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最高値マグロを釣り上げた“幸運の男”

最高値のマグロを釣り揚げた“幸運の男”

 重なった幸運

 青森県大間町。高級マグロのブランド、大間産マグロですっかり有名になった町だ。今年もそれなりの期待はあったが。まさか一本で1億5540万円などとは誰もが予想し得なかった高額だった。

 このマグロを釣って今年の初競りに出したのは大間町の竹内大輔さん(36)だった。代々マグロ釣りの漁師宅で生まれ育ち。つい3年前、船を父親から譲りり受けたそうである。

 そうして2001年に記録された大間町の最高記録、

一本2020万円のマグロを釣り上げたのは他ならぬ大輔さんの父親の竹内 薫さんだったというからまさに親子2代にわたっての新記録達成保持者となった訳だ。

 今、薫さん(62)は奥様の紀子さんと食堂を経営しているそうだ。

 「破格というか、思ってもみない金額ですよ。あれは出来過ぎ、相当に運が良かった・・・」(薫さん)

 薫さんが「運がいい」と言うことには理由がある。

 「大輔が例のマグロを吊ったのは12月29日の朝だった」

 年内に競(せ)りに出すこともできたが、大輔さんは水揚げした時点で、このマグロを正月の初競りにかけることを決めていたという。もちろん初競りでの最高値を狙ってのことだ。

 しかし、もし漁が解禁される今年1月4日にそれ以上の大きなマグロが水揚げされ、5日の競りに出されたなら最高値はそのマグロに奪われてしまう。

 「息子はその1週間、プレッシャーで気が気じゃなかったんじゃないの?4日に誰かがそれ以上のマグロを釣ればアウトだから」(薫さん)

 過去の例を見ても220キログラムのマグロは決して大きい方ではない。しかし、1月4日の漁ではマグロは1本も揚がらず、大間から初競りにかけられたのは大輔さんのものを含めて4本だけだった。

 世界各国からこの日市場に並んだマグロは約2400本、内、200キロを超したのは大輔さんのマグロだけだった。

 賭けは的中し、1キロ当たり、70万円もの高値が付けられた。

 もちろんこれだけの高値が付くのは、初競りの1本だけ。

 通常のマグロの相場は、大きさにもよるが1キロ当たり、4000~5000円(200キロで1本約100万円)。

 初競りはご祝儀相場で2万円ほどつくことも珍しくはないが、それでも最高値だけが突出している。

 「しかも、皆が初競りを狙って、これぞ、という大きいマグロを出してきますからね。ところが初競りでは一番手だけに高値が付くから、相対的に二番手以下は他の競りの時より安値になることもあるわけです。

昨年、一昨年の初競りでは大きいマグロが数多く出たので、年末に出しておけばキロ当たり2万円とか高値がついたものが、初競りに出したせいで、1万円を切ってしまったのが何本もあったんです。

 今回は本数が少なかったから、2番目で1キロ43000円、3番、4番目でも2万円を超えたけどね。まあ1等賞は息子の1本だけです」(薫さん)

 最高値のマグロを釣るのは宝くじを当てるようなものだ。

(「すしざんまい」に競り負けた香港本社の板前寿司もあっぱれ!!)に続く

 

 

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07・ストレスから逃れるためにやたらと話題を変えたがる

07・ストレスから逃れるためにやたらと話題を変えたがる

 その話をそれ以上続けているとボロが出てしまいそうだと感じると、人は何とかして話題を変えようとするものです。

 特に不愉快な話題をしているとか、つまらない話をしているわけでもないのに、「もういいじゃん、その話は。ところで、この前行ってきた店で面白いものを見つけてさ・・・」と、かなり強引に別の話題に変えようとすることもあれば、「あっ、そうだ!今思いだしたんだけど・・・」と、前後の脈絡に全く関係のないタイミングで話題を変えようとすることも少なくありません。

 これは相手がその話に相当大きなプレッシャーを感じている状態で、そのストレスから逃れようと必死になっていると考えられます。

 どうも怪しいなと感じたら、話題が変わったと思わせておいて、突然話題をまた元に戻すといった“揺さぶり”をかけてみてください。冷静に相手の話を聞けば、矛盾点を見抜ける筈です。

 

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来年の初競りもいいマグロを買いたい(清の心)6

来年の初競りも一番いいマグロを競り落とします。

(清の心)6

 寿司を握るのはプロの寿司職人たち、

しかも「握ってやっている」という高飛車な態度ではなく、丁寧な接客を徹底させた。

 こうした木村の経営方針が当たり、観光客は勿論、周辺のサラリーマンが築地に集まるようになった。そしてチエーン展開は難しいと言われていた寿司屋の多店舗化に乗り出した。

