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親孝行・大野雄大・二・


                   親孝行・二・

               (単位を落として半年間部活禁止)

早苗さんは離婚後、簿記の専門学校に通い、ビジネスホテルで経理の仕事をしながら、一家の大黒柱として家族を支えていた。大野は自分の学費が家計の負担に成ると思い、「お金の事も有ったし本当は公立の高校に行きたかった」と言う。

しかし、大野の素質に惚れ込んだ京都外大西高の三原監督(現・山陽高校監督)が安江監督に「ウチに預けてほしい」と熱望。その熱意を安江監督から聞いた早苗さんは、私立に通わせる事を決意した。

その後京都外大西高から仏教代に進学した大野は、家計を少しでも楽にしよう、時給1050円のガソリンスタンドでアルバイトを始めた。
原則として野球部員のアルバイトは禁止。

しかし、大野の場合は家庭の事情を考慮し、「特例」として黙認されていた。夜10時に終了する練習後、1時間だけ仮眠して、午前2時から5時まバイト、練習がオフの前日は個別練習を早めに切り上げ、夜10時から朝の8時まで働いた。

大学の授業と野球部の練習が有るため、バイトは週2~3回。それでも月3万~4万円の収入は家計の支えとなった。「朝バイトが終わって家で少し休もうと横になっていると、起きたときにはもう授業が終わっている、ということも結構有りました。

最初はしんどかったけど、ずっと続けていればどうにか成るな、と思った。でも大学1年の秋に野球部内のノルマだった単位が10単位中、4単位足りなくて2年に上がって半年間は野球が出来なかったんです」

息子の一番のファンはやはり母の早苗さん。試合に合わせて休みを取り練習試合でも大学選手権でも毎試合必ずスタンドに足を運ぶ。3年前からは独自でスコアを付け始め、100ページ強のノートがすでに4冊を超えた。

契約金の使い道について尋ねると、

「お母さんに第3のビールじゃなくて普通のビールを飲ませてあげたい。」


「温泉旅行に連れて行ってやりたい」と母親への恩返しの思いを口にする。

左肩棘下筋(きょっかきん)炎症で、今季は一度も登板出きずに終わった。投手王国中日で復活する事が、何よりの母親への恩返しと成る。

大野雄大(3・11・12・3) 大野早苗(3・11・6・11)
運気100点完全大吉名     運気10点大凶名

天格:大野  14画      天格:大野  14画
人格:野祐  23画大吉    人格:野早  17画大吉に凶あり
地格:雄大  15画大吉    地格:早苗  17画大吉に凶あり
外格:大大   6画大吉    外格:大苗  14画大凶
総格:大野雄大29画大吉    総格:大野早苗31画大吉に凶あり

大野雄大はおそらくはこれから先もいい親孝行が出来る強い運気を持っているが、母親には難病を起す短命の運気が有り、若し、病気に罹ったら、(かかる前に来れば一番いいのだが)私の元へ相談に来ればいい。もうすでに循環器系に異常ありと思われる。       終わり


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親孝行・大野雄大

                 
                 親孝行・大野雄大

大学ナンバーワンの左腕投手、仏教大学4年生の大野雄大(おおの・ゆうだい)選手は、今年のドラフトで中日ドラゴンズに1位指名された。
                      ☆

母子家庭が不幸だと誰が決めたのだろう。大野もそう思っていたに違いない。仏教大でエースとなり、京滋野球リーグで3季連続MVPと、ベストナインに選ばれており、今年6月の大学野球選手権・初戦で完封勝利を挙げると、スカウト達から、熱い視線を浴びた。が、それ以上に騒いでいたのが報道陣。大野の複雑な家庭環境に飛びついたからだ。

だが、「お母さんが居なかったらここまで野球を続けられなかった。『父親が居ないから一人前になれなかった』と言われたくなかった」と話す本人は不幸などとは思っていない。境遇をバネに野球を続けてきたのだ。

                      ☆☆

2歳の時に両親が離婚。姉の愛友美さん(24)と共に母親に引き取られ、京都の6階建て賃貸マンション(2LDK)で3人の生活がスタートした。

砂川小学校5年生の時、友達に誘われて野球を始めると、見る見る成長。
息子のサポートをする為、母の早苗さん(50)も努力を惜しまなかった。スポーツ洋品店でグラブを二つ買って父親の変わりにキャッチボールの相手になった。

時にはキャッチャーの役も買って出たが、大野がノーコントロールだったため、球を体で止めるのが精一杯。アザだらけにするのも悪いし、6年生ぐらいまでしか相手になってもらっていない」と大野は申しわけ無さそうに振り返る。

藤森中学に入ってからも制球難は相変わらず、2年の春平安中学との練習試合で、6連続四球を出して同点に追いつかれるたこともあった。

『あの時は頭から水を被って涙を隠していました』と振り返るのは野球部の安江監督。不甲斐ない内容に罵声を浴びせる保護者も居た。

「投手を辞めさせてほしい」と監督に直訴する早苗さんを『このままで行く』と必死に説得したという。安江監督は昨年、大学選手権で大野と早苗さんに再会した。

「3人が揃ってあの時が分岐点だったね、と一致してビックリした」と振り返る。二へ
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官房機密費の真実を語る・鈴木宗男・八・

                      八

平成10年ごろ、私はこの情報を元に、イランのアザデガン油田の開発から、日本は距離を置くべきだと政府に働きかけました。

時の小渕総理や,野中官房長官にもノドン・ミサイルの図面を見せ、この油田からの撤退を強く訴えました。

確かに石油等の資源戦略は重要ですが、この場合は別です。何しろイランを抑える事は、北朝鮮を抑える事になるのですから。

その結果日本はアザデガン油田開発にコミットしませんでした。

しかし小泉政権が出来てから、これがノーズロになり、日本はまたこの油田開発の関与をずるずると始めてしまった。政府の認識の甘さに

憤りを覚え、残念で成りませんでした。

今年10月管政権は、アメリカ政府の要請を受け容れ、アザデガン油田開発プロジェクトからの撤退を発表しました。この決断は、管政権が行った外交政策の中で唯一の正しい判断だったと思います。

但し、菅総理がそのことに気付いているとは思えませんが・・・・。

このケースのように、『官房機密費』が国益を利する情報を得るために使われることもあるのです。私が、ある種の『機密費』は国益上必要であると言うのはこういう事を指しているのです。

民主党は、政権に就く前は『官房機密費』の公開を求める議決まで行なっています。

しかし、政権交代後の鳩山政権の平野博文官房長官は私の官房機密費に関する質問趣意書を2度にわたり、撤回するよう要請して来ました。

官房機密費の根本的見直しを求める鈴木宗男という政治家は自民党ならず、どうやら民主党にとっても煙たいもののようです。

イザ自分たちが使える立場になったら、自由勝手に利用したいので、公開したくなくなったのでしょう。

イザ自分たちが使える立場になったら、自由勝手に利用したいので、公開したくなくなったのでしょう。

仙谷由人官房長官も機密費の話題は意図的に避けているように見えます。

しかし50万円のスーツお仕立券が国政とどんな関係があるというのでしょうか。ましてや官僚たちが『機密』の名の下に食い散らかしてきた宴会費など血税の横領以外の何ものでもありません。

私は自分が経験し、直接見聞きしてきた体験をここに記しました。
その事が、ひいては、悪しき『慣例』にまみれた従来の『官房機密費』を、国益に叶う真っ当なものへと変える一助と成るのではないかと考えたからです。

民主党も脱官僚を謳うなら、この官房機密費についても、自民党時代からの悪しき慣例を断ち切って、政治主導で正しい使い方に改革すべきです。

いやしくも、政治家の肩書きを持つ者は、国民が汗水たらして支払った税金の使途について、透明性の確保と国民に対する説明責任がある、と
私は考えます。(すずきむねお)―完―

                後記:鈴木宗男と浅野貴博

鈴木宗男・今、日本で一番信用できる政治家だろう。彼が検察でっち上げの事件で有罪にされ、これから冤罪の立場で収監される予定で、最早議員バッジも外した。さらに、食道がんの手術を受け、必ずしも体調は万全ではない。これから先を思う時、鈴木氏の心中は、察するに余りある。

そうした中での今回の告白録は正真正銘の真実である。男が命を懸けて長い間、心に秘めてきた懺悔の情報公開である。

父親が宮城県栗原市出身で、伊達藩・伊達政宗をイメージして宗男と名付けられたのだという。そのような由緒ある名前で、宗男自体は、15画の大吉名であるが、鈴木の姓に対しては、決してよろしくない。

全体的な運気は10点ゆえ,苦労の多い波乱万丈型、の人生を意味するが、主運,、副運の大凶は前運、後運の大吉を凌駕し、病弱の要素を免れない。

上長の引き立てを受け、時を得れば破竹の勢いを持って進展する好運(32画)なれど、幾多の障害、災厄に足をすくわれ,刑傷殺伐の運に巻き込まれる事は避けられない(20画)のである。

ただ、鈴木氏の議員辞職に伴って、秘書の浅野貴博氏が比例繰上げで当選し、新党大地の議席を受継いだが、たまたま浅野氏の姓名画数は完全大吉名を意味し、これから先の大いなる活躍が期待される事は大変喜ばしい。

鈴木宗男(13・4・8・6)     浅野貴博(12・11・12・12)
運気10点・病弱短命運           運気100点完全大吉名

天格:鈴木  17画        天格:浅野  23画
人格:木宗  12画大凶     人格:野貴  23画大吉
地格:宗男  15画大吉     地格:貴博  24画大吉
外格:鈴男  20画大凶     外格:浅博  24画大吉
総格:鈴木宗男32画大吉     総格:浅野貴博47画大吉

成功運:天(七)―人(二)大凶
運命抑圧を受け、不伸不満の結果
脳を冒され、健康を害す。

◎ 浅野貴博氏は1000人に一人の完全大吉名を持っており、運気100点という意味では小沢一郎と同じである。これから大いに学んで、日本国を背負う政治家に成ると思うが、その意味では鈴木氏は良い秘書を持っていた事に成る。

鈴木宗男氏の政治信念には頭の下がる思いだが、姓名運気の弱さが、なんとも気にかかる。これからの『収監』を考えると、ことさら鈴木宗男氏のご健勝と平穏無事を祈らずには居れない。   終わり。

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官房機密費の真実を語る・鈴木宗男・七・

                     七

しかし誤解のないように申し添えますが、私は「官房機密費」の全てが間違っており、一切の機密費は廃止すべきだと考えている訳では有りません。国益に叶う機密費の使い方はあると私は思っていますし、そういう使い方をして来たつもりです。

たとえば、ロシアや中近東、アフリカなどから関係者が来日するさい、正規の経費では5しか接待できないとしますと、私は10の接待をしようと心がけました。

たとえ相手がアフリカの小国であったとしても、彼らには日本のちゃんとした一流の食文化を体験してもらいたいと思っていました。


このように、誠意を尽して付き合うという事が、ひいては日本の国益に結びつく事があるのです。これからその一例を示しましょう。これは今まで極秘にしてきた話しです。

機密費なども、駆使した日ごろのインテリジェンス戦略の努力の甲斐があり、ある時、私の元に中東の某国高官から、イランが保有している北朝鮮のノドン弾道ミサイルの詳細な構造図がもたらされたことがありました。

ノドン・ミサイルと油田開発

「ノドンの開発」というタイトルが付けられた、積み上げると10cm
程にも成る書類の束、イランのミサイル開発の歴史や、北朝鮮からの技術提供の実態などが詳細にまとめられた報告書です。

北朝鮮やイランにとって機密であるはずのノドンミサイルの構造図は、その分厚い資料の真ん中あたりに納められていました。その資料にはノドン・ミサイルの形状や性能、射程距離、などの細かいデータのほか、

北朝鮮でのノドン・ミサイル発射実験の際、何人のイラン人科学者が立ち会った、という極秘情報までもが網羅されていました。

私はその構造図を官邸にあげると共に、防衛省と外務省の関係部署にも見せ、情報の信憑性が高いことを確認しました。防衛省の担当者はどうしてこんな極秘資料が手に入ったのか、と腰を抜かしていました。

この秘密資料が語っていた事は、イランは北朝鮮のノドン・ミサイルの設計図を入手し、それを基にミサイル開発を行なっている。またイランが改良したミサイルは、北朝鮮にフィードバックされ、ミサイルの改良が行なわれている。

北朝鮮はイランにミサイル技術を提供することで、石油などのエネルギー資源を見返りとしてイランから受け取っているということ等でした。

イランは最終的には北朝鮮の核兵器技術も手に入れたい。だからこそ、原子力発電の技術に執着しているのです。そうでなければ豊富な石油、天然ガスなどの資源に恵まれているイランが何故、原子力発電に拘泥する必要があるのでしょう。

実際は、大陸間弾道ミサイルの技術を確立した上で、その先端に装備する核弾頭など核兵器の技術を開発したいというのが彼等の本音。

こうしてイランは核保有国になりたいとの野望をずっと秘め、水面下で北朝鮮と強固に結びついて来たのです。

日本が、石油資源の開発などイランに提供してきた資金は油田開発にはほとんど使われず、その莫大な余剰金がミサイル開発に流用され、結局これが北朝鮮のミサイル開発や、核開発をも助けてきたのです。八へ




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官房機密費の真実を語る・鈴木宗男・六・

                      六

(今日11月28日の沖縄知事選挙に、現職のナカイマ知事の陣営に菅 直人政権から、官房機密費5億円が投入されていると言う噂が専らだ。国民との約束を裏切って、従来の自民党以上に米国追従政策に舵を切った菅 内閣が、鈴木宗男氏の心配をも意に介さず・・・永人)

                      ☆

現在でもそうですが、国際社会では、テロリストの身代金要求には応じないという建前があります。若し、日本政府が身代金を支払った事が発覚すると、以後、日本人が狙われる事になりますから、これは正しい態度です。

しかし日本人の人質を見殺しにする訳にはいかない。そこで、秘密裡に外交機密費の中から、300万ドルを捻出する事になりました。
300万ドルのドル札は頭陀袋(ずだぶくろ)のような、外交行嚢に入れて、先ず、東京からモスクワへ運んだそうです。

本来、100万円以上の外貨の持ち出しは申告しなければなりませんから、当然、外国為替法違反となります。モスクワからは当時の駐ロシア日本大使館の松田邦紀・現地対策本部事務局長(参事官)がキルギスまで行嚢を運びました。

現地では、松田事務局長と本省の原田親仁参事官の二人のキャリア外交官が中心となり、迎賓館を借りて現地対策本部を設営。此処に日本からも含め、約30人の外務省要員が送り込まれていました。

一時、人質の一人が殺されるかもしれないという緊迫した局面もありました。実は隣国ウズベキスタンの日本大使館参事官だった高橋博史氏が、
独自のルートで人質解放交渉を進めていて、そのルートで人質のビデオや写真を入手していました。

ところが自分たちの職域を優先しようとキャリア組み官僚がこのルートを閉鎖してしまった。「高橋ルート」では身代金を支払わない事を前提に交渉を進めていたのに、別ルートでキルギス政府に金を払う、という話がゲリラ側に漏れてしまった。

怒ったゲリラ側が、『話が違う、おれ達は身代金など要求していない。見せしめの為に人質を一人殺す。そうして他の奴らはアフガニスタンに連れて行く』旨、言っているという情報が流れたのです。

外務省関係者から後で聞いた話ですが、この現地対策本部で、キャリア外交官たちは内輪で集まって連日のように宴会を開いていたそうです。

またキルギスは僻地だと言う事で、対策本部に出向した外務省職員には一日4~5万円の出張手当がつきます。飲食代やホテル代など全て機密機密費でまかない、20日ばかりの出張で80万~100万円もの「小遣い」を貯めた外交官もいたそうです。

平成17年(2005)3月キルギス共和国で政変が勃発、アカエフ大統領が失脚しますが、ここで大統領の不正蓄財が明るみに出ました。
どうやら身代金として外務省がキルギス政府に渡した金の大部分が大統領の懐に入り、ゲリラにはほとんど渡っていなかったようなのです。

外務省は今でも公式には身代金など一切払っていないとしていますが、実際はこれまで述べたように、機密費から相手に言われたままに300万ドルを引き出し、身内でドンちゃん騒ぎを重ね、結果的に独裁者の不正蓄財に手を貸していたのです。

沖縄でばら撒かれた3億円も、キルギスに運ばれた300万ドルも、官房機密費の名の下、国民の全く預かり知らぬところで、散財、浪費されました。

この機密費濫用に立会い、関与した事を私は明らかにし、慙愧の念を持って国民の皆様にお詫びしたいと思っています。  七へ


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官房機密費の真実を語る・鈴木宗男・五・

             官房機密費の真実を語る・鈴木宗男・五・

当時、私はアメリカ軍の沖縄駐留は大きな意味で国益に叶うものと考えていましたから、県政奪還に官房機密費を使うことに疑問は持っておりませんでした。しかし今では一地方自治体の選挙に官房機密費を使うのは正しい使い方ではない、ましてや、民意を金で左右するような事は民主主義の理念からしてもやってはいけないことだと考えています。

稲嶺県政が誕生し、その後、沖縄北部振興の名目で、毎年100億円の予算が10年間にわたり注ぎこまれてきました。しかし、1000億円もの金をかけても、北部振興は上手くいかなかったし、普天間基地の移転先に杭一本立てることも出来なかった。

これは、結局の所沖縄の民意を汲む事が出来なかったからだと思います。
民意は金で買う事は出来ないし、買うべきでもない。これこそが、私達政治家が沖縄から学ぶべき教訓ではないでしょうか。

来る11月28日には沖縄県知事選挙の投票が行われます。
私は菅直人政権が自分たちにやりやすい状況を作るため、此処で再び官房機密費を投下するのではないかと危惧しています。

私達が踏んだ誤った轍を、新しい政治家の皆さんには踏んで貰いたくない。地方選挙に巨額の官房機密費が投入され、民意を歪めるようなことはあるべきではない。
そう思うからこそ、今回この話を明らかにしたのです。

              300万ドルを外交行嚢に入れて

沖縄県知事選挙と同じく、巨額の機密費が国民の知らない間に投じられ、ウヤムヤの闇に消えてしまったのが、キルギスで起きた『日本人拉致事件』のケースです。

平成11年(1999)8月23日、中央アジアのキルギス共和国南西部で、隣国のタジキスタンから侵入したイスラム武装勢力に、同地で地質調査をしていた国際協力事業団(JAICA)派遣の日本人技師4名が拉致された。

日本政府は外務省に緊急対策室を設置、事態に対応、63日後の10月25日、人質は無事解放された。これに際して日本政府は、300万ドルの身代金を支払ったと伝えられたが、外務省は一貫して金銭の支払いを否定している。

当時、現地対策本部と本省の連絡役となっていた今井正・領事移住部長から、『ゲリラ側から300万ドルの要求があるとキルギス政府から言ってきました』と言う申し出でが有りました。

私は「そんなに要るのか」と聞きただした事を覚えています。キルギスにはODA(政府開発援助)も入れていたし、またキルギスの国民生活から考えれば、300万ドル=3億円というと日本人にとっての300億円程の価値に相当する額だったのです。

何故今井氏がわたしのところへ来たかというと、私が、予算にしろ、行革にしろ一貫して外務省の窓口となって働いていたからです。当然外交機密費も扱える立場でした。外務省とすれば私の了承を取り付ければ、300万ドルの機密費を捻出できると考えたのでしょう。六へ
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官房機密費の真実を語る・鈴木宗男・四・

                      四

稲嶺一郎氏は、右翼思想家、大川周明が開いていた「大川塾」の出身で、沖縄では、名門の財閥の長でもあった。小渕先生は学生時代に世界一周旅行に出かけるのですが、そのスタート地点が沖縄でした。

そこで小渕先生は、稲嶺一郎氏から選別やお土産を沢山貰ったのです。小渕先生は早稲田大学に在学中から『早稲田大学雄弁会』で沖縄に日の丸を立てようという運動もやっていた。小渕先生にとって沖縄は特別思い入れのある地だったのです。

だから知事選では稲嶺恵一氏をなんとしても勝たせたい。沖縄県政を革新から奪還して基地反対の流れを変えたいと考えていたのです。

選挙の始まる2ヶ月ほど前、官邸の地下にある小食堂で、小渕総理、野中官房長官と私の3人で昼食をとっていたときのことです。

小渕総理が『おいおい、沖縄は随分金がかかるんだな。3億円要るっていうんだからな』と言って、さらに『官邸の機密費だけで足りない時は外務省の(上納)分も有るからそれを使ってもいいんだぞ』と野中官房長官に話しかけました。

野中先生は頷いておられました。後で江利川内閣参事官に3億円を用意するように指示したと聞いております。

私も当時は政府与党にとって、沖縄県政の奪還は必要だと思っていたので、小渕総理の言葉に相槌を打ちました。この鈴木氏の証言に対し、
当時の官房長官だった野中広務氏は

『鈴木氏の発言の意図が何であったか私には分かりませんが、小渕内閣当時の官房長官は私、野中であり、鈴木氏の発言は全て事実ではありません』とその内容を否定。しかし鈴木氏は内閣官房にいた当事者の一員として、小食堂でのやり取りは体験に基づく、紛れもない事実であり、3億円の実際の支出についても、関係者に確認していると断言している。

当時の自民党では地方首長選挙に投入する党資金はどんなに激戦区であったとしても5000万円が上限でした。したがって3億円という資金は異常とも云える巨額だったのです。

平成10年には沖縄県連本部へ、党本部から毎月1000万円の資金が送られていました。これでも足りないので、加えてさらに3億円が官房機密費から捻出されていたのです。

平成10年の自由民主党沖縄県連と、稲嶺恵一氏の政治資金管理団体
『沖縄・未来を開く県民の会』の収支報告書を見れば、東京から如何に
多額の資金が流れていたか、一目瞭然です。

(永人:これに関しては鈴木の話している事は事実であり、
           野中は嘘を言っているという事だ)

これに対し、当の稲嶺恵一氏は
「私の支援者が作ってくれた『県民の会』の報告書に記載されているのだから億単位の入金があったのは確かでしょう。しかし選挙当時は私は周りに担がれて、乗せられたレールの上を走って居るだけだったから、

選挙資金には一切関与していなかったし、どこからいくら収入があるかなんて知らなかった。そもそも機密費というものが存在する事自体も承知していなかったし、『県民の会』の関係者にも確認したが、その人も自民党から来るお金の原資の一部が機密費だということは知らなかった」としている。   五へ



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官房機密費の真実を語る・鈴木宗男・三・

            官房機密費の真相を語る・鈴木宗男・三・

 官邸ではこれらの機密費の使途を、官邸ではこれらの機密費の使途を官房長官秘書官が手書きで記録しています。

ちなみに内閣官房機密費については、金銭出納帳のような「引継ぎ帳」があります。時の官房長官秘書官がコクヨなどの市販のノートを使い,政治家や政治評論家などに、何時、いくら渡したかその支出の明細を手書きで記したものです。

内閣が替わる際に、新内閣の官房長官秘書官が、この「引き継ぎ帳」を更に手書きで写し取ります。というのも、申し渡しにより、この記録をコピーする事は禁じられていたからです。尚,写し取った後は前内閣の記録は破棄されるのが恒例でした。

こうして、代々、官房長官は前任の「引き継ぎ帳」を参考にして、機密費の差配を決めるのです。驚いたのは内閣が替わる際には、金庫に残っていた官房機密費を空にして引き渡すというのが「慣例」となっていたことです。

平成21年(2009年)9月2日政権交代がおこなわれ、麻生首相が官邸を去る直前、河村建夫官房長官は2億5000万円もの官房機密費を事務方に支出させ、持ち出しました。

政権を去る人間にどうしてそんな大金が必要なのでしょうか?一体この金は何に使われたのでしょうか?当時の河村建夫官房長官は、この金の使途を国民に説明する必要があるのではないでしょうか。

官房機密費は使途を記録し、残しておく義務がないので、このような暴挙がまかり通るのです。

かつて、この本来破棄されるはずの記録が、公に流出した事があります。
流出したのは、宮沢内閣、加藤紘一官房長官時代の平成3年(1991年)11月から翌年12月までの支出記録です。

機密費を扱っていた秘書が世界では有名なあるフィクサーから金を借り、そのカタに使途を記録したメモのコピーを提供し、それが回りまわって共産党に持ち込まれ、平成14年4月の『赤旗』に公表された、というのが事の経過のようです。

但し、このメモも支出記録の全体の一部に過ぎず、菅房機密費の全貌が明らかに成った事は今まで一度も有りませんでした。さてここまで述べてきたのは「慣例」についてですが、これを大きく逸脱する特殊なケースも有ります。

                沖縄県知事選に3億円支出
                 (そんなに使うのか?)

今でも強く印象に残っているのは平成10年11月に行なわれた沖縄県知事選挙に投入された3億円という巨額の官房機密費のケースです。

平成2年に沖縄県知事に当選した太田昌秀元琉球大学教授は革新系知事として米軍基地に反対する姿勢をとり、軍用地強制使用の代理署名を拒否。また普天間基地移設問題では県外移設を強く主張していた。

2期務めた現職の太田知事に対し、自民党が推した稲嶺恵一氏は米軍基地問題を争点とすることを避け、不況からの立ち直りを全面に押し出し、平成10年11月の選挙に大勝。以後8年間、沖縄県政を司る事に成る。

実は小渕総理は稲峰恵一氏の父,稲嶺一郎氏に随分世話になっていたのです。    四へ
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官房機密費の真実を語る・鈴木宗男・ニ・


              鈴木宗男・官房機密費の真実を語る・二・

                 「官房長官自らが届ける」

当時私は政治資金として年間3~4億円の収入がありましたが、この毎月200万円という現金は大いに助かりました。

今厳密に考えれば、この金は政治活動に使うのであれば、政治資金として届けなければいけないし、個人で使うのであれば、所得として確定申告をしなければならないものだったのです。

                      ☆

さて、当時、官房機密費は、月初めの日に7000万円、月の中ば14日に7000万円が官房長官室の金庫に届けられたそうです。持参するのは官邸の事務所長で、人のいない時に定期的に補充していくそうです。
つまり毎月約1億4000万円の官房機密費が菅房長官に渡されていた。

その中で前例踏襲として支払われていたのが

                  中曽根康弘
                   竹下登、
                  橋本龍太郎、
                   宮沢喜一

といった歴代総理大臣経験者への盆暮れの1000万円、これは官房長官自らが届けにいく。

さらに、国会対策委員長には月1000万円が手渡されていたと聞いております。

それに首相の外遊時には、一回毎に1000万円の機密費が支出されます。また首相外遊に同行する外務省のロジスティクス担当(宿舎の確保、資材の調達、経費管理などを行なう部門)の職員には、新米であっても2万円程の「小遣い」が配られました。

官房機密費で用意する「お土産」としてよく使われるのが、背広のお仕立て券で、最大の支出は年4回ほど開かれる党役員会と年2回ほど開かれる閣僚懇談会の時に配られるお土産としてでした。
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この時、配られるお仕立券は英國屋、銀座テーラーなど、銀座の超一流テーラーのもので、額面50万円のもの、一回の会合で配られるお仕立て券は、約1000万円分。

これが年6回配られる事になりますからお仕立券だけで6000万円分という巨額に達します。当時これが慣例として内閣から内閣へと引き継がれていたのです。業者側にとって見れば、大変な収入ですから、関係者

への営業攻勢はすさまじいものが有るといいます。

私も閣僚の時このお仕立券でスーツを誂えた事がありますが、高いものを1着だけ作るのはもったいないので、15万円程度のものを3着誂(あつら)えたことを覚えています。三へ

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官房機密費の真実を語る・鈴木宗男

               鈴木宗男・官房機密費の真実を語る

               (国民の税金:官房機密費を明かす)

私は東京地検特捜部によって罪に問われ、不本意ながら近く収監されます。すでに衆議院議員の身分を失い、刑の執行を終えても、向こう5年間は政治の表舞台での活動は禁じられます。無念でもあり残念でも有ります。

しかし、私は賄賂を貰っておりませんので、真実を求めて闘って参ります。さてその収監前に、もうひとつ、是非とも国民の皆様に知っておいていただきたい事を『懺悔の念』と共に公表したいと思います。

それは俗に『官房機密費』と言われる国家の秘密経費についてです。正式名称を『内閣官房報償費』といわれるこの機密費には、年間約14億6000万円ほどの国の予算があてがわれています(2002年度以降毎年同額)。これに更に外務省の外交機密費からの「上納」分が上乗せされる。

私が内閣官房にいた平成10~11年(1998~99年)頃は外務省から年間20億円の「上納」が上積みされていました。この合計34億円を超す巨額の『機密費』を首相官邸は『使用目的、支払い先を明らかにすることなく』『会計検査院』のチエックもなく簡単に使えるのです。

いうまでもありませんが、これらは全て国民の税金から支出されている公費に他なりません。

思えば、政治権力の内部に長くいた私は、国民の血税を、国民の目の届かぬ所で使うことに無自覚でした。その当時は国民の皆様の為に良かれと思っていたとしても、後になって冷静に振り返れば、間違った惰性や、悪しき慣例主義に流されてきたのではないかという、忸怩(じくじ)たる思いがあります。

少なからず、間違った税金の使い方にタッチしたというだけでも、国民の皆様にお詫びしなければならない。そのことに遅ればせながら気づいた事が、今回の手記の執筆の動機となりました。

この手記は、いわば私の贖罪(しょくざい)の記でもあります。

それでは私が実際に体験し、見聞した『官房機密費』の実態をありのままに公表する事にいたします。
                       ★

平成10年7月30日。参議院選挙の敗北の責任を取り、辞任した橋本総理の後継として小渕恵三先生が内閣総理大臣に就任しました。

この第一次小渕内閣で、私は内閣官房副長官に起用されます。官房長官は野中広務先生です。翌8月、当時の江利川 毅内閣参事官(現人事院総裁)が部屋にやってきて、「領収書も何も要らないお金です。ご自由にお使い下さい」と言って、封をした封筒を二つ置いていきました。

何の変哲もない白い一重の封筒で、開けると、薄茶色の帯封を巻いた
100万円の札束が入っていました。通常銀行名などが帯封には書かれているのですが、その帯封には何も書かれていませんでした。

計200万円、お札は何れも新札、受け取りのサインは必要ありませんした。但し、だれだれにいくら出したかという支出の明細は、官邸側でメモとして記録していました。

首相官邸に官房機密費が有るというのは永田町では常識ですから,その時に「ああ、これが官房機密費なんだな」と思いました。

この官房機密費は月初め、私が在室中の時を見計らって、届けられる。それも同席者のいない時に一対一で手渡されました。二へ
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