山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第18日)

2009-03-21 01:51:55 | くるま旅くらしの話

第18日 <5月11日()

道の駅:鶴田→(羽州街道・十和田道)→道の駅:田舎館(青森県田舎館村)→盛美園(青森県尾上町)→(羽州街道)→道の駅:弘前(青森県弘前市)→道の駅:碇ヶ関(青森県碇ヶ関村)→(坂梨峠・津軽街道)→道の駅:かづの(秋田県鹿角市)→東トロコ温泉(秋田県鹿角市・八幡平温泉郷)→道の駅:比内(秋田県比内町)(泊)<170km>

旅も20日近くなり、そろそろ帰りを考える時期になりかかっている。後半は天気に見放されたらしく、雨降りや寒い日が続いている。春は十分楽しんだし、今年から始めた菜園のその後や庭の草木たちのことも気になり始めている。今日辺りからぼちぼち南下することに決める。

鶴田町からはお岩木山が南正面にその雄姿を見せるはずなのだが、今日も曇っていて裾野しか見えない。先ずは先日混んでいてスタンプを貰えなかった田舎館村の道の駅に行くことにした。道の駅に行く途中地図を見ていて、何時だったかTVで尾上町という所に盛美園という立派な庭園があるのを知り、その時につけた印に気がついた。尾上町は田舎館村の隣町だ。それで道の駅に寄った後、その盛美園を見に行くことにした。田舎館の道の駅は、以前の休日とは違って、今日はあの混雑が嘘のように空いていた。

盛美園は素晴らしかった。偶然気がつき訪れたのだが、久しぶりに日本庭園の真髄を見る様な気がして大満足だった。武学流という方式で明治時代に清藤家24代の当主盛美氏が小幡亭樹宗匠という名人を招き明治35年から9年間を費やして造られたというようなことがガイドに書かれていた。当時津軽地方ではこのような庭園が盛んに造られていたとか。庭園の外れに和洋折衷の建築様式の盛美館と呼ばれる美しい建物が残っていた。しばし明治の日本人になったつもりで園内を散策した。

 

盛美園の庭園美(青森県尾上町)

   

   池泉の縁の美 

  

   枯山水の美

   

   築山と東屋の美   

   

   洋館と池泉の美   

   

   緑と花の競演の美

さて、それからは道の駅のスタンプを拾いながら羽州街道を南下し、碇ヶ関から津軽街道を、梨坂峠を越え下って鹿角市に向う。途中梨坂峠辺りの山路の景観も素晴らしかった。小坂町を通り抜け鹿角市へ。昨日は温泉に入っていないので、今日は是非ともと考え、八幡平温泉郷の入口にある東トロコ温泉へ。

東トロコ温泉は、大浴場を一人借切り状態の入浴で、眼前の新緑に染まる山と渓流を見ながらの大満足の時間だった。

温泉に入ったあとは、先ほど来た道を戻り、今日の泊まりは、比内町にある道の駅とする。比内町は秋田の比内鶏の産地として有名である。道の駅に着いたのは18時少し前で、売店には在庫が少なくて邦子どのは念願のプリンを手に入れることができなかった。鶏肉などの製品ではなく、プリンが気に入っているというのが不思議だ。何故あのようなものを食べたがるのか拓にはよく分からない。この道の駅は、拓が先日能代に向って一人旅した時に寄った所である。早めに寝る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第17日)

2009-03-20 05:25:51 | くるま旅くらしの話

第17日 <5月10日()

道の駅:小川原湖→(十和田奥入瀬ライン)→道の駅:奥入瀬(青森県十和田湖町)→石ヶ戸<奥入瀬渓流散策>→(傘松峠・酸ヶ湯温泉・十和田ゴールドライン)→道の駅:浪岡(青森県浪岡町)→ (羽州街道・R339)→道の駅:鶴田(青森県鶴田町)() <149km>

さて今日はどうするか。天気はあまり良くなさそう。当初は八戸辺りをぶらつこうかと考えていたのだが、天気が悪いのではいい気分にはなれないだろうと取り止め、しばし思案のあと、もう一度奥入瀬の新緑を味わうことにしようと決め出発。先日行った時からもう10日も経っており、緑も鮮やかさを増したであろうと思った次第。

平日なので、10時過ぎに石ケ戸に着いても、駐車場は十分スペースがあった。今日の渓流は10日前とは違って本来の澄んだ流れとなっていて、樹海は予想通りの新緑だった。1時間以上ゆっくりと散策する。最高の春の味わいだった。

   

すっかり春らしさを増した奥入瀬渓流。10日前の流れは濁った水が奔っていたが、今日は澄んだ清流となっていた。柔らかな緑は山もみじの若葉か。

         

 新緑の枝に混ざって、オオヤマザクラの雪洞(ぼんぼり)が灯る。突き抜けるような青空に春を迎えた生き物たちの生命が輝く。

    

 ブナの巨木の芽吹き。見上げると、大空を埋め尽くすように若葉が広がっていた。ここに来ると、自分も一緒に大地に息づいているのを実感できるのである。

    

山アジサイの花? 足元を見ると、未だ若葉が出たばかりだというのに、純白の花を咲かせた一枝があった。文句無く美しい.

その後、今度はこの間と違ったコースで八甲田山を横切って青森に抜けてみようと十和田温泉郷まで引き返し、国道103号線を傘松峠に向かう。峠あたりは一面の雪。途中までの霧が何時の間にか吹雪になって襲いかかってきた。標高1000mを超すこの辺りは完全に冬である。

   

十和田ゴールドライン(R103)笠松峠付近の残雪。この辺りは未だ春は遠く、この後吹雪きに見舞われる破目となった。

   

秘湯の一つ酸ヶ湯温泉。吹雪く雪の中で写真を撮っただけで、今回は入浴するのを諦め急ぎ下山となった。

名湯酢ヶ湯温泉も吹雪の中に静かな佇まいを見せていた。このような所に閉じ込められては大変と、立ち寄り湯はパスして、十和田ゴールドラインと呼ばれる道を一路青森目指してかけ降りる。

邦子どのが浪岡の道の駅で何か買い物をしたいと言うので、途中から浪岡を目指す。青森という街はついに今回も素通り敬遠となってしまった。浪岡で小休止したあと、今日は新しくできた鶴田町の道の駅に泊まることにして出発。雨は上がっているが風が強い。道の駅に着いて、風呂をどうしようかと迷ったが、今まで毎日温泉に入っているので、今日はいいやと横着を決める。早めに寝ることにする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第16日)

2009-03-17 01:10:29 | くるま旅くらしの話

第16日 <5月9日()

道の駅:小川原湖→(市街地へ買物・松の湯温泉入浴など)→道の駅:小川原湖(泊)<6km>

昨日はまあまあだった天気が、今日は又ご機嫌斜めになって雨。終日降ったり止んだりの天気となった。昨日の反動もあり、今日は温泉以外は出歩かないことに決めて休む。邪魔にならないように駐車場の端の方に車を停め、落ち着く。道の駅にある地元の農産物売り場を覗くと、この辺りは山芋の特産地なのか巨大な山芋が驚くべき安い値段で売られていた。50円/kgくらいではなかろうか。信じられない値段だったが、買っても持て余しそうなので、残念だけど見るだけで済ませた。

 昼過ぎ飲料水の補給他の買物と近くにある「まつの湯」という温泉に入りに行く。ここに入るのは3度目くらいか。いい湯だ。心ゆくまで温泉を味わい、再び道の駅の定位置に戻る。今日は6kmの走行距離だった。こんな日もある。

   *   *   *   *   *   *

<旅のエッセー>

 

       下北半島のキタキツネ

本州の最北端大間崎から平舘海峡を南下して走る国道338号線は、海峡ラインと呼ばれている。この道を大間からは反対のコースでむつ市から脇野沢村に入って北上している時に一匹のキタキツネに出会った。大間にはいつも下北半島の北側を走る大間道でしか行ったことが無かったので、今回は未訪問の道の駅が二つもあるこの道を行ってみようと考えたのであった。

脇野沢村は、ニホンザルの北限の生息地として有名である。道の駅の直ぐ側に野猿公苑というのがあって、そこでも野生猿を見ることができるらしいのだが、その日は猿のいる気配は全く無く、加えて人の気配も無いがらんとした道の駅の建物の中で、ストーブを焚いたまま職員らしき人が奥のほうで何かやっている様子だった。猿はあまり好きでない。人間に似ているのが気に入らないし、善意よりも悪意の方が多い動物のような気がする。勿論これは自分の偏見であることは承知しているのだが、現実に猿を見ているとそう思ってしまうのだから仕方が無い。猿がいないのでほっとしたというのが実感だった。

話が脇道に逸れてしまった。失礼。その脇野沢村の道の駅を出て、地図では悪路の表示があったのだが、思いの外に道幅も広くてきれいに舗装されている海峡ラインの坂道を登ってゆくと、急に道からの展望が開けて、山と山の間から湖のように静かに広がる海の向こうに、対岸の平舘村の佇まいが見えた。

   

海峡ラインの標示石。暗くてよく見えないのが残念だが、かなりの難工事だったのではないかと思う。

   

海峡ラインから見る津軽海峡。ここまで緑の春がやってくるには、もう少し時間がかかるらしい。

「おお、素晴らしい!」と道脇に車を停め、外に出るのを横着して車の中から眼下に広がる景色を眺めていた。今日も天気が悪くて、雨が降り出しそうで寒く、先ほどの脇野沢の道の駅でもストーブを焚いていたほどなのである。春は間違いなくやって来ているのだが、このような揺り戻しの寒さにぶつかると、人間という奴は実に頼りない存在になるものである。

車の中から景色を眺めていると、道の反対側から突然一匹のキタキツネが飛び出して、近寄ってきたのである。思わずそいつに向って

「おい、ここは車が通る道だぞ!危ないから向こうの林の中に入んな!」

と声を掛けたのだった。すると逃げるどころか、何を勘違いしたのかそのキタキツネは、ますます近づいてくるではないか。人間によく狎れているらしく、少しも恐いなどとは思っていないようで、どうやらお腹を空かしているらしい。よく見ると雌のキタキツネらしく子育ての最中とも思えた。キタキツネの食べるようなものは車内には無く、又餌を与えるべきかどうか迷ったので、とにかく断ることにして、キツネ君に

「オイ、ダメだよ。おいらはもう年金暮らしなんだから、お前さんにご馳走してやれるほどのゆとりは無いんだよ!」

などと冗談半分に話し掛けたら、何となんと、ますます側に近づいてきて正坐をしてしまったではないか。これには参った。折角だから写真を撮ろうと隣の相棒にカメラを急かせて、シャッターを切った次第であった。どうやらこのジジイにはせがんでも無駄だなと思ったのか、しばらくするとそのキタキツネ君は諦めて山の中に戻っていった。

   

キタキツネ君の横顔。ケチなジジイに対して、少し怒っているようにも見える表情だった。

 

キタキツネには北海道を旅していて、何度も出会ったことがある。どこにでも居り、観光地では人間に狎れたというか狎れすぎた奴が、よれよれの柴犬のようななりをして、もの欲しそうに観光客の間をうろつき回ったりしている。

キツネと人間との付き合いは、大昔からの歴史があるようだが、必ずしも親密な友好関係があったとは思えない。それにも拘らず稲荷神社などが全国に点在しているのは、この動物に対する何か知らん人間の負い目のようなものがあるからなのだろうか。キタキツネもお稲荷さんのキツネの親戚なのだろうから、本当はもっと真面目に餌などを探して与えてやらなければならなかったのかも知れない。それにしてもこのキタキツネ君は北海道の奴とは違って毅然とした感じの風貌だった。

昔九州に住んでいたときに飼っていた柴犬のハチローに何処か面影が似ていた。ハチローは、近所の皆から愛されたいい奴だったのだが、誰かに毒を盛られて一晩苦しんだ後、とうとう逝ってしまった。その時未だ小学生だった子供達が大声をあげて泣いていたのを哀しく思い出す。このキタキツネ君を家に連れ帰って、キツネではなく柴犬として登録して扱えないものか、などとバカなことを考えたりもしたが、現実には到底無理なことである。第一このキツネ君自身が断固拒否するであろう。山の中の巣には何匹かの愛する我が子が待っているに違いないのだから。

海峡ラインの春は海にではなく、山にある。もこもこと膨らみ始めた山々の動きは、今日の寒さに心なしか止まってしまっているように見えるけど、おそらく何家族ものキタキツネの生命を包み育みながら、これから一層活発になるに違いない。ここへ来てよかったという満足感に満たされた嬉しい時間であった。

 

 鈍色の海を鎮めて山笑う    馬骨

  

 下北の春は狐を浮かれさせ   馬骨

  

 迷い狐に海峡の山は微笑みて  馬骨

                                           5.8.2005

 

 ※ 明日から2、3日休みます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第15日)

2009-03-16 00:55:52 | くるま旅くらしの話

第15日 <5月8日()

道の駅:七戸→(陸羽街道・むつはまなすライン)→道の駅:横浜(青森県横浜町)→(むつはまなすライン・R339)→道の駅:脇野沢(青森県脇野沢村)→道の駅:かわうち湖(青森県川内町)→ (かもしかライン・むつ市経由)→尻屋崎<寒立馬>(青森県東通村) →(R338他)→道の駅:三沢(青森県三沢市)→水明温泉(青森県上北町)→道の駅:小川原湖(青森県上北町)(泊)<348km>

 

朝もかなり遅くなって、ようやく雨が止んだようである。今日は小川原湖の道の駅泊まりにすることにしているが、直行すれば1時間ほどしかかからないので、邦子どのが途中から始めた道の駅のスタンプラリーにつき合って、まだ行ったことのない下北半島の脇野沢村と川内町にある道の駅を訪ねることにした。先ずは先日立寄った横浜の道の駅へ。売り名の菜の花畑はもう開花しているのだろうかと期待しながら行ったのだが、未だ開花宣言は出されておらず、あと数日はかかるらしい。結局今年も菜の花畑を見ることは出来ないようである。

下北半島は思いのほかに距離のある遠い所である。むつ市までも遠いが、そこから先はもっと遠い感がする。脇野沢はニホンザル生息の北限地で有名だが、まだ行ったことがなかった。猿には会えなかったけど、海峡ラインという意外に良く整備された道があり、そこからの素晴らしい眺望を楽しもうと車を停めていると、なんとキタキツネ君が1匹忽然と現れた。

   

海峡ライン(R338)の遅い春。向うに見える雪の残った山々は竜飛岬(右方)に連なる津軽半島の背骨である。

「車はあぶないぞ、山の中に入んな!」と話し掛けると、何を勘違いしたのか、ますます近くに寄ってきた。よく見ると母親ギツネらしい。子育ての最中かで、お腹が空いていて何か餌をちょうだい!ということなのかもしれない。突然のことで何も用意していないので、「おいらは年金暮らしなんで、何も無いぞ!」というと、なんと正坐してしまったではないか。そうだ、写真を撮ろうと気がつき、カメラのシャッターを切った。この間キツネ君は、真におとなしく我々を見つめていた。北海道で見る、ヨレヨレのもの欲しそうな奴と違って、ここのキタキツネは凛々(りり)しい(?)感じがした。

   

突然現れたキタキツネ君。母狐と思われ、様子からは子どもたちのために、勇を鼓して何か食べ物をねだりに来たのかも知れない。卑屈さは微塵も無かった。

川内町の山中には川内湖というダム湖があり、そのほとりに道の駅がある。その周辺の山々の景観は、実に東北の春を満喫させる緑と花(辛夷や山桜や猫柳などの)の一大ハーモニーだった。

むつ市に戻り、先日行けなかった尻屋岬へゆくことにした。東通村というのも初めて通る所である。海岸線を結構走って突然出現したセメント工場らしき工場群を通過した先に岬の灯台があった。その近くに「寒立馬」の案内板があり、そういえばどこかで聞いた野生馬の生息地がここなのか、と気がついた。

   

尻屋崎灯台。下北半島では大間崎の方が北だが、こちらの方が最果てのイメージをたっぷり漂わせている。

早速見に行く。いたいた、正確には何頭いるのか知らないけど、足腰の逞しい馬達が数頭あちこちで草を食んでいた。

   

草を食む寒立馬。長い冬を超えてようやく緑の大地が息づき出したのを待ち構えていたかのように、草を食む馬たちにも、春到来の喜びは同じものなのであろう。

   

海に立つ寒立馬。津軽海峡を背にして立つ馬の姿には、大地と大空に広がる生命の躍動を覚える。

北海を望むこの極寒の地で、自力で生きて行くのは相当に厳しいものであろう。吹雪吹きすさぶ中に佇立(ちょりつ)する彼等の姿を思い浮かべ、その生命力のすごさに一人感動した。南国宮崎の都井岬にも野生馬がいるが、彼等の優雅さとは比べ物にはならない。こちらの馬の方が数倍好きになった。

   

寒立馬の太い足。サラブレッドのスマートさは無いけど、短く太い足を見ていると、極寒の地に耐えて生き抜く北国の生き物の逞(たくま)しさを実感するのである。

その後はまたまた欲張って、六ヶ所村の長い海岸線を南下し三沢市の道の駅を経由してようやく上北町に。道の駅に行く前に勝手知ったる水明温泉へ立寄る。上北町には8軒ほどの温泉宿があり、いずれも天然温泉で料金は皆200円台である。水明温泉もその一つで、我々のお気に入りである。道の駅に着いたのは18時半頃か。本日の走行距離348km。今回の旅で1日の走行距離としては、今のところ最高記録となった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第14日)

2009-03-15 01:44:30 | くるま旅くらしの話

第14日 <5月7日()

道の駅:大野→道の駅:折爪(岩手県九戸村)→道の駅:南郷(青森県南郷村)→(名川階上線・陸羽街道)→道の駅:十和田(青森県十和田市)→道の駅:七戸<東八甲田温泉>(青森県七戸町)(泊)<90km>

夜来の雨となった。しかも半端ではない本降りである。これでは海側に行ってもしょうがないので、たくさんのいい温泉がある小川原湖畔の上北町辺りを目指して北上することにした。今日中に着かなくてもいいから、途中道の駅などを辿りながらちんたらと行くことにして出発。雨の中を先ずは九戸村にある道の駅を目指す。

九戸の道の駅「おりつめ」は折爪岳の山麓にあり、そこに「オドデ館」という妙な名前の施設があった。何だろうと調べると、オドデさまという民話の主人公から取って付けた名称らしい。上半身がフクロウ、下半身が人間というオドデ様をかたどった巾着袋などが売られていた。それを見て我がでこぼこコンビの邦子どのにそっくりなのに気がついた。笑ってはいけないよ。ホントなんだから。

   

オドデグッズ。民話の中に出てくる主人公のオドデ様に似せて作っている。古布を巧みにつなぎ合わせて作ってあり、なかなか愛嬌があって面白い。

雨は依然としてまだ降り続いている。青森県に入って南郷、十和田の道の駅などを経由して昼過ぎ七戸の道の駅に到着。まだ雨は止まない。今回の旅ではこの道の駅は2度目となるが、近くにいい温泉もあり今日はこのままここに泊まることを早々と決め、ゆっくりすることにした。少し寒いほどだ。午睡の後、温泉に入ってとにかくくつろぐ。

 

*   *   *   *   *   *

<旅のエッセー>

 

「オドデ」

                      

先ずは青森県に隣接する岩手県は九戸で拾った民話を紹介しょう。南部氏が東北北部をを支配していた時代、一戸から九戸まで(四戸というのは残っていないが)という、区割りをしたらしい地名が残っている。その中で、村はこの九戸だけで、他は市や町である。だから民話を紹介するというわけではない。偶々そこで出会った「オドデさま」にまつわる話なのである。

 

……昔々、江刺家折爪岳の草刈り場で村の若者が牛まぶりをしていました。夏の日が沈む頃、若者は藪の中にうす気味悪く光る目玉に気がつきました。 やがてそれが二本の足を揃えて、ピヨン、ピヨンと跳びながら若者に近づいてきました。大きさは魔法瓶くらい、上半身はフクロー、下半身は人間のように見えました。 この不思議なものは、若者の心に思ったことをそっくりそのままに言葉に表したかと思うとやがて遠のき、藪の中に消えていきました。 ところが数日して、名主様が持ち山の見回りに山へ入ったところ、それらしきものが倒れているのを見つけ、縄で縛り家に持ち帰り、庭のすみに置いておきました。ところがいつの間にか姿が見えなくなり、よく見ると神棚の上に大きな目を開いてキチンと立っていたのです。 村の人々は、このめずらしい物を一目見ようと、つぎつぎに名主を訪れました。山で見た若者も来て「ドデン、ドデンと大きな声を出したのがこの鳥だ」と言ったので、この鳥は「ドデ」とよばれるようになりました。 この鳥は時々「明日は晴れだ」とか「夕方雨だ」とか叫び、それがまたピタリと当たるので、村人達は、自分の運勢、失せ物、縁談、病気などを聞きに訪れ、名主の家は大繁盛するようになりました。 この「ドデ」は、毎日天井ばかり見て暮らしていましたが、ある日、下を見ると名主は羽織袴で座っている。その前に村人達が頭を下げている。 賽銭箱にはお金が沢山つまっている。それを見た「ドデ」は、「シラン、シラン、ドデン、ドデン」と叫びながら森深く飛び去ってしまいました。その後、二度と姿を見せなくなりましたが、今でも近くの森で、それらしい声を聞くといいます。……   (九戸郡誌より)

 

九戸村の北はずれの西の方に、隣の二戸市や軽米町と境界を共有する折爪岳という標高852mの山がある。それは地図を見て知っているだけで、初めて九戸村の道の駅を訪れた日は終日雨が降り続き、折爪岳は麓の一部しか見えず、どのような山容なのかはさっぱり分からなかった。今年新しくオープンした道の駅には、産直品を紹介、販売するオドデ館というのがあった。この妙な名前の由来は、一体どこから来ているのだろう?と館内を歩きながら、何か説明資料はないかと探していたら、上記のオドデさまの民話を紹介したものがあり、そこから名付けたものであることがわかった。

東北には柳田國男の遠野物語などで紹介されているように、たくさんの民話がある。このオドデさまの話もその一つなのであろう。どうやらフクロウをモデルにした予言者の存在をイメージした物語のようであった。タイトルもストーリーもいかにも東北らしい朴訥さがある。「ダヂヅデド」は東北の標準語の基(もとい)である。現地の人同士がこの標準語で話し出すと、我々にはさっぱりわからなくなるけど、その内容は何か温かく伝わってくるような気がする。又そのことばの音には、素晴らしいバイタリティ込められていて、東北の人の持つ底力を感ずるのである。

その資料にはオドデさまのイメージ像が描かれていたが、それは上半身がフクロウ、下半身が人間といったものだった。そして、それをモデルにしたらしいグッズとして、手作りの巾着が売られていた。古着の布を利用して作っているものらしく、それがいかにも東北の田舎の温かさというか、味を出していた。我が相棒はその巾着がすっかり気に入って購入していた。

ところで、その時何か変だなと思ったのは、そのオドデさまなる民話の主人公の姿を、どうもはじめて見る様な気がしなかったのである。そして気がついてよく見れば、オドデさまというのは、何と隣にいる我が相棒の体形に実によく似ているではないか。彼女は、旅に出ると「もんぺ」のようなのを着ていることが多い。普通の装いの上にそれを引っ掛けて着ているので、それでなくとも膨らみ出した体形は一層膨らんで見えるようになる。本人はそのことを意識して着ているのかどうかよく分からないが、時々珍しがって声を掛けてくれる人がいるので、結構満足しているのかもしれない。服装などには全く関心の無い自分にはそのような心理は解らない。

「なあんだ、オドデさまのそっくりさんがここにいるじゃないか」と思わず手を打ってしまった。体形だけではなく、よく考えてみれば予知能力も結構高いのだ。自分があまり悪さをして来なかったのは、相棒の予知能力が枷(かせ)となっていたのかもしれない。オドデさまと決定的に違うのは、お賽銭などが貯まったとしても、決して「シラン、シラン」などと言いながら消え去ったりはしないということであろうか。

いやはや、何とも驚いた出会いであった。旅のそれから以降しばらくは、相棒のことをオドデさまと呼ぶことにした。怒るかと思って本人にそのことを言ったら、意外と素直に認めたのにはこれまた驚くと同時に少しがっかりした。とても句作は出来ない。そこで川柳の駄作を一句。

   

 日に増してオドデさまなる妻を見る    馬骨

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第13日)

2009-03-14 04:41:32 | くるま旅くらしの話

第13日 <5月6日()

道の駅:雫石→盛岡駅→盛岡市内コインランドリー<洗濯日>→ (陸羽街道)→石川啄木記念館(岩手県玉山村)→(沼宮内野田街道)→道の駅:葛巻高原(岩手県葛巻町)→道の駅:山形(岩手県山形村)→(久慈渓流)→(久慈市経由・九戸街道)→道の駅:大野(岩手県大野村)(泊)<90km>

今日から再び新しい旅が始まるという感じだ。倅が帰ればもとのでこぼこコンビとなる。喧嘩のようなことばかりしているが、気楽さという点ではこれ以上のものは無い。一人でいる以上に気楽なのかもしれない。一人というのは意外と気が重いこともあるものだ。人間という奴は(これは自分だけなのかもしれないが)相当にいい加減な存在である。10時過ぎの新幹線に間に合うよう、少し早めに出発して倅を駅に届け、さてそれから後は、先ず最初にやることは洗濯。

何処かにコインランドリーはないか?と探しまくる。メインロード沿いに多くあるのでは、と陸羽街道(国道4号線)を盛岡の隣の矢巾町まで探したが見つからず、作戦を変えてありそうと見当をつけ裏道に入って、しばらくウロウロしてようやく発見。ナビでもあればもっと簡単に見つかるのかもしれない。それから約3時間は洗濯の時間。といっても出来上がるのを待つだけ、だからヒマなだけ。少しお金がかかるが、コインランドリーの活用は長旅では大変に効率的である。3時間で2週間分もある冬の着衣の全てが乾燥まで完了するのだから。

洗濯をしている間に、これから先どうするかなどを考える。当初旅に出る前は、「へのへのの旅」というのを考えていた。これは一戸から九戸までを順次訪れて名所・旧跡などを見てみようというもので、事前に各行政のホームページから一通りの資料を集めて持参しているのだが、いざ旅に出かけてみると、どうも気乗りがしない。未だ何かがその気にさせないのであろう。そんな時にはやめた方がいい。考えがまとまらないまま、未だ太平洋側へ行っていないので、とりあえず海側に行くことにして出発。

先ずは今までいつも素通りしていた玉山村の石川啄木記念館に立ち寄り、その後岩手町から沼宮内野田街道で久慈市を目指すことにする。

石川啄木は渋民村出身だが、今はその村は合併で無くなって、玉山村なんぞとなっている。間もなく盛岡市と合併するらしいから、今後は啄木さんは、盛岡市出身ということになるのだろう。そのようなことはどうでもいいが、彼の時代はあくまでも渋民村である。石川啄木は、文学心がある若者なら誰でも一度はその歌の心情に惹かれ、触れる人物であろう。この拓さんも、まだ身体のてっぺんが黒い毛に覆われていたうら若き少年の頃、この人に影響されて1夜に100を超える歌(短歌)らしきものを作ったことがある。しかし歳を経るにつれその情熱は干からび、かくはてっぺんも干上がって輝きを増す次第となった。その反省も込めて2時間近く館内の資料や外に移築されている小学校などを見学した。志半ばにも至らぬままに若くして逝ってしまった彼の無念さがわかるような気がした。

   

啄木記念館内に移築された渋民小学校の校舎。明治17年650円にて建てられたとか。啄木は明治24年から4年間ここで学び、そのあと明治39年日本一の代用教員を自負しながら1年間教鞭をとったと案内にあった。

   

教室の様子。昔の学校といえば、皆木造で、教室もこのようなものだったと思う。自分の学んだ小学校はこれよりはかなり大きかったが、それでも木の匂いや床のヘタリ具合などは然して変わってはいない感じがした。

   

啄木記念館から見る岩手山の雄姿。その昔、啄木少年もこの地であの山を仰ぎ見ながら多感な時を過したに違いない。

その後は岩手町から葛巻町、山形村と予定通りの道を進行。山形村から久慈市に抜ける道に絡む久慈渓流は素晴らしかった。何種類もの新緑が混ざり合った山襞(ひだ)を見ながら、時々間近かに迫る清流と道を包む新緑のトンネルをぬけながら、長い冬を乗り越え生命の輝きを様々な形で表わしている、ありとあらゆる生きものたちの歓びの躍動を感じたのであった。

久慈市は市街地の整備が遅れているのか、道がわかりにくく案内板も不親切。暗くなって来たし、泊まるところもなさそうなので、以前に何度か泊まっている大野村の道の駅に行くことにした。久慈市から九戸街道に入って間もなく到着。かなりの強風が吹いていて雨が降り出しそうな天気だった。今まで、ず~っといい天気に恵まれてきたけど、これで見切りとなるのかもしれない。ここには温泉ではないが、入浴施設があるのでそこへ入って疲れを取り、車に戻って就寝。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第12日)

2009-03-13 01:53:42 | くるま旅くらしの話

第12日 <5月5日()

角館町武家屋敷駐車場<市街名所旧跡及び堰堤の桜など見物>→ (大覚野街道)→西木村・カタクリの郷(秋田県西木村)→(角館街道)→乳頭温泉・蟹場の湯(秋田県田沢湖町)→(秋田街道)→ 道の駅:雫石あねっこ(岩手県雫石町)(泊)<100km>

 

昨夜は暗くてよく判らなかったが、朝起きて武家屋敷の辺りを歩いてみると、この旅では2度目の角館の枝垂れ桜は、もうすでに満開を過ぎており、葉桜の兆候が現れていた。桧木内川堰堤の方は今が満開だった。

   

桧内川堰堤の桜。この写真はほんの一部。手前側に向って2km近く桜並木が続く。

   

桜並木の内側。ソメイヨシノの巨木が2列縦隊で延々と続く。この道は馬車なども走らず、ただただ人の波が押し寄せるだけなのだが、今日は未だ早朝で人影はまばら。

昨日弘前の桜を観てきているので、さほど桜開花状況へのこだわりはない。午前中(倅のため)時間を掛けて街中を散策。しかし倅めは、存外の野暮な奴で、城下町の情緒などあまり関心なさそう。明日、盛岡から帰る予定なので、午後は近くの西木村にあるカタクリの群生を見せてやろうと出発。

八津という所にある赤倉栗園の広い栗林の下地がカタクリの群生地となっており、最盛期のそれは一面が赤紫のジュータンとなる。

   

カタクリの群生の花。栗林の下一帯がカタクリの花畑となっている。最盛期を過ぎたらしく、ややあせた色となっていたのが残念。

   

カタクリの花の近影。愛らしいけど、よく見るとシクラメンに似て下を向いた花がそそけ立っている感じがして、ちょっぴり不気味さも覚える。

関東近郊のそれとは比べものにならない広さである。しかし行ってみると、今年は既に最盛期を過ぎてやや色あせた感じであった。それに駐車場が狭く、且つ探訪コースが幾つもあって、車は一方通行で極めて通りにくい。早々に切り上げて温泉に行くことにした。

以前、田沢湖高原温泉郷にある国民宿舎駒草荘で立寄り湯をしたことがあるので、その辺りへ行ってみることにした。田沢湖のたつ子像でも見たらと思ったが、倅は温泉の方がいいという。殆ど毎晩普通の温泉だったので、今日は少し本格的な温泉の方がいいかもしれないと、結局は高原を過ぎて乳頭山麓の奥にある蟹場の湯という所へ到着。辺りは雪が1m以上残っており、未だ冬。秘湯と言っていいだろう。いかにも温泉場らしい雰囲気で倅も充分に満足したようである。

 山を下って、来た道を角館方面へ少し戻り、秋田街道に入って県境の長いトンネルをくぐって岩手県は雫石町の道の駅へ。今日の泊まりはここ。我々はこの旅では二度目だが、倅には旅の最後の夜となる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第11日)

2009-03-12 03:02:36 | くるま旅くらしの話

第11日 <5月4日()

道の駅:森田→(弘前鯵ヶ沢線)→弘前市内駐車場<市内見物:弘前城の桜、長勝寺禅林>→〔市内見物の後、家内達は、弘前駅から能代まで五能線にて列車旅〕→(羽州街道)→道の駅:矢立峠(秋田県大館市)→道の駅:比内(秋田県比内町)→(秋田ロマン街道・鷹巣バイパス)→道の駅:鷹巣(秋田県鷹巣町)→道の駅:二ツ井(秋田県二ツ井町)→JR能代駅〔家族合流〕→(秋田道・秋田街道) →角館町武家屋敷駐車場(泊)<271km>

待望の弘前の観桜日。もう10年近くも通い続けているのに、ぴったり満開に出会ったのは1度きりなのだ。早すぎたり遅すぎたりの繰返しだったが、今年は2度目のピッタンコ間違いない。あとは天気だけ。晴天微風を祈るだけ。

6時前に出発して7時前に到着。いつもの駐車場は既に満杯で、臨時駐車場のようなところだったが、それでも城址近くに停められてよかった。先ずは朝食休憩。予想通りの開花状況で、よく晴れて風も弱く理想的な花見日和である。腹ごしらえをして散策開始。先ずはお堀の桜のトンネルへ。ソメイヨシノの古木が堀の両側に2列ずつ並んで500mほどの桜花のトンネルを作っている。北上展勝地も桧木内川堰堤にも同じレベルの花のトンネルがあるが、ここは城址であり、その艶やかさは堰堤のそれとは些か趣を異にしている。

   

お堀の桜とお岩木山。お城の外から見る桜の風景の中では、最も美しい場所ではないかと思う。

   

櫓と桜の風景。只一つ城内に残る櫓は、城の本丸と間違えそうだが、城と桜は良く似合う。

垣間見るお岩木山の凛々しい姿も桜の花を一層引き立てている。超満開で、花に埋まる風情をここで味わうのはこれで2度目である。心ゆくまで花を愛で歩く。お堀の後は城址内へ。未だ早いので入場料金の徴収もされていない。場内はソメイヨシノよりも紅枝垂れ桜が多い。枝垂れ桜は、ソメイヨシノとは違った優雅で艶やかな情緒がある。そよ風に揺られる花々の向こうに雪の冠を抱いたお岩木山がどっしりと構えて、弘前の街を見守っている。素晴らしい景観である。しばし芝生に寝転んで花と青空の距離を測る真似をしたりした。いい気分の時間だった。

   

城跡に植えられた枝垂れ桜は、古木とは違った趣があり、華やぐ美しさがある。

   

お城の中から見るお岩木山と桜。この季節のお岩木山は未だ冬で、冠雪が輝いているが、桜の花の背景としては、これ以上のものは無いといつも思う。

   

花と緑の風景。柘植の木には花は咲かないけど、庭園の引き立て役としては、大いなる力を秘めていると思う。

9時近くなって人出はますます多くなって混雑も激しくなってきた。もう十分満足したので、話に聞く津軽藩の禅林長勝寺を訪ねることにした。20分ほど歩いて到着。奥まった所に長勝寺があり、これが一番貧しそうな佇まいであったが、30以上もあるのだろうか、たくさんのお寺が連立しているのはすごいなあと改めて思った。戦国時代からの武将の信仰への思いを残す遺産だなと思った。ここは城址の桜の艶やかな喧騒とはかけ離れた世界であった。

   

長勝寺の禅林。道の杉並木の両側には、30以上を数えるお寺が並んでいる。一番奥に見えるのが長勝寺である。

   

長勝寺の山門。この奥に本堂と茅葺の庫裏があるが、禅林に並ぶお寺よりも侘しい雰囲気が印象的だった。

五能線に乗る倅たちは12時くらいには駅に行っていた方がいいので、車に戻って出かけることにする。再度通った城址付近の桜は、少し強くなった風に吹かれて散り急いでいるようで、外堀は花びらで埋め尽くされていた。この辺一帯がまさに桜色一色の感がした。これで弘前ともお別れである。

   

動かない花筏。僅かに3時間足らずの間に、花吹雪は堀を埋め尽くし、花びらはそこが水であることを忘れさすほどに、一面に敷き詰められ輝いていた。

五能線というのは五所川原から能代を結ぶ列車であると思っていたが、始発は弘前らしい。拓一人が犠牲(?)になって、倅とその母親はローカル線の二人旅を楽しむという筋書きである。どんな旅になるのか、約5時間の行程である。二人を弘前駅前で降ろして、拓は一路能代へ向う。弘前の市街を抜けるのが結構面倒で、何回も道を間違えながらようやく羽州街道に出て碇ヶ関方面へ。そこから先の一人旅のことは省略しよう。

17時過ぎ予定通り能代駅で二人を拾って、明日は角館の桜を倅に見せようと秋田方面へ向う。時間がかかりそうなので、秋田近くの道の駅にでも泊まろうかと能代郊外を走っていたら、何と高速道が出来上がって能代まで来ているではないか。それならば角館まで行ってしまえと、高速道を利用することにした。協和ICで降り、角館市街手前の温泉に入って疲れを落とし、武家屋敷の駐車場に着いたのは20時を少し過ぎていた。昨日に引き続きかなり走り回った一日だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第10日)

2009-03-11 03:38:33 | くるま旅くらしの話

第10日 <5月3日()

早掛レイクサイドヒルキャンプ場→(むつはまなすライン)→平内町内駐車場<休憩>→(青森市内通過)→(内真部バイパス・松前街道)→蓬田村物産館(青森県蓬田村)→JR蟹田駅(青森県蟹田町) →(津軽中山ライン)→道の駅:今別(青森県今別町)→道の駅:三厩(青森県三厩村)→竜飛崎(青森県三厩村)→(竜泊ライン) →道の駅:小泊(青森県小泊村)→(小泊道・こめ米ロード・大間越街道)→鯵ヶ沢焼きイカ売店(青森県鯵ヶ沢町)→(大間越街道) →おらほの湯(青森県森田村)→道の駅:森田(青森県森田村)(泊)<283km>

 

弘前の桜を観るためには、城址近くの駐車場に7時前に入る必要がある。本当は今日行きたいのだが、ここからは無理なので、明日弘前の桜を観ることにして、今日は倅に津軽半島めぐりを体験させ、夜は森田村の道の駅に泊まることにしようと決め出発。少し距離のある行程だ。

一路、はまなすラインを南下し、野辺地の歴史資料館で縄文遺跡からの発掘品を見ようと立寄ったのだが、生憎休館だった。その後は陸羽街道を青森に向かってひたすら走り、市内を抜けてバイパス経由で松前街道へ。弘前と盛岡を除けば都市市街地への立寄りは全く敬遠である。都会に入ると旅が壊れてしまう感じがする。(少しオーバーか?)松前街道に入って直ぐにある蓬田村の物産館に寄りボイルしたホタテの剥き身を買う。いつもの流れである。この甘辛の煮付けが酒の肴に最適なのだ。

この先は、竜飛崎を経由して幾つか点在する道の駅を巡ることにしようと考えている。途中JR蟹田の駅に寄って時刻表を見る。明日、倅たちは五能線に乗って、ローカルの列車旅を楽しみたいというので、その時刻を調べるためである。蟹田駅は三厩までの津軽線と北海道に渡る津軽海峡線を共有する、本州側の基点となる駅らしい。あまり人はいないが、何となく鉄道自体には活気が感ぜられた。

蟹田から左折して津軽中山ラインという道を通り今別の道の駅へ。今別などという呼び方はアイヌのものに違いない。この道の駅は鉄道の今別駅と同じ構内にある。ここで昼食休憩。

三厩の義経寺下にある大島桜(?)は未だ5分咲きくらいだった。曲がりくねった狭い猟師町の道を辿って、ようやく竜飛崎近くにある道の駅に到着。かなりの強風である。晴れていると風が強く、雨降りだと霧がかかって何も見えず、竜飛崎はいつも天気の機嫌の悪い所だ。今まで何回も来ているが、機嫌がよかったのはたった一度だけ。今日もダメ。拓は車の中で留守番を決め込む。倅達も途中で戻ってきた。要するに竜飛崎とはこのような場所なのだ。それにしても、たくさんある発電用風車の中に、ちっとも廻っていない奴があるのはどういうわけなのだろう?

竜飛崎からは日本海側を南下することになる。小泊に向う竜泊ラインという道は有料スカイライン並みの眺望よろしき良い道である。無料であるのが嬉しい。竜飛に来るときは三厩側ではなく小泊の方から行った方が層倍楽のようだ。そのようなことを考えているうちに眠ってしまった。小泊からは小泊道を南下し、やがて米こめロードと呼ばれる同じ道を五所川原市に向う。途中太宰治の出身地金木町を通るのでその生家に立寄ろうとしたが、駐車場が満杯のため取り止めた。又金木の手前の芦野公園は桜の名所だけあってさすがに付近の道路は混雑しており、通過するのにかなりの時間がかかった。車の中から満開近くの桜を見て、明日の弘前は大丈夫だと安堵感を深めた。

五所川原市を抜け大間越街道を鯵ヶ沢町に向う。森田村は手前なのだが、鯵ヶ沢には名物の焼きイカがある。それを買い入れて夕食の肴にしようという魂胆。鯵ヶ沢はかの小兵の技の名人、舞の海関の出身地でもある。ここの焼イカきは最高なのだ。厚い身、適当な塩味と干し加減、食欲とアルコールの飲欲(?)をそそる匂いというかその芳しき香りは、悪いけど夜店の香具師のものとはかなり違う。一人1枚宛計3枚をゲット。来た道を急ぎ戻って森田村にある「おらほの湯」という温泉へ。ここも本物の温泉で、なかなかいい泉質だ。たっぷり汗を流し、水をかぶって身体を引き締める。その後は5分ほど離れた道の駅へ。今日は結構泊まりの車が多いようで、いい場所を見つけるのに手間取った。先ほど買ってきた焼きイカをうめえ、うめえ~と賞味しながらビールをやってそのあとは白川夜船。

 

   *   *   *   *   *   *

 

<旅のエッセー> 

 

春 蘭 を 食 う

 

東北の山菜は日本一だと思っている。春の山に行けば日本中何処でも山菜を手に入れることが出来るが、東北のそれは種類も多く、値段も安くて豊かさを覚えるところが多い。今回も山菜を手に入れて春を味わおうと考え、てんぷらの用意などをしてやって来たというわけである。

いつも日本海側でゲットすることが多いのだが、今回は下北半島の入口というか中ほどというべきか、横浜町の道の駅でびっくりするような山菜に出会った。横浜という土地の名は何も神奈川県だけにあるのではない。下北の横浜は菜の花の栽培が日本一であるというので有名だ。と言ってもやはり限られた世界の中の話であろう。

その横浜の道の駅の地産物の売店の中に山菜が並べられており、その中に都会では考えられないような植物が並べられていた。今まで様々な山菜を見てきたが、これは初めてだった。何と、春蘭の花とリュウキンカの幼茎が並べられていたのである。以前やはり東北の何処だったかでカタクリの花を手に入れ、お浸しにして食べたことがあるが、春蘭やリュウキンカを食べると言うのは初め聞く話で驚いた。

そばにいた地元のおばさんに聞くと、春蘭はハカマを取って天ぷらや吸い物に入れるといいという。リュウキンカは少し苦味があるが、お浸しなどにして食べると言う。水生植物のリュウキンカには何やらの毒があるような気がして買うのをやめたが、春蘭の方はてんぷらにでもしてみようと早速買い入れることにした。他の素材と一緒に早速夜天ぷらにして食べたのだが、これがなかなかの美味で、いやはや北国の人たちの知恵に恐れ入った次第である。それにしても春蘭なんて、都会ではもはや貴重品扱いで鉢に入れ結構な値段で売っているのに、それを春の味わいに食卓に並べられるほど豊かな自然がまだ残っているのかと妙に嬉しくなった。が、さて、このような贅沢がいつまで保つのかとふと心配を覚えた。願わくば、このような大自然の恵みを味わえる日がいつまでもいつまでも続くことを。

   
道の駅:横浜でゲットした山菜。コゴミと春蘭。手前の花の方が春蘭。天ぷらにして食べたが、春蘭を食べたのは初めてのことであった。なかなか美味だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅の記録から:2005年東北の春訪ね旅(第9日)

2009-03-10 02:51:29 | くるま旅くらしの話

第9日 <5月2日()

道の駅:浅虫→(野辺地町経由・むつはまなすライン)→道の駅:横浜(青森県横浜町)→むつ市内スーパー<買物>→恐山霊場(青森県むつ市)→(大間道)→大間温泉保養センター(青森県大間町) →(大間道)→ 早掛レイクサイドヒルキャンプ場(青森県むつ市)(泊)<200km>

今日は倅に未だ行ったことのない恐山の霊場(恐山菩提寺)を見せてやろうと考え出発。野辺地から陸羽街道を左折し、むつはまなすラインに入り陸奥湾を海岸沿いに北上する。運転は倅が担当。1時間ほどで道の駅横浜へ。この地は菜の花の作付け面積日本一とかで、菜の花に因んだイベントや地産品などに力を入れている。来年辺りで国の補助が無くなるらしく、いろいろ苦労されているらしいと聞いた。少し休憩のあと出発し、途中むつ市内で少々買物をしてから恐山に向う。

急な山道には登るにつれて道の側に残雪が目立つようになった。しかし緑は多く、春の訪れは豊かだなと感じた。地熱が高いからなのかもしれない。11時少し前到着。硫黄の臭いがし、所々煙がくすぶって焼けた瓦礫のような道に、死者を悼むケルンのようなものが積まれていて、何度来ても薄気味の悪い所である。イタコの霊呼びが本当のことと信ずるような、まさに催眠的な環境雰囲気である。初めての倅にも異常な場所と映ったに違いない。「俺は、死んでもこのような所には来ないからな」と念を押しておいた。

   

恐山菩提寺の山門。左右にイタコの小屋などが並んでおり、異様な雰囲気が漂っている。今でもこの小屋を訪ねる人が結構多いのは、この世とあの世との出会いを求める人が多いからなのか。

   

賽の河原と呼ばれている場所は、硫黄の臭気と草木一本も無い荒涼たる火山の地熱が、所々に煙を上げている。地獄のイメージにはぴったりだが、何とも不気味な場所ではある。

   

恐山菩提寺の地蔵殿。このお寺のご本尊は地蔵菩薩であるとのこと。田舎道の傍らに温和なお顔をして佇(たたず)んでいるあの姿が、この中に入っても見られるのだろうか?

   

賽の河原の南側には鏡のように輝く宇曾利湖があった。地獄の中に天国が拓かれていると一瞬錯覚する風景なのだが、その湖には生き物の姿は無い様で、やっぱり天国ではないのだと気づかされる。

参詣が終わって気分転換に温泉にでも入ろうと調べたのだが、近くの薬研温泉も下風呂温泉も硫黄泉だというので敬遠。少し遠いけど大間の温泉まで足を伸ばすことにした。大間は北海道に渡る際のいつもの通り道で、何度も行っているが倅には初めての場所。大間温泉保養センターは、間もなく改修工事が始まるらしく休業予告の張り紙がしてあったが今日は大丈夫。なるほど要改修のレベルの施設だなと思いながら、泉質は悪くない湯に浸り、本州最北端の温泉を味わったあとレストランで昼食。

今日は車のバッテリーの負担を楽にしてやるためにもと考え、むつ市郊外にあるAC電源つきのキャンプ場に泊まることにした。ガイド書で調べた早掛レイクサイドヒルキャンプ場という所である。勿論初めての場所だ。行ってみると早掛沼という小さな湖(というよりやはり沼と呼ぶべきか)があり、その辺一帯が公園施設になっており、その一画にキャンプ場があった。一組の若者達がバーベキューパーティをやっていた。木々に囲まれ、沼の景色も調和がとれていてなかなか良い所だった。湖の向こうの側の丘に行ってみると、桜の樹が多く植えられていて、むつ市主催の桜祭りが明日辺りから行われるらしく、提灯などが吊り下げられ、準備の最中だった。しかし桜の方は未だほんの咲き始めといったところで、祭りの雰囲気にはフィットしていないのが気の毒。弘前や角館の桜はどうなっているかなと思いをめぐらす。

電源があるのでTVなどを安心してみることができる。しかし拓だけはいつもの通り早寝であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする