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国は前面に立ち責任を果たせ!

国は前面に立ち責任果たせ

河北新報社説

2017・12・30

宮城の汚染廃棄物問題

 東京電力福島第一原発事故で生じた宮城県内の汚染廃棄物の処理問題は、根本的な解決への一歩を踏み出せないまま、今年も越年する。

 原発事故から間もなく7年。汚染廃棄物を抱える地域住民はいまだ日常を取り戻せないまま。

遅々とした政治の対応を嘆かざるを得ない。

 県は27日、大崎、石巻、黒川、仙南の4圏域の広域行政事務組合代表の首長と会合を開き、一斉開始を前提とした試験焼却を『順次開始』へと方向転換した。準備の整った地域から2月以降順次行っていくという。

 自治体が、原発事故の後処理で翻弄される現実に改めて違和感を覚える。問題の解決を被害者である市町村に委ねるのは矛盾している。

 圏域で足並みの乱れが生じないのか、懸念が残るやり方だ。放射性物質に汚染された廃棄物のうち、濃度が国の基準(1キログラム当たり8000ベクレル)以下の稲わらや牧草は、宮城県内で約3万6000トン。

 放射性物質汚染対処特措法により、一般ごみと同じ扱いとされ、市町村が処理責任を負う。

汚染廃棄物を巡る県や市町村の対応は二転三転した。動き出したのは、2016年春、県内で基準値を超える『指定廃棄物』の最終処分場問題が棚上げされた後だった。

 県は同年11月、県内の自治体などが持つ焼却施設で一斉処理する方針を発表。全35市町村長を集めた会議に提案したが、全会一致に至らず、結論を翌年に持ち越した。

 今年6月、県は一斉焼却を断念し、汚染廃棄物を保管する自治体が、圏域ごとに個別処理する方針に転換。

7月の市町村長会議で合意され、今秋の試験焼却開始が決まった。

しかし、大崎市や石巻市であった説明会は、焼却場や焼却灰の最終処分場がある地域の住民から風評や健康被害への不安が噴出。両市は関連費を予算化できず、年内着手は断念を余儀なくされた。

安全を担保するデータや、風評被害対策が不十分なまま進む県や市町村の議論は、住民の不安を呼び起こす一因になっている。

 反対する住民や、市民団体の活動は各地で活発化し、『福島集約』の声すら出始めた。これもまた原発事故がもたらした悲しい現実だ。

 放射性物質は時間とともに自然減衰する。特措法上、指定廃棄物が基準値を下回れば一般ごみとされ、自治体の処理負担は刻々と増えることになる。現在の仕組みは、国が汚染廃棄物の問題を市町村に押し付けているように映る。

 指定廃棄物の最終処分場問題は14年1月の候補地決定から2年間足踏みし、頓挫した。県は今回、汚染廃棄物の18年度の本格処理を目指す。首長たちは、覚悟を迫られている。堂々巡りを回避する手立てはあるのだろうか。

 国は傍観者ではなく、当事者として前面に立ち、特措法の再構築を含めた政治責任を果たす義務がある。

(永人所感)

 安倍晋三には新聞社説を読む能力もないのだろうが、この暮れにかけて、橋下 徹と会食やゴルフ三昧に現(うつつ)を抜かして居る場合ではないのだ。

 安倍晋三というドロボウ犯罪者を総理に頂く日本国民はこの政権の腐敗デタラメ振りの連続で、もはや出る反吐(へど)も無くなったであろう。

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画数事象②ヤマトヤシキ姫路本店閉鎖を決定

画数事象②

 1906年創業の老舗(しにせ)百貨店・株式会社ヤマトヤシキ(本社=兵庫県・姫路市)は経営再建中であるが、29日同社発祥の店である姫路店を来年2月末で閉店すると発表した。

 現在の店舗ビルを建て替えた上で、商業施設として活用する計画だがホテルや住宅の機能を備えることも検討するという。

 加古川市にある加古川店は営業を続ける。同店に経営資源を集約して企業再生を加速させる。

同社に経営参加しているラオックス(12画=大凶)は79%の株式議決権を有するが、今回の決定はヤマトヤシキ(14画=大凶)側の経営陣が決めたことであり、様子を見守る方針という。

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ヤマトヤシキ・・・・14画の大凶名。

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社名14画の意味するものは、努力すれども一向に成績は達成されず、社内紛争、不統一、焦燥感のみ多い凶数である。

 実はこのヤマトヤシキに経営参加しているラオックスも中国資本の傘下に入っている。

ラオックス・・・・12画の大凶名

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社名12画の意味するものは、多角経営や想造力が強く,特殊な事業で発展するが思わぬ難問多発し、中途挫折、内部分裂、事業急変の難が発生しやすい凶数であり、事業の浮沈が付きまとう可能性が大である。いわば両社は似た者同士の様相をはらんでいる。

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 昨日、夫の運転する車で千葉県内の自宅を6時に出発した娘一家5人は、兵庫県の夫の実家に向かったが、昨晩は伊勢市に宿泊し、本29日18時頃、無事加古川の夫の実家に着いたと電話があった。

インターネットでこのヤマトヤシキに関するニュースを20時過ぎに見たのだが、なんという偶然だろうか!

私たち夫婦もヤマトヤシキ加古川店に行って何度か買い物をしたことがあるが何とか加古川地域の為に生き残ってほしいものだ。

◎人名は人の運を決定づけるが、社名は、社運を決定づける意味で   非常に大切なものである。

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認知症の早期発見チエック

認知症の早期発見チエック

今日28日朝、夫婦二人で暮らす親戚の夫人から電話があり、『一緒に立ち合ってほしい』という。

何を立ち合うのか聞くと、「『主人が財布を取っただろう?どっかに隠したに違いない』と同じことを何度も繰り返して言いながら私を責めるんです」

「今日ある内科へ相談に行くので立ち合ってほしい」、ということだった。

待合室で待機していたが、「ご自由にどうぞ」と書かれた貼り紙があり、そこに『認知症の早期発見チエック』というA4の大きさの用紙が置いてあった。

一枚手に取り読んでみると、15項目に亘ってチエックするポイントの6か所以上にチエックが入った方は、医師にご相談ください最後の行に書かれてあった。

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あてはまる項目がいくつあるか数えてみてください。

○今日の日付や曜日が分らない事がある。

○住所や電話番号を忘れてしまうことがある。

○何度も同じことを言ったり聞いたりする。

○買い物で支払いの時に計算が出来ない事がある。

○物の名前が出てこないことがある。

○置き忘れ、しまい忘れが多くなった。

○慣れた道で迷ってしまうことがある。

○ささいなことで怒りっぽくなった。

○ガスや火の始末が出来なくなった。

○今まで使っていた洗濯機やリモコンが使いこなせなくなった。

○本の内容やテレビドラマの筋が分からないことがある。

○財布や時計を盗まれたと思うことがある。

○会話の途中で言いたい事を忘れることがある。

○だらしなくなった。

○体の具合が悪くないのに、何もやる気が起きない。

***

自分がやってみると3か所にチエックポイントが付く。さてみなさんはどうでしょうか?

若年認知症も多いから油断はできない。

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92歳の父親が65才の息子を・・・②

画数事象(かくすう・じしょう)

92歳の父親が65歳の息子を・・・

*

父親                     息子

田嶋市郎(郎は郒で14)            田嶋栄一(栄は榮で14)

514514                   514141

 

