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二十五・あなたが生きてさえいれば・・・

 

二十五

あなたが生きているだけで・・・

 週末の日曜日東京・赤坂に出かけた。

九月の夕暮れだというのに少し歩くだけで汗が出てくる。

 ――この暑さは何だ?

気象予報で天気図を説明するが、要するに風が吹かないのである。

 風が吹かないから雨も降らない。

 “五風十雨”ごふう・じゅうう)の当たり前の気候が訪れないから、これほど暑い。稲田ではとうとう水を入れ始めた。

 そうしないと稲が全滅する。

“五風十雨”はわかりますね?わからないのか?

書けそうで書けない漢字などどうでもいいから、こういう基本の言葉を大人の男は学んでおかないと。

 これは農作業に適した気候のことを表す言葉で、五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降ることで、これが普通の天候だという意味だ。

 この天候の順調さを喩(たと)えに、今天下は太平に治まっている、の意味となり、細かいことに憂いを持たず、悠々と生きればいい、との教えになっている。

 銀座以外の街は久しぶりだ。しばらく足を踏み入れてないと街は変わってしまう。

 赤坂も路地はあちこちにあったのだが、それが消えて大きなビルを中心に、一昔前、アメリカの小都市で見かけた新開発地区みたいになっている。

 この一帯は五十年後にはどうなっているのか?想像するといささか怖い。木造なり、モルタルなり、家主一人の力で建物の様相を変えられるうちは街全体の姿は保つことが出来るが、高層ビルは古くなるとどうしようもないのではないか。

 六本木も同じである。

 汗をかきながら、小屋に入る列に並んだ。

チケットを切ってもらい、席についた。

立川談志を久しぶりに見に行った。

 会場は満杯だ。皆談志のファンである。

 声は少ししわがれていたが、前半の冗句連発の話も面白いし、後半の落語も良し。

 病み上がりでこれだけならと安心、客は皆、師匠の元気な姿を見ることができただけで嬉しそうだった。

 ――生きている談志がそこにいる。それでいいのだ。

いい連中もまだ日本にいる。    二十六へ

 

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二十四・大人はなぜ酒を飲むのか2-2

二十四

大人はなぜ酒を飲むのか

2―2

 よろよろと起き出し、バスルームに行くと左の顔半分がお多福さんみたいに腫れ上がっていた。

『今夜はお酒はいけませんよ』

 ――そうかこういう意味だったのか。二日酔いになることは近頃ほとんどなかった。

 忙しいせいもあるが、酒量が減ったというか、少量で酔うからだ。

 それにはしご酒をやめた。はしご酒をやめたことは体にいいのかも知れないが、同時に少し太ってきた。はしご酒をしているときは一晩に何軒も飲み歩いて結構運動になっていた。自慢じゃないが、銀座の路地はすべて知っている。

 私が犬なら銀座のすべてにマーキングをしたことになる。

 それにしてもつい十年前までよくあれだけ毎晩飲めためたと思う、毎晩銀座に出て、日付が変わって、

赤坂、六本木に繰り出し、夜が明けたころ、渋谷、青山の店を出て家路についた。

 青山通りを店のマスターと二人で手をつないで歩いていたら、登校の中学生から、あっオカマだ!と大声で言われた。

 公園のベンチでも、ビルとビルの間でもよく寝た。墓所で寝ていて坊さんに起こされたこともあった。

 酔っ払って歩いていて、地下鉄の工事を覗きたく成り、寝そべって覗きこんでいたら,そのまま真っ逆さまに砂利の上に落ちたこともあった。

 ――よく生きてたな・・・・。

昔の酒のことを思い出すとこれが実感である。もう一つの実感は、

 ――よくあれだけ飲む時間と金があったものだ・・・である。

 時間はこしらえていたのだろう。

金はどうしてたのだろう。何とか払ったことの証拠に、この年まで働いて私の貯金はいまだにゼロである。

 ゼロじゃないか。借金があるか。金の話はいい。品がなくなる。

 こうして生きていられるんだから。

 私は若い人に無理に酒を飲みなさいとは言わない。体質もあるだろう。

 自分が二日酔いで苦しんでいるときなど、酒のない国に生まれればよかった、と思うこともあるくらいだ。

 上司や恩師仲間と過ごすのに酒が話の潤滑油になることも本当だろう。

 しかしそんなことではない。私が酒を覚えていたことで一番助かったのは、どうしようもない辛苦を味わわなくてはならなかったとき、酒で救われたことだ。

 眠れない夜もどうにか横になれた。どんな生き方をしても人間には必ず苦節が一,二度向こうからやってくる。それがないのは人生ではない。

 人間は、強くて。弱い生き物だ。そんなとき、酒は友となる。二十五へ

 

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二十三・大人はなぜ酒を飲むのか2-1

二十三

 大人はなぜ酒を飲むのか

2-1.

 ひどい二日酔いである。目覚めると靴を片方履いて床に寝ていた。もちろんズボンのままだ(そりゃ、そうだ。全裸で靴を履いていたら問題だろう。この恰好で深夜どこかをうろついてたんじゃなかろうかと想像しただけで怖い)。

 昨夕、N君に原稿の締め切りの件で電話を入れると、声の向こうで妙な音がした。

「どこにいるの?」

「地下鉄の駅のプラットホームです」

 「あっ悪かった。帰りですか?」

 「いや、これから少し飲みに行こうと思っているんですが、六本木に行こうか、銀座に行こうかって考えてたところです」

 「一人かね?」

「はい」 

「飯なら付き合えるが、酒はダメなんだ」

「禁酒ですか?」

 「まさか。昼間、歯医者に行ったら、麻酔をかけられて口の中をガンガンやられた。今夜は酒は止めてくれと言われた、とにかく焼き鳥屋で会いますか」

 「わかりました」

銀座のT政に行き、待ってる間も水を飲んでいた。

 N君が来て、ビール一杯くらいはいいだろうと乾杯した。

 N君が私の新刊を誉める始めた(後から考えるとこれが罠だったようにおもう)。

 たちまちビールは二、三本。ウイスキーのハイボールからロックに。

 二人して店を出た。

――少し飲みすぎたか・・・・

 歯医者の若先生の顔が浮かんだ。

『いいですか。酒はいけませんよ』

 「じゃここで。N君 ・・、どこへ行くんだ?」

「銀座にします、少し世話になった女性が銀座に移ったんですよ。まだ数日目で客も付いてないだろうから顔を出してやろうと」

「イイネ。一人で?知った店?」

「ええ一人で、店は初店ですが」

「大丈夫か、知らない店に一人で」

「大丈夫でしょう」(これも罠だったか)

「でしょう?、いやそれはイカン、銀座なら私がついて行こう」

「でも禁酒でしょう?」

「酒を飲まなきゃいい」

「そうですね。でもできるんですか?」

「意志は堅い方だ」

「そうでしたか・・・」

 気がついた時は向かいの席で飲んでいた“日馬富士”に相撲を取ろう

と言いに行く、という私が店の人に抑えられていた。

 次は部屋の天井が回っていた。

懲りないと言うか、まったく・・・・   二十四へ

 

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二十二・敗れて学ぶこともある2-2

二十二

 敗れて学ぶこともある

2-2

 ひそかに期待していたら、新聞のスポーツ欄の小さな試合結果を見ると着実に勝ち進んでいた。そうして決勝まで来た。

1分ごとに変わる試合経過を見ていた。1回裏に先制点、5回に追加点で2対0で5回を終えた。

 しかし6回表に2点入れられ同点。9回裏のチャンスを逃し延長戦になった。

 10回表に1点を取られ、その裏ランナー2塁で打者の打ったライナーが野手の正面をつきゲームセット。

 残念だがよくやった。選手と監督、マネージャー、お疲れさん。

 ☆

 四十数年前の夏、私も山口地方大会のグランドにいた。前年の秋季大会の決勝リーグに進出し、早鞆(はやとも)高校に1対0で敗れた。甲子園に手が届くところだった。

 ――懐かしいナ・・・。それにしても1年で休みが正月の元旦の1日しかなくとも辛いと思わなかったし、真夏のグラウンドで10時間近く練習しても平気だったのだから驚く。

 しかも水を1滴も飲まして貰えなかった。これが体に悪いとは、あの頃の指導者が誰一人知らなかったのだ。

ぶたれるワ、尻をバットで叩かれるワ、あれは一体何だったのだろうか。今思えば笑い話だが当人は真剣だった。

一度練習中に捕手が二塁に投げたボールが投手の隣に立っていた監督の頭に直撃しもんどり打って倒れたことがあった。

 選手が慌ててマウンドに集まり、気絶している監督の顔を覗(のぞ)き込んだ。

 「死んどるんと違うかのう」

「なら嬉しいが、息はしとる」

「すぐに救急車を呼ばんといかんぞ」

「少し待て、せっかくだから、休んでもらおう、わしらも休憩できるんじゃから」

 程なく監督は目を覚ました。

 「大丈夫ですか監督さん」

「休憩できると言うたのは誰じゃ!」

それから全員でグラウンドを何十周も走らされた。

 ――あのまま起きなきゃよかったナ。

そう言いながらグラウンドを走っていたのだから甲子園に行けるわけはなかった。

 甲子園大会の優勝は1校である。後の全チーム、選手は敗者である。

 スポーツは敗れることで学ぶことが勝者の何倍もある。 

 だが勝った方が嬉しい。  二十三へ

 

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よろず世の中141・原発のゴミ何でも受け入れます!

