山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の総括あれこれ

2009-09-04 00:15:14 | くるま旅くらしの話

50日間の北海道のくるま旅が終って、今日で5日が過ぎました。せめて1週間くらいはブログを休もうと思っていましたが、休んでいると旅の思い出がどんどん消え去っていってしまいそうな気がして、じっとしていられない気分となりました。又ブログへのアクセスもかなりあって、いつまでもサボっているのは、見て頂いている方を騙しているような気分にもなり、うぬぼれでは無いのですが、やはり期待のようなものには応えなければと思った次第です。

今年の北海道行の中にもたくさんの思い出が詰まって残りました。良かったこと、そうでなかったこと等などその中身はいろいろですが、自分的にはかなりドジが多かった様に思い、反省しています。明日から特に思い出に残ったことがらを取り上げ、エッセー風に記してみたいと思います。今日はトータル的に見た今年の北海道旅くらしの総括を記します。

今年の北海道のくるま旅くらしは、50日間、走行距離の総数は6,445kmとなりました。これは今までの北海道行の中では2番目に長い滞在日数であり、走行距離でした。当初の予定では、9月の半ば過ぎまで滞在予定でしたから、もしかしたら、この数値はもっと大きくなっていたかもしれません。50日という日数は北海道を旅する人たちの間では、決して長いものではなく、100日を超える人も多いのが現状だと思います。私共も今年は大雪山の紅()葉を見るのを楽しみにしていたのですが、よんどころない事情が発生し、断念せざるを得ませんでした。滞在期間が長ければ良いというものではないという考えもあると思いますが、それは旅をしていない人が考えることであり、旅の味を知ってしまうと、やっぱり長ければ長いほど良いと思うようになるのです。いつか、半年間ぐらい存分に旅の空気を吸い続けたいものだと思っています。

さて、今年の北海道はなんといっても異常気象の冷夏でした。それも半端な冷夏ではなかったように思います。12日に函館に上陸して以降、7月一杯はとても夏を感じさせるような天気ではありませんでした。朝夕の涼しさは、夏の北海道の天の恵みだと思っていましたが、この毎日は涼しさを通り越し、寒さを覚えるほどでした。TVで東京や関西の猛暑の報道を見るにつけ、ここ(=北海道)に居ることのありがたさを感じない訳ではなかったのですが、あまりにも寒いので、避暑気分などどこかに消え去って、何かいつもの日本の北海道ではない感じを受けるほどでした。寒いだけではなく連日雨が降り、海岸近くの道を走ると、濁った川から大量の水が海に流れ出て、海が黄色く汚濁されているのです。北海道にはかなりの数の川が海に流れ出ていますが、それらの殆どが氾濫を来しているというのは、不気味なことです。雨続きで農業が大きな不安を抱えているだけではなく、濁った水の影響で、漁業関係者の方たちも不安を禁じ得ない状況でした。暮らしの手立てがそれしかないというケースが多い北海道では、異常気象のもたらす被害は甚大であり、是非どこかで回生してもらいたいものだと思いました。8月に入って、1週間ほど夏らしい猛烈な暑さに見舞われましたが、それまでが寒かっただけに旅くらしの調子が大いに狂ったのでした。しかし、その夏らしい狂気の暑さもその時だけで、その後は再び元の暗い空に戻り、ついにそのままの状況といった感じで旅を終えることになったのでした。天気は、まさに天のなせる業であり、人為ではどうすることも出来ません。これから先の天意が、人間の望む所と一致してくれることを願うばかりです。