 「寿司屋というのは1店舗でいくら成功しても、チエーン展開するのは簡単ではありません。腕のいい職人を確保できないからです。

 規模に走ると必ず味が落ちる。 そこで一人前になるのに10年かかる寿司職人を2年で養成しようと学校を始めました。これでチエーン展開が可能になりました」

 ところで今年の初競り、1億5540万円という過去最高額でマグロを競り落とし、世間の話題になった木村。どういう気持ちで落としたのか。実は競りの前、ここ数年初競りで競い合ってきた香港資本の担当者と会ったとき、「今年はやりませんから」と言われ安心していたという。

 「まさかこんな値段になるとは思いませんでした。正直びっくりしました。でも今年も一番いいマグロをお客さんに食べてもらいたい、という気持ちから買うと決めた以上、競りなのでとことんやるしかない。

 終わっていたらあんな金額になってしまっていた。それでもお客さんが喜んでくれてよかった。来年も一番いいマグロは買いたいです」

 その来年だが、香港資本は参加しないそうだ。

一本Ⅰ憶5540万円の値は2度と出ないかも知れない。

 ☆★

 これまでの大間産のマグロは、2001年に一本2020万円で競り落とされたのが最高額。今度はそれを7倍強にした新しい記録ということになる。

 昨年の初競りでついた5649万円のマグロは北海道の名井港で水揚げされたもの。従って昨年の史上最高値段は青森大間産の記録とはならなかった訳だ。

 だが今回の大記録で大間ブランドは日本一の座を

取り戻したことになる。

いずれにしても冬の海にマグロを追い求める男のロマンは果てしなく続き、今日も荒海の中でマグロと海の男たちの格闘が続いている。   

 (最高値のマグロを釣り上げた“幸運の男”)へ続く

 

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06・言い換えや反復はウソの確率が極めて高い

06・いいかえや反復はウソの確率がきわめて高い

 あなたの浮気を疑う彼女から突然。「ねえ、昨夜は何をやっていたの?」と聞かれたとします。やましいところがなければ、正直に事実を答えればいいのですが、そうもいかない場合は、以下のような答え方をする人が多いのです。

 まずは、「後輩と、そう会社の後輩と飲んでいたよ」といういわゆる“言い換えパターン”。この答えのあやしいところは「後輩」を「会社の後輩」と言うふうにわざわざ言い換えているところです。

 ウソをついているという点ではかなりブラック度が高い答え方と言えます。

 もう一つの答え方が、「昨夜?昨夜はね。遅くまで仕事をしていたよ」という“反復パターン”。

 この場合も普通に考えると「昨夜は遅くまで仕事をしていた」と答えればいいだけの単純な話であり、わざわざ「昨夜?昨夜はね」と繰り返しているところが、グレーな印象と言わざるを得ません。

 

 

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儲かっていない店を参考に成功(清の心)5

もうかっていない店を参考にして成功

(清の心)5

 木村清が寿司チエーン『すしざんまい』を立ち上げたのは2001年4月、今から約12年前だ。きっかけは築地の仲卸からの要請だった。木村49歳の時である。

 当時木村は「喜よ寿司」という個人店を経営していた。中卒後、自衛隊に入った木村は、20代後半から水産業など手広く事業をしていたが、2000年主力銀行が破綻したために事業を整理、「喜よ寿司」はその後に始めた店だった。

 「喜よ寿司」という20席ぐらいの小さな寿司屋を始めたのです。一からのスタートでしたが猛烈に働き、毎月200万円ぐらい利益が上がるようになった。

 それを見ていた築地のある店のオーナーから『以前築地は年間1000万人の来訪者があったが、いま150万人を切っている。

 あなたの手腕を見込んで築地を活性化してもらいたい。この場所を貸すから人を集めて欲しい』と言われたのです。

 しかし新たに始める場所は広さが35坪もあり、席数は48、「喜よ寿司」の倍以上ある。しっかりした概念がなければ成功しない。

 まして築地に人を呼び戻す繁盛店となると、普通の寿司屋では難しい。“今までにない寿司屋をやろう”と決意したという。どうすればそんな寿司屋が出来るのか。

 並みの事業家なら儲かっている寿司屋を参考にするところだ。

 ところが、木村は違った。もうかっていない寿司屋を参考にしたのである

 なぜもうからないのか、その原因をひとつずつ解決していけば、必ず繁盛店になると考えたのだ。

 「回転寿司は違いますがほとんどの寿司屋は時価ですしを出し、人気の寿司ネタはすぐに売り切れで品不足。お客さんによってサービスも違う。何といっても敷居が高い。大型店を満席にするのは不可能です。

 そこで明朗会計で年中無休、いつでも食べたいネタがある24時間営業の寿司屋を作ってみようと考えたのです」 続く。

 

