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第2回・高校受験は全敗・ヤミ米一俵で裏口入学

第2回・似鳥昭雄(ニトリ社長)

高校受験は全敗・ヤミ米1俵で裏口入学

 中学に上がるころには体も大きくなりいじめられることは少なくなったが、成績は相変わらずさっぱり、

成績は最下位か、ビリから2番目「カンニングがうまくいった時だけ、順位が一つ上がった」と似鳥氏は笑う。受験した高校もすべて落ちた。

 「ここなら大丈夫だろうと思って受けた創立2年目の新設校まで不合格。急いで夜学受験の手続きをしたんですが周りからお前では無理だと言われていました」結局夜学は受けなかった。工業高校への入学が決まったからだ。

「試験は落ちていたんですが、うちがヤミ米を配達していたお得意さんの友人がそこの校長先生で、米を1俵持って行ったら入れてくれたんです」と似鳥氏は冗談とも本気ともつかぬ顔で話す。

 何とか高校に潜り込んだものの学業には全く身が入らず、相変わらずのビリ争いをしていた。勉強はだめでも、何かで一番になりたいと思った似鳥氏は珠算に打ち込んだ。

珠算に力を入れている高校で。毎年全校生徒が参加するソロバン大会が開かれていた。そこで似鳥氏はなんと総合優勝してしまう。ここぞという時の集中力がすごいのだ。

 珠算で鍛えた暗算力は今も健在、インタビューの最中に為替の話に及んだ時だった。その日の動きが詳細に頭に入っていて、数十分前まで、円相場がどう推移していたか、銭単位で正確な数字がスラスラと出てきた。

だが学業に対しては珠算のような集中力は発揮できなかった。大学を目指すのはとても無理なレベルだったが、似鳥氏は進学を決意する。「親父の会社に入るのが嫌だった」からだ。

 似鳥氏が高校に進む頃、父親はコンクリート会社を起こしていた。高校生の似鳥氏は夏休みになるとそこで土木作業を手伝った。

 「縄で編んだ網に砂利を入れ、木を通して二人で担いで運ぶんです。親父は息子を鍛えるつもりだったのか、

ボクにはとりわけ重たいのを担がせた。終わると肩が真っ赤に腫れ、触ると跳び上るほど痛い。これを続けるのはつらいなと思い、大学に進むことにしたんです。

 唯一受かった北海道学園大学に入学、アルバイトに明け暮れる毎日を過ごした。学費や生活費は全部自分で出す約束だった。大学にはあまり顔を出さなかったが

、4年後何とか卒業に漕ぎ着け、敬遠していた父の会社に入社した。「長男だから継げ」と命令されたのである。間もなく似鳥氏は音を上げることになる。

 半年後虫垂炎になり、手術を受け、退院して家で寝ていたら、父親から「すぐ仕事をしろ」と怒鳴りつけられたのだ。

「本当にお腹が痛かったし、あとで癒着していたこともわかった。でもおやじは盲腸を病気とは認めなかったんです。風邪でも引いたらかえって恐ろしい目にあう。汗が出れば治ると言われて普段よりもっと仕事をさせられる。うちでは病気で寝ているなんて罪悪。

働きながら治すのが家訓なんです」

 自分の身は自分で守るしかないと思った似鳥氏は、貯金の5万円を持って家出。友人のアパートへ転がり込んだ。そいつの彼女が来るたびに部屋を追い出される。

このままじゃいけないと思って新聞の広告で住み込みの仕事を探したんです。そうして見つけたのが札幌市にアル交通関係の広告会社だった。 つづく

 

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語り部の経営者たち・ニトリ社長、似鳥昭雄

語り部の経営者たち

ジャーナリスト田中幾太郎

似鳥昭雄社長(70)

似鳥ホールディングス

いじめられっ子だった小学時代

ついたあだ名が『ニタリ君』

 「お、値段以上」のキャッチコピーでおなじみ、家具、インテリア大手のニトリ。14年2月期まで27期連続で増収増益というこの超優良企業を率いているのが創業者の似鳥昭雄氏だ。3月に70歳の節目を迎え、5月9日の株主総会で事業会社社長を白井俊之専務に譲り、会長職に就くことが決まっている。