天格田嶋  19               田嶋  19

人格嶋市  19大凶            嶋栄    28大凶

地格市郎  19大凶            栄一  15大吉

外格田郎  19大凶            田一   6大吉

総格田嶋市郎38吉            田嶋栄一34大凶

**

父親・田嶋市郎さんの運気概要。

●19・すこぶる知能を有し、活動の素質あり。大業を起し名利を達すべき実力ありといえども、意外の障害をもたらし、内外不和にして困難多く、辛労絶えることなし。

 病弱・廃疾・孤独の悲運に陥り、短命夭折、妻子生死別、刑罰殺傷等の災いあり。万事行き詰まりたる運命にして、特に配偶者と死別、事業中途挫折など最も多く、短命運とも称され、非業、非命をまぬがれず。

この父親は、それこそ人の何倍も努力して今日に至っていると思われるが、どんなに気丈夫に頑張ってもやがては挫折が待っているという全く気の毒を絵にかいたような人生を送ってきたのだと言える。

自らが刑罰殺傷の運気を生み出し、あるいは、他人が起すその運気に巻き込まれるなど、刑罰殺傷に絡む立場に変わりがなく、92歳までの長い間、苦労苦労の連続だったことがわかる。

 息子・田嶋栄一さんの運気概要。

●28・遭難運と称し、波乱変動多く、批難、誹謗を免れず、時に厄難に遭遇し、障害をこうむるか、夫妻互いに相手と生死別し、禍乱多く、平和の望みなく、不和、争論、逆難(親より先に逝く)刑罰の災い相次いで来るなど、終生辛労多き険悪運なり。

●34・破壊乱離の象(しょう)。ひとたび凶来たるときは、凶は大凶を生じて大困難、大失敗を招き内外波瀾、諸事齟齬し、惨澹悲痛限りなく、病衰、短命、刑傷殺伐、もしくは発狂、業禍(ごうか)など極度の不幸に襲われ、田嶋家を破り、自身の身が亡ぶ破家亡身最悪の運と意味づけられている。

 この様な親であり、このような子であることから、92歳の父が、先行きを慮って、65歳のギャンブル依存症の息子の行く末を考えた時、やむに已まれなかった事情から行動を起こしてしまったのだろう。

今度の事件に至ったことは、親子それぞれの姓名画数から派生する運気の意味するところに帰結した典型例だと言える。  終わり。

 

 

 

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画数事象・92歳の父親が思い余って・・・

画数事象(かくすう じしょう)

92歳の父が65歳の息子をハンマーで殴打

(思い余っての行動に共感も・・・)

 

 クリスマスイブの24日、埼玉県深谷市で起きた92歳父親のハンマーでの殴打による65歳息子の死亡事件は日本人全体にいろいろな問題を考えさせるきっかけを作ったようだ。

傷害致死容疑者・      田嶋市郎92歳

被害者(病院搬送後死亡) 田嶋榮一65歳

形の上では無職の父が殺人犯・無職の息子が被害者であるが、日常の生活態度からは、父が被害者、息子が加害者となっていた様子が浮かび上がる。

**

12月24日、午後5時頃、埼玉県深谷市で、酒に酔って男の民政委員に抱きかかえられながら帰宅した無職田嶋榮一さん(65)はそのまま酔いつぶれて玄関内で寝込んでしまった。

警察にも一年前から息子のギャンブル癖や生活態度の件で相談をしていたり、一部の人間には『いずれ自分で息子の件を清算しなければならないかも知れない』と打ち明けていたとも言われている。

そうした中、民生委員に連れ帰られ、酔っ払って人事不省になり玄関で寝込んでしまった息子の姿に、間もなく迎えに来られるであろう自分の年齢を考え、更生の見込みのない、息子の行く末をここで清算してしまおうとハンマーを持ち出し息子の頭を数回殴ったのだそうだ。

