日々の感じた事をつづる
永人のひとごころ
〈もう一度会いたい〉 物見遊山でもいい
〈もう一度会いたい〉『物見遊山』でもいい
14―1心に迫りくる校舎
石巻市大川小の校舎は何時もお香の匂いがする.慰霊碑の香炉からいつも煙が揺蕩(たゆた)う。津波で犠牲になった児童を悼み、敷地の一角に建てられた。
今野浩行さん(53)と妻のひとみさん(45)が顔を見せた。11日の月命日に足を運ぶ。6年生だった長男=当時12=が落命した。
■屋上はなし
校舎は柱がへし折られ、芯の鉄筋があらわになっている。校舎と体育館を結ぶ渡り廊下は横倒しだ。
あの時のまま。長男の教室は2階にあった。1学年1学級の小さな学び舎。廊下に荷物掛けのフックが並ぶ。
《今野大輔》その中の一つにネームシールが貼ってあった。校舎は30年前に出来た。
円形を基調とするモダンな意匠。設計コンペで決めた。教室は勾配のある天井に明り取りの窓が備わり、自然光を取り入れる。ホールの壁にはステンドグラス。「アセンドリー(集会)ホール」としゃれた名がついた。
完成したときは『ハイカラな学校』と地域中が湧いた。親も子も籍を置くのを待ち望んだ。設計はデザインを追い求めた。
防災には見向きもしなかった。学校は北上川沿いにある。校庭は海抜1メートル。土台のかさ上げはなく、川の堤防を乗り越えた津波にやすやすと呑み込まれた。
教室棟には屋上がない。もしあってそこへ逃げていたら74人が死ぬことはなかった。続く
〈もう一度会いたい〉 他人任せにはできない
〈もう一度会いたい〉他人任せに出来ない
2014・12・17河北新報
13・息子の代弁法廷で
*
冷 たい秋時雨が、黙々と作業に精を出す人たちの雨合羽を濡らす。11月8日。石巻市大川小。航空写真と三角スケールを頼りに、側道を測量し、ビニールひもを張り巡らす。
朝から降っている。吐く息が白い。避難経路を復元する作業だ。5日後に裁判所の現場視察が予定されている。作業の主は児童の親で裁判の原告。
74人の子が避難中に津波にのまれ、絶命した。
今野浩行さん(53)と妻のひとみさん(45)の姿もある。長男で6年の大輔君=当時(12)=を亡くした。裁判は児童23人の19遺族が石巻市と宮城県に損害賠償を求めた。提訴日は2014年3月10日。時効完成の前日だった。
■最後の願い
地震発生から津波到来までの50分間、子供たちは何故校庭に留め置かれたのか。なぜ津波の来る川へ向かって避難誘導されたのか。親の望む真相解明は市教委の説明会でも市の第三者検証委員会でも進まず、最後の願いを法廷に託した。
石巻市では、震災で24の小中学校が浸水した。この中で先生の引率中に子供が津波に巻き込まれたのは大川小だけだ。他校は全員助かっている。
検証委員会は事故の一因について日頃の防災体制の不備を挙げた。浩行さんは思う。
防災体制がいい加減なのは実はどの学校も似たり寄ったりだ。それでもほかの学校は機転を利かせて裏山に避難させている。
他校に出来てなぜ大川小に出来なかったのか。その訳を裁判で知りたい。
**
裁判は起したら起したでやっかいごとを抱える。それも本筋以外のところで。
『子供が死んで、カネが入ると喜んでいる』
『義捐金を裁判の費用に充てている』
ネットに心無い言葉が書き込まれた。心の歪んだ者の標的にされる。
『1000年に一度の巨大津波。襲来は予想できず、事故を防げなくてもやむを得なかった』
法廷でも市は変わらず津波の予見可能性を否定する主張をしている。裁判はとどのつまり、予見可能性の有無を巡る攻防に収束されている。判決もこの一点でジャッジするだろう。
■真相どこへ
だとすると裁判でも真相解明は置き去りにされる可能性がある。
大人で唯一の生存者で真相解明のカギを握る教務主任の先生も、精神的に参って尋問不能の状態が続いている。
勝訴したとしても気が晴れないかもしれない。浩行さんは心の準備を始めている。現場視察当日。裁判官がヒモで仕切られた避難経路を歩き、避難状況を体感する。
