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7・教師を辞めなきゃ死んじまう

教師を辞めなきゃ死んじまう

 前出の緒富氏が言う。

「若い層では特に、叱られた経験が乏しく、褒められて育った優等生が教師になっています。

 このため弱音を吐いて無能力と評価されることを恐れ、問題を一人で抱え込んでしまいがち。

 傷つきやすく、打たれ弱い一方で周囲に助けを求めにくいため、短時間でボロボロに潰される現実が続いています」

 では四十~五十代の“ベテラン”“管理職”なら気丈に適切な対応が出来るのか・・・・と言えばさに非(あら)ず、前述の文科省データによれば、「病気休職者」および「うち精神疾患者」の年代別内訳では、いずれも四十代と五十代以上で全体の七割以上を占めている。

 千葉県の小学校校長が匿名で明かす。「特に管理職ではやるべき業務,こなす実務が膨大で勤務時間が長くまず体力的に負担がかかる。そこへニュータイプとも呼べる保護者や生徒を相手にして、『これまでのやり方や対処法が通用しない』『過去の体験や成功例が活かせない』と、自信が崩壊し、心が病んでしまうケースが増えているのです。

 教師として築いてきたプライドもあり、完治して復職するのに長い年月を要することも」

 ただ、教師が精神疾患を引き起こすほど問題を長期化、こじらせる原因には、

「親と教師双方のコミニュケーション能力が低下傾向にある事実も看過できない。教師はとかく客観的事実を説明したがるが、現場では逆効果になりがち」と前出の嶋崎氏は説く。

 「たとえば、集合写真で『わが子の顔写りが悪いから撮り直せ!』と要求する親に対して、『撮影歴30年のプロカメラマンが撮っているんです!』と事実を突きつければ火に油を注ぐだけ。

 まずは『ご心配をおかけして申し訳なかったですね。実際の○○ちゃんは写真の何倍も可愛いのに』と、親の心に寄り添うことで問題回避可能となる例は驚くほど多い」と付言する。

 とはいえ、校内も国際色豊かになった昨今では、

「夫婦喧嘩のたびにフィリピンへ帰国する母親は『子供と離れられない』と、平日でも小四の息子を連れ帰ってしまう」(茨城・小学校教諭)

 「子連れで日本人男性と再婚した中国人の母親が『娘(中2)が、言葉が通じないから学校へ行きたくないと言っている。先生だけでも中国語を勉強しろ』とテキスト持参で怒鳴り込んできた(群馬中学教諭)など、

親と教師間の新たなコミュニケーション問題も続出中だ。 8へ続く

 

 

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6・自死や精神疾患に追い込まれる教師

自死や精神疾患に追い込まれる教師

 現在では多くの自治体が教員向けに。保護者対応に於けるマニュアルや手引書を作成している。

 ほぼすべてに共通するのは「一人で抱え込まずに、チームで対応すること」だ。

校内教師だけでなく弁護士や臨床心理士など専門家を交えたサポートチームでの取り組みが広がりを見せる中、初期対応の段階から「警察署(生活安全課)との連携」を盛り込んで、成果を上げている自治体もある。

 「脅喝や暴力、でっち上げや嫌がらせなど自死や精神疾患に追い込まれる教師があまりにも多いからです。

 と内実を語るのは、東京都で中学校校長を歴任し,

『学校崩壊と理不尽クレーム』などの著作を持つ嶋崎政男氏(神田外語大教授)だ。

 「中学生の不登校より、公立学校教職員の精神疾患による病気休職の伸び率の方が遥かに高い事実をご存知でしょうか。生徒の母親のために、担任教師とその妻、学年主任が精神疾患に追い込まれた実被害もあります」

 文部科学省発表の「公立学校教職員の休職者数の推移(平成23年度)」では病気を理由とする休職者数(8544人)に於ける精神疾患が占める割合は61,7%(5274人)。

