日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
こころの除染という虚構 31
心の除染という虚構
31
平成24年3月11日までの推計値
宝司沢(ほうしざわ)20・0ミリシーベルト
石田 20・1ミリシーベルト
上小国 20・8ミリシーベルト
下小国 19・8ミリシーベルト
いずれも毎時である。
この中で霊山町石田宝司沢地区はすでに、5月中旬段階で国より
「計画的避難地域に該当する地域」と伝えられており、伊達市では『自主避難』という形で希望者のみ非難させる。すなわち「地域の実情に応じた対策がベター」だという判断を下した。
これが伊達市が後に積極的に採用した「特定避難勧奨地点」の原型となった。
文科省からの通知を受け取った市長の反応に、深刻さは伺えない。少なからぬ市民が、テレビニュースで、市長のこの様なコメントを記憶している。
『たまたまでしょう。急に線量が上がるのはおかしい』
報道機関は直ぐに、問題の大きさを察知した。その焦点となったのが小国地区だ。冒頭に記した会合で福山官房副長官が、「伊達の場合は小学校がある」と言及していたのは、小国小学校を指していた。
小国の住民にとってみれば、飯館村の全村避難の狂騒が一段落し、やれやれと思っていた直後だった。飯館村の人々への同情はあったものの、他人事でしかなかった『避難』が、自分達にも降りかかってくるとは青天の霹靂だった。
普段は、歩く人もまばらな山あいの里に、何台ものタクシーが停まり、カメラマンと記者らしき人間がマイクを持って、口を開く住民を求めて歩き回る。小国小学校の校門の前には報道の人だかりができ、その中を子どもたちがカメラや視線におびえながら登下校する。
一変してしまった小国の風景に、住民の誰一人として普通でいられるわけがない。
椎名敦子は、目の前の光景にただ立ち尽くす。
「こんなに取材のタクシーが張っている程、有名な場所だったんだ、小国って・・・」
一体、何が起きているのか、すべてが住民不在で進んでいた。
今回も『事実』を知らされたのは、市からでもなく国からでもなく、新聞報道だった。6月4日、土曜日の朝に配達された福島民報の一面トップに「新たに4地点、20ミリシーベルト超」の見出しが踊る。
1年間の推定値が20ミリシーベルトを超えるという地点にまぎれもなく小国という文字があった。
「上小国20・8、下小国19・8・・・」
えー、なにこれ・・・。
敦子は絶句するしかなかった。こんなの、私たち、誰も知らない。年間積算線量なんて、誰も教えてくれなかった。
外には朝早くから、タクシーが次ぎ次ぎに詰めかける。
「こんな小ちゃな小国に、タクシーばっかり、亭まっている。何でこんなにタクシーがいるのか、ああ、本当に気持ちが悪い」 続く