父親の田嶋市郎さん(92)は、亡くなった妻の病気看護を約8年間、ほとんど一人で続け、同居の息子・榮一さんは母の介護や世話を全くしなかったという。

そうして母親の残していった300万円の遺産は息子がすべてギャンブルで使い切ったという。続く

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強い性格・弱い性格・・・阿部 寛③

強い性格弱い性格・阿部 寛

正しい事より優しいことの方が大事

 今回天海祐希さんと五十代の熟年夫婦を演じた映画に出演しました。脚本家の遊川和彦さんが初監督した『恋妻家宮本』という映画です。

 僕が演じたのは夫の中学教師・宮本陽平。理想の夫とは言えないにしても、浮気もせず、きちんと給料も入れ、いつも正しいことを選択しながら、生きてきた真面目な性格の男です。ある日偶然、妻が隠していた離婚届を見つけてしまい、そこから夫婦のドタバタが始まります。

この夫婦の場合も、夫に努力が足りなかったと思います。結婚はどちらかが必ず相手よりも少しだけ我慢しているもの。我慢させている方が、そのことに気づく優しさが必要なんです。

 足を踏まれている方は痛みがわかりますが、踏んでいる方は痛みがわからない。踏んでいる方がそこに気づくかどうか。そのためにはやはり会話が必要だし、相手をよく見る心のゆとりも必要です。その心のゆとりを優しさというんじゃないでしょうか。

 映画でも主人公の陽平がこういう場面があるんです。「正しい事より優しいことの方が大事なんじゃないですか」って。

世の中には正しいことはいくらでもあります。例えば、僕たちの少し前の時代は身を削って働くことが「正しいこと」でした。

だから上司は『死ぬまで働け』『家庭より仕事が大事だ』と部下に『正しさ』を押し付けました。

その結果正しさに潰されてしまう人もいたと思うんです。戦争も正しさの押しつけから生まれるわけです。

でも大切なのは「正しさ」ではなく「優しさ」。僕も今回の映画を撮り終えてからは、『心優しく』と自分に言い聞かせています。

映画では主題歌が吉田拓郎さんの『今日まで、そして明日から』でした。『私は今日まで生きて見ました』『そして明日からもこうして生きて行くだろう』という歌詞がとても響きました。

 人はみな自分という人間、自分の性格についていろいろ思うものです。でも葛藤しながらも折り合いをつけて、今日まで生きてきたわけです。そして明日からもそうやって生きてゆく。

 これはとても自己を肯定する歌ですよね。いろいろなことがあって反省することもいっぱいあったけれど、取り敢えず今日まで生きてきて、明日も生きていく。生きて行っていいんだ、という自分への肯定と優しさがあって、初めて人にも優しくできるんじゃないでしょうか。 終わり

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強い性格・弱い性格・・・阿部 寛②

強い性格・弱い性格

阿部 寛

嫌な事、苦手なことにあえて足を踏み入れる

 

 そうなって得したことは人に対して素直になれたこと。僕の場合は、何の下積みもなく、いきなりこの世界に入って来たので、うまくいかないことが沢山有りました。そんな時、人が自分に言ってくれることに対して、きちんと聞く耳が持てたんです。

 特に役者という仕事については、アンテナが立っていたというか、何を言われても素直に受け止めることが出来ました。普通は大人になればなるほど、人の言うことが聞けなくなる。詰まらないプライドが邪魔をしたり、コンプレックスを隠そうとして虚勢を張ったり。

でも自己肯定力が有れば、『これは自分にとっていいことだ』と素直に感じてすっと受け取ることができます。

 まあ、僕がいっぱい失敗して、痛い思いをして来たからなんですけどね。

だからちょっとしたことでも、自分にとってプラスになるアドバイスは有りがたく受け取って、ずっと覚えています。

 経験を積めば積むほど、「あの時言われたあの言葉はこう言う意味だったんだ」と事実と照らし合わせて、確認することができます。何か重大な選択をしなければならない時は、いつもそういう言葉を思い出して決断するようにしています。

 とにかく素直さと柔軟さが一番。それが有ればたとえ人からけなされたり、批判されても、それを自分へのアドバイスとして、糧(かて)に転換して成長していくことが出来るんじゃないでしょうか。

