある。
地主が自分の土地にある池で釣りをしている男を見つけて大声を出した。
「そこの看板が見えないのか!《釣りを禁ず》と書いてあるだろ。罰金を払え!!」
すると男は逆に怒鳴り返した。
『この嘘つきめ!!何時間たっても一匹も釣れないぞ』
魚などいないのに『釣り厳禁』とは罪づくりな看板だが、国会で審議が本格化した『共謀罪』もかなり胡散臭い看板だろう。
◎魚釣りが法で禁じられた池で腕試ししようと仲間と話し合う。釣具を持って池まで足を運んだが、気が咎めて止めた。それでも違法な釣りを仲間と計画したのだから、と罪に問うのが共謀罪だ。
こんな乱暴な話はないと反発されて過去に三度び廃案にされた。
そこで安倍政府が考えた策が看板の付け替えだ。
『共謀罪』を『テロ等準備罪』と変えたのだが政府の当初案では条文に肝心の『テロ』の文字が一つもなかったのだから、ひどい看板もあったものだ。
東京五輪招致の際、安倍晋三は『東京は世界有数な安全都市』と大きな看板を掲げて見せたのに、今は
「共謀罪(テロ等準備罪)など法整備をしなければ東京五輪を開けない、と言っても過言ではない」だと。
『テロの看板』を掲げれば皆、ただ恐れをなし、
『五輪の看板を』掲げれば皆、賛成するだろう、とはずいぶん国民を見下した看板政治ではないか!
(以上東京新聞)
(永人所感)
たった2週間の全世界運動会(オリンピックとも言う)の為に、人権無視のテロ等準備罪(共謀罪の名を変えただけのもの)を作るなら運動会の方を止めるべきである。
国民は永久に表現の自由、活動の自由を奪われてしまうのだから。
それに付けても安倍晋三は姑息に過ぎる異常者だ。
狂った頭でヒトラー願望は間違いないだろう。
今度の『テロ等準備罪』を成立させればあべヒトラーはほぼ実現する。
親孝行?親不孝?③
親孝行?親不孝?
③
俊直の高校時代に、倶楽部のマネージャーをしていた同級生の悦子さんと恋愛結婚した中川俊直は、その後、癌との戦いが始まった悦子さんに隠れて重婚したり、衆議院議員と不倫したり、ストーカー行為で登録されたり、今日まで奥さんの悦子さんをずっと裏切ってきた。
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中川佳津子 中川悦子
438103 43113
天格・中川 7 中川・7
人格・川佳 11大吉 川悦・14大凶
地格・佳津子 21大凶 悦子・14大凶
外格・中津子 17大吉 中子・ 7大吉
総格・中川佳津子28大凶 中川悦子・21大凶
(氵さんずいは水を意味しで4画) (忄りっしん偏は心で4画)
●俊直の母親の地格に頭領寡婦運の21画があり、
妻の悦子さんにも総格に21画の頭領寡婦運がある。この21画は男性には吉運を意味するが、女性には大なる凶兆をもたらし、夫を倒すか、
自らが斃(たお)れるかのいずれかに帰結することを意味し、
夫婦間の心の戦が絶えることなく、夫との生死別を免れません。ただでさえ強い運気の佳津子さんは、家付き娘であるうえに、父親の俊思代議士の・地盤・カバン・看板を夫に引き継がせ、夫秀直を操縦したことは容易に想像できる。
同類が寄り集まる特性から、中山家にやって来た俊直の妻・中山悦子さんにも前述のごとく総格に21画の頭領寡婦運があり、健康で円満な夫婦生活は維持しがたい要素をはらんでいる。
浮沈極まりなく、その浮沈を憂えて終始する厄災の運気で、天寿を全うし難き運気で、癌を患い、夫の俊直の裏切りに遭い、精神錯乱から自殺未遂、入院の夫に代わって、世間に頭を下げるという、全く気の毒な境遇である。
それにしても秀直・俊直の親子2代にわたる妻への裏切りは、社会的制裁を余儀なくさせるが、親不孝を続ける世襲国会議員の質の低下と増加振りは目に余り、国を潰す事になりかねない。 終わり
親孝行?親不孝?②
親孝行? 親不孝?
