山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

ベニヤ原生花園のサワギキョウ

2009-09-19 00:59:04 | くるま旅くらしの話

今日も花の話です。北海道の野草の中でも最も好きな花の一つにサワギキョウがあります。サワギキョウは、漢字で書けば「沢桔梗」ということでしょう。文字通り沢(=水辺)に咲く桔梗(に似た)花という意味だと思います。桔梗と同じように濃い澄んだ紫色をしていますが、花の形は少し違って、桔梗よりも細長くてギボウシに似た感じの花です。

どうしてこの花が好きなのかといえば、一つは、とにかく透明感のある濃い紫色の花が好きなこと、もう一つは湿原を訪ねても時期から言って、この花以上の気品のある花を見たことが無いからです。原生花園の花は、5~7月上旬くらいが種類が多いのだと思いますが、まだその時期に訪れたことが無いため、もっと魅力的な花を見ていないからなのかもしれません。とにかく、今のところは湿原の花の中ではサワギキョウが一番なのです。

今年は釧路湿原を訪ねたタイミングが、サワギキョウを見るにはホンの少し早かったようで、蕾の状態でしか見ることが出来ませんでした。もう諦めていたのですが、クッチャロ湖のキャンプ場に泊まったあと、気まぐれにベニヤ原生花園を訪ねたのでした。それまでにもこの原生花園を訪ねたことはあるのですが、殆ど野草たちの花を見たことが無く、只の草っ原が広がるだけの原野という感じでした。どうせ何も咲いてはいないのだろうけど、時間つぶしに寄ってみるか、という感じだったのです。

   

北海道の最北端に近い浜頓別町のオホーツク海沿岸に広がるベニヤ原生花園の案内板。

ところが、ところがです。行って散策路を歩いてみると、真っ先に目に入ったのが、なんとサワギキョウだったのです。しかもこれから開花の最盛期を迎えようとしているところだったのです。これには興奮しました。諦めていた釧路湿原の期待をここで取り戻すことが出来るのではないかと。そして、その期待は見事に叶えられたのです。

   

湿原の中に群生するサワギキョウ。これから開花の最盛期を迎えようとしており、花に活力がみなぎっている。

サワギキョウの他にも、何種類かの花を見ることが出来、興奮と感動は益々高まったのでした。それらの全ての花を紹介するのは、今日はやめて、サワギキョウだけを紹介したいと思います。せっかく撮った写真は、サイズダウンしなければならず、やや鮮明さに欠けるものとなってしまい残念ですが、多少なりともその美しさを判って頂ければ幸甚です。

   

サワギキョウの近影。科本科の植物の多い湿原の中では、一段とその存在感が大きく見える。

   

こちらもサワギキョウの近影。これは上の方にカメラを構えて撮ったもの。乱れ咲きといった感じだが、花の一つひとつには気品がある。

 

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花オクラ

2009-09-18 09:02:24 | 宵宵妄話

ちょっと旅の話は休憩です。今日は今を盛りと咲く花オクラの話をしましょう。花オクラをご存知ですか?

その前にオクラをご存知でしょうか?そうです、オクラというのはあの8角形だったかに細長い野菜の一つです。今頃は1年中作られているようですが、普通の露地栽培では夏の作物といって良いでしょう。茹でて切るとぬめりのある独特の食感があり、鰹節などをふりかけ、醤油などで食べることが多いと思います。そのオクラですが、花を見たことのある人は案外少ないのではないでしょうか。切り身の魚しか知らない人が、その元もとの姿を知らないのと同じように、栽培をしたことの無い人にはオクラがどのような花を咲かせるかなんて、なかなか想像出来ないと思います。これが結構美しいのです。

   

普通のオクラの花。これは花は小型だが実は膨らんで大きくなる。この花にはアブラムシがついてしまっている様だ。

さて、花オクラですが、勿論、名の通りオクラの仲間ですが、こちらの方は、一段と花が大きく綺麗なのです。

      

こちらは花オクラの花。オクラと比べて花の大きさが3倍以上はある。食用でなくても観賞用として十二分に耐える力があると思う。

そして花オクラは花を食用に出来るのです。菊なども食用のものがありますが、花を食べるという植物は意外と少ないようです。私は花オクラが好きで、毎年植えるようにしています。今年は種まきに失敗して、畑にはたった3本、庭先のプランターにも3本しか育たなかったのですが、旅から戻ると、どちらも元気で居てくれて、今頃は毎日たくさんの花を咲かせてくれています。

   

咲き乱れる花オクラの花たち。花の色が変わっているのがあるのは、昨日採り忘れた為。つまり、一夜花なのである。

花オクラは、丁度モロヘイヤと同じような食べ方をします。違うといえば、茹でないということです。摘んだ花を、花びらをバラバラにして水洗いし、まな板の上で小さく刻み、更にそれを包丁でトントンと何度も叩くと、モロヘイヤのような粘りのある塊が出来上がります。それを小鉢にとって白だしと酢を少々たらして食べるのです。ポン酢などでもいけると思います。ぬめりと粘りのある食感は独特で、大人の味だと思っています。

ここ数日は大輪の花オクラの花が、毎日20個を超えて咲いてくれていますので、毎朝畑に行ってせっせせっせとそれを摘んできては、酒の肴に供しているというわけです。はい。今朝はその花の写真を撮りに行くのが遅くなって、ブログの投稿も遅くなりました。

   

今日の収穫分、オン・パレード。このような美しいものを食べ続ければ、身体も心も美しくなるかも??

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マウレ山荘の感激

2009-09-17 07:15:36 | くるま旅くらしの話

サロマ湖の西方、遠軽町のその又西方に丸瀬布(まるせっぷ)町(合併で遠軽町の一部となった)があります。このあたりはかなりの山の中で、材木の伐り出しや加工、木工クラフト作りが盛んな所です。その中心街から10kmほど入った更なる山の中に丸瀬布温泉があります。今年の夏は、この温泉の中心的な温泉宿泊施設のマウレ山荘というのを訪れる機会がありました。

前にも紹介したと思いますが、北海道の温泉紹介雑誌の「HO!」というのがあり、これを見ていた時に、この山荘の紹介記事があり関心を持ったのでした。タダで温泉に入ることについては、当初は何となく気が乗らなくて、その雑誌を買うこともしなかったのですが、最近は積極的に活用させて頂くようになりました。というのも、単に温泉にタダで入れるという経済的な理由からだけではなく、普段滅多に行けないところに行くことができ、且つ思わぬ発見をすることがあるというのが判ったからです。このマウレ山荘の話もその一つです。

丸瀬布の道の駅:まるせっぷで一息入れてから温泉のあるマウレ山荘へ向いました。武利川という川の流れに沿って道がつくられており、留辺蘂(北見市留辺蘂町)の方へ行けるらしいのですが、走るに従って道は次第に細くなるようで、とても私のSUN号では走り抜けるのはムリのような気がしました。しばらく走ると、森林公園いこいの森というのがあって、ここではその昔木材の伐り出し輸送に使われた小型のSLが時々運行されているらしい、そのような軌道敷がありましたが、その時は動いていませんでした。

その森林公園を通過して2kmほど行くと、目当てのマウレ山荘がありました。ホテルだというので、どのような建物なのかと期待していったのですが、その期待は裏切られず、鉄筋高層などではなく、如何にも山荘に相応しい3階建てほどの瀟洒な建物が樹木に囲まれて、道の右手上側の方に建っていました。駐車場には私たちと同じようにくるま旅をしている人らしい車もあって、恐らくHO!の恩恵にあずかろうということで来場した車も留まっていました。