 僕は元々理系の人間なので、自分では論理的な性格だと思ってきました。でもそれほど突出していた訳ではないと、この世界に入ったら気が付きました。

 この世界で仕事をしている人たちは、物事を論理的に考えている人たちが沢山居るんです。特に役者に論理的な人が多かったのは意外でしたね。

役者は、感性で演じていると思われがちだし、本人もそう言いたいんです。「いやぁ、あれは感性で演じただけです」とか。でも実は、そうではありませんでした。

有名な先輩方の演技を見ていると、走るシーンの走りだけを何百回も練習して居たり、振り返った時にサッと流れる髪の毛の動きまで綿密に計算している。天才と言われる人ほど、論理的だし陰で努力していることがわかったんです。

 僕自身はそれほど努力する性格ではありませんでしたが、それを知ってからは、自分もちゃんと頭で考えて、努力しないといけないんだな、と思う様になりました。

 自分の中で一番努力したのは不遇の時代でしたね。一年間ぐらいずっと仕事がなくて、ぶらぶらしていたこともありました。でもそんなことをしていても、何も得られない。時間だけが過ぎていくんです。このままじゃいけない、と一念発起して、とにかく人と会うように努力しました。

 人と会っていると、良くも悪くもいろいろなものが見えてきて、何かしら自分が成長していきます。不遇の時は誰とも会いたくない、何もしたくないものですが、そこから脱け出す出口を探すためには、自分が苦手な事、やりたくないことにあえて足を踏み入れる勇気と努力が大切だと思います。  続く

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強い性格・弱い性格・・・阿部 寛

強い性格・弱い性格

阿部 寛

ダメなところがあってもそれでいい

(思春期の頃自分のことが嫌だったという阿部さんは、だんだん自己肯定力がついてきたと言います)

性格は自分ではよくわからないものではないでしょうか。

今まで人から「阿部さんはこんな性格ですね」と言われても、「へえ、そうなんだ」と驚くことの方が多かったように思います。

 自分の事は自分が一番よくわからい。そんな気がします。

でも俳優として仕事をしていると、逆にそれでいいのかな、と思うこともあります。いろいろなところでいろいろな役をやれるし、どの作品の『自分』も自分として演じることができますから。

例えば下町ロケットの時の中小企業の社長のように、強い性格の人間を演じたら、強い男に見えるかもしれません。

 ただそれは周りから見てそう見えるというだけで、本当のところは自分でも良くわからない。いろいろな性格の自分がいる、というのが正直なところでしょうか。

苦手なところにも足を踏み入れてみる

思春期の頃は、自分のことが嫌で嫌でたまりませんでした。勉強をさぼったり、いい加減な

生活をしていたり、そんな自分に対して『何やってんだ、お前』と真剣にダメ出ししていたこともあります。

でもだんだん大人になってくるにつれ、嫌いなところが見えなくなってきたんですね。

「ダメなところがあっても、それでもいいかな」と思えるようになってきました。そうしないと生きていけない。

知らないうちに自己肯定力が身についてきたんだと思います。続く

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強い性格・弱い性格・・・西田敏行③

ゴリラのブルブルが唯一の友達

 16歳から始まった一人暮らしは、寂しくなかったと言えば嘘になります。でもそれを凌駕するほど、役者になる夢は大きかった。そのためには何があっても負けちゃいけない、強くあらねば、と思いました。アクセント辞典を持ち歩き、苦手なサ行やカ行の発言を直すための発声練習も毎日やりました。

けれど学校では、口を開けばクスクス笑われた。それに目指す東京弁は「あのさぁ、ぼくはさぁ」なんて、どうにも平べったくて軽いんです。自分が習得したいのは、本当にこんな言葉なんだろうかと悩みました。

 郡山じゃ人一倍元気で明るい性格だったのが、だんだん無口になって行きました。東京には一杯人がいるのに、僕は孤独でした。そんなある日学校をさぼってふらりと行った上野の動物園で出会ったのが、ゴリラのブルブルでした。

