山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

トウキビ談義

2009-09-06 02:24:41 | くるま旅くらしの話

昨日に引き続き食べ物の話をすることにします。昨日は生々しい海の生きものの話でしたが、今日は爽やかな畑の産物の話です。

北海道はトウモロコシ(=トウキビ)の産地として有名ですが、秋が近づくにつれて、札幌は大通り公園などで売られている焼きトウキビの香りは、一段と食欲の秋を思わせ、ある種の郷愁を覚えさせてくれます。私はトウキビ大好き人間です。

さて、そのトウキビなのですが、最近は茹でたり焼いたりしなくても、生でそのまま食べられるという品種までが開発され、一部人気を呼んでいるようです。しかし、トウキビを生で食べるようになってしまったら、あの街頭の香ばしい香りはどうなってしまうのでしょうか。札幌の大通りを、生のトウキビをかじりながら若者たちが歩いているというイメージは、全く絵にならないように思います。私は別にトウキビを生で食べようが、煮て、焼いて食べようがそんなことはどうでも良いと思ってはいますが、日本的食文化のようなものを考える時、生でトウキビを食べるというのは、やっぱり邪道ではないかと思うのです。

ところで、今日は昔の本物のトウキビに出会って超感動したという話です。いつからそうなり始めたのか、良く覚えていないのですが、最近のトウキビは、やたらに甘く、柔らかくてどうも気に入りません。ハニーバンタムとかピーターコーンなどという品種が取り沙汰されて以来、生産農家の人たちは我も我もとそれに飛びつき、さらには現在では味来とか夢のコーンなどというやたらに高価な品種が開発されて来ているようです。その味の基本は、甘さにあるようで、甘いものがあまり得手ではない私としては、トウキビを食べたくても、つい買うのをためらってしまうのです。

大人の味のトウキビが食べたいというのが、長い間の願望でした。大人の味というのは、甘さではなく、歯ごたえというか、食感中心の味わい方をイメージしています。私の中では、トウキビといえばモチトウキビ(=餅トウモロコシ)が真っ先に思い出されるのです。昔子供の頃に食べていたトウキビは、味など二の次で、より多く生産できる品種、今ならば飼料にしか使わないようなものが主流でした。パサパサとしていて、味も素っ気も無い感じの食感であり、それでも焼いて醤油をつけて食べると、ああ、これがトウキビなのだなと子供心に思ったものでした。中学生になる頃から、或いはもっと前だったかもしれませんが、トウキビの世界にモチトウキビというのが現れ、流行り出しました。丁度今のハニーバンタムやピーターコーンが流行り出したのと同じように、モチトウキビが食用のトウキビ界を席捲(せっけん)していったのではないかと思います。そのような時代に育った私には、トウキビといえばモチトウキビが最高峰なのです。

モチトウキビは、文字通りモチモチした粘り気のある食感で、甘味はさほどありません。殻から実を外して、しっかりと噛んで食べないとその味の良さが解りません。モチトウキビは食べるのに時間がかかるのです。今の多くのトウキビのようにガブリ、ガリガリとかじりついて食べるような食べ方は、モチトウキビの場合は相応しくないのです。実を一列ずつ手で外して、もっと上品に食べないと、食べにくいように出来ているのです。大人のトウキビだと思っています。このようなトウキビが、あっという間に消え去って久しくなります。どこへ行ったら手に入るのか、長いこと捜し求め、旅をする間も関心を払っていたのですが、なかなかお目に掛かる機会がありませんでした。