マウレ山荘。ヨーロッパ風の瀟洒な建物が、たくさんの樹木に囲まれて建っていた。周辺には美術館やパークゴルフ場などが造られていて、大自然の中で癒しを充足することが出来る。

家内が受付で手続きをしている間、ロビーの展示物などを見ていたのですが、驚いたことに壁には幾つかの障害者の絵が飾ってありました。驚いたというのは、実は私は現役時代に勤務していた企業で、同じように障害者の絵の収集と絵画展等の開催に係わっていたからなのです。そこに飾られていた絵の作者は殆ど名前を知っている方のものだったのです。そしてその展示方法も私が現役時代に採った方法と変わらなかったのです。これらの絵は、日本だけではなく世界規模で展開されている事業母体があり、現在では「口と足で描く芸術家協会」と呼ばれています。この協会の支援を受けながら表示のためのデータも頂戴して、社内施設での絵の展示や移動絵画展を行なってきたのですが、それと全く同じ方法でここにも絵が展示されていたのです。まさかこのような山奥の宿にそれを見るとは思いませんでした。

受付の方に絵のリストのことをお訊きしたのですが、内部資料以外は無いという話だったので、それ以上は訊きませんでした。その方の話では、近くにこの山荘が管理している美術館があり、そこにも障害者の絵が展示されているということです。俄然、興味を覚えて入浴が済んだら是非その美術館を訪ねたいと思ったのでした。

温泉の方も掛け流しの、柔らかい泉質の心休まる良い湯でした。たっぷりとその風情を味わい楽しんだ後、山荘のホテルを後にし、早速近くにある美術館に向いました。「マウレ・メモリアル・ミュージアム」と名付けられたその美術館は、何とこの地で87年の歴史を刻んだ小学校(=武利小学校)の校舎を利用したものだったのです。木造2階建てのかなり大きな校舎のように思いましたが、平成16年に最後の卒業生を送り出して、閉校となり、その翌年にこのミュージアムが開館したとのことです。

 

左はミュージアム全景。武利小学校の閉校時の記憶がそのまま戻るようにして使われている。右はミュージアム入口の様子。

ミュージアムは、1Fが、「口と足で描かれたアートギャラリー」と「早川季良コール・レリーフの世界」、2Fが「地球と生命/自然科学ギャラリー」となっていて、時間の関係でその時は1Fだけしか見学できなかったのですが、「口と足で描かれたアートギャラリー」だけでも、かなりの点数の絵が展示されていました。突然の来訪だったので、とにかく驚きの連続でした。

玄関先の案内机の壁に、何回か会ったことのある森田真千子さんの色紙の額があり、「ちょっぴり休息をとろう、明日の出会いに応えられるように」と文字と一緒に描かれたフクロウの絵が掲げてあるのを見た時は、やっぱり此処は本物の障害者の絵のミュージアムなのだと思ったのでした。それまでは、どうしても信じれられない気持ちの方が強かったのです。

 

左は玄関近くの壁に掛けられていた真千子ちゃんの色紙の額。真千子ちゃんは安達巌が可愛がっていた一人だった。今は独り立ちして立派な画家となっている。右は館内の様子。

幾つ教室があったのか覚えていませんが、そのあとは各教室に展示されている絵画を一つずつ見て廻りました。外国の方の画の方が多かったようです。その中で、もしかしたらわが亡き畏友、安達巌の画もあるかもしれないと思いながら見て行ったのですが、何番目かの教室の中に、ありました、ありました。ああ、彼が生きていたならこの山の中のミュージアムの感激を伝えて話できたのになあと思いました。安達巌の画は、「雪の田舎家」というタイトルで、これは多分彼が好んで描いた京都郊外の美山の古民家をモデルにしているに違いないと思いました。北海道には無かった風景だと思います。久しぶりに、思わぬ場所で彼の絵に出会って、感激は一入でした。

   

展示されていた故安達巌の作品「雪の田舎家」。安達巌は、世界障害者展で何度も第1位を獲得していた実力ある画家だった。

その他の画も力作が多く展示されており、まあ、このような山中に良く保存され、目に触れるようにされたものだと、この企画を実行されたマウレ山荘の関係者に尊敬の思いは募るばかりでした。閉校となった学校は、障害者の、困難をものともせずに乗り越えた優れた数々の作品と一緒に、これからも立派に生き続けてゆくに違いなく、すばらしい企画だなと心からそう思いました。

それにしても不思議なことだと思いながら、見終わった後、「開館にあたり」という案内板を読みましたら、その最後の方に協力団体や企業の名が紹介されており、その中に元の勤務先の企業名が掲載されているのを知り、ああ、やっぱり関係していたのだと納得した次第です。恐らく元勤務先企業が全国各地で開催している障害者絵画展をご覧になったマウレ山荘関係者のどなたかが、この企画を思い立たれたのではないかと思ったのでした。このような絵画を紹介する活動を開始したのは、元の勤務先企業が世界で最初だったと思います。このような活動を始めた動機といえば、障害にもめげずに健常者以上のパワーで描かれた作品を、少しでも多くの人たちに見て、知って頂き、その感動と一緒にそれをご覧になった方自身が持つ大きな力に気づいて欲しいと思ったことなのです。その気持ちががこのような形で別の企業に受け継がれ、展開されていることに改めて大きな感動を覚え、私自身も最初にそれに係わった一人として、心底ありがたく嬉しく思ったのでした。

このマウレ山荘の「マウレ・メモリアル・ミュージアム」との出会いは、神の導きのような気がしたのでした。もし今日ここに温泉に入りに来なかったら、永遠にこの素晴らしい場所を知らずに済んでしまったかもしれません。家内とその不思議を改めて話しながら、今年の秋に予定されている安達巌の遺作展(10月22日~28日まで、大阪鶴橋の近鉄デパートで開催)を見に行く時には、昌子夫人に良い土産話が出来るなと思ったのでした。

世の中の多くの方にマウレ山荘を訪れて頂き、温泉にて疲れを癒した後は、是非とも「マウレ・メモリアル・ミュージアム」の素晴らしい作品の数々をご覧頂き、その感動をご自身の力に換えて頂きたいと思ったのでした。

マウレ山荘の住所・電話番号は、「北海道紋別郡遠軽町丸瀬布上武利172番地 電話0158-47-2170」です。

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鍛錬の限界

2009-09-16 06:55:49 | くるま旅くらしの話

今回の旅の目的の一つがパークゴルフの腕を挙げるということでした。忠類(幕別町忠類~幕別町はパークゴルフ発祥の地である)に屯(たむろ)している(と書くと、何か良からぬ輩と誤解されそうですが、そんなことは決してありません)パークゴルフ狂とも言える人たちと、互角とは言わなくてもせめてトップと1ラウンドなら3打差以内で廻りたいと思ったのでした。そして同世代のご婦人には負けないで廻りたいとも。

私は球技と体力には多少自信がありました。というのも中学生の時からバスケットボールを始め、高校、大学と続けて就職後も遊びですがそれを楽しむ環境に恵まれ、走ることにあまり苦痛を覚えることなく、40代で膝を痛めるまでは、休日のジョギングも20kmくらい走っても翌日に影響はありませんでした。野球やゴルフを球技と呼ぶのか良く解りませんが、小さいボールを扱うのはあまり得意ではありませんでしたが、まあ、そこそこのプレーを楽しむことは出来たし、少なくとも同世代の女性(プロは別ですが)に引けをとるなどということはありませんでした。特に女性を意識しているわけではありませんが、基礎体力のことを考えると、同じ競技をしていて女性よりも劣った結果を出すというのは、自分自身の体力や運動能力が劣化した証拠のような気がして、自分に対して我慢がならなくなるのです。ま、そのようなことから、実はどうでもいいような理由なのですが、パークゴルフというのを5年前くらいから始めたのですが、安易にロースコアで妥協している自分が気になっていたのです。やるからにはもっと良いスコアを出せなくてはと次第に思うようになりました。