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05・同じ単語を繰り返したり同じことを何度も言いなおす

05・同じ単語を繰り返したり同じことを何度も言いなおす

 会話中で同じ単語を何度も繰り返し使うというのも、ウソをついているときの特徴です。たとえばある話題に対して「絶対に違う」とか「絶対にやった」絶対そうだったなどと、やたらと「絶対」という言葉が出てくるようなケースです。

 これは、とにかく自分が付いているウソを本当のことだと言い張るために。話に一貫性を欠きたくないという切迫感によって思考に柔軟性がなくなり、同じ言葉を何度も繰り返し使うことで、それを何とか相手に信じ込ませようとしているのです。

 また「昨夜は先輩と飲んでいた」「先輩からん飲もうとさそわれた」「先輩が知っているいい店につれて行ってくれた」などと同じ内容の話を何度も言いなおすというのも、極めて不自然な印象です。何かを隠そうという意図を疑ってみた方がいいかも知れません。

 

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私は商売で失敗したことがない(清の心)4

 

私は商売で失敗したことはない

(清の心)4

「すしざんまい」を一大チエーンに育てた木村清が商売のイロハを学んだのは、マルハ子会社の水産会社だった。21歳から6年間働いた。昭和40年代のことだった。

 最初の担当は冷凍食品の販売だった。ところが当時冷凍食品はコロッケや、ハンバーグぐらいしかなく、一流レストランに持って行っても相手にしてくれない。仕出し屋や、弁当屋に売りに行ってもだめ。

 「だったら自分たちで弁当を作って売ろう」と木村は考えた。「当時はまだ温かい弁当が売られていなかったので、温かい弁当を作って売ったらお客さんに喜んでもらえるのではないか、と思ったのです」

 ところが保健所から「待った」がかかった。「温かい弁当は菌が発生しやすく、食中毒の恐れがある」というのだ、しかし木村はあきらめない。食中毒や菌を徹底的に勉強し、調理後4時間以内なら菌が発生しないことがわかった。保健所と10回以上も交渉し、やっと許可を得る。木村の粘り勝ちだ。

 温かい弁当を売ると予想通りバカ売れ。それまで1400食くらいしか売れなかった弁当が、6000食売れた。

 「私は商売で失敗したことは一度もない」と豪語する木村。その真意は、「成功するまでやる」ということだ。

 ビジネスは「余計なことをすること」が大事

 成功するまでやりぬく粘り腰とともに、木村の特徴は、「余計なことをやる」ということだ。余計なこととは自分の担当以外の仕事にも興味を持ち、関わってみるということだ。それがビジネスチャンスに結びつくという。当時の冷凍食品の倉庫は商品が雑然と積み上げられていた。

 在庫がどこにあるのか分からなくなることも多かった。営業担当だった木村の仕事は注文を取り、配送することだった。しかしサービス精神の強かった木村は、「ついでだから」と客の倉庫を整理していったという。するとそれまで客さえ知らなかった在庫状況を詳細に把握できるよになった。

 結果として客が欲しいと思うような商品を即座に提供できるようになったという。当然営業の成績はどんどん上がっていく。

 「余計なこと」は木村が自衛隊時代につけた意識だ。自衛隊では仲間全員が任務を達成できないと連帯責任を問われるから、他人の仕事への目配りも必要になる。

 「サラリーマンの中には給料分だか仕事をすればいい、余計なことはしたくない、と考えている人も少なくないでしょう。でも自分の仕事だ他人の仕事だなんて関係ない。まず余計なことでもやってみることが大事なんです一歩踏み込むことで新しいビジネスのチャンスが落ちているのです」

 水産会社の仕事は当初、3ヶ月間だけのバイトのつもりだったが、慰留され、木村は気がついたら商売の面白さにどっぷりとつかっていた。 続く

 

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04・

会話からウソを見抜く

04・返事のタイミングが早くふだんより早口になる

 

ウソをついている時や言い訳を考えているとき、

人は思わず言葉に詰まってしまうと考えています。ところが、そういう認識が一般的になっているせいか、現実には「言葉が詰まるとウソがばれてしまう」と考え、相手の質問に対していつも以上に素早く反応してしまう人も少なくありません。

 前述した「饒舌」とはちょっと違いますが、とにかく返事をするタイミングが意外なほど早く、どんな質問に対しても淀みなくこたえるのです。

 しかし、ウソの話をするのは誰にとっても楽しいものではないし、話が長くなればなるほどウソがばれる可能性も高くなるため、会話をなんとか手短に済ませたいという意識が強く働きます。そんな時に出やすいサインが「普段よりも早口になる」というものです。

 たとえ声のトーンが同じでも、必要以上に早口で話しているようだったら要注意かも知れません。

 