 昨年米国に初進出国内を新社長に任せ、自身は海外展開に注力すべく今回の人事に踏み切ったのだという。

札幌の家具店からスタートした同社を業界一位の企業に育て上げた似鳥氏だが、その人生は順風満帆に来たわけではなかった。1944年3月、似鳥氏は樺太で生まれた。終戦を迎えても一家はすぐに帰国することはなかった。

日本への緊急輸送船はソ連の潜水艦に次々に攻撃を受け、1700人を超える犠牲者が出ていた。似鳥氏の母親は、しばらくの間、引き上げるのは危険と判断。シベリアに抑留されていた父を残し一家が北海道の故郷に戻ったのは、終戦から2年後のことだった。

「当時の記憶はほとんどありませんが、引上げ船に乗ると、シラミ除去用の殺虫剤を頭からかけられそうになり、逃げ回ったのをうっすら覚えています。あのころは結構すばしっこい子供だった様です」

 帰国してからの住まいは、札幌の引揚者住宅。同じ形をした三角屋根のバラックが何百戸も並び、似鳥少年は自分の家がどこかわからず、迷子になってよく泣いていたという。3年後には父が復員、大工に弟子入りしたが収入が少なく、母がヤミ米の商売で家計を支えた。

「小学校1年の時から、ヤミ米を配達する手伝いをさせられました。学校から帰ると夏場はリヤカー、冬場はソリで一軒一軒回って升で量って売るんです。小学生の身には米袋が重くてすごくしんどかった。4年生になると父が配達のために中古の自転車を買ってくれたんですが、大人用で足が届かず、すぐに転倒する。

かえって重労働になってしまった」

 当時米の流通は食糧管理法によって厳しく管理されていた。たびたび母が警察に連行されたが、そんな危険を冒しながら、一向に暮らしは上向かなかった。

 「同級生たちもみんな貧乏だったけど、うちはとりわけ貧しかった。白米は売り物だからと雑穀を混ぜたものしか食べられない。学校に持っていく弁当は漬物が入っていればいい方、

悪ガキが級友たちのおかずをさらっていくんですが、ボクの弁当には見向きもしなかった。

体が小さく、学業もさっぱりだった似鳥少年は、学校でよくいじめられた。後ろ向きにされ継ぎはぎだらけのズボンをミットに見立ててボールをぶつけられた。

 トイレに連れて行かれ、殴られることもしょっちゅう。あだ名は当時北海道新聞で連載されていた4コマ漫画の“ニタリ君”。殴られてもいつもニタニタしていたからだ。似鳥少年はどう対処していいのかわからず、愛想笑いを浮かべているだけだったがさらにいじめられる結果となった。

 「家に帰れば帰るで今度はおふくろに怒られる。配達が遅いと言って叩かれる。米袋を落として。破けて米が地面にこぼれたりするともう大変、箒の柄でたたかれるんで痛いんです。学校にいても、家にいてもつらいことばかり、楽しみはただ一つ寝ることだけでした。

 眠ってしまえば苦しみから逃れることができますから」 つづく

 

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あれから8年・・・斎藤と田中を分けたものは?

甲子園の暑い夏・あれから8年

斎藤佑樹田中将大の分かれ道はなんだったのか

あの8年前の夏の日の出来事がウソのようだ。

10日の楽天戦で今季2試合目の先発となった日本ハムの斎藤佑樹(25)。9日後の練習後は『コンディションは最高、5回以内にマウンドを降りるのは許されない』と話していたものの、初回先頭から2者続けての四球、連打でいきなり2失点。

二回にも2四球を出した時点で投手交代。斎藤はそれに気づかずにロジンを手に付けていたところ、マウンドに向かってくる厚沢投手コーチ(国士大出)の姿を見て「???」何が何だかわからないままマウンドを降りた。

