山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

二つの田んぼアート

2014-11-04 14:35:32 | 旅のエッセー

田んぼアートというのがある。予てからその話を耳にし、実際に最も有名な青森県田舎館村のその田んぼ近くまで何度も行っているのだが、残念ながらまだ一度もそれを見たことがなかった。というのも、田舎館村を訪れるのは何時も田植えをする前の時期であり、稲の植えられていない田んぼは、普通の田んぼに過ぎないからである。

今年は幸運にも二つの田んぼアートを見るチャンスに恵まれた。その一つは北海道の雨竜町(雨竜郡)の道の駅に泊った際に、近くに町の青年団の人たちが作ったという田んぼアートがあるというので、それを覗いたこと。もう一つは本家本元ともいえる田舎館村の今年の田んぼアート作品である。それらを見物した感想などを述べて見たい。

先ず、雨竜町の青年団(JA北そらち青年部雨竜支部)の作品だが、一言でいえば、良く判らなくて残念で勿体ない感じがしたということになる。田んぼには「たうえ」と茶色い稲で描かれていたので、田植の情景を表わした作品らしいのだが絵が良く判らない。想像するにどうやら子どもが笑顔で田植をしている姿のようだ。しかし、かなりの斜め下から覗いているので、今一はっきりしないのである。

   

雨竜町の田んぼアート作品。たうえと手前に書かれているが、どうやら子供が笑顔で田植えをしているらしい。せめて展望台があと2m高かったら、はっきり判るのに。

その原因は展望所があまりに低く作られているため、折角の作品を満足に俯瞰できないからなのである。3mくらいの高さしかないので、そうなってしまう。足場パイプで作った簡易展望所なのだが、それ以上の高さのものを作るのには技術的には大丈夫だとしても、費用もかかるし厳しいのかもしれない。しかし折角の作品が中途半端にしか見せられないのは、真に残念なことではないか。そう思った。

   

青年支部の人たちの手作りと思える簡素な展望台。反対側の平地から見ると、絵の方は何なのかさっぱり判らない。

こちらの田んぼは30m×80mくらいの大きさで、稲で絵を描くには植えるに適当な広さなのであろうけど、作品を見るにはより高い展望台が必要のようである。逆に現在の展望台を前提とするなら、よりコンパクトな絵を描くように植え方を工夫する必要があるのかもしれない。この辺のことは、平面に描かれた絵の大きさとそれを俯瞰する位置との関係で決まるようである。どんな立派な作品でも、規模の大きなものとなると、傍で見る限りでは何の絵何かなど見当もつかない。ペルーのナスカの地上絵だって、空の上から見て初めてそれ何かが判るのだから。

とにもかくにも雨竜町で見た田んぼ絵は、青年たちの思いを込めた作品なのに、何だかそれらが充分伝わって来ない不満のようなものが残った。しかし、もはや稲作は北海道に定着し、このような田んぼアートが可能となるほどに進化しているのは素晴らしいなとも思った。北海道の稲作は確実に進化しており、新潟を抜き去って日本一の生産地となるのは時間の問題ではないかと思っている。

9月の初めごろに雨竜町の田んぼアートを鑑賞してから10日ほど経った日に青森県を通過することになった。いつもだと帰り道は高速道のため、あっという間に通過してしまうのだが、今年は是非とも本家田舎館村の田んぼアートを見ておきたいと思い、少し遠回りして七戸町の方から八甲田山麓の山越えをしてやって来たのだった。田舎館村には昼過ぎに到着。直ぐに村役場近くにある第一会場の方へ向かった。

田舎館村の田んぼアートは、この頃は毎年大きな話題となっている。というよりももはや話題は定着しており、今年の作品は何なのかを楽しみにしているファンも多いようだ。今や全国的にもこの村の名物となっているようである。しかし、自分たちにとっては初めての本物見物だったので、会場が二つあるということもここへ来て初めて知ったことだった。

その第一会場は村の拠点である役場のすぐ傍にあった。田舎館村の役場の建物は独特の姿をしている。城郭風に作られており、遠くから見ても直ぐにあれが役場だと判るのである。一時は趣味の悪い建物だなと思ったこともあったのだが、見慣れてくるにつれて、却って日本の建物らしくて良いじゃないかと思うようになって来るのは不思議である。第一会場の田んぼアートは、その役場の庁舎の天主閣ともいえるてっぺんから俯瞰して鑑賞できるように作られていた。田んぼの傍に駐車場があり、役場まで少し歩いたのだが、傍の田んぼに何が描かれているのか、稲を見ただけでは全く判らない。

作品を描くために植えられている稲の品種が道脇に10種類ほど紹介されて植えられていた。白っぽいものから黒っぽいものまで、微妙に稲の葉の色も穂の色も違っている。これらを巧みに使って稲を植え、何かを表現するのである。稲のことを熟知していなければ、到底描くことなど不可能で、田舎館村には弥生の時代から稲作が行われてきた遺跡があり、いろいろなものが出土しているということもあって、元々その古代からの伝統に因んでこのような田んぼアートなるイベントが発想されたようである。凄いことだなと思う。

役場の入口で200円也の入場料を払って、3階までエレベーターに乗り、そこから先は歩いて展望所へ。合わせて5階くらいの高さであろうか。さて、どんなものが見られるのかと下の田んぼを見下ろしてアッと驚いた。巨大な天女らしき女性が衣をまとって雲に乗って天に昇ってゆく姿が描かれていた。その右の方の田んぼには、富士山が描かれていて、双方の絵のテーマが三保ノ松原の天女伝説を表わしていることが解る。大変なスケールの作品である。実に緻密に表現されており、天女の顔立ちや表情までが艶やかに描かれていた。富士山の描かれた田んぼとの間に道路が一本走っていて、これが野暮な邪魔立てをしているのが残念だったが、これはいた仕方ない。全体をカメラに収めようと思ったけど、あまりにスケールが大き過ぎて普通のレンズでは無理だった。しばらくその絵に見入った。

   

左側の田んぼに描かれた天女昇天の図。大き過ぎて顔の表情などを撮りきれていないのが残念だ。

   

右側の田んぼに描かれている富士山。手前の文字などが描かれている濃い赤紫の部分は海を表わしている。船が一艘浮かんでいる。芸が細かい。この二つの絵はペアになっている。

これだけのものを作るというのは、半端なことではない。植えた稲が枯れたり、病気になどなってしまったら、絵そのものがダメになってしまうのである。植えた後の面倒見も相当に慎重に心を砕いているのだと思う。それらが今実りの秋に、真に見事に稔って大地にこの村の意気込みを描いているのである。多くの関係者の人たち、そしてこの村の皆さんに拍手を送りたいと思った。日本国の食を長年支えて来た米という作物が、このような描く力を持っていたことに心底驚きを感じたのだった。そして、それを見事に引き出したこの村の情熱にもあらためて感嘆の声を上げたのだった。

   

田舎館村役場の庁舎。右側の天守閣様の箇所が展望所となっており、津軽平野一帯を俯瞰できるようになっている。

やっぱり来て良かったなと思った。雨竜町のそれとは比較すべきではないとも思った。比較すればどちらが上でどちらが下などという見当外れの評価などをしてしまうからである。敢えて比較するのであれば、前年との比較で優劣を競うべきの感じがするのだが、本家田舎舘村の場合は、それすらもナンセンスのような感じがする。最早単純にその年年の作品を存分に楽しむだけでいいのではないかと思う。

次の日は第二会場へ行くことにしたのだが、結果として行ったのは家内だけで、自分の方は欲張らないことにした。見なくても作品の素晴らしさは見当が付く。家内の話と写真を見さえすれば充分だと思った次第。果たして、戻ってきた家内の報告は予想通りだった。こちらの方は泊った道の駅の直ぐ傍に会場があり、そこにはサザエさん一家が描かれていた。こちらの作品も大作で、やはり全部をカメラに収めるのは無理だったという。

   

第二会場に描かれたサザエさん一家を描いた絵。この絵の一番右にマスオさんが描かれているのだが、大き過ぎてカメラには入らなかった。

   

第二会場近くを走る鉄道(弘南鉄道弘南線)には臨時の駅(?)なども設けられていた。この付近に弥生時代の農耕遺跡がある。

田んぼアートという如何にも日本的な発想のこの企画は、単なる遊びの芸術ではなく、それらを描き出してくれる稲という作物への感謝を込めたものでなければならないなと、改めて思ったのだった。

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