②
家族の運気
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もちろん不倫を行う男の側に最大の責任があり、妻の気性が荒いから他の女性に心を動かし、交際を求めるなどということは勝手な自己中心の言い分である。
中川秀直の場合は議員会館に女性を連れ込んでいたこと。警察の捜査情報を交際中の女性に漏らすなど、有ってはならない不始末を起して、第二次・森 喜朗内閣の官房長官をわずか3カ月で辞任(2000年7月4日~2000年10月27日)することに至った。
妻の佳津子は「私は俊直を生んだことはあるが秀直を生んだ覚えなどありません」とよく人前で言ったといわれるが、議員会館にまで連れ込んで浮気する亭主には腹の底から怒りがこみ上げたことだろうと思う。
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運気剖象(うんきぼうしょう)
中川俊思 中川俊直
4399 4398
天格・中川 7 中川・ 7
人格・川俊12大凶 川俊・12大凶
地格・俊思18大吉 俊直・17大吉
外格・中思13大吉 中直・12大凶
総格・中川俊思25大吉 中川俊直24大吉
成功運・天7―人2大凶 天7-人2大凶
基礎運・人2―地8大凶 人2―地7大凶
三才の配置
天7―人2―地8大凶 天―7人2―地7大凶
第2型・絶対的短命運 第2型・絶対的御短命運
●成功運
運命抑圧を受け、不伸不満の結果、脳を冒(おか)され健康を害す。
●基礎運
常に迫害を受け、目下の脅威に逢う思い有り、呼吸器、特に肺を冒す。
●三才の配置
発狂・神経衰弱・脳病・肺病など長患、難治の病症を生じ、短命に終わる。
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祖父の中川俊思と孫の中川俊直はほとんど似た者同士の運気を有するが、俊直の方が父親の悪い運気を濃縮された形で受けつぎ、父親秀直よりもはるかに若い年齢で女たらしの馬脚を現した。
異常神経の持ち主なのである。落ち着きのない目つきの悪さと目の動きに脳神経の異常性が見て取れるのである。続く
親孝行?親不孝?
親孝行?親不孝?
「親に似ぬ子は鬼っ子」とよく耳にするが、単に親に似れば親孝行とされるか?
どこが・何が似ているのかによってその良否は判別されるものではないのか、いつも疑問を持っていた。
例えば、
○大酒飲みの酒乱を父に持つ息子がその姿を見て育ち一切酒を飲まない大人になった。これは親に似ないから鬼っ子か?
○反対に親に似て大酒のみの酒乱になった時、親に似たから親孝行と言われるのか?
○一生懸命に働く親⇒息子は無職でぶらぶら
○親がぶらぶら⇒息子は働き者
○親は女癖が悪い⇒息子も負けず劣らず
もうお分かりでしょうが、親の好いところが似た時に親孝行であり、悪いところが似た時は親不孝と言われるべきもので、一概に親に似ない子は鬼っこと言われるのは腑に落ちないことである。
*
広島に中川俊思(しゅんじ)という自民党の代議士がいた。衆議員議員を8期務め、1973年69歳で亡くなった。この人に娘がいて、中川佳津子という。
佳津子は高校時代に予備校で佐藤秀直という男と知り合った。
本来中川佳津子の性格は1の木性、佐藤秀直は8の金性なのでふたりは性格不一致・相性凶なのだが、若さの勢いからか理性より感情が優先して恋愛へと進んだのであろう。
しかし、佐藤秀直の中川家入籍によって中川秀直の性格は10の水性となり、1で木性の中川佳津子と相性吉・性格一致へと二人の知らぬ間、気づかなぬままに良い方向へ変化したのである。
さて、中川秀直は義父俊思の地盤を受け継いで衆議院議員となり、
10期務めて息子の中川俊直に三代目となる世襲をさせた。
父親の秀直は、21画で頭領寡婦運(後家運=カカア天下の強い気性と運気)をもつ妻の佳津子に頭が上がらず、ついつい優しくしてくれる他の女性に心を動かされ、永らく不倫を続けていたのだった。 続く
『さみしさ』に沁みる言葉④最終回
「さみしさ」に沁みる言葉
④
伊藤比呂美
さみしかったら、じたばたすればいい。
*
はじめに「さみしさだけは我慢しなくちゃいけない」とは言ったけれど、さみしかったらどうにかしようとじたばたすればいいんです。
じたばたしていればそのうち、さみしさという者は取り除こうと思っても無理だということに気が付く時がくるから、そうしたら、「まあ、こんなもんか」と引き受けるしかない。「さみしくても仕方がないな」と諦めることが昔からの知恵のような気がするんです。
介護をしながら「さみしい、退屈だ、孤独だ」って言い続けて父が老いていく姿をずっと見ているのはすごくつらかったけれど、そう言われたってやっぱり仕方がないですよ。どうしようもないですよね、人のさみしさって。
だからそんな父の姿を近くで見ていても『仕方がない、しょうがない』って思って私はここまで生きてきちゃったし、父は死んでいった。そんなものなんじゃないでしょうか。
更年期を過ぎたあたりからですかね、いろんなものが見えてきちゃって、すごく楽になりました。
30代のさみしさと、40代のさみしさは違うし、40代のさみしさと50代のさみしさも違う。人によっては歳を取るごとに、さみしさが大きくなるかも知れないし、質が変化していくかもしれない。
だけど、いつだってみんな、ずっとさみしいんです。
人間ってさみしいものですよ。
だからね、せめて人と接する時には「こいつはダメだ」と思うんじゃなくて、「おもしろい人かもしれない」って思って付き合うこと。これって簡単そうでなかなかできないんです。
でも私は、いったんそう思えば出来ることなんじゃないかと思います。これはおすすめですよ。 終わり。
「さみしさ」に沁みる言葉③-2
「さみしさ」に沁みる言葉
③-2
伊藤比呂美
あたしはあたしで生きていく
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「大丈夫、世の中ちょろいんだ」と思って自分を素直に表現していった方が、ずっと自由に振舞えます。
「この人は嫌い」って思うんじゃなくて、「この人の事好きかも」って思った方が世界は広がる。
もし人と意見が対立しても、「ひょっとするとそっちの方がいいのかな」って思うと譲れるしうまくいくことが多いんです。
この考え方の根底にあるのは,『あたしはあたし』っていう生き方です。
『あたしはあたし』というのは自分に正直に、自信を持って、胸を張って生きていけばいい、ということです。私たちは誰が何と言おうと自分の内側から湧き出る『あたしはあたしだ!』という思いに従ってとことん自己中心的に生きていっていいんです。
つまりそれは「自分を大切にする」ということ。
『あたしはあたし』という感覚がわかるようになれば、相手の中にも「あたしはあたし」「おれはおれ」があることに気づけるようになり、結果として相手を尊重できるようになります。
無人島に住んでいない限り、他者とのかかわりが一切なくて、完璧に一人という人はいませんよね。仕事をしていれば同僚がいるし、家族、友人、そんなに親しくない知人もいるでしょう。
私たちは他者がいるからこそ、一人のさみしさが感じられるんです。みんなさみしいんだから、相手と切磋琢磨しながら「あたしはあたし」という生き方を貫いていけばさみしさも我慢できるようになるんじゃないかしら。④に続く
