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100年の扉 開く②

100年の扉開く

 

競い合い 心技体磨く

仙台育英甲子園制覇

 

◆初戦敗退も

 しかし昨夏の宮城県大会では4回戦敗退。現チームは伊藤樹(早大)秋山俊(中京大)らプロ注目選手を擁した前のチームと比べて弱いと言われていた。

  抜きんでた選手がいない分、「投手を中心に守り勝つ野球」に活路を求めたものの、秋季東北大会は準々決勝で花巻東に2-8で完敗。斎藤蓉ら3投手が打ち込まれ、夏春連続で甲子園を逃がした。

 一冬を越えて迎えた春の東北大会では初戦負け。

「『日本一になれるのか』と不安になったこともあった」と主砲斎藤陽(2年)は明かす。低迷するチームを刺激したの

「日本一激しいチーム内競争」だった。

 

◆努力が結実

仙台育英は大会が終わるたびに次の大会に向けた選手選考を実施する。全選手に等しく機会が開かれ少ない枠を勝ちとるために競い合う。

今回の宮城大会後も例外ではない。宮城大会では古川翼(つばさ3年)と高橋煌稀(こうき2年)が軸となり、チーム防御率は1・2と安定。一方で打線は迫力を欠き7月末にメンバー外の部員を含めた再選考を行った。そこで結果を残したのが、甲子園で満塁ホームランを放った岩崎生弥(いくや3年)だ。

  2、3回戦は代打で、準々決勝以降は先発で出場。競争を勝ち抜いた選手の活躍は攻守両面でチーム全体を勢いづかせた。

  須江監督は「自分が何を積み重ね、チームとしてどう戦ってきたかを理解し、ぶれることなく野球ができている」と各選手の成長ぶりに目を細める。

  「苦しい思いをいっぱいしてきた。それも今日のためだったと思う」。優勝し、佐藤主将は万感の思いを口にした。強い気持ちで壁を乗り越え、ついに「日本一からの招待状」を受け取った。

  晴れやかな表情を見せる選手たちの横で、指揮官の目から大粒の涙がこぼれた。(①・②担当記者・北村早智里完全大吉名👈永人)

 

 

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100年の扉開く

100年の扉開く

競い合い 心技体磨く

仙台育英・甲子園制覇

 

 

強い気持ち

 第104回全国高校野球選手権大会で宮城代表の仙台育英が頂点に立ち、東北勢の悲願だった甲子園大会初優勝を果たした。偉業を成し遂げた仙台育英の戦いを振り返り、近年のレベルアップの背景や、大旗の「白川の関越越え」の意義に迫る。

2022・8・24河北新報

◆逆境をばねに

 深紅の大優勝旗が太陽に照らされて鮮やかに輝いた。仙台育英は22日の決勝で選抜大会覇者の大阪桐蔭を破って勝ち上がった下関国際に(山口)に8-1で快勝し、高校野球史に新たな1ページを刻んだ。東北勢で初めて優勝旗を握った佐藤悠斗主将3年とナインは閉会式後、満面の笑みで1塁側スタンドの応援席へ駆けだした。好投手5人を擁するとはいえ、優勝候補の上位にいたわけではない。だが初戦の初戦の2回戦で鳥取商業に大勝。

  3回線は明秀学園日立(茨城)との接戦を制し、甲子園常連校の愛工大名電(愛知)聖光学院(福島)をも撃破した。甲子園で勝利を飾りながら成長した仙台育英。その素地として逆境を乗り越えてきた自信がある。

「日本一からの招待」。

 多賀城市の室内練習場にある横断幕の言葉は、須江 航監督が掲げるチームスローガンだ。日本一を取りに行くのではなく、心技体で日本一の方から招かれる様な個人やチームでなければならないー。

そんな思いが込められている。チームには甲子園優勝を目指して東北を中心に各地から生徒が集まる。野球部は3年生が31人、2年生29人。1年生22人の敬2人。

 左腕の斎藤 蓉(3年)は入学理由を

「日本一に一番近い学校だと思った」と話す。 続く

 

 

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安倍派の旧統一教会汚染 最終回

安倍派の旧統一教会汚染

 最終回

  その清和会は伝統的に文教行政に強い。財務省や国土交通省、農水省など巨額の予算や、強い権限を持ち、多くの業界を傘下に従える利権官庁は旧経世会の影響力が強く、傍流派閥だった清和会の議員には食い込むのが難しかったことが背景にある。

 勢い、清和会は予算も権限も小さな文部省などを拠点化した。

  寺脇氏は文科省が旧統一教会の名称変更を認めたのも、清和会支配と関係しているとみる。「清和会は文教行政に強く、森さんや町村信孝さん(元清和会会長)のような大物の文教族議員がいた。

が、特に私が仕えた町村さんはかなり厳しい人ではあっても、決して強権的ではなかった。

  しかし、安倍政権の下村博文文部科学大臣は省内を強権支配していた。私はすでに、退官していましたが、課長補佐の人事にまで口を出し、気に言った役人はどんどん登用し、気に入らない役人は外すという露骨な人事を行ったと現場から聞いていました。

 そうした人事で文科相の役人はどんどん疲弊し、大臣の顔色を窺うようになっていった。現在問題になっている旧統一教会の名称変更も『自分は支持していない』と言っていますが、

下村大臣にイエスと言わなければならないという風潮が省内全体にはびこっていたから、現場があ大臣の意向を忖度して前例に反する形で名称変更を認めてしまったと考える。正に強権政治がもたらした弊害そのものです」

 安倍派と旧統一教会の解明すべき闇はまだまだ多いようだ。            終り

 

 

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安倍派による旧統一教会汚染 七

安倍派の旧統一教会汚染 

文科省支配の弊害

 

「旧統一教会の政策が不当に自民党の政策に影響を与えたとは認識はしておりません」

 岸田首相は、内閣改造後の記者会見で自民党政権と旧統一教会の関係についてそう強調した。

 だが、「安倍1強」「清和会支配」と言われた政治体制の中で、官僚たちが総理の意向を忖度し、モリ・カケ疑惑や桜を見る会問題では安倍元首相を守るために公文書を改竄、国会で虚偽答弁を繰り返し、日本の行政が大きくゆがめられたのは間違いない。

  元文部官僚の寺脇 研・京都芸術大学教授が「清和会の支配」の弊害をこう語る。

 「清和会支配の特質は安倍政権で顕著だった強権的な政治手法です。官僚を支配し、与党である自民党の反対派を黙らせ、国会では野党の言い分を軽視して数の力で押し切り、

  モリ・カケ問題に象徴されるように都合の悪いことは質問にまともに答えない。これが最大の弊害でしょう。かつての田中派や竹下派も今の清和会のように最大派閥として自民党をリードしていたが、自民党内で強い力を発揮する一方で、官僚に対しては『うまくやってくれ』と任せる姿勢で国を運営していた。

  これが清和会の政治と大きく異なる。竹下さんの手法は官僚依存と批判を浴びたが、少なくとも議論を尽くさずにやりたいことを強引に進めて行く安倍政治は民主主義のルールを壊し官僚の私物化につながった。官僚が国民を見ずに官邸を忖度しながら仕事をするようになったからです」続く

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安倍派の旧統一教会汚染 六

安倍派の旧統一教会汚染 

議員の敬称略。

 

 清和会OBの伊藤公介・元国土庁長官が振り返る「小泉さんの自民党をぶっ壊すという言葉は結果的に経世会をぶっ壊すという事になった。小泉さんがやろうとしたのは、自民党の支持基盤である各種団体の陳情を聞き、数の力で政治をする経世会の派閥政治の手法を変えることだったが、郵政民営化で経世会が弱体化して代わりに清和会が数を握ると、その清和会が数の力で政治を支配するようになっていった。

  旧経世会との権力闘争に勝利した清和会は党内のヘゲモニーを握ったが、小泉改革は建設業界,郵政、農業票など自民党の伝統的支持基盤その0ものを弱体化させ、高い支持率を誇った小泉が退陣すると基礎票を失った自民党の力は急速に衰えて民主党への政権交代を招く。

 そして民主党政権の失政で安倍が首相に返り咲いた時、自民党の支持地盤はすでにガタガタになっていた。

  選挙分析に定評がある前出の野上氏が指摘する。

「安倍元首相は再登板してから国政選挙で6連勝したが、実は自民党の得票数はほとんど増えていない。かつての自民党の伝統的な支持基盤が戻っていないことを示している。それでも選挙に勝ったのは野党が分裂、弱体化した結果です(ずっと不正選挙を続けてきた結果です。何度選挙しても自分らが勝つように仕組んであるので安心して悪事を重ねてきた結果が今日の腐敗悪政につながっていることに国民は気付くべきです👈永人)。

