サロマ湖の西方、遠軽町のその又西方に丸瀬布(まるせっぷ)町(合併で遠軽町の一部となった)があります。このあたりはかなりの山の中で、材木の伐り出しや加工、木工クラフト作りが盛んな所です。その中心街から10kmほど入った更なる山の中に丸瀬布温泉があります。今年の夏は、この温泉の中心的な温泉宿泊施設のマウレ山荘というのを訪れる機会がありました。
前にも紹介したと思いますが、北海道の温泉紹介雑誌の「HO!」というのがあり、これを見ていた時に、この山荘の紹介記事があり関心を持ったのでした。タダで温泉に入ることについては、当初は何となく気が乗らなくて、その雑誌を買うこともしなかったのですが、最近は積極的に活用させて頂くようになりました。というのも、単に温泉にタダで入れるという経済的な理由からだけではなく、普段滅多に行けないところに行くことができ、且つ思わぬ発見をすることがあるというのが判ったからです。このマウレ山荘の話もその一つです。
丸瀬布の道の駅:まるせっぷで一息入れてから温泉のあるマウレ山荘へ向いました。武利川という川の流れに沿って道がつくられており、留辺蘂(北見市留辺蘂町)の方へ行けるらしいのですが、走るに従って道は次第に細くなるようで、とても私のSUN号では走り抜けるのはムリのような気がしました。しばらく走ると、森林公園いこいの森というのがあって、ここではその昔木材の伐り出し輸送に使われた小型のSLが時々運行されているらしい、そのような軌道敷がありましたが、その時は動いていませんでした。
その森林公園を通過して2kmほど行くと、目当てのマウレ山荘がありました。ホテルだというので、どのような建物なのかと期待していったのですが、その期待は裏切られず、鉄筋高層などではなく、如何にも山荘に相応しい3階建てほどの瀟洒な建物が樹木に囲まれて、道の右手上側の方に建っていました。駐車場には私たちと同じようにくるま旅をしている人らしい車もあって、恐らくHO!の恩恵にあずかろうということで来場した車も留まっていました。
マウレ山荘。ヨーロッパ風の瀟洒な建物が、たくさんの樹木に囲まれて建っていた。周辺には美術館やパークゴルフ場などが造られていて、大自然の中で癒しを充足することが出来る。
家内が受付で手続きをしている間、ロビーの展示物などを見ていたのですが、驚いたことに壁には幾つかの障害者の絵が飾ってありました。驚いたというのは、実は私は現役時代に勤務していた企業で、同じように障害者の絵の収集と絵画展等の開催に係わっていたからなのです。そこに飾られていた絵の作者は殆ど名前を知っている方のものだったのです。そしてその展示方法も私が現役時代に採った方法と変わらなかったのです。これらの絵は、日本だけではなく世界規模で展開されている事業母体があり、現在では「口と足で描く芸術家協会」と呼ばれています。この協会の支援を受けながら表示のためのデータも頂戴して、社内施設での絵の展示や移動絵画展を行なってきたのですが、それと全く同じ方法でここにも絵が展示されていたのです。まさかこのような山奥の宿にそれを見るとは思いませんでした。
受付の方に絵のリストのことをお訊きしたのですが、内部資料以外は無いという話だったので、それ以上は訊きませんでした。その方の話では、近くにこの山荘が管理している美術館があり、そこにも障害者の絵が展示されているということです。俄然、興味を覚えて入浴が済んだら是非その美術館を訪ねたいと思ったのでした。
温泉の方も掛け流しの、柔らかい泉質の心休まる良い湯でした。たっぷりとその風情を味わい楽しんだ後、山荘のホテルを後にし、早速近くにある美術館に向いました。「マウレ・メモリアル・ミュージアム」と名付けられたその美術館は、何とこの地で87年の歴史を刻んだ小学校(=武利小学校)の校舎を利用したものだったのです。木造2階建てのかなり大きな校舎のように思いましたが、平成16年に最後の卒業生を送り出して、閉校となり、その翌年にこのミュージアムが開館したとのことです。
左はミュージアム全景。武利小学校の閉校時の記憶がそのまま戻るようにして使われている。右はミュージアム入口の様子。
ミュージアムは、1Fが、「口と足で描かれたアートギャラリー」と「早川季良コール・レリーフの世界」、2Fが「地球と生命/自然科学ギャラリー」となっていて、時間の関係でその時は1Fだけしか見学できなかったのですが、「口と足で描かれたアートギャラリー」だけでも、かなりの点数の絵が展示されていました。突然の来訪だったので、とにかく驚きの連続でした。
玄関先の案内机の壁に、何回か会ったことのある森田真千子さんの色紙の額があり、「ちょっぴり休息をとろう、明日の出会いに応えられるように」と文字と一緒に描かれたフクロウの絵が掲げてあるのを見た時は、やっぱり此処は本物の障害者の絵のミュージアムなのだと思ったのでした。それまでは、どうしても信じれられない気持ちの方が強かったのです。
左は玄関近くの壁に掛けられていた真千子ちゃんの色紙の額。真千子ちゃんは安達巌が可愛がっていた一人だった。今は独り立ちして立派な画家となっている。右は館内の様子。
幾つ教室があったのか覚えていませんが、そのあとは各教室に展示されている絵画を一つずつ見て廻りました。外国の方の画の方が多かったようです。その中で、もしかしたらわが亡き畏友、安達巌の画もあるかもしれないと思いながら見て行ったのですが、何番目かの教室の中に、ありました、ありました。ああ、彼が生きていたならこの山の中のミュージアムの感激を伝えて話できたのになあと思いました。安達巌の画は、「雪の田舎家」というタイトルで、これは多分彼が好んで描いた京都郊外の美山の古民家をモデルにしているに違いないと思いました。北海道には無かった風景だと思います。久しぶりに、思わぬ場所で彼の絵に出会って、感激は一入でした。
展示されていた故安達巌の作品「雪の田舎家」。安達巌は、世界障害者展で何度も第1位を獲得していた実力ある画家だった。
その他の画も力作が多く展示されており、まあ、このような山中に良く保存され、目に触れるようにされたものだと、この企画を実行されたマウレ山荘の関係者に尊敬の思いは募るばかりでした。閉校となった学校は、障害者の、困難をものともせずに乗り越えた優れた数々の作品と一緒に、これからも立派に生き続けてゆくに違いなく、すばらしい企画だなと心からそう思いました。
それにしても不思議なことだと思いながら、見終わった後、「開館にあたり」という案内板を読みましたら、その最後の方に協力団体や企業の名が紹介されており、その中に元の勤務先の企業名が掲載されているのを知り、ああ、やっぱり関係していたのだと納得した次第です。恐らく元勤務先企業が全国各地で開催している障害者絵画展をご覧になったマウレ山荘関係者のどなたかが、この企画を思い立たれたのではないかと思ったのでした。このような絵画を紹介する活動を開始したのは、元の勤務先企業が世界で最初だったと思います。このような活動を始めた動機といえば、障害にもめげずに健常者以上のパワーで描かれた作品を、少しでも多くの人たちに見て、知って頂き、その感動と一緒にそれをご覧になった方自身が持つ大きな力に気づいて欲しいと思ったことなのです。その気持ちががこのような形で別の企業に受け継がれ、展開されていることに改めて大きな感動を覚え、私自身も最初にそれに係わった一人として、心底ありがたく嬉しく思ったのでした。
このマウレ山荘の「マウレ・メモリアル・ミュージアム」との出会いは、神の導きのような気がしたのでした。もし今日ここに温泉に入りに来なかったら、永遠にこの素晴らしい場所を知らずに済んでしまったかもしれません。家内とその不思議を改めて話しながら、今年の秋に予定されている安達巌の遺作展(10月22日~28日まで、大阪鶴橋の近鉄デパートで開催)を見に行く時には、昌子夫人に良い土産話が出来るなと思ったのでした。
世の中の多くの方にマウレ山荘を訪れて頂き、温泉にて疲れを癒した後は、是非とも「マウレ・メモリアル・ミュージアム」の素晴らしい作品の数々をご覧頂き、その感動をご自身の力に換えて頂きたいと思ったのでした。
マウレ山荘の住所・電話番号は、「北海道紋別郡遠軽町丸瀬布上武利172番地 電話0158-47-2170」です。