そのあとを親がついて回る。自分たちでよみがえらせた仮想の道を足で確かめながら。原告本人が裁判の現場復元作業を弁護士や業者任せにせずに、直接関わるのは珍しい。
浩行さんは当事者として出来る限り裁判に打ち込むことが息子の代弁をすることだと考えている。 続く
〈もう一度会いたい〉 知りたかったその先
〈もう一度会いたい〉知りたかったその先
12-2
(避難の判断ミスを裏付ける息子の提言)
「息子は『山さ逃げよう』と先生に訴えたと聞きました。このまま校庭にいたら死ぬとわかっていながら50分間過ごした恐怖を想像すると胸が張り裂けます」第2回委員会でひとみさんが意見陳述した。
大輔君の訴えは避難の判断ミスを裏付ける重要な手がかりだ。それを市教委の調査ではなかったことにされた。
検証委はその年7月に中間案を発表した。
浩行さんは目を疑う。あの50分間に触れた記述がない。学校の防災体制の不備についてはスペースを割いて問題点を指摘している。だが当日の状況は気象、地震情報を示しただけ。避難行動に関する直接的な言及は見当たらなかった。
■期待しぼむ
中間案は正式には「中間取りまとめ案」と称した。最終報告の下敷きとなる『中間報告案』からいつの間にか後退していた。検証委に抱いていた期待がしぼんでいくのを実感する。
最終報告は翌年(2014)2月に出た。中間案の7か月後だ。
〈教職員の避難開始の意思決定が遅れ,河川に近い三角地帯を避難先に選んだのが直接的要因〉それは検証委から聞くまでもない。端(はな)からわかっている。知りたいのはその先だ。
〈教職員が切迫した津波の危険性を感じていなかった〉
〈なぜ三角地帯を目指したのかは関係者が死亡し明らかにできなかった〉踏み込み不足。未解明。
報告は遺族の求める水準に達していなかった。
〈生き残った児童から『亡くなった子が山への避難を強く教職員に訴えていた』と聞いた保護者もいる〉
大輔君の訴えに関する記述は一文に留まった。
知りたいことを知ることが出来ない。ずっとまとわりつづけるストレスから解放されない。
浩行さんら遺族は記者会見した。
『真相を明らかにするため法的手段を検討する』
提訴の時効まで20日を切っていた。 続く
〈もう一度会いたい〉 知りたいその先
〈もう一度会いたい〉 知りたかったその先
12-1報告 踏み込み甘く
第三者委員会の初会合の場は豪華な宴会場だった。2013年2月・石巻市大川小事故検証委員会の第1回会議が市内のホテルで開かれた。
震災から丸2年になろうとしていた。華やかな会場の雰囲気に今野浩行さん(53)と妻ひとみさん(45)は違和感を覚えた・教育行政史最大の惨事の真相解明を図るの場としては、不釣合いすぎる。
■対立先鋭化。
大川小は震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった。全校生の7割。
死者の中には長男で6年の大輔君=当時12=がいた。検証委は石巻市が設けた。事故を巡っては、それまで親と市教委が説明会を通じて直接協議していた。
親は「人災」と追及する。市教委は「天災」と防御する。対話は深まらず、対立は先鋭化した。信頼関係は修復困難となり、市は事実解明を第三者に委ねた。
遺族は検証委設置に不満がない訳ではなかった。設置は唐突に市議会に提案された。市教委との関係はぎくしゃくしているとはいえ、今後も話し合いを続ける気でいた。
それが第三者にバトンが渡り、はしごを外された思いを味わう。それでも、第三者による客観的な検証なら真相解明に近づく望みが持てた。
地震発生から津波襲来までの50分間、何故子供たちが校庭に留め置かれたのか。なぜ津波の来る川へ向かって避難誘導したのか。知りたいことが解き明かされる期待が不満を凌ぐ。 続く
〈もう一度会いたい〉なぜ川へ向かったのか!
〈もう一度会いたい〉何故川へ向かったか
11-2・「先生、山さ逃げよう」
防災無線が『大津波警報発令。海岸、河川堤防に近づかないで』と警告する。
ラジオが『予想津波高を6~10メートル』と警戒を促す。
広報車が避難を呼びかける。校庭の集団は動かない。学校は北上川の脇にある。津波が川をさかのぼろうとしていた。
校庭の裏に山がある。傾斜が緩く、低学年生でも登れる。体験学習のシイタケ栽培の場で、足を踏み入れることに、抵抗感はない。
大津波警報の発令から47分経過。津波襲来まで4分を切っていた。
川に向かった。山ではない。
先生は「三角地帯」を目指して引率した。橋のたもとにある三角形の緩衝地帯だ。校庭より高いが差は5メートルに過ぎない。
津波が堤防を越た。人の列を飲み込む。児童78人中4人と教師11人中1人の計5人。生存者はこれだけだった。真相を知りたい。
約50分間、何故校庭に留まったのか。なぜ川に向かったのか。
■たった1分
「大ちゃんは先生に『山さ逃げよう』と訴えていた」浩行さんは生き残った児童から直接聞いている。息子のアピールは無駄花に終わった。
この児童は市教委の聴き取りにも同じ証言をした。市教委の示した聴取記録にその記述はなかった。
下書きのメモは廃棄されていた。記録の正確性を確かめる手段を失う。唯一の生存教師は説明会で山に逃げなかった理由を『木が倒れて危険だった』と述べた。実際には木は倒れておらず、事実と食い違う。
説明会は遺族の求めで再開された。市教委は津波の予見可能性を否定し、議論は平行線が続く。翌年8月、市教委は現場検証を実施した、避難経路が初めて特定される。距離180メートル。時間にして1分。50分かけてそれっぽっちしか避難できなかった。
それを市教委が認めるまで1年5カ月かかった。 続く
〈
〈もう一度会いたい〉 なぜ川へ向かった?
〈もう一度会いたい〉 何故川へ向かったのか
11-1(遺族の疑念晴れず)
『顔がフグれ、くづびる(唇)を青ぐ腫(は)らすた子供の顔、見だごどあんのがっ!!』初回は市教委に対する遺族の怒号で対話にならなかった。
2011年4月9日、石巻市大川小第1回保護者説明会。震災から30日目、
津波で児童74人、教職員10人が死亡、行方不明になった。
今野浩行さん(53)の長男で6年の大輔君=当時12=も命を落とす。説明会に校長がいた。震災の日、校長は自分の娘の卒業式で午後に休みを取って不在だった。
学校の被災現場に戻ったのは6日後だ。
遺族は震災翌日から現場に入って捜索している。水の入った長靴をガッポガッポさせながら。
責任者の緩慢な対応は遺族には『他人のこととしか思っていない』と映った。
■説明会打ち切りに
第2回保護者説明会。亀山 紘市長が犠牲者の多さに「自然災害による宿命」と発言した。
浩行さんは耳を疑う。「無神経」遺族席から声が上がる。市教委は説明会を1時間で打ち切り、遺族の制止を振り切って退出した。『今後の開催予定はない』と一方的に終結宣言する。
地震の時、学校は「帰りの会」をしていた。『起立』 『注目』 『さようなら』の号令中に揺れ出す。揺れが強く『さようなら』を言えなかった。児童は校庭に集められた。
親が引き取りに来た子を除く78人が残る。先生は教頭以下11人で対応した。続く
〈もう一度会いたい〉この人の子を産みたい
10-2折れた夫
何日か後、二人は不妊治療の病院の門をくぐった。自然受精は年齢的に難しく、体外受精の道を選ぶ。通院は一日おきだった。移動時間を入れたら半日は潰れる。
当時共働きだったのでどっちかが辞めないと治療継続は困難だった。
『あたしが働く、お父さんはサポートして』ひとみさんはそう提案した。それは逆だろうと浩行さんは思ったが送迎などを考えるとその方が合理的で妻の申し出でを受け入れた。
卵を子宮から取り出すとき、全身麻酔をする。
受精卵を戻すときも。麻酔がさめると吐き気がし、何度か戻した。
これでは体が持たないと、治療先を今のクリニックへ替えた。試みはこれまで14回。望みは叶っていない。ひとみさんは身を二つにしたい理由を改めて自問する。
分身を求めているから?親が死んだ後もあの子たちのことを語り継ぐ存在を得たいから?何かどれもちょっとずつヅレている。
治療に投じた費用は合計300万円を超す。公的助成も切れる。潮時かも知れない。結果が芳しくないのはあの子たちがそれを望んでいないからかも知れないし。
〈悔いを残すな〉
クリニックからの帰りひとみさんは隣でハンドルを握る夫に話しかけた。
『治療は今回で終わりにしようと思う』夫は答えた。「ここで止めたら悔いが残るんだろう?気のすむまでやればいい」穏やかな口調だった。
子の欲しい理由がやっとはっきりした気がした。
あたしはこの人の子を産みたいんだ。
この人の子を抱っこしたいんだ。 続く
〈もう一度会いたい〉この人の子を産みたい
〈もう一度会いたい〉この人の子を産みたい
10-1不妊治療の道を選ぶ
いい結果は出無いだろうとは診断前から察していた。8週まで行った前回の時と体の感じが違う。宿っている気がしない。
11月。今野ひとみさん(45)は不妊治療クリニックの診察台にいた。先生がお腹にエコーを当てる。モニターに像が映らない。「着床していないですね」予感は的中した。夫の浩行さんに促されて帰途に就く。
〈1年もせず〉
ひとみさんが新しい子を欲しがったのは比較的に早い時期だった。震災の数か月後には夫に切り出している。
「一周忌も終わっていないんだぞ」夫は当惑していた。ひとみさんは『喪失感を埋めたい』と言った。震災で3人の子に先立たれている。
「新しい子をあの子たちの分身にするのか?ならその子がかわいそうだ」正論で反対された。
『身代わりにするつもりはない、その子はその子で育てる』
「だったら逝ったあの子たちがかわいそうだ。新しい子に気が傾き、いつかあの子たちを忘れる」
夫は頑として認めない。
ひとみさんは退かなかった。1年ぐらいだろうか。堂々巡りが1年ぐらい続いた。
同様に震災に遭い、子を失ったよそのお母さんが身ごもった、とか聞くと気がせく。年を一つ重ねてもあせる。
ついに心のタガが外れた。感情が爆発する。
『あたしはあんたと結婚して何もいいことがなかった。21で嫁いで家事と育児と仕事に追われっぱなし。子らがようやく手がかからなくなったと思ったら震災だ。あたしの人生を返せ!!』
夫は黙って聞いていた。 続く
〈もう一度会いたい〉夫婦間に溝 9-2法外な要求
〈もう一度会いたい〉 夫婦間に溝
9-2・法外な要求
仏壇をつくる、作らないで衝突する。
『仏壇儲けようよ。仮設で持っていないのは、ウチと後1軒らしいよ』
「そのうち、新しい家を建てんだから、その時立派なヤツを儲けるから今は簡易なので辛抱しろって」
宗教に入る、入らないでぶつかる。
『知り合いに入会勧められたの。見込まれたら支部長にしてくれるって』
「そんな胡散臭い話にのれっか。この間もバカ高い鍋を買わされそうになっただろ」
毎度エスカレートし、決まって離婚話に発展する。
『役場から離婚届もらってきて』
「ああわかった。後悔しても遅いからな」夫は役場の支所に取りに行き、自分の判を押して妻に渡す。
〈法外な要求〉
『慰謝料6000万円別れんなら寄こせ』と妻が吹っ掛けてくる。
「そんな大金あるわけネエべ」
『だったらこの話は無しだ』妻は届をビリビリと破った。
何日かしたら別の火種で揉める。夫はまた用紙を貰いに行く。
前回と窓口が同じだと恥ずかしいから、違う支所にする。
『6000万円払え』
妻は今度も法外な要求をする。
「だから払えねえって」届はゴミ箱行きになる。
この繰り返しだ。
妻は実は夫と別れようとはこれっぽっちも思ってはいない。
カッカとした勢いで別れ話を持ち出したはいいものの、おさめるに収められなくなっただけだ。無理難題を突き付けて離婚話をご破算にし、結局夫をつなぎ留めている。
そんな女心に夫は気付いていないのか気付いていない振りをしているだけなのか。
ひとみさんはそのことを、まだ夫の浩行さんに確かめていない。 続く
〈もう一度会いたい〉 喪失感 夫婦の間に溝
〈もう一度会いたい〉喪失感 夫婦に溝生む
(9)-1・言い争いが絶えず
仮設住宅に移って初めての年の瀬だったと思う。今野ひとみさん(45)は夫の浩行さん(53)に一泊の温泉旅行を持ちかけた。震災で3人の子供を亡くしてからどこへも行っていない。
仮設の風呂は狭い。たまには広い湯船で足を伸ばしたい。「俺は行かん。位牌と遺影はここにある。子供たちを置いて出かける気にはなれん」。
返事はそっ気なかった。旅の提案は夫を思ってのことでもある。毎日ふさぎ込んでいるから気晴らしにもなるだろうと。厚意を蹴とばされた気がした。
〈離婚の話も〉
『あんたのために言ってんだよ』
「行くならひとりで行け!」夫も言い返す。口げんかで収まらず、取っ組み合いになった。夫とはいえ、相手は大男だ。勝ち目はない。苦し紛れで110番した。
こけおどしのつもりだったので一回の呼び出し音で切ったが、逆探知され、パトカーが駆け付けた。
おまわりさんに事の次第を話す。たっぷり油を搾られ、お引き取り願った。サイレン音を聞きつけた住民も集まってきた。
『なんでもありませんから』とバツの悪い顔で人払いする。
けんかが絶えなくなった。
普段なら聞き流せることも気持ちがささくれ立っているせいか、
いちいち気に障る。 続く
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