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三・直前逃亡

昭和59年12月8日、いよいよ運命の日の朝を迎えた。念のため義兄の大幡がどうしているだろうと7時30分頃電話したところ姉が出た、

『義兄は落ち着いているだろうか?』
「もういないよ」

『もういないって?・・・どういうこと?』
「5日の夜に仙台の精神科に入院してしまった。というよりも、逃げるようにして精神科へ行ってしまったのさ」

『なにイッ!あれほど打ち合わせをしていたのに黙って行くとは何事だ。今日の申し立ては大幡光二郎でやるようになっているのは解っていたはずだろ!』
「ビクビクして落ち着かず、かえってここにいて出入りの者に変に感付かれるよりはさっさと病院に行ってくれた方が、いいからね」

『それにしても、たった三日間を待てないはずがないだろう、まして黙って行ってしまうとは・・・』・矢張りまた精神的な症状が出てきたのだろう。

いまさら何を言っても仕方ないので、直ぐに弁護士へ連絡を取り、大幡の入院を告げ、最悪の場合は申立人を常務取締役吉野武喜として書類の差し替えを図る事までの打ち合わせをし、代理人弁護士一人で申請に向かう事とした。

昭和59年12月8日。午後3時、仙台地方裁判所石巻支部より
『財産保全命令書』を受け取り、債権者からの問い合わせに対応する準備をしたのである。あらかじめ、仕事を寄越してくれている業者に事の次第を伝え、このまま事業継続を前提とした会社再建策を講じる手筈なので、今後も変わらぬ、お付き合いを維持できるようにお願いした。

石巻日々新聞〔夕刊紙〕に掲載され、夕方5時のNHKテレビ宮城版のニュースで報じられ、債権者からの問い合わせが殺到するかと思いきや、
全く静かだった。大幡が入院した今、大幡宅には次男の博基〔石巻工業高校・土木科一年生〕と姉だけで、万が一に備え,私は大幡宅に泊まりこむ積りでコタツに足を突っ込み、着衣のまま寝て12月9日の朝を迎えた。

明るくなって気付いたが、タンスなど一部が部屋に見当たらない、

『どうしたの?・どこかへ運んだの?』
「何かあったら大変だと思って、あるところへ運んでしまった」

『誰にも指一本触れさせる事のないように、ちゃんとするための法的処置なのだ。・・・若し運び出すところを見られたら、“夜逃げの準備ではないか?”と要らざる憶測を呼んでしまいかねない。何故私のいう事を聞いてくれないの?』
「そんなことを言ったって、騒ぎになればどうなるか解らないから」

『これからは、こちらで言ったとおりに動いてもらうよ?』・・・恩を返したい。へ続く。





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課外七号::何故だ?・なぜだ?

一、 麻生総理が直ぐ解散して国民に信を問う気がないのはなぜだ?
一、 小沢の第一秘書を逮捕させたのは誰だ?。なぜだ?
一、 漆間内閣官房副長官が自民党側に捜査が及ばないと、話したのはなぜだ?
一、 西松建設から裏献金の多額の受取人二階俊博、森喜朗、古賀誠、など      の自民党議員側に何のお咎めもないのはなぜだ?
一、 産経、読売、朝日、毎日、その他多数の新聞が、未だに、被害者であ      る小沢にやめろの一切攻撃をしているのはなぜだ?
一、 小沢やめろよりも、麻生やめろ、二階やめろ、森辞めろ,尾身辞めろ     古賀辞めろが先ではないか、各紙が沈黙するのはなぜだ?
一、 小沢の秘書逮捕に疑問を持つ国民が圧倒的に多く、自民党不信が続い      ている中で、勝手に内閣支持率が上がっているという世論誘導の為       の世論調査のでたらめが続くのはなぜだ?
一、 公共放送たるNHKの与党偏重の政治報道が目に余るのはなぜだ?

一、 公徳心、道義心、正義感が主に内閣、与党議員、財界指導者、         高給公務員など社会の指導層から欠落して来たのはなぜだ?

◎このナゼだ?を徹底的に新聞、チラシ、街頭演説、インターネットなどで国民に訴えかけてしかるべき民主党が、内部で小沢に辞任を迫るなど筋違いもはなはだしい事をやっている。国策捜査で窮地に陥った、検察を喜ばせ、崩壊寸前の自民党を喜ばせるだけである。民主党への政権交代を望んでいる国民は、『民主党が外圧にグラグラする姿勢にこそ、不安を覚える』のである。確りして欲しい。

◎このようなナゼだ、なぜだの中で国民のイライラが積もる一方である。
本当にひどい世の中になってきた。上層部が腐った中で末端は、ツイ最近親の看護に疲れた49歳の清水という有名人が自殺した。

モラルの低下に歯止めがかからず,幼児虐待で子をむごい死に至らしめ、一昨日には、19歳の母親が2歳の子供に熱湯を掛け,熱さと激痛に泣き叫ぶ、わが子を見て「面白い」とそれを繰り返し、逮捕されたが、傍らには母親の友人で19歳の女がいて、二人で熱湯をかけていたという。

◎ それもこれも、基本の政治がでたらめの極みに達し、こうも末端の国民     の間に良心のかけらも持たない人々を数多く輩出している。
◎ 政界・財界・官界・皆乱れて、人心すさび、国亡ぶ,・・・経済の危機     どころか、日本国家滅亡の危機である。
◎ 衆参全議員で「東京市長・後藤新平の心意気,信念」を勉強すべきであ      る。
◎ ◎民主党の一致結束と政権奪取の貫徹に向けて、頑張って欲しい。小沢      はいつまでも代表にこだわる男ではない。政権奪取で二大政党による      国家国民の為の善政を構築したいのが本分な筈である。

◎ そのためには今は小沢が党首・代表でなければその目標は達成できな
     い。だからこそ、そうはさせまいとする、既得権保持の与党、財界、
     官僚の三者による小沢と民主党潰しの国策捜査までしたのではない       か!!。

      その連中と戦うべきの民主党が、彼らの作戦に乗せら          れ、小沢辞めろと内部で騒ぐとは言語道断!!宗教党に脅されて何も出     来ない自民党と、検察に鉄槌を下さんが為にも、小沢を辞めさせては駄     目なのだ。今、小沢のいない民主党など、与党にとっては赤子の手をひ     ねるようなもの、そうした作戦に載せられては成らぬ。最早政権争奪の戦
   は始まっているのだ!!

小沢辞めるべきが60%というのはマスコミの作ったデタラメの数字であり、麻生やめろの80%以上こそが本物の国民の声なのだ。

本物の声を黙殺し、偽モノの「国民の声」を作り小沢降しに血道をあげるマスコミの姿は異常そのものである。異常者は麻生太郎一人でたくさんだ!!

麻生太郎のような人間性欠落、品性なし,徳性なし、の人物に率いられる腐敗デタラメ与党に負けては成らぬ!!

『なぜだ?運動』で今こそ『国民を啓蒙すべき』だろう

悪者にやっつけられる鞍馬天狗は見たくもないし有っては成らない。渡部恒三よ!しっかりしろ!!政治家は間違った信念は直ぐ変えるべきだが、正しい信念はどこまでも押し通すべきだ!!ご意見番の腰が引けてどうする!!!


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二・暴風雨圏内

静かに確実に事務的準備を進め、以下の申請書類の作成態勢に入った。


            会社整理申立書

仙台地方裁判所石巻支部
支部長○○○○殿

                   記
                  ○○○


                                以上

                    
                   申立会社:大幡建設工業株式会社
                   申 立 人代表取締役大幡光二郎 
                   代 理 人 弁護士  庄田勝秋

大雑把だがこれに申立てに至った事由を書き込み、いずれも概要による債務超過状況、負債総額、担保権債権者及び一般債権者の一覧表、その他補足説明書、資料を添付して提出するのである。

昭和59年12月5日、大幡宅で幹部会議を開き、会社再建の骨子を話し、手順についての打ち合わせをした。

〔一〕 昭和59年12月8日を会社整理申立ての日と定め、午前十時、代表者の大幡光二郎は弁護士と地裁石巻支部に行き、書類を提出する。直ちに財産保全命令を取り発表する。
〔二〕 精神状態の極限に有る大幡代表は書類提出の後、仙台の精神科に入院させ、休養させる。
〔三〕 実質の代表者として吉野が陣頭指揮を取り、遅滞なく再建の手続き、業務の運営に当たっていく。
〔四〕 12月9日午前10時全社会議を開いて事情の説明をし、協力を要請する。退職希望者はあえて引き止めない。
〔五〕 大幡建設工業株式会社の人員と設備は新会社を設立して移行させる。

おおよそ以上のことを話して散会したが、このころから一日3時間位の睡眠状態が続いた。文字通りの寝る間のないような忙しさだった。

12月7日の夜、実家の両親を訪ね、そこへ長兄と三兄(軍旗)に来てもらい詳しく事情を説明し、将来の計画を打ち明け、何があっても心配しないように話し、理解を求めたのである。そうしていよいよ嵐の中へ突っ込んでいく事の覚悟を決めたのである。

◎ 大幡光二郎が吉野に全てを任せてくれれば、業務破綻に至る事はなかった筈だし、今後やり直すにしても『大幡さえ邪魔しなければ』、負債を全て〔約13億円〕返済する自信はあったのである。

◎ しかし大幡夫妻の存在は会社再建の障害に成るであろうことは容易に想像がついた。・・直前逃亡へ続く。



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心身不倒・法的再建への道・一・準備態勢

この計画は三野寺経理部長と綿密に打ち合わせて、弁護士とも連絡を取り合いつつ、目立たぬように確実に準備を進めて行った。

目指すは商法第381条による会社整理。会社再建型の整理方法である。
商法による会社整理とは経済危機に瀕した株式会社につき、裁判所の援助監督の下で、利害関係人がその債権、債務を整理して、企業の維持を図る制度である。

会社更生法に比して、管理人は(会社更生法でいう更正管財人)必置機関とはならないので、『従来の取締役が経営を続ける事が出来』又、手続きの進め方、整理案の作成についても、『関係人の自治』に委ねられているから、会社更生法の対象と成る企業より一廻り小さな会社につき、より安い費用で簡易かつ柔軟に再建を進めることが出来る。

和議と比較すると、『整理開始決定』があると、必要に応じて担保権実行としての競売中止を命ずる事が出来るなどの点で和議よりも強力な面もあるが、多数決制度が採られていないために、

債権者の中で『一人でも反対』があれば、成功しないという弱点がある。

過去の例を見れば、申し立ての開始から、開始の決定に至る例は30%前後という少なさで、多数の債権者の同意を得るのが困難であることを物語っている。

私はあえてこの困難な方法を選んだ。わが社独自の事情があったからである。この事情を背景に会社再建を図るには、この方法しか考えられなかった。

このように、会社再建へ向けての準備を怠りなく進めながらも、取るべき仕事は取り、表面上は何事も無い状態の平静さで手順を検討していた。

一・整理開始申立書を管轄の地方裁判所に出す。〔商法381条〕
倒産状態に陥った経過、現状、及び将来整理する事によって、会社の再建の見込みがあることを書いた申立書、及び、添付書類。

二・財産保全処分の決定。検査命令、監督命令などの発令。〔386条2項〕
裁判所は申し立て及び、職権により、整理開始決定前でも、会社の業務の制限、財産の処分、業務及び財産に対する検査命令、並びに監督命令を出す事が出来る。〔保全処分の申し立てがあると。会社役員、債権者、取引先などの意見を聞き、保全処分を発する〕

三・整理開始決定〔381条〕:約1ヶ月後、

四・整理案の立案〔391条〕:6ヶ月以内に作成し、整理委員2名を選任する。

五・整理案の実効命令
六・整理終結〔399条〕・・・・・暴風雨圏内へ続く。





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八・次第弱り

昭和59年3月、この期の完工高は108000万円だった。私の入社以来、毎年右肩上がりの業績を上げてきたが、平行して借り入れの増加、金利負担の増大、などで経営を圧迫し始めた。