安倍政権は壊れてしまった支持基盤を補うために選挙で旧統一教会の集票力に頼らざるを得なかった。父の晋太郎氏と同じことをしたわです」

  今や安倍派は傍流ではなく、自民党を支配する最大派閥だ。その集票マシーンとなった旧統一教会は、自民党への浸透をより強めていった。続く

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安倍派の旧統一教会汚染 五

安倍派の旧統一教会汚染

 五

経世会をぶっ壊す

敬称略

 現在のように自民党議員の多くが旧統一教会と関係を結ばざるを得なかったのは、小泉政権時代、自民党の伝統的支持基盤が崩壊したことに大きな原因がある。

 自民党をぶっ壊す』と首相に就任した小泉は「派閥政治の打破」を掲げ、総選挙で小泉チルドレンと呼ばれる大量の新人議員を当選させ。組閣人事では派閥の大臣推薦を受け付けない方針を採った。そのため派閥政治家との印象は薄いが。実際には森内閣時代に清和会会長として森政権を支えた生粋の派閥政治家だった。

  小泉首相は政権につくと「構造改革」を掲げ、公共事業費を大幅に削減、道路公団や、郵便、郵貯、簡保の郵政3事業を民営化し、地方自治体への補助金をカットした。

 これら小泉改革の標的にされたのは、建設業界、特定郵便局長会など、いずれも清和会と敵対していた当時の最大派閥・旧経世会が利権を持つ業界ばかりだ。

  その手法はまさに政敵の粛清だった。自民党内の造反で郵政民営化法案が参院で否決されると、小泉は衆院を解散して反対派議員に刺客候補を立てて落選させ、当選した議員には離党を強要して排除した。前出の旧経世会OB脇元議員が権力闘争は得意だが言う。

 「小泉さんは権力闘争は得意だが、きちんとした政策論がないまま人気取りで改革を進めた。例えば、公共事業にしても骨太の方針でいきなり公共事業不要論に持って行った。

 その結果本来必要な事業まで要らないと印象付けられ、日本の公共事業、インフラは世界的に見ても遅れてしまった。

  最近になって、国土強靭化で再びインフラ強化に取り組んでいるが、まだ遅れを取り戻せていない。小泉さんの改革はあくまで権力闘争の道具で、経世会を弱体化させ、清和会を強くする発想でしかなかった」                 続く

 

 

 

 

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安倍派の旧統一教会汚染 四

安倍派の旧統一教会汚染

 四

改めて古屋氏に聞いた。

「選挙のお手伝いは記憶していますが、セミナー、集会の方の記憶はない。

しかし、当時取材に答えているという事は、記憶がないとはいえ、事実でしょう。その後は協力などは受けておりません」

  元建設官僚で自民党参院幹事長を務めた脇雅史・元参院議員が旧統一教会に頼る「議員心理」をこう語る。

[岸さん以来の清話会の主要メンバーが統一教会と親密だったのだから、清話会議員の面々が関係を結んでいくのは自然でしょう。

  親分から、統一教会関連の集会に『顔を出しておけ』と言われたら、子分が行かないわけにはいかない。特に比例代表の候補は『この団体の票を付けてやる』と言われることは多い。

  私は建設業界の支援を受けていたから「その票はいりません」と断ることができたが、いろんな分野の票を貰っている人は、統一教会の票を回すと言われたら『お願いします』となる」

  岸信介から始まった旧統一教会と安倍、岸家の絆は、晋太郎の代に派閥との組織的協力関係に発展した。

 清和会は晋太郎の死後2000年の森喜朗内閣誕生で福田赳夫内閣以来25年ぶりに政権を奪回。そして森首相の退陣後に登場した異色の総理、小泉純一郎・首相の時代に旧竹下派を追い落として最大派閥の座を奪う。

 この時期、旧統一教会は霊感商法などが批判を浴びて、活動は低調になっていたものの、実は小泉政権時代に、後の安倍政権下で旧統一教会が自民党の『有力支持基盤』として台頭していく土壌が作られたといえる。続く

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安倍派の統一教会汚染 三

安倍派の旧統一教会汚染    

傍流派閥だからこそ

敬称略

 安倍派の正式名称は「清和政策研究会」(略称・清和会)

安倍晋三の祖父岸信介・元首相が率いた岸派を源流として福田赳夫・元首相が創設し、安倍晋三の父晋太郎へと受け継がれた名門派閥だ。

 だが自民党の派閥の歴史では、池田勇人が創設した宏池会(岸田派)や田中角栄の流れをくむ旧経世会(茂木派・平成研)が保守本流と呼ばれるのに対し、清和会(安倍派)は、長い間傍流とされてきた。

 自民党と旧統一教会の関係は傍流派閥だった清和会が党内で力をつけるために結びつきを強めてきた経緯がある。

 安倍家と旧統一教会との接点は岸信介から始まるが派閥としての関係に広げたのは自民党幹事長や外相を務めた安倍晋太郎だった。安倍晋三の生い立ちと安倍家の政治的系譜を描いた『安倍晋三沈黙の仮面』(小学館)の著者で政治ジャーナリストの野上忠興が語る。

『晋太郎はポスト中曽根の総裁選で当時の最大派閥経世会を率いて居たライバルの竹下 登に敗れた。それからは『総理になるにはやはり数だ』と口癖のように語り、派閥拡大のために新人発掘と選挙応援に力を入れた。

 しかし当時は、自民党の主要な支持基盤である建設業界票や郵政票、農業票は経世会ががっちり握り財界の名門企業は、伝統的に宏池会(当時は宮沢派)支持だったから、傍流の清和会は支持基盤が少なかった。

 そうした中で子分を増やすためには無理な票集めが必要になり、岸信介以来の関係があった旧統一教会の政治団体、国際勝共連合の集票力を大いに頼みにしなければならなかった。

 その支援もあって安倍晋太郎は90年の総選挙で派閥の新人を20人以上当選させて勢力を増やしたが、翌年、志半ばで病で亡くなった」この90年総選挙で初当選したのが安倍晋太郎の元秘書で安倍晋三の大学の先輩でもある古屋圭司・元拉致担当相だ。

 古屋はかつて旧統一教会との関係について故・安倍晋太郎の紹介でセミナー・集会に参加。初選挙時雑用係5人を受け入れた(週刊現代99年2月27日号)と説明している。                    続く

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仙台育英107年の悲願達成

仙台育英ついに悲願達成

  東北の高校球児がついに深紅の大優勝旗を手にした。昨日行われた第104回大会高校野球選手権大会の決勝戦は宮城の仙台育英が山口の下関国際高校を破り(8-1)初優勝した。

  1915年の第1回大会から107年後のことだ。総合力で勝ち取った栄冠だ。素直に喜びたい。

  第一回大会の決勝で秋田中学が京都2中に敗れて以降、東北の高校は夏9回、春3回の決勝に進んだものの、ことごとく厚い壁に阻まれてきた。

 ようやく仙台育英が白河越えの夢をかなえてくれた。

 全国から選手が集まり、練習環境も整い、今は東北地域も、他の地域に劣る要素がなく、これまで優勝できなかったことが不思議な気もするが、これからは仙台育英に続く東北地区の優勝チームも出てくるだろう。

  全国4500校を超えるチームが切磋琢磨して、よりよい高校野球の発展に取り組めれば幸いであるが、これから先の全選手の奮闘に期待したい。

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安倍派の旧統一教会汚染 二

岸田総理の手には負えない安倍派の旧統一教会汚染 

五輪汚職事件も!

森・小泉・安倍・・・歴代トップが築いた利権支配の闇が露わに

 

政治ジャーナリスト・。藤本順一氏が語る。

「安倍総理の死去の直後から萩生田光一、西村康稔の両氏と元安倍派の高市早苗氏が後継者に意欲を示して収拾がつかず安倍派は分裂の様相を見せていました。

 そこに元会長の森さんが間に割って入り、どうにか派内は結束を保った。森さんがいなければ、今頃、安倍派は崩壊していたかもしれません。

 先の組閣人事で岸田総理はそんな森さんの意向を無視できず、萩生田氏を政調会長に起用し、ライバルの西村氏をその後釜の経産省につけてバランスをとった。加えて政調会長でありながら岸田総理と対立してきた高市氏を入閣させたのも森さんの意向に沿ったものだと言われています。

 つまり森さんが健在であり、派閥をまとめている間は、最大派閥の安倍派は依然として力を持ち、岸田総理も言うことを聞かざるを得ない」

 岸田首相が旧統一教会排除内閣を作るには、同教団と最も結びつきが深い安倍派を政権中枢から遠ざける必要があったが最大派閥の軛(くびき)を絶つことができなかったのだ。

 ちなみに、旧統一教会との接点を認めた前述の安倍派新任大臣、岡田地方創生相は森氏の義甥(姪の婿)に当たる。

  森氏は改造人事について地元紙のインタビューに「私がお願いしたことは、その通りになった」と語りご満悦な様子だ。

  折しも、その森氏が会長を務めた東京五輪組織委員会を舞台に汚職事件が発覚、東京地検特捜部が組織委員会(清算法人)に強制捜査に入り、元理事を逮捕した。「五輪汚職」は政界に波及するという見方もある。

  自民党と旧統一教会問題とのつながりが安部政治の残した遺産なら、東京五輪も安部政権が招致し。森氏や橋本聖子氏という安倍派人脈が歴代の組織員会会長を務めた同派肝いりの国家プロジェクトだ。岸田政権は、内閣改造後も安倍派の負の遺産によって支持率が急落し窮地に立たされつつある。           続く

 

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