パークゴルフというのは、1本のクラブでティーショットからパターまでをこなす競技です。長いことゴルフをやってきた私は、最初はゴルフの感覚が狂ってしまうのを恐れて、北海道に来ても決して誘いに乗ることをしませんでした。それがゴルフに行く機会が次第に少なくなり、ホームコースの会員権も倅に譲ってしまった後は、ゴルフに対する情熱が次第に薄くなり、その内に北海道へ行ったらパークを始めてみようと、その気になったのでした。それが5年ほど前のことです。しかし、やってみるとこれはもうゴルフとは全く違った競技で、勝手が違うのです。北海道では年配者を中心に競技人口が形成されていますが、殆どの方は最初からゴルフではなくパークゴルフとしてこの競技を始めていますので、私のようなゴルフにこだわってきた人間とは競技に対する取り組みが全く違うのです。言い換えますと、素直にパークゴルフに集中して無理をせずにプレーを楽しんでいるのです。そのような取り組みが結果としてスコアを安定させているというわけです。

ところが自分といえば、分っていながら必要以上の力と神経を使い奮(ふる)って泥沼に嵌まり込み、そこから抜け出そうとして、益々地の底に沈没してゆくという様(ザマ)なのでした。この5年間そのプレー姿勢をとり続け、辿り着いた結論がもう一度原点に戻って鍛えるということでした。力を抜いて、集中力を高めるなどということではありません。身体にパークの感覚を覚えこませようと思ったわけです。

30代でゴルフを本格的に始めて間もない頃、1ヶ月以上の期間毎日練習場に通ったことがありました。本番だけではダメだと思い、とにかく練習だと思ったのです。仕事が終って帰宅した後、夕飯もそこそこに近くの練習場に出かけて、2時間近く打ち込み、休日には弁当持参で通って、朝から夜遅くまで打ち続けたのでした。その時は高松在住でしたので、練習環境に恵まれ、練習場も打ち放題で月1万円という安さでした。最初の頃は腕が痛くなり、指が腫れ上がってしまい、手袋を1サイズ大きくしてもなかなか手が中に入らないという有様でした。爪も割れるので、最初から絆創膏を巻いての取り組みでした。そんなことを続けた結果、ゴルフのスウィングが何かということがようやく分ったのです。苦手のクラブも少なくなりました。1番アイアンも振りこなせるようになったのです。

この時の経験が頭にあり、今年は一念発起してパークに取り組んでみるかと思いながら家を出発したのでした。しかし、北海道に入って以降連日雨ばかりで寒く、パークに取り組む気力は萎えてしまい、クラブを握ることもないままに、パーク仲間の滞在する忠類に着いたのは16日目でした。着くといきなりその日の午後遅くナイターも可能だからと誘われて、今年初めてのプレーとなったのでした。結果は当然のことながら後ろからのベスト3くらいだったと思います。何しろ皆さんパーク漬けの人ばかりで、中には北海道を代表するような方も入っているのですから。ま、私としては今日が練習の開始日だと思ったのでした。

で、翌日親しき知人のIさんから手ほどきを受けました。Iさんは福島県から今年は単身で来ておられ、もう1ヶ月以上此処で体力づくりを兼ねてパークに取り組んでおられる方で、トップクラスの方とも伍してプレーされています。そのIさんに1時間以上丁寧にコーチをして頂きました。なかなか力を抜くことが出来ず、軽く打っているつもりでもコントロールが効かずオーバーしてしまうことが多く、うまくゆきません。打ち方についてもワンパターンから抜け出せません。練習をしながら幾つかの課題を見つけることは出来たのですが、とにかくこれからそれらを克服するには練習量を増やすしかないと、改めて思ったのでした。

忠類を離れた後は別海町と弟子屈町エリアのパークゴルフ場で練習に励みました。特に弟子屈町の900草原は北海道でも有数の360度(現地のキャッチコピーでは720度といっている)展望の利く素晴らしい場所にパークゴルフ場が造られており、何度行っても飽きないのです。コースもかなりタフで、自分のようなハードヒッターでもなかなか届かないホールもあるのです。ここには何度も訪れ、かなりの練習をしたのでした。しかし、なかなかスコアは上達しません。パークゴルフではホールインワンなどというのは当たり前のことで、これは3回ほど出しましたが、いずれもまぐれで、出そうと思って出た訳ではなく、それではダメなのです。パークの巧者は勿論狙っていて出すわけで、それが出来ないうちはホールインワンなどを喜んでも仕方ないのです。相変わらず力を抜くことが出来ず、多少スコアは良くなったものの、まだまだ忠類の皆さんとは差が大きいのです。

そのようなことを続けながら、その後の旅先で練習を続けたのですが、8月半ば近くになって腕というか、肘が何だかおかしくなっていることに気づきました。日を追うごとに握力が下がってくる感じで、そのうちに腕を持ち上げるのもきつい状況となり出したのです。これには参りました。腱鞘炎かなと思ったのですが、それとも違う妙な痛さです。もはやパークどころではなくなりました。しかし医者に行くほどのレベルでないというのは自分で判ります。恐らくパークのやり過ぎで、ボールを打つ時のインパクトの衝撃が肘を痛めるのにつながったのだと思います。筋肉を傷めたというよりも骨に来ているという感じです。これは少し厄介だなと思いました。

若いときからたくさんの種類の怪我を体験していますので、大体の対処法は解っているつもりですが、この種の痛さはあまり経験したことがなく、とにかくパークはやめて肘に衝撃を与えるようなことは一切しないで回復を待つしかないと思ったのでした。

考えてみれば俺も来年は古希。今更鍛錬は無いよな、と改めて己の愚かさを思ったのでした。私は既に高齢者ですが、実のところ高齢者と思ったことは一度もありません。恐らく死ぬまで高齢者などとは認めないのだと思いますが、それは精神面でのことであって、肉体的な部分に関しては、これは認めざるを得ないのかなと、最近少しずつ思うようになりました。生命が有限であるかぎりはやはり老化というのは避けては通れない道なのでありましょう。今回はどうやら無謀な試みであったようです。鍛錬などという発想は、もはや限界の彼方にあり、それを乗り越えようとすればその結果は破滅しかないということを思い知らされた感じです。今日もまだその妙な痛みの残る肘を撫でながら、しかし、今度は鍛錬とは違う方法でパークのレベルアップを図ってやるぞ!と思っているところです。

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スリップサイン

2009-09-15 06:53:43 | くるま旅くらしの話

今日はタイヤのことについてちょっと。ご存知だと思いますが、タイヤの磨耗状況をチエックする目安に、スリップサインというのがあります。タイヤがどれくらい磨り減ってきているかを示す箇所が、タイヤには必ずあります。タイヤの取替えを行なってから2年以上経過する頃には、気になって時々その箇所を覗いてみるのですが、SUN号に乗るようになってからは、まだ一度もそのスリップサインが現れる状態まで乗ったことはありません。今回も出発前の点検では、それは見当たらず、まだ2年半くらいだし、ローテーションも2回ほどやっているから大丈夫だろう。旅から戻ってから交換をすることにしよう、と考えていたのでした。

現在SUN号は年間約2万キロ程度の走行距離です。私どもの旅の基本パターンは、冬は旅を控え、春になったら東北エリアを中心に桜や新緑を訪ね、夏は北海道、秋は関西等西日本エリアを旅するという形です。勿論これに捉われず、思いついたらどこへでも出かけるということもあります。このような旅の中で、一度の走行距離が最も長いのが、今のところ北海道行です。船を最短距離しか使わず、あとは自走ですから、当然走行距離は増し、今回の旅でも6千5百キロ近くとなりました。タイヤのトラブルは、自宅から遠く離れたエリアで起こるのが一番心配です。北海道の山の中でバーストなどしてしまったら、そこがもし携帯が使えないようなエリアだったら、これは大ごととなります。長期間の旅の場合は、タイヤの安全確保は最重要テーマです。

そう思いながら、人間というのはどうしても自分に都合の良いように考えてしまうようで、今回の旅の出発前のチエックのときは、4万キロは超えているけどスリップラインは見えていないし、ま、大丈夫だろうと勝手に決めてしまったのでした。その後はタイヤのことなどはすっかり忘れ、函館に上陸してから、道南エリアをうろつき、やがて道央に入って富良野の花などを見たりして、たちまち10日ほどが過ぎたのでした。

13日目、旭川のショッピングモール(いつもラーメン村がある所へ行く)で買い物をして、その夜は旭川市に隣接する当麻町にあるスポーツランドという所に泊まったのですが、夜間はかなりの雨降りとなりました。私はそのようなことは全く知らなかったのですが、家内の話によると、近くに泊まっていた何台かの旅車の中の1台で、夫婦喧嘩らしき大騒ぎがあり、その収拾が大へんだったらしく、朝になってその車の傍にいるのは嫌だから、早々に違う場所に移動して欲しいということでした。旅先で大立ち回りをするような人たちは、旅の資格はないように思います。私どももいつも仲良くというわけにはゆかず、軽いジャブ程度の諍(いさか)いは日常茶飯事ですが、他人に止められるほどの大立ち回りはしたことはなく、もしそうなったら、旅は終わりですし、それ以上の問題に発展するに違いありません。残された人生の先細りの時間を、そのようなトラブルで台無しにするほど愚かではないつもりでいます。イヤ、これは脱線でした。

そのようなわけで、近くの別の駐車場に移動したのですが、ふと気がついてタイヤを覗いて見たのです。まだ大丈夫だろうと思っていたタイヤが、何となく磨耗度を増して、光っているような感じがしました。それで虫めがねを出してスリップサインの三角印のところを良く見てみますと、何となくそのサインが見えるような気がするのです。気がするというのは、今まではっきりこれがスリップラインだと確認したことがなく、そう思えばそのような、そうでないと思えば大丈夫のようなという揺れ動く気持ちです。こういうのは実に困ります。何しろ背景には不安を増強するバーストなどの事故がイメージされるのですから。ちょっぴりそのようなことを家内に話すと、たちまち不安は倍増してこりゃあ何とかしなければという気持ちになってきました。

考えてみれば、家を出てから青森県の大間までで900kmも走り、北海道に来てからも千キロ以上走って、もう2千キロを超えているのです。これから先少なくてもその倍以上の6千キロは超えるでしょうから、大ごとになる前に思い切ってタイヤを替えた方がいいのではないかと思ったのでした。

ところがどこで交換して貰えるかわかりません。在宅のときは市内のタイヤ館などでは車がピットに入らないため、いつもわざわざ東京小平市のブリジストン工場脇のタイヤ館まで行って交換して貰っているのですが、このときも事前にタイヤの在庫を確認しておかないと、いきなり行ってすぐというわけには行かないのです。トラック仕様の特別なタイヤのため、在庫がないケースが多いのです。とにかくタイヤの店を見つけたらそこに寄って訊いて見ることにして、旭川市内に向いました。

ナビなどないので、情報は皆無です。犬も歩けば棒に当たる式のさ迷い棚ボタ探しです。このような時は意外と早く情報というか、結果が付いてくるもので、さほど時間も掛からずに旭川郊外を走っていて、ミスタータイヤマンの店を発見しました。早速寄って、このレベルでこれから先大丈夫か訊いてみると、微妙なところではないかと言う判断です。磨耗の問題は、どのような走り方をするかが大きく係わってきますから、天気が回復して路面温度が上がったり、悪路を走ったりすればタイヤのダメージはそれだけ増すわけです。いずれにしても安全・安心からは無縁の話となりますので、思い切って交換することに決め、それが出来るかどうかをお願いしたのでした。このお店では、タイヤさえあれば交換する作業環境はSUN号でもOKとのことです。在庫がなかったため問い合わせて頂いた結果、明日であれば苫小牧から所定のタイヤが届くとのことです。仮に1週間掛かってもこの近所で待つつもりでしたので、たった1日の辛抱で済むとは真に有難いことでした。ということで、胸を撫で下ろし、明日の再訪を約して店を後にしたのでした。

翌日予定通りにその店をお邪魔し、すんなりと交換を済ませ、事なきを得たのでした。ま、大した話ではありませんが、旅先でのバーストの話は良く耳にします。旅先ならずとも、キャンピングカーのタイヤに関するトラブルは結構多いようです。何しろ図体がでかくて重量がありますし、旅に出ない間は、車庫に鎮座しているだけのことが多いため、タイヤの劣化に気づき難(にく)いのではないかと思います。大した距離は走っていなくても、経年劣化は結構大きいようですから、もし5年間もそのままでしたら、見た目には何でもないようでも、これは取り替えた方が安全だと思います。事故やトラブルは、起きてしまったら取り返しのつかないことになります。今回は未然防止が出来たとはいえ、自分の判断の甘さを深く反省する出来事でした。これ以降は、より以上「転ばぬ先の杖」の考え方を重視した判断を心がけようと堅く決心したのでした。何しろ、SUN号にはあと20年は頑張って貰おうと思っていますので。

  

交換直後のピカピカの新品タイヤ。これでもう安心。因みにカムロードは前後のタイヤ幅が異なる仕様となっているが、SUN号の場合は、前後とも同じ215cm幅のものとしている。多くはそうされているのではないかと思う。

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無計画と無謀

2009-09-14 04:14:04 | くるま旅くらしの話

旅の中で、呆れかえった話があります。モブログ記事にも書きましたが、旅の最終段階になって、高速道に乗る前にR4を通って三戸の知人を訪ねた時のことでした。道の駅にいるという知人を探して三戸の道の駅に車を停めていたら、3人の大学生というのが傍に寄ってきて、そのうちの一人が自分たちはヒッチハイクで九州からやって来て、北海道の札幌まで行き、これから久留米まで戻るのだけど途中どこまででもいいから乗せて行って貰えないか、という話でした。自転車で来たのだけど足が痛くてもうこれ以上は走れないので、何とかお願いしたいということです。確かに疲れているようで、話をしているリーダーらしき子以外の2人は、へたり込んで足を撫でていました。

我々の方はと言えば、これから知人と話した後は一戸ICから高速道に入り、そのまま南下してどこかのSAで泊まって明日帰宅する予定です。無理だと断ったのですが、3人はしつこくて一戸のICまででもいいから、乗せて行って欲しいと諦めません。体だけなら何とかOKしてもいいとは思いましたが、何しろ自転車が3台もあるのです。後ろのバイクキャリアには荷物入れの箱を積んでおり、それを外せば2台を載せることは可能で、あと1台は無理すれば室内に入れるのもできるかも知れないけど、旅車はトラックではなく、室内は居住空間であり、いわばダイニングやリビングに自転車を持ち込むことになり、歓迎は出来ません。