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21歳の時バイトで目からウロコ(清の心)3

21歳の時バイトで目からウロコ

(清の心)3

 あこがれのパイロットになるために中卆後、自衛隊に入隊した木村 清。しかし、目をケガしたために、泣く泣く退官。

 司法試験を目指して中央大学法学部の通信課程に進んだ。このとき学費を稼ぐため、始めたのが百科事典販売のアルバイトだった。

 昭和48年木村21歳。ここで商売の難しさと醍醐味を知る。「月に27万円もらえるという触れ込みだったので、飛び付きました。

 ところがいざやってみると全く売れない。高価な百科事典が簡単に売れるはずがなかった。しかも月給は10分の1の2万7千円だった。木村が「これ、1ケタ違うじゃないですか」と抗議しても上司は「一冊も売ってこないのだから当たり前だ」と相手にもしない。

 全く売れなかったものが突然売れた

 学費を稼ぐには売るしかない1日に40軒、それでだめなら80軒、80軒回ってダメなら160軒回った。「電車に乗って適当な駅で降りバスに乗って一番遠い停留所で降りて、一軒家を次々に訪問するのです。

 必死に売り込みました。でも売れない。横着して一軒家ではなく団地を回ったこともありましたが、やっぱり駄目。最初アルバイトは20人位いたのですが、1ヶ月後には私一人だけになっていました」

 モノを売る難しさを思い知らされた木村はもうやめようと思った。

 しかし、どこに成功のきっかけがあるか分からない。

東京吉祥寺の井の頭公園のベンチで売りものの百科事典を読んでいたら、学校帰りの子供たちが近づいて来て、「お兄さんこれ何?」と質問を浴びせてきた。

 時間を持て余していた木村は1時間ほど百科事典に書かれていることを、まるで教師のように教えてやった。しばらくすると子供の母親がやってきて、「これを売って貰えないか」と頼みにきたという。

 「あれだけ営業しても売れない本を自分から欲しいと言ってくるなんて、何かの間違いだろうと思いました。でもその母親は『子供が自分から興味を持って勉強している。ぜひ売ってほしい』と話していました。目からうろこが落ちる感じでした」

 しかも、その母親の友人たちも、次々に注文してくれた。木村は7巻の注文を取り、完全にノルマを達成してしまった。

 高級住宅地である井の頭公園周辺は、富裕層で教育熱心な親が多い。高価な本でも、子供が自分から興味を持って勉強してくれれば高い買い物ではなかったのだろう。

 「売れないと思っていたのは私の誤った固定観念だったのです。お客さんが何を求めているのかそこをしっかりと見据えれば、どんなに売れないと思っているようなものでも売れる」このとき木村はそう痛感した。

 ところがこの出版社は、とんだ食わせものだった。約束した歩合給を払おうとしない。結局、木村は2か月でこのバイトを辞めることになる。

(私は商売で失敗したことがない )へ続く

 

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パイロット直前にケガで(清の心)2

自衛隊に入隊

パイロットになる直前、ケガで断念

(清の心)2

 「母は生活保護をもらうことを嫌い、働きづめで4人の子供を育ててくれました。末っ子の自分は『少しでも母を楽にしてあげたい』と思った。

 小学生のころから鶏を飼って卵を産ませ、ウサギを増やして売った。イナゴを取り近所のおばさんに買ってもらったこともありましたね」勉強する時間はなかったが成績は学年トップクラスだった。しかし、家計を考えて高校進学を断念。

 子供のころから憧れていたパイロットに成るために自衛隊に入った。ところがここでも過酷な運命が待っていた。大検に合格し、飛行機の操縦資格の取得という夢がかなう寸前に、悪夢に襲われる。

 「事故で目をケガしてしまったのです。パイロットは諦めるしかなかった。正直ショックでした」自衛隊を退官後、木村はマルハの子会社の水産会社に入社。

 ここで商売の面白さを知ることになる。21歳のころだ。もともとビジネスに向いていたのだろう。

水産会社で商才を発揮していく。在庫の山となった枝豆を裁くために、当時は珍しかった大型居酒屋を開き、あっという間に売りつくしたり、売れない冷凍食品を売るために弁当屋を開き1日6000食も売りきった。

 当時弁当は冷たいのが当たり前だったが、温かい弁当を売りだしてヒットさせている。昭和40年代のことだ。ビジネスで自信をつけた木村は昭和54年に独立。水産業や不動産業など90近い事業を行い、一時資産は150億円を超えた。

「商売に必要なことは、とにかくがむしゃらに働くこと。そして壁に突き当たったら、常識を疑うことです。

 ガムシャラに働いていれば、必ずヒントが浮かびます。

ガムシャラに働かないとヒントは浮かばない」

しかし金融危機に巻き込まれて平成9年、会社整理に追い込まれてしまう。しかし、あきらめないのが木村の真骨頂だ。「すしざんまい=17画大吉」で巻き返すことになる。

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