yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

源平藤橘

2020-10-31 06:00:42 | 歴史
「源平藤橘」は日本の貴種、名族です。平安初期、天皇家の財政が困窮し、多くの皇子たちを養ってゆけなくなりました。むろん、皇子の困窮はこの時代にはじまったわけではなく、前時代にも落魄者が多くいたらしい。そういうことから「源」という姓が創設されました。弘仁五年(814年)嵯峨天皇のとき、多くの皇子皇女に「源」姓を持たせて臣籍に下しました。臣籍に入れば官位にありつける機会も多いということでしょう。源は訓読してミナモトともいいます。天皇家に源を発する意味だともいい、源氏の場合、最初の嵯峨天皇を含め、淳和・仁明・文徳・村上・陽成・宇多・醍醐・清和・花山というように十人の天皇の支脈が大量に源姓になりました。とくに清和源氏は、地方に土着して武家化し、ついに後代、関東を制するにいたりました。
一方、桓武天皇は葛原(かずらはら)親王の子を臣籍に下し、はじめて「平」という姓をおこさせました。平氏のはじまりです。平氏は桓武をふくめ、仁明・文徳・光孝の四人の天皇の分かれに賜姓されました。また、関東に土着した桓武平氏は、平安末期に「板東八平氏」などとよばれました。それぞれが地名を名字にして、千葉・上総・三浦・大庭・梶原・秩父・長尾・土肥氏となりました。
一方、「藤原」は、大化改新で功のあった中臣鎌足(なかとみかまたり)に対して天智天皇が与えた姓です。以後、佐藤・斎藤・近藤・遠藤・加藤・武藤・内藤など藤の付く名字が増えました。これらは、藤原氏の子孫です。
「橘」は、敏達(びだつ)天皇から県犬養(あがたのいぬかい)に下賜された姓です。この一族は、他の姓に比べて子孫が少ないようです。

   司馬遼太郎「この国のかたち 六」文春文庫





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