話をしている内に彼らはだんだん勝手なことを言うようになり、自転車3台を縦にすれば車に入るとか、分解すれば何とか積める等と言い出しました。自分たちの願望というのか要望というのか、相手のことなどあまり考えずに自分たちの都合の良いようなことばかり言うのです。自転車で来たと言うので、出発する前にどれくらい訓練したのか聞くと、そんなことは全然していないといいます。シュラフなどを積んでいるのかと聞くと、そのようなものは何も持ってきていないといいます。幾ら若いといっても、それは無謀というものだと話すと、自分たちは無謀が好きなのです、などというのです。これには呆れかえりました。

私が52歳の時、半月ほど休暇を貰って四国の八十八箇所を自転車で回ったことがありますが、そのときは半年以上も前から20kmほど離れた勤務先まで毎日自転車で往復通勤し、休日には往復100kmほどを休みなく走って足腰を鍛えて実行したのでした。お蔭でへたることもなく1,300kmを12日間で走破し、無事目的を達することが出来ましたが、自転車の旅と言うのは歩くよりも厳しいものなのです。たとえヒッチハイクといえども、車に乗せてもらえないときには自転車で行かなければならず、その距離は20~30kmになることなど当たり前でありましょう。幾ら無謀が好きとはいえ、北海道まで行くのなら多少は自転車で走りこんで足腰を鍛え、野宿も覚悟してシュラフやテントくらいは持参するのが当然だと思います。

それがこの3人は、全く何もしていないというのです。先ほどから話している自転車が見当たらないので、訊くと下のコンビニの前に置いてあると言うので、それを見ましたら、何と使い古したようなママチャリではありませんか!変速ギア付きの自転車かと思っていたので、これには又々あきれ返りました。と同時に次第に腹が立ってきました。乗せるというのは即刻止めることにしました。このようなバカ者どもを乗せるなんてとんでもないと思ったのです。それまで多少あった同情心は一気に吹き飛び、怒鳴りつけたいような衝動に駆られました。

以前にも、北海道への旅でヒッチハイクの一人旅をしているという、沖縄からの青年を拾って乗せたことがありますが、彼は自転車ではなく歩きでしたが、シュラフは持っており、道の駅のトイレの前の地べたに寝ていたのでした。少し気の毒になった相棒がその青年を連れてきて乗せることになったのでしたが、家内が得体の知れない人を乗せるのは不安があるなどと話すと、彼の方でも乗せて貰う側にも同じような不安があるのですということで、なるほどお互い知らないもの同士ではそうなのだろうなと思ったのでした。本当に困っている善人ならば、何とかして同乗させてあげようという気持ちは我々にもあるのですが、この3人のあり方については、同乗の余地など殆どありません。無謀が好きなら、無謀の結果がどのようなものなのかをトコトン楽しんだらいいと思っただけでした。

3人で旅をしているというのも、主体性がなく気に入りません。リーダーと思しき者は折衝のために口を利いているので、多少は鍛えられると思いますが、他の二人は泣き言だけを言っていて、下等な同情心を煽ろうとしているだけです。一人で出来ないことを3人でやるというのは必ずしも悪い考えではないと思いますが、反面一人ひとりではやる度胸がなく、もたれあった依存心が不安の解消に役立つだけで、本人たちの本当の力にはならないと私は考えます。若者が旅に出て自分を鍛えることについては、大いにエールを送りますが、大学生とも思えぬこのような無謀にして幼稚な遊びに対しては、同情心も激励心も全くありません。あきれ返るのを通り越して腹が立ったというのが本当のところです。

良くもまあこのような奴らを札幌まで運んでやった人がいるものだと、その騙され易い運転手たちを気の毒に思うと共に、これから先は誰も乗せてやらないことを願ったのでした。

ところで私どものくるま旅くらしは、無計画というか、あまりきっちりとスケジュール化されていないことの大切さというか、面白さというようなものを強調していますが、これは無謀とは関係ありません。無謀というのは、旅のための基本事項を何も考えずに、その場その場で行き当たりバッタリに対処してゆくようなやり方を言うのです。例えば旅のライフライン(電源、トイレ、給排水、情報通信、ガス、予算など)に関して杜撰(ずさん)なまま旅に出かけるというのは、無謀というものです。必ずいつかどこかで旅が成り立たなくなり、破壊されてしまうに違いありません。このときに他人に依存するというのが最後の手段となるのでしょうが、他人頼みの旅は本道とは言えないでしょう。ヒッチハイクというのは最初から他人頼みの旅であり、旅する本人に己を律する厳しさがないのならば、そのような旅はするべきではないと私は思います。無謀と無計画とは旅の根本精神に於いて全く異質のものだと思います。

その後の3人がどうなったのかわかりませんが、誰かに拾われてのうのうと久留米まで帰り、今年の無謀の旅は面白かった、又来年も是非やろうなどということには決してなっていないことを願っています。世の中は無謀を安易に許すほど甘くないということを学べなかったのなら、彼らのこれから先には幾つもの挫折の陥穽が待ち受けているに違いないと思うのです。基本的なことをいい加減にした無謀の結果は、一般的には天罰と呼ばれているようです。基本をいい加減にした生き方には、必ずどこかで天罰が下されるということを、この70年近い人生経験の中で、たくさん見てきました。つい先日も同じ北海道大雪山で大勢の遭難者を出していますが、これなどもどこかに無謀の要素が侵入していたように思います。

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ジャンプ、ジャンプサクラマス

2009-09-13 00:20:02 | くるま旅くらしの話

その情報は、旅の途中で、何度か魅力的に耳に入りました。魚の滝登りの話です。滝を登る魚といえば、何と言っても古来より鯉が有名ですが、実際のところ鯉が滝登りをしているのを見たことが無く、本当にそんなことをするのか疑問は消えません。また、滝とは言えなくても、鮎が急流の堰などを果敢にジャンプして遡上を果たすというのは、TVなどで見たことがありますから、鯉君たちも条件が揃えば数メートルの滝でも踊り上がって登ってしまうパワーを秘めているのかも知れません。

今日のその滝登りの主役はサクラマスです。サクラマスは物の本によりますと、ヤマメの親戚であり、元々は同じ魚だったようです。サクラマスのように河川で生まれて海に下って生長し遡上して卵を産むという暮らしぶりをするのを降海型といい、海に下らずそのまま河川の中で一生を過すものを残留型(もしくは陸封型)というのだそうで、もともと同じ種類の魚だったということです。一般に海で暮らす方が大型で、河川のものは小型なのだそうです。サクラマスは最大70cmにもなるとのことですから、ヤマメと同じとはとても思えません。

さてそのサクラマスの滝登りの話を初めて聞いたのは、北海道へ入ってあまり時間も経っていない7月半ば過ぎでした。一足早く渡道されていた神戸在住のMさんからメールを頂いた中に、「今日サクラマスの滝登りを見物し、写真もしっかり撮って感激した」というような内容がありました。斜里町のどこかの川での出来事だったようでした。鮭の遡上は知っていますが、ハテ、サクラマスというのはどんな魚だったっけ?とそのときは魚のイメージが今一ピンと来ませんでした。カラフト鱒なら知っていますが、ま、似たようなものだろうと思いました。メールからはとても感動的な様子が伝わってきて、自分たちもチャンスがあれば見てみたいものだと思ったのでした。

しかしそれからしばらくの間は、もうそのようなことはすっかり忘れてしまっていて、別の世界で毎日を過していたのですが、弟子屈町の道の駅:摩周温泉近くにある水郷公園に泊まった時、沼津からお出でのWさんにお声を掛けて頂き、なんと私のブログを毎日読んで頂き、拙著もお買い上げ頂いていると聞いて、驚き感激したのですが、そのWさんもサクラマスをご覧になったと話されていました。それで、先のMさんの話を思い出し、これはどうしても行って見なければなるまいと思ったのでした。Wさんのお話では、例年だともう遡上は終っている時期なのだけど、今年は遅れているようで、未だ見られるかもしれないということでした。大体の場所を教えて頂き、地図でチエックをしておきました。ナビなし主義なので、手元の地図が頼りなのですが、新しいと思っていた地図も気がつけばもう買ってから7年が経過しており、細かい情報は話を聞いて見当をつけて行くしかありません。ま、何とかなるだろうと、迷いを覚悟の楽観的境地です。見つからなければ、諦めるだけです。

3日ぐらい後、札弦(さっつる)の道の駅に泊まろうかと、川湯温泉(弟子屈町川湯温泉)を出た後、R391から道道に入って少し走った所に「緑の湯」という温泉の案内板があったので、その方向へ行けば桜の滝という、その遡上が見られる場所が判るかも知れないと右折のハンドルを切ったのでした。このカンはぴったり的中し、しばらく行くと滝の案内板がありました。あとはそれに従って行くだけです。途中から舗装がなくなり、砂利道の埃の中を走り終えると、滝の入口に着きました。

その日は久しぶりに日差しが強く夏らしさが戻った感じで、こうなると木陰が欲しくなるのですが、車を停めた後に川を囲む木陰の中を少し歩くと、目当ての滝がありました。滝といっても高さが3メートル足らずで、川幅は20メートルも無いといった程度でしょうか。両岸にはミズナラなどの木立とブッシュが覆っており、滝からのしぶきが清涼感を増してくれます。この川は何という名前なのか、多分札弦川ではないかと思います。地図によれば近くにもう一本斜里川というのが流れており、少し下で合流するようですから、そのどちらかなのだと思います。どうも自信がありません。

さてその滝ですが、川幅20メートルほどの流れが、突然落差3メートルほどの崖になっていて、そこを水が一挙に落下するというものであり、少し高い天然の堰のような感じです。水量が多いので、これをジャンプして上流に跳ね上がって進むというのは、魚君たちにとっては至難の業のように思えました。どんな具合なのかとしばらく目を凝らしてみていましたら、いるいる、滝の白い水しぶきの下にかなり大きい奴が群れて動いていました。しばらく見ていると、断続的にですが、果敢に挑戦しているのが見えました。ヤッあそこにも、ホレここにも!と、やがて見るのに慣れてくると、あちらこちらで、大きな魚がジャンプするのが目に入ってきました。いやあ、大変なものだなと感心しきりです。

     

真ん中の黒い魚影が果敢にジャンプするサクラマス。川の水量が多く、白濁して砕け散る飛沫を乗り越えて上まで届くのは至難の業ではある。

どのようなタイミングでジャンプするのかわかりませんが、1匹だったり、2匹だったり、時には団体でジャンプしたり、どう考えても無理だと思われる高さでも、懸命にジャンプして上流へ向おうとするその意思の強さには、何でも直ぐに諦めてしまうような人間は多いに学ぶべきではないかなどと思いながらの観察でした。何とかその果敢な姿をカメラに収めようとしましたが、買ったばかりのデジカメの使い方が良く解らず、普通の使い方では、ジャンプを見てからシャッターを切ったのでは時既に遅くて、結局自分のカメラでは1枚も魚影を捉まえることは出来ませんでした。家内のカメラの方が遙かに性能が良いので、此処に掲載した画像は全て彼女が撮ったものです。

   

2匹が縦列でジャンプしているところ。左方の黒いのがその魚影。一度に複数のサクラマスのジャンプを捉えるのはこの時期では難しいようである

ジャンプするのを良く見ていると、最初から無理なのを承知の上で気力なく跳んでいる奴や滝の流れの遙か手前でジャンプの練習をしているとしか思えないような跳び方をしている奴など、結構個性があって面白く、見ていて飽きないものでした。30分以上観察しましたが、上流まで上れたのは皆無のように思いました。一体どれほどのサクラマスがジャンプを成功させて上に行くことができているのか疑問です。ジャンプをしている奴の背中でもう一度ジャンプでもしないと上には行けないのではないかと思います。この滝は彼らにとっては地獄の閻魔様のような存在なのかも知れません。いろいろなことを考えさせられました。

その昔上流へ行くのを諦めたのか、或いは下流へ下るのを嫌った奴が残留型となってヤマメになったのか判りませんが、自分の思うところでは、ヤマメの方が賢いのかなと思ったりしました。身体は小さくてもわざわざ海まで下って、メタボになって又戻ってきて、こんな所で不要なジャンプなどしなくても良いのではないかというのがその理由です。これは如何にも功利的な人間流の考えなのかも知れません。広い海での暮らしの楽しさを知ったら、どうしたってそれを優先するしかないよ、というのがサクラマス君たちの述懐なのかもしれません。本当のところは、神のみぞ知るということでありましょう。サクラマス君たちのジャンプが一つでも多く成功することを願って、滝を後にしたのでした。

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オロンコ岩のてっぺん

2009-09-12 04:25:13 | くるま旅くらしの話

知床の玄関口の一つのであるウトロの港に隣接して、オロンコ岩と呼ばれる巨大な岩塊があります。今ウトロでは新しい港を作っているようですが、オロンコ岩はもしかしたらその昔は独立して海の中にあったのかも知れません。知床八景というのがあって、オロンコ岩はその一つに含まれています。因みに知床八景とは、①オシンコシンの滝②オロンコ岩③夕陽台④プニュ岬⑤フレペの滝⑥知床峠⑦知床五湖⑧カムイワッカの滝の8つの場所を言い、殆どがウトロ側にあり、羅臼側には無いようです。提唱者は斜里町のようですから、当然そうなるのかも知れません。私どもは未だ6箇所を不完全に訪ねただけで、全部を見たわけではなく、特に見ようとも考えていません。

    

ウトロの道の駅から見たオロンコ岩。高さが60mあるという。正面左側の方から頂上に向う道がつくられている。170数段の階段を上るとてっぺんに至る。

さて今日はそのオロンコ岩のてっぺんに、一人で登ったという話です。ウトロには去年新しく道の駅がオープンしました。その名は「うとろシリエトク」、日本語で書けば「宇土呂知床」とでもなるのでしょうか。その道の駅からは海に向って右側に巨大な岩がデンと構えています。これがオロンコ岩です。この辺りには巨岩が多く,オロンコ岩の右手には奇怪な形をしたゴジラ岩と呼ばれるのもあります。これなどは人工的に作られたのかと思うほど、見る角度によって、亀の姿やゴジラの姿に見えるのです。数ある巨岩の中では、オロンコ岩が一番大きくて高さが60m、周囲は良く判りませんが500mくらいはあるのではないでしょうか。