 プロ入り最短タイKO となる1回3分の1、2安打4四球3失点。3月29日のオリックス戦も6回4失点で黒星。周囲の目は厳しくなるばかりだ。

斎藤のピークは、2006年夏の甲子園だった。決勝戦で駒大苫小牧のエース田中将大(現ヤンキース)と投げ合い、延長15回を戦っても決着がつかず、翌日に再試合、斎藤は2試合を一人で投げ抜き、早稲田実業に夏の初Vをもたらした。

**

あれから8年…「甲子園決勝戦敗者」の田中は楽天を日本一に導き、アイドルの伴侶を得て、7年160億円でメジャーの名門ヤンキースに移籍、実質3番手の投手として連日スポーツマスコミを賑わせ。熱烈なファンの歓声を浴びている。一方、8年前勝者の斎藤は、ここまでプロ通算11勝16敗、年俸2800万円。

 昨季は右肩を痛めてわずかに1試合の登板。ファンからもすっかり見放され、この日も罵声を浴びながら降板した。二人の違いはどこにあったのか。

 当時の延長再試合を観戦した某球団のスカウトがこう言う。「あの時から、投球術に頼っている斎藤は今がピーク、『伸びシロがない』との意見が多かった。ただあの大会で『ハンカチ王子』としてブレーク。

2010年のドラフトで4球団が競合したのはローテーション入りさえすれば、グッズの売り上げや、集客に期待できたから。

田中がプロでもまれている間に、大学でチヤホヤされ楽をしすぎた。その間に体と心の成長がピタリと止まってしまった」

 進学した当時、早稲田の応武監督にすっかり甘やかされると『俺は日本一の特別な投手』と勘違いした。

寮生活でも群馬県に住む母親からの毎朝の電話が目覚まし時計になっていた。

 周囲に守られてヌクヌクと4年間を過ごすうちにライバルの田中は手の届かない所へ行ってしまった。

『ストライクが取れないと投球にならない』

と言いながら唇をかむ斎藤だが、8年前にはもう戻れない。終わり

 

 

 

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五・辻 仁成の変人度に懲りた中山美穂

 仁成の変人度に懲りた中山美

 

「『あの人にはもうついていけない・・・これからの人生は自分で歩いていくことにする』彼女は最近そう語っていました。相当悩んだようですが、決心した後は晴れ晴れとしていました」(中山美穂の知人)

●辻 仁成(総格20画~=大凶)・

モノの割れんとする象。短命非業の誘導ある大凶悪の運命にして一生の平安を得ること能はず、幾多の災難来り、あるいは凶禍しきりに襲いて、厄難、遭難、不如意、逆境に陥り、病弱、短命、非業、破滅の凶兆を示す。

中には廃疾あるいは一家を支配する能力無き者あり。配偶を失い、子の不幸を悲しむなど、なにごとも成就しがたし。進退を谷(きわ)むる。

●中山美穂(人格・山美12画=大凶)無理に伸びんとする象。薄弱無力を顧みず、不相応の企てをなして却(かえ)って失敗す。物事不足がちにして家族縁薄く、孤独、遭難。逆境、病弱、困難あり。

あるいは意外の厄難に襲われ、天寿を全うしがたき悲運あり。

(外格・中穂・21画=大凶)・(総格・中山美穂・33画=大凶)

いずれも頭領寡婦(とうりょうかふ)運で、女性には大凶災を来し、夫を倒すか、自らが斃れるかの二者いずれかに帰し、家庭の平安維持は困難を意味する。

(永人解説)

**

電撃結婚から12年、元アイドルで、女優の中山美穂(44歳)と作家で音楽家の辻 仁成(54歳)は破局を迎えた。2度の離婚歴のある辻だけに当初から不安視されていた二人の結婚。

 ただ2004年に長男が生まれた後は良好な関係を続けていると言われてきた。しかし、実は中山は我慢を重ねてきたのだという。

7~8年前から中山は結婚生活に不安を感じていたようです。

 印税収入があるとはいえ、興味のある仕事しかしない辻との生活は安定しているとは言えなかったですからね。日本でメディアに出るたびに『幸せな家庭』をアピールしてきたのは苦労の裏返しでした」(中山の事務所関係者)

 それでもこれまで必死に家庭を保とうとしてきたのは、子供のためだった。

 「中山は自分自身も親の離婚を経験していて、そのつらさを知っていた。それだけに子供には、そのつらさを味わわせたくなかったんでしょう」(前出の知人)

しかしついにその限界を迎えた。そのきっかけは何か?

「もともと『変人』、『ナルシスト』と言われていた辻ですが、ここ数年は輪をかけて奇行が目についた。

2009年ごろから『ジンクホワイト』という名で、

ロックバンドの活動を始め、『時代は中性』だと語って髪の毛を伸ばすようになった。

 肩までかかるロン毛に、女装。肌の手入れを女性以上にやっているようです。おまけにその姿を『自撮り』までしていた。上目づかいでカメラを覗き込むなんて50歳を超えた男のやることではない」(スポーツ紙、芸能デスク)。

 彼女は今、周囲の猛反対を押し切って結婚した自分の未熟さを痛感していると前出の知人は言う。

 「当時の彼女は、元アイドルで世間を知らなかった。だからこそ作家で音楽家という肩書の辻に惹かれてしまった。しかし、幸せな結婚生活に必要なのは才能やカリスマ性じゃない。ましてや『ナルシスト』とは一緒に暮らせない。彼女はそのことに気づいたんです」

中山は離婚後、日本で本格的に芸能活動を再開すると言われている。この経験を『芸の肥やし』にできるか。  終わり

 

 

 

 

 

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四・日ハム 斉藤佑樹と大谷翔平の微妙な距離

四・日ハム

斎藤佑樹大谷翔平の微妙な距離

 3月29日の北海道日本ハムファイターズ対オリックス・バファローズの開幕第2戦。札幌ドームのマウンドには、かつて「ハンカチ王子」として甲子園を沸かせた斎藤佑樹(25歳)の姿があった。

 2012年の6月以来約2年ぶりの勝利を目指した斎藤だったが糸井に特大のソロホームランを打たれるなど、6回4失点で降板。成長の証しを見せることができなかった。なぜ斎藤はかつての輝きを取り戻せないのか。

 そこには去年、野手と投手の二刀流に挑戦した驚異の新人大谷翔平(19歳)の影響があるという。

 「斎藤は取材陣に囲まれる大谷に対して、『彼も大変ですよね。僕も入団当初はそうでした』と軽く受け流しましたが、プライドが高いので内心は相当な嫉妬心を持っていたと思います」(チーム関係者)

 自分より注目を浴びる後輩を見るたびに、斎藤は焦りを覚えていたのだろう。パリーグのスコアラーも斎藤に対してこんな評価を下している。

 「斎藤はそういう性格が災いしてストレートへのこだわりを捨てきれませんでした。去年右肩を痛めたのも大谷を意識して無理に球速をアップさせようとしたからなんです。キャンプでは怪我も治って状態もいいと聞いていたんですが、そう簡単に人は変われないということなんですね」

 対する大谷は斎藤をどう見ているのだろうか。

「以前、斎藤がファンから『おまえのせいで、チームは最下位になっているんだぞ!』と痛烈なヤジを浴びたことがあったんです。この時、他のチームメイトが声の主に顔を向ける中、大谷は視線を送ることもなかった。

落ち目の先輩のことなど気にしていられないという感じでした。(スポーツライター)不調続きの先輩と期待の若手。

 ただ鳴り物入りで入団した似た者同士の二人なだけに、大谷にも斎藤を意識する部分もあるのだろう。

 それは二人の微妙な距離感となって表れている。

「キャンプ中、紅白戦で斎藤と大谷が投げ合ったことがあったんです。そのとき大谷は球速を意識してか、力んでコントロールがバラバラでした。

まるで自分は斎藤のようにはならないと意地を張っているようにも見えました。斎藤を意識するあまり故障などしなければいいですが」(スポーツ記者)ダルビッシュ有の抜けた穴埋めを期待された二人の逸材。

 しかし日本ハムはその才能を未だに生かし切れていない。それどころかこのままでは二人とも共倒れしかねない状態である。 五へ続く

 

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三の2・マラチオン男の勘違い

三の2・マラチオン男の勘違い

 その数日後、面会に臨んだ本誌記者は、逮捕直後から姿を消した家族の近況を訊いた。

「今つながっているのは女房だけです。親、兄弟、息子、みんなに手紙を出しましたが誰も面会に来てくれません。でも、女房にしても怒っているので下着や服は差し入れてくれますが、面会には来ません。

この間女房からは『別れたい』と書かれた手紙をもらいました。「ここを出るまでちょっと待ってくれと返事を書きましたが、ハンコを押すことになると思います。

家のローンもまだ10年以上残っていますが、もう売るしかない。当然自己破産です」

 哀しげな表情でそう語る阿部被告は、一転、饒舌にこんなことを語り始めた。「本を出したいんです。それで、迷惑をかけた分を売り上げで返したい。

 逃走のことや自分のチック症状のこと、今までの喜怒哀楽をすべて書きます。そのために日記もつけています。はっきり言って売れると思うんです。警察の人も売れると言ってくれています。

タイトルももう考えました。『マラチオン男と呼ばれて』

 同じ『アベ』である『安部譲二』さんの『塀の中の何とか』見たいに、映画化、ドラマ化も狙ってますよ。それで『時の人』になって、ゆくゆくは、ビートたけしと対談したい。

私はお笑い芸人が好きなんです。有名になれば女房も戻ってきてくれるはず・・・」記者を圧倒する迫力でまくしたてる阿部被告。

孤独な留置所で「妄想」はとどまることなく膨らんでいるようだ。

 次いで、今一番心配なことを尋ねた。

「工場のラインがとまっていることです。一刻も早く動かしてほしい。同僚たちは『阿部さんも被害者ですよね』と言ってくれているそうです。その人たちに申し訳ない」しかし、いまだ操業停止が続く工場では、従業員の4分の1にあたる66人が3月末までに自己都合で退職を希望した。

 これも阿部被告の行動によって引き起こされたものだ.本誌記者が別れ際、「事件の背景に格差社会があるといわれているが」と問うと阿部被告は手を打ってこう答えた。

「はい。それもあります。それを本に書こうと思います・どうぞよろしくお願いします」  四へ続く

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マルハニチロのマルチオン男・三の1

三・マルハニチロのマラチオン男

(妻よ、見捨てないで)

 「会いに来てくれてありがとうございます。手紙は読んでくれましたか?」群馬県太田警察署の面会室に現れた阿部利樹被告(49)は椅子に座るなり、忙(せわ)しなく話し始めた。

阿部被告はアクリフーズ群馬工場で製造された冷凍食品に農薬マラチオンを混入させ、逮捕起訴された。

阿部利樹(13・15・7・16)

阝(こざとへん)は阜で8画。阝(おおざと)は邑で7画、

したがって阿は13画。部は15画です。

天格・阿部28画

人格・部利22画大凶(百事不如意の挫折運)

成功運・天(八)―人(二)・大凶:運命抑圧を受け、不伸、不満の結果、脳を冒(おか)され健康を害す。{統合失調症に罹(かか)る。既に罹っていると思われる言動と人相表情であり、病的虚栄心の発揚が見受けられる} *からここまで永人解説。

**

 健康被害を訴える被害者は全国で2800人を超え、親会社であるマルハニチロHDの久代敏男社長は3月いっぱいで引責辞任した。

 無地のシャツにグレーのスウエットを着たこのさえない中年男が、日本中を巻き込んだ農薬混入事件の犯人には到底見えない。「1,2日ぐらい工場が止まればと思ってやったことなんです。どうもストレスがたまっていて、まさか検査をすり抜けて被害者が出て、社長までやめる事態になるとは思ってもいませんでした・・・」

編集部が阿部被告に接触したきっかけは一通の手紙だった。宛名には講談社編集部とあり、裏には阿部利樹の署名。独特な曲がり方をした子供っぽい字で、面会を求める文面だった。

