山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

鍛錬の限界

2009-09-16 06:55:49 | くるま旅くらしの話

今回の旅の目的の一つがパークゴルフの腕を挙げるということでした。忠類(幕別町忠類~幕別町はパークゴルフ発祥の地である)に屯(たむろ)している(と書くと、何か良からぬ輩と誤解されそうですが、そんなことは決してありません)パークゴルフ狂とも言える人たちと、互角とは言わなくてもせめてトップと1ラウンドなら3打差以内で廻りたいと思ったのでした。そして同世代のご婦人には負けないで廻りたいとも。

私は球技と体力には多少自信がありました。というのも中学生の時からバスケットボールを始め、高校、大学と続けて就職後も遊びですがそれを楽しむ環境に恵まれ、走ることにあまり苦痛を覚えることなく、40代で膝を痛めるまでは、休日のジョギングも20kmくらい走っても翌日に影響はありませんでした。野球やゴルフを球技と呼ぶのか良く解りませんが、小さいボールを扱うのはあまり得意ではありませんでしたが、まあ、そこそこのプレーを楽しむことは出来たし、少なくとも同世代の女性(プロは別ですが)に引けをとるなどということはありませんでした。特に女性を意識しているわけではありませんが、基礎体力のことを考えると、同じ競技をしていて女性よりも劣った結果を出すというのは、自分自身の体力や運動能力が劣化した証拠のような気がして、自分に対して我慢がならなくなるのです。ま、そのようなことから、実はどうでもいいような理由なのですが、パークゴルフというのを5年前くらいから始めたのですが、安易にロースコアで妥協している自分が気になっていたのです。やるからにはもっと良いスコアを出せなくてはと次第に思うようになりました。

パークゴルフというのは、1本のクラブでティーショットからパターまでをこなす競技です。長いことゴルフをやってきた私は、最初はゴルフの感覚が狂ってしまうのを恐れて、北海道に来ても決して誘いに乗ることをしませんでした。それがゴルフに行く機会が次第に少なくなり、ホームコースの会員権も倅に譲ってしまった後は、ゴルフに対する情熱が次第に薄くなり、その内に北海道へ行ったらパークを始めてみようと、その気になったのでした。それが5年ほど前のことです。しかし、やってみるとこれはもうゴルフとは全く違った競技で、勝手が違うのです。北海道では年配者を中心に競技人口が形成されていますが、殆どの方は最初からゴルフではなくパークゴルフとしてこの競技を始めていますので、私のようなゴルフにこだわってきた人間とは競技に対する取り組みが全く違うのです。言い換えますと、素直にパークゴルフに集中して無理をせずにプレーを楽しんでいるのです。そのような取り組みが結果としてスコアを安定させているというわけです。

ところが自分といえば、分っていながら必要以上の力と神経を使い奮(ふる)って泥沼に嵌まり込み、そこから抜け出そうとして、益々地の底に沈没してゆくという様(ザマ)なのでした。この5年間そのプレー姿勢をとり続け、辿り着いた結論がもう一度原点に戻って鍛えるということでした。力を抜いて、集中力を高めるなどということではありません。身体にパークの感覚を覚えこませようと思ったわけです。

30代でゴルフを本格的に始めて間もない頃、1ヶ月以上の期間毎日練習場に通ったことがありました。本番だけではダメだと思い、とにかく練習だと思ったのです。仕事が終って帰宅した後、夕飯もそこそこに近くの練習場に出かけて、2時間近く打ち込み、休日には弁当持参で通って、朝から夜遅くまで打ち続けたのでした。その時は高松在住でしたので、練習環境に恵まれ、練習場も打ち放題で月1万円という安さでした。最初の頃は腕が痛くなり、指が腫れ上がってしまい、手袋を1サイズ大きくしてもなかなか手が中に入らないという有様でした。爪も割れるので、最初から絆創膏を巻いての取り組みでした。そんなことを続けた結果、ゴルフのスウィングが何かということがようやく分ったのです。苦手のクラブも少なくなりました。1番アイアンも振りこなせるようになったのです。

この時の経験が頭にあり、今年は一念発起してパークに取り組んでみるかと思いながら家を出発したのでした。しかし、北海道に入って以降連日雨ばかりで寒く、パークに取り組む気力は萎えてしまい、クラブを握ることもないままに、パーク仲間の滞在する忠類に着いたのは16日目でした。着くといきなりその日の午後遅くナイターも可能だからと誘われて、今年初めてのプレーとなったのでした。結果は当然のことながら後ろからのベスト3くらいだったと思います。何しろ皆さんパーク漬けの人ばかりで、中には北海道を代表するような方も入っているのですから。ま、私としては今日が練習の開始日だと思ったのでした。

で、翌日親しき知人のIさんから手ほどきを受けました。Iさんは福島県から今年は単身で来ておられ、もう1ヶ月以上此処で体力づくりを兼ねてパークに取り組んでおられる方で、トップクラスの方とも伍してプレーされています。そのIさんに1時間以上丁寧にコーチをして頂きました。なかなか力を抜くことが出来ず、軽く打っているつもりでもコントロールが効かずオーバーしてしまうことが多く、うまくゆきません。打ち方についてもワンパターンから抜け出せません。練習をしながら幾つかの課題を見つけることは出来たのですが、とにかくこれからそれらを克服するには練習量を増やすしかないと、改めて思ったのでした。

忠類を離れた後は別海町と弟子屈町エリアのパークゴルフ場で練習に励みました。特に弟子屈町の900草原は北海道でも有数の360度(現地のキャッチコピーでは720度といっている)展望の利く素晴らしい場所にパークゴルフ場が造られており、何度行っても飽きないのです。コースもかなりタフで、自分のようなハードヒッターでもなかなか届かないホールもあるのです。ここには何度も訪れ、かなりの練習をしたのでした。しかし、なかなかスコアは上達しません。パークゴルフではホールインワンなどというのは当たり前のことで、これは3回ほど出しましたが、いずれもまぐれで、出そうと思って出た訳ではなく、それではダメなのです。パークの巧者は勿論狙っていて出すわけで、それが出来ないうちはホールインワンなどを喜んでも仕方ないのです。相変わらず力を抜くことが出来ず、多少スコアは良くなったものの、まだまだ忠類の皆さんとは差が大きいのです。

そのようなことを続けながら、その後の旅先で練習を続けたのですが、8月半ば近くになって腕というか、肘が何だかおかしくなっていることに気づきました。日を追うごとに握力が下がってくる感じで、そのうちに腕を持ち上げるのもきつい状況となり出したのです。これには参りました。腱鞘炎かなと思ったのですが、それとも違う妙な痛さです。もはやパークどころではなくなりました。しかし医者に行くほどのレベルでないというのは自分で判ります。恐らくパークのやり過ぎで、ボールを打つ時のインパクトの衝撃が肘を痛めるのにつながったのだと思います。筋肉を傷めたというよりも骨に来ているという感じです。これは少し厄介だなと思いました。

若いときからたくさんの種類の怪我を体験していますので、大体の対処法は解っているつもりですが、この種の痛さはあまり経験したことがなく、とにかくパークはやめて肘に衝撃を与えるようなことは一切しないで回復を待つしかないと思ったのでした。

考えてみれば俺も来年は古希。今更鍛錬は無いよな、と改めて己の愚かさを思ったのでした。私は既に高齢者ですが、実のところ高齢者と思ったことは一度もありません。恐らく死ぬまで高齢者などとは認めないのだと思いますが、それは精神面でのことであって、肉体的な部分に関しては、これは認めざるを得ないのかなと、最近少しずつ思うようになりました。生命が有限であるかぎりはやはり老化というのは避けては通れない道なのでありましょう。今回はどうやら無謀な試みであったようです。鍛錬などという発想は、もはや限界の彼方にあり、それを乗り越えようとすればその結果は破滅しかないということを思い知らされた感じです。今日もまだその妙な痛みの残る肘を撫でながら、しかし、今度は鍛錬とは違う方法でパークのレベルアップを図ってやるぞ!と思っているところです。

コメント
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