 檻の前には『アフリカから来た最後のローランドゴリラです』と説明書きが有りました。親と別れて遠い異国に連れてこられたんだな・・・そう考えると自分の境遇と重なってブルブルに親近感が湧きました。

 それからは毎週のようにブルブルに会いに行きました。開園時間から閉演時間までずっといたこともありました。僕が見つめると、ぶるぶるも視線をピタッと合わせてきて決して逸らさない。その哲学者のような表情を観ていると、何故だか心が落ち着いた。

あのころは、ブルブルだけが友達でした。ブルブルがいたから、僕は強くなれたし、夢を諦めず、辛い時間を超えることが出来たんですね。

 四人の親が役者・西田敏行を創り出した

そんな青春時代を過ごし、僕は夢を叶えることが出来ました。それは決して僕自身だけの強さではない。多くの方との御縁と助けがあったからです。僕は本当に幸せ者です。最近ふと実の父を思うことが有ります。

 僕が5歳の時に亡くなったので、顔は覚えていませんが、聞けば、父は母よりも30も年上で、母との結婚は3度目か4度目だったそうです。惚れっぽいと言うんだか、なんて言うんだか ()。大阪の堺の出身でとにかく豪放磊落、面倒見のいい親分肌の性格だったとか。

 そこまで聞いて、「なるほど!」と思いました。

福島で育ったのに僕は何故だか昔っから野球は阪神タイガースファン。ジャイアンツびいきの多かった地元じゃ四面楚歌でした。

僕の性格の中にはコテコテの関西人の血が確実に流れていたんですね(笑い)

 公務員だった実直な養父母に育ててもらい、そして実の父と母の奔放な血も受け継いだ。その複雑さは、そのさまざまな性格の人間を演じる役者稼業にはプラスだったのかも知れません。

 四人の親には感謝ですね。昨年は病気もしましたが、おかげさまで今は元気です。夢にはこの先の続きがある。僕はまだ夢の途中なのです。終わり

 

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強い性格・弱い性格・・・西田敏行②

 すると母が僕の体をすっと持ち上げて、肩車してくれた。その途端目の前にワーッとスクリーンが広がりました。

 終わるまで3時間以上あったでしょうか。その間、母は僕を肩車したまま、自分は身じろぎもせず、ぎゅうぎゅう詰の暗がりに立ち続けてくれた。決して大柄な人じゃない。さぞ重たかっただろうと思います。

 母もだいぶ年を取った頃、たまたまテレビで『七人の侍』が放映されました。それを観た母は、「やっと筋がわかったよ」と笑っていた。僕は素晴らしい親に出会いました。

 それなのに、一時変な勘が働いて、反抗的な態度を取ったこともあったんです。叱られても、内心「本当の親でもないくせに」とひねくれて見たり。

でも中学校2年生の時、はっきりと言われました。「私はあなたを生んではいない。けれど、あなたを愛していることにかけては世界一だ」、と。

 わだかまりが一ぺんで取れた瞬間でした。じぶんにこどもができてわかったんですが、生みの親でもないのにここまで愛情を注げるのは凄いことだと思います。本当に強い両親でした。

それにしても映画俳優になるなんて、無謀な夢を描いたものです。

 今でこそ子供のころから役者やタレントを目指す子は居るでしょう。でもあのころ、郡山の田舎じゃそんなこというやつはいなかった。現実性ゼロのまさに夢物語りでした。

 それでも僕は、中学を卒業したら、まず東京の高校へ行くと決めました。映画に出てくる俳優さんは、みんなきれいな標準語をしゃべるでしょう。だから訛りを直さないとダメだと思ったんです。

 早くから東京で暮らせば福島弁も東京弁も話せる

バイリンガルになれると思い込んでいたんですね。両親は地元の高校を卒業してからでも遅くないと、最初は反対でした。でも『やりたいことをやらせてやろう』という親心でしょう。

 最終的には認めてくれて、東京では、明治大学付属中野高校に入学しました。 続く

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