「ただ今留置所からこれを書いています」

「私の体験を全部本にしたらどうでしょうか?」

「私が刑務所から出たとき記者会見をやっても構いません」

「一度会いに来て話をにつめませんか?お待ちしております」

手紙の最後には「ネットではマラチオン男とよばれてます」と書かれていた

三の2へ続く

 

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二・猪瀬よりヒドイ渡辺喜美の「金銭感覚」

桜咲いたか、もう散ったか

(週刊現代4・12,19合併号)

遅咲きの花あれば、早散りの花あり。期待に胸ふくらます人の傍らには、早くも桜吹雪にうつむく顔が・・・

話題のあの人の「見ごろ」逃すなかれ。

 二・猪瀬よりひどいこころ

渡辺喜美の異常な「金銭感覚」。

 

「喜美さんはこの3月で62歳になったけど、とにかく格好が派手。昔、銀座の高級クラブに勤めていた奥さんのまゆみさんが、コーディネートしているんです。

暑くても三つ揃えのスーツを着込んでいるし、あの逆立った髪型はしょっちゅう細かく変わる。相当金をかけているよ」(みんなの党関係者)。

 3億円もの巨額の金を受け取っておきながら3月27日の説明では単なる

『事務的ミス』

『違法という認識は全くない』等とトボケた言い訳を繰り返した、みんなの党前代表の渡辺喜美。

 しまいには『熊手を買うのに使った』と言い出し、失笑を買った。

 「ずさんな金銭感覚はみんなの党分裂の大きな原因でもあった。そしてブラックボックス化している党の金から返済資金を拠出していたのだろう」(全国紙政治部デスク)。

 思えば父の美智雄氏の時代から渡辺家には金の臭いが付きまとう。

 美智雄氏はリクルート事件にも関わったほか、美智雄氏が社長を務める同族企業による2億円余りの土地取得も報じられた。当時の取材に美智雄氏は

『借金を返せなくなって、土地を切り売りすることだってある』と語った。

『脱官僚』

『増税反対』と叫んでみんなの党を作り有権者の信任を受けながら、選挙が終われば「裏切って」知らぬ顔の喜美。

さらに、他人の金使いには非常にうるさかった渡辺喜美。

 自己の金なら猪瀬直樹を上回る16イノセ(1イノセ=5000万円)つまり8億円さえ屁でもなかったようだ。

**

「責任野党」などと安倍晋三におだてられてすっかり与党気分でいた様だが、もはや渡辺を閣内に取り込むなどは不可能だ。

近く東京地検・特捜が動くのは確実だろう。

無実の小沢一郎氏に強く議員辞職を迫った渡辺喜美は、潔く自ら議員を辞職すべきだろう。三へ続く。

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平成のネズミ小僧

平成のネズミ小僧

週刊現代4月12・19日号

遅咲きの花あれば早散りの花あり。期待に胸ふくらます人の傍らには、早くも桜吹雪にうつむく顔がーー話題のあの人の、「見頃」、逃すなかれ。

**

こんな結末になるなんて誰が予想したでしょうか。

平成のネズミ小僧の正体が、「まさかあんなに悲しく切ない姿だったなんて」80万円近くのお金がある日突然、何の脈絡もないのに、マンションのポストに投げ込まれていた。

 去る3月20日に奈良県生駒市で起きたこの奇妙な事件は、テレビ、新聞、ワイドショーで連日特集が組まれ、だれが何のためにそんな大金をばらまいたのか?そのお金を使ってしまった人は罪に問われるのかなど、盛大に討論が続いた。

 この事件をただのいたずらではないか、とする報道もあったが、世のため人のために匿名で金をばらまく「平成のネズミ小僧」の登場として取り上げるものもあった。さらにネットでは、投げ入れ事件の「主役」が、児童相談所にランドセルを寄付したことで有名になった「伊達直人」の再来だという説まで流れ、議論は過熱していった。

