山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

活蛸を喰う

2009-09-05 05:26:27 | くるま旅くらしの話

今日から今年の北海道の旅の思い出を拾いながら旅の後楽を味わいたいと思います。今日は、大蛸を食べたという話です。

昨年、HMCC(=Hand Made Camping-car Club)の全国大会に参加させて頂いたことがきっかけで、北海道HMCCの皆さんとお近づきになることが出来、今年も図々しく7月と8月の例会に参加させて頂きました。その7月例会で、わが人生にも滅多にない美食というか珍味というか、それを味わう経験をさせて頂いたのでした。今日はその話です。

HMCCのことを少し紹介させて頂きます。HMCCは全国組織のキャンピングカーや車を使ってのアウトドア暮らし楽しもうという方たちの集まりです。最初のきっかけは関西HMCCの方と知り合い、全国大会の際にくるま旅くらしについての講演をさせて頂いたことで、いろいろな方とお近づきになれたのでした。現関西HMCC会長のIさんは、とても面倒見の良い方で、昨年私が北海道の旅に出かける際には、わざわざ北海道HMCCの会長さん等へ、事前にお声を掛けて頂いたのでした。しかし、未だ一度も会ったことの無い方たちの集まりに、図々しく顔を出すのは如何なものかと、当初は遠慮しようと考えていました。ところが、冷蔵庫が故障で冷えなくなってしまい、技術的に全くダメな私としては、旅先の北海道に修理先の当ても無く、途方にくれかけた時、偶々北海道HMCCの集まりが厚田港であるのに気づき、そこへ行けばもしかしたら直して頂けるかも知れない。よしんばそれが叶わなくても修理先を紹介して頂けるのではと考えたのでした。真にご都合主義の身勝手で、動機不純の行いであります。夏の旅には、冷蔵庫は不可欠の必需品です。それで、思い切って集まりの場をお邪魔したのでした。いヤア、その後はあっという間に故障の原因を指摘頂き、何とそれが自分の操作の不完全さにあったのでした。この間、事態の解決までに、到着してからわずかに10分足らずのことでした。HMCCは文字通り手づくりのキャンピングカーでアウトドアライフを楽しもうという方たちの集まりですから、皆さん知恵者の集まりなのです。嬉しくもありがたい出会いでありました。その後は一夜を共にさせて頂き、美酒とホタテ等のご馳走を頂きながら歓談に時を忘れたのでした。

北海道HMCCの皆さんのアウトドア暮らしぶりは、一言で言えば豪快です。1年12ヶ月毎月例会を開かれて(現在は冬季は休会とのことです)、北海道の春夏秋冬を満喫されています。海や川へのカヌーやラフティング、冬季はスノーモービルで雪の野山を駆け巡るなど、内地の人には想像もつかないような遊びを楽しんでおられます。メンバーは決してお若くは無いのですが、その遊び心は、少年のそれを少しも忘れてはいません。70代の後半の方でも、キャンプ場のドームテントの中では、瞳をキラキラと輝かせた少年の様なお顔をしています。人生の本当の楽しみを、この集まりの中に見出されているのが良く判るのです。まさに私の理想とする生き方の一つをそこに見出せるような気がして、この集まりのファンとなってしまったのでした。

さて、その北海道HMCCの集まりは、7月は去年と同じ石狩市北部の厚田港で開催されたのでした。今年はもう最初からお邪魔しようと考えていましたので、時を見計らって、いそいそと出向いたのでした。ところが生憎の空模様で、到着すると間もなく本降りの雨となってしまいました。港の中の昆布干し場らしき砂利の敷地を地元の方のご好意でお借りした場所に集まったのは、私共のようなビジターを含めて20人近いメンバーでした。大きなドームテントが満杯となるような状況で、その中には北海道在住のメンバーの他に、九州、中部、関東など全国規模のメンバーが集まっての歓談は、お国にことばも飛び交って、なかなかのものでした。

さて、その中で何といっても強烈な思い出となったのが、これから述べようとしている活きた大蛸を食べたという話です。厚田港では朝市が開かれており、毎日新鮮な魚介類が販売されているのですが、知り合いの漁師の方が経営する直売店では、何といってもホタテが第一です。超大型のホタテを驚くほどのリーズナブルな値段でゲットすることが出来、私どもも必ず何個かのホタテを買うことにしています。そのお店の中に一匹の大蛸が桶の中に置かれていたのを、HMCCの方が折衝して買ってこられたのでした。かなりの大きさで、重さは7kgほどあったとのことです。これを皆で平らげようという魂胆です。いヤア、野趣満天のチャレンジだなと思いました。

   

カゴに入っている状態の大蛸。軟体動物の代表のようにつかみどころの無い、得体の知れない存在である。

ヨッコラショ!と持ち上げた大蛸。1メートル近くあったのではないかと思う。

蛸の刺身というのは、正月などに食べているのは、あれはインチキで、茹蛸を食べているに過ぎません。蛸の刺身というのは、勿論活きているかそれに近い鮮度の茹でないものを指すのであり、これは一般の人にはなかなか食べることが難しいものなのです。東京では、特別な料理屋や穴場の飲み屋などを見つけないかぎり口に入るものではないといえます。その蛸の刺身がこれから食べられるのです。しかも、もしかしたら腹一杯になるほどなのです。蛸の刺身を腹一杯食べるというのは、やっぱり外道だと思いますが、人生には一回くらいはそのようなことがあってもいいのではないかと、コレステロールのことなどは忘れて真面目に考えたりしたのでした。

さて、その大蛸をどう調理するかが問題でした。この集まりではいつもKさんが板前役に任じておられ、マイ包丁持参なのですが、今まで蛸をシメたことが無いとのことで、どう扱ったら良いのか困惑されたようでした。店の方にシメて貰えば良いのですが、販売担当の女性の方は、元々蛸はあまり好きでないらしく、シメるなんてとんでもないことだという話。メンバーの中には、釣った魚をシメるのは出来ても、蛸をシメた経験のある人はいませんでした。さて、どうするか。勿論私も蛸をシメたことはありません。

それで、とられた手段は、何と、そのまま一本ずつ足を切り落として食べてしまおうというやり方でした。残酷といえばこれ以上の残酷はないという状況ですが、そのようなことを考えている人は少なく、殆どの人が蛸を生き物というよりも美味なる食べ物として大いなる期待に目を輝かせて見ているのです。その第一番の取り巻きがもしかしたら自分なのではないかと思いました。蛸君は痛いともいわず、足を2~3本落とされても平然と身をくねっているだけでした。これで、痛て~などと泣かれると困るのですが、そんなことが無いのが幸いです。いやあ、調理に当たったKさんとSさんの奥さんは、慣れない獲物の調理にかなりてこずられたようでしたが、それでも見事に刺身を作られて、我々は心置きなくそれを頂戴したのでした。蛸の刺身というのは、勿論足の部分の吸盤等の皮を剝いだもので、真っ白です。これをホンの少しワサビ醤油をつけて食するわけですが、100年来の恋人に再会したような食感で、その歯ざわりはなんとも言えず、味もまた超美味なのでした。(少し変な例え方でした)最初の頃は、うめえーとか、うみゃ~などといっていましたが、やがては無言での味わいとなりました。人は本当にうまいものを喰っているときは、大概は黙る状態となるものです。いつまでもうまい!などといっているのは、己をやらせにしているだけです。

   

1本ずつ切り離した足は、その後美麗な刺身に変身して、集いの人びとの味覚を潤したのだった。

蛸もこれくらいの大きさとなると、足の数が8本では多すぎるのではないかなどと、妙なことを考えたりします。要するに食べきれないのです。6本ほどで十分に間に合う大きさなのでした。このようなとてつもない贅沢をしたのは、我が人生には今までに一度もなく、恐らくこれからも無いのだろうなと思いつつ、生ビールに酔い痴れて存分の満足を味わったのでした。8本の足を切り落とされた蛸君はさすがに元気をなくしたようですが、たちまち頭の方は茹でられて、これまた美味しいご馳走と相成ったのでした。

   

丸裸(?)となった足の無い頭は、何となく不気味でもありますが、茹でられて、これ又美味なる食材となったのでありました。

蛸君にとっては災禍だったのかもしれませんが、これだけ大勢の人に幸せを提供したのだから、ま、喜んで昇天して貰いたいと思います。食というのは、その生き物にとっては、それを摂取している時が幸せなのです。食べられない時が不幸なのです。これは自然の摂理でもありますから、蛸君が可哀想などと考えたら、そう言うあなたは可哀想なお人となってしまうのです。

北海道の住人の方々の遊びは、食べることに関しても豪快です。来年は、どんな楽しみが待っているのか。それを考えると、もう今から心が浮き立って来ます。北海道HMCCの皆さん、来年もよろしくお願いします。ありがとうございました。

コメント
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