 「しかも同省によれば一年めの、新規採用教員で『病気』を理由とした依願退職者の約九割が『精神疾患』とのこと

 一昨年に半年の勤務の末、小学校を辞めた元教師(東京・25歳男性)が『まさに生き地獄でした』と声を震わせ、伏し目がちに当時を振り返る。

 「まず、最初の懇談会から母親たちの好奇と冷やかしの対象にされ,『白ブリーフ愛用者』『秋葉系オタクの過去あり』などあることないことをネットで伝え広められた。放課後には『○○ちゃんには笑いかけたのに、ウチの子には笑顔で接してくれずに傷ついたと言っている』などの電話対応に始まり、『答案用紙の花丸の巻き数に差があるのはエコひいきだ

 宿題の確認印がおざなりで熱意が感じられない』など逐一揚げ足取りのような苦情が毎日入る。一人が声を上げるといもずる式に三人、四人と不満を露(あらわ)にし自宅への電話攻撃も凄まじくなりました。

 帰宅時や休日に押し掛けてくる保護者まで現れて眠れない日が続くと彼女らの声が常に耳に残っているような症状にさいなまれ始めた。

 そのうちに分数の割り算を、どんな方法を尽くしても理解できない生徒が二人出て、もう何がわからないのかも分からない状態となって、心も体も限界を超えたんです」

 夏休み前には鬱およびパニック症候群、突発性難聴を患い、“生き延びるため”に退職を決意した」と話す。  7へ続く

 

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5・行き過ぎのメールや電話

行き過ぎのメールや電話

 果ては

「残業が終わるまで先生の自宅で子供を預かって」

「○丁目のフアミレスで今夜十時に待ってます」とメールや電話で指示・強要する親など、さらに、ツイッターやフエースブックでのトラブル増加も近年顕著な傾向だ。

 大阪で中二クラスの担任を務めた男性教諭(27)が仏頂面で吐露する。

 「僕のフエースブックに生徒の親が『友達申請』をしてきたんです。『プライベート専用なので』と丁重にお断りしたら、『冷たい先生や~』と大激怒。ツイッターやブログで『冷血人間』『キチガイ教師』『淫行教師』など暴言を振り撒かれ、学校に無関係な人までも扇動し、ネット攻撃されて大騒動になってしまった」

 結局親や生徒皆に陳謝し、フエイスブックを退去して事なきを得たが「どうしてこんなことでいわれのないことで自分が謝らなければならなかったのか、納得がいきません。プライバシーを侵害された被害者は自分の方だったのに」と怒りを露(あらわ)にする。

 「精神的に不安定な親に振り回される教師は増える一方です」と前置きした上で「教師を支える会」会長で、あまたの現役教師たちのカウンセリングに携わる諸富祥彦氏(明治大学文学部教授)は「教師は逃げられないため。何を言ってもいい相手。

一部の親にはストレスの絶好のはけ口でなかでも若い教師に対しては、親側の過度の要求や、攻撃のストッパーが利かない傾向にあります。

 特にメールやツイッターなどは顔を合わせていない分、言いたいことを言いっぱなし。

 一般に『先生がフェスブック』を始めると人生が無くなる』とまで言われているほどです」と続ける。   6へ続く

 

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4・「自分の得になるように生きなさい」

「自分の得になるように生きなさい」

 「社会に通用する個人を形成するための公教育では、ある程度の押し付けや強制は避けられません。

 親や子供が不快に感じたり、負荷がかかるのは当たり前だというかつての常識が消えかかっています。

 消費社会の現代では

『世間様に恥ずかしくないように』ではなく

『自分の好きに。得になるように生きなさい』

 というメッセージが子供に伝えられている。道徳やルール、マナーよりも家族や本人の利益や安穏が一番優先されるわけです。

 残念なことに、これが最も子供をダメにしている事実に親は気付いていません」(前出・諏訪氏)

 保護者会や学校行事で仕事やパートを早引け、休む際には、「その分の給与を学校側で補償しろ!」といった不当な権利意識に基づく金銭要求もすでに一般化している。

 四月に保護者へ「休業補償は致しかねます」と説明の上で「雇用主あて」の覚書を配布して対処策を講じる学校も近頃では珍しくないほどだ。

 子供がけがや病気で学校を休むと、遅れを取り戻すための家庭教師代を請求したり、「通学にかかるタクシー代を払え!」と詰め寄るなどはよく聞く例で「十年ほど前は特別に聞く例だったのが、今では『ああまた来たか』といった感じで、もうだれも驚きもしない日常になり下がっています」(神奈川・小学校教諭・他)

