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小沢一郎・証言台に立つ・直近の心境③・④

小沢一郎・直近の心境・その三

 天命があるなら躊躇せずにやる。

 ・だけれども、「地元後援会の不満は高まっている。これ以上は待てない」という人が何人も出てきた。それで「そこまでの決意ならば仕方ないだろう」ということは言った。

 それと「あなた方と同じような気持の人が他にいるならば、それは誘ってもいいよ」ともね。

でも具体的に誰が何人でどうするかという話には、僕が最初からかかわったわけではありません。

 ――離党議員たちが作った新党に対してはどういうスタンスで臨みますか。

 ◎・「国民との約束は守らなければならない。政策を転換すべきだ」という主張と目的は一緒なのだから、その意味で理解はできます。ただ僕はまだ民主党員ですからね。

 まあ、党員資格を停止されているから、どうでもいいとは思うんだけれども(笑い)、まだ党内にいるから、いろんな注文は付けます。野田首相にはぜひ政治姿勢を転換してほしいと思っています。

 もちろん、僕が離党した彼らと同じように、「野田政権は民主党政権とは言えない。野田政権を信任しない」という結論に至ったら、それは別ですけれども、いまは未だ党内での意見表明にとどまっている訳だから、彼らとは違います。

 彼らはもう別の政党になったから、野田政権とは徹底的に対決するでしょうね。

 ――小沢さんの裁判は4月に判決が出る予定です。そのころの政治状況は、今以上に大変なことになっていると予測されます。野田政権は消費増税法案を出すでしょうし、ねじれ国会の中、予算関連法案は成立していないでしょう。政治がものすごく動く時期になりますね。

 ◎・そう思います。それと、やはり問題は「不景気」ですよ。このユーロ危機は収まらない。ユーロがいつ破綻を迎えるか分からないけれど、今年中にかなりのところまで行っちゃうんじゃないかと思う。

 大銀行が倒れるとか、国債の債務不履行(デフォルト)が何カ国かで起きるとか、そうしたらもう世界恐慌になってしまう。

 マヤ文明の暦では、2012年に世界が終ることになっているらしいけれど、古代の人の方がよくわかっていたんだね(笑い)。

 今年は機を同じくして世界の主な指導者が変わる年だし・・・。

 ――みんな能天気だけれど日本も深刻な事態になりますよ。

政治も経済もです。日本は特に中国と朝鮮半島が背後にあるから、外交上の危機が欧米以上に深刻になる。

 国外がゴチャゴチャになったら、どうするんだということです。消費税なんかやってる場合じゃないですよ。

 ――中国問題は深刻ですか。

 ◎・むしろ、一番危ないのが中国です。僕は中国の要人にも面と向かって言ってるんだけれど、共産党政権は絶対に持たない。

 よく言われるように、日本にとっては、統一中国がこのまま強大化するのも脅威だけれど、分裂中国になるのも脅威です。

各軍管区が全部核兵器を持っているんだからね。それで群雄割拠になったら大変ですよ。

経済的に破たんしたら中国は崩壊してしまう。だから今中国、共産党政府はバブルがはじけないよう必死に対処している。

 でも大変だと思います。重要なのは日本がそれにどう対応するかということです。  続く

 

小沢一郎・今の心境その四

総選挙は年内に必ずある

 ◎・ベストのシナリオは、中国の民主化ですが、日米英が協力して何とか中国の動乱をソフトランディングさせないと、とんでもないことになります。まあ、日本自体がソフトランディングできるかどうかも分からなくなっちゃっているけれどね(笑い)

 ――9月には民主党代表選があります。内憂外患が深刻化する中で、小沢さんは首相になる覚悟はありますか。

 ◎・僕自身は裁判が終わるまでは、それにきちんと対応していく、としか言えません。しかし、もし天命があれば、代表だろうとなんだろうとポストには関係なく、自分自身が果たすべき役割は躊躇せずにやります。

 ――小沢さんは、元日に自宅で開いてきた恒例の新年会を、

今年はやめました。

 ◎・一つには大震災がありましたからね。僕の地元・岩手も被災県です。それに、今年は衆院解散・総選挙も考えられるので、正月はみんな地元で頑張れということですよ。

 ――やはり年内に総選挙はありますか。

 ◎・あるね!!(強い口調で)

