yoshのブログ

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 山吹 千代田 太田道灌

2024-05-01 06:09:49 | 歴史
太田道灌(1432-1486)は室町時後期に関東地方で活躍した武将で、武蔵守護代・扇谷上杉家の家裁です。摂津源氏の流れを汲む太田氏で諱は資長(すけなが)。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍しました。太田氏は江戸城を築城し、武将としても学者としても一流という定評がありました。
ある時、道灌が城外に出ていましたが急な雨に見舞われました。そこで雨具の簔を借りようと、一軒の農家を訪れました。「簔を貸してくれ」と軒先で告げると、奧から少女が申し訳なさそうに山吹の花を道灌の前にそっと差し出して、何も言わず、引っ込んでしまいました。道灌は訳がわからず、また腹立たしくもあり、雨に打たれながら城に帰り、この話を家臣にしました。するとその家臣は、
「それは、“七重八重花は咲けども実の一つだに無きぞ悲しき”という有名な和歌にかけ、申し訳ありませんが家が貧しくて簔(実の)一つさえ持ち合わせがありませんということを暗に申し上げたのでしょう。」と答えました

      これを聞いた道灌は、あの少女の言わんとしたことを理解できずに腹を立てた自分の未熟さを大いに恥じ、以来和歌の勉強に一層励んだそうです。
なお、太田道灌(どうかん)が江戸城築城(1457)の時、そこには千代田・宝田・祝田(いわいだ)の3村がありました。後に江戸城を千代田城とも言いましたが、千代田には「千年もの間、田が栄える」というめでたい意味があります。



     



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