メールの普及により“文字を書かない保護者”も増えた。連絡帳を無視してすべての伝達を学校のメールアドレスへ絵文字や顔文字を多用して送ってくるなどは序の口。

 担任やお気に入りの教師の携帯へ

「今日のランチはママ友とお寿司です♪」

「うちにもう一人娘(犬)が増えました★」

など、子供とは無関係の内容でも24時間お構いなしに画像付きで送りつけてくる。

 電話もしかりで、昼夜も問わずに

「夫が浮気して帰ってこない」

「姑が口喧(やかま)しい」

など数時間も通話を迫る。  続く

 

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3・「自分が普通」と思いこんでいる

「自分が普通」と思いこんでいる

 プライバシーの侵害を理由に家庭訪問を拒否する親も少なくなく、クラスメイトに告白して振られ,不登校中の中学男子三年生(千葉)の母親に至っては、「これもいじめの一種。相手の娘を退学させろ」と校長に直談判に来た。

 「プロ教師の会」代表で、春、「いじめ論の大罪」を上梓した諏訪哲二氏が指摘する。「『話し合えば解決する』は理想だが、現実には無理な事例が急増している。

 こうした親は『我が子が大事』というより、『そう信じこんでいる自分が一番可愛い』のです。しかも、おかしな親こそ自分は普通だと思い込んでいる。

 教育行政は常識に当てはまらない人への対処法を持っていません。」

 埼玉在住の四十代両親は、「娘がホームシックにかからないか心配だし、雅子様だってやっていた!」と、一人娘(小三)の宿泊学習(2泊3日)に別途同行。

 同じホテルに宿泊して夜は娘を自分たちの部屋で寝かせ、日中も勝手に割り込んで一緒に記念撮影に興じた。

 「子供が京都とかに行くより、デイズニーランドに行きたいって言うから、そっちに連れて行きます」と修学旅行を休ませ、旅費の返還請求をした母親三人組(栃木)や、休日に無断で学校へ入り込み、プールで大はしゃぎする一家五人(埼玉)も。

 近隣住民の通報を受けて注意すると

「誰も使っていないからイイじゃん」

「広いし、ただだし、ここで超気に入ってるんだけど?」・・・・と逆切れする両親など、

社会通念すら危ぶまれる例も相当数ある。続く

 

 

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2・びっくり絶句!!

びっくり絶句!!

 また子供にタトゥー《刺青》やピアス、染髪を施す親が咎(とが)められたのも今は昔。最近は宗教上の理由を謳って開き直られる。どう見ても親のやりたい放題なのに・・・・(群馬他、多数)

 タレントスクールに娘(小四)を通わせる親からは、「日焼け防止」と「カメラ小僧の標的防止」を理由に窓際の席や体育授業の通年欠席を申し入れられた。

 「当然水着着用の水泳授業などもってのほかで、『将来“秘蔵画像”として出回ったら困るんですッ。娘の未来を潰す気か』の一点張り」(神奈川・小学校教諭)

 春休み中に電撃結婚した女性教諭が、中三クラスの担任になると、学校は一部の母親たちから猛クレームの嵐に見舞われた。曰く。

「進路が決まる大事な時期に、つわりや、流産などでクラス運営が疎(おろそ)かになったらどうしてくれるのか!」

 担任替えを要求するも、叶えられないと分かると、

「校長と担任へ『卒業までは妊娠しないと誓約書をかけ』と詰め寄った.が、『プライベートなことなので』と対応されて、最終的には母親たち有志が大量にコンドームを結婚祝いとして贈りました」(栃木・中学教諭)3へ続く

 本来なら、伊集院静さんの「大人の流儀」を続けるべきところ、

先に「春の大暴走」を投稿し、今後1週間前後で51回より再開します

のでご了承願います。

 

 

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春の大暴走・モンスターペアレンツ

 

春の大暴走

モンスターペアレンツ

 ひどいひどいとは聞いていたが、まさかここまでひどくなっているとは・・・・

 週刊文春の5月23日号に共同通信の人事部長が就職活動中の女子学生をホテルに連れ込み、被害者の訴えが明るみになった記事が書いてあったのでそれを見ようと購入したが、表題のモンスターペアレンツの記事にはさらに仰天させられた。

 政治の世界に失望させられた今日、“せめて教育界だけでも”と思っていたが、将来の人間形成を図る教育界(と言っても父兄の実態ではあるが)も暗澹たる思いにさせられる。←永人

入学式に桜が散ったのは学校側の怠慢

 ジャーナリスト新郷由起

 「入学式は満開の桜をバックに写真を撮りたかったのに、すでに桜が散っているのは学校側の怠慢だ!管理責任がなっていないッ!!」

 「娘の担任が若い男性教師なのでクラスか担任を変えてくれ。ロリコンか変態かも知れない」

 「保護者がわざわざ学校へ来たんだ。花檀の花ぐらいお土産に摘ませろ」

 俗にモンスターペアレンツと称される、理不尽な要求や自分勝手な苦情を学校側へ強いる保護者達。

その常軌を逸した言動は年々進化を遂げている(「年々悪化の一途をたどっている」が正しい表現ではないのか?←永人)

 これまでは給食費未納で故意に“タダ喰い”させる親が報じられてきたが、新しいタイプも登場。

 「飲食店経営の親が子供へ毎日豪華な特性仕出し弁当を持たせるのです。食品アレルギーがあるのかと思いきや、『息子は世界で通用する一流料理人にするつもり。給食などで味覚を鈍らせたくない』とのこと。

 給食は食育の一環だと何度説明しても『給食費はちゃんと払っているんだから、食わないのはこっちの勝手だろう。息子の未来にアンタが責任を取れるのか!学校で損害賠償のカネを払ってくれるのか!?』と怒号で返される」(大阪小1教諭) 続く

 

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五十・料理店と職人に一言申す・2

五十

料理店と職人に一言申す・2

 私は上京しているときは、外食は夕食のみで、小料理屋、鮨屋、焼き鳥屋に行くだけで他の店は行かない。

 これでもう充分。店が美味いか不味いか私にはわからない。

 どの店も自分で探すか、昔、人に連れられて一度行き、そこから長い時間をかけて食べてきた店だ。

 いずれも小店である。小店が良いのは料理をこしらえる職人が少ないということと、もう一点、これが大事なのだが、料理が出てくるのが早い。大店は燗酒一本注文しても、酒蔵に酒を取りにやったのか?となる。

 酒でさえ、封を切って小一時間空気に晒せば味は変わる。赤ワインは別として酒はそういうものだ。

 ましてや料理は放っておけば職人の思っている味は半減すると私は考える。

 長年、通っているが馴染み客ではない。

馴染み客とは暇があってもなくとも、その店に通う客だ。そうして店の生業に貢献している上客を言う。

そこまで暇ではないし、馴染み客にはいやらしさが漂う。

 新客などが店に来ると、何者だ?という顔が出る。

 ――お前こそ名を名乗れ!である。

 金を払って飯を食べて見ず知らずの他人にそういう目で見られる覚えはない。

 小店で料理が早く出る。ほかにはこれは常識だから書く必要はないが、清潔ということだ。料理店内は勿論だが、職人が身ぎれいにしていなくてはどう仕様もない。

 清潔、身綺麗は、丁寧につながる。

丁寧は仕事の基本である。

丁寧は人間の誠実がこれをさせている。

 誠実は生きる姿勢である。

 小店ではそれが目に見えてよく分かる。

 私が通う店は、職人、調理人が寡黙である。当然である。

多弁では調理が疎(おろそ)かになる。五十一へ

 

 

 

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四十九・料理店と職人に一言申す

四十九

 料理店と職人に一言申す

 食の話は難しい。

 私はこれまでほとんど食の話を書いてこなかった。

それは食の話はどう書いても、卑(いや)しくなるからである。

 名文家と評判の文筆家でも、こと、食に関しての文はそこに卑しさを感じる。ましてや文章を話し言葉と同程度に考えている輩が食について書いたものはひどい。

 “まったりとした味わいだ”

――まったりとは何だ?相撲の技か。あれはとったりか。どういう意味だ。

 “ソースと食材がハーモニーを奏でてる”

 ――ソースは楽器か?

