山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

超美味ジャガイモの話

2009-09-08 22:32:14 | くるま旅くらしの話

今日もまたしつこく食べ物の話です。これで今回の旅の食に関する話は終わりにしますが、取り上げる最後の食べ物はジャガイモです。北海道はジャガイモ生産の本場です。日本のジャガイモ生産量の80%以上は北海道産です。単に作付け面積が多く、収量も多いというだけではなく、北海道のジャガイモは、何と言っても品質、すなわち味が最高です。どんなに頑張って作ってみても、私の住んでいる茨城県守谷市辺りの畑では、北海道を凌ぐ品質のジャガイモを作ることは不可能のような気がします。農作物というのは、作ってみれば解るのですが、天候や土質・土壌などに実に敏感で、ちょっとでも例年と異なる事態が起こると、たちまち収量は変化し、味も落ちてしまうものなのです。植物というのは、動物以上に生き方においては、環境の変化に対して敏感な反応をするものだということを、野菜作りなどでは思い知らされます。

さて、私は自ら公言して憚(はばか)らぬジャガイモ大好き人間です。朝昼晩、1年365日、おまけに4年に1回閏(うるう)1日を加えて10年続けて、食卓に毎回ジャガイモを出され続けても、笑顔を引っ込めない自信があると思います。市の菜園を借りて野菜作りをしていますが、毎年春先に植えつけるジャガイモは、畑の大半を占め、他の作物の作付けを控えさせています。連作は野菜作りにはよろしくないということを承知しながら、春先は今年もまたジャガイモをメインの畑の使い方となりました。

   

今年の我が家のジャガイモの収穫風景。庭に干したジャガイモは、合計で100kgほどだった。旅の際にも5kgほど持参したが、それらは途中で無くなってしまった。

何故ジャガイモが斯くまで好きなのか、自分にも良く解りません。米と同じように飽きが来ない食べ物であると思っています。サツマイモの甘さ、サトイモのヌル味などのような刺激的なものがジャガイモにはありません。デンプンの塊であり、消化も良く何の抵抗も感じずに食べ続けることが出来ます。それと、ジャガイモが好きなもう一つの理由は、ジャガイモを作っていて、収穫時の掘って拾い上げる時の感動です。何でそのようなことに感動するのかというと、これは実際に掘って見ればわかるのですが、ジャガイモは土の中からコロリと出現するのです。サツマイモのように地下茎でつながっていません。大地の中からコロリと現れるのです。植える時は小さな種芋を1個大地に埋めただけなのですが、時間が経ち上部の葉や茎が枯れる頃に大地を掘り起こすと、1個の種芋からは想像もつかないような大きなジャガイモが、大地の中から幾つもコロリ、コロリと現れるのです。実に不思議な感じを覚えます。まさに大地が育み実らせた天の恵みのような気がして、その度に感動せずにはいられません。私のジャガイモ作りの最大の動機は、もしかしたらその収穫時の大地の恵みを実感できる感動にあるのかも知れません。

さて、前置きはそのくらいにして、その本場の北海道で今年は今まで食べたジャガイモの中では最高の味を味わうことが出来ました。いわばジャガイモの味の極致とも言うべきものを体験したのでした。その話です。

前にも書きましたが、札幌市からそれほど遠くない東に位置して、田園地帯の広がる長沼町という所があります。ここにはマオイの丘公園という名の道の駅があって、くるま旅の人たちには人気のスポットなのですが、私どもも毎年少なくとも1回はここを訪れることにしています。その最大の魅力は、ここに来ると時節の大地の恵みである様々な野菜類を手に入れることができるからです。これを目当てに札幌などの近郊からも多くの人たちがやって来て、道の駅の広い駐車場は休日などにはかなりの混雑となるようです。

今年もここに一晩お世話になったのですが、泊まる前に少し離れた所にある馬追(まおい)名水というのを汲みに行くことにしました。馬追と漢字で書いていますが、勿論元々はアイヌ語で、山田地名学辞典によれば、マオイとはマウ・オ・イということで、その意味はハマナスの実・多い・所というのだそうです。現在のマオイ一帯はハマナスの実など殆ど見られませんが、その昔はこの辺り一帯は大きな沼があったということですから、その岸辺にはハマナスがたくさん自生していたのかもしれません。その少し高くなりかけた丘の窪みに、馬追名水があります。ここには昨年から水を汲みに行くようになりました。私は名水というか、飲料用の水には大へん関心があり、各地の名水にはできる限り足を向けて汲むようにしています。水は生命の源泉であり、良い水は身体に良いに決まっているという強い信念があります。大自然が浄化した水は、大地の恵みをその中にたっぷり含んでいるような気がして、いい加減に見過ごすことは出来ないのです。千歳市の水も素晴らしいのですが、マオイ名水もなかなかなものだと思います。

そのマオイの名水を汲んでいると、後から汲みに来られたご夫妻の奥さんの方が、停めて置いた旅車をしげしげと見上げながら、どうやら中を覗いて見たいらしく、声を掛けて来られました。私どもは、こんな時はどうぞと中に入って頂き、存分に見て頂くことにしています。その時の案内説明役は家内で、私の方は水汲みに精を出していました。間もなくそのご主人も水を汲み終えられたのですが、その時奥さんから近くに家があるので、ちょっと寄って行かれませんかとお誘いを受けたのでした。見ず知らずの人の家に、何ぼなんでも図々し過ぎると私は辞退しかけたのですが、家内の方はまんざらでもないらしく、更に熱心に勧めて下さる奥さんの方に、既に心は向いているようでした。ま、これも何かのご縁と、思い切ってその方の車の後について行くことにしました。

細い道をホンのわずかな距離走ると、その方の別荘らしき建物に着きました。緩斜面の丘の、周囲には未だ荒々しく雑草などが繁る一角にその建物はあって、その下には幾つかの区切られた畑が、良く耕されており、何種類かの作物が育っていました。その建物のテラスで伺った話では、この別荘は、ご主人が勤めの合間を見ながら、いわば日曜大工で建てられたということでした。そのような工作の出来ない人間である私には、魔法をかけて作った家のように見受けられました。ご夫妻は少しはなれた恵庭市在住で、週末には此処に来て野菜作りなどを楽しんでおられるということでした。未だ完全に引退はされておらず、引退の暁には、こちらに移り住んで大自然とのふれあいを楽しみながら過したいと話しておられました。現在は水道が敷かれていないらしく、そのために時々馬追名水を汲みに出かけるとのことでした。真に北海道らしい暮らし方だなあと、羨ましい思いでその楽しい話を聞かせて頂きました。

   

Aさんの手づくりの別荘。2年以上の期間週末の時間を使って、コツコツと作り上げたという。このテラスからは、遠く札幌の夜景の輝きも見ることができるという。

ご主人と話をしている間に、奥さんが畑で育てたという枝豆を茹でたのを持ってこられ、それをご馳走になりました。そして、そのあとに今度は、今日下の畑から掘り起こしたというジャガイモを蒸かしたものをお持ちになったのです。いやあ、これが何ともいえない超美味のジャガイモだったのです。洗っているのを見たときは、小さな粒で何の変哲も無いジャガイモに見えたのですが、蒸かして持って来られたのを見たときは、とてもジャガイモとは思えず、まるで超高級和菓子の感覚でした。それを口に入れると、甘くない白花豆(そんな豆があるのかどうか知らないのですが)の餡子(あんこ)を固めて作った和菓子のような味で、ふわっとしてそのまま口の中で溶けてしまいそうな、実に見事な味わいでした。奥さんはバターをつけてとおっしゃいましたが、バターは全く無用で、そのままで味は100点満点中の150点を超えるレベルだと思いました。私は、いろいろな所で、いろいろなジャガイモの食べ方をしますが、その基本は何の味付けもせず、掘りたてのものをそのまま蒸かすか茹でて食べるのが一番だと思っています。ここで食べさせて頂いたジャガイモの味は、その素朴な食べ方の中で、今まで最高の味わいでした。これ以上に美味いものはこの世には存在しないのではないかと思ったほどでした。北海道の本場で、旅の終わり近くになって、偶然出会った方に、これほどのご馳走をして頂くとは夢にも思いませんでした。本当に感激は一入(ひとしお)でした。いやあ、幸せを実感しましたね。

   

ご馳走になった超デリシャスなジャガイモ。あまりの美味さに、最初は写真を撮るのも忘れて夢中で賞味していた。終りかけて気づいて、慌てて写真を撮ったのだが、そのときはもう2個しか残っていなかった。