昼寝から目覚めたら、相棒は何処かへ出かけていていませんので、あの気になる岩に行ってみることにしました。そのときは登ることなど考えていませんでした。というよりも上まで登ってゆける道があるとは思っていなかったのです。ところが側に行って見ますと、登山道というか散策道が整備されており、子連れの人たちまでが登っているではありませんか。しかし、あまりにも急勾配なので、大丈夫かなと少なからぬ不安を覚えました。というのも、実は私は高所閉所恐怖症の気があるのです。現役時代一番困ったのは、飛行機に乗ることでした。できる限り飛行機に乗らないようにしていたのですが、飛行機での出張が当たり前となった時代では、かなりの頻度で乗らざるを得ませんでした。搭乗するまでは、往生際が悪くて冷や汗をかいたりしているのですが、乗ってしまうと諦めの覚悟が出来てようやく落ち着くという連続でした。引退後は車旅ですから、もう特別のことでも無いかぎり、生きている間は飛行機には乗らないで済むとホッとしているというような人間なのです。

おっかなびっくり登り始めたのですが、なんと足元というか、崖に造られた小路の脇には、見たこともない高山植物のようなものが花を咲かせているではありませんか!こうなると高所恐怖症の話は別となります。下の登り口の案内板に野草を楽しむことが出来ると書かれていたのを思い出し、もしかしたら、この岩の上にはもっと珍しい野草などがあるのかも知れないと、恐さよりもその期待の方が大きく膨らんだのでした。絶壁の下は波涛が砕け散る黒い海が広がっています。足を滑らせて落ちたら、一巻の終わりです。とにかく下を見ないようにして、前方の岩肌と植物だけを見ながら上を目指したのでした。

   

登る途中の崖の部分にたくさん点在して咲いていた高山植物風の花。後で調べたら。イブキジャコウソウという名だった。ジャコウソウというからには香りの良い花なのだと思うが、そのときはあまり感じなかった。小さな花だけど美しさは大きいなと思った。

15分ほどかけててっぺんに着きました。そこには一周出来る散策路がつくられていました。絶景かな!です。目前遙かにオホーツクの海が水平線を描いて広がり、眼下にはウトロの港と市街地が全望できます。直ぐ側を通ったときには巨大に見えたゴジラ岩が小さく見えています。これ以上にウトロの景観を俯瞰できる場所は無いなと思いました。

      

てっぺんから見下ろすゴジラ岩。左側がそうらしい。この二つの岩は、右方の道の駅側から見ると、ゴジラではなく巨大な亀の姿に見える。

そして、そして岩のてっぺんは何と、なんと野草の天国となっていました。先ほど登る途中に見た高山植物のような姿の野草は此処にはありませんでしたが、原生花園と同じようにたくさんの珍しい花も咲いていました。それらを一々紹介するのは止めますが、一つだけどうしても紹介したいのは、トリカブトです。北海道にはエゾトリカブトというのが野に点在しています。先日の釧路湿原では、いつもの場所にそれを見ることが出来なかったのですが、その後川湯温泉あたりでも道端に咲いているのを見かけて、車を停めて写真を撮ったりしていたのでした。それが、なんとこのオロンコ岩のてっぺんにたくさん群生しているではありませんか。いやあ、驚きました。

   

てっぺんの野草天国広場に咲くエゾトリカブトの花。花の向う遙か下に、新しく造られつつあるウトロの港が見える。

トリカブトは、推理小説などでよく殺人事件の手段に使われるなどしていますが、アルカロイド系のその毒を使って、その昔アイヌの人たちは熊狩りなどに利用したようです。その地下茎に猛毒があり、それを塗った矢を放てば、巨体の猛獣のヒグマでさえもコロリといってしまうというのですから、恐ろしい話です。

しかし、トリカブトの花は、美しいのです。多くの人はそれがトリカブトだとは知らずに綺麗な花が咲いていると好感を持つに違いありません。高貴にしてあでやかな雰囲気を持つその花は、野草の女王といっても良いかもしれません。その花が、他の野草に混じって幾つも咲いているのには驚きました。下界の難を逃れた野草たちが、このてっぺんでひっそりと生命をつないで来たのかもしれません。それにしてもこのような厳しい条件の場所に、良くもまあ生き残っているものだと、野草たちの逞しい生命力に改めて脱帽したのでした。

   

野草天国広場に点在して咲くエゾトリカブトの花。このような狭い場所に、これほどたくさんの花を見たのは初めての体験だった。

てっぺんは私にとっても天国のような気分の世界で、何枚もの写真などを撮りながら満足の時間を過ごしたのでした。しかし、帰り道は、これはもう登り以上に厳しい精神状態で、手すりをしっかり持って、なるべく崖や海の方は見ないようにしながら、息を整えて一歩一歩を確認しながら時間をかけての下山でした。

思いもかけぬ天国と地獄の世界を短時間で味わい、新たな旅の収穫を拾ったという話です。ウトロに寄られた方には是非お勧めのスポットです。

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釧路湿原の花(2)

2009-09-11 04:18:02 | くるま旅くらしの話

昨日のの続きです。本当は一挙に掲載してしまいたいのですが、ブログの投稿には字数の制限があり、それが出来ないのが残念です。湿原には綺麗どころばかりではなく、地味な花もありそれぞれが個性を主張しています。その主張を聴き取ることが野草観察の妙味なのだと思っています。

*釧路湿原原風景

   

昨日の写真と大して変わりませんが、釧路湿原には草だけではなく背丈の低い樹木が所々藪を形成していたり、千切れたように佇(たたず)んでいたりしています。まだ幼い木なのかなと思って良く見ると、これが結構年を経た木なのに驚かされます。丁度高山地帯の樹木がそうである様に、湿原の環境も冬は厳しく、泥炭の土質では樹木の生長は伸び伸びという訳にはゆかず、生き残るのはきわめて難しい環境にあるのだと思います。ダケカンバやハンノキ、ミズナラ、コオリヤナギ、ノリウツギなどがその主な樹木たちのようです。植物というのは、一見動かないように見えますが、その世代一代では動かないように見えても、世代交代を重ねる中では、随所に子孫を進展させ、生命の拡大を周到に図っているのがわかります。

*ドクゼリ(毒芹)

   

7月末の湿原で一番目立つ花の一つがこのドクゼリだと思います。毒と名の付くからには、食べれば身体に異常を来す代物だと思いますが、花の方は結構美しいものです。まるで天に広がる真っ白な花火のような美しさです。あちこちに点在していますので、うっかりすると当たり前の野草として見過ごしてしまいますが、良く見ると毒がどこにあるのかなと思うほど品のある花です。

*イヌゴマ(犬胡麻)

   

この花が本当にイヌゴマなのかちょっと自信がありません。クルマバナという良く似た花もあり、もしかしたら間違っているかも知れません。ま、イヌゴマということにしておきましょう。「イヌ」というのは、犬君たちには申し訳ないけど、植物の命名の場合は、「あまり役に立たない」というような意味で使われるようです。したがって、イヌゴマというのは、役に立たない胡麻というような意味で、つまり胡麻に似ているけど胡麻ではない植物といったことになるのだと思います。湿原の中にちょっと目立つピンクの花はそれなりの存在感があります。

*シオガマギク(塩竃菊)

   

この花は湿原の中というよりも、湿原の岸辺というか山際近くの道端に多く咲いていました。濃い赤紫色の花びらは、少しねじれた風に咲いていて、もしかしたら巴シオガマと呼ばれている種類のシオガマギクなのかもしれません。図鑑を見たら、この命名にはちょっとした駄洒落みたいなところがあるようで、塩竃というのは塩を作るための釜のことですが、それは浜で美しい存在と思われているのに引っ掛けて、この花は「葉まで(=浜で)美しい」という意味で、シオガマギクと名付けられたのだそうです。それほど葉が美しいとは思えませんが、ま、それで良いことにしておきたいと思います。

*アキカラマツ(秋唐松)

   

カラマツ草という花があります。白い花が落葉松の葉に似た形をしているところから名付けられたようですが、アキカラマツはそれと良く似た姿をしており秋に花を咲かせるので、そう呼ばれています。花はカラマツ草とはあまり似ていない感じがしますが、全体としての雰囲気は良く似ていると思います。アキカラマツは全国どこにでもあり、東京に住んでいた時には、玉川上水の側道を歩いて良く見かけたのですが、いつも花が咲く前に刈られてしまうので、花を見る機会はなかなかありませんでした。北海道では原生花園などに行けば、その花を幾らでも見ることが出来ます。地味な花なので、目立ちませんが、中には少しピンクや紫がかった小さな花びらを付けているものがあり、捨てたものではありません。

*オトギリソウ(弟切草)

   

オトギリソウの命名由来は鷹匠伝説として有名ですが、鷹の傷を治す秘伝の薬をこの花から作るについて、その秘密を守るために一緒にいた弟を切り殺したということから、その名がついたというのですから、何ともはや恐ろしい話です。この花にもいろいろ種類があり、育つ環境によって少しずつ花も姿も異なっているように思います。湿原の中のオトギリソウは、それがオトギリソウとは思えないほど大型で、もしかしたら違うのではないかと時々思ったりしています。

*トキソウ(朱鷺草)

   

トキソウは、園芸用として市販されているのは結構大振の姿をしていますが、湿原の中のものは、注意して探さないと見落としてしまうほど小さい花です。厳しい自然環境の中で、小さいけれど懸命に生きて美麗なる蘭の花を輝かせているのは、真に可憐であり、愛おしき花だと思います。なかなか索道の側には見当たらず、ようやく探し当てた株でした。

*ナガボノシロワレモコウ(長穂の白吾亦紅)

   

ワレモコウは赤紫色ですが、このワレモコウの花は白い色をしています。名前の通りその穂が長くて、普通のワレモコウが楕円形程度なのに比べると、かなり大型の感じがします。湿原によらず、北海道では至る所に自生しており、どちらかといえば、当たり前の野草として見過ごされている感じがします。じかし良く見ると、なかなか味わいのある花です。

*クサフジ(草藤)

   

クサフジは草なのに藤のような花をつけるというところから来ている名前だと思いますが、必ずしも藤には似ていない感じがします。藤の花は房状に垂れ下がって花を咲かせますが、クサフジは上に向って花びらを重ねているようです。ま、花の色は藤色ですから、全体のイメージとしては命名どおりといって良いのでしょう。これも全国どこにでも見かけられる野草ですが、湿原の外れの山脇の藪の中の花は、一際目立ち、その存在感を確立しています。

以上の他にもたくさんの野草をみることができますが、今のシーズンとしては目立つ主なものといえば、大体はこのようなところかと思います。いつも見るのを楽しみにしていたエゾトリカブトの花は、今年はいつもの場所には見当たりませんでした。それが残念でした。

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釧路湿原の花(1)

2009-09-10 01:16:22 | くるま旅くらしの話

文章を書くばかりで私自身も少し疲れました。今日と明日は釧路湿原の花を紹介することにします。

釧路湿原は我が国最大規模の湿原だと思いますが、これをどのようにして見たら良いのかと、私どもはその広大な原野のあちらこちらを訪ねてみたのですが、単に展望するだけでは湿原の本当の姿を見ることは出来ないと考え、散策できる場所を探しました。その結果、今のところ一番その願いが叶うのが鶴居村にある恩根内ビジターセンターではないかと思っています。ここには湿原の中に木索道が作られており、その実態を歩きながら観察することが出来ます。

私の夢としては、湿原の中をカヌーのような小舟で縦横無尽に探索してみたいのですが、今のところそれは無理のようです。カヌー愛好者の方に訊いたら、夏の湿原には蚊や虻などの攻撃がもの凄い状況らしく、思いとどまった方が良いと、半ば呆れ顔でのアドバイスを受けたりしました。防虫ネットは少し煩わしいですが、それをつければ大丈夫ではないかなどと思ったりしました。そんなことよりもカヌーが無いし、手に入れたとしてもどうやって持って行くかなどを考えると、ま、いいやと思いとどまっています。

さて、そのような殆ど未開拓()の釧路湿原を、今年も7月の終わり近くに訪ねました。その最大の楽しみは、湿原に息づく野草たちの観察でした。私は、糖尿病の宣告を受けて以来、歩くことに専心していますが、ただ歩くだけでは勿体ないと考え、野草の観察を始めたのですが、今ではそれが病みつきとなり、おかげさまで地球上のどこへ行っても退屈しないのです。植物というのは、想像を絶するような環境、場所でも驚異的な生命力を持つものがしっかり存在しており、見事な花を咲かせたりしているものです。そのような奴に出会うと、妙に嬉しくなってしまうのです。釧路湿原の中にも、時々そのような奴を見出すことがあります。

この時期の花として期待していたサワギキョウは、未だ蕾の状態でその濃い紫の高貴な花を見るには少し早すぎた感がありました。しかし、何種類かの美しい花に出会えて、十二分に満足でした。それらの姿を紹介したいと思います。

*湿原風景

 

釧路湿原は、一見すると、ただの渺茫たる草っ原と背の低い何種類かの樹木が点在するだけの原野です。このような風景を人は「何も無い」と表現することが多いようですが、それは全くの見当違いの誤りだと私は思っています。そこには無数の生命が熾烈な生存競争を展開しているように思えます。その競争相手は、同じ動植物の仲間だけではなく、何よりも厳しい自然環境の変化ではないかと思います。釧路湿原は不可解です。

*ホサキシモツケ(穂先下野)

シモツケは下野のことであり、現在の群馬県エリアを指していますが、このエリアで最初に発見されたことからシモツケと名付けられたと聞きます。シモツケの花は、小さい花がたくさん集まって出来ている集合花で、その仲間はたくさんあるようです。この花は北海道の夏のどこにでも見られる花で、名前の通り穂の先がシモツケの特徴を如実に示しています。多くの人々はその本当の美しさを知らないで見過ごしているようです。集合花を見るときには、虫眼鏡が必携です。その神秘的な美しさに思わず感嘆の声を発してしまうに違いありません。 

*エゾシモツケ(蝦夷下野)

 

これもシモツケの仲間です。正確にはこの呼び方が正しいのか自信がありません。図鑑を見ても判らないので、とりあえずこのように呼ぶことにしました。湿原の所々に美しい花を咲かせています。

*タチギボウシ(立ち擬宝珠)

 

ギボウシというのは、この花の蕾が橋の欄干の擬宝珠に似ているところから付けられたと聞いていますが、この仲間も何種類かあり、湿原にあるのはタチギボウシと呼ばれているようです。ギボウシは、育った茨城県の田舎ではウルイと呼ばれ、山菜の一つとして用いられていましたが、今でも春の東北ではメインの山菜の一つとして人気があるようです。釧路湿原のタチギボウシは、楚々たる紫色の品格のある花を咲かせています。

*ツリフネソウ(吊船草)

 

ツリフネソウも幾つか仲間があるようですが、釧路湿原ではこの花の他に黄色のキツリフネがありました。ツリフネとは吊船のことで、花を観察すると、丁度船を吊り下げたような形をしています。実に珍妙な花の形です。その命名の由来が納得できます。

*キツリフネ(黄吊船)

ツリフネソウは紫色ですが、この花は黄色です。自然界は不思議な花を作り出すものです。不思議としか言いようがありません。

<明日に続きます>

 

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