それが、今年の北海道でついに再会を果たしたのでした。最初は再会には至らず、話を聞いただけだったのです。千歳市に隣接する長沼町というのがありますが、この町の道の駅にマオイの丘公園というのがあります。ここは、構内に地元の野菜等の物産を販売する店が立ち並び、近くにパークゴルフ場などもあり、くるま旅の人だけではなく、地元や近郊の人たちも多く来訪する人気スポットなのです。旅の終わり近くになってここに1泊しようと寄ったのですが、そのときに何人かの知人がパークゴルフを終えて皆さんで軽くパーティらしきものをされているのに出くわしました。誘われればお断りする理由はなく、たちまちご一緒させて頂いたのでした。そのとき、三重県から来ておられるSさんが、久しぶりにモチトウキビを食べたという話を、興奮してされているのをお聞きしたのでした。彼も私とほぼ同じ世代ですから、やっぱりモチトウキビに対する郷愁は絶えることなくくすぶっていたのだと思います。「三笠の道の駅の、及川商店という店で、モチトウキビを食べることが出来た。八角形の、八列のトウキビだよ!」と何度も八列を強調して話をされていました。そうか、三笠の道の駅に行けばモチトウキビが手に入るんだとそのとき思ったのですが、如何せん今年はもう帰路の途中であり、これから三笠(三笠市は、岩見沢市の隣町です)まで戻るというわけには行きません。来年はぜひとも三笠に寄って、ものにしなくてはと、密かに決心したのでした。

そのときは、翌日そのまま皆さんとお別れしたのですが、その後千歳から支笏湖の脇を通り、美笛峠を越えて伊達市大滝区の道の駅に寄ってきのこ汁などを食べた後、壮瞥(そうべつ)町の道の駅に寄ったのですが、なんと、そこの地産品売り場で念願のモチトウキビにあっさり、いとも簡単に出会ってしまったのです。最初は半信半疑でした。まさかあ、と思ったのです。売り場の中には何種類かのトウキビが並べられていましたが、モチトウキビは、皮を剝かれて裸の状態でビニール袋に入って売られていました。あまり上等の扱いはされて無いように見受けられました。何しろ実が8列しかないのですから、一見すると痩せていてあまり美味そうには見えないのです。それにこの品種には紫がかった実が入っており、他のトウキビが黄金色なのに比べると如何にも貧弱なのです。今の世の中は見た目でごまかし、ごまかされることが多いものですから、モチトウキビは知らない人にはさっぱりその価値を認めてはもらえない存在なのだと思います。

   

ん十?年ぶりに再会したモチトウキビ。1本の実の入っている列が8列しかない。したがって細く小ぶりとなってしまう。しかし、1個1個の実の粒は大きく、モチモチした味はふくよかでしっかりしている。大人の味である。

4本入り1袋のものを2個は欲しいなと思いましたが、何しろ食べてみないことには本物かどうか判らない気がして、家内も不審そうな顔をしているものですから、とりあえず1袋を買うことにしました。とりあえずといっても実のところ買うチャンスは一度きりしかないのです。この判断は後で悔いを残すことになりました。

洞爺湖畔の噴火記念公園の駐車場で小休止をしたとき、早速それを茹でてみました。間違いなく真正正銘のモチトウキビでした。ああ、何という懐かしい味だったか。三重のSさんが興奮して話すのも良く判ります。家内は初めて食べたらしいのですが、その食感に驚いていたようでした。モチモチしていて、食べるのに時間がかかり、かなり疲れるなどといっていましたが、好評だったようです。大人の味なのです。世の中の殆どのトウキビの味が幼児化してゆく中で、このモチトウキビの味の何と貴重なことか!叫びたくなるような思いを噛みしめて1本をじっくり賞味したのでした。

それにしても農家の方は、何故この味に注目しないのでしょうか。世の中は、必ずしも流れに乗る人ばかりとは限らず、一度は流れに乗ってみても、飽きが来ればその次は本物に気づいてそれを求めたくなるのに、それを察知しない作付けには少し疑問を感じます。高齢化社会は既に到来していますが、高齢者のかなりの人たちがモチトウキビを求めているのではないかと、ご都合主義の私には思えてならないのです。柔らかくて、甘いだけのグチャグチャのトウキビなんぞよりも、実の粒数は少ないかも知れないけど、きりりと締まった、気品ある味のモチトウキビを断然復活させるべきだと、改めて要請したいと思います。

来年北海道に行くときには、壮瞥町の道の駅と三笠の道の駅を外すわけには行かないなと、もう今から堅く決めています。生きている間しか、本物の美味いものは食べられないのだから、トウキビくらいは多少贅沢をしてもいいのではないかと、つましい決心を固めたのでした。

コメント
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