 そんな謎に包まれた現金投げ入れ事件だが、ここにきて意外な事実が明らかになったという。

「実はマンションに設置された監視カメラに残った映像を警察が確認したところ、そこに映ったのは近所に住む50~60代の女性だったんです。事件が起きた日時に監視カメラに映っていたのは、その女性一人。現金投げ入れは彼女のしたことにほぼ間違いがないでしょうね」(社会部記者)

 驚くことに平成のネズミ小僧は「初老の女性」だった。

さらにこの女性についてはある深刻な問題が浮上しているという。社会部記者が続ける。

「現金投げ入れの張本人とされている女性は、認知症患者である可能性があります。事情聴取でも、質問に対して、あいまいな返答を繰り返すばかりなそうです。

 或るときから警察が、パタリと情報を公開しなくなったのも、当事者が認知症患者かもしれないという問題が、少なからず関係しているでしょうね」

 思わぬ結末を迎えることになった『ネズミ小僧』騒動。結果的にはそれもまた現代社会の一面を表していると言えるかも知れない。二へ続く

 

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自民党・沖縄市長選にかこつけて進次郎つぶし!

自由民主党

4月27日沖縄市長選大苦戦

 小泉進次郎に忠誠心を踏み絵させる肚の晋三

 安倍晋三は真っ青になっているらしい。27日に投開票される沖縄市長選挙が惨敗確実の情勢になっているからだ。

「大新聞、テレビは27日に行われる鹿児島2区補選の情勢を大々的に報じていますが、首相官邸が気にしているのは補選よりも27日に投開票が行われる沖縄市長選挙の行方です。

 もし市長選挙で負けたら、野党陣営が勢いづき、9月に行われる沖縄県内の統一地方選、11月の県知事選と次々に負ける、敗北ドミノが起きかねない。

 すでに名護市長選も惨敗しているのに県知事選でも負けたら、普天間基地の辺野古移転は絶望的になってしまう。安倍政権にとって、沖縄市長選は絶対に落とせない選挙戦。

ところが野党陣営に大差をつけられているのです」(自民党関係者)20日に告示される市長選は、自民党の推す桑江朝千夫(58)と野党候補の島袋芳敬(64)の一騎打ちの構図だ。

 現在野党候補の島袋氏が10ポイント以上リードしている。

「本来大接戦になってもおかしくないのに、沖縄の魂を札束で買うような安倍政権のやり口に、島民はカンカンになっている。沖縄市長選では自民党支持者までが一斉に野党候補の支援に回っています」(地元関係者)

沖縄全体が反安倍になったら、米軍問題は解決せず、安倍首相はオバマ大統領からも見放されてしまう。

 焦った安倍周辺は、人気者の小泉進次郎(33)を投票日まで連日投入する方針だという。

「安倍さんの周辺は『進次郎には都知事選の穴埋めをしてもらう』と考えているようです。都知事選の時、進次郎は、『除名された舛添さんを応援する大義がない』と正論を吐いて応援を拒否した。

 安倍さんの周辺は今でもあの時のことを許していない。沖縄市長選で安倍首相に対する“忠誠心”を見るつもりのようです。進次郎としても、執行部に逆らうのは得策ではない。沖縄にべた張りになりそうです」(政界関係者)名護市長選に続いて、沖縄の市長選でも惨敗すれば、安倍政権の足元はいっきにぐらつくのではないか?

(永人所感)

小泉進次郎は、安倍の周辺が何と言おうと、沖縄へ行くべきではない。舛添を応援しなかったのは正当な行動であり、それを安倍の周辺が、ゆるすもゆるさぬもない。堂々と胸を張って、おやじの純一郎や、細川元総理らと脱原発連合の将来作戦でも話し合っていればいい。

 沖縄へのこのこ出かけて行っても、島民は沖縄市長に島袋を選ぶだろう。名護でも進次郎の応援は通用しなかった。さらに恥の上塗りに行くことはない。

 また行って負けたら進次郎の将来に傷がつく。

安倍晋三とその周辺の狙いはそこ(進次郎つぶし)にアルのだ。

 

 

 

 

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