山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

老計・死計と我がくるま旅(2012年の締めくくりに)

2012-12-29 05:12:50 | 旅のエッセー

  今年も間もなく大晦日を迎えます。光陰矢の如しと言いますが、この光陰にもスピード感の差があって、常に一定ではないというのが生きものとしてのこの頃の所感です。科学者はそんなバカなことはないと一笑に付すでしょうけど、情理混濁した世界に生きる人間には、時間といえどもその速度は感じるがままであって、決して一定ではありません。

 少年の頃は、もどかしいほどそのスピードが遅いように感じていました。早く大人になって世に出て父母を助けたいとか、何でもいいから有名人の仲間に入りたいとか、慾の深さは人並みで、貧しい時代からの脱却を夢見たものでした。それが現実となって大人の社会に仲間入りし、家庭を持ち子供が生まれ、仕事に塗(まみ)れての転任勤や転居の繰り返しの中に、時間の経過はスピードを増して気がつけば定年間近かとなり、やがてリタイア。これでようやく落ち着いて、ゆったりと時間の流れを味わえるかと思っていました。

 そして10年ほどが過ぎて、さて、今感じているのは、過ぎゆく時間のスピードが益々加速化をしており、特にこの1年はまさにあっという間の感じでした。その日常を見れば、相変わらずの「今日も昨日と同じこと」という暮らしぶりなのですが、この繰り返しの積み上げは猛スピードの時間経過となってしまっているのです。老を実感するようになって、この感覚はより鮮明になって来ているように思います。それが何故なのかはよく分かりませんが、人生の残りの時間との係わりが深いことは確かなように思っています。

 人生五計ありは中国の古人、朱新仲(宋代の人)のことばですが、五計とは、生計・身計・家計・老計・死計の五つを指します。人間として生きるためには避けて通れない生き方の五つの側面の本質について述べていることばだと理解しています。お釈迦様の洞察されている生・病・老・死という切り口にも通ずる考え方のようにも思います。これらの五計の夫々について解説することは止めますが、取り上げたいのは老計と死計の二つです。

  この二つについてここ数年あれこれ我が身を振り返って思いを巡らしてきましたが、この頃ようやく判ったことがあります。それは老計と死計とは基本的に不即不離のものであることです。別々に考えても意味のないことのように思われ、それが今は確信できるようになりました。如何に老いるかというのと如何に死ぬるかというのは別のことではなく、相互に密接な関係にあるということです。

 この結果、迷いが一つ少なくなったのは、今は只老計のことを考え、それを実践するのに専念すれば、それでいいのだということに気づいたからです。死は老計の中にあるのであり、ひたすら老計に励めば、納得のゆく死が用意され、そこに導かれるということです。当初は死計というのは途方もない大きなテーマであり、自分のような者には見当もつかないなと思っていたのですが、それでも気になって時々あれこれと思いを巡らしていたのでした。それが、この頃ようやくはっきりとしてきました。そのようなことは、大して考えなくても直ぐに気づくことなのかもしれませんが、鈍感な自分にとっては大きな出来事なのです。

 ところで、我が老計といえば、これはもうくるま旅とその記録をもとにした物書きです。格好よく言えば、大いにくるま旅を楽しんで、そこで拾った感動をエッセーに書きとめて、日本中に言い触らすということになるのかも知れません。このことを徹底して行けば、いつの日か(そう遠くない日に)あの世への旅の時がやってくるのだと信じています。

 さて、そのようなこの頃の心境なのですが、今年のくるま旅のことを少し振り返りつつ、来年を迎えたいなと思っています。今年は長期間の旅は2回だけでした。4月から5月にかけて九州の旅を43拍44日、7月から9月にかけて北海道の旅を77泊78日、合計120泊122日の旅だったということになります。約3カ月ですから、1年の1/4ということになります。例年よりも1カ月ほど少なかったのは、我が家に慶事があり、長男がようやく良運に巡り合えて、2世帯住居が本来の姿を実現でることになったからなのでした。1年の1/4や1/3ほどのくるま旅ならば、老計を満たすには不足していると思われるかもしれませんが、それは否なのです。実のところ、今でも今年の春の九州の旅のエッセーをもてあましているほど、旅の楽しみは溢れかえっているのです。

 旅というのには3つのステージがあるというのが持論です。すなわち、前楽・現楽・後楽の3つです。例えば九州の旅では少なくとも1カ月は前楽を味わっていますし、現楽は44日ほどでしたが、後楽の方は未だに整理もつかず、言うてみればこれは無限というか、無期限なのです。現楽で残した様々な記録(=写真・メモ・日記など)を取り出せば、何年経過した時点でも、たちまちその時の現場での感動を思い起こすことが可能なのです。10年以上のくるま旅の経験の中で、感動を思い起こすためにはどのような記録が大切なのかを身につけることが出来たように思っています。今年の九州行からは、早や半年以上が経ってしまっていますが、記録を取り出せば、その時の感動が鮮明に甦ってきますので、エッセーを書くのに不自由することは少ないのです。この後楽の楽しみは、とても大切で、それは何時か老いさらばえて車の運転が不可能となった後でも、寝たきりになって動けなくなっても、記録を見ることが可能な限りは失うことはないのです。

 旅は老人の妙薬だなと思っています。この妙薬は、不老長寿を実現させる類の薬などではなく、死ぬときが来るまで生きている楽しみを味わわせてくれる薬なのです。自分がこの薬を手に入れることが出来たのを、天に感謝したい気持ちです。今年もこの妙薬のおかげで、生きているのを実感できています。来年は、時間経過のスピードがもっと早まるに違いありません。それ故に、もっともっと楽しみを膨らませたいなと思っています。

     

我ら夫婦の旅の守り神の道祖神。我が家の玄関の履物入れの上に鎮座ましましておられる。

 

 皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。この一年を通して、小生のこのブログにお立ち寄り頂きましたことを心から感謝申し上げます。  馬骨拝

 

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車中泊施設について (エンター)
2013-02-07 14:31:08
山本馬骨様
はじめまして、取手在住のエンターこと三浦と申します。
山本さんのくるま旅くらしノオト楽しみに読ませて頂いてます。
山本さんが、以前守谷市にキャンピングカーの停泊施設の提案されたブログを読ませて頂いた事があります。
私、還暦で生まれ故郷に厄払いに帰省して参りました。その折、私が生まれた町内に日本海沿岸道路の付帯施設として、防災センターや産直の施設の計画の話を同期の市役所の人間カラ聞かされました。
車中泊施設の話を役所にしたのですが、具体的な提案と物語を作りを作って欲しいといわれてます。
この件で教示頂けないでしょうか、宜しくお願いいたします。
急ぎで申し訳ございませんが来週木曜日に現地秋田に向かう予定です。その前に時間を取っていただければ幸です。
三浦純夫(fwgk9154@mb.infoweb.ne.jp
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