『さみしさ』に沁みる言葉③-1あたしはあたしで生きていく
「さみしさ」に沁みる言葉
③-1
「あたしはあたし」で生きていく
*
私には娘が三人いるのですが、それぞれが自立して家を出ていくときに、一応母親だからちゃんとしたことを言わなくちゃと思って、一人一人に『母からの遺言』というものを伝えました。
長女は音楽を生業(なりわい)にしています。若いころの私もそうだったのですが、自分を表現することを仕事にしていると、たまに自信がなくなっちゃうときがあるんです。
だからね『世の中って案外ちょろいから大丈夫だよ』と言いました。
そうしたら数か月後に電話がかかってきて、「お母さん、ちょろかったよ」って。何があったんでしょうね。
次女には『人を疑うな、みんないい人だと思え』と言いました。もし相手との関係がうまくいかなかったら自分が変わればうまくやっていけるから、「あの人は嫌な人だ」と心を閉じてしまわないこと。
そして、三女には『人と意見が対立したら譲れ』と言いました。どうしても譲れないことは守っていいけれど、たいていの場合は譲れるからね、って。
③-2へ続く
『さみしさ』に沁みる言葉②
「さみしさに」沁みる言葉
②
うっとうしい相手でも、居なくなったらさみしい
伊藤比呂美
*
うちの家では、連れ合いと何か一緒に行動するということがめったにない。私の横には犬がいつも座っているので、犬と二人で生きている感じです。
いやぁ、さみしいものですよ。だから彼は彼で、私は私で好きなことをやって過ごしています。
20年前だったら、「こんな状態でなんで夫婦なのかしら」って思ったかも知れないけれど、今はこれで十分。彼もだいぶ年を取って来たから口を開けばネガティブなことばかり言っていて、『あ~。うるさいなぁ、うっとうしいなぁ』って感じながらも、それも夫婦のコミュニケーションだと思って聞いています。
もちろん『愛してる』なんてポジティブな言葉を貰う方がうれしいけど、欲は言いません。相手にも自分にもできることとできないことがあるんです。若いころは、夫婦関係ってもっとお互いを尊重したまともな関係があると思っていたのですが、もうこの年になるとね・・・。
ネガティブなコミュニケーションばかりでも、それも夫婦関係だと思えるようになってきました。
夫が亡くなって一人残された女友達が何人かいるんですけど、「夫が亡くなった時のさみしさったら、他にない」って口を揃えて言うんです。
「ほんっとうにさみしい!」って。「生きているときに感じていたあのうっとうしいもの(=夫)は何だったんだろう」ってみんな言います。
生前は、ネガティブな事ばかり言う夫が嫌で、内心『このやろう』とか『死んじまえ』って思っていたらしいんですが、いざ亡くなったらものすごいさみしさに襲われるそうなんです。
いなくなって初めて、「うっとうしくても、やっぱりいてくれた方がよかったな」って気づくんです。さみしいもんですよ、ほんと人間って。続く
『さみしさ』に沁みる言葉・伊藤比呂美
さみしさに沁(し)みる言葉
人生の幾つもの修羅と向き合ってきた詩人が、「さみしさ」について語ります。
伊藤比呂美
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私はね、さみしさだけは人生の中で我慢しなくちゃいけないものだと思っています。なぜそう思うのかというと、「さみしい」って話を周りからよく聞くからなんです。
一人で暮らしている女たちは『一人はさみしい』って言うし、夫がいる女たちだって『さみしい』とは言わないけれど、夫と何らかの行き違いを感じてさみしそうにしている。
お年寄りを見ても、どんどんさみしくなっていくわけです。
じゃあそのさみしさをどうしたらいいかって言っても、解決がつかないんですよ。一人でいても、誰かと暮らしていても、どっちにしたってさみしさはある。だったら引き受けるしかない。私はそう思っています。
私の父は『淋しい、さみしい』と『退屈だ、退屈だ』が老後の主な不満でした。彼はさみしさと退屈が原因で死んでいったようなものだった。
そんな父の介護をしながら、さみしさってものは、この世に生まれた時から備わっている人間の根源的な機能のようなものじゃないかと思ったんです。
だから、我慢するとかしないとかじゃなくて、さみしくたって仕方がないんです。人間生きていればみんなさみしいもの。だから結婚とかするんでしょうね。 続く
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