 “十分に良い仕事をしている店と見た”

――失礼だろう。何年も修行した職人に、

昨日今日出てきた者がその仕事を易々書くのは。見たからどうなの?

 いつの頃からか食通と称して(自称だろうが。あの人は食通だなどと、まともな大人の男は、他人ことを言うものではない)、その食通まがいが食い物のことを書いて生業とし始めた。上手い商売を見つけたものである。

 ではなぜ彼らの生業が成立するか。それは日本人が食に関しての贅沢を平気でするようになったからである。

 百年に一度の不況と言われても、星がいくつかついたと訳のわからないことを言ってる店には、今も客が押しかけているのが現状だ。

大宅壮一が生きていれば(古いナ)

“一億総グルメ化”

“一億総田舎者”

と書いたであろう。

なぜ大勢の人がそのたぐいの店へ走るのか?

それは田舎の人は店を知らないからである。

 田舎の人? わかりにくい?詳しく書けば、世間を、都会を知らない人である。

 世間とどう付き合うかを教わっていない人である。

 そういう人は飯屋を探す時間と感を持たないのである。

 しかし金はある。祖父(じい)さんの代あたりで悪いことをして金のなる木を盗んできたのだろう。

 この手の人には食文家の案内はまさにあんちょこなのだろう(あんちょこ・とは安直がナマった言葉である)‘

 それでうまくて満足すれば結構なことだ。田舎の成金と食文家が合体し、商売成立。パチパチ。 五十へ

 

 

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四十八・企業の真の財産は社員である

四十八

 企業の真の財産は社員である。

 

少し前の話になるが、会社で使う言葉をすべて英語にする企業のことが話題になった。それはそれで構わないと思うし、仕事で必要な英語などたかが知れているから、すぐに慣れるだろう。

 取引先の大半が英語圏の国々、または英語しか話さない人々との仕事なら、それは必然な部分もある。

 だが取引先の大半が日本語を使っているなら、そのやり方はおかしいし、肝心なことを経営者は忘れて居る。

 会社で人が働くことが利益効率機能といったたぐいのものだけなら構わないが、企業の目的はそれだけではない。

 企業の目的は発展的存続だと私は考える。

 我社はグローバルが叫ばれる今日、英語で会社を躍進させるのだ、というかも知れないが、英語ではまず進まないだろう。

 ――どうしてかって?グローバルだろうが躍進だろうがそこに人間を作り上げるものがなければ、ただの利益集団でしかない。為替の投機集団と同じである。

 企業の価値は資産、資本金、株価などではない。

企業の真の価値は、社員である。人間である。

 誰だって仕事の覚え立ては失敗の繰り返しだ。中堅になってもなお失敗はある。

 苦節、苦悩も日々生じる。しかし失敗、苦節が人間の力を付けていく。ここが経営者の歯がゆいところだが、そうして力をつけた企業は底力を持っている。

 「どんな会社に就職したらいいんですかね」若者に尋ねられる事がある。

 「魅力的な経営者、それ以上に魅力のある社員のいる会社を選びなさい」

 「今は就職難ですからそんなところまで見る余裕はありませんよ」そうではない。

 人間が二十歳を過ぎれば、人の顔、表情、姿、を見てその人が底力を持っている人なのかどうかは分かる能力はあるのだ。

 ファッションじゃありませんよ、マスコミ受けの良し悪しでもない。会社でも工場でも見学に行ってみればわかる。目が違う

 ――何? 人を見る目がない?

 なら、信頼する恩師、先輩に相談することだ。

 今は景気が良くても存続が危なっかしい会社はゴマンとある。企業は人である。底力は人間力である。

 それを鍛えるものの一つに言葉がある。

「さぞ苦しいだろうが、君の今の苦しみはやがて必ず君の力になる」これをニュアンスを含めて的確に英語で言えるのかね?

 会社で使う大切な言葉とはこういうものだと私は思う。四十九へ

 

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