実はそれまでお名前も知らずにご馳走になっているのに気づきました。最初には勿論名乗ってご挨拶はしたのですが、話がいろいろ展開されてゆくうちに、お名前を伺うのも忘れてしまっていたのです。その時になって初めて恵庭市在住のAさんご夫妻であるというのを知ったのでした。それから後も暗くなりかけるまで、歓談は続き、名残は尽きなかったのですが、たくさんの野菜のお土産などを頂戴して恐縮しながらも、最高の出会いに感謝しつつお宅を後にしたのでした。そして翌日はなんと、泊まっていた道の駅まで、奥さんが野菜を渡すのを忘れたものがあると、わざわざ朝採りの野菜を届けてくださったのでした。いやあ、この上も無い嬉しさでした。Aさんにはお礼の申し上げも無いほどたくさんの感謝と感動を頂戴しました。本当にありがとうございました。来年も必ずお邪魔させて頂きたいと思っております。そして図々しく、もう一度絶品のジャガイモを所望させて頂きたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャンチャン焼とジンギスカン

2009-09-08 00:02:56 | くるま旅くらしの話

昨日に引き続いて又又々食べ物の話です。今回は団体で食べる食べ物の話です。

全国各地には、パーティなど多人数が集まった時に、皆でワイワイガヤガヤの話と一緒に楽しむ郷土料理というか、そのような食べ物があると思います。大阪のたこ焼き、東北は山形の芋煮だとか、或いは一般的にはバーベキューなどが取り上げられるのではないかと思います。これらの料理の特徴は、誰か特定の人が犠牲()になって作り役に徹するのではなく、適当に全員が参加して作りながら食べるというところにあるように思います。(もっとも、どんなスタイルでも作り役の中心になる人は必ず居るものではありますが)

北海道では、私の知るかぎりでは、そのような集団で楽しむ料理の双璧はジンギスカンとチャンチャン焼ではないかと思っています。真に幸せなことに、今年はこの二つの料理を味わわせて頂くことができました。その楽しかった思い出を反芻しながら、二つの料理のことを述べてみたいと思います。

先ずはチャンチャン焼の話です。今年はチャンチャン焼きを2回ご馳走になる機会がありましたが、その一つを紹介します。それは昨日もチラッと触れましたが、忠類のパーク仲間の方たちと一緒に地元帯広在住のKさん主催のパーティでした。Kさんは、豪快な方で、チャンチャン焼用の鮭は、昨年自分で釣って来たものだそうで、かなりの大きさでした。店で売っている大型の鮭と比べても遜色のないほどのものに驚きました。私は鮭やカラフト鱒釣りにはチャレンジしたことがなく、これからもチャレンジするつもりは無いのですが、その理由はどうせ釣れないし、もし釣れてしまったら、あとが面倒だろうという単純な理由です。要するに釣りをする人から見れば、性もない怠け者ということなのです。この怠け癖は益々拡大して、今年は釣竿など用具一式を持参したのに、ついに一度もそれらを取り出すことがありませんでした。そのような私から見れば、巨大な鮭を何匹も釣り上げて冷凍保存しているKさんは、勤勉にして豪快な人物として尊敬に値するのです。

去年釣った鮭がチャンチャン焼の主役というのが、北海道らしいと思います。北海道に住まいの多くの方のお宅には、必ずといって良いほど冷凍庫が常備されているようです。寒い地域なのに何故冷凍庫なのかと、最初の頃は疑問に思ったのですが、食材をより多く貯蔵しておくことは、都会は別として特に冬季など買出しに出かけにくいエリアでは、冷凍保存しておくことが生活の知恵なのだと気づくようになりました。又、冷凍しておけば、いつでも望むものを取り出して食べることが可能なのです。Kさんのお宅の冷凍庫を覗いたことはありませんが、恐らくかなりの大容量なのだと思います。

ま、話は少し横へ入りかけましたが、その解凍した鮭はちょっと見には、今年釣って来たものと少しも変わらない感じでした。その鮭の半身に、Kさん宅で調合した特製の味噌(何が、どのようにして含まれているのか、残念ながら判りませんが)をたっぷり塗って、アルミホイルに包み、熾(おこ)した炭火にかけて焼くのです。それが程よく焼けた頃、ホイルを空けてキャベツやタマネギを初めとする野菜類をどんどん混ぜて焼き、それらが柔らかくなれば食べごろです。野菜と鮭の身が程よく混ぜあって調和し、実に美味なのでした。私は元々魚大好き人間ですから、このような食べ物には目がありません。無条件で美味いのです。特に味噌がいいのです。

   

チャンチャン焼の開始基本形の状況。このキャベツの中に秘伝の味噌を塗った鮭の半身が潜んでいる。画像では、コンロの関係で小さく写っているけど、本物はかなり大きい。

味噌というのは、日本独自の調味料なのか良く判りませんが、極めて優れた万能の調味料だと思います。奈良時代には既に用いられていたと文献にあるそうですから、味噌は日本人を育ててきたといってもいいのかも知れません。魚の臭みを一蹴して、美味さで取り囲んでしまうパワーは大したものです。普段から味噌を愛用している自分としては、チャンチャン焼における味噌君の活躍を、さもあらんと目を細めて賞賛せずには居られない気持ちなのです。

鮭の身が少なくなっても、一度チャンチャン焼パーティが始まれば、あとは鮭君おさらばで、その夜はKさんが用意された焼き鳥や野菜類などを炭火で焼いて、そうそう、大マイという魚の干物もありました。コマイという魚の名は良く聞きますが大マイというのは初めて聞く名でした。コマイより大振りの魚で、顔つき()も良く似ていましたが、味は少し違うような感じでした。とにかく何を食べても美味い、美味くなっちゃうのであります。

   

宴たけなわともなれば、チャンチャン焼きは置き去りにされがちで、そのかわりに駄洒落入りのことばが乱れ飛ぶ。

北海道ではその昔、本土の各地から開拓者が入植して、辛酸を極めながら今日の北海道の土台を作られたのだと思いますが、見知らぬ土地でのお互いの開拓魂を励ますためには、このような集まりと料理の仕方が不可欠だったのではないかと思います。それは後に述べるジンギスカンでも同じだと思いますが、私的にはチャンチャン焼というのが日本人らしい発想の料理のように思います。恐らくその当時は今よりも遙かに多くの鮭の遡上があったに違いないのですから、それを存分に使って全員の英気を養うに相応しい料理だったのではないか、そんなことを考えながら今日、今の幸せを噛みしめたのでした。その日はもの凄い豪雨で、時々雷鳴が鳴り響いたりして、パーティの間中降り続けた雨のために、小屋は孤島のような状態となりましたが、その中のメンバーはそのようなことも忘れて歓談に時を忘れたのでした。

次はジンギスカンの話です。ジンギスカンといえば、勿論モンゴル帝国の創始者チンギス・カン(ハーンとも)のことを指すのでしょうが、蒙古族は馬を駆って羊の飼育をメインとした遊牧民族であり、そのことから羊の肉を食べるのに冠したことばなのではないかと思いますが、出典は明確ではないようです。また蒙古では羊の肉を焼いて食べるという習慣はないということですから、ジンギスカンという料理は、和製なのだと思います。ま、理屈はともかくとして、北海道の代表的な(いや、北海道だけではないのかも知れませんが、北海道が一番ぴったりするような気がするのです)料理の一つであることは間違いないと思います。ビールを飲みながらこの料理を口に運ぶのは、今では北海道ならではの風物詩となっている感がします。

     

間もなく出来上がり近い状況を迎えつつあるジンギスカン鍋。どなたかが、巨大な特製鍋を持参されていた。豪快である。

今回はHMCCの8月例会で、滝川市郊外のキャンプのドームテントとの中で、それをたっぷり味わわせて頂きました。ジンギスカンの羊の肉には、予め味をつけたものと、生の肉を焼いてから味をつけて食べるのとの二つの流儀があるとのことですが、滝川のそれは味をつけたジンギスカンでした。私はそれほど肉に対して執着も関心もないのですが、ホンの少し口に入れたその肉は心配していたほどの臭みもなく、納得のゆく味でした。正直のところ、肉よりもチャンチャン焼に劣らぬ野菜類の方に関心がゆき、それらを生ビールとあわせて存分に賞味させて頂きました。その日は夜遅くなってからとんでもない雨となりましたが、ジンギスカンパーティの間は、星が輝くのも見え、少し寒くなってジャンパーなどを羽織る人も居たのですが、楽しみの時間を断ち切ることがなかなか出来ずに、夜の更けるまで歓談が続いたのでした。

   

北海道の今年の夏は、この日も夜になるとかなり寒かった。防寒具風のものを身につけながら、歓談は続いた。

この二つの代表的な団体料理()は、基本的には魚と肉の違いによる味のつけ方の違いがあるだけで、野菜などの使い方は殆ど同じだなと思いました。ま、親戚関係にあるような気がした次第です。それにしても、北海道に住まわれる人たちは、いつでも自在にこのような料理を皆で楽しみ、人生を楽しむことができるのは、羨ましいなと思ったのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする