日本の天皇は男性に限るという古来の決まりはなく、既に7人の女帝がありまし た。歴代125代の天皇の内、女帝は9代7人です。すなわち、推古天皇(33代)、皇極天皇(35代)、斉明天皇(37代、35代皇極天皇が重祚)、持統天皇(41代)、元明天皇(43代)、元正天皇(44代)、孝謙天皇(46代)、称徳天皇(48代、46代孝謙天皇が重祚)、明正天皇(49代)、後桜町天皇(117代)です。
女帝は少数ではありますが、その御代は概ね穏やかで隆盛であったと言われます。
奈良時代、46代孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の御子であり、後に重祚して48 代称徳天皇になりました。天皇の和歌に下記があります。
この里は継ぎて霜や置く夏の野に吾が見し草はもみぢたりけり
この里にはいつも霜が降るのか、夏の野に私が見た草は、モミジのように黄葉していたよ
752年の作で『万葉集』にもあります。ヒヨドリバナという植物がウイルスに感染し、黄色の斑文が浮かんだ様を詠まれたそうです。「植物のウイルス病を詠んだ詩文としては世界最古とされています」と大阪府立大学准教授の望月知史氏は言います。孝謙天皇は歴史に名高い女帝でありましたが、ウイルスという概念すらなかった時代に詠んだ和歌が1200年もの時を経てウイルス研究者の関心を呼ぶとは思わなかった事でしょう。
時代が下って、明正天皇(めいしょうてんのう)は江戸時代の女帝(1624~1696)です。後水尾天皇の第二皇女で、母は徳川2代将軍秀忠と江与の娘、和子(まさこ、東福門院)です。明正の2文字は元明天皇と元正天皇から採ったといわれます。徳川3代将軍の時代であり、公武合体した隆盛の時代といわれます。
現代の日本では、明治22年に制定された「旧皇室典範」により男子が天皇になると定められています。しかし皇位継承者を確保するためにも、この見直しを考慮する動きもあると聞きます。
女帝は少数ではありますが、その御代は概ね穏やかで隆盛であったと言われます。
奈良時代、46代孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の御子であり、後に重祚して48 代称徳天皇になりました。天皇の和歌に下記があります。
この里は継ぎて霜や置く夏の野に吾が見し草はもみぢたりけり
この里にはいつも霜が降るのか、夏の野に私が見た草は、モミジのように黄葉していたよ
752年の作で『万葉集』にもあります。ヒヨドリバナという植物がウイルスに感染し、黄色の斑文が浮かんだ様を詠まれたそうです。「植物のウイルス病を詠んだ詩文としては世界最古とされています」と大阪府立大学准教授の望月知史氏は言います。孝謙天皇は歴史に名高い女帝でありましたが、ウイルスという概念すらなかった時代に詠んだ和歌が1200年もの時を経てウイルス研究者の関心を呼ぶとは思わなかった事でしょう。
時代が下って、明正天皇(めいしょうてんのう)は江戸時代の女帝(1624~1696)です。後水尾天皇の第二皇女で、母は徳川2代将軍秀忠と江与の娘、和子(まさこ、東福門院)です。明正の2文字は元明天皇と元正天皇から採ったといわれます。徳川3代将軍の時代であり、公武合体した隆盛の時代といわれます。
現代の日本では、明治22年に制定された「旧皇室典範」により男子が天皇になると定められています。しかし皇位継承者を確保するためにも、この見直しを考慮する動きもあると聞きます。
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