山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

くるま旅くらしの限界への挑戦

2009-09-25 04:18:27 | くるま旅くらしの話

くるま旅くらしの限界といえば、少し変な感じがしますが、この意味はくるま旅くらしが可能な環境にあって、何としても旅をしたいのに、それがどうしても出来なくなる、それは一体どういう時、どういう状況なのだろうかということです。そして、ここでの対象となるのは、現役世代の人たちではなく、リタイア後のくるま旅くらしをこよなく愛してきた人なのです。

私がくるま旅くらしを始めた最初の頃は、その限界はせいぜい70歳くらいだろうと考えていました。70を過ぎれば身体的にはいろいろ支障が出てくるだろうし、車を使うことから、安全運転上も問題が出てくるのではないかと思ったからです。70歳までくるま旅くらしを楽しんだ後は、菜園でもやりながら、好きな本を読み、時にエッセイなどを書いたりしながら、気楽にマイペースで残りの人生を楽しめば良いと考えていました。

ところが旅をしてみると、私よりも遙かに高齢の方が、益々お元気でくるま旅くらしを楽しんでおられるのを知り、驚いたのです。存じ上げている最高齢の方は90歳近くにもなっておられるのです。しかも老いなどとは無関係な自在の暮らしぶりなのです。

私も来年は古稀を迎えるわけですが、今は、くるま旅くらしから引退するなんてとても考えられません。それどころか益々その可能性に魅せられており、これからどのような人生が展開してゆくのか、何が起こるのか、せめてあと10年以上、願わくば米寿までは行きたいものだと考えています。

勿論ただ願うだけでは、目標は実現すべくも無く。何よりも健康であることが旅の必須条件であり、これを保持しつつ追いかけるものを探しているところです。しかしいつかはその限界がやってくるに違いなく、そのことに思いを馳せる時、或るくるま旅くらしの大先輩の生き方が大きな力となります。今、その大先輩はくるま旅くらしの限界に挑戦されておられるように思うのです。

今回の旅で、美深町(名寄市北部隣接)のキャンプ場でお会いしたWさんご夫妻は、お二人の年齢を合わせて170歳近くになろうとされています。ご主人が55歳で定年を迎える少し前に、身体の弱かった奥様のことも考えられて仕事を退き、それからあとは旅車を駆って全国を旅することを始められ、やがて毎年夏は北海道で過されるようになりました。その過し方も、次第に定点的なものに変化し、現在では決めた場所で4~5ヶ月を過すようになっておられます。くるま旅くらしを始められてからもう25年にもなるというのですから、まさに先達のお一人であり、大先輩です。この間、奥様も元気になられて、お二人で旅を楽しんで来られたのですが、70代の後半からは、奥様は膝を痛められ歩くのが次第に難しくなり現在は車椅子に頼る生活、そしてご主人は数年前まではその奥様を、車椅子を押しながら面倒を見ておられたのですが、その後前立腺がんを克服されたものの、今度は脊椎に異常を来たし腰が曲がって正立が出来ない状態となってしまわれたのです。

Wさんご夫妻は四国の松山にお住まいで、北海道まではかなりの距離があるのですが、長距離フェリーを利用することは少なく、今年も時間をかけながら陸を走って、大間(青森県)から北海道に上がったというお話でした。何故、フェリーではないのかといえば、お二人とも満身創痍の状態であり、バイキング主体のフェリーの食事は、自分でおかずやご飯を取るのが困難で、他人に頼めば自分の好きなものを好きな量確保するのがなかなか出来ず、困惑することが多いからだとのことです。そして食堂までの往復が大変なのだとも話しておられました。

このような状況は、昨年もお会いしてある程度承知していましたから、今年はどうなのかなと少なからず心配していたのですが、北海道からのお電話を頂戴した時は、思わずホッと胸を撫で下ろしたのでした。常人ではなかなか出来ない状況で旅をなさっておられると思います。いつもは別海町のキャンプ場に腰を据えて長期間滞在されるのですが、今年は近くの温泉施設が休業となったため、電源があり温泉施設も備わっている美深のオートキャンプ場を拠点として過しておられたのでした。

ご挨拶に参上した時には、隣近くのサイトに車を留め、1年ぶりの歓談に時を忘れて過したのですが、お元気とはいえ、ご主人は脊椎の負担を軽くするためちょっとの移動も自転車を利用し、奥様は杖に縋っての車からの出入りで、真に大変だなと思いました。しかし、ご主人は新聞を読み、文芸春秋誌を傍らに置き、世情には広さだけではなく深さを備えた理解を持ち、奥様は絵手紙などに情熱を失わず、その生き方はいささかも力を失っていないようにお見受けしました。ことばの端々には、「来年は来られるかどうか分らない」などと時々弱気のセリフがありましたが、それは弱気ではなく本心なのかも知れません。生きることに必死の思いをくるま旅に賭けておられるというのが良く分り、胸を打たれたのでした。

その姿を見て、世の中の人たちはいろいろなコメントをするのだと思います。恐らく、その大半はそんな危険な状態で旅をしてはならないという前提での批判ではないかと思います。もし何かがあったら、どうするのか、周囲に迷惑をかけるのではないか。車の運転は本当に大丈夫なのか。家族は見過ごしていて良いものなのか。等々の話です。皆一理も二理もあると思います。私自身にもそのような心配がないとは言えません。

しかし、私はWさんご夫妻のこの姿を良しとします。美しいと思います。くるま旅くらしの鑑のように思うのです。ご主人は「老老介護」をしながらのくるま旅くらしだと、冗談半分におっしゃっておられましたが、家の中に閉じこもっての二人の生活ではない、風の新鮮さがそこには吹いています。それがお二人の元気を奮い立たせているのではないかと思うのです。

私はお二人が疑いも無く、くるま旅くらしの限界に挑戦されているのだと思っています。凄いエネルギーだと思います。数年前から旅先では家事の一切をご主人がこなし、動けない奥様の面倒を見ながら、ご自分自身も病を乗り越え、今の生き方に悔いを残していないというのは、滅多に出来ることではありません。とても賢しらに批判するなど出来ません。それどころか、やがては我が身にやってくるであろう、同じような厳しい状況を思う時、Wさんの限界への挑戦は大きな励みとなるに違いありません。

高齢化社会の問題がいろいろ取り沙汰されていますが、その核心は高齢化の中にある本人が、如何にして活き活きと生きるかにあると私は思っています。生ける屍であってはならないと思います。そうならないためにも、くるま旅くらし限界への挑戦は優れた生き方なのだと思っています。

Wさんご夫妻に、改めて賞讃と激励のエールを送りたいと思います。そして祈願します。どうぞお元気で来年も再会が叶いますように。

   

美深のオートキャンプ場で、Wさんご夫妻に見送られて出発。Wさんは6月からここにお出でで、そのあと9月には別海に移動された。お帰りは10月になってからだという。鉄人である。 

コメント
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