yoshのブログ

日々の発見や所感を述べます。

柳生新陰流

2016-12-02 06:22:27 | 歴史
愛洲移香斎(あいす いこうさい)が創始した愛洲陰流を学んだ上泉伊勢守信綱(かみいずみ いせのかみのぶつな)は新陰流を起しました。新陰流一世、伊勢守は大和国柳生で柳生宗厳(やぎゅうむねよし、石舟斎)に剣を教え、「無刀取り」の公案を課して去りました。宗厳は、この公案を解いて新境地を開き印可を得て新陰流二世となりました。「無刀取り」とは剣を使うことなく相手を倒す術です。宗厳の系統を柳生新陰流ともいいます。五男の宗矩と共に徳川将軍家に仕えました。柳生流は人を活かす、活人剣とも言われます。宗矩は出世して、大名にまでなりました。宗厳の長男の子供、兵庫助利厳(としよし)は天才的剣士で、尾張徳川家につかえ、新陰流三世となりました。
柳生宗矩の長男が十兵衛、三厳(みつよし)です。尾張柳生、柳生利厳の三男に天才剣士、柳生連也斎厳包(としかね)がおり、柳生新陰流を完成させました。柳生家は、武の名門ですが、「文」あるいは「学問」の本家と見られる菅原道真の後裔だというのは面白いことです。
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