 ――ズバリ、いつですか。

 ◎・いや、いつかは分からない。でもこのまま政局が無事に済むとは思えないでしょ。野田さんは消費増税に固執しているけれど、このまま突き進めば、国会議員の間でも、国民の間でも、反政府のリアクションは非常に大きくなると思う。

 まともなことは何もしないくせに、増税ばかりするのか、と思われてしまう。民主党党の議員たちはみんな地元の後援会で怒られて帰ってくるのだから、とてもじゃないけど大変ですよ。

 ――野田政権に対しては、早くも「3月危機」を指摘する声が出ています。

 ◎・うん。もし野田政権が消費増税などを非常に軽く考えているとしたら、それは大きな過ちだと思います。野田政権は消費税の増税だけでなく所得税の増税もやります。

 TPPへの参加もやります、年金の保険料値上げと支給開始年齢の引き上げもやります、とぶち上げた。しかも、いとも気楽にしゃべっている。そこがちょっと理解に苦しむのです。

 総選挙の後は強い政権づくり

 その中の一つだけでも、本当にやりたいのであれば、「自分の政治生命が絶たれてもいいからやらせてほしい」、という姿勢

を見せないといけない。

 このままでは、野田政権は行き詰る可能性があると思います。

もっと深刻に、真剣に考えて取り組まないといけない。

 ――その場合判決前でも小沢さんが動くことはあり得ますか。

 ◎・僕は国会議員だから、裁判中だろうが何だろうが、国会議員としてやるべきことはやります。

――年内に総選挙があるとすれば、その後の政権の形はどうなりますか。

 わからない。まるっきりわからない。まるっきりわからないけれど、国内には震災復興の問題と原発事故による放射能問題があり、国外からは世界不況の足音が聞こえてくる。

 となると、それを乗りきることができる、よほど強固な政権を作らないといけません。そのためにはどうしたらいいか。 続く

 

 

 

 

 

 

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小沢一郎・証言台に立つ直近の心境②

小沢一郎、証言台へ・直近の心境その二

2012年1月16日投稿 

検察のやり方に問題があった(前田元検事)。

 ――別の日の証人尋問には出廷した前田恒彦・元大阪地検特捜部検事は「検察のやり方に問題があった」と言い切っています。

 ◎・前田元検事は、検事たちは、事件が無理筋だとわかっていて,「現場は厭戦ムードだった」と言っていました。検察幹部がメンツにこだわり、意地になってやったんでしょう。まあ僕は相当憎まれているんだな、と思いますね(笑い)。

 僕は政権交代のスケープゴート

 ――小沢さんは政治の師である田中角栄元首相のロッキード事件の裁判をすべて傍聴しましたが、今の自分に置き換えて考えることはありますか。

 ◎・先ほどの「国家権力の乱用」という意味では、ロッキード事件の時は、もうすこし官邸が積極的だったかも知れません。

 僕の場合は当時の麻生太郎首相や、内閣が直接何かをしたとは思わないけれど、漆間 巌(うるま・いわお)官房副長官が記者とのオフレコ懇談で「自民党議員には捜査は及ばないだろう」と発言したことがある。

 少なくとも、時の内閣が、そういう強力な権力の行使,乱用を容認したという雰囲気はありますね。だから僕は政権交代の生け贄(にえ)(スケープゴート)にされたという面があるかもしれません。

 ――・あの事件がなければ、小沢さんが民主党代表のまま総選挙に臨み、首相になっていた可能性は高かったでしょう。今の民主党政権の混乱ぶりを見て「こんなはずじゃなかった」という思いはありませんか。

 ◎・まあね。僕もちょっと、そういう思いを持っています。ただその前に政権交代について言えば、僕に対する強制捜査などがあったにも関わらず、国民の皆さんはよく冷静に見てくれたと思います。

 普通党首があんな風になったら、政権交代は遠のきますよね。それにもかかわらず、2009年8月の総選挙で民主党は圧勝した。

 国民の無意識の中にも、アンシャンレジーム(旧体制)に対して、「おかしいぞ」という思いが有って、ここで変えなくちゃいけないと判断したんだと思います。

 もっとも、実際に政権交代をしてみたら、こんな状態ですからね。僕もちょっと・・・(苦笑)

 ――・国の一大事だというのに民主党は崩壊寸前です。昨年末野田佳彦首相が突き進む消費増税路線などに反発して11人の議員が離党しました。離党議員の多くは小沢さんを支持していますが、彼らから事前に相談があったのですか。

 ◎・もうずっと前から来ていました。

いろんな人が「もう民主党は嫌だ」とね。

 ――どんなアドバイスを?

 ◎・「君らと思いは同じだよ」とは言いました。彼らが言うには、「民主党は国民に嘘をついている。政権交代をしたらやると言っていたことを、すべて忘れてしまっている。それで官僚の言いなりだ。こんなはずじゃなかった。これは本当の民主党政権じゃない」と。

 その認識と気持ちは僕も共有しているけれども、では、今、どうすれば政策を転換できるのか。それを考えないといけない。

 ただ、ワーワーと、外で叫んだって、結果は出せません。政治家はやはり結果を出さなければならない。

 そういうことで、「もう少しみんなで考え、状況をみたらどうだ。やる時は僕も一緒にやるから、今は冷静に」と収めてきたわけです。  続く

 

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小沢一郎の

 

袴田事件への思い

 130回

 ◎1966=昭和41年6月静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で味噌製造会社専務の自宅が放火され、焼け跡から一家4人の他殺死体が発見されるという事件が発生した。

 静岡県警清水署は同年8月味噌製造会社の従業員で、元プロボクサーの袴田巌当時30歳を強盗殺人・放火・窃盗の容疑で逮捕した。逮捕後、袴田は犯行を頑強に否認していたが、拘留期限の3日前になって自白に転じ、同年9月、静岡地裁が起訴した。

 しかし同11月に静岡地裁で行われた初公判で、袴田再び起訴事実を全面否認し、以降は一貫して無実を主張している。

 だが1968=昭和43年9月、静岡地裁は袴田に対し死刑判決を言い渡し、東京高裁への控訴、最高裁への上告も棄却され、1980=昭和55年12月、一審の死刑判決が確定した。

 弁護側は冤罪を訴えて、1981=昭和56年4月再審請求を行ったが、静岡地裁、東京高裁、最高裁とも棄却(2008=平成20年3月)このため弁護人側が08年4月、2度目の再審請求を行い、その審理は現在も静岡地裁で続いている。

 袴田は逮捕以降、40年以上にわたって拘禁され(現在も東京拘置所に拘留中)、死刑判決確定後は精神に異常をきたし、親族や弁護団との面会にも応じない期間が長く続いたという。

 現在は面会にも応じるものの、長期にわたる拘禁の影響で再審を求める弁護人らとの意思疎通に障害が生じたため、09年3月からは袴田の姉が「保佐人」(民法の成年後見制度に基づき、精神障害等により、判断能力が著しく不十分な人を助ける者)となっている。◎

 昔から、この「袴田事件」についてはずっと引っかかるもんがあったんだ。俺の地元の静岡で起こった事件だし、

 事件自体も凄惨なもんだったし。事件当時、俺は23歳かそこいらだったけど、あまりにえげつない事件だったから、よく覚えてるよ。

 おまけに犯人だって捕まった袴田さんが、一審からずっと「冤罪だ」と訴えているのに、40年以上たった今もまだ獄中にいるわけだし、最近でも「足利事件」とか「布川事件」とか社会の注目を集めた事件はあるけど、この二つの事件の被告は。無期懲役の判決を受けたものの、釈放や仮出所で社会に戻ってこられた。

 けれど袴田さんの場合は「名張毒ぶどう酒事件」とおなじように死刑判決が確定していて、なついまだに獄中にいるんだ。  続く

 

 

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袴田事件への思い

袴田事件への思い

 130回

 ◎1966=昭和41年6月静岡県清水市(現在の静岡市清水区)で味噌製造会社専務の自宅が放火され、焼け跡から一家4人の他殺死体が発見されるという事件が発生した。

 静岡県警清水署は同年8月味噌製造会社の従業員で、元プロボクサーの袴田巌当時30歳を強盗殺人・放火・窃盗の容疑で逮捕した。逮捕後、袴田は犯行を頑強に否認していたが、拘留期限の3日前になって自白に転じ、同年9月、静岡地裁が起訴した。

 しかし同11月に静岡地裁で行われた初公判で、袴田再び起訴事実を全面否認し、以降は一貫して無実を主張している。

 だが1968=昭和43年9月、静岡地裁は袴田に対し死刑判決を言い渡し、東京高裁への控訴、最高裁への上告も棄却され、1980=昭和55年12月、一審の死刑判決が確定した。

 弁護側は冤罪を訴えて、1981=昭和56年4月再審請求を行ったが、静岡地裁、東京高裁、最高裁とも棄却(2008=平成20年3月)このため弁護人側が08年4月、2度目の再審請求を行い、その審理は現在も静岡地裁で続いている。

 袴田は逮捕以降、40年以上にわたって拘禁され(現在も東京拘置所に拘留中)、死刑判決確定後は精神に異常をきたし、親族や弁護団との面会にも応じない期間が長く続いたという。

 現在は面会にも応じるものの、長期にわたる拘禁の影響で再審を求める弁護人らとの意思疎通に障害が生じたため、09年3月からは袴田の姉が「保佐人」(民法の成年後見制度に基づき、精神障害等により、判断能力が著しく不十分な人を助ける者)となっている。◎

 昔から、この「袴田事件」についてはずっと引っかかるもんがあったんだ。俺の地元の静岡で起こった事件だし、

 事件自体も凄惨なもんだったし。事件当時、俺は23歳かそこいらだったけど、あまりにえげつない事件だったから、よく覚えてるよ。

 おまけに犯人だって捕まった袴田さんが、一審からずっと「冤罪だ」と訴えているのに、40年以上たった今もまだ獄中にいるわけだし、最近でも「足利事件」とか「布

川事件」とか社会の注目を集めた事件はあるけど、この二つの事件の被告は。無期懲役の判決を受けたものの、釈放や仮出所で社会に戻ってこられた。

 けれど袴田さんの場合は「名張毒ぶどう酒事件」とおなじように死刑判決が確定していて、なおかついまだに獄中にいるんだ。  続く

 

 

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小沢一郎・証言台に立つ直近の心境

よろず世の中71

 小沢一郎:証言台へ直近の心境

 週刊朝日インタビュー

2012年1月15日投稿

 民主党が変わらなければ私が動く。

 

――・陸山会裁判で小沢さん自身の被告人質問があります。証言台に立つ心境はどうですか

 ◎小沢・僕自身は、被告人質問自体、別に何ということもないんだけれども、国民の皆さんには、この事件の本質をきちっと見極めて欲しいと思います。この事件では、政治資金収支報告書の虚偽記載容疑で東京地検特捜部の強制捜査を受け、僕の秘書だった3人が逮捕起訴されました。

 僕は不起訴になったけれども、その後検察審査会によって強制起訴されました。この一連の動きが、どういう形で、何を根拠に進められたかということを、ぜひ思い起こしていただきたいんです。

 ――・一連の事件の発端となった西松建設事件では、西松建設からの違法献金疑惑で、大久保隆規・元公設第一秘書が2009年3月、特捜部に逮捕されました。

 ◎・当時は総選挙が間近でしかも「政権交代」の可能性が高いと言われていました。その野党第一党の党首だった僕に対して、具体的な証拠が何もないにもかかわらず、検察が突然、強制捜査に踏み切った。

 そんなことはおよそ文明国、民主主義国、或いは法治国家といわれる国ではありえない。これは民主主義に対する挑戦であり、

主権者国民に対する冒涜だと僕は思っている。

 きちんと証拠を積み重ねた上での判断ならば、総選挙に近い時期でも仕方ない面があるけれど、単に「あいつはけしからん。まあやってみよう」という、いわば「見込み捜査」だった。

 政治的な意図なのか、官僚組織の意図なのかは分からないけれど、そういう意図の上での動きだったのではないかと思います。

 こんなことが許されていたら、日本には民主主義はいつまでたっても定着しません。国民の皆さんには、僕のことに限らず、民主主義における「国家権力の乱用」という問題を真剣に考えていただきたい。

 そして特に国会議員には、もうすこし真剣に考えてもらいたいと思っている

 こんなことがまかり通っていたら、明日は我が身ですよ。権力を行使する官憲にニラまれたら、すべての政治家は政治生命を断たれてしまう。

 ――昨年12月にあった元東京地検特捜部の田代政弘検事の証人尋問では、検察の「捜査報告書」に虚偽の内容を書いていた事実が判明しました。これは小沢さんの強制起訴の根拠を根底からくつがえす話です。

 ◎・捏造(ねつぞう)ですから、ひどすぎる。その捏造された捜査報告書をもとに、検察審査会が審査して「起訴相当」と議決したわけですからね。

 言っていないことを捏造して書いたということだから、これはもう公文書偽造、立派な犯罪ですよ。

ちょっと驚くべきことです。   続く

 

 

 

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最澄の教え③

最澄の教え③

129回

後藤は得度式の後、関係者に出したあいさつ状の中で、得度に至った心境をこう綴っている。

 「私 俗名後藤忠政儀 平成21年4月8日潅仏会を期とし 天台宗無常山浄発願寺にて忠叡の法名を授かり,得度致しましたことを先ず以てご報告申し上げます 

 顧みますれば 人生の過半を悠に越す六十有余年を俗世に在って 時には暴虎馮河と揶揄されながらも

己が道を信じ いかなる困難をも排除し 一心不乱に邁進して参り 悔いなき人生を送ることが出来たと私なりに達成感すらも感じておりました

 ふと立ち止まり己が人生を振り返り 俗世で求め続けた道心に対する疑問を解かんと自問致しました

 その折 天命の如く目にした 最澄伝教大師のお説きになった 六条式に接し まさに目を覚まし 残された人生は末法濁世に 照字一隅を胸中に秘し

 人々と共に己が人生を全うせんと決意し 在家として新たなる一歩を踏み出すに至りました(中略)

 新しき人生は在家として世の一木として大地に根を張り雄々しく天を目指したき忠叡の立姿を御覧頂きたく

 日々精進修行に専心する覚悟でございます(中略)

 平成21年4月8日

後藤忠叡

 天台宗の開祖である最澄さんという偉い人の教えに

「一隅を照らす これ国宝なり」というのがあるんだ。

別に難しいことじゃない。

 「まず自分自身が輝き、その光で周囲も照らす」ということだ。

 俺にとっちゃあ、たとえばおじいちゃん、おばあちゃんが道に座り込んでいたら「大丈夫かい?」って声をかけることが「一隅を照らす」だ。

 だからこれからはこの教え、いや得度した俺にとっちゃあ、新しい人生において守るべき「掟だな」、この掟に従って生きていこうと思ってるんだ。

 かと云って、家ん中で毎日、朝から晩まで念仏ばかり唱えてても、新しい人生は始まらんもんでな。これからはいろいろ面白いことを仕掛けていこうと思ってるよ。

 その一つが袴田事件の映画だ。 続く

 

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野中広務のこころ(2-2)

野中広務のこころ(2-2)

 2010年5月4日投稿

野中が複数の政治評論家に持って行った官房機密費のカネを後で返して寄越したのは田原総一朗ひとりだけだったという。

 従来テレビに出て民主党の悪口を言い続けてきた政治評論家、テレビコメンター、御用学者、タレントで、今後もテレビに出続けるであろう彼らに疑いの目が向けられて行く。

 ◎ 民主党は官房機密費の使い道を自民党政権時代の過去にさかのぼって公表すべきであるし、今後の使い道も明確にすべきである。

 ◎ 但し、これまでの自民党政権においては、ほとんどがお手盛りの現金手当て、マスコミ対策に使われてきたイキサツが有るようで、本来は全面的に廃止されるべきものであろうと思う。

 ◎ 我々はテレビを見るたびにこれまで以上に『自民党からカネを貰って話している評論家、司会者、解説者、コメンテーター』達の見分けが付けやすくなって、この意味で野中の暴露はありがたい。

 ◎ 不思議な事にみのもんたを始め、金を受け取ったと思われる者達の顔が浮かんでくるが、彼らの人相はみんな悪い。

 ◎彼ら機密費を受け取った全員に『説明責任』を果たしてもらおう。全くもって悪質な行為だからである。

 官房機密費の怪しげでデタラメな使い道。それもこれも政権交代が有ったからこそ明るみにされた事であり、若しも自民党政権のままでは永久に隠されたままだったはずだ。

 これから先、テレビを見るたびに、『この評論家、解説者、コメンテーターは自民党から官房機密費という名のカネを貰っていたのかどうか』、という事について見分けが難しい視聴者のために、官房機密費を受け取ったテレビ関係者や全員の氏名を野中広務に是非とも発表して欲しい。

 特に、民主党の仙石由人、前原誠司,枝野幸男、らの反小沢,議員の集まりである稜雲会のメンバーにも渡っているのかに重大な関心がある。

 彼らの民主党内での言動は、まるで自民党の議員ではないのか?と思えるほどの『無定見さ』で小沢・民主党の足を引っ張っているからである。

 今まで持って行って返して寄越したのは田原総一朗只一人だったことは解った。一端受け取っていながら恐くなり、後で返したのだろう。

 野中広務『あの世でいい席に座る為にも』、すべて懺悔(ざんげ)してから逝って欲しいものだ。本当に国家・国民の事を思うなら、カネを渡した人物名をすべて公表すべきである。

 さすれば、『罪滅ぼしの功徳(くどく)』で多少なりとも寿命が延びるかも知れない。 ―おわり―

 

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一隅を照らす・これ国宝なりーー最澄の教え②

一隅を照らす。これ国宝なり――最澄の教え②

128回

けど住職は「私の命に懸けても正式な得度式をやらせて下さい」と言ってくれた。それで得度式の1週間ぐらい前に、二人でもう一度3時間ほどじっくり話し合って住職は念書を入れてくれたんだ。

 天台宗から得度式の最終許可が下りたのは2009年4月3日だった。得度式はお釈迦様の生まれた4月8日にやろうと言うことになっていたから、5日前のギリギリになってようやく話がまとまったと言うことだ。立ち合いは住職の兄坊が引き受けてくれた。お坊さんの兄弟分の契りというのも凄いな。極道の兄弟分とおなじくらい、固い絆で結ばれているんだ。

 それで兄坊のお坊さんは、住職にこう言ったそうだ「お前が命がけで受けたことなら、私は立ち会う。それで万が一、お前が住職を辞めることになったら、私も一緒に辞めるから」って。この兄坊のお坊さんの生きざまには感服すると同時に、本当にありがたかったよ。

 ◎そして2009年4月8日、釈迦の生誕日を祝う「潅仏会=かんぶつえ」に、前述の「無常山浄発願寺」(塚越慈徳住職)でごとの得度式が行われた。

 当日は新聞やテレビなどマスコミ各社の記者だけでなく、地元の神奈川県警や警視庁、静岡県警の捜査員らも視察に訪れ、遠巻きに見守った。◎

 マスコミやお巡りさんがたくさん見に来てくれたことは知ってるよ。ご苦労さんなことだと思ったよ。けど俺はその前には一切、姿を現さなかった。

 別に「このたび私、皆様のおかげで、得度することに相成りました」とあいさつする必要もないもんで。ちょうど寺の横に川が流れててさ、うまい具合に仕切ってくれたんだ。

 だからマスコミの皆さんや、おまわりさんたちには、向こう岸で参列していただいた。

 得度式に出席したのは親族や、俺がごく親しくしている堅気の人たちばかり、四、五十人だ。住職は事前に、立ち会ってくれた兄坊からこう言われてたからね。

 「車で寺へ来た時に、現役のヤクザとか、誰が見てもそうだとわかるような人が一杯いたら、Uターンして自分の寺に帰るからな」って。

 それで得度式は無事終わったんだが、結局僧籍は取らなかった。

俺はこの住職の弟子になったことで充分だから。

ただし、法名は授かった。忠叡(ちゅうえい)というんだ。

 この日を境に俺の中で本名は「後藤忠叡」となり、

「後藤忠政」は俗名となった。 続く

 

 

 

 

 

 

 

 

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野中広務のこころ

野中広務のこころ(2-1)5・4

 

2010年5月4日

 小渕恵三内閣で官房長官を務めた自民党の野中広務元幹事長が先のテレビで発言した事と同様に、4月30日に共同通信の取材に答え、自分の長官在任中に『一ヶ月当たり多い時で7000万円、少なくても5000万円位使っていた』と話した。

 これまで不正な使い道があるだろうと多くの国民に感づかれていても、秘密にされ、全くフタをされ続け、闇の中だった自民党内閣の官房機密費の一部使い道について、小渕恵三内閣時の官房長官野中広務〔84歳〕が、自ら在任中の官房機密費について、一部テレビと新聞で改めて公言した事に成る。

 今ここで野中広務が機密費の使い道を公表するのは何故なのか非常に疑問を覚える。『自分自身の年々弱っていく体力と生命力を感じ取って』、懺悔(ざんげ)的に話そうとしたものか?イヤ、そうでは有るまい。何らかの意図があってのことで、それが一体何かを考えてみる。

 彼は全国土地改良事業団体連合会の会長をしている。この団体は過去農協組織と並んで農家の自民党への集票マシーンとなってきた。

 先の政権交代で、民主党の小沢幹事長に陳情窓口が一本化され、この団体は今年度4000億円の土地改良予算を全面カットされ、スワ!大変と会長の野中は小沢に陳情すべく会いに行ったが小沢は野中と会わず、代わりに民主党の副幹事長が野中と対応した。

 ついこの間まで、自民党の実力者として君臨した立場の野中広務には腸(はらわた)が煮えくり返るほどの思いがあっただろうが、これが政権を取った側と取られた側の立場の差であり、これまで繰り返されてきた世界の政権交代の歴史でもある。

 野中は権力の移動というのはこんなものだと察知観念し小沢・民主党に頭を下げ、土地改良事業団体の為に要求の半分ながらも2000億円の予算を獲得したのは間違いない。

 さて野中が官房機密費を公言するに至った理由は何か?

 (一)                年間14億6000万円の内閣官房機密費を、今後民主党に思うように使わせないために、嫌がらせに敢(あ)えて自分のしてきた事を公言した。(反民主党の立場)

 (二)                たとえ半分でも2000億円の予算をつけてもらった以上、小沢民主党との関係修復のため、自民党に不利でも自分のして来たことを公言した。(親民主党の立場)

 これまで自民党や野中長官から政治評論家・テレビコメンター・や『みのもんた』などに官房機密費が届けられ、民主党タタキや小沢タタキに使用されてきた事がハッキリした。〔2―2〕へ続く

 

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一隅を照らす・これ国宝なりーー最澄の教え

一隅を照らす これ国宝なり――最澄の教え

127回

そんなわけで、俺たち二人の間では、俺が得度をするという話はすんなり決まったんだけど、問題はそこから先だった。住職の寺は、神奈川にある天台宗の「無常山浄発願寺」というんだが、天台宗の得度というのは、本来高僧の立ち会いの下でやるんだよ。悌髪して、法名(僧侶としての名前)をもらって、僧籍に入ることになる。

 けれども案の定、俺に得度を授けるか否かが天台宗の中で問題になった。まあ俺みたいな稼業についてたもんが、僧籍に入ろうとするんだから多少の議論にはなると思っていたけどね。それにしても、最初から俺の得度を認めてくれた坊さんは一人もいなかったと言うんだな。

 あの大きな天台宗の何千人もいるお坊さんの中でさ。

「悟りの世界は、すべての生きとし生けるものに平等に与えられている」という教えに基づいて、「多くの人々とともにその世界へ行こうと互いに努める」と謳っている天台宗が、だよ。たかがヤクザやってた男一人が得度

するっていうだけで、何をそんなに大騒ぎしなきゃならんのかと思ったよ。

 けれど住職はこのときこう言ってくれた。「もし後藤さんの得度が認められないのなら、私が住職を辞めます。

私は命をかけてやりますから」と。「住職の地位や寺の財産なんか惜しくないから」って。それで総本山(比叡山延暦寺)や周りの寺に随分掛け合ってくれたんだよ。

 そしたら天台宗の方は、住職に「それじゃあ一筆書いてくれ」と言ってきた。「もし後藤に何かあった場合は、私は天台宗をやめます」というような念書を入れろって言うんだ。馬鹿野郎、ふざけたこと言ってるんじゃねえぞと思ったよ。「何かあったら」ってどういうことだ?

 「何かある」って言うんなら、この世の中に生きてる人すべてに、ひょっとしたら明日にでも「何かある」んだよ。そういう衆生を救うことが「仏の道」ってもんじゃねえのか・・・そう思ったよ。

 「忘己利他の精神」(己を忘れて他を利する)とか立派なことを言ってる天台宗の坊さんも、所詮は保身しか考えてないのかよってな。

 どれだけ俺自身が総本山に掛け合ってやろうかと思ったけど、それじゃあかえって住職に迷惑掛けることになるから止めたんだ。その代わり俺は、僧籍なんか要らないと言った。住職に「そんな念書入れてまで、得度式をやる必要はないよ」と言ってな。

 そもそも俺は僧籍が欲しい訳じゃなかった。これまでの人生のけじめとして、得度したかっただけなんだ。だから俗世の得度ということで十分だし、天台宗の僧侶としてではなく、住職の弟子として仏門に入れば、それでよかったんだ。

 それにせっかくヤクザを辞めて、組織というものから自由になったのに、わざわざ僧籍とって、また坊さんの組織にはいることもないなと思ってさ。 続く

 

 

 

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