よろず世の中141

原発のゴミ・何でも受け入れます

頭のイカレタ恐ろしい連中

鹿児島県、南大隅町の森田俊彦町長(53)は先週4月14日に原発反対派の山本太郎さんが応援した対立候補の肥後隆志氏(61)を破り、選挙期間中、自分も原発反対者だとうそぶいて町民を騙し、2期目の当選を果たした。

 この町長はとんだ食わせ者で、4年前の初当選直後、民間人の男Xに「期限なしの委任状」を渡していたという。

その内容は、「原子力発電所から出るあらゆる汚染物質の最終処分場を南大隅町に誘致する権限」というものだ。

――*森田俊彦(第二型絶対的短命運・発狂、神経衰弱。肺病、脳病など、長患、難治の病症を生じ、或いは自殺に至るなど短命の人生に終わる。万事破敗の運)*――

委任状を渡された男Xは元九州電力の社員だったという噂で、東京に会社があり、指宿に豪華な別荘を持ち、森田町長にはモーターボートやかなりの金銭が渡っているという。

また、東電勝俣会長や民主党の極悪人!仙谷由人元官房長官、細野豪志等イカレタ政治屋らとも付き合いが濃く、昨年6月29日、都内で仙谷由人や、環境相の細野豪志、東電勝俣会長、森田町長、Xで何度目かの会合を持ったのだそうだ。

原発反対派の小沢一郎氏を仙谷由人らが邪魔にしたいきさつもこれで尚更得心がいく。

毎日放送が25日「ニュース23」で取り上げたが、この問題は森田町長の汚職問題に発展の可能性もあり、悪党連中の仲間割れで毎日放送に委任状の実物が流れたのだろう。

国民が「目を覚ますチャンス」になるといいが・・・

 

 

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二十一・敗れて学こともある・2-1

二十一

 敗れて学ぶこともある。

2-1

 木桶、バケツをひっくり返したような雨というが、仙台でも、その日そんな雨がいきなり降りだした。

 数日前、庭の剪定に職人たちがやってきていたから雨は絶好の機会に降りだしたことになった。今年は紫陽花(あじさい)がよくないので、職人たちは諦めてくれと勢いよく次々に咲きかけの花を切り落としやがった。

 残ったのは木槿(むくげ)だけで、バケツ雨はその花が、たたき落とされるのでは、と思うほど強いものだった。点(つ)けていたテレビの画像が歪(いびつ)になるほどだったからあちこちが豪雨に見舞われていたのだろう。

 消音のまま点けっぱなしのテレビでは、高校野球の宮城大会の決勝戦を中継していた。何とも言いようのない試合だった。

 仙台育英高校対気仙沼向洋高校である。バケツ雨で試合は2度中断した。それは仕方ないとしても最終スコアーが、何と28対1である。ここまで点をとって勝つのは、まぎれもなく間違いである。

 シード校がこんな試合をして…。いやシード校だからこうなる。今のシード校の大半はスカウトされて越境入学してきた選手である。同県の対戦相手に幼馴染みはいない。いれば

 ――もう勝負は決した。あとは対戦チームにもいいゲームにして欲しい。と願うものだ。それが男のスポーツだ。

 それが分からないから今の若い野球選手はどうしようもない

「まあ伊集院さん、高校生ですから懸命にやった結果でしょう」確かに高校生は半人前だが、大人になる過程の半分は成長している。相手に温情を持つのはスポーツの基本だ。半人前でも基本は学んでいるはずだ。

 シード校の選手なら野手の正面に打ち返せるはずだ。

 翌日午後からインターネットの高校野球の速報を見ながら仕事を始めた。

 遠く西の山口大会で、私の母校の防府(ほうふ)高校が、決勝戦まで勝ち上がり、南陽工業高校と代表をかけて試合に挑んでいた。

 去年の秋季大会では山口県では優勝したが、中国大会の1回戦で敗れ、21世紀枠の候補9校に入ったが落選した。

 ――強いチームなのだ・・・・。二十二へ

 

 

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二十・”ゆとり”が大人をダメにする2-2

二十

 ゆとりが大人をダメにする

2-2

 子規がこしらえた年表,作者ごとの解説の冊子、原稿は枕元へ積めば天井に届くほどである。

 その年表、山と積まれた草稿も写真で見た。人間業とは思えない。子規は、文章作品を正確に読み解くことも、執筆するのも驚くほど速く、しかも丁寧だった。

 ――なぜ独力でこの量をなし得たか。

答えの一端を書くと、子規にその能力を与えた教育があった。

 子規6歳の折(明治5年)、父が酒の飲み過ぎで他界し、一家は若い妻と子規に3才の妹が残され、路頭に迷う。このとき、若い母八重は、息子の将来のためにしっかりした教育を受けさせることを決意する。幸い八重の父は旧松山藩で一、二と言われた儒学者だった。

 大原観山という。この父の下に息子を通わせる。子規は勿論、右も左も分からぬ、文章一つ読んだことのない少年である。

 母は朝4時半に息子を起こす、少年は訳が分からない。眠い。その少年の鼻先に母は少年の好物の饅頭やモチを掲げ、手を伸ばした子を少しずつ起こし、顔を洗わせ、薄暗い道を手習いのための机板を抱えさせ、家を出す。

 やがて塾が見えると、そこに門弟を数多(あまた)抱えた観山自らが夜明けの門前に立って孫を迎えた。

 授業は、素読である。漢籍、すなわち漢詩を祖父が読み、孫は文字を目で追い、耳に聞こえたとおり音読をする。内容は勿論、理解できるはずがない。

これを繰り返すと子規はほどなく孟子の詩を読めるようになった。天才か? 違う。

 誰だって子どもの時、素読を繰り返したら読めるようになるし、諳(そら)んじる子供も出る。子どもの能力というのはそういうものなのだ。

 観山が体調を崩したあとも彼はしかるべき門弟をつけて素読を続けさせる。

 実はこの時にできた素養こそが少年が成長した後、挑むべき仕事を見つけ出した時の最大の力となったのである。“ゆとり教育”では子規はうまれなかった。

この教育方針が学校を5日制にし、新学力観を提唱した。中曽根政権である。全く碌(ろく)なことをしていない上に“賢人会議”などと恥を知らぬ者たちの集まりだった。

 “鉄は熱いうちに打て”と先達は言った。

私は真実だと思う。人間の能力は磨く以前に打つことが大事だ。

 以前にも書いたが日本の調理人の味が落ちた。週休2日で修業の職人までが休み始めた。体得するまで何年もかかるものが、7日の間に2日も途切れては何も覚えられない。

 しかし、年季が来れば一人前と扱われ、当人までがそう思いこむ。客は客で、海外のタイヤ屋が選んだ味覚をもてはやし、料理評論家たるバチモン(関西で言う贋物でんな)が称賛し、田舎モノがこぞって押し掛ける。味もへったくれもない。

 ここにも欧米を真似た愚業がある。二十一へ

 

 

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十九・「ゆとり」が大人をダメにする・2-1

――どんな生き方をしても人間には苦節が一、二度

向こうからやってくる。

そんな時、酒は友となる。

 

十九

「ゆとり」が大人をダメにする

2-1

 月曜日の午前中、少しばかり用事があって、東京の事務所に連絡を入れた。何度呼び出しても応答がない。

 ――皆死に絶えたか?

念のためカレンダーを見ると旗日(祝日)であった。

 三連休に気付かなかった。もっとも作家という仕事には祝日も盆も正月もない。ただ書くだけだ。

 また三連休か。

――少し休みが多過ぎないか。

不況不況って騒いでるのなら、

“私ども休み返上して働きます”と世間なり国に向かって宣言する会社や地域があってもいいんじゃないか。

 私は週休二日制になったあたりから日本の経済や日本人の労働に対する考えに歪みが出始めたと思っている。

欧米を真似ての失敗例の一つなのではないか。

 今の欧米の現状を見るがいい。

“ゆとり”なんて言うが、大人の男にとって、休み時間を長く与えただけで余裕が身に付くとはとても思えない。

 “ゆとり”で言うなら“ゆとり教育”がそうである。子供が学校に行って教科書一冊を満足に修業出来なくて何が教育だ。

「国家を見るには教育を見よ」

 国家の未来を計りたくば、その国の子供たちの教育を見よ。つまり教科書は、その国の物差しでもあった。

 それが教科書の3分の2程度教えて後は時間がない?馬鹿も休み休みに言いなさい。

 明治の文学者、正岡子規は晩年の数年間で、日本の俳句大系を一人でまとめ、俳句が文学であることを世に知らしめた。

 彼がいなければ俳句はいまだ以てご隠居さんの遊びごとに過ぎなかったかもしれない。

 いま子規の小説を執筆している関係で、数年前から子規を見つめ始めた時、いくつかの分からない点があった。その一つが30歳そこそこの若者が明治以前に膨大にあった

俳句の作品と俳人たちどうやって整理し、分析、解析し、一つの文学大系に至らしめたかである。しかも既に子規は病床の身であった。二十へ

 

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十八・”嘘つき”とは・・・

十八

 “嘘つき”とは・・・

 官僚になれば、おっと今は違うか、外資系金融会社に入れば、人生がアン牌(安全ということです)というのは端っからおかしいのである。無謀を笑えるのかね、今の大人は。

 「三十数年前、即身仏になると言いまして部屋から出てこないもんですから・・・・」これに驚いた人が多いが、似た話を私は子供時分に近所で聞いた。

 スペインのバルセロナに暮らす私の親友のMの父親も、そうだった。Mの父親の場合はちょっと事情が違うが。

 「やかましい、そんなにごちゃごちゃ言うなら今日から飯は喰わん」と妻と子に宣言して、その日から全く食べ物を口にしなくなった。

 バルセロナに仕事に出かけ、Mと二人でケルトの遺跡を取材をしていた時、この話をされた。

 何でも父上は糖尿病で食事制限をされており、あれもこれも駄目だと言われ続け、或る日逆上したという。

 「母親から連絡があって、一か月経つらしい。俺に帰国して説得しろと言われた」

 「大した親父だな。帰るのか?」

 「一応な。しかし親父がそうしたいならそれでいいんじゃないかと思う」

「・・・・」私は返答のしようがなかった。

かくして二ヵ月後にMの父は死んだ。

 よくある話なんだろう。

 三歳と一歳の子供を部屋にかぎをかけたまま放っておいた若い母親の事件を、マスコミはこぞって書きたてる。

 風俗で働いていることを罪のように書くが、それは間違っている。

 以前歌舞伎町のビル火災の時の被害者に何人かの従業員と風俗嬢がいた。そこで働いたことがイケナイという論調があった。

 風俗で働くことが悪いわけがない。彼女たちも人の子であり、夢があり、何かの目的、事情があって働いている。

 私は健(けな)げだと思っている。性のはけ口、孤独の依るところは社会にとって必要だからこうして存在しているのだ。

 自分のことを棚に上げて正義を振りかざす輩(やから)を“嘘つき”と呼ぶ。十八へ

 

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よろず世の中140・かくれんぼだよ(鬼ごっこも)

よろず世の中140

かくれんぼだよ(鬼ごっこも)

JR山形駅で起きた受刑者逃走事件で山形署に逮捕された受刑者の橋本圭祐容疑者(22)=本籍東京都西東京市=が逃走中に住民から声をかけられ、「かくれんぼしている」と答えていたことが19日わかった。

声をかけた山形市幸町・講師小林信子さん(61)が報道陣に語った。それによると16日午前11時半ごろ、

自宅で電話中だった小林さんは、屋外の敷地内で隣地へのフエンスに手をかける橋本容疑者を窓越しに目撃した。

 

橋本容疑者は靴を履いておらず、小林さんが「どちらさまですか」と2、3回声をかけると、歩み寄ってきて「かくれんぼしている」と言ったという。

 

小林さん方は、橋本容疑者の身柄が確保された倉庫のすぐそばにある。当時小林さんは、逃走事件が起きていることを知らなかったが、不審に思い交番に通報した。

 

山形署は19日、捜査範囲の絞り込みに貢献したとして、小林さんに感謝状を贈った。小林さんは「微力ながら協力できてよかった」と語った。

 

山形署は19日逃走の疑いで橋本容疑者を送検した。

住民に多大な迷惑

法相謝罪。

谷垣禎一法務大臣は19日の閣議後記者会見で,山形市で移送中の受刑者が一時逃走した事件について「誠に遺憾だ。住民の皆さんに多大な迷惑をかけ、お詫びしたい」と謝罪した。(河北新報4月20日)

(永人所感)

どうして片側の手錠が抜けていたのか疑問が残るが、とにかく逃走犯が捕まってよかったと思う。

それにしても

「どちら様ですか?」

「かくれんぼしています」は言い得て妙。

逃走犯にしてみれば、まさに命がけの「かくれんぼ」と「鬼ごっこ」だった筈だ。

かくれんぼは市民の小林さんに見つかり、鬼ごっこは警察の鬼に捕まったことになる。

☆☆

海の向こうの「ボストン爆弾犯」も今日(20日)捕まったようでまずは何よりだった。犠牲者に合掌。

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