くるま旅の最大の魅力は、出会いと感動だと思っていますが、今年は私どもにとっては、新しい出会いの多かった旅でした。今の私どもには、大雑把に分けると、3つの人との出会いの形があるようです。その一つは基本形である、旅先で偶然隣り合わせになったりして声を掛け合い、挨拶を交わしたりして知り合いになるケース。もう一つは親しき知人を介して知り合いとなるケース。いわゆる友達の友達は私どもの友達でもあるという形です。そしてもう一つは、未だ会ったことも無い既知の人との出会いです。会ったことが無ければ既知ではないはずなのですが、初めてお会いするその人は、既に私のことを良くご存知で、知らなかったのは私の方だけという出会いの形なのです。これは今年になってからの出来事で、具体的に言えば、私の著作やブログをご覧になった方が、同じように旅をされていてお声を掛けてくださるケースなのです。見知らぬ方から「馬骨さんですか?」とお声を掛けられた時には驚きますが、その後でお話を伺って感激しています。私の拙い著作やブログをお読みいただいていることの嬉しさです。

このようにして、今回の旅では家内の計算ではご夫妻のペアの方を含めて40人以上の新たな知己を得ることとなりました。上下損得に係わらない旅の知人は、これからの人生の宝物だと思っています。その係わり合いが浅くても、深くても、そのようなことはどうでも良いことであって、見知らぬ方と触れあい、そこに新しい世界が一つ拓けたことがとても大切なことだと思うのです。新たな他人の存在を知ることは、新たな自分の可能性を一つ見出したような感動につながるのです。旅の魅力の一つがそこにあるような気がします。様々な風景や珍しい動物たちとの出会いなども旅の大きな魅力ですが、何と行ってもその核は人間であることは言うまでもありません。人は、人との係わりを持つことによって、初めて人間となることが出来るのですから。

さて、総括の最後は私自身(家内は別です)のドジの話です。細かいことを入れれば無数のドジがありますが、特に今回は老人性ともいえる特徴を感じさせるドジが三つありました。そのうちの二つは忘れるという行為で、その一つが健康保険証を忘れたこと。これはいつも定位置に収納している保険証を、春先に鼻炎の薬を貰うために医者に掛かったとき持ち出したものを、元の場所に戻すのを忘れていたのが原因でした。忘れが忘れを生むということを忘れてしまっていたということです。もう一つの忘れは、パソコン用の記録メディア類を一括して持参忘れをしたことです。そんなはずは無いと何度もバッグの中を探したのですが、それだけが入っていませんでした。お蔭で途中から切れた名刺の追加印刷も出来ず、旅の記録の一部も後回しとなりました。家に戻って調べたら、忘れたのではなく、どうやらバッグに入れたものが移動する際に落ちこぼれたらしく、机の下の方にありました。これは入れ方が悪かったか、落ちたのに気づかない不注意の油断があったということでありましょう。この種のドジは自慢できないほど普段から多いものですから、これからはより一層慎重に対処しなければならないと反省しています。

最後のドジは、忘れるなどという生易しいものではなく、我が身を箱の板角に打ち付けて、息の詰まるような痛みをゲットしたことです。その疼きは今でも残っており、うっかり寝返りを打つと、あ痛っ!と今でもやっています。恐らく肋骨のどこかにヒビでも入っているのでしょう。折れてはいないと思います。このようなケガは若い頃体育系であったこともあり、それほど深刻には思って居らず、どうせ医者に行っても湿布薬か膏薬を塗るくらいのもので、時がたつのを待つしかないと思っていますので、自宅療養と決めています。しかし、反省しなければならないのは、うっかり手を滑らして不用意にとんでもない箇所を傷めたことです。これから本格的な老人期()を迎えるのですから、今からこんなドジを繰り返していたら大変なことになってしまいます。旅に出られなくなってしまい兼ねません。転んだりすることが寝たきりのきっかけになるとは、よく聞くことですが、いずれはそのような時が来るのでしょうから、このようなうっかりが原因でのケガは、要注意であり、二度と起こさぬよう我が身を戒めた次第です。今回の場合は、合わせて保険証も忘れているのですから、くるま旅くらしを提唱する者としては、真に恥ずかしい限りであり、赤面の至りであります。深く、深く反省した次第です。保険証は早速所定の場所に収納しました。ハイ。

というわけで、今回の北海道の旅の総括を終ります。

コメント
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