そうした中で、大幡が若い頃にあこがれた名振丸の船頭をやり、何度か日本一の漁獲高を記録した石巻市在住の橋福一さんが、大幡のために一肌脱ぐと言う。大幡の話では高橋さんが大幡のために自宅を担保に入れて1000万円の借り入れの応援をすると言う。

第三者を巻き込みたくないのと高橋さんの姓名画数が良くないので放っておいたが、大幡は是非高橋さんに会ってくれと執拗に言うので会うことにした。昔名振丸で働いた関係で、大幡に応援して欲しいと頼まれたので、大幡のために家屋敷を担保に入れ、応援したいのだと言う。大幡が初めて連れてきた応援者である。

折角の好意を無に出来ないと大幡が騒ぐので、折角のことだから、その好意を受けましょうと、北銀から5年借り入れ1000万円の自宅担保提供と連帯保証人としての協力を仰ぐことになった。昭和59年4月上旬のことである。

さて、4月25日の給料日に大幡は高橋福一さん宛に16万円を出せと言う。北銀への保証料だと言う。「まるで個人の保証協会ではないか!」そう思ったが、最早後の祭りという事と、最優先でこの借り入れの返済を済ませれば良いと、その時は軽く考えてしまっていた。

だが、この16万円は大幡と高橋福一さんとの間の約束事で、毎月大幡から高橋さんに支払うのだと言う、シマった!!・・・何のことはない
表向き助けるとは言いながら、結局大幡は乗せられてしまったのだ。

1000万円の連帯保証料がひと月に16万円なら、現在13億円の連帯保証をしている私の保証料は月額2000万円貰ってもいいことに成る。いかに「べらぼう」かが解るのだが、大幡にはまるで解っていないのである。親切ごかしに大幡を利用したものではなかったのか?

間もなく大幡が市議会議員に立つという、噂が流れてきた。よくよく聞いてみると石巻の青木和男市長が大幡と同じ雄勝町の出身であり、議会対策に一人でも多くの与党議員を作るため、大幡に議員として市政参加を勧めたのだという。これは他の事と違って様子見と言う訳には行かなかった。

青木市長宅を訪ねて、大幡の会社事情と大幡自身の病気の事を話し、大幡の市議への挑戦と市政参加への件は諦めてもらった。大幡がすっかりその気になっていたこともあって、早く手を打てたことは正解だったと思う。

彼が高橋氏に約束した月額16万円の支払いは保証料のみならず、市会議員選挙を意識したことの現われであったかもしれない。高橋さんを味方につければ、市内の船員関係の票をもらえると判断したのか?、その様に持ちかけられたのか?・・・

苦しい中でやっと賞与を払い終えた8月末、私はひそかに会社更生法、商法381条に依る会社整理、和議、などについて研究し始めた。いざという時の法的処置について準備を始めた。・・・法的再建への道、に続く。


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社名変更(その2)

個人に姓名の画数が有って運気を左右する如く、法人にも又法人名としての画数が有り、当然のことながら法人の運気を左右するのである
法人の場合、有限会社や株式会社などは画数には入らない。

×大幡海事工業。(3・15・11・8・3・13)53画・凶・
53画の社運:盛衰交互にいたる一盛一衰の運。大幡の入院中に盛り返し、退院して来て口出しをすると停滞する。ほとんど此れの繰り返しであった気がする。

×大幡建設工業。(3・15・9・11・3・13)54画・大凶
54画の社運:失意と失望に誘導されやすい衰退の運気を示し、努力から廻りして骨折り損に終わり、徒労に沈む運。
従って避けたかった社名であった。

◎大幡技建。  (3・15・8・9)      35画・大吉
35画の企業。万事順調、斬新的で着実に事業発展を得,財運に恵まれ、強固な基礎を築き、安泰を確立する運。(技のてへん・扌・は手で4画)

大幡はこれでも「本田技研」と似ているから嫌だと言うが、
『大幡技建』には建設の『建』が入っており、誰が見ても建設業を連想する「良い社名」な筈だが、肝心なところで大幡代表の拒否を受けたのである。

少々の事にはへこたれない精神力の強さには多少自信が有ったが、こういつまでも、大幡との考え方の行き違いで進歩と後退を繰り返していては、社の発展など望むべくもないと、初めて大幡建設工業の行く末に不安を覚える様になった来た。

大幡建設工業株式会社の差し替え手形と、100トン吊り自走クレーンの買取手形を持って、再び、三代正産業を訪問し,この件の処理を終えた

帰りにアポロリースの池袋サンシャインビル内にある本社(仙台から東京へ本社を移していた)へ顔を出し、個人的に付き合いのあった、取締役営業部長、河島常雄氏に会い、手形割引の融資枠拡大のために、太陽神戸銀行本店を一緒に訪ね、同行の仙台支店を紹介して頂いたのである。

これより先、太陽神戸の仙台では5000万円の割引枠を作って頂き大いに助かった。この事実を二年後に知ったアポロの安藤 彰社長は

「吉野君らしいなあ、良くここまで来たな」と言いながら、苦笑いしていたそうである。・・・次第弱りへ続く。



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七・社名変更

『社長さんが駄目だと仰るなら我々は潰れます。手間ヒマかかりますがやり直すしかありません』。と答えた。

「ウーン・・・」と言ったまま私の顔を見ている。

『お願いいたします!』ともう一度頭を下げた。今度の社長さんの一言で成否が決まると感じた。

「解った!!吉野君、あなたに貸すよ!・・・3億円でいいんだね?!」

『結構です!有難うございます』

「君いくつだっけ」

『来月で37歳になります』

「ところでさ、送ってもらったアワビの粕漬け、昨晩食べたがありゃあ旨かったぞ。今まで生きてきたうちであんな旨いものは喰ったことがなかったよ。本当に旨かった!」・・・・三日前に送ったあわびの粕漬け
(貸付け・・かしつけ・・かすづげ)が三正社長に気に入られ、そのお陰もあってか、3億円の借り入れにこぎつけた。

この借り入れは短期(5年)故、元金のみ毎月500万円である。
とにも角にも、ここは貸し手側の条件を飲むしかなかった。後で条件変更をすれば良いと思ったのである。

翌58年2月、昨年10月より試用していた住友機械製の100トン吊り陸上自走式クローラクレーンを1億円で買って欲しいと三代正産業から言って来られた。早速千葉県に出向いて,三代正側と話し合った。

『三正社長さん、クレーンを買いますが、条件というかお願いがあります。昨年の借り入れを10年払いに条件変更をお願いします。月々の支払いの減った分をクレーンの購入に当てます。したがってクレーンの支払いも10年払いでお願いしたいと思います』

「いいだろう。条件変更後の約手とクレーン購入分の約手を持ってきてください。差し替えして前の約手はお返しします」

『よろしくお願いします』・・・後でわかったのだが、三代正産業は大幡海事工業の約手を担保にして借り入れを起していたのである。

この頃、我々は陸上の土木工事も広く施工していた事も有り、心機一転、を期して

『大幡海事工業』を『大幡技建』と改めるべく、大幡と話し合ったのであるが、この提案は『本田技研』を連想させるから駄目だという理由で大幡から断固として拒否された。

私の話す事に従うと言っておきながら、その場面に及ぶと私の言う事を聞かない。大幡光二郎の私に対する宿命なのだろう。

『大幡晃二朗』の言動は信頼出来ても『大幡光二郎』はどうしても二枚舌になってしまい、自ら信用を貶(おと)しめてしまうのである。・・・社名変更(その2)へ続く。



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六・新たな資金の導入

アポロリースとの取引をやめ、中央信託銀行、商工中金仙台支店、日通商事仙台支店などとの取引,石巻商工組合、七十七銀行石巻支店、東北銀行石巻支店等との取引を継続していたが、どうしても安定的な長期運転資金の導入を図る必要があった。

幸い紹介者がいて,その者と一緒に千葉県内のクレーン商社に3億円の融資を仰ぎに行った。昭和57年2月のことだった。その経営者は面接で90%判断すると言う。この社長さんと2時間にわたって状況を説明し、一週間以内に全ての関係書類を提出するように言われて出直すことにした。

振り返ってみれば、今日まで経営者としての大幡がばら撒いた無理や無駄の累積がかなりあり、次第にボデイブローのように効いて経営体質を弱め始めていた。大幡光二郎代表の我侭,無定見,虚栄心、等から来る融資と貸し付けの焦げ付き、回収不能金、岩手県釜石地区に於ける過剰先行投資とそれに見合う受注の失敗など、数え上げたらきりが無いほどの、出費が重なって行った。

大事な時期に、資金繰りと大幡代表の監視という、後ろ向きのことへ、集中せざるを得ず、前向きの取り組みが出来なかった事は、後々へ影響する意味で誠に残念な事であった。

いま、無理がたたって、新たな融資先を開拓して対処しようとしているが、此れとて、大幡が従来通りに、業務にマイナスに作用してくれば、無駄な借り入れと言う事にもなり、いっそのこと、会社更生法の適用にもって行き,やり直したほうが早いかな?という気がしないでもなかった。

その旨、大幡夫婦に話したところ,
『今後一切口出ししないので何とか新たな借り入れを成功させ、会社を維持して欲しい』と言うのである。

再び千葉の三代正産業株式会社へ単身で出向いた。三正壽彦社長に書類を提出し、『よろしくお願いいたします』とご挨拶申し上げた。

「吉野君、僕が貸せないと言ったら、あんたとこの会社はどうなる?」ジイーッと私の顔を見る・・・社名変更へ続く。


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五・モット飲ませろ

大幡代表には四人の義兄がいて、その中の三人が大幡の会社で働いていた。一番上の姉の夫は大の酒好きで、大幡の自宅から歩いて20分くらいの場所に住んでいた。妻と一男一女の四人暮らしであった。義兄のヨシミで、会社で採用していたのだが、この人物の採用はあくまでも大幡代表の血縁というだけの情実採用であったのと、非常な酒好きのため、勤務に支障を来たさないか?、身内なだけに、他の乗組員の手本となればいいのだが、そうでないと、かえって示しがつかなく成り、全体の士気の低下につながる可能性がある。

その様な事情から、私は採用には反対だったが、大幡の虚栄心が大きく働いて『自分が兄弟達の面倒を見ているんだ』という世間からの噂を聞きたくて、どうしても会社に入れるということから、54年11月に仕方なく採用したのである。酒には特に気をつけるよう本人に話し、くれぐれもそのことを注意して、本人も納得したので第二公福丸の機関部補佐員として、乗り組んだのである。

早藤友雄56歳:(6・21・4・12)運気20点
総格43画:大凶。散財運なり。因循姑息(いんじゅんこそく)、薄弱散漫の象有り。雨中に花の趣き。才能智達なれど、意力確定成らず、諸事遂行するに難く、外見のみ幸福にして内実の困苦多く、表面事成るがごとくにして裏面に破れを生じ、消化器系、循環器系を病み、脳出血などを惹起し、生命財産を亡くす。

或いは一方に偏る傾向あり、人を毛嫌いし、人に毛嫌いされ、社交上,事業上に支障を来たす事有り。驕慢の念を去り、和順恭敬を守ることが成功の絶対条件なのだが、大人しかったのは初めのうちだけで、いつの間にか、社長は俺の弟だと鼻にかけ、他の社員の前でも事有るごとに社長を『光二郎』と呼び捨て、酒を飲みすぎ、いつも酒臭い状態で、他から非難され始めた。

昭和55年10月のある日、岩手県大槌町のスナックから早藤の飲食代を会社に請求する電話があった。早藤が二ヶ月間も飲み代を払ってくれないという。何でも『会社を担保に入れるから飲ませろ』と言って大幡の社名が入った作業着の上着を飲食店に預けたままなのだという。

会社では本人に紛失したと言われて新しい作業制服を支給していたのである。経営者の身内だということで、船内でも色々と不都合なことをしており、周囲も苦々しく思っていたようだが、心配していた通り、早藤友雄は船内の和を乱し、他の者の士気を著しく落としていた。

此れを放っておけば、会社全体に悪影響を及ぼすことになり、私は大幡の反対を押し切って早藤を退職させた。間もなく12月に入り、腹痛を訴えて石巻市内の外科医院に入院したが、開腹後に直ぐ閉じるという末期の「胃がん」だったようで、程なく逝ってしまった。この遺族、特に子供達には「父親をクビにした男」として私は後々まで恨まれたようである。生前『好きな酒で死ぬなら本望』と本人が言っていた通りになってしまった訳である。・・・新たな資金導入へ続く。



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課外・六号:疲れ果てて、清水由貴子

女優の清水由貴子さんが8歳の時に亡くなった父親の「墓参りに行く」と東京の自宅で妹に話し、4月20日、母を連れて、静岡県駿東郡小山町の富士霊園の父親の墓前で、硫化水素に依る自死を遂げたという。21日午後1時25分頃遺体が発見され、死亡推定時刻は20日の午後五時頃という。

この墓は富士山が見えるように5年前に建てなおしたものだという。由貴子さんから1メートル離れた傍らに車椅子の77歳の母親が、衰弱して意識を失い、発見後病院に収容され、糖尿の影響で失明状態にあるが、手当ての結果意識を回復し命に別状はないという。

由貴子さんの側には
『消防に通報して下さい。ご迷惑をおかけします』
『東京で葬儀をあげないで下さい』と書かれたメモがあったという。

1976年日本テレビ系の「スター誕生」の番組で第16回決戦大会に進みピンクレデイを上回る高得点で最優秀賞を受け、翌年歌手デビューしたという。

その三年後に母親が心の病と糖尿病、腎臓病を悪化させて入院生活に入り、妹は伯母に育てられ、母親の入院費や妹の養育費を仕送るなど頑張り続け、最近は疲れた顔を画面で見せるわけにはいかないと、芸能生活を諦め、派遣の仕事をしながら、母と妹の面倒を見ていたという。

清水由貴子〔12・4・5・12・3〕氵・さんずいは水で4画。
運気の強さ5点
天格:清水で 16画
人格:水由で  9画、  大凶。惨憺悲痛限りなき凶災運。
地格:由貴子で20画、  大凶。万事行き詰まりの短命運。
外格:清貴子で27画、  大凶。志節中途挫折の批難遭難運。
総格:清水由貴子で36画、大凶。他に尽くして沈む、波乱運。

成功運:天(六)―人(九)大凶。苦労のみ多くして功少なく、かえって困難を受けやすし。

基礎運:人(九)―地(十)大凶。一時的大勢力を発揮する事あるも
多くの場合、病災、孤独に陥る。

三才の配置:天(六)―人(九)―地(十)大凶:第三型絶対的短命運。
負傷、遭難等、他動的、外傷的危険に陥りやすき運気を示し、或いは難治の病症を生じて、短命に終わる。

◎ 結婚もせず、自分だけの幸せをつかむこともなく、一家を支え続けたが、辛さ孤独、病難、厄難、災難、苦労困難の絶えることなく、他のために尽くし通し、余りにも悲しすぎる短い人生は、姓名画数の為せる業であるとしか言いようがないのである。とは言え、

典型的なシングル介護を余儀なくされた清水さんは、母と妹の二人の介護、面倒見に疲れ果ててしまったのだとは思うが、様々な形の家庭崩壊が否応なく現実のものとなった今、国の施策による、介護、カバーを本気で考えないと、第二、第三の清水さんが出てしまう。国の恒久的な対策が緊急に本気で施される必要がある。

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