goo

心の除染という虚構㉑

心の除染という虚構

(4)

「伊達っていいところだよねー。山もあるし、1時間ちょっとで海にもいけるし、もし原発の事故が遭っても、離れているから影響もないしね!」

ママともの集まりでよくこんな話をしていた。

みんなで「そうだよね!」って頷いて。

水田奈津(みずた・なつ=仮名・当時47歳)が信じて疑わなかった無邪気な思いが崩れ去ったのは、「あの日」からどれだけたった頃だろう。

「徐々に徐々に、あれ?って、おかしく思う様になって行きました」伊達市保原町郊外、田んぼや果樹園、畑が広がる一角に水田家はある。半田銀山で栄えた桑折町の半田山や、霊峰・霊山を望む、盆地の真ん中に当たる平野部だ。

 旧5町が合併してできた伊達市だが、市長を輩出し、伊達市役所が置かれた保原町が今や名実ともに伊達市の中心になっている。

  他の町では寂れがちな飲食店などの繁華街も健在だ。水田家は保原の繁華街から車で5分ほどのどかな田園地帯にある。

水田家は、主婦である奈津をと夫の渉(わたる・仮名当時53歳)、渡の両親に子供2人の6人家族だ。渡は会社員として働きながら、休みには家の周りにある畑を耕し、農作物を作ってきた。元々農家の生まれだった。

  伊達市ではこの日、中学校の卒業式が行われ奈津と渉は長女ひかり(仮名・当時15歳)の式に出席し、3人で近所のラーメン店で昼食を食べて1時半には帰宅した。

奈津は1階の居間で、ひかりは2階の渉の部屋で父と一緒にのんびりとした午後を過ごしていた。

突然、渉と奈津の携帯から、地震警報が鳴り響く。

「ひかり、地震が来るからお前は下に降りとけ」

  ひかりが階段を降りてきた丁度その時、家が揺れ始めた。奈津は咄嗟にテーブルの下に入って娘を呼んだ。

「ひかり、おいで!」

奈津が言う。「物凄い揺れなんです。ゆっさゆっさって。何、これ?って。最初は東西に揺れて、次に南北に揺れた。あたし、東京が危ないって前から思っていたから、『東京終わった。東京壊滅』って揺れてる間ずっと思っていたんです。

 娘はめったに『ママ』なんて言わないのに『ママ、ママ』ってしがみついてきました」

それでもひかりは気丈に、テーブルから出てさっと窓のカーテンを閉めた。ひかりは言う。「凄い横揺れでガラスが割れて、それが当たって死ぬと思ったから」

吊戸棚から食器ががちゃんがちゃんと飛び散っては割れて行く。

 「食器が割れる度に、お母さんが『あーあ』って溜息ついて、何度もその度に」

 ぺンダント式の照明がゆっさゆっさと揺れ、火事になるかと思った瞬間、すべての電源が落ちた。揺れが収まって、2人は外へ出た。既に祖父母は外に出て、2階を見上げている。2階のベランダから渉が『はしご、はしご』と叫ぶ。続く

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

心の除染という虚構⑳

心の除染という虚構

 4月13日、伊達市教育員会は放射能に関する指針を発表した。

「体育、部活動は屋内で、栽培科活動は控える。登下校などの外出時は帽子、長そで、マスクを着用する。外から戻った時はうがい、手洗い、教室の窓は閉める。換気扇、エアコンなどは使用しない」など。

 4月20日、伊達市のサイトにアップされた小国小学校の『環境放射線測定値』が保護者に学校から伝えられた。

『測定場所、校庭中央、地面から高さ1メートル地点』

4月10日 5・78  11日 5・77

と連日、5マイクロシーベルト越えという数字が並ぶ(避難の基準が3・2以上)。

 校庭での活動をしないとはいえ、子どもたちは、この場所に毎日登校していたのだ。1年生から6年生まで全校児童57名という山あいの小さな学校で、原発周辺自治体の避難に紛れる格好で、このような事態が起きていた。

 敦子は母親たちと協力して、通学路の放射線量を測定して回った。

「学校が始まってすぐに始めました。民主党の議員さんから線量計を借りて、お母さんたちで手分けして、子どもが実際歩く場所を測ったんです。

 何処が高いのか、知っておこうと、普通に3マイクロとか4マイクロというところはありました。風が吹けば、みるみる数字が変わるし、どの数字を信じていいか分からない。でも測ったことによって、放射能が小国に一杯あることがわかったんです」

 自分たちの測定した数字と、新聞に載っている避難の目安となった数字を比較すれば、小国の数字が無視できないほど高いことに否応なく気づかざるを得ない。

隣の飯館村では『計画的避難区域』という良くわからない名称の許、全村避難の動きが始まっていた。

なのに小国では、子どもたちは『普通に』学校へ通っている。皆長袖、長ズボン、マスクを着用するという出で立ちで。

『線量がこんなに高いのに何で誰も言ってくれないの?何で伊達市からは何もないの?逃げましょうとか言ってくれないの?』

 敦子には理解できなかった。なぜ、市の広報車が来て注意を喚起しないのか?子どもを安全な場所に移してくれないのか?それをするのが行政ではないのか。そうやって住民は守られるべきものではなかったか。

 しかもこの時期、伊達市は浜通りからの原発事故避難者を受け入れており、霊山や小国の公民館に避難者たちが身を寄せていた。受け入れに当たって消防団が各家庭を回り、毛布や布団を集めている。

 「訳がわからない、何でここへ避難してくるの?ここも線量が高いのに」

  我が子が通う小国小学校が福島県内の避難区域以外で・・・すなわち原発事故後も子どもが通っている小中学校の中で、最も高い放射線量を有していると知らされたのは、伊達市からでも、学校からでもなく、4月20日の文科省発表を受けた『福島民報』の報道記事だった。

「衝撃でした、目を疑いました。何より理不尽だったのは、教えてくれたのが新聞だったということです。ふざけていると思いませんか」

当事者でありながら、自分たちが身を置く自治体から何のアクションもない。

子供達の被害を何とかしようと動くどころか、見て見ぬふり、まるでほったらかしだ。

 今まで漠然と信じていたもの、国や県や市は自分たちを守ってくれるという信頼が、足元から崩れていくような思い。敦子はこれから身を以て、理不尽さを知ることになる。続く

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )