霧ケ峰高原の中に八島湿原というのがある。日本を代表する高層湿原の一つという。標高1500mを超える高原の中に出来た、周囲が4kmを超えるという巨大な水溜りの中に、千年を何度も繰り返しながらミズゴケが生い茂り重なりあって、そこに何種類かの植物が住みついて出来上がったものだとか。このようにして出来上がった湿原のことを高層湿原と呼ぶとのこと。詳しいことは解らないけど、釧路湿原などとは違ったもののようだ。しかし、ミズゴケがベースとなって出来ているということだから、釧路湿原と同じように、この湿地帯の中に入ったりしたら、あの恐ろしい落とし穴のヤチマナコと呼ばれるようなものが潜んでいるのかもしれない。勿論ここでは湿原の中に入ることは禁止されているので、それを確認しようとするなどの愚かなことをする者はいない。自分にとって、湿原というのはなぜか不気味な存在である。
この八島湿原を初めて訪れたのは丁度50年ほど前だった。その日は霧が深くて、どこまでが湿原なのかが良く判らず、霧の中に現れる木道を不安を抱きながら歩き、戻ったという記憶しかない。何度か訪ねるうちにようやく凡その状態を知るようになった。50年前と現在がどのように変わっているのかは、あまりにも長い時間が経ってしまっているので、良く分らない。湿原の中の状態はさほど変わっていないのかもしれないけど、この50年間にここを訪れた人の数は、往時は想像もできなかったほど多くなったであろうから、それが湿原に及ぼした影響はかなりあるに違いないと思う。50年前はビーナスラインと呼ばれる道路などなかったし、車で来る人もほとんどいなかった。それが今は、有料だったビーナスラインが無料になり、八島湿原の入り口に設けられた駐車場は毎日満車に近い状態となっているのだから、この高原の環境は激変しているに違いない。
私がここを訪れる最大の目的と楽しみは、湿原の周辺に咲く野の草たちの花を見ることである。ここ十数年は、この時期は殆ど北海道での旅くらしをしてきたので、この地の野草たちの姿を見ることはできなかった。その代わりに、北海道では原生花園という野草の天国があり、そこで毎年野の花の美を堪能して来たのだった。北海道の原生花園は、多くは海岸の近くにあって、高原というような環境ではないのだけど、花の点在する様子や、ある種の花については、この霧ケ峰高原の湿原の環境に良く似た植生状態を示している。だから、霧ケ峰を訪ねなくても、北海道での野の花たちに出会って、遠い昔の霧ケ峰の花たちを思い起こすことが出来たのだった。
それが今回は、久しぶり、本当に久しぶりに、現地に来て花たちを眺めることが出来るというのだから、期待は大きく膨らみ、楽しみもワクワク度を増していた。二日に渡って湿原を歩きまわり、30種類以上の野の花に出会うことが出来たのは嬉しかった。ここに、その中から18種類の花たちを取り上げて、我が思いを語ってみたい。
【カラマツソウ】
湿原の入口を入って、最初に目に入ったのがこのカラマツソウの鮮やかな白だった。この野草の仲間にアキカラマツというのがあるけど、これはどこの平地にでもあり、黄色っぽい地味な花を咲かせる。東京辺りだと、例えば玉川上水の側道などに生えているのだが、草刈り作業で刈られてしまうので、なかなか花を見るのが難しい。北海道の原生花園では、今頃はそのアキカラマツが全盛の花を咲かせていることだろう。それに比べると、ここのカラマツソウは、如何にも高原の花という趣きがあり、気高き純白の花を咲かせている。ハッとするほどの白い美しさである。
【ノリウツギ】
ノリウツギは、北海道の釧路湿原にも多い花の一つである。アイヌの人たちは、この花をサビタと呼んでいる。亡くなられた伊藤久男という歌手の歌に「サビタの花」というのがある。アイヌの娘の恋をサビタの花に寄せて謳った詩だった。その一番は、次のような歌詞である。
からまつ林 遠い道
雲の行方を見つめてる
サビタの花よ 白い花
誰を待つのか メノコの胸に
ほのかに咲いた サビタの花よ
この歌が好きで、北海道へ行くとサビタの花を見る度に、つい口ずさみたくなるのだった。サビタの花とはノリウツギの花のことである。ウツギは草ではなく木である。風雪厳しい環境の中で、逞しく生き残り、アジサイに似た純白の美しい花を咲かせる。50年前には、ここにこの木があり、花を咲かせているなどということを知らなかった。北海道では毎年どこにでも見かけている花なのだけど、今回これに気づいて、思わず懐かしくなってカメラに収めたのだった。開花には少し時期が早いようで、未だ本当の花の姿を見せていないのだけど、この湿原の中にある樹木の花の中では、女王クラスの花に違いないと思う。
【グンナイフウロ】
ここへきて初めて本物に出会えた野の花の一つである。フウロと呼ばれる野草には幾つもの種類があるけど、このフウロは名前だけは知っていたのだが、実物を見たのは初めてだった。最初に見つけた時は、その葉の形などからフウロの仲間には違いないと思ったが、今まで見たこともない花の形をしており、見当がつかなかった。外来種のアメリカフウロなどがこの湿原にまで入り込んでいる筈はないし、アメリカフウロはもっと花が小さい。それに比べるとこの花は大きく、フウロらしくない少しごつい形をしているのだった。後で案内板の中にその名前を見て、おお、これがグンナイフウロという奴なのか、と思った。しっかりとその姿を目に焼き付けたのだった。
【ミヤマオダマキ】
オダマキの花の名を最初に覚えたのは、数十年前に山本周五郎先生の作品を読んでいた時だった。江戸時代の物語で、作品の名は覚えていないのだが、下級武士の男だったか(或いは武家の女性だったか)が、庭の隅に咲くオダマキの花を折って、隣人に手渡すといった場面だったように思う。その時はオダマキがどのような花なのかも知らず、その後何となくあこがれの花のように思えていたのだった。往時はネットで直ぐに調べるなどということも出来ず、野草の図鑑なども手元になかった時代で、ただきれいな花なのだろうなと思うだけだった。その後何年か経って、何の機会だったか忘れたけど、実際に咲いているオダマキの花を見て、なるほど、これがオダマキなのかと思ったのを思い出す。園芸種のオダマキは、周五郎先生が取り上げられた花とは少し違っていたのかもしれない。何だか人の手が入り過ぎて、純粋さを失っている感じがした。
この湿原のオダマキは、その頭にミヤマという名がつく。ミヤマというのは深山ということであり、野生の、山深くに生息するという意味なのであろう。この花は花びらが薄い黄色みを帯びていて、透明感、清潔感に溢れている。索道の周辺の日射しの中や木陰の中にあって、楚々たる美しさを見せてくれていた。周五郎先生が取り上げたのは、このミヤマオダマキににも勝る花だったのだろうか。そのようなことを想った。
【ノハナショウブ】
アヤメとショウブとはどこがどう違うのか、何度図鑑を見ても、説明を読んでも、その違いが今一はっきりしない。それで、野に咲くこの種の花は皆ノハナショウブだと思うことにしている。この湿原ではもう開花期が終わってしまっているのか、花の数はきわめて少なく、全域でも数本が点在して咲いているだけだった。これはその内の一本である。この湿原には、総じてノハナショウブは少ないのかもしれない。
北海道では、湿原の全体を埋め尽くすようにこの花が咲いている場所が幾つかある。今頃、霧多布(きりたっぷ)湿原などは、この花の紫で埋め尽くされているのではないか。作物の限界地帯といわれてきた根釧原野の辺りは、今年も相変わらず寒い夏の日が多いようなので、花たちにとってどんな影響が出ているのかと、思いを遠くに馳せたりした。
こんなに近くで、ノハナショウブの紫をじっくりと覗きこむことは普段あまりなかった。この湿原では今は目立った存在であり、改めてその美しさに打たれたのだった。
【オオカサモチ】
北海道などではこの植物は海岸などの平地の草むらに幾らでも見かけることが出来る。凡そ2m近くの大きさのものも見られる大型の植物なのだが、この湿原では極めて控えめな大きさにしかなっていないようで、この個体の場合、高さは1mにも満たないほどで、初めはオオカサモチではないのではないかと思ったほどだった。この花は集合花である。集合花というのは小さな花が集まって大きな花をつくっているという姿のもので、このような花を見る場合は、虫眼鏡が必携だ。
小さな花を拡大して覗くと、そこには今まで気づかなかった不思議な美の世界が広がり、鎮座している。一見つまらなそうな花でも、何故なのかと不思議を覚えるほどの美や造形の妙への感動をそこに見出すことが出来るのである。この花もその一種に違いない。今回は虫眼鏡を置いて来てしまったけど、